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研究活動

ウィーン大学共同研究                      実施:2011年9月21日



 
       ウィーン大学構内
9月のウィーンの日差しは、まだ夏の名残りをとどめながら、朝夕は日本の晩秋を思わせるほどの冷たい空気でした。ウィーン大学オリエント学研究所は、ショッテントア駅から路面電車で2駅目の「アルテス・アーカーハー」(altes AKH: Allgemeine Krankenhaus 「旧公共病院」の意味)と呼ばれるキャンパス内にあります。中央が大きな中庭になっており、それを囲むように建物が連なります。以前に病院として使われていた建物のため、中に入ると天井や窓が高く、どことなく陰鬱で冷たい感じです。現在はキャンパスの中にスーパーや旅行会社やレストランが点在し、一般の人たちも自由に出入りできる一角になっています。


ゼルツ教授は、メソポタミアのシュメール語文献学の世界的権威で、かれこれ20年来の知己です。私たちの研究プロジェクトについても、立ち上げる最初の頃から何かと相談にのってもらいました。今回は、初期王朝時代の文献の中から、特に畑の土壌の塩化に言及するテキストを、共同研究として発表することで合意しました。


古代シュメールの塩害について、メソポタミア学の文献学者たちが盛んに学説を発表した時期(1950年代末〜80年代半ば)の最後に、パウエルという研究者が出ました。彼は従来の「塩害説」に批判的な説を展開しましたが、その根拠のひとつに、初期王朝時代(紀元前3000年頃〜紀元前2350年頃)の文献記録がありました。そこには、塩化した畑にまず水を張り、その後なにかの草を植え、次に麦を栽培したと書かれています。これは古代のシュメール人が、既に「リーチング」の方法を知っていたという根拠になります。そこからパウエルは「古代人は塩害の進行をなすすべもなく放置し、シュメール文明の没落を招いた」とするいわゆる「メソポタミア文明塩害滅亡論」に異議を唱えました。


実は、パウエルが引用した文献は、当時、彼と書簡の交換をしてい
 
たゼルツ教授が教えてあげた未刊行の文献だったのです。普通ならば、脚注にゼルツ教授への謝意のひとつもあってしかるべきなのですが、残念なことに、何の言及もありません。パウエルは90年代のある日突然、それまでの研究をやめ、蔵書をすべて売り払って、引退してしまったとのことです。ゼルツ教授の話では、塩害に関する同種のテキストがまだいくつか存在するとのことですが、それらの刊行は今日に至るまで行われていません。私たちは研究の第一歩として、まずこれらの文献を翻訳して出版することで合意しました。

                                                    (渡辺千香子)

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