解説

「自由」vs「愛」: 人類文化を貫く未解決の「主要矛盾」

東京大学学生キリスト教青年会(YMCA) 會報 第146号 (2016年12月8日) pp. 9-25

中川 徹 (大阪学院大学), 2016年10月4日寄稿

掲載: 2017. 1.13

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  編集ノート (中川 徹、2017年 1月 9日)

本ページの記事は、昨年10月に執筆し、12月に東大YMCAの會報に掲載されたもので自己紹介から始めて、私の最近20年ばかりの研究の経過を説明し、昨年来明確になった標記の大問題を分かりやすく説明したものです。

私は学部3年生〜博士課程1年の夏までの4年余を、東大YMCAの寄宿舎で過ごしました。(建物は建て替えられましたが)東大農学部の正門から徒歩1分の所にあります。当時は舎生二十数名、全学部から来ており、先輩・同期・後輩ともども、いまもなお続く親交を持っています。東大YMCAは1888年(明治21年)の創設で、草創期からキリスト教の伝道と社会福祉活動の伝統を持っていました。そのようなYMCAの會報ですので、いまの舎生の学部生の人たちから、卒業生で現役で働いている人たち、そして私より10年20年先輩の人たちまでに読んでいただけるように書きました。「はじめに」の自己紹介や、「おわりに」のミッションステートメントは、そのような配慮で書いています。

本論の部分には、理学部の化学を出て、後に情報分野に移った私が、「創造的問題解決の方法」(すなわち、研究開発の方法)を理解し、発展させてきた内容をまず紹介しています。そこで明確にした「6箱方式」という方法を、新しく社会分野の問題に適用しようとして、日本社会の貧困の問題を取り上げました。貧困の問題に対する人々の議論対立の根底には、「自由」の主張と「愛」の主張の対立があることに気がつきました。そして、「自由」vs「愛」は、実はもっともっと大きな、人類文化を貫く未解決の根本矛盾なのだ、と認識したのです。そして私はここに、「自由」vs「愛」という矛盾について、その骨格の理解を仮説として示しました。

この、「自由」vs「愛」という矛盾(対立)がある、という考え自体は、難しいことではありません。身近のことでも、社会のこと、国際政治のことでも、皆さんはすぐに例を挙げることができるでしょう。ただ、私たちはいままで(世界中で)「「自由」と「愛」は両方大事です。だから、両立させなさい。両立するはずのことです。」 とだけ教えられてきました。「両者に本質的な対立が内在する。それが根本の矛盾なのだ」とは誰も明確に言わなかったのです。この矛盾をきちんと理解することが、矛盾を解決して両立を図る基本のやりかたなのだ、というのが本稿の根底にある理解です。

このような理解のしかたは、本ホームページで一貫して取り上げてきました、TRIZ(トリーズ)の精神によるものです。「問題の本質を矛盾として明確にせよ、そうすれば矛盾を解決する方向が明確になる」というのが、技術分野でTRIZが実証してきたことです。この精神で、いま人間と社会の大問題に取り組んでいこうとしているわけです。

人間・諸組織・社会・世界でのこの大きな矛盾の状況とあるべき姿を示すことは、これからであり、人文科学・社会科学、そして実世界に関わる 多くの人々の協力を必要とします。人類文化を貫いて、(少なくとも10万年)まだ解決できていない主要矛盾だと理解しているのですから、その研究も活動も容易なことではありません。ともかく皆さんのそれぞれの場で、「自由」vs「愛」の現状とあるべき姿を考えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

 

目次:  「自由」vs「愛」: 人類文化を貫く未解決の「主要矛盾」

1. はじめに、自己紹介

2.  創造的問題解決のための諸方法と新しいパラダイム(「6箱方式」)

2.1  従来の学術界での考え方:ひらめきと4箱方式
2.2  TRIZ(トリーズ): 科学技術分野を跨る知識ベースと矛盾の理解
2.3  新しいパラダイム(6箱方式)による一般的な方法論(CrePS) [2]

3.  社会的な問題へのアプローチ:『下流老人』の問題の「見える化」

3.1  『下流老人』(藤田孝典著)を「見える化」する
3.2  貧困問題への人々の意識の対立とその根底
3.3  「勝つこと」vs「助け合い」から「自由」vs「愛」へ

4.  「自由」vs「愛」: 人類文化を貫く「主要矛盾」

(1)  人類の文化は、「自由」を第一原理とし、その伸長を主要目標とします。
(2)  人類の文化は、「愛」を第二原理とし、その普遍化を主要目標とします。
(3) 二つの指導原理間に人類文化の主要矛盾 (「自由」vs「愛」)が存在します。
(4) 「自由」と「愛」の両者を動機づけ調整するのは「倫理」です。
(5) 人類文化は 「自由」vs「愛」の矛盾を解決しようと努力したが、未解決である

5. 「自由」vs「愛」の主要矛盾の解決を困難にしているものはなにか?

