米国における周波数資源の管理体制の変遷――政府の直接管理から「実質上の私的所有権」の成立へ:1910-19931 まえがき  「電波」は土地と同じように、「スペース資源」と呼ばれる経済資産である2。最近の携帯電話の普及から、電波が近い将来の情報通信(IT)に重要な役割を果たすことが予想されている。土地と同じように電波も、その効率的な利用のためには、所有(保有)形体・利用形体が利用目的に応じて整備されていなければならない3。  日本で約100年前に電波の利用が開始されて以来、その利用・管理の主役は国家(政府)であった4。戦前・戦中は、軍事利用が圧倒的に重要であった。戦後においては民間事業主体による電波利用が拡大したが、それは政府(郵政省)が管理(監理)する電波資源の一部を、放送・通信事業者等が、使用免許、無線局免許を受けることにより実質上無料で使用する形をとっていた5。電波の使用権(使用資格)の賦与は、電波を使用する経済活動(放送、携帯電話など)の許可と一体化されて事業免許となっていた。そして事業免許を他者に有償で譲渡する途は塞がれていた6。一言で述べれば、電波というスペース資源には、「政府を管理者とする社会主義体制・中央集権型計画体制」が成立していたのである。また政府と事業者が「緊密な協力」のもとに、新規参入をほとんど認めない「閉じた産業」を形成していたという意味で、これを「護送船団方式」と特色づけることもできる。  ところが2000年6月に「電波法」が改正され、電波管理のシステムに初めて市場メカニズム要素が入ることになった。それは、「事業(企業)譲渡時の無線局免許承継」の容認である7。このことによって、従来市場取引の場に上がることがなかった電波(周波数)資源が、間接的ながら譲渡企業の「資産」として評価され、承継(有償譲渡・売買)される可能性が生まれた。この意味で今回の電波法改正は、「中央集権型計画体制への市場メカニズム要素の導入あるいは浸透」という性質を持っている。  もとより規制を緩和して事業譲渡にともなう免許承継を可能にすることは、企業形体に関する事業者の選択の自由を増大させ、一般的には産業・経済の効率を高め、成長に貢献する。しかし、計画経済体制から市場メカニズムへの移行時には、さまざまの歪みが生じがちであり、またそこで生ずる市場メカニズム自体には(多数の長所とともに)欠点も存在する。日本の電波資源を国民全体のために効率的に利用するためには、どのような歪みや欠点が生じ得るかを予測し、あらかじめこれに対処する手段を講じておくことが望ましい。  この点で参考になるのは、米国における電波(周波数)管理の歴史である。米国では早くから企業形体の変更(たとえば合併・分割)等から生ずる事業譲渡が日常化しており、また電波を使用する事業主体も、当初から(日本を含めた米国以外の諸国のように政府ではなく)民間企業であった。電波管理の制度面だけに限れば、現在の日本の状態は、米国の1920年代の状態に対応している。そして一言で述べれば、米国では、1920年代以降、第二次大戦を挟んで「(民間企業が営利目的に使用する)周波数資源の私有財産化」がなし崩しに少しづつ進行した。そして1990年代に到り、連邦政府(議会)は、「オークションによる政府所有の周波数資源の売却(形式上はオークションによる周波数使用初期免許の発行)」に踏み切った。これは、いわば周波数資源の私有財産化の追認である。今後においても米国では、周波数資源の私有財産化が進行しつづけるものと予測される8。また米国以外の先進国の過半(英国、ドイツ、イタリア、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)と中進国の一部で、周波数資源のオークションによる割当が進行中である。  電波資源について米国等で生じた結果の評価について、日本の世論の大勢はまだ決まっていない。というより、日本では専門家を除いて、電波資源に関する問題がまだ一般に知られていない。筆者は、周波数資源配分へのオークションの導入、つまり市場メカニズムの採用がもたらす多数のメリットに同意するが、同時にその私有財産化にともなうデメリットの防止も必要と考えている9。本稿においては、「日本における電波周波数資源の利用体制」に関する議論に資するため、米国での経過の概略を解説したい10。 I. 米国における周波数免許制度の成立  米国連邦政府による周波数資源管理は、1910年の「船舶無線法」と1912年「無線法」に始まる。それは無線通信の混線防止と船舶航行の安全確保を主な目的としていた11。1920年代に到り、ラジオ放送(米国の場合すべて民営)が急速に成長し、放送局の開設が有利なビジネスとなって放送局数が増加した。