TRIZ/USIT 解説・紹介

連載: 技術革新のための創造的問題解決技法!! TRIZ

第3回 TRIZの成立と普及 (2)
米国と欧州での展開

中川 徹 (大阪学院大学)
InterLab (オプトロニクス社), 2006 年 3月号 (No. 89), pp. 44-47

許可を得て掲載。無断転載禁止。  [掲載:2006. 3. 6]

English translation of this page is not ready yet. Press the button for going back to the English top page.

編集ノート (中川徹、2006年 3月 3日)

本件は、産学官連携支援マガジン『InterLab』誌に掲載開始した長期連載の第3回です。同誌のご好意によりここに掲載しています。連載の親ページ

同誌で発行された形のものは PDFファイルにしています。ここをクリック下さい (PDF 338KB)

また、ここにHTML形式のページを作り、いろいろなところへのリンクを張りましたので、ご活用下さい。

なお、このページはTRIZについて初心者の方のための、TRIZ紹介のページとしても位置づけております。TRIZ紹介の親ページ その他の記事へも多数リンクしておりますので、ご活用下さい。

目次:

はじめに

(1) 弟子たちの欧米移住の土台 

(2) Invention Machine社によるツール化 

(3) Ideation International 社の活動 

(4) TRIZ Journalと米国のその他の状況  

(5) 「アルトシュラー協会」とTRIZCON 

(6) 欧州での普及状況とETRIA 

(7) Darrell MannとCREAX社 

(8) やさしいTRIZのための諸方法

 


 

 

技術革新のための創造的問題解決の技法!!  TRIZ

第3回 TRIZの成立と普及 (2) 米国と欧州での展開

大阪学院大学   中川 徹

InterLab誌, 2006年 3月号 (No. 89), pp. 44-47

本連載の第1回 (1月号) では、創造的な問題解決のための技法であるTRIZ (発音は英語の trees と同じ) について、質疑応答の形式でさまざまな面から紹介しました。

なお、本誌『InterLab』のご好意により、本連載の全内容を、下記のWebサイトに再掲載いたします。『TRIZホームページ』(www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/) [以後「TRIZ HP」と略称]。これは筆者が1998年11月に創設して、編集・運営している公共的なWebサイトで、TRIZに関する国内・海外の最新の情報を豊富に提供しています。Web上の再掲載は半月以上の遅れになりますが、バックナンバーとしてもご活用下さい。

前回 (第2回) には、「TRIZの成立と普及」というテーマで、まず「(1) 旧ソ連での成立と発展」について説明しました。アルトシュラー (Genrich S. Altshuller, 1926-1998) が1946年に着想し、迫害の中で1970年代初めに確立し、しっかりした体系を創り同時に多数の弟子たちを育てたこと。1985年のペレストロイカ以降、旧ソ連の崩壊とともに多数の弟子たちが欧米に移住し、TRIZの世界的な普及の土台を作ったことを説明しました。

今回は、「(2) 米国と欧州での展開」というテーマで、1990年代以降の米国・欧州でのアルトシュラーの弟子たちを中心にしたTRIZの普及・展開の状況、および、西側の研究者や企業での受容・発展の状況について説明し、世界におけるTRIZの現状を紹介しましょう。

なお、次回に「(3) 日本と韓国での受容と普及」について説明する予定です。

(1) 弟子たちの欧米移住の土台

一般的にいえば、1985年のゴルバチョフによるペレストロイカによって、冷戦の雪解けが始まり、旧ソ連から欧米への移住の可能性が開け、1991年の旧ソ連の崩壊とその後の経済危機によって、多数の人たちが頭脳流出の形で欧米に移住していった。アルトシュラーの弟子たちは、TRIZという西側に比類するものがない技術を持っており、欧米移住によって新しい天地を切り開こうとしたのは当然である。