(a)  個人レベル、個人間のレベルで、「自由」「愛」「倫理」のあり方が明確でない
(b)  種々の社会組織における「自由」「愛」「倫理」のあり方が明確でない/共通認識にならない
(c)  個人や組織が自己の利害(「自由」)を主張して、(社会的)「倫理」に反する行動をとり、それが社会的な「勝者」になることがある。
(d)  社会的「勝者」による支配という状況が、小さいものから大きなものまで至る所にあり、かつ、歴史的な積み重ねをもっている。 

6.  おわりに

 

本ページの先頭

はじめに

創造的問題解決

社会的問題

自由vs愛の矛盾

困難の要因

おわりに

創造的問題解決 方法論CrePS

高齢者の貧困化

自由vs 愛

中川 徹のミッションステートメント

英文ページ


 

東京大学学生キリスト教青年会 會報 第146号 リレー随想

 

「自由」vs「愛」: 人類文化を貫く未解決の「主要矛盾」

中川 徹  (1963年 理卒)

2016年10月4日 寄稿、2016年12月8日発行

 

1. はじめに、自己紹介

このたびはとてつもなく大きな表題で書かせていただきます。そこでまずはじめに自己紹介をさせていただきます。

私は1940年生まれです。1959年に東大の理科I類に入学し、三鷹寮で2年間過ごしました。勉学、バイト、ハンドボール部、60年安保闘争などとともに、キリスト教に接しました。1961年に理学部化学科に進学し、YMCA寮に入舎、4年余をこの寮で過ごし、三鷹での教会活動にも参画しました。

大学院を経て化学教室の助手になり、分子分光学で分子構造の精密決定の研究をし、実験データの解析のために、最小二乗法標準プログラムSALSの共同開発もしました。

1980年39才のときに、富士通に入社し基礎研究部門でソフトウエア品質管理などの研究をしました。また後には、特許推進・国際交流などのスタッフとしての職務を行い、その中で1997年にTRIZ (トリーズ)という(特に矛盾の解決を目指す)技術開発の方法論に出会いました。

1998年から大阪学院大学の教授となり、新設の情報学部で教育するとともに、TRIZを中心にした研究・普及活動に尽力しました。『TRIZホームページ』[1] というWebサイトを1998年に創設し、技術分野を主対象として創造的問題解決の方法論とその実践に関し、自分の執筆だけでなく国内・海外の人々の論文・記事を和文と英文で掲載してきています。

2012年に退職しましたが、大阪学院大学名誉教授という資格で活動を継続しています。特に、「創造的問題解決のための一般的な方法論(CrePS)」を提唱して、従来のさまざまな創造性技法や研究開発の方法を統合する枠組み(「6箱方式」)を提示しています [2]。さらに、TRIZ/CrePSの考え方を(非技術の)社会問題にまで拡張することを目指し、『下流老人』(藤田孝典著)の「見える化」をしました [3]。その結果として2016年4月に見出したのが、「「自由」vs「愛」」が人類文化を貫く「主要矛盾」であるという表題の概念です [4]。「自由」も「愛」も人類文化の大事な目標(「主要原理」)ですが、それらが矛盾を含んでいる。この矛盾を克服することが、人類文化の全歴史を通じて試みられて来て、まだ解決できていず、一層困難になっている、と認識したのです。人類文化はこの認識から再出発しなければならないと思っています。

 

2. 創造的問題解決のための諸方法と新しいパラダイム(「6箱方式」)

2.1  従来の学術界での考え方:ひらめきと4箱方式

創造的に問題を解決するということは、学術的な研究においても産業界における商品開発・技術開発においても常時必要なことです。世界中の研究者や技術者が必死になってやっていることです。また同時に、私たち自身が日常の小さなことでいろいろと工夫し行っていることです。

では、そのための方法(個別の研究内容そのものでなく、研究開発をする方法、特に新しいアイデアを考え出す方法)にはどんなものがあるでしょうか?

よく知られていて特に学術界で信奉されているのは「ひらめき」を得る/待つ方法です。多数の科学者・技術者の体験の研究から分かったのは次のやり方です。

(a) 予めある領域の学習・研究をしていた。
(b) 何らかの強い問題意識を持って長期間、あぁでもない、こうでもないと、いろいろ考え試していた。
(c) 何らかのリラックスした心理状態のときに、突然ひらめいた。
(d) ひらめいた考えを自分の問題に適用して、一気呵成に解決した。

これによって、リラックスすることの大事さが強調されるのですが、ひらめきがいつ本当に起きるのか分かりませんし、それまでにどのように考えどのように実践すればよいのか、「方法」と呼べるものが明示されていません。

学術界での従来の基本方式は、抽象化の「4箱方式」(図1)です。例えば数学での応用問題を解くのに、二次方程式を立て根の公式を使うときの要領です。科学技術の分野ごとに様々な理論(モデル)が作られ体系化されています。ただ、新しい問題(技術開発や発明を要するような問題)では、どの理論をどう使えばよいのかがなかなか分かりません。そのようなときには「ヒント」になるものを探し回ることもよくあります。