しかしながら、1910年・12年の無線法はラジオ放送を想定していなかったので規定に不備があり、またこれに対応するべき議会による新法制定が遅れたため、放送局の開設が実質上野放しとなるBroadcast Chaosと呼ばれる事態が発生し、多数の混信・混乱と(船舶航行上の)危険を生じた。放送事業者の一部は、(米国の開拓時代に土地資源が先着順に分割・所有されたのと同様に)周波数資源についても先着使用者の所有権を認めるべきことを主張した。  米国議会・行政府はこの事態を憂慮し、議会は新法制定に先立つ1926年12月に、「電波周波数資源については先着使用者による既得権・優先権を認めないこと、すなわち周波数使用免許の新規発行・更新にあたっては、免許取得者が、その免許期間の終了時に当該周波数にかかる一切の権利を放棄することを、あらかじめ免許取得前に明文をもって約束しなければならない。」旨の緊急措置(両院合同決議)を決定した。  1927年2月に到って米議会はようやく「1927年無線法」を成立させ、また同時に連邦無線委員会(FRC、のちのFCC)を発足させた。同法は現在に至るまで、(初期免許の発行方式を除いて)米国の電波周波数管理方式の骨格を与えている。とりわけ、周波数使用から生ずる既得権・優先権を排除するため、同法は冒頭に明文をもって、(1)周波数免許はその使用に対して与えられるものであり、その所有を認めるものではないこと、(2)免許は限定された期間について与えられるものであること(無期限の免許を排除すること)等を定めた。その内容は、現在の「1934年通信法第V編(無線に関する規定)冒頭の301条に、おおむね1927年法当初の文言どおりに受け継がれている12。 このように米国の電波管理においては、その基本法である通信法が、1927年以来明文をもって電波周波数資源に関する私的所有権の成立を阻止し、また周波数使用から生ずる既得権・優先権を排除していたこと、つまり「周波数資源は連邦政府が公共の利益のために所有し、これを使用者に分配・割り当てるものであり、もし必要が生ずれば再分配・再割当を行うことも当然あり得る。」と考えていたことに留意されたい。このように厳格な規定が置かれていたにもかかわらず、同原則が少しずつ崩れて周波数に私有財産要素が浸透し、結局1990年代のオークション導入、つまり実質上の私的所有権(永久使用権)の成立に到るのである。周知のように、市場メカニズムは個別主体の利潤追求動機に基づいているため、その「浸透力」がきわめて強い。米国での周波数の場合には、市場メカニズムが、いわば「制度の裏口」から浸透したと言うことができる。免許の「譲渡」と「更新」が媒介となった。  まず「1934年通信法(1927年無線法)」は、周波数使用免許の第三者への(有償)譲渡、すなわち実質上の免許の売買を認める規定を含んでいた(現在の通信法310条(d)項)。譲渡にはFCC(FRC)の許可を条件として課し、譲渡を受ける者(免許の買手)が、免許の初期申請時に要求される資格要件と同一の要件を満たすことを求めている。しかしながら他方でFCCは、免許を譲渡される者が資格要件を満たすかぎり、他の有資格者と競争させることなく譲渡を容認するべきものとされた。この規定は、当時の一般の商慣習をそのまま反映したものであったが、厳密に言えば、そして規定が実際に適用される際の事情から考えれば、同301条の「周波数の私的所有権の排除規定」と矛盾する規定であり、周波数資源へ市場メカニズムを導入する法規定上の誘因となった。  さらにこれに加え、「1934年通信法」は、周波数使用免許の期限到来時の更新(renewal)を認めていた(現在の通信法307条(c) (d)項)。同規定自体は、免許更新を許可するか否かは委員会の判断に依るとしており、その判断条件について初期申請と更新申請との間に格差を設けていない。しかしながら、実際には、期限の到来した免許保有者の更新申請と、それと同程度の資格要件を満たす事業者が同免許に競争的に申請を提出した場合には、結局のところ前者の更新を認め、後者の申請を斥けることが多かった。とりわけ技術進歩にともなって放送など周波数を利用する事業への設備投資が増大すると、既投資分が無駄になることを避けるという経済合理性の点からもこの傾向が強くなった。また、免許期限到来前の、免許を含む事業全体の有償譲渡が上記のように認められていたことは、この傾向を一層助長した。免許資格の保有が事業継続の絶対条件であるため、「善意の」第三者が免許を含む事業全体(設備、人員、組織など)を有償で譲り受けた場合、その後の免許更新を斥けて同事業者に巨額の損失を与えることが、社会通念上容認され難いからである13。  このようにして、大多数の場合、すなわち特段の欠格理由が生じないかぎり、免許更新についてはこれをおおむね「自動的に」認めることが当然と考えられるようになった。