1953年(昭和28年)の歴史

関西経理専門学校の誕生

1957年3月16日 第5回専門科卒業式
学校法人関西経済学院
関西経理専門学校の校舎正面玄関

関西簿記研究所は、大阪市内唯一の公認簿記学校の誕生である「関西簿記経理学校」、そして「関西経理専門学校」へと改称しました。引き続き白井種雄が校長に就任し、街頭テレビに数百名の観客が群がっていたテレビ元年の1953年、関西で初めての学校法人経理専門学校を発足しました。

課程には、本科、実務科、専門科があり、本科の修業年限は2年で第一部(昼間)のみ。実務科と専門科は各1年修業で、それぞれ第一部と第二部を設けました。1954年(昭和29年)4月には現在地の大阪市北区天神橋筋二丁目二十二番地に木造二階建ての新校舎が完成。思い出多い正泉寺の教室は付属関西経理教室とし、従来どおり夜間3カ月修業を望む人たちの要望に応えました。

この時点で担当教授は公認会計士や税理士21人。特別講師は大学教授を中心に19人を数えています。学校法人の発足とともに校章としてマーキュリー・マークの採用を決定しました。

カリキュラムの拡充と生徒数の増大に対応して、校舎の整備を進めていきました。1957年(昭和32年)から、1958年(昭和33年)にかけて、木造二階建て校舎を現キャンパス北東隅に完成させたのに続き、天神橋筋では初めてと評された白亜の四階建てビルが竣工。さらに1964年(昭和39年)からはキャンパス再整備事業に取り組み、1965年(昭和40年)4月には冷暖房完備の六階建て校舎に新入生を迎えました。1987年(昭和62年)8月には、それまでのすべての施設をスクラップし、新たに地上7階、地下2階のインテリジェント・スクール・コスモスを完成させました。

1959年(昭和34年)から3年間に限り、2年制の女子部本科を設けて中学校卒業者の向学心に応えました。1976年(昭和51年)には専修学校法の制定に基づいて商業実務専門課程を設置。1988年(昭和63年)には商業実務専門課程に経理実務学科、経理専門学科、経営学科を、また情報処理専門課程として情報処理学科を置き、4学科制へ移行しました。パソコン教育は1982年(昭和57年)から実施しています。また1987年(昭和62年)には愛称としてアスト(AST=Advanced School for Technomists)の採用を決定し、さらに教育機能を充実していきました。

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