図1. 創造的問題解決の従来パラダイム: 「4箱方式」

 

また、理論的に考えるよりも、ともかくアイデアを思いつくままに沢山出そう、というアプローチもあります。ブレインストーミングが(特に産業界で)最も広く使われています。

2.2  TRIZ(トリーズ): 科学技術分野を跨る知識ベースと矛盾の理解

TRIZというのは、旧ソ連の民間でGenrikh Altshuller(1926-1998)とその弟子たちが樹立したもので、「発明的問題解決の理論」というものです。多数の特許の分析から、(技術の)分野を跨って使える各種の知識ベースを作りました。「40の発明原理」とか、「技術システムの進化のトレンド集」とか、機能(目的)から科学的原理(手段)とその適用事例を見つける知識ベースとか、です。

またTRIZは技術的な問題での「矛盾」の概念を明確にしその解決法を示しました。一つの形式は、「ある側面を改良しようとすると、(通常の方法では)別の側面が悪化する」という矛盾です。Altshuller は39の側面を考え、(膨大な数の特許を調べて)39×39の場合のそれぞれについて、よく使われた発明原理のトップ4を示す一覧表(「矛盾マトリックス」)を作りました。さらに問題をつきつめて、「一つの側面について異なる(逆の)要求が同時にある」という形式の矛盾にすると、確実に解決できることを示しました。解決法は「分離の原理」と呼ばれます。要求が異なるのが、空間的に別の所/時間的に別の時間/別の条件下でないかと吟味せよ。要求が分離できたら、各要求を別々に満足する解決策を考え、それらを統合して使う方法を(発明原理の助けを得て)考えよ、といいます。「矛盾をまず明確にせよ、そうすれば解決できる」というのがTRIZの思想です。

TRIZは他にも沢山の技法を作りました。そのすべては、それぞれに4箱方式に従ったものです。 ただ、多数の技法が並立するため、問題解決の全体プロセスが(不必要に)複雑になっています。

2.3  新しいパラダイム(6箱方式)による一般的な方法論(CrePS) [2]

もっと簡潔な問題解決の一貫プロセスを創ろうとしたのが、Ed Sickafus (米)のUSIT法(統合的構造化発明思考法)です。私は、TRIZ を学び(1997年〜)、USITを学んで(1999年〜)、 TRIZの多様な方法をすべてばらして、USITに統合しなおすという方向で研究してきました。

そこで気がついたのが、改良したUSITの全体プロセスを表現する「6箱方式」という概念です(図2)。6つの箱は、問題解決の各段階で獲得する(明確にする)べき情報を示します。矢印はその間のプロセス(情報処理の方法)を示しますが、二次的なものと考えます(具体的な方法にこだわらない、順序が違っても、戻りなどがあってもよい)。図の下半分は「現実の世界」で進むもので、実際の社会・技術・ビジネスなどの活動の中で、それらの実際的な価値基準で判断されるべきものです。一方、図の上半分は「思考の世界」であり、問題を分析し、アイデアを考え、解決策の案を創るための、(多くの場合に個人でなく)グループの共同作業の過程です。現実にとらわれずに、自由で柔軟な思考を重視します。

図2. 創造的問題解決の新しいパラダイム: 「6箱方式」

第3箱、第4箱の内容が、4箱方式(図1)とは大きく異なります。第3箱では、自分の問題の現在のシステムの理解(分析結果)と自分の問題での理想のシステムの理解(イメージ)を明確にします。そのための標準的な方法がマニュアルなどに蓄積されています。第4箱は、「ヒント」ではなく、自分のシステムを変革する/改良するためのアイデアです。これらのアイデアを作り出す方法は(従来の創造性技法/TRIZの発明原理/新しいUSITのオペレータなど)いろいろありますが、「第3箱の理解を進めていると、第4箱のアイデアは沢山自然に出てくる」というのが、6箱方式の特徴です。何が良いアイデアかを判断し、それを(きっとうまく動くだろう)解決策に組み上げるには、その技術システム/技術分野の素養が要ります。

6箱方式で、「現実の世界」で最初に解決するべき問題を捉え(定義し)、ついで、「思考の世界」で解決策を考え出し、さらに「現実の世界」に戻ってその実現のためにさまざまな(企業)活動が必要であることを明記しています。これらは、単なる「発明」ではなく、企業として成功する商品や、さらには社会に広く受け入れられる「イノベーション」を起こすために大事なことです。