弟子たちの移住の規模は、日本にいると想像できないほどの広がりを持ち、さまざまな人脈やビジネス的繋がりの中で展開して行ったようである。1998年夏の段階で、アルトシュラーが選定した65人の「TRIZ Mater」のうち、12人が米国、3人がイスラエル、1人が英国在住と記述されている。こういった移住の土台はさまざまな形で作られ、われわれはその断片の情報しか知らない。

その中で最も早い時期の例として、1974年にモスクワから米国に移住したLev Shulyak の役割が注目される。彼は、1954年にモスクワの大学を卒業した機械工学の技術者であり、1961年にアルトシュラーの最初の著書『発明の学び方』を読み、以後独学でTRIZを身につけ、水力発電所の建設などの仕事でTRIZを活かした発明をしている。

Shulyakは1974年に米国に移住し、ボストン郊外のWorcester で企業の技術マネジャとして働いている。1984年からTRIZを技術者と子供たちに教え始めた (Technical Innovation Center社)。アルトシュラーの著書を英訳し("And Suddenly the Inventor Appeared" (1993), "40 Principles: TRIZ Keys to Technical Innovation" (1998), "The Innovation Algorithm: TRIZ, Systematic Innovation and Technical Creativity" (1999))、それらが初期のTRIZの普及に大きく役立った [和訳あり]

Lev Shulyak の最も大きな貢献は、後に述べるように、西側世界でのTRIZの受け皿として「Altshuller Institute for TRIZ Studies (アルトシュラー協会)」を創設し (1998年)、国際会議「TRIZ Conference (TRIZCON)」の第1回を開催した (1999年) ことである。ただ、残念なことに、1999年12月に自ら操縦する小型飛行機の事故で急逝した。

アルトシュラーのTRIZの著書で最初に英訳されたのは、1984年である。"Creativity as an Exact Science: The Theory of the Solution of Inventive Principles", G. S. Altshuller著 (原書 1979年)、Anthony Williams 訳、Gordon and Breach Science Publishers 刊、"Studies in Cybernetics. Vol. 5" (1984)。この英訳書は「難解」「訳が悪い」といった評判があり、必ずしもTRIZのスムーズな普及に役立ったといえない面もあるが、それでも後述のLarry BallのようにこれをベースとしてTRIZを学んだという人たちがいる。

(2) Invention Machine 社によるツール化

最も積極的な動きをしたのが、ベラルーシのミンスクを拠点としていた Valeri Tsourikovのグループである。1985年に「Invention Machine ("発明機械")」と呼ぶプロジェクトを開始した。人工知能技術 (自然言語処理、特に意味解析) とソフトウェア技術をもっていたので、TRIZの知識ベースや方法をパソコンに載せることを計画したのである。1989年から拠点を米国のボストンに置き、「Invention Machine社」を興した。

彼らはまず、TRIZの知識ベースを実装した試作版を作り「IM Lab」と呼んだ。旧ソ連のTRIZ専門家たちのネットワークを使って、知識ベースの中身の記述に注力し、Windows PC上のグラフィックユーザインタフェースを活用して、随分便利なソフトができて行った。さらに、1990年代半ばには、機能分析や「Feature Transfer (二つの解決策の長所を取る方法)」の機能を組み込み、問題解決のプロジェクト管理やレポート作成機能などを備えて、「TechOptimizer」というソフトツールにした。

1990年代後半において、TechOptimizer はTRIZのソフトツールの代表の位置を占め、TRIZの企業普及の先鋒となった。米国・欧州(そして日本)では、多くの製造業の大企業が大きな関心を示し、それを導入した。Intel、Boeing、NASA、Procter & Gamble、などが代表である。

Sergei Ikovenko らの(ロシア出身の) TRIZ専門家たちがこのソフトツールの企業導入を指導した。ただ、その指導は「ソフトツールの使い方」のセミナーが中心で、TRIZはごく初歩に限られていた。多数の企業で、企業内研修が行なわれ、ツールの使い方の社内指導者やその推進者ができたけれども、TRIZの思想や技法は消化不良のままで進行し、問題を残した。

