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研究活動

第二回研究会                       実施:2011年7月23日



 
7月23日に早稲田大学で行われた第二回研究会において、海外共同研究者のM. アルタウィール氏(シカゴ大学上級研究員:当時)による講演が行われました。アルタウィール氏は、現代イラクの塩害の研究プロジェクトを手がけており、講演は、衛星画像を使った塩害研究の目的と意義が主なテーマでした。加えて、イラク・クルド自治区のスレイマニヤ博物館所蔵の楔形文書に関する共同研究の意義についても報告がなされました。以下で、その講演について振り返ってみたいと思います。


氏の講演は、三つの部分から成っていました。まず、現代イラクの農地の塩害の状況を知るためのリモートセンシング(遠隔探査Remote Sensing)について。第二に、リモートセンシングの結果を利用して行う現代および古代イラク社会と環境に関するシミュレーション(Social-Environment Simulation)に関して。最後の第三部では、粘土板分析をスレイマニヤ博物館(Sulaymaniyah Museum)で行う可能性についてのお話がありました。


第一部のテーマであったリモートセンシングとは、衛星に搭載した検知器を用い、対象物から反射または放射される電磁波を測定して、地表付近の情報を収集する技術のことです。イラクの農地の塩害状況を知ろうとしても、現在イラクは現地に赴いて調査を行うことが極めて困難な地域であるので、遠隔から情報を取得することができるリモートセンシングが有効な調査方法であることはいうまでもありません。グーグル地図を用いても、現在のイラクの各地の写真に現れる地表面の白さの度合いによって土地の塩化が進んでいることを知ることができます。ただ、衛星写真によるだけでは、そのような塩化の状況の詳細を把握することはできません。そこで、可視光線と赤外線の波長と反射率を測定してその関係性をグラフに表し、それをもとにすればより詳しい土壌の性質が判断できるようになるのです。植生が異なると、波長と反射率の関係は異なります。同様に、土地の塩化の度合いが異なると、波長と反射率の関係も異なります。
 
ですから、土地ごとに波長と反射率の関係をグラフに表していくことにより、その土地の塩化がどれくらい進んでいるか、その強弱について推測することができます。リモートセンシングによって得られる情報をもとに、土地の塩化の度合いを年度別に色の濃淡で表し、塩化の進行状況を視覚化していくその試みも興味深いものでした。


アルタウィール氏の研究の中心は、リモートセンシングを通して得られた結果を基礎として、イラクの社会と環境に対するシミュレーションを行うことにより、土壌の塩化の動態(ダイナミクス)を説明することにあります。第二部では、そのシミュレーションの具体的なプロセスについての紹介がありました。土壌の塩化は、さまざまな社会的・環境的要因によって引き起こされる複雑な問題であることを認識したうえで、シミュレーションのために使用可能な様々なデータを収集する必要があります。そのようなデータの多種多様な項目についても知ることができました。シミュレーションでは、灌漑によって水を農地に引き込むことによって生じる塩分、地表の塩分と地下から上昇する塩分、そういったものが量的に変化することによって、穀物の収量にどのように影響していくかを探ります。そのために使用したモデルの紹介もありました。シミュレーションは、現代のみならず、過去の土壌の塩化の調査にも応用することができます。その具体例として、1960年代〜70年代にかけての衛星写真を提供するCORONA映像を利用して、ディヤラ川流域(バグダット周辺)の古代の土壌の塩化の状況を探る試みについて話を聞くことができました。先に述べたさまざまな社会的・環境的データをコンピュータにインプットします。そのアウトプットとして地図やグラフや画像が視覚的に提供されます。たとえば、いくつかの古代都市を選定し、それぞれの都市とティグリス川が結ばれる運河のシステム、また衛星から得た標高データをもとに地図を作成します。その地図上に、水の塩分濃度、水はけの良し悪し、耕作の頻度、畑の存続年数などのパラメータを変化させることにより得られた土地の塩化の度合いとその積年的な変化について、視覚情報が表示されていました。別のグラフでは、運河の水量と収穫量との関係、主要な運河システムから農地までの距離の遠近、土地の斜度、土地の水はけの良し悪しなどをもとに、どの地域が塩化に陥りやすいかについての分析がなされていました。大麦の根のレベルでの土壌の塩化の率と穀物の収量との関係も示されました。イラクの場合、沖積層は水はけが最も悪く塩化の影響をうけやすい土壌であり、従って穀物の収量は小さくなるようです。一方で、ティグリス川に近い堤防や土手の層は、水の動きがあるために水はけも良く、穀物の収量も比較的大きいものとなります。このようなシミュレーションが、現代のみならず古代の社会と環境の研究に応用可能であるということを知ったことはとても有益でした。


最後に、アルタウィール氏は、我々の研究(粘土板組成分析および珪藻分析)に適当なイラク南部出土粘土板が豊富に存在する場所としてスレイマニヤ博物館に関する情報を提供してくださいました。博物館があるスレイマニヤはイラク北東部のクルド人地域の中心都市です。北東部のスレイマニヤになぜ南部出土の粘土板が多くあるのでしょうか。実はスレイマニヤは、イラク南部で盗掘された粘土板を密かに持ち出そうとするときに使われるルート上に位置しています。幸運にも、そのような多くの粘土板が、国外に持ち出される前にいわば危機一髪で押収されて、スレイマニヤに止められているということです。そのほか盗掘品を買い戻したものまで含めて、スレイマニヤ博物館には、イラク南部(ラルサ、ウンマなど)から出土した約6000点ほどの粘土板が所蔵され、整理作業を待っています。現在これほど大量の未公刊の粘土板が存在する場所は他にはありません。イラクの他の地域と比較してスレイマニヤ周辺地域は現在比較的安全です。スレイマニヤ博物館はまだ立ち上げの段階にあり、多くの研究者の協力を必要としています。我々が活動するにも安全性が担保されているし、外国人向けのゲストハウスなども整備されているという情報も得られました。我々の研究に即していえば、それらの粘土板から、壊れた粘土板を見つけ出し、その側面から20~100mgほど土を摂取して、化学的な組成分析および珪藻分析のために役立てることができます。この時点で、アルタウィール氏は、もし我々が現地に赴くことが難しいならば、自分が現地でその作業をすることを引き受けるといってくださったことも付け加えておきます。


講演は一時間余りの時間でしたが、リモートセンシングについてもシミュレーションについても、非常に興味深い情報がそのなかに満ち溢れていて、あっという間に講演時間が過ぎていったのを覚えています。積極的な質疑応答も交わされ、参加者1人1人にとっても有益なときでした。最後になりますが、第三部で、アルタウィール氏が提供してくださったスレイマニヤ博物館の粘土板分析のはなしは、私たちの研究計画において、その後新たなる展開がありました。その経緯については、あらためて渡辺千香子氏の巻頭のことばをご参照頂きたいと思います。


                                               (井 啓介)

     
   サンプル採取訓練の様子

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