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研究活動

第二回 スレイマニヤ調査      期間:2014年2月20日〜28日



渡辺千香子先生が研究代表者をつとめる科研費研究の調査に誘われて、初めてイラク国スレイマニヤ自治区を訪ねる機会を得た。スレイマニヤ考古博物館に収蔵されている粘土板のその場XRF分析を行うこと、実験室での分析用試料を採取すること、粘土板胎土から古環境や原産地を推定するための基礎資料として河川堆積物・水質指標試料を採取することが目的である。粘土板と堆積物の化学分析を担当されていた早稲田大学の内田先生が今回は参加できないとのことで、その交代要員として河川堆積物・水質にかかわる野外調査を担当することになったのである。今回の調査の参加者は渡辺さんのほかに、国士舘大学の小泉龍人さん、ロンドン大学のマーク・アルタウィールさんとアンケ・マーシュさんである。

2月20日、成田空港のロビーで国士舘大学の小泉さんと落ち合い、お昼頃の飛行機で出発。隊長の渡辺さんは、ロンドン大学の共同研究者と一緒に行動しており、スレイマニヤで落ち合う予定である。イスタンブール経由で21日朝4時頃にスレイマニヤに到着する。入国審査も問題なくすませると、到着ゲート前でスレイマニヤ考古局の責任者カマル・ラシード・ラヒームさんが運転手と一緒に待っていてくれる。そのまま博物館にほど近いヤディ・ホテルに入る。

2月21日、起き出してシャワーを浴びるが、水槽の脇のスイッチを入れて沸かしたお湯でシャワーを浴びるタイプでだんだん冷たくなっていく。11時頃にロビーで全員がそろう。UCL(ロンドン大学)のマークさんとアンケさんもいる。2時頃に博物館にカマルさんを訪ね、明日からの打ち合わせ。スレイマニヤ博物館(Slemani Museum of Antiquities)の館長、ハシム・ハマ・アブドゥラさんもくる。夕は市内に整備中というゲストハウスで落ち合って、近くのカバブ屋へ食事にいく。イラク考古総局の前長官であったダメルジさん、ミュンヘンの女性研究者のシモーネさんもいる。一番いいカバブはクルドのものだ、というカバブ屋へ。素気ない店構えだが、確かにうまい。考古局の人は、むかし訪ねた日本のこと、景気のよかった時代の羽振りの良さなどを話してくれた。懐かし
き野放図な時代の話である。9時頃に運転手を呼び、ホテルまで送ってくれる。すばらしい威勢である。

   


2月22日、10時頃に博物館に向けて歩く。渡辺さんとマークさんがカマルさんと打ち合わせをしている間に、堆積物班(小泉さん、アンケさん、安間)は今日中にマワトまでいった方がよい、ということになる。不測に備えて調査道具も持ってきていたので、そのままフィールドへ出る。町の北の山を横断するトンネルを通ってマワト川にでて、北西に流下する川に沿って進む。適当なところで川縁に出てpHと電気伝導度を測り、珪藻、Mn-coating(マンガン・コーティング)、帯磁率異方性や水質分析用の試料を採取する。マワトをこえてイラン国境から流れてくる川との合流点を目指す。石灰岩地帯に入っているせいか、次第にアルカリ度が増してくる。合流点への道がつぶれているので、15分くらい歩く。イランから流れてくる川側で一連の試料採取。両方からで河床の堆積物(砂)を採取する。帰りがけになって、昼ご飯を食べていないことに気がついた。こちらは夢中になっていたからよいが、運転手さんや案内者に悪いことをしてしまった。晩ご飯のレストランでワインを頼む。スレイマニヤ大学のナバズ・アジズさんとユシフ・モハメドさんがやってくる。ユシフさんは4年間日本にいて学位を取った人である。26日に一緒にフィールドに出ることにする。

2月23日、8時20分に博物館へ行く。渡辺さんは試料選定、小泉さんは形状測定、マークさんはpXRF(携帯型蛍光X線)分析、アンケさんは記載と記録、安間は写真撮影と分担を決めて早速作業を始める。作業は順調に進み11時半頃に準備してあった試料の計測が終わる。ロンドン訪問中の収蔵物責任者のファルークさんに新たに計測する粘土板の産地について渡辺さんがskypeで問い合わせ、サンプリングの許可を得る。第2セッションはキルクーク南西のヌジの粘土板で、わりと白っぽくみえる。ハシムさんが昼食にハンバーガーを買ってきてくれたのを、博物館の庭で食べさせてもらう。第3セッションはコーン。表面の白いものも中は赤い。断面の写真も一通り撮る。あり合わせの顕微鏡写真も、思ったよりうまくとれているようだ。今日だけで50以上のXRF測定を終えた。晩ご飯はホテルに近いピザ屋へ。イチゴのミルクセーキが絶品である。頼んだ鯉は小骨が多かったが、なかなかうまい。食後にサンプリング・ストラテジーについて話し合う。
 