従来の科学技術は、4箱方式(図1)を基本方式(パラダイム)としていました。このため、諸分野での沢山の理論や知識ベースがあり、沢山の創造性技法などがあったけれども、それらがばらばらで、互いに重複・競合して、統合できませんでした。6箱方式がここに新しい基本方式(パラダイム)として、創り出されたのです。6箱方式(図2)は、一見当たり前のことであり、特別なことを言っているようには見えません。それが大事なことです。沢山の既存の方法を、この6箱方式(の諸部分)にそれぞれ位置付けることができるでしょう。そのようにして統合した、「創造的問題解決のための一般的な方法論」を私はCrePS(クレプス)と名付けて提唱しているのです。それは学術的な研究の場でも、産業界の技術/商品開発でも広く使うことができるものです。

 

3.  社会的な問題へのアプローチ:『下流老人』の問題の「見える化」

3.1  『下流老人』(藤田孝典著)を「見える化」する

このようにして創り出してきた「創造的問題解決のための一般的な方法論(CrePS)」は、技術分野に限らずあらゆる領域の問題解決のために使えるものだと考えています。それを実証するためにも、私は社会や人間の領域にアプローチしたいと考えました。

しかし社会的な問題は、技術問題よりもずっと輻輳した(込み入った)大きな問題です。そこに技術系出身で社会問題に素人である私がどのようにアプローチして行けばよいのか戸惑いました。その時に目についたのが「札寄せツール」というソフトウエア(片平彰裕作成)です。一つ一つの考えを書いた札(ラベル)を、Excelの画面上で自由に動かして、KJ法(親和図法)と同様の図解を描くことができます。私は1980年代から品質管理運動の中でこのような図解に馴染んでいましたから、社会的な問題の理解に使おうと考えました。

私が取り掛かったテーマは高齢者の貧困の問題でした。2015年6月末に老人による新幹線焼身自殺放火事件が起こりました。それがきっかけでこの老人の心境を考えるようになり、ちょうど発刊された『下流老人−一億総老後崩壊の衝撃』(藤田孝典著)を読みました。二度精読して、この本の論旨の図解を作り「見える化」しようと決めました。その結果を9月から翌1月まで、『TRIZホームページ』に連載し、24頁の冊子に仕上げました [3]。この本の「はじめに」の部分6頁を「見える化」したものを図3に示します。

図3. 論旨を「見える化」した例: 『下流老人』(藤田孝典著)の「はじめに」

 

本1冊を「見える化」したことで、沢山のことを学び、いろいろな論点を考えました。

3.2  貧困問題への人々の意識の対立とその根底

この『下流老人』の本はベストセラーになりました。そして、Amazon.co.jpのサイトには82件のカストマーレビューが掲載されていました。多くの読者は星5つや星4つの高評価ですが、その逆に星1つや2つの酷評もずいぶん多いことに、私は驚きました。酷評の多くは「身勝手な人生を送って貧困になったような人も、当人の責任でなく、社会のせいにしている」「個人の責任を追及せず、社会が悪いと言っている」「社会保障へのタカリを薦めており、放置すれば国が破たんする」といった論調のものです。著者の記述を曲解していると思われる意見が多いのですが、評者の感情が顕われているようにも思います。本書の中で著者が書いていたこと、「下流老人など生活困窮者への支援活動に対して、激励のメッセージもあるが、もっと多数の反対意見が寄せられてくる」とも対応しています。

これらの批判意見は、競争社会において「競争に勝つこと」が正しい、競争に勝つように全力を尽くすべきだという考えをバックにしています。「身体を鍛え、勉強し、仕事を頑張り、お金儲けにも知恵を出すべきなのだ。そのように努力した者が勝ち、努力しなかった者が負ける。競争に負けたのは、努力しなかったからだ。負けた者が悪いのだ。負けた者の自己責任だ」というように考えています。競争社会で少なからぬ割合の負ける者が生じることを既定の(当たり前の)ことと考え、負けたのはその人の責任だと考えているのです。それは、負けた者を助ける必要はないという論理になり、社会的弱者を蔑視することになっていきます。

一方で、社会に助け合いが必要だ。貧しい人、身寄りのない人などを助けて、国民全体の生活と幸せを守るべきだ、という考えももちろんあります。「健康で文化的な最低限の生活」は憲法が保障していることですし、健康保険、年金、生活保護、介護保険などの制度がともかく運用されています。ただ、競争社会で「勝つことを良しとする」思想/風潮/体制の中にあって、「助け合い」の思想/制度が、国民の意識においても、国の政策や社会の実態においても、うまく統合できていないのが実情です。

