1940年(昭和15年)

大阪学院大学・大阪学院大学短期大学部のルーツは関西簿記研究所

初代総長 白井種雄が理想とした企業会計人育成のため、1940年に創設されたのが、大阪学院大学の前身「関西簿記研究所」。大阪市北区「天満の天神さん」で知られる天満宮。その石の鳥居を望む町並みの一軒に看板を掲げました。会計人の育成というにはあまりにも過酷な時代の中、その目標は日常を超えた真理の探究であり、未来を見据えた若き芽の育成にありました。

さらに詳しい情報は 「1940年(昭和15年)の歴史」 でご紹介しております。

旧北区地下町かいわい
この一画に事務所がありました。

.

1948年(昭和23年)

禅寺の本堂を借りて教室に

戦後の関西簿記研究所の授業は、北区堀川小学校南側に焼け残った住宅で始まりました。しかし、ここでは手狭であったため、北区西寺町の禅宗寺院、正泉寺を借りて教室に。1949年9月にシャウプ勧告が発せられ所得税中心の租税制度が実施されると、経理事務への関心は高まっていきました。
なお、法律の大幅な改正により従来の計理士は1948年から公認会計士に。税理士の資格が生まれたのはそれから3年後のことでした。

さらに詳しい情報は 「1948年(昭和23年)の歴史」 でご紹介しております。

正泉寺での授業風景

.

1953年(昭和28年)

関西経理専門学校の誕生

関西簿記研究所は「関西簿記経理学校」、そして「関西経理専門学校」へと改称。引き続き白井種雄が校長に就任し、街頭テレビに数百名の観客が群がっていたテレビ元年の1953年、関西で初めての学校法人経理専門学校を発足しました。
この時点で担当教授は公認会計士・税理士21名。特別講師は大学教授を中心に19名。カリキュラムの拡充や生徒数の増加に伴い校舎の整備に着手し、さらに教育機能を充実していきました。

さらに詳しい情報は 「1953年(昭和28年)の歴史」 でご紹介しております。

1957年3月16日 第5回専門科卒業式

.

1959年(昭和34年)

大阪学院大学高等学校開校ベビーブーム世代が高校の門へ

1958年準学校法人関西経済学院は学校法人に組織変更し、「関西経済学院商業高等学校」を設置。翌1959年に白井種雄が校長となり開校。1962年には普通科を新設し、校名を「関西経済学院高等学校」と改称。1963年「大阪学院大学高等学校」と名称変更しています。

さらに詳しい情報は 「1959年(昭和34年)の歴史」 でご紹介しております。

開校に向けて建設が進む 高等学校校舎

.

1962年(昭和37年)

学産協同の理念に徹し大阪学院短期大学を設立

全国総合開発計画のスタートを背景に通産省は中小企業の指導育成を重要課題とし、中小企業診断制度の制定をはじめ、経営の科学化・近代化を奨励しました。これらは創立者白井種雄の思考と一致するものであり、学産協同の理念に徹し、中小企業のみならず全産業界の経済改善と生産性向上のために貢献する技能者の育成を目的とした、「関西経済学院短期大学」を開学。第1部(昼間)と第2部(夜間)を持つ経営実務科を置きました。
翌年には校名を「大阪学院大学短期大学」に、続いて「大阪学院短期大学」に名称を変更。1986年待望の新校舎が完成したのを機に、1987年国際文化学科を増設しました。

さらに詳しい情報は 「1962年(昭和37年)の歴史」 でご紹介しております。

第1回入学式 第1部は男子部と女子部から成り
第2部は男女共学でした。

.

1963年(昭和38年)

建学の精神を貫いて開かれた総合大学に発展

1963年に「大阪学院大学」を創立。商学部商学科を置き、独創的で実践力に富む人材の育成を建学の精神で示しています。その後、経済学部のほか多くの学部を新設しますが、少数定員制に徹しマンモス化の弊害を避けるとともに、各学部間の障壁を排し「開かれた総合大学」の理想をめざします。

さらに詳しい情報は 「1963年(昭和38年)の歴史」 でご紹介しております。

フェニックスの庭園越しに大学校舎を望む

.