2000年頃から、IM社は「TRIZ」を標榜することを止め、技術文書・特許文書の意味解析技術を中心としたソフトツールに重点を移行していった。そのツールは「Knowledgist」および「Goldfire Innovator」と呼ばれている。これらのツールは、英語の文章の文法構造を自動的に解析して、「何が何をどうする(Subject- Action-Object, SAO)」という論理を理解する。これに広範囲な技術分野をカバーする意味関係辞書を加えると、各文章の理解ができ、また文書全体の理解ができる。その結果、数十頁の特許文書を、10行程度で要約する、また2頁程度で要約するといったことを極めて短時間でやり上げる。その要約文の質は驚くばかりに高いものになっている。

なお、IM社の兄弟組織として「Pragmatic Vision社」が作られ、TRIZを用いた受託研究形式のコンサルティングも行なわれた。彼らの特長は、旧ソ連圏でTRIZを知る多数の技術者・研究者のネットワークを構築し、受託した課題をそれらの人脈を活用して解決して見せることであった。同社は現在は、「GEN3社」となり、Simon LitvinとSergei Ikovenko らが、TRIZの適用の有効性を高め、適用範囲を拡げるために、積極的な技法開発を行なっている。

(3) Ideation International社の活動

キシネフにいたBoris ZlotinとAlla Zusmanらのグループは、Zion Bar-El に招かれて、1992年にデトロイト近郊に移住し、「Ideation International社」に参画して活動を始めた。彼らの特長は、受託研究を中心とした企業内コンサルティングを行い、TRIZの深い理解を背景に、困難な問題をTRIZで解決してみせることであった。

彼らは企業に出向いて、委託された懸案の技術課題を聴き、それを持ち帰ってTRIZで解決した後に、再度企業に行って解決案を提示し、簡単な説明を行なう。ただ、この受託研究の形式は必ずしもTRIZの企業導入に繋がらないことが多い。委託企業にとっては、技術知識の流出・漏洩の恐れがあり、解決案が「あっと驚くもの」であっても必ずしも実際的でなく自社の問題解決につながらないことがあり、さらに、問題解決の方法そのものはコンサルタント側のノウハウとして必ずしも十分開示されない、という課題がある。このような状況は、II社のお膝元のFord社でTRIZ導入の責任者であったLarry Smith の講演 (2005年11月) からも分かる。

II社もTRIZソフトツールを作成している (「Innovation Work Bench (IWB)」)。その特長としては、問題解決の初期段階の分析をサポートする機能として、原因-結果の関連図を描き、有益/有害などの関係を明示すると、解決すべき問題の考え方について多数の選択肢を表示する方法がある。ただし、この方法が本当に創造性を発揮させるかには疑問があると、筆者は考える。

II社の貢献は、TRIZの諸技法をまとめて発表していることである。特に、古典的TRIZのまとめと、新しい技法として「AFD (Anticipatory Failure Detection)」や「TRIZ-DE (Directed Evolution)」の開発がある。TRIZ (そのもの) のセミナーなども積極的にやっている。さらに、同社でTRIZをマスターした米国人コンサルタントたち (例えば、John Terninko, Dana Clarkなど) がいて、分かりやすい教科書を出版している。

(4) TRIZ Journal と米国のその他の状況

上記の他に、米国で活動している旧ソ連のTRIZ専門家たちにはつぎのような人たちがいる。

Victor Fey: デトロイト近郊。Wayne State Univ. の客員教授。TRIZコンサルタント。TRIZの教科書を執筆。

Zinovy Royzen: シアトル。TRIZ コンサルタント。Boeing社などと連携。

Semyon Savransky: カリフォルニア。TRIZコンサルタント。TRIZの詳しい教科書を執筆 ("Engineering of Creativity" (2000年))。