すなわち、免許資格の範囲内で、かつ外的条件に変化が生じないかぎり、一旦許可された免許は「半永久的に」保有できるという期待を広く生じさせることになった。  しかしながら、第二次大戦前には、301条と310条(d)項間の矛盾は一般には理解されなかった。無線局・放送局の所有権や経営権が譲渡される際には、周波数免許は譲渡対象に付随する「権利・資格」であると考えられるにとどまった。また、当時における経済発展と周波数利用技術の発展に対応して、周波数資源の需要がその供給を大きく上回ることは生じなかった。経済理論の用語で言えば、周波数の需給が価格ゼロの近くの点で均衡していたため、電波の公的管理と有償譲渡の容認が包含する矛盾が表面化しなかったのである。  ところが、第二次大戦後に到り、FM放送、テレビ放送に加え、移動通信が普及した結果、周波数の商業目的の使用が増大し、実際の経済活動を通じて周波数の使用権の経済価値が増大した。そのため、周波数の使用権、すなわち免許に対する超過需要が生じ、周波数の経済価値を反映する市場メカニズムの必要が増大して政府による公的管理原則の矛盾が増大していった。しかしながら、ひとたび成立した「電波は私有財産ではない」とする考え方が「常識」として強く残ったため、議会が「周波数オークション制度」を定めるまでに長い期間を要した。  電波の政府管理という「常識」が、電波の商業目的利用の増大という情勢と、電波使用権の半永久的保有・有償譲渡の容認という既成事実に適合しなくなったことを主張し、一方で放送番組の中立性等のための規制を容認しながら、他方で周波数資源へ市場メカニズムを導入することが可能であるとする論議を起こしたのは、シカゴ大学のR. Coase教授であった14。 II. 比較聴聞方式、無差別選択方式による周波数割当  FCCによる周波数割当は、1981年の通信法改正に到るまで、「比較聴聞(comparative hearings)」方式でおこなわれていた。FCCは、自己の管轄する周波数を用途別・地域別等に区分し、それぞれの区分について民間から免許申請を受け付ける。申請は、目的用途・資格等の条件を満たすかぎり許可される。単一の申請しか出されなければ問題はない。問題は、同一区分の周波数に対して2件以上の申請が出願された競合申請(超過需要)の場合である。FCC(FRC)発足当初においては、申請数が少なく、またその後においても技術進歩によって次々に新しい周波数資源が開発されたので、競合申請は少数に留まっていた。しかしながら、AMラジオ、白黒・カラーテレビへの周波数割当が終り、FMラジオ放送やUHFテレビ放送の時代に入ると、申請免許数が急速に増大し、FCCは多数の競合申請の解決という重荷を負うことになる。  競合申請に対して、当初FCCがとった方式が「比較聴聞(comparative hearings)」である。免許申請者が、事業目的・計画に加え、自己の事業環境・条件等を詳細に記した申請書をFCCに提出し、FCCはその内容を検討して「最も公共の利益に適うと考えられる申請者を選び出し、免許を与える」方式である。申請書という事業活動の「外見」によって複数申請者から選び出すので、この方式は「美人投票(beauty contest)」とも呼ばれた。  比較聴聞方式は、「周波数は米国民の共通資産である。」「周波数は、米国民の利益の増大のために使用されなければならない。」とする通信法301条の基本方針を直接的に実現する方式である。しかしながら、実際上それは重大な欠点を持っていた。  比較聴聞方式の欠点は、複数免許申請者間の競合から生ずる。名目的な手数料のみを支払うことによって免許が与えられるので、免許を入手できるか否かによって経済的利益に大きな差が出る。それぞれの申請者は、免許を入手するため、あらゆる手段を尽くして競い合うことになる。この結果、当初の免許獲得競争に敗れた事業者は、FCCへの説明・不服申立に始まり、連邦最高裁判所への上訴に到るまで多くの法的手続きを使って免許を獲得することを試み、FCCおよび裁判所の業務量が急速に増大することになった。小規模FMラジオ局免許や初期のセルラー免許の場合、免許申請から許可までの期間が4年以上にわたるケースが多かったと言われている。  1970年代末に到って移動電話技術が発展し、多数のセルラー免許の発出が計画された際に、これらの経験から、従来のような比較聴聞方式は費用・手間・時間が大きく、極端な非効率を生むと予測され、免許申請審理のための改善策が検討された。その結果、1981年に、議会は通信法309条を改正し、同条に第(i)項を追加して、周波数使用免許の競合申請に対し、「無差別選択方式(くじ引き方式、lotteries)」を採用する道を開いた。  