インターネットと「創始者特権」の政治経済学 大阪学院大学経済学部教授 鬼木 甫 I.まえがき  「インターネット」の普及にともない、自分で電子メールを送ったり、WWW (World Wide Web) 画面にアクセスすることが多くなっていると思う。本学でも、この10月から学内LANが本格的に整備され、外部インターネットとの接続が実現した。学生による自由な使用にはまだ制約が残っているようだが、4年次生の就職活動のためにインターネットが有効であったとの経験をきくことも多い。  インターネットは、将来指向型の通信手段、情報交換手段である。これまでわれわれは、新聞・書物・テレビ・ラジオなどを通じて社会全体の情報、つまりマクロ情報・マス情報を入手してきた。また個別のミクロ情報・ミニ情報は、直接の会話や会談、会議・電話・ファクシミリ・郵便などの手段を使って交換されてきた。インターネットは、両者の中間に位置する機能、つまり従来の情報手段では実現できなかった新しい機能を提供する*1。このため、インターネット使用は、最近数年間に爆発的に成長した*2。  インターネットへの加入方法や使い方の説明については、多数の入門書が出版されており、雑誌・新聞・テレビなどでの解説も多い。本稿では、インターネットついて少なくとも初歩的な知識を持っておられる読者を対象にして、インターネットという情報システムにかかわる「独創性」「創始者特権」などについて考えてみたい。 II.米国の「創始者特権」  インターネットを使いはじめるときに、誰でも一度は「おや(?)」と思うことがある。電子メールを送ったり、WWWで情報を取り寄せるときに使うインターネット・アドレス(宛先)に、「米国」の国名が付かないことである。たとえば、日本の首相官邸のアドレスは、"kantei.go.jp"(つまり日本<=jp>の政府機関<=go>の首相官邸<=kantei>)であり、また大阪学院大学は、"osaka-gu.ac.jp"(日本の大学研究機関<=ac.jp>の大阪学院大学<=osaka-gu>)である。これに対し米国大統領のホワイトハウスは "whitehouse.gov"(政府機関<=gov>のホワイトハウス<=whitehouse>)であり、シリコンバレーのスタンフォード大学は、"stanford.edu"(教育機関<=edu>のスタンフォード大学<=stanford>)である。米国のアドレスの場合、日本の "jp" に相当する国名は付かない。  このことは、直接的にはインターネット成立の歴史に起因する。インターネットは当初米国で成立し、主として米国内で使われたので、アドレス末尾に国名 "usa"を付ける必要が生じなかった。インターネットが米国内で普及した後に米国外のユーザにも接続されるようになり、そのアドレスに所属国名が付けられたが、米国ユーザのアドレスは元のままに残った。  つまり米国はインターネットについて「創始者特権」を持っている。それはアドレス名だけでなく、他の事項、たとえばインターネット接続のためのコスト負担にも及ぶ。たとえば日本から米国へのインターネット接続回線*3の容量は、すでに日米間の国際電話回線の容量を上回ったとのことだが、接続回線料金はほとんどすべて日本側で負担している。もとより接続回線上では双方向に電子メールが流れ、WWWのアクセスも(日本側からのアクセスの比重が米国側からのものよりもはるかに大きいであろうが)原則的には双方向である。それにもかかわらず、接続回線料金は直接間接に日本のユーザ(あるいは納税者)が負担している*4。このような米国の「特権」は、日本だけでなく、他国との間でも同様に成立している。  インターネットについて、日本はこのように米国に対して従属的な立場にある。日米間のこのような関係は一方的に過ぎるとして、米国に対し、日米間の接続回線料金を両国のインターネット事業者が平等に負担するべきであるとの要求が最近出されたとのことである。もとよりこの要求を米国事業者が直ちに容認することはないであろう。しかしそれでも、われわれの心の中では、「このような不平等は日米間の『力関係』から生じているのであって、この件に関する『正義』は日本の側にある。」と考える人が多いであろう。日本人の「愛国心」や「平等指向」もこのような考え方を支えている。以下この点に関し、もう少し立ち入って考察してみたい。  まず米国の立場を試みに述べてみれば、次のようになるだろう。「われわれはインターネットを築き上げるため、これまで20年以上にわたって苦労してきた。インターネット建設のために投入された米国の「知的資源」は莫大な量に上る。それは、たとえばインターネット運営の技術的基盤になったRFC (Request for Comments: インターネット規則集)の量を見ても分かる。