研究活動
エルビル国際会議 実施:2011年10月31日〜11月2日
会議は、10月31日から11月2日の3日間にわたって、イラク・クルド自治区の首都エルビルにあるサラハッディン大学を会場として開催されました。会議の趣旨は、近年のイラク国内で行われている考古学の研究やプロジェクトについて、国際的に共有する場を設けようというものです。私のもとには2〜3週間前に会議の招聘状が届き、それをもってイラク大使館にビザの申請をしました。ビザを申請するのにHIV(エイズ)の検査を受けなければならないことには驚きました。今回の会議では日本からの参加者は私だけでしたが、事前に国士舘大学の先生方から貴重なご助言を頂戴しました。国士舘大学はイラクにおける考古調査を長年にわたって行ってきた実績があり、日本人の目を通したイラクの事情を教えてもらえたことは非常に有り難かったです。
会議を主催したのは、1)イラク考古総局、2)サラハッディン大学、3)フランス中近東研究所の3者です。3日間の会議は全体で14のセッションに分けられ、現在イラクで展開されている発掘やプロジェクト、これから開始されるプロジェクトの企画などについて、興味深い発表が行われました。既に、ドイツ・フランス・イタリア・アメリカなどから研究者が続々とイラク入りして考古調査が行われています。その大部分は、治安の良いクルド自治区での調査です。唯一、ダゴスティーノ教授率いるイタリア隊だけが、イラク南部での発掘を予定しており、年明け1月から本格的にナシリヤ市南西に位置する遺跡アブ・トゥベイラ(古代名ガイシュ)の調査を開始するとのことでした。会議の詳しい内容については、『オリエント』誌に学界動向として報告書を投稿する予定でいます。
エルビルの空港は、迎えの人やタクシーなどを含めて搭乗者以外は空港敷地のチェックポイント地点から入れないような仕組みになっていました。空港のチェックインに行き着くまで、チェックポイントと空港入り口など2〜3箇所でセキュリティチェックがあります。以前ロシアに行った時も、テロ対策から空港で非常に厳重な保安検査を行っていたのを思い出しました。サンクトペテルブルクから出国する時は、とにかく空港の建物の中に入るまでが大変でした。この点、エルビルの空港では、渡航者以外の人を空港の敷地内に入れない手段で対応しており、たいへん快適でした。外務省の海外安全ホームページに、イラクへ渡航する者は滞在日数や場所を報告するよう注意書きがありましたので、出発前日に外務省領事局海外邦人安全課に滞在先や滞在期間・携帯の電話番号を報告していきました。その際、電話で対応された方に「エルビル市は比較的安全な方だが、ひとりで遠出をしないように」と注意されました。またエルビルに到着した翌日には、バグダッドの日本領事から私の携帯電話に連絡があり、何かあればいつでも連絡するようにと親切な申し出を受けました。
クルド自治区は、同じイラクでもイラク戦争の影響をほとんど受けなかったという事実をはじめて知りました。サダム・フセインの時代に、クルド人は毒ガスを使って虐殺されるなど、痛ましい迫害の歴史があります。イラク戦争後も、クルド系イラク人とアラブ系イラク人の間には、微妙な緊張関係が続いています。クルド自治区では、街の各所に警察が見張りに立ち、また制服姿の警官以上に私服警官が多く潜んでいるとのことで、誰もがテロに対する万全の備えと「安全性」を強調していました。はじめは少し怖くて、ホテルから一人で出歩けずにいましたが、最終日には欲が出て、一人でバザーを見に行くといったところ、やはり心配だったのでしょうか。急いで学生たちに連絡を取り、サラハッディン大学の学生ひとりをガイドに付けてくれました。道路には、トヨタやニッサンのランドクルーザーなど、がっしりした造りの日本車があふれています。ガイドの学生さんの話によれば、真夏の60度近いイラクの気温に耐えられるのは、やはり日本車(特にトヨタ)に限るのだそうです。エルビルでは、街の至る所に大きな建物が建設中で、クルド自治区の経済の盛況のほどがうかがわれました。一日も早く、イラク全体が平和で安全になってほしいと願います。
会場となったサラハッディン大学 | 織物博物館で演奏された クルド民族音楽 |
エルビルの要塞外壁 |
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