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研究活動

ウィーン大学共同研究                 実施:2012年8月8日〜8月13日



 

 
ハプスブルク帝国の栄華の面影が色濃く残るウィーン旧市街。スコットランド教会の修道院併設の宿に宿泊した私は,地下鉄(U2)のショッテントア駅で渡辺千香子氏と合流し,ウィーン西駅(West Bahnhof)に向かいます。そこから近郊電車に乗って30分ほど揺られると,アイヒグラーベン(Eichgraben)という小さな郊外の町に着きます。ウィーンの森のなかにあるこの美しい町に,ゲッパート・ゼルツ教授(ウィーン大学オリエント学研究所)のご自宅があります。ウィーンの森が窓の外に広がるその書斎において,昨年の8月に文献調査のミーティングが行われました。駅では,毎朝ゼルツ教授が車で私たちを迎えてくださり,短いドライブのあと,お宅のリビングでの珈琲タイム。その後,共同研究の長い一日が始まります。
私たちの文献研究の出発点は,「シュメール文明塩害滅亡論」に異議を唱えたパウエルという研究者の議論を再検討するところにあります。これは本ニュースレター第二号掲載の渡辺千香子氏による「ウィーン大学共同研究」という記事のなかですでに指摘されているところです。シュメール人たちは耕地の塩化に対して本当になすすべもなく放置し,その結果耕地を捨て去り,新たに開拓せざるを得なくなったのか。また,小麦から大麦へと作付が変化したのは,本当に塩化に対応したものだったのか。こういったことを疑問点として提示したパウエルの議論。われわれはやはりそこに一度真剣に向き合うところから始めてみよう。そのような雰囲気で研究ミーティングは進んでいきました。
シュメール語で「塩」を意味する単語はmun,「耕作地」はgana2です。紀元前3千年紀のシュメールの粘土板文書には,「塩の畑(gana2 ki-mun)」という表現が良く登場します。また年代が下るに従って,「小麦の耕作地(gana2 gig)」が減少し,「大麦の耕作地(gana2 še)」が支配的になるということも多くの農業関連の文書が証言するところです。
DP573という丸みを帯びた方形のテキストは,都市国家ラガシュの王ウルカギナの時代(ルガル第一年)のもので,大小様々な土地に植えられた穀物とその耕作面積とが記録されています。そこには,大麦や野菜などが植え付けられていることがわかるのですが,塩化した土地や,雑草が生い茂り休耕状態に置かれた土地なども検地されたとの記録があります。このテキストに,VAT4625というゼルツ教授が注目する他のテキストの記録とあわせて考えると,以下のような状況が見えてきます。塩害を受けた畑(gana2 ki-mun)に,水を張り(ambar a-de2-a),一定期間水に浸した状態(gana2 ambar-ki)にし,一旦雑草地(gana2 giš-dag-bar)にしたうえで,次年度以降の耕作に備えるというのです。これはまさに「リーチング」という手法ではないでしょうか。
では,リーチングがどのような規模でどのくらい広汎な領域で実行されていたのか。運河や水路はリーチングとどのように関係しているのか。このためにもリーチングに関連すると思われるターミノロジーをもう少し詳細に検討してみよう。以上のことを,次回の文献ミーティングで検討することを約束し,またそれまでの個別の課題も割り当てたうえで,ウィーンでの共同研究は幕を閉じました。

                                           (井啓介)

    「DP573」(粘土板)前24世紀中頃/ギルス出土


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