1980年代中葉に、無差別選択方式にしたがって多数のセルラー免許が発行された。旧来の比較聴聞方式では、当初の免許申請から免許の決定・許可を経て実際の事業開始に到るまで、平均5〜6年程度かかっていた。これに対し、無差別選択方式ではこれが2年程度にまで短縮された。  しかしながら、無差別選択方式では、免許申請資格が緩やかであったため、数万〜数十万件の応募者が押し寄せる事態になった。そして、くじ引きの結果、実際の事業能力・意欲とは無関係の申請者が免許を入手し、これがセルラー事業を実行する事業者の手にわたるまで、依然として2年程度の期間を必要とすることになった。また多数の事業申請を代行する専門業者(application mills)の参入を招来し、上記欠点はさらに拡大された。また当然のことながら、無差別選択の結果、くじ引きに当たった申請者が多額の "windfall profits" を入手することになって極端に不公平な富の分配をもたらし、社会正義に反するとする批判も生じた。  これらの経過から、周波数免許発行方式の改良努力が続けられ、1993年に到って市場メカニズムの導入、オークション方式の採用が実現したのである。しかし米国では、前述のように、「電波の公共性を尊重」する考えが強く、「電波を私有財産として保有することを明文をもって否定」していた。そのため、政府による電波の売却を意味するオークション方式の導入には抵抗が多く、同方式が議会によって認められるまでに、1981年のくじ引き方式採用後、10年余の期間が必要であった。  以上を要するに米国では、前述のように「免許更新」が無線法制定当初から当然視され、また比較聴聞の時代以前から「免許譲渡」すなわち「周波数使用権の再販売」が適法行為として認められていた。FCCの立場からすれば、当初定めた目的に沿って周波数が使用され、また使用主体が必要な資格要件を満たしているかぎり、免許の更新はもとより、その譲渡・再販売を禁止できない。周波数使用権の「購入」を希望する事業者は、一方でFCCに対して周波数の「使用資格免許」を申請し、これが認められた後に、代価を支払って周波数使用権を購入し、事業を開始することになる。この場合でも、名目上は周波数の使用権は免許条件の制約下にあり、使用権が譲渡されても、それが「電波の所有権」を直接に認めたことにはならないとされていた。  そしてこれらの結果、周波数使用権が市場で「流通」し、周波数帯に「価格」がつけられることになった。実質的には、周波数資源の再販売のための「市場メカニズム」が成立していたのである。前記のように、周波数資源に関する「私的所有権」の成立は1925年の議会決議によって否定されており、1934年通信法301条において、その所有権(property rights)を認めない旨の明示的規定がある。しかしながら、周波数免許がほぼ自動的に更新され、かつ同使用権の再販売が認められてきた結果、実質上の「所有権・永久使用権」が、「FCCの定めた使用目的内で、また外国人・外国籍企業による使用を排除するという条件の下で」はあるが、すでに確立されていたと考えなければならない。 通信法309条(i) (1)項および(j) (1)項において、無差別選択あるいは競争入札の利用を初期免許の発行時に限る(免許更新時には適用しない)ことを定めているが、この規定は、間接的ではあるが、周波数の「(使用資格・目的に関する制限付の)所有権・永久使用権」の存在を認めていることを意味する。ひとたびくじ引き・オークションによって入手した権利は、これを他に譲渡したり、あるいは免許が欠格にならないかぎり、免許更新時においても継続するものと予想されるからである。また一旦オークションによって「販売」された周波数を後になってFCCが(何らかの正当化できる理由から)取り戻すことを望んだ場合でも、(戦争等の非常時を除き)FCCは使用者の言い値によって買い戻すほかはない。(オークションによって発行した免許の更新を拒否することは、理論上は可能でも、実際には不可能に近いとのことである。)  以上をまとめると、FCCによる周波数使用権の「当初割当」は比較聴聞あるいは無差別選択という(非市場)メカニズムに拠っていたが、それ以後の再使用については、市場メカニズムのルールにしたがって資源配分がおこなわれていたと言うことができる。したがって、1993年の通信法改正による周波数オークション制度の導入は、いわば当該周波数資源にかかる私有財産制度の追認である。またそれは、周波数資源配分の「初期市場」だけに関する変更であり、周波数使用にかかる長期的な経済効率よりも、周波数の当初配分における「公平・公正」にかかる制度変革であったと考えることができる15。 III. 