さて、これらの他に、もともとの米国人でTRIZ を習得し、研究・普及活動をしている人たちもかなり増えている。

その代表者は、Ellen Domb である。彼女はもとは物理学のPhD、その後品質管理関連 (TQM, QFD, シックスシグマなど) のコンサルティングをし、1996年からTRIZの研究と普及をしている。TRIZの初心者研修などは非常に分かりやすく、人気がある。1996年11月にWebサイト『TRIZ Journal』(www.triz-journal.com) を設立し、現在も編集者を続けている。このサイトはTRIZの世界的なハブサイトであり、毎月第一月曜日に更新され、5〜10編の投稿記事 (論文、事例報告、解説など) を掲載している。商業主義を排して、学術的かつ実際的な立場でWebサイトを編集・運営していることが、世界中から評価されている。

1990年代の初めからTRIZに注目し、研究・実践していたのが、James Kowalickであり、上記の『TRIZ Journal』の共同設立者であり、初期の主要執筆者であった。彼は1975年頃から独自に発明の方法を研究・模索していて、QFDやシックスシグマなどのコンサルタントであった。1992年にTRIZに接して、自分の研究と相補的な関係にあると悟り、ロシアにも直接行って調査し、独自にTRIZの主要文献を21編英訳した (非発表) という。残念なことに、1998年のTRIZの国際会議で、彼が提唱していた「Triad理論」(機能分析の一技法)に対して、伝統的なTRIZの「物質-場分析」を擁護するロシア出身のTRIZ専門家たちから集中攻撃があり、その後KowalickはTRIZコミュニテイとは袂を分かって独自路線で実践・研修を続けている。

この他にも、Joe Miller やJack Hippleなどがいて、技術課題だけでなく、もっとビジネス課題や社会課題に近い分野でもTRIZの適用を図って、実践を続けている。

さらに、「やさしいTRIZ」を目指している人たちとして、Ed Sickafus と Larry Ball がいる。詳しくは後述しよう。

(5) 「アルトシュラー協会」とTRIZCON

1990年代の半ばから後半にかけての米国では、上記(2)〜(4)に記したようなTRIZの主要プレーヤーたちが揃って、互いにしのぎを削っていた。特に主要2社でのユーザ獲得競争が激しく、相互の批判がエスカレートしてTRIZの全体的な普及に悪影響を及ぼす状況が一部に起きていた。

この中で、TRIZのコミュニティを大同団結させようと尽力したのが、前述のLev Shulyakである。彼は、TRIZを (西側) 世界に広く普及させるために、商業的な私利私欲を超えた、学術的で「オープンな場」としての協会の設立を構想した。Shulyak は1995年に直接 (そして初めて) アルトシュラーを訪問し、その構想を伝えた。アルトシュラーは快諾し、協会の設立・運営をShulyakに託し、白紙に署名した「白紙委任状」を渡したという。

1998年6月に米国で21名の全TRIZ関係者が集まり、アルトシュラーの名を冠した協会「Altshuller Institute for TRIZ Studiesの設立を決定した。初代会長には、Lev Shulyak がなり、副会長にFord社のLarry Smithがなった (二代目会長)。全世界 (特に西側/米国) のTRIZ関係者が個人として参加し (他に法人参加も)、TRIZの国際会議を開き、オープンな形でTRIZの世界的な普及を図ることが目的である。

西側世界でのTRIZに関する最初の国際会議は、Ellen Domb 他が主導して、1998年11月に開かれた。[筆者はTRIZ関連の主要国際会議にほぼ毎回参加し、学会参加報告 (論文内容のレビュー)をTRIZ HP上に発表しているので、参照されたい。]

また、アルトシュラー協会が主催する「TRIZ Conference (TRIZCON)」は、1999年3月を第1回として、毎年春に開かれている。開催地は、デトロイト近郊 (1999) ボストン近郊(2000)ロサンジェルス近郊 (2001) 、セントルイス(2002)、フィラデルフィア(2003)シアトル(2004)デトロイト近郊(2005)と全米各地を回っている (事務局は、アルトシュラー協会のRichard Langevin)。国際会議の定期開催によって、TRIZの技法の発展、適用の方法、普及状況などがずっとオープンになってきた。