3.3  「勝つこと」vs「助け合い」から「自由」vs「愛」へ

「勝つこと」と「助け合い」の二つの考え方が上手く統合できていないのは、国民一般の意識のレベルだけのことではありません

。例えば、企業経営のレベルにもそれはあります。企業は競争市場で勝つこと、シェアを伸ばし利益を上げることを最優先にしています。商品価格を安くしてできるだけ多く売ることが、(「デフレ脱却」が叫ばれている昨今でもなお)多数の企業の方針です。原価を安くするために、生産拠点を海外に移し、系列の中小企業からの部品購入価格を低く抑えます。人件費の削減のため、長時間労働、ボーナス削減、ベースアップ抑制、福利厚生削減をし、また、(低賃金で不安定な)非正規雇用を増やしています。これらのことは、市場の価格(破壊)競争で競合他社を圧迫し、中小企業の経営を困難にし、従業員の生活を苦しくし(特に、非正規従業員の生活を困窮させ)ています。その一方で、大企業はこの十数年膨大な利益を内部留保に蓄え、そして株主(特に少数の大規模株主)への配当を行って株価を維持しようとしています。このように、「競争に勝つ」ための経営が、最も大事なはずの従業員の生活を(「助け合い」とは逆に)圧迫し、同業者も下請け中小企業も圧迫して、(社会的勝者である)少数の(大規模)株主を優遇し、その結果経営者を富ませています。そして、そのような企業経営が優秀で正しいことだと、いまの日本の(資本主義)社会ではみなされています。いろいろ努力しても倒産した中小企業などは、やり方が悪かったのだと切り捨てられます。

このように考えると、「下流老人」の問題、日本の貧困の問題、日本の社会福祉政策の問題、そしてさらには日本社会全体の問題、の根底にあるのは、この「競争に勝つ」ことと「助け合い」との間の人々の考え方の不統合である、と考えられます。それは、(カストマーレビューを寄せたような一般の)人々が無知だからではなく、突き詰めていえば(日本の、そして世界の)社会思想の不備によるのだと、私は考えました。

「競争に勝つ」という目標は、競争に勝って「生き残る」ためであり、自分が「生きる」ためです。それを支える指導原理は「自由」であると考えます。一方、「助け合い」は、弱い者/困っているときに「助け、守る」ことです。それを支える指導原理は「愛」であると考えます。そして、人類文化の二つの主要原理「自由」と「愛」との間で、うまく調整が取れていない、これらの間に対立・矛盾があるからだと、私は考えました。

 

考察の過程を逐一述べる余裕がありませんので、次節には、現在私が考えている、「自由」vs「愛」という矛盾の概念を、ややトップダウンに説明します。

 

4.  「自由」vs「愛」: 人類文化を貫く「主要矛盾」

人類文化の根底にある指導原理とその間の関係について、私の考えを一つの作業仮説として説明します。

(1)  人類の文化は、「自由」を第一原理とし、その伸長を主要目標とします。

各人が、自分で判断し、行動し、「生きる」ことです。「生きる」ことは、生き物としての人間の根源の欲求であり、目標です。身体的・精神的な能力を最大限に伸ばし、そのすべての力を使って、より良く生きようとします。そのためには自分で判断し、自分がよいと考える行動をするという独立性が必要で、他者に従属させられることを良しとしません。ただ、自分の判断や行動の結果は、自分に(そして他者にも)降りかかって来ますから、判断や行動を適切・慎重に選ぶ必要があります。個々人が「自由」を活かし、さまざまな領域で考え・行動することが、人類文化を発展させ、人類がよりよく生きるための原動力であると考えられます。その意味で「自由」が人類文化の第一原理なのです。

「自由」は、(自然的、社会的な)「競争」に「勝つ」ことを目指します。必要なもの/欲しいもの(例えば、食料、住むところ、働く場、結婚相手、など)は限られていますから、どうしても「競争」は避けられません。そこで「生き残る」ためには、「競争に勝つ」ことが大事な条件になります。この競争の存在は、一人の「自由」と他者の「自由」とが、必然的に衝突する(矛盾する)ことを意味しています。また、競争でなくても、一人の「自由」の追求の行動が、他の人たちに悪影響・害を与えるという形で、「自由」同士の対立・矛盾が生じます。「自由」を完全に認めると、弱肉強食のギスギスした世界になりかねません。

(2)  人類の文化は、「愛」を第二原理とし、その普遍化を主要目標とします。

各人が、その子を愛し、家族を愛し、隣人を愛して、「助け、守る」ことです。人間は(すべての哺乳動物と同様に)生まれてすぐに自立して生きられるわけでありません。その命を保護される必要があり、第一義的には母がその役割を担っています。母は子を可愛がり、守り、育てます。それが「愛する」こと、「愛」の原形です。それは基本的には本能であり、人類が子孫を(安全に)残すための行動です。その「愛」の関係が家族や隣人などに広がっていくことが望まれています。

「愛」は自分の「自由」を自制し、相手を助け、守るために、相手に奉仕する、相手のためになることをします。また、それは一方向の関係から、双方向の関係に自然に発展します。また、複数メンバー間での「愛」は、相互の「自由」を調整し、「自由」同士の衝突を回避して、ひとつの「身内」としての「調和」のあるグループを形成しようとする働きがあります。

一つ注意するべきことは、「愛」が、自分の周りの「身内」を助け・守るために、「外」からの攻撃に対抗する性質を持っていることです。「外」からの攻撃が激しくなればなるほど、「身内」の周りに「壁」を作って守ろうとします。それは、「身内」を一つの社会的主体と考えると、一つ上のレベルでの「自由」と「競争」を出現させます。第二原理としての「愛」は、その対象を普遍的にすることを目標としますが、このような「壁」を(内・外両方の人々の心理とさまざまな制度的な面で)取り払うのに永年の努力を必要とすることが多いでしょう。