2月24日、今日はフィールドワークである。8時20分に博物館で待ち合わせ、車を連ねてペンジュインへ。1台目は博物館のサラフさん、小泉さん、アンケさん、安間、2台目にはマークさん, 渡辺さんと博物館の女性スタッフが2名。途中で博物館員のオスマンさんがパンを持って乗り込んでくる。サイード・サダクを過ぎたところで河
床の堆積物を採取、その後もめぼしいところで車を止めては採水、珪藻・河川堆積物試料を採取する。褶曲した硅質泥岩〜チャートの露頭が圧巻である。ペンジュインでは豆とほうれん草とアプリコットのスープ、ご飯とあわせてとてもおいしい昼食をいただく。午後も幾つかの川で採水、珪藻・河川堆積物・AMS試料採取を行う。博物館のスタッフが埜火でお茶を沸かしてくれて、すこしピクニック気分である。帰りは露頭の写真を撮ったり、いくつかのテペを遠望しながら帰る。小泉さんはヤシン・テペに執着する。新石器からずっと連続的に出ているところだという。ホテルに帰ってまもなくハシムさんが迎えに来て、すぐ裏手のレストラン“Metrography”へ連れて行ってくれる。音楽とワインと、イスマイル・ハヤトの作品の展示会。クリムトのようなイメージの作品だが、とてもおもしろい。地質調査所の研究者に紹介されて少し話す。ハンマーだけが頼りでやっているという。

2月25日、8時半に博物館に行きマークさんがキャリブレーションをしている間に博物館をひとまわりする。アンケさんと昨日採取した珪藻と堆積物のサンプルを乾かすために表の庭に拡げる。午前中はコーンばかり、20ばかり測定、撮影。12時頃からファルークさんとスカイプ会談をすべくばたばたし始めるが、なかなか繋がらない。ファルークさんのスカイプ越しのインストラクションを得ながら、いよいよ懸案の粘土板からの分析用試料の採取を開始。博物館のスタッフが、粘土板を壊さないよう、ピンセットを用いて少しずつ慎重に削っていく。こうして1つの粘土板から数ミリグラムの試料を採取していく。スカイプ越しの狭い場所での作業で、全員で見ていても仕方ないので、小泉さん、サラフさん、オスマンさんと一緒にジャルモ(Charmo)へ行くことに。途中ペイル・ガウラの洞窟を遠望する。ジャルモは“middle of nowhere”である。高校の教科書にも載っていたので感慨深いが、ここを発掘しようと思ったのが不思議である。帰りにカリム・シャヒルによる。これも麦畑の真ん中の遺跡である。川が遙か下の方を流れている。あんなところまで、毎日水をくみに行っていたのだろうか?ホテルに戻ると、カマルさん、ハシムさんほかのスタッフが待っている。カマルさんのご招待で、全員で高級なレストランに。量が多いのに閉口するが、前菜からスープ、メインのスレイマニヤ・カバブ、すべてデコラティブで、すばらしくうまい。渡辺さんに話をきくと、かなり大量に試料採取ができたようで、しまいにはファルークさんも、こいつももっていけ、みたいな感じであったらしい。最初ちびちびやっているのを見たときは、これはだいじょうぶか?とおもったが、さすがである。博物館に行って乾かしていた試料を屋根の下に移動する。ホテルに戻るとヘミン・コイさんがロビーで待っている。この人は現在スウェーデンのウプサラ大学の教授で、博士課程の学生であった頃にたいへん世話になった人である。再会を喜び、明日の調査の打ち合わせをする。

2月26日、本日は別行動である。朝食をとっているとナバスさんとユシフさんが現れ、810出発。途中でヘミンさんをひろう。マワトの東の谷から山へ入る。露頭はよいが、オフィオライトの層序的にかなり問題点がありそうだ。ペリドタイトやハルツバガイトはあまり変形していないが、ガブロには線構造が発達している。枕状溶岩は、かなり変形を受けているうえ変質が激しいが、逆転はしていないようである。これらがシーケンスとして完全にオーバーターンしているとは思えない。3時過ぎにホテルに帰るとマークさんたちに会う。まだ博物館で仕事をしている、ということで手伝いに行く。5時頃に写真を撮りおわり、リストを作り終える。食事は博物館から降りたところのイタリア料理屋へ行く。ものすごい量のアラビアータを食す。唐辛子が利いている。

2月27日、今日はマークさんに誘われてスレイマニヤ大学の地質学教室を訪ねる。マークさんが講演をする予定であったのにあわせて、ユシフさんにセミナーを頼まれたのである。マークさんは洞窟でやっている環境変動計測の話を、わたしは海嶺沈み込みによってできるオフィオライトの見分け方、について話す。ちょうどお昼時で、考古学・地質学混合のセミナーであったが、とても熱心に聞いてもらい、鋭い質問もいくつかいただいた。講演者と地質学教室の皆さんと大学の倶楽部で遅めの食事をする。おかげで、博物館のスタッフが用意してくれたごちそうを食べ損なってしまった。

今日は最終日である。打ち上げの晩ご飯は博物館のスタッフを誘ってピザレストランへ。みんな来てくれる。お世話になった方たちみんなに別れを言い、ホテルに帰って精算を済ませる。1時頃に支度をしてロビーへ。渡辺さんに別れを言い、ハシムさんに送ってもらって小泉さんと空港へ。空港はもちろん、どこでも警戒は厳重で、どこの町の入り口にもカラシニコフを構えた民兵が警戒しているが、クルドの人たちはこれで安全に感じているらしい。彼らがくぐってきた運命の過酷さを思う。

現地では到着した初手から、スレイマニヤ考古局のカマル・ラシード・ラヒーム局長、スレイマニヤ考古博物館ハシム・ハマ・アブドゥラ館長に、たいへんにお世話になった。補助をしていただいた考古局と博物館のスタッフの皆様方に厚くお礼いたします。  (安間了)