米議会等における周波数オークションの検討経過  「オークションによる周波数割当」制度が実現したのは、クリントン政権に入った1993年夏であるが、議会の審議はその7年前の1986年、すなわちレーガン政権の終期から開始され、議論の大部分は1989年以降、ブッシュ政権の期間を通して続けられた。その間上下両院では、周波数の取り扱いをめぐって多数の法案が提出され、「オークション導入」だけでなく、新技術の開発促進、PCSの実現、周波数の共用など関連案件が検討された。上下両院の委員会・小委員会では、延べ百人を超える官民の専門家を招致して繰り返し公聴会を開き、意見の陳述を受けた。また、FCC、NTIAに加え、PCS事業者協会(PCS導入に賛成の立場)、セルラー電話事業者協会(同反対の立場)は、周波数問題に関するコンファレンスを開いてそれぞれの立場から意見を表明し、また当然のことながら、オークション導入の利害関係者は活発なロビー活動を展開した。  7年にわたる検討期間の当初は、両院委員長、小委員長をはじめ、大部分の議員がオークション導入に反対の、あるいは懐疑的な立場をとっていた。しかしながら論議が進むとともに、オークション提案は議会内外で少しずつ支持を拡げ、1992年夏までに、オークション導入に向けての大勢が決まった。  上記検討期間は、大別して、前半(1986−90年:第100議会第2期、101議会、102議会)と、後半(1991−93年:第103議会と104議会第1期)に分かれる。前半は、オークション制度の「説明・理解」と、「周波数共用」「創始者優遇制度」などの関連案件の策定・提案の期間であった。後半においては、オークション導入に伴う問題点、とりわけ、オークション制度を「試行」的に採用することの是非、小規模事業者等に対する参入機会の確保、既存マイクロウェーブ使用者との調整、オークション収入を最大化するように制度を作るべきか否か、同収入の取り扱い方等の問題が検討され、各分野の利害を代表する委員・議員によって法案に多くの修正が加えられた。最終的には1993年夏に、上下両院協議会での妥協結果が、僅差で両院を通過した。  また「周波数オークション」は、連邦政府予算審議の一環として検討された。オークション制度は、従来(手数料・名目的使用料等を除き)無料で提供されていた周波数を競争入札にするのであるから、当然に政府収入の増大をもたらす。そのため、「オークション法案」は、(他の多数の法案と同じく)予算と一体化して審議される「予算関連法案(omnibus budget act)」に含めて取り扱われた。  当初、FCCによる周波数オークションの提案においては、政府収入の増大はいわば副産物であり、直接の目的は周波数資源の効率的配分、とりわけ配分時間の短縮と手間の節約にあった。しかしながら、1980年代初頭のレーガン政権発足当初から、1990年代中葉のクリントン政権(第1期)に到るまで、米国政府の重要課題の一つは連邦予算赤字の削減であった。周波数オークションは、連邦政府収入の増大をもたらすという理由で、大統領府予算局、財務省、議会の予算委員会等から歓迎されたのである。場合によっては、周波数オークションの第一目的が連邦政府収入の増大にあると考えられたこともあり、この要因はオークション制度の実現を推進する方向に作用した。 IV. 米国周波数資源管理制度の略年表(1910-1993)16 1910年 6月24日:米議会が「船舶無線法(Wireless Ship Act)」を制定した(Public Law 262, 61st Congress, June 24, 1910)。これは連邦政府による最初の無線通信の規制法である。 1912年 8月13日:米議会が「無線法(Radio Act)」を制定し、無線通信(電報)の混信防止、船舶航行の安全確保を主内容とする規制を実施した(Public Law 264, 62nd Congress, August 13, 1912)。なお、周波数使用免許の発行などの規制業務は、商務労働省(当時)が担当した。 1920年代前半       :ラジオ放送(すべて民営)が急速に普及し、放送局数が急増した。1912年法ではラジオ放送用電波の規制権限の所在が不明確であり、議会による新法制定が遅延したため、放送局の開局が実質上野放し状態となり(Broadcast chaos)、多数の混信・混乱を生じた。 1926年 12月 7日:クーリッジ大統領(当時)が議会による周波数規制のための新法制定の促進を要請した。しかし独立規制委員会の設立には消極的であった(H.R.Doc.483, 69th Congress, 2d Session, December 7, 1926)。 