ただし、米国における1990年代末から最近にかけての状況は、毎年のTRIZCONに顕れているように、必ずしも順調な普及とはいえない。国際会議の参加者が100人程度からあまり増えず、企業からの新規参加者が少なく、(企業機密と守秘義務のため) 企業からのTRIZ適用事例の具体的な報告が乏しく 、また米国の大学からの発表が (初期にはあったが) 最近ほとんどない、などである。

(6) 欧州での普及状況とETRIA

1990年代のヨーロッパは、基本的には米国経由でTRIZの普及活動が行なわれたといえるだろう。特に、Invention Machine 社のソフトツールが便利なツールとして導入され、TRIZの考え方そのものが十分に普及せず、しばらくするとブームの熱が冷めるといった状況があった。

これを打破しようとしたのが、欧州の各国のTRIZ リーダたちが集まった会であった。彼らは2000年に 「欧州TRIZ協会 (European TRIZ Association, ETRIA)」 を設立した。それは米国の「アルトシュラー協会」をモデルとしつつ、さらに学術的な要素を強化し、世界各国からの参加を要請するものである。ETRIAの発起人であり、その執行部として現在も活動しているのがつぎのメンバーである。

Darrell Mann (英国): 初代会長、当時はBath大学所属 (その後CREAX社、現在は IFR社)。現在: コンサルタント。詳細後述。

Denis Cavallucci (フランス): 第二代会長、Strasbourg大学 (INSA) 助教授。米国MIT滞在時にTRIZを学び、現在INSAでの約30人の研究室をTRIZの研究と普及・実践に集中させて、その牽引役を果たしている。ミンスク出身のNikolai Khomenkoが客員として参加し、理論的なバックを与えている。

Valeri Souchkov (オランダ): TRIZコンサルタント。ミンスクでTRIZを学んだ。Yuri SalamatovのTRIZ教科書を英訳出版 "TRIZ: The Right Solution at the Right Time" (1999年) [和訳あり]。

Pavel Livotov (ドイツ): TRIZコンサルタント (TriSolver社)、ミンスク出身。独自にTRIZのソフトウェアツール ("TriSolver") を開発している。

Simon Dewulf (ベルギー): CREAX社の若い社長。Mannと一緒に大きな寄与をした (後述)。

Gaetano Cascini (イタリア): Firenze 大学所属。機械工学の若手研究者。特許分析とTRIZの活用などを研究している。

Juergen Jantschgi (オーストリア): Leoben工科大学所属。TRIZを使った産学連携の活動を推進している。

ETRIA主催の国際会議は初回が英国バースで "TRIZ Future 2001"のテーマで開催された (2001年11月)。以後、2002年ストラスブール (仏)2003年アーヘン (独)2004年フィレンツェ (伊)2005年グラーツ (墺) というように各国持ち回りで開催されている。

ETRIAの国際会議の特徴はつぎのようである。大学が開催を引き受け、米国のTRIZCONよりも商業主義排除の方針が強い。その一方で、各国の大学は産学連携を積極的に図り、大学が発信して(TRIZコンサルタントと協力しつつ) TRIZを企業に普及させていこうとする姿勢がある。企業 (例えば独・仏の自動車工業界など) からの事例報告もかなりなされている。ロシアや東欧の研究者たちを積極的に招いて、「TRIZにおける東西の橋渡し」を意図している。回を重ねるたびに開催国で積極的な推進体制ができており、全体の論文投稿数と参加者が着実に増加しつつある。