 (3) 二つの指導原理間に人類文化の主要矛盾 (「自由」vs「愛」)が存在します。

人類の文化は、第一原理の「自由」を伸長させ、第二原理の「愛」を普遍化させることを目標として進んできました。しかし、その両方の主要原理を共に満たして発展させることは容易でありません。(1)(2)に書いていますように、「自由」の中にも対立・矛盾があり、「愛」の中にも対立・矛盾がありますし、「自由」と「愛」との間にももっと明白な対立・矛盾があるからです。

「自由」と「愛」との間の対立・矛盾の典型は、一つのグループの中で、あるメンバーが望む「自由」の方向と、他の(多数の)メンバーが望む「自由」の方向が異なり利害が対立するときに生じます。「愛」はそれらの異なる方向の「自由」の対立を避けるように調整しようとします。そして、ある場合には、多数メンバーの「自由」が尊重され、結果として「愛」が特定の「自由」を抑制/抑圧します。また別の場合には、特定の「自由」が強く主張し、結果として多数メンバーの「自由」の方向を守り調和を取ろうとする「愛」が無視されます。

このような「自由」と「愛」の内部および相互関係に存在するすべての対立・矛盾の関係を、「「自由」vs「愛」」の矛盾と捉えました。そしてそれが、「人類文化を貫く主要矛盾」であると理解し、もっと簡潔に「主要矛盾」と呼ぶことにしました。

 (4) 「自由」と「愛」の両者を動機づけ調整するのは「倫理」です。

この「自由」と「愛」を動機づけているもの(それらの原動力となるもの)は何だろう?両者を含んで、調整する/できるものは何だろう?と考えました。前述のように、「自由」は「生き物として生きる欲求」、「愛」は「生き物として子を守り、種を存続させる欲求」から出発していますから、生き物としての「本能」が原動力だ、というのが一つの答えです。しかし、両者を調整するもの、両者を調和的に発展させるものを、「本能」だというのでは、あまりに何も言ってない、人類文化を表現していないと考えられます。

「自由」と「愛」を動機付け、調整する、調和的に発展させるために人類文化が獲得してきたのは、「倫理」である、と私は考えます。平たく言えば、「人の道」「良心」です。誠実、勤勉、愛情、努力、学習、などいろいろあります。すでにDNAに組み込まれ、「本能」になっている部分ですから、当たり前すぎて、その範囲・内容を明示することはかえって困難です。国が違い、生い立ちが違う人たちにも、「良心」というのは共通しているだろう/共通に理解されるだろうというのが、人類文化の望みです。お母さんが小さいこどもに「自分がされたらいやだと思うことは、他の人にしてはいけませんよ」というのが、「倫理」の大事な教えです。

「倫理」の一部が最も明確に表現されているのが、「基本的人権」の概念でしょう。すべての人は人として平等であり生きる権利が保障される、健康で文化的な最低限度の生活が保障される、思想・信条の自由、表現の自由が保障される、などです。「基本的人権」の基礎は「自然法である」というのは、こういった倫理がDNAに組み込まれているというのと同等のことであろうと思います。

フランス革命以来の近代文化のスローガンは、「自由・平等・博愛」でありました。このうちの「平等」は、人間存在としての本質的な平等を意味するべきもので、この「基本的人権」の土台をなすものです。ですから、「平等」は、政治的なスローガンより以前に、「倫理」の中の大事な原理として位置づけるのがよいと、私は考えます。

 (5) 人類文化は 「自由」vs「愛」の矛盾を解決しようと努力したが、未解決である

人類はその歴史の中で、いろいろな文化(言語、宗教、社会思想、科学技術、芸術、など)を発展させ、さまざまな社会組織・社会システム(経済、政治、など)を形成してきました。それは、「自由」と「愛」という「主要原理」の伸展の歴史であったといえます。そして、「自由」と「愛」とは両立するものだ、両立するべきものだ、と人々は教えられ、信じてきました。その中で、なぜいま私が、わざわざ、「自由」vs「愛」が人類文化の「主要矛盾」だと、言い出す必要があるのでしょうか?それは、人類文化の歴史は、この「自由」vs「愛」の矛盾を解決しようとして奮闘した歴史であり、それがまだ解決できずにいる、ますます困難になっていると考えるからです。

「自由」vs「愛」の矛盾はいまどこにでもあります。子供たちのけんかやいじめの場面でも、「下流老人」の福祉に対する人々の意識対立にも、企業の非正規雇用拡大の動きにも、国際政治にも、あらゆるところに存在しています。ではそれらの問題を解決する基本的な方法・考え方が明確になって来ているでしょうか?「自由」vs「愛」の矛盾が人類の歴史の中で、解決の方向に進んできているといえるでしょうか?沢山の人々の尽力にもかかわらず、「自由」vs「愛」という「主要矛盾」は、ますます広範・大規模・輻輳したものになっており、解決が困難になっている、と私は考えます。

図4.  人類文化の主要矛盾: 「自由」vs「愛」

 

5. 「自由」vs「愛」の主要矛盾の解決を困難にしているものはなにか?