1967年(昭和42年)

学術の理論と応用を研究する大学院の創設は大きな節目に

1967年には学部を基礎に、より深く学術の理論と応用を研究する大学院を創設。大学院商学研究科修士課程および博士課程の設置認可を同時に受けました。「開かれた総合大学」をひょうぼうする大阪学院大学にとっては、大きな節目となる歴史の一こまに。1976年に大学院新館、1990年には大学院棟5号館が完成しました。

さらに詳しい情報は 「1967年(昭和42年)の歴史」 でご紹介しております。

当時の大学院授業風景

.

1974年(昭和49年)

世界への確かな視座に立つ教育真の国際人育成をめざす

創立当初からの目標であった国際センスあふれる人材の育成をめざし、1974年にはミネソタ州セントポール市にある名門校セント・トーマス大学と姉妹校協定を締結。この提携を手始めに海外の大学との交流を深め、フランス、イギリス、ドイツなどの大学と学術交流協定を結び、国際社会への教育対応を図ります。

さらに詳しい情報は 「1974年(昭和49年)の歴史」 でご紹介しております。

パリ第九大学との学術交流協定調印後、
学内を案内する現白井総長

.

1976年(昭和51年)

新たな人間形成の場を創造キャンパス拡充整備年次計画スタート

キャンパス拡充整備計画は、建学の精神に添い、これからの国際化された社会においても、十分応えられる人間形成の場を創造することにありました。学舎という観念から脱却し、より一層の教育効果を図るために教室の基本機能を高めることはもとより、自己研修や、学生相互および教員との交流による人間形成の場を数多く設置。新しい時代の大学の価値を求め、社会のニーズに対応できる現代的な教育を推し進めるにふさわしい環境に整備しました。

さらに詳しい情報は 「1976年(昭和51年)の歴史」 でご紹介しております。

新築された大学本館

.

1983年(昭和58年)

早くから情報教育環境作りに着手先進のマルチメディア教育をめざす

国際社会への教育対応を図るとともに、来るべき高度情報化時代に対応したマルチメディア教育環境作りに1980年代より着手。AVラウンジ、大型ビデオプロジェクターの設置をはじめ、1997年には新たな学内の教育・研究系ネットワークとし、「OGUNET」を整備。また、学生の情報活用能力向上をサポートする「MELOP」を12号館に開設しました。
2001年には双方向型の機能を持つ新しいコミュニケーションシステムである学内情報サービス「Pocket Phoenix」もスタートさせるなど、先進の取り組みによる環境作りを次々と進めていきました。同年には情報拠点となる2号館が完成。全国でも有数のITキャンパスに成長しています。

マルチメディアネットワーク
キャンパスの拠点は2号館

.

2004年(平成16年)

企業法務に特化した法曹の育成をめざして法科大学院を開設

司法改革が進むなか、実業界からはビジネス社会で活躍する法曹が強く求められるようになりました。こうした社会的なニーズを背景に企業法務に特化した法曹の育成をめざし、2004年には大学院法務研究科(法科大学院)を開設。さらに2005年には大学院コンピュータサイエンス研究科修士課程を増設。変革が進む現代のビジネス社会で活躍できる高度な専門知識をもった人材育成をめざしています。

.

2007年(平成19年)

人間形成に重点を置いた実践的カリキュラムでキャリアをはぐくむ豊かな環境を整備

開学以来、貫かれてきた建学の精神である、視野の広い実践的な人材を育成し、学生一人ひとりの将来の夢に直結するサポート体制を強化。2006年にはホスピタリティ産業を中心とした経営者、起業をめざす人材の育成をするため、実務経験豊富な教員で構成されたホスピタリティインダストリー研究所を設立。また、キャリアデザインルームやラーニングセンターを開設し、学生一人ひとりが意欲的にキャリアデザイン(将来設計)を行い、自分を磨き素晴らしい未来を切り開く環境を整備し続けています。

.
.
このページの先頭へ
.