インターネット建設のコストの大部分は、これまで米国の納税者が負担してきた。この点を考え、米国から他国向けのサービスとしては、このように価値あるネットワーク・情報システムの無料使用を認めているだけで充分であろう。日本や他国は、「使用料金」を徴集されないだけ助かっているではないか。つまり、日本のユーザは、アメリカ西海岸までの接続回線料金だけを支払ってインターネットのすべてのサービスを原則無料で利用できるのであり、アメリカ国内の接続回線料金や、インターネットというシステム自体の「使用料」は支払っていない。それなのに、日本から西海岸までの接続回線料金等の負担を米国にも求めるのは筋違いである。早い話が、接続回線料金を支払うのが嫌ならば米国インターネットへの接続をやめ、自分達で好みのシステムを作ればよいではないか。」であろう。米国の一部の尖鋭分子は、「インターネットという米国民の資産を、(途上国はともかく)他の先進国に無料で提供するべきではなく、相応の使用料を徴収するべきである。米国民は、他国への慈善事業のために税金を支払ってきたのではない。」と主張するかもしれない*5。ただしこの点については、別の側面から、「米国以外の国はすべて『インターネット途上国』である。米国の長期的な影響力という点から考えれば、現在のように他国に対しインターネットを無料で提供しながら、一方でシステム建設・運用上のリーダーシップを米国が確保し、他方で米国による『人類社会への貢献』という実績を作っておくのがよい。」とする意見もあり得る。  インターネットは、米国で当初軍事目的に作られたが、1970年代以降は学術研究用のネットワークとして発展してきた。その結果、米国内外の大学・研究機関の自由な加入、分散型ネットワーク、加入料・使用料ゼロ、新規加入者による接続回線費用の負担という慣習が定着した。日本のユーザが米国西海岸までの接続回線料金を支払っているのは、「新規加入者による接続回線費用負担」原則の適用結果であると考えられる。1990年代に入って、これに営利目的の使用を認めたときにも、インターネットの「無料公共財」の性格は保持され、日本のユーザも「使用料」を要求されることはなかった。最近の爆発的な成長(と接続回線やサーバ・ルータの混雑)をもたらした一つの理由は、「使用料ゼロ」にある。もし、インターネットの歴史が実際と異なり、(たとえばパーソナル・コンピュータのOSやLAN−OSのように)民間営利企業によって有料で提供されていたならば、現在の状況は大きく異なっていただろう*6。この理由で、上記のような歴史から生じたインターネットの特色、とくに使用料ゼロの原則は、日本を含む米国以外の諸国にとってラッキーな結果をもたらしたと言うことができる。 III.インターネットの将来のあり方  インターネットがこれだけ普及すると、今後当分の間、世界中の多数の人がインターネットに依存することになるであろう。つまり「インターネットの次の大変革」が生ずるまで、インターネットへの依存が続くであろう。したがって、近い将来におけるインターネットのあり方が問題となる。この点については、さまざまの異なる見解があり得る。まず経済的側面については、「インターネットの使用は情報社会の『基本的人権』であり、義務教育、郵便、電話、道路などと同じく、将来のユニバーサルサービス*7の対象である。インターネット成立の過程で実現したように、その使用料は将来においても無料であるべきだ。接続回線料金も平等・一定であることが望ましい。そのために必要なコストは、国の負担(=納税者の共通負担)とすることが望ましい。」から、「インターネットも(郵便・新聞・電話などの他情報手段と同じく)情報サービスの一種であり、コストに応じた料金を支払って使用するべきものである。」までの意見があり得る。  また、インターネットと「国益」については、「インターネットは、その名前や成立過程が示すように、本来的に国境を越えた存在であり、国益という観点とは相容れない。それは、世界各国の人々の結びつきを強め、従来の国境障壁を低くする方向に働くはずであり、またそのような方向に運営されるべきである。インターネットにおける米国の創始者特権も、時間の経過とともに薄れるだろうから、現在これを余り気にかける必要は無い。」から、「現在の米国の特権的地位を容認したままで、インターネットが多くの人々の生活必需品(サービス)になり、国家の政治・経済の骨格になることには反対する。」までの意見があるだろう。  いずれにしても、インターネットについて、米国が現在時点で名実ともに「世界のハブ」になっていることは争えない*8。米国がインターネットに関する自国のこのような地位とそれに伴うパワーについてどのように考えているかは、われわれの強い関心事である。