「自由」vs「愛」という主要矛盾を解決するための方法を考えたいのですが、そのためには、どうしてその解決が困難なのか、解決を困難にしている要因は何かをまず考える必要があります。

私は次の4つの要因が大きいと考えます。

(a)  個人レベル、個人間のレベルで、「自由」「愛」「倫理」のあり方が明確でない

まず最も基本である個人のレベルおよび個人間のレベルで、「自由」と「愛」の二つの主要原理を進展させていくのにどうすればよいのか、それらの調和を作り、また「自由」vs「愛」の矛盾を解決するのにどうすればよいのかが、まだ明確でありません。日常の生活において、社会生活の場で、人生の大きな出来事に際して、などいろいろな場があります。

一つの要素は、私たちが理性で判断・行動するよりも、感情に動かされることが多いことです。特に衝撃的なことで、短時間に重要なことを判断する必要があるときなどに、好き嫌い/損得/怒りなどの感情が先行しがちです。また、もっと根本には、私たちの人間性の中にある「悪」の問題があります。仏教でいう「欲」、キリスト教でいう{(原)罪」が私たちの世の中を醜いものにしている。「欲」から離脱することも、「罪」の赦しを得ることも、随分の内面的な修養を要することです。人々はその出生以来さまざまな体験をして育ち、その考えが形成されますから、環境や教育が大きな影響を与えます。このようにいろいろな要素があるために、たとえ「自由」と「愛」を教えられ、「倫理」のあり方を知っていても、具体的な場面で感情に動かされ自己の利害・損得で、「倫理」や「愛」を無視して悪の行動を取ることがあり得る。そしてその行動が通ってしまうと、「勝者」としてその行動を正当化する、といったことが起こります。

(b)  種々の社会組織における「自由」「愛」「倫理」のあり方が明確でない/共通認識にならない

人類文化は多層で大規模で輻輳した社会システムを作り上げてきました。さまざまな組織と制度を階層的に作り上げています。小さなグループ、学校のクラス、企業、市町村、政党、国、など、大きさも組織形態もいろいろです。そのような(社会)組織において、組織内部での「自由」「愛」「倫理」のあり方がどうあるべきか、そしてそのような組織が(一つの活動主体として)外部に対してどのような「自由」「愛」「倫理」のあり方で行動するべきかが問題です。そのようなあり方をいろいろな組織形態の場合について明確にし、その認識を社会全体(さらには世界全体)で共有するべきなのですが、できていないことがいっぱいあります。

例えば、企業の場合を考えてみます。企業の内部組織をどのように構成するか、事業部や部にどのような権限(「自由」)を与え全体をどのように調整して方向づけをしていくのか、は企業経営がダイナミックに判断し決定していかねばならないでしょう。従業員の労働条件や給与などは、会社と従業員との契約ということになっていますが、会社が圧倒的に優位にあります。従業員は労働組合などを作って交渉する団結権が法律上守られていますが、現在の日本企業では非常に弱体です。さらに、正規従業員のほかに新たな非正規従業員(派遣従業員、パートタイム従業員、アルバイトなど)が法律的に認められ、不安定な雇用契約、安い賃金、厳しい労働条件などで働いています。これらの雇用契約において、会社がその絶対優位の立場を利用して、従業員に不利な条件を決定する「自由」があるのか、この場合の「倫理」はどうあるべきかが問題です。法律に抵触しなければよい、他企業と横並びならよい、というのが本来の「倫理」であるはずがありません。企業が従業員をフルタイムで雇っている以上、従業員の生活を将来に渡っても成り立たせるレベルの処遇をするのが当然であり、それ以下に維持して利益を上げているのは「搾取」であるというべきでしょう。企業経営が、従業員よりも、株主優先になっている現在の資本主義形態は、大株主層(富裕層)が社会的勝者としてその「自由」を世界に押し付けていると、理解されます。また、企業の社会的貢献にも、沢山の形態・側面がありますが、良い商品・サービスを社会に提供する結果として、従業員を養うということは非常に大きな社会的貢献であると考えます。これらのことが、明確に共通理解になっていないことが、現在の「自由」vs「愛」の矛盾の企業レベルでの問題状況であると、私は思います。