12月 8日:米議会が、Broadcast chaosに乗ずる周波数使用の既得権の成立を防止するため、「周波数使用免許の新規発行・更新にあたって、免許取得者が、当該周波数にかかる免許期間終了後の使用権・所有権を含むすべての権利を放棄することを免許発行・更新の条件とする。」旨の緊急措置を決定した(Public Resolution 47, 69th Congress, 2d Session, December 8, 1926)。 1927年 2月23日:米議会が「1927年無線法(Radio Act of 1927)」を成立させ、連邦無線委員会(FRC: Federal Radio Commission)を発足させた(Public Law 632, 69th Congress, February 23, 1927)。同法は、周波数の(私的)所有権(property right)でなく、その使用権のみを一定期間(当初は5年、ただし放送用は3年)免許方式で認めることを明示した。さらに免許の発行・更新・譲渡のための手続方式を定め、現在まで続く周波数規制の骨格となった(ただし、初期免許発行方式は後に大きく変更される)。またFRCは、現在のFCCの原型となった。 1934年 6月19日:米議会が1927年無線法を改組・拡充し、電話事業の規制等を含めた「1934通信法(Communications Act of 1934)」を制定し、FRCを「連邦通信委員会(FCC: Federal Communications Commission)」に改組した(Public Law 416, 73d Congress, June 19, 1934)。無線関係の規定は、実質上1927年法の規定をおおむねそのまま取り入れ、同法の「第V編無線関係の規定(TitleV Provisions Relating to Radio)」とした。 1950年代 :FCCが比較聴聞方式(comparating hearings)により、テレビ放送用周波数 使用免許を発行。 1959年 10月  :R. H. Coase教授が論文 "The Federal Communications Commission" をJournal of Law & Economics 誌に発表し、(1)一般に、市場メカニズムに基づく周波数の配分は経済効率上望ましいこと、(2)放送番組に関する規制は、これと別個に考えられるべきこと、(3)しかしこれらの考え方は、残念ながら多数派による誤解のために受け入れられない現状であることを述べた。本論文は、1980年代のFCCスタッフメンバーによる周波数オークション制度の推進方向に影響を与えた。ただし、周波数の経済的性質やオークションの可能性については、本論文の前後にも相当数の論文が発表されている。 1981年 8月13日:米議会が1981年包括財政調整法を成立させた。その結果、通信法309条に(i)項が加えられ、周波数割当のために「無差別抽選(random selection, lottery)」方式が導入されることになった(Public Law 97-35, Title XII, §1242(a), 95 Stat.736, Aug. 13, 1981)。同年以降、セルラー方式移動電話のための周波数使用免許が抽選によって多数発行された。抽選応募者はしばしば数十万のオーダーまでに上った。 1985年  5月  :FCC政策局所属のEvan Kwerel、Alex Felker博士が論文 "Using Auctions to Select FCC Licenses" を同局から発表し、周波数オークションについて制度的・経済的観点からの概観を与えた。本論文は、10年後のFCCによる周波数オークション制度のデザインのための出発点となった。 11月21日:FCCのMark S. Fowler議長が下院エネルギー・商務委員会(Committee on Energy and Commerce)通信小委員会(Subcommittee and Finance)のT. E. Wirth委員長宛に書簡を送り、周波数オークション導入の必要を訴えた。 1986年 10月 1日:下院エネルギー・商務委員会通信小委員会で、周波数オークション導入に関する最初の公聴会が開かれた(Spectrum Auctions: FCC Proposals for the Airwaves, Hearing before the Subcommittee on Telecommuinications, Consumer Protection, and Finance of the Committee on Energy and Commerce, House of Representatives, 99th Congress, 2nd Session, October 1, 1986, U.S. Government Printing Office, Washington: 1987)。