(7) Darrell Mann とCREAX社

世界のTRIZの理解にとって新しい時期を画したのは、Darrell Mann がベルギーのCREAX社で行なった研究プロジェクト (2000〜2003年) であった。1985年以後現在までのすべての米国特許を、アルトシュラーの行なった分析法をベースに使い、TRIZの観点から分析しなおして、TRIZの持つ知識ベースを根底から刷新しようというプロジェクトであった。英国Imperial Collegeの大学院で創造性技法を学んでいたSimon DewulfがMannを知り、新しく興したCREAX社に招いて共同研究を始めたのである。

「Dewulfは話を大きくし、事業化するのがうまい」とMannはいう。CREAX社は、インドで25人の特許専門家を集めた研究所を作り、彼らに分析の枠組みとTRIZの知識ベースを教えて、分析に当たらせた。

総計15万件の米国特許を、まずTRIZでいう「(5段階の) 発明のレベル」の概念を使って篩に掛け、その約1割だけを詳細分析の対象として残した。その特許の内容を読み取り、「どの発明原理を使ったといえるか? どんな矛盾を (技術的矛盾あるいは物理的矛盾) を扱ったか? どの進化トレンドに対応するか? 新しい原理・現象・基本技術 ("effects") が見出されているか?」などをチェックし、一定書式のファイルで記録していった。

また、その結果を新しいソフトウェアツール (Innovation SuiteとMatrix 2003)として開発し、90年代開発のTRIZツールよりも1桁安い価格で提供したのである。それまで、「技術事例が古い」、「新しい分野の事例がない」といった苦情があったTRIZツールに対して、知識ベースの中身の情報は最新の米国特許を基にしたものになった。特に、「矛盾マトリックス」の枠組みを改良し、データを刷新して「Matrix 2003」 を作成した。

さらにMann は、西側世界の創造性技法、技術開発技法などを学んでおり、TRIZの諸技法をそれらと統合しつつ新しい教科書にまとめた。それが、"Hands-On Systematic Innovation" (2002年、CREAX) である [和訳: 『TRIZ 実践と効用 (1) 体系的技術革新』、中川徹監訳、2004年]。これは、古典的TRIZの紹介を脱して、西側の研究者がきちんと消化して書いたTRIZの教科書であり、技術革新のための新しい方法を述べた体系になった。内容豊富で、分かりやすい教科書である。

MannおよびCREAX社によるこの新しい方法は、欧州各国 (特にオーストリアなど) で実践され、中小企業でもできる方法として適用が推進されつつある。

なお、Darrell Mannの活動の舞台は、ここ3年ばかり、インド・香港・中国・マレーシアなど、アジア諸国へのTRIZ適用・導入に重点がある。これらアジア諸国でのTRIZの興隆に今後注意しておきたい。[なお、韓国の動きははるかに先行しており、企業内浸透の点では世界の最先端にある。次回に説明する。]

(8) やさしいTRIZのための諸方法

いままでに述べた「本流のTRIZ」の他に、やや別の流れとして、「やさしくしたTRIZ」の試みがある。それを3つ説明しよう。

1980年代初め、イスラエルに移住したアルトシュラーの弟子たちはTRIZを教えようとして、異文化の壁に直面した。イスラエルには、米国企業の現地子会社が多くあり、米国から移住してきた技術者たちも多かったからである。ソ連流の長期間のTRIZ教育でなく、もっと短時日での研修が求められた。

Gennadi Filkovski は、結局、TRIZの40の発明原理を大幅に簡単化して、ただ4種の解法だけにし、それをSIT法 (Systematic Inventive Thinking)と呼んだ。 SIT法はその後イスラエルで随分普及しているようである。現在は、Roni Horowitz が、ASIT (Advanced Structured Inventive Thinking) と呼んで指導している。

米国Ford社の研究所にいた Ed Sickafusは、たまたまバークレイでSIT法のセミナーを聴き、Ford社に招いて1週間のセミナーをして検討した。当時Ford社にはTRIZのコンサルタントたちが入っており、TRIZとSITを比較検討した上で、彼はSIT法を選んだ。さらにFordでの実状に合うように調整して、それをUSIT (Unified Structured Inventive Thinking) と呼んだ