これまでのように、米国は、大筋の運用についてはアカデミック主導・民間主導に委ね、一部のインフラ建設等についてのみNIIやGII*9の形で公的サポートを加える方針を続けるのであろうか。それとも、米国は、将来、インターネットやその発展形態としての情報システムに拠って世界の「情報覇権」を手中に収めようと試みるのだろうか。そうであるとしてそれは可能か。可能であるとして、米国が圧倒的な「情報パワー」を持ったとき、それはわが国や他の諸国にどのような影響を及ぼすだろうか。あるいは、米国は、他国が「情報覇権」を握ることには抵抗するが、それ以上の「野心」は持っていないのだろうか。(米国のこれまでの軍事政策や、産業・貿易をめぐる外交政策を想起されたい。)それとも、インターネットは本来的に「文化」現象であって、軍事・経済・政治面に大きな影響を及ぼすことはなく、インターネットについて米国が圧倒的な地位を得たとしても、それはたとえば、「ニューズウィーク」誌の各国版が広く読まれ、あるいはS. スピルバーグの映画が世界中で人気を呼ぶ以上のことではないのであろうか。考えるべき多くの問題が残っている。 IV.「創始者特権」をどのように考えるか  創始者特権に話を戻そう。インターネットで使用されるユーザ・アドレスについては、国内にも似たケースがある。NTTのアドレスはごく最近まで "ntt.jp"であり、通常の場合のアドレス"ntt.co.jp"から、営利会社であることを示す "co" が省かれていた。漏れ聞くところによると、インターネットが現在のように普及するよりもはるか以前に、つまりそれが海のものとも山のものとも分からない草創期に、NTTの中に(少数ではあったが)具眼の士が居り、インターネットの普及に力を尽くした。そのときの貢献(NTTの経済力も背景にあっただろうが)がアドレスに残り、国内でNTTだけが特別扱いを受けていたとのことである。この特別扱いは本年1月に廃止され、現在では"ntt.co.jp"が使用されている(ただし、現在は移行期で、"ntt.jp"もまだ使えるはずである)。NTTのアドレスの変更をめぐって関係者の間にどのような「政治力学」が働いたかについて筆者は承知していない。しかし、結果から見て、NTTの「創始者特権」を認めない方向、つまり「横並びを貫徹する」「出ている釘を叩く」方向の意見が強かったことが分かる。これがどのような意味を持ち、どのような効果をもたらすかは後に論ずることにして、もう少し具体例を見よう。  ネーミングに関する創始者特権、つまり「創始者としての特段の実績から、普通名詞を創始者の固有名詞として認め、また逆に創始者の固有名詞を普通名詞として使う」ことは、他の分野でも多く見られる。たとえば "The Times" という題字を持つ新聞は英国のLondon Timesだけであり、その他のTimesにはNew York TimesとかLos Angels TimesとかJapan Timesのように固有名詞が付けられている。London Timesは最近になって往年の名声を失い、ニュース記事や解説内容ではNew York Timesに凌駕されてしまった。それにもかかわらず、The Timesの名称は、新聞界の事実上の「創始者」であったLondon Timesに限られている*10。もし他の新聞が勝手にThe Timesの名称を使いはじめれば、記事ソース等についてLondoon Timesとの混同から不便を生じ、多くの非難を受けるだろう。またThe Timesは商号・商標として登録されているだろうから、違法行為として訴えられるだろう*11。  似たようなことだが、1996年のアトランタ・オリンピックで柔道の試合をテレビ観戦していたときに、試合用語に日本語が多数使われていることを知った。筆者は門外漢だが、レフェリー用語である「ハジメ」「マテ」「イッポン」などはすべて日本語(ローマ字表記)であり(ただし「技あり」は発音しにくいのか、"Wa-ari"のように単純化されていた)、「レイ」のような日本礼式も採り入れられていた。このような柔道の国際化は、「柔道」というスポーツの独創性・優秀性に起因しているのであろう*12。  すぐれた日本文化、日本システムの国際化を示す用語については、他にも挙げるべき例が多い。かつてsonyのブランド名は、高品質製品の代名詞になっていたし、米国の若者世代でhondaやyamahaと言えば゛モーターバイク(単車)を意味していた。kikkomanは、アメリカのどんな田舎のスーパーでも売っている「しょうゆ」のことであった。古くはjapanの語が、格調高い日本製漆器(あるいは原料の「うるし」)を指していた*13。  実はこれらの例は「灯台もと暗し」で、「インターネット」の名称自体が、普通名詞を固有名詞として使用している例である。この点は日本語カタカナ表記では分かりにくいが、英語で書き記してみれば明瞭である。インターネットの英語名は、"The Internet"である。「ネットワーク間結合」を意味する"internet"という普通名詞が、"The Times"と同じく"The"を付けて大文字で綴られ、「インターネット」を示す固有名詞として使われるようになった。もとよりこれは、現在の「インターネット」が規模・品質において世界唯一・最高であり、他に比肩するネットワークが存在しないことに起因している。インターネットと同種のサービスを提供するパソコン通信やデータベースは、その規模や機能において、「インターネット」に遠く及ばないのである。 V.結論 インターネット・アドレスや、新聞名や、柔道用語などでの「創始者特権」の例からわれわれは何を学ぶことができるだろうか。インターネット・アドレスの付け方について「米国は横暴である」という声を起こし、ヨーロッパ諸国と連合して「インターネット運営会議(?)」で多数票を集め、米国ユーザにも "usa" という国名を付けるよう決議させることであろうか。"times"のような普通名詞を商号・商標として登録することを禁止するべきであろうか。柔道の試合用語には、日本語だけでなく、他国語も平等に採り入れるよう日本から提案するべきなのだろうか。  読者の多くは、このような島国日本型の「横並び方式」「足の引っ張り合い」「出る釘を打つ方式」つまり「形の上だけの平等の実現」には反対されるであろう。それは、二十一世紀に向けてわが国を発展させる方策ではないからである。格段にすぐれたシステムや製品の創始者はいわば「人類全体に貢献」したのであるから、これを認めて特別の名前を付け、またある限度までは経済的優位性も認めるべきであるとする意見が多いだろう。特許権や著作権などによる知的財産権の保護も、これと同じ考え方に基づいている。  現在ますます多くの人がインターネットを使うようになっている。新聞は「サイバー・スペース」「電子マネー」の記事を連載し、解説本や入門書は書店に溢れている。もとより、インターネットの普及自体は望ましいことである。インターネットの長所を活用して、人々の結びつきを強め、経済の活性化、政治の民主化を進めるべきであろう。  しかし、これに加え、二十一世紀に向けたわれわれの方策を見出すために、ここでもう一つ考えなければならないのは、情報通信分野(あるいはより広く「新しい産業分野」)で、何が「次のインターネット」になるか、であろう。つまり、われわれが世界に向けて「創始者特権」を主張できる製品やシステムを新たに創り出すことが求められているのである。現在の日本経済は、従来の自動車・家電に代わる新しい戦略産業を未だ見出すことができないで苦しんでいる。国民の貯蓄意慾は依然として高いのに、貯蓄資金を有効に活用できる投資先が枯渇し、預金利子率は実質ゼロ水準にまで下降している。情報通信産業は戦略産業の有力候補であるが、残念ながら現在の日本の実力は、同産業で世界をリードすることろまで伸びていない*13。その1つの理由は、情報通信産業では、製造業でパワーを発揮した「品質改良主眼」「横並び」型の経営でなく、「独創性」「広域協力」などを実現する経営が求められていることである。望むらくは、わが国から、日本社会だけでなく、人類全体に貢献できる新しい情報通信システム(かりにこれを「新情報システム」と呼ぼう)が生まれ、これを戦略産業として日本がそこから経済的利益を入手することである。  「新情報システム」が存在するか、存在するとしてそれは何であるか、確実なことは誰にも分からない。現段階で言えることは、「新情報システム」は、(1)現在まだ実用化されていないが、技術的な萌芽がすでに出ていること、(2)(ファクシミリのように)日本社会の特性に合致し、まず日本人に受け入れられやすいこと、(3)世界規模での大量普及が予想できること、(4)ハードウェアの性能が決め手になること、などであろう。筆者は、上記4条件を満足する有力候補として、「高性能ビデオ電話」を考えている。読者はどのように考えられるだろうか。この点に関する筆者の詳しい見解を、拙著『情報ハイウェイ建設のエコノミクス』(1996、日本評論社)2章に述べておいたので、参照していただければ幸いである。 Notes: *1 この理由で、「インターネットは、情報通信分野で、グーテンベルグの印刷術やグラハム・ベルの電話の発明以来の最大の発明である。」と言われている。 *2 ただし日本でのインターネット使用の普及率は、人口あたりでまだ数%のオーダーである。他方、携帯電話が最近急速に普及し、人口比25%の加入率を実現した(電話の加入率は人口比50%弱)。携帯電話が、「移動しながら他人と音声で通話する」という従来の情報手段では実現できなかった新しい機能を低価格で提供できたことが、急速普及の原因である。インターネットの利用価格はまだ高く、利用方法も複雑であり、また通信経路の混雑等のためにスムーズな情報入手ができない場合もある。しかし、インターネットの急速な成長は目を見張らせるものがあり、これらの障害が取り除かれれば、日常生活・ビジネスの必需品として、インターネットが大多数の人によって使われるようになると考えられる。 *3 インターネット接続回線は電話事業者が提供する専用回線で、国際電話回線と同じく、太平洋海底の光ファイバー・ケーブルを使う。 *4 これに加え、料金が安いことから、接続回線は大部分米国の電話事業者によって提供されている。 *5 米国は、インターネット以外の手段で他国に提供される知的財産について、年来その「使用料」の支払を求めている(典型的には、GATTウルグアイ・ラウンドのTRIP協議)。インターネット形式の知的財産に関する米国の政策は、他形式の知的財産にくらべて例外的に「寛容」である。 *6 IBMは、1980年代初頭から、"Bitnet"と呼ばれる広域ネットワークを提唱し、大学・研究機関への普及を試みていた。また日本でも、国立大学間で"N1ネットワーク"が使われていた。しかしながら、これらのネットワークは、結局「インターネット」との競争にやぶれ、消滅の途をたどった。その経過や、「インターネット」が競争に勝ち残った理由は、興味ある研究課題である。 *7 国内のすべての地域の住民が、特定のサービスの供給を、供給コストの高低にかかわらず同一価格で受けることができること。たとえば、電話料金、郵便料金。 *8 情報通信分野での米国の「ハブ化」はインターネットに限らない。たとえば、国際電話料金について、日米間の通話料単価は、今や日本と他のどの外国(韓国を含む)との間の単価よりも低い。その結果、たとえば日本・台湾間の通話料は、KDDを使う直接通話よりも、米国コールバック業者による日米台の「迂回ルート」の方が低くなる形勢にある。つまり、国際通話についても米国が「ハブ」になりつつある。 *9 NIIは国家情報基盤、GIIは地球情報基盤のこと。国家・地球規模の情報ハイウェイを指す。 *10 ただし、ニューヨーク市のようなローカルな地域内の日常生活では、New York Timesのことを、単に(The) Timesと呼ぶことが多い。ニューヨーク地下鉄入口の新聞売り場で"Times, please."と頼めば、New York Timesをよこす。また雑誌タイムを買うときに、"Time, please."と言うと、問い返されることが多い。混同を避けるためには"Time Magazine, please."と言うのがよい。これもおそらく、新聞のTimesの名称が、雑誌Timeの創刊よりも古い歴史を持っているからであろう。 *11 ただしわが国の商標法は、「ありふれた名称(つまり普通名詞)」の商標登録を認めていない(同法3条1項)。 *12 力の「善用」とバランスを重んじ、「柔よく剛を制す」という柔道の精神が、技能を重んじるスポーツの本質と一致して、世界のスポーツ愛好家に訴えたのだろう。また、ゲームとしてのスポーツは、「試合ルール」という情報集合によって定義されるから、「柔道の試合ルール」が国際的に受け入れられるための合理性を備えていたのであろう。柔道は、わが国戦国時代から幕末にかけて作られた格闘術・武術にはじまり、明治以降成長・定着した。しかし、柔道はその成立経過から、国際的には通用しない「日本古来の要素」を多数保有していた。とりわけ第二次大戦時には、軍国主義との結び付きというイメージを生じ、そのため柔道は、戦後しばらく占領軍によって学校の体育課目として教えることを禁止されていた。戦後の柔道は、これらの「欠点」の払拭に成功して、まず国外に愛好者を作り出し、次いで国際スポーツ界の支持を受け、オリンピック種目にまで採り入れられてすでに久しいのである。今日の柔道は、世界の格闘技スポーツの代表的存在になっており、前回のオリンピック試合の観戦でこのことを誇りに思った読者も多いことと思う。 *13 今日陶磁器のことを"china"と呼ぶが、この名称から、われわれは現在のすぐれたヨーロッパ製陶磁器が世界のどの国に由来したかを直ちに知ることができる。 *13 ハードウエア(通信端末など)の輸出は進んでいるが、ソフトウエアやシステムの輸出は皆無に近い。 「インターネットと『創始者特権』の政治経済学」、『大阪学院大学通信』、第28巻第9号、1997年12月号、pp.31-41。