委員の大多数、ほとんどすべてのパネルはオークション導入に反対意見であった。 1993年 8月 5日:「周波数の共用」と「周波数オークションの採用」に関する1934年通信法改正を含む「包括財政調整法(H.R.2264)」が両院協議会で合意された。下院は、協議会案に対し、賛成218対反対216の僅差でこれを成立させた。 8月 6日:上院は、両院協議会が報告した「1993年包括財政調整法(H.R.2264)」を、51対50の僅差で成立させた。クリントン大統領がこの法案に署名した(PL103-66, 107 Stat, 312, Omnibans Budget Reconciliation Act of 1993 (Aug. 10, 1993), TitleY)。 1 詳細については、鬼木甫「米国の周波数オークション(1993年の「通信法」改正)」、『米国通信法研究会報告書』、通信機械工業会:米国通信法研究会、1999年2月、pp.127-272(http://www.osaka-gu.ac.jp/php/oniki/jpn/publication/199902a.html),および「米国の周波数オークションと日本の電波資源」(発表資料)、日本経済学会特別報告(横浜市立大)、2000年5月13日(http://www.osaka-gu.ac.jp/php/oniki/jpn/publication/200005a.html)を参照されたい。 2 土地(地上スペース)、河海、湖沼、大気圏空間、地下(空間)、静止衛星軌道などを「スペース資源(空間資源)」と呼ぶ。それは、自然界から与えられた「スペース」を人間が活用する場合、その経済機能・経済価値の側面を強調して捉える概念である。一般にスペース資源は、「その使用から経済サービス(用役)を生ずる。」「スペース資源は使用しても減少しないが、一定容量の限界がある。」「その使用のために、何らかの技術・資本が有用・必要である。技術進歩・資本高度化によって、一定容量のスペース資源からより多くのサービスを得ることができる(例:高層建築)。」「近接した使用にプラス・マイナスの外部性が伴うことが多い(例:騒音公害、排気ガス公害)。」「複数の経済主体によるスペース資源の利用には、利害調整のため何らかの法的規制が必要となる(例:土地所有権制度)。」「スペース資源には、『ストック価格(例:土地代金)』と『サービス価格あるいはフロー価格(例:土地賃貸料・リース料)』の2種類の価格が存在する。」などの共通性質を持っている。電波は目に見えないので分かりにくいが、上記要件をすべて満たしており、スペース資源の一種である。 3 ただし技術進歩の速度の差から、電波は土地の10〜20倍のスピードで利用方式が変化している。日本の土地制度の歴史は少なくとも大化改新・奈良時代までさかのぼることができるが、電波利用が始まったのはたかだか100年前のことである。 4 現時点で電波は、「電波法」に基づき郵政省によって管理されている。 5 名目的な手数料・使用料は課せられている。 6 免許の承継が認められていたのは、相続、(法人)合併時のみであった。 7 新電波法第20条3項、同第27条の16(平成12年6月改正)。 8 ただし米国でも、電波資源全体を見ると、依然としてその大部分(非営利・安全目的、軍事用など)は連邦政府管理下にあって、オークションではなく「政府による直接割当」の形をとっている。したがって電波資源管理に関する日米間の相違は、民間企業が営利目的で使用する部分についてのみ存在する。なお、「日本の国土」と「日本の電波」を対比してみると、まず山林・道路などを含めた日本の国土面積の過半は公有になっており、私有地は生活・経済に関わる都会・農村地域(平野部分とその周辺)に集中している。このような日本の国土の公有・私有地への区分は、現在の米国の電波資源の公有・私有部分への区分と(たまたまではあるが)類似している。これに対して現在の日本の電波資源は、かりに日本の国土がすべて政府所有下にあり、個人・企業は土地を(先着順に実質無料で)政府から借用している(したがって、「代価を払って土地を借りる」ことを希望しても、借りることができない場合がある)とした状態にたとえることができる。 9 具体的には、鬼木甫、「『電波法の一部改正に伴う電波法施行規則、無線局免許手続規則及び無線従事者規則の各一部改正案』『電波法の一部改正にともなう関係省令の改正等』についての意見表明―― とくに『事業譲渡にともなう無線局免許承継・認定計画承継が周波数資源に実質的な私的所有権を成立させることを防止する必要』について」、郵政省(パブリックコメント募集)への意見表明、2000年8月(http://www.osaka-gu.ac.jp/php/oniki/jpn/publication/200008b.html)を参照。 