(c)  個人や組織が自己の利害(「自由」)を主張して、(社会的)「倫理」に反する行動をとり、それが社会的な「勝者」になることがある。

「自由」vs「愛」の矛盾の解決を困難にしている第3の要因です。前2項で考えた、個人レベルおよび社会レベル(組織レベル)での、「自由」「愛」「倫理」のあり方が明確になっていった場合でも、実際にはそれらの共通認識(社会的「倫理」、社会的ルール)が簡単に破られてしまうことです。破るのは(あるいは破ることをリードするのは)個人のことも組織のこともあるでしょう。個人や組織が自己の利害を強く主張することがあります。自己の利害の主張とは、ここでは自己の「自由」の主張です。そしてその「自由」を通すために、自己の判断により行動をする。それが(社会的)「倫理」に反する場合もあるでしょうが、それも「自由」の主張の一形態です。そしてその個人/組織が、力により、あるいは周りの賛同を得て、社会的な「勝者」になることがあります。「勝てば官軍」という諺のように、この「勝者」は、自己の利害(主張)を反映させた、新しいルールや制度を作ります。

これは、大規模になると、改革/変革/革命などと呼ばれるものです。旧来の社会「倫理」から言えば倫理違反ですが、歴史的な観点から言えば、新しいものの誕生です。人類文化の歴史はいつもこのようにして、変革が行われ、発展してきたというべきでしょう。問題は、新しい社会的「勝者」の主張を反映したルールや制度、そしてその「勝者」による支配が、どれだけの適切性を持つかです。

(d)  社会的「勝者」による支配という状況が、小さいものから大きなものまで至る所にあり、かつ、歴史的な積み重ねをもっている。 

前項のようにして生まれた社会的「勝者」によるルールや制度が、社会に行われるようになり、社会システムが整えられていきます。そのようなものが、小さいもの(たとえば、あるところのガキ大将)から大きなもの(たとえば、世界の覇権国家)まで、至るところにあります。それらは、地域ごとに、違う時期に、違う経過で、歴史的につくられてきています。そこで、いつの時代でも、その地域の(例えば一つの国の)社会システムは、特定の社会的勝者の利害を反映していますから、完全なものではありません。社会全体としての「倫理」に合わない面があります。そこで、社会の中で、それまで不利な条件におかれていて、徐々に力をつけてきたような個人あるいは組織が、新たに自分たちの利害を主張して活動するようになります。これが再び、新しい改革/変革/革命を起こす力になるわけです。この地域ごとの状況とフェーズの違いが、主要矛盾の解決にとっての難題です。

主要矛盾の解決という目で見ると、「もし社会(世界)のさまざまな所(国)で、同じ問題状況が同じタイミングで起こっているのならば、一斉に改革をして、統一的な望ましい社会システムにでき、「自由」vs「愛」の主要矛盾をずいぶんと解決することができるでしょう。しかし、異なる地域では異なる問題状況が、異なるタイミングで起こっていると、その解決は一層困難になる。」といえます。

 

6.  おわりに

「自由」vs「愛」という「人類文化の主要矛盾」を解決することは、全くもって困難なことです。しかし、いままでの考察で、今後するべきことがかなり分かってきました。それは、5節の各要因を順次考察していくことです。矛盾がはっきり見えてくれば、矛盾を解決する考え方もだんだんわかってくるものです。沢山の人たちに考えていっていただきたいと、思います。

 

おわりに、私の「ミッションステートメント」を、書かせていただきます [5]

2009年12月にゼミの中で書いたものです。大阪学院大学情報学部の1年生後期のゼミで、ショーン・コヴィ著『7つの習慣 ティーンズ』を読んで討論する演習をしました。私は学生たちに学期中4回のレポートを課し、添削・コメントした文集をクラスで作りました。その中で、やはり私もレポートを書かないとフェアでないと思い、書いて学生たちの文集に載せたものです。本の中で薦めていたミッションステートメントを、本を読んでから1年半後に初めて書きました。

図5. 中川 徹のミッションステートメント

 

参考文献

[1] 『TRIZホームページ』、中川徹編集、1998年11月創設、 URL: http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/ 

[2]  創造的な問題解決のための一般的な方法論CrePS:TRIZを越えて:なに?なぜ?いかに?、中川徹、TRIZCON2016発表,『TRIZホームページ』2016. 6.20掲載

[3]  「日本社会の貧困」を可視化しながら考える [A] 高齢者の貧困化 [1] 藤田孝典著『下流老人』の可視化とまとめ、中川 徹、『TRIZホームページ』2016. 1.28掲載

[4]  「自由」vs「愛」:人類文化を貫く主要矛盾―『下流老人』に対する人々の議論を踏まえ、その根底を考える―、中川 徹、『TRIZホームページ』2016. 4.21掲載

[5]  「中川 徹のミッション・ステートメント」とその心、中川 徹、『TRIZホームページ』2010. 1. 3掲載

 

 

 

本ページの先頭

はじめに

創造的問題解決

社会的問題

自由vs愛の矛盾

困難の要因

おわりに

創造的問題解決 方法論CrePS

高齢者の貧困化

自由vs 愛

中川 徹のミッションステートメント

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最終更新日 : 2017. 1.13    連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp