LOGOS & PATHOSコラム


November 18,2004  外国為替証拠金取引 
 
 東京金融先物取引所が来年より,外国為替証拠金取引の取り扱いを開始する。外国為替証拠金取引とは,直物為替取引に先物取引と信用取引を加えたものである。外国為替取引は,個々の貿易決済が決済期限や条件が多岐にわたるように,相対取引が一般的である。一方,先物取引は,商品の規格化や清算期間の存在などを前提としている。相対取引で直物商品を先物取引でというのが,外国為替証拠金取引である。
 また,オンライントレードの気軽さと低金利から,この取引の参加者は増加し大きな損失被害も発生している。1998年から2003年の6年間で,60歳以上の年齢階層だけでも1000件あまりの相談が国民生活センターに寄せられ,契約金額平均が500万円となっている。先物取引はレバレッジは効くために,実際の被害金額は10倍以上となっている。年齢層からみて,老後の生活資金の運用であり,事態はいっそう深刻である。業者の選択,資産運用についての正確な理解,投資家保護法の整備の遅れなど様々な問題を抱えている。平成13年施行の「金融商品の販売等に関する法律」に証拠金取引が適用されることになったのは,今年平成16年4月である。
 金融先物を専門に扱う東京金融先物取引所が,外国為替証拠金取引の上場するに至った背景は,短期金利がゼロに張り付いた状況にある。投機による利益の源は,資産価格や金利の変動であり,それが大きいほど利益と損失機会が広がる。円金利先物取引の変動幅が0.0X%の水準では,とうてい利益は得られない。信用不安を押さえるためのゼロ金利政策がとられてから久しい。少額投資家がハイ・リスクと損失を負わされ,プロの投資家がハイ・リスク,ハイ・リターンのマネーゲームで腕を磨けなくなったのは,金融行政の責任である。
December 16,2004 完全ゼロ金利

 財務省が12月15日に実施した政府短期証券の競争入札で,政府短期証券FB三か月の落札が,0.0000%の完全金利を付けた。量的緩和政策の継続により,日本銀行は30兆円台の資金を市場に提供し続けている。しかし,企業の資金需要は伸びず,金融機関で停留している。資産選択のダイナミズムは,金利の変動と将来予想から,将来と現在のキャッシュフローを計算して,金融資産の配分を最適化するところにある。ところが,株式や長期国債はリスクが大きいから,だぶついた資金はリスクの小さい短期国債へ環流している。
 政府は,平均落札金利0.00018%のゼロ金利ゆえに,人気の政府短期国債(FB)や割引短期国債(TB)を安定して消化できる。つまり,金融緩和によりだぶついた資金は,金融機関を経由して,政府へ流れ続けている。返済期間1年以内の短期債務の残高は,200兆円に迫ろうとしている。また,これら短気債務は償還されず,多くは日本銀行引き受けの借り換え長期債務となっている。さらに,大量の民間金融機関保有の中長期債を,公開市場操作で買い入れている。日本銀行は,いまや財務省の財布代わりとなっている。
 金利の上昇は利払いの増加をまねき,大量発行に歯止めがかかる。財政規律の引き締めのためにも,金利の引き上げは必要である。郵便貯金などの国営系金融機関の民営化は,市場の評価にさらされることと,財政規律の引き締めにある。国家財政も同様である。完全ゼロ金利の出現は異常事態であり,屋台骨からの根本的な変革を必要としている。

January 26,2005 期末試験週間に思うこと

 後期試験の季節がやってきた。試験の評価は,出席率や課題の提出率と高い相関がある。いつの頃からか,通年制が半期のセメスター制に変わり,夏休みや冬休みで中断されないこともあり,講義のスピードが猛烈に速くなっている。したがって,1週間の欠席は以前の1週間とはまったく異なる重みを持っている。6〜7か月かけての講義が,セメスター制では12〜15週間くらいで完結する。これでは,1週間単位で欠席してノートが欠落すれば,理解度は相当低下する。配布された補助教材のプリントを後で読んでも,理解は困難であろう。
 経済理論は,複雑・多様化を増す経済社会で,同じように進化の速度を上げている。25時間程度の講義コマ数で,伝統的な理論から先端理論のフレーバーまで講義を計画すれば,周到な準備が必要である。学生の反応を講義にフィードバックすれば,シラバス通りの進行は怪しくなってくる。
 試験の素点をグラフ化したとき,70点前後を平均値として,正規分布のように点数が散らばっていれば,問題と講義,受講者の学習成果が優れたものであったと結論づけられる。ところが,成績の分布は単峰型にはならず,頂点を3ないし4とする多峰型となる。この成績の散らばりからは,ほぼ講義を理解できなかった群(A),深い理解が得られなかった群(B),よくわかった群(C)に属する学生がいることがわかる。(A)と(B)が拮抗して大多数とすれば,講義担当者としては深刻である。試験問題か講義そのものに,改善が求められる。A,B,Cが同程度で分布していたとするならば,講義をした者が単独で責任を問われるものではなく,低い成績しかとれなかった者も責任を問われる。(A)の群は,(1)就職活動を併行する卒業年次生,(2)講義中に指示したレポートや課題未提出の3年次生の比率が高い。卒業年次生をのぞけば,講義に出席しない理由は,講義に集中できないこととアルバイトが多数を占めている。
  経済学は,講義のたびにエキサイティングな感動を与えてはくれません。分析ツールを身につけて,知識を蓄えた先に,虚学(経済理論)から実学(現実経済活動)へとつながっていきます。試験はこれから本番ですが,思わしくなかった人は,来年度は少し我慢ということを考えてみたらいかがでしょうか。
Feburuary 3,2005  公開市場操作の札割れ

 公開市場操作は,金融調節の有力な手段である。ゼロ金利政策の現在では,金利ターゲットから量的緩和政策に,金融政策の重点を移している。そして,日銀の予定額に応札額が満たない事態(札割れ)が発生している。2月1日実施の公開市場操作は,1兆円の予定資金供給に対して,7000億円弱の応募しかなかったという。日銀の量的緩和政策は,金融機関の手元残高を30兆円以上に保つことを前提に,繰り返されている。
 札割れが発生した背景は,市中金融機関の保有手元資金の過剰感である。お金が有り余っているにもかかわらず,疑心暗鬼になった金融当局と金融機関が,過剰流動性のジレンマに陥っている。金融機関は資金必要なしとしているが,自らに有利な公開市場操作をやめられても困る。したがって,景気回復に水を差すように,日銀は過剰流動性をやめるわけにはいかない。資産インフレの終了後,1990年より,繰り返される政策のジレンマである。
 バブル経済崩壊後,学習した企業と家計部門は合理的である。日銀がいかにマネーサプライの過剰供給を働きかけても,常習的な過ちを犯すことはない。したがって,金融機関の間をマネーサプライは循環するのみである。信用秩序の維持という頸木を解き放ち,金利の機能する金融システムに回帰するべきである。
April 25,2005  世代間不公平の進展(1)

 2005年3月,日本経済研究センターが発表した社会保障研究報告はショッキングである。2004年の年金改正前後で,各世代間の純受給額を推計している。その内訳は,
             年金     医療     介護     合計
 1940年(65歳) 3,397万円  1,479万円  403万円   5,279万円
 1950年(55歳)  516万円   997万円  312万円   1,825万円
 1960年(45歳) ▲848万円  589万円  233万円  ▲ 26万円
 1970年(35歳)▲1,751万円  295万円  196万円  ▲1,260万円
 1980年(25歳)▲2,260万円  ▲47万円  227万円  ▲2,080万円
 1985年(20歳)▲2,403万円 ▲225万円  259万円 ▲2,369万円
 1990年(15歳)▲2,453万円 ▲351万円  321万円 ▲2,484万円
 2005年(0歳) ▲2,823万円 ▲525万円  527万円 ▲2,821万円

 現在3年次生の諸君の純j受給推計額は,2,369万円のマイナスとなる。また,医療費がマイナスになることから,疾病の高度治療は高い所得額のみ受給可能となる。45歳以下の若い働く世代は,著しい不公平に直面することとなる。このような社会保障制度は,とうてい維持不可能であり,受け入れられない。そのままであれば,世代間抗争が必ず激化する。
May 8,2005  短期国債の調達費用

 4/13・4兆2808億円・募入平均利回り0.0000%,4/20・4兆409億円・0.0000%,4/22・4兆675億円・0.0007%,4/27・4兆688億円・0.0007%。これは,償還期間2か月程度の政府短期証券(FB)の2005年4月期の国債入札結果である。政府は,利子を支払うことなく,市場から資金調達を行っている。ゼロ金利の状態が2回ほど発生しており,4兆円の調達額に対して,応札額は13日2,876兆円,20日は2,539兆円に達している。実に600倍を超える競争入札となっている。
 デフレ懸念を回避する金融政策は,依然として,30から35兆円の日銀預金残高を維持している。行き場のない資金は,ゼロ金利という前代未聞の資金運用に向けられている。量的緩和政策は,行き過ぎであり,金融機関と産業に対する過保護政策は,政府資金調達のただ乗りへと向けられている。合理的な経済主体は総需要管理政策が発動される限り,将来の償還と増税を考慮に入れて消費を決めるから,総需要は増加しない。大きな政府は,常に失敗する事は1990年代を通じて明らかになったことである。このような事態が継続すればするほど,需要の増加は期待できないにもかかわらず,悪循環の環を断ち切ることができない。
 2007年に微増を続けていた人口増加率は停留点を迎えて,漸次減少へ転換する。次世代を単に税収の頭数としかとらえず,湯水のように年金基金を使い果たしてゆく。政府の公的支出の増加には歯止めがかからず,中途半端な郵便貯金民営化は財政投融資資金を温存し,次世代への負担をさらに重くする。前回取り上げた,世代間不公平の格差はますます進展していく。
 
July 5,2005  国民健康保険制度と大阪市民
 
 
日本経済センターの報告書にある純年金受給額の格差を,ワークショップA(2年次生配当)でディスカッションしてもらい,レポートを読んでみた。おじいちゃん・おばあちゃんは5279万円の純給付,自分たちは2369万円の持ち出し,格差は7500万円となる。この数字は滑稽なほど巨額で,若い世代の将来への失望感,納税と保険からの忌避へと深刻な感想が数多かった。このままのシステムでは,高齢化世代の年金や高度医療費は,次世代の年金や医療費で立て替えられるため,将来世代は深刻で悲惨な高齢化社会を迎えることになる。何となく漠然とした将来への不安が,2369万円の超過払い込みとか7500万円の格差と数字で表されるため,ワークショップの出席者は相当ショックだった様子。
 さらに,納税者・保険金支払い者として自覚を持ってもらうため,都市による保険料格差を配布した。大阪市,横浜市,名古屋市を例とした。例の各都市とも,応能・所得割と応益・均等割がベースで,市役所職員に厚い給付を行っている大阪市だけ応益・平等割りが追加されている。配付資料にあるような平均的所得家計で保険料を計算すると,大阪市は保険料限度額の53万円,横浜市37.5万円,名古屋市31.1万円となっている。他都市に比べ,16万円から22万円の格差が付いている。勤務先の保険料もさらに異なることを考慮すると,平均的な純受給格差と,地域,勤務先格差がさらに加わることになる。
 意見は,大阪市の財政再建と大阪市からの逃避に二分化された。また,良い成績と積極的な就職活動で,優良企業への入社が経済的に大きな意味を持つことも指摘された。今後の具体的な行動として,大阪と日本を捨てるという漠然とした意見が多かった。ちょっとまずい方向に,進んでいると思う。
July 9,2005  郵政民営化について  
 7/5に郵政民営化法案が,賛否5票という僅差で衆議院を通過した。参議院の審議が次にひかえている。郵便貯金とは国営銀行そのものであり,第2の公共事業資金・財政投融資金の原資となっている。財投債や財投機関債と名前を変えても政府保証が付けば国債と同じで,国営銀行は市場の評価とは無縁に,この国債を消化している。80兆円前後の国家予算は税収が約半分程度の40兆円であり,残りは国債で賄っている。さらに必要とされる公共事業原資は,国営銀行たる郵便貯金で賄う算段である。
 郵政民営化は,国営銀行の組織替えから,市場の評価を受けて財政規律をただすことが目的とみなすべきである。アメリカは,1980年代から包括財政調整法や財政収支均衡法により,財政赤字削減にと取り組んでいた。具体的な政策は1990年の包括財政調整法90により,(1)裁量的経費の上限を設定するCAP,(2)義務的経費を増加させないpay as you goなどにより,2002年度のクリントン政権で財政黒字へと転じた。これに対して,日本の財政赤字は天井を知らない。
 地方にも道路や新幹線を,もっと飛行場を将来の子孫のためにとは,政治家の常套句である。この原資の多くは公債発行と郵便貯金,簡易保険・年金等から賄われている。将来の子孫と現在の世代は公共財の便益をいくらか共有するが,両者の決定的な違いは,現代世代の請求書の金額は少ないけれど,将来世代には想像を絶する請求書が送られる。将来の公共財の選択は将来世代にまかせるべきで,それを現代世代が勝手に決めて請求書だけ先送りするのは,現代世代と政治の欺瞞である。必要とあれば,税収入の中から今期限りの出費として,ほかの支出を削減して事業に着手すべきである。
 郵政事業で唯一国営事業たるは,郵便事業である。教科書的に公共財とは,供給と需要のどちらか一方がかけるため,市場が成立せず,価格や取引量が決まらない財貨・サービスをいう。一方的な供給としてのゴミ,需要としての国防などがある。国際的な取り決めもさることながら,利益が上がらずとも大多数の人が必要と見なすサービスは,国が供給しなければならない公共サービスである。1枚のはがきが投函される限り,離島や深山幽谷の地にさえ運ぶには,黒猫やペリカンなどでは会社経営が成り立たない。これは,公共サービスなのである。郵便サービスをこのままのシステムで,全国的なネットワークで存続し,あわよくば国営銀行と合体させ,公共事業予算の確保を図ることは,世代間の不公平をさらに進展させる。
 65歳のおじいさんとおばあさんは,2人で純受給額が1億円を超える。これは,現3年次生の4人が将来の純受給額を前払いして実現する。民営化を反対する勢力は,物言わぬ次世代に請求書を回すようなインチキをせず,堂々と税金負担で運営維持するよう議論すべきである。また,過疎の郵便サービスを継続するために犠牲にされる他の行政サービスを,精査すべきである。


May 27,2006  エンロン判決と金融制度改革
 キャッシュフローの大きさを不正に水増しして投資を呼び込み,不正経理の末に倒産に至った会社はアメリカのエンロン社であり,ワールドコム社であった。この不正行為に対する判決があり,経営者二人は禁固45年間,禁固185年の服役判決がおりた。185年は言うに及ばず,年齢から言えば終身刑の宣告である。これは,犯罪者への懲罰であると同時に,犯罪を起こそうとするものへの見せしめでもある。
 去年の夏は,メディアのキーワードは選挙,フジテレビ,文化放送であり,ライブドアとその若き経営者は時代の寵児であった。分割に分割を繰り返す株式は,手頃な価格から,株式投資の対象となり,果ては子供株式投資講座すら現れる始末であった。ゼロ金利政策によって,本来国民が受け取るはずの金利は金融機関に横取りされ,300兆円からの利子所得を失っていた。そんな状況にあっては,インサイダーがまかり通り,消費者保護すらおぼつかない株式投資に走ることは誰も責めることはできない。公表された会社の財務諸表を信用して,退職金やマイホーム資金をライブドア株に投資した人たちを,金融行政はどのように救うのだろうか。アメリカの証券取引委員会(SEC)は,不正によって不利益を被った投資家に代わって,損害補償を代行する。全額といかないまでも,泣き寝入りにはならない。個人責任という言葉が,おかしな方向に一人歩きしている。廉価なアパートメント,誰でも儲かる株投資,そんな物件に投資した者が悪い。曰く,自己責任。
 悪意をもつ販売者がいて,制度に不備があり,少額投資家は実質的に保護されない。悪者が,得たものよりはるかに少ない罰金を払って一件落着。 社会のセーフティネットが確実にほころび始めていることが実感される。各種公的保険も民営化の方針が見え隠れし始めているが,これが制度化されれば,社会の最後の安全弁が壊れ,経済弱者の行く末は決定的になるだろう。