USITへの改良点は、「発明」の過度の強調を避けて実用的な解決策を複数つくり出すこと、「オブジェクトと属性と機能」という概念で体系的な分析をすること、空間・時間特性分析を導入して解決策生成法を再編成したこと、などである。

USITはFord社内で約1000人の技術者たちに (3日間セミナーで) 教えられ、多数のプロジェクトに適用された。社外に対してはUSITの教科書を出版し、数回の社外セミナーをしている。筆者はSickafusの第1回社外セミナーに参加してUSITを習得した。現在、USITは日本で改良され、最もよく活用されているといえる。

米国の技術者・研究者の層の厚さを感じさせるのが、もう一人、Honeywell社のLarry Ballのケースである。彼は1992年頃初めてTRIZを紹介され、アルトシュラーの英訳本 "Creaivity as an Exact Science"を読み、以後、TRIZのソフトツールを使い、独学でTRIZの技法をマスターしていった。彼は上記の本の問題解決技法 (ARIZ-72) をベースにして、新しく学習したものをどんどんその中に追加し、何度も再整理して、自分なりのTRIZプロセスを作り上げていった。そして社内でのTRIZ教育を実践していった。

Larry Ball は、自分のTRIZ教材の一式を、2002年と2005年に『TRIZ Journal』で連載・公表している。両者とも、独自の体系をもっており、非常に多数の図で例示した楽しい教材である。新版は『Hierarchical TRIZ Algorithms』という題名であり、その和訳 (高原利生・中川徹訳、『階層化TRIZアルゴリズム』)を近日中にTRIZ HP に連載開始する予定である。

Larry Ballの新版は、市場の把握と問題の設定から始まり、問題解決のプロセスを追って、解決策の実現法まで、懇切に述べている。例えば、「市場」を性別や年齢などで区分しようとするのは間違いであり、「市場」とは「ある特定の仕事 (たとえば、庭の落ち葉掃き) をしたい人々のグループ」をいうのだという。

Ballは、「技術的矛盾を明確にした後に、物理的矛盾が顕れるというARIZの考え方は正しくない」と主張する。両者の矛盾はどちらが先に現れることもあり、両者を統一的に (ダイアグラムで) 表示すればよいという。そしてその矛盾を解決する方法を多数の図で例示しているのである。この図を見ていると、独習できるし、自分の問題の解決のための豊富なヒントになる。

これらの「やさしいTRIZ」の流れは米国では重視されていない。しかし、それが多数のユーザの要求を満たすようなって、古典的TRIZに取って代わる「破壊的技術」になる可能性が高いと筆者は考える。例えば、中米ニカラグアでTRIZの導入による現地産業の振興を目指しているHugo Sanchez は、ここに述べたASIT、USIT、そして Larry Ballの方法を主体に導入している。

本ページの先頭 本文の先頭 (1) 土台 (2) Invention Machines社 (3) Ideation International 社 (4) TRIZ Journal 他 (5) TRIZCON (6) 欧州とETRIA (7) MannとCREAX (8) やさしいTRIZ  

 

連載の親ページ 前回(第2回)歴史 旧ソ連 今回 PDF 次回 (第4回) 歴史 日本韓国 InterLabサイト TRIZ紹介のページ      

 

総合目次  新着情報 TRIZ紹介 参 考文献・関連文献 リンク集 ニュー ス・活動 ソ フトツール 論 文・技術報告集 教材・講義ノート フォー ラム Generla Index 
ホー ムページ 新 着情報 TRIZ 紹介 参 考文献・関連文献 リ ンク集 ニュー ス・活動 ソ フトツール 論文・技 術報告集 教材・講義 ノート フォー ラム Home Page

最終更新日 : 2006. 3. 6     連絡先: 中川 徹  nakagawa@utc.osaka-gu.ac.jp