10 本稿末尾に、主要事項の年表を付しておいた。 11豪華客船タイタニック号が北大西洋上で遭難したのは1912年のことであり、そこで多数の死者を出した一因は、不充分な無線通信から生じた救助の遅延によると伝えられている。 12 1934年通信法第V編「無線に関する規定」冒頭の文言は下記のとおりである。"Title III -Provisions Relating to Radio, Part I-General Provisions. Sec.301 [47 U.S.C. 301]: License for Radio Communication or Transmission of Energy. It is the purpose of this Act, among other things, to maintain the control of the United States over all the channels of radio transmission; and to provide for the use of such channels, but not the ownership thereof, by persons for limited periods of time, under licenses granted by Federal authority, and no such license shall be construed to create any right , beyond the terms, conditions, and periods of the license."(イタリクス体は筆者が賦与。)なお上記文言が示すように、本条は1927年法冒頭の条文でもあった。 13 ただし本件については過去において多数の争訟が生じており、更新が認められなかった場合も多い。(詳しくは鬼木『前掲書』(1999)、U節註10を参照。)なお1996年の通信法改正によって、放送目的の周波数使用については、競争的な新規参入を排除する規定が設けられた(通信法309条(k)(4)項)。また同時に、デジタル放送適格者を現行アナログ放送事業者に限り、かつデジタル放送用周波数の無料交付を(将来におけるアナログ放送用周波数の返還を条件にしてはいるが)定めた(同336条)。これらは競争促進を看板に掲げた1996年の改正中の例外事項であり、放送事業者の強力なロビーイングが功を奏したものと推測される。 14 Coase, R. H. [1959], "The Federal Communications Commissions," The Journal of Law and Economics, vol. II, 10, 1959. 15 「米国ではオークションによって周波数資源を実質上私有財産化したのか。」という問に対する答は専門家の間でもまちまちである。FCC職員や政府関係者は、当然のことながら「オークションにかけたのは免許であって、財産権ではない。」としてオークション条項が通信法301条に違反しているとする見解を強く否定する。しかし研究者の一部には、上記見解を肯定する意見がある。しかし他方、「FCCがオークションにかけた周波数資源を将来無償で返納させる(免許更新を認めない)」ことについては、「それは極めて困難である。」という答が、政府職員であるか否かを問わず−例外なしに返ってくる。(上記「私有財産化」への賛否が分かれるのは、日本で、「日本は戦力を持っているのか。」との問に対し、「憲法9条が禁止しているので戦力は持っていない(持てるはずがない)。」とする答と、「自衛隊が武装している以上ある程度の戦力を持っている。」とする答に分かれていることと似ている。) 16 米国周波数管理制度、とりわけ周波数オークションの導入・実施に関する詳しい年表(1910年―1998年3月)については、下記を参照。鬼木甫「米国の周波数オークション(1993年の「通信法」改正)」、『米国通信法研究会報告書』、通信機械工業会:米国通信法研究会、1999年2月、pp.127-272、「年表」、http://www.osaka-gu.ac.jp/php/oniki/jpn/publication/199902a.html。 Hajime Oniki 10/12/00 - 1 - oniki@alum.mit.edu www.osaka-gu.ac.jp/php/oniki/ D:\AaE0-Adm\AA-Web\oniki\download1\200009a.doc