パーソナル・コンピュータ産業の経済分析 マルチメディア産業の発展のために (補論) ★★★基礎事項の解説★★★ 鬼木 甫 [.パーソナル・コンピュータの構造と機能 A.まえがき  これまで2回にわたって、日・米のパソコン産業を比較してきた。本「補論」では、本文の理解を容易にするため、パソコンの構造や機能について、簡単に解説する。  多くのユーザにとって、パソコン・ハードウェアはまとまった単体であり、ソフトウェア(プログラム)をこれに付け加えればさまざまの仕事に使用できる。しかしながら、前号第Y節で述べたように、パソコンは、ハードウェアもソフトウェアも「部品の連合体」であり、まとまった単一の製品ではない。それぞれの部品メーカーは、部品間のインターフェースや知的財産権による保護に制約され、またそれを利用しながら、パソコンというシステムの中ですぐれた製品を供給しようと努力している。すなわち、パソコンは多数の部品が機械的、論理的、また階層構造的に組み合わされて機能するシステムであり、パソコン産業を経済的、制度的、法律的な側面から考察するときには、システム構成要素の相互関連が重要である。  通常の経済分析においては、多数の部品から構成される製品でもこれを一括して取り扱うだけで済み、本補論に述べるような製品の内部構造に関する知識は必要とならない。しかし、前号までの説明で明らかになったように、パソコン産業の場合には、製品の構成や部品間の関連を知らなければ、産業構造や企業間競争の分析はできない。(電気通信、LANなどのネットワーク産業についても同じである。)本補論においては、本文の議論に必要な限りにおいて、パソコンの内部構成やそれぞれの構成要素の相互関連を解説する。パソコンの構成や機能について漠然とした知識だけを持っておられる読者は、本補論によって、本文の議論をより正確に理解されるよう希望する。 B.ハードウェアの「水平」構造 1.内部装置と外部装置――パソコン内部における情報移動  図11は、パソコン・ハードウェアの主要な構成要素を分解して平面上に置き並べてみたものである。図の中央の水平点線から上の部分、すなわちCPU、メモリ、レジスタ、BIOSの入ったROM、そしてこれらを接続するバスは内部装置と呼ばれ、通常パソコンの箱(パソコン本体)の中に入っている。これに対し、点線より下に描かれた要素は周辺機器と呼ばれ、本体の外側にある(HDDやFDDは箱の内部に入っていることもある)。  パソコンの仕事とは、CPUが決められた手順にしたがってメモリ中に準備された命令をレジスタに入れて実行することである。1つの命令の実行とは、その命令の手順にしたがって、同じくメモリに保存されているデータをレジスタ上で加工することである。また、CPUはメモリとの間の命令・データの授受を一時中止し、周辺機器との間でデータを移動させることがある。このような命令実行が多数回高速に繰り返されてパソコン全体の仕事が進行する。図11に示されているように、CPUとメモリ・周辺機器との間の命令・データの移動は、「バス」と呼ばれるパソコン内部の「情報伝達ハイウェイ」を通じておこなわれる。(乗物のバスと同じく、大量のデータを一度に運ぶことができる情報の通路である。)  パソコンの仕事がたとえば文書作成であるときには、まずHDDあるいはFDDからワードプロセッサー・プログラムをメモリに読み込み、次に読み込んだプログラムから前述のように命令を1つ1つレジスタに取り出して作業をおこなう。途中でキーボードから文字が打ち込まれれば、それをまずメモリの指示された位置に保存し、同時にディスプレーに表示する。この種の作業を多数回くり返して文書の作成・編集という仕事が進行する。最後に、メモリ中の文書をHDDあるいはFDDに保存して作業が完了する。 2.BIOSとバス  図11が示すように、「バス」は内部装置間の情報の通路である。本体と周辺機器とのデータの移動においては、BIOS(基本入出力システム)というプログラムにしたがい、内部装置と周辺機器の間でデータが受け渡される。したがって、周辺機器を接続するためのバス(入出力ポートを含む)と、バスを通るデータを制御するBIOSは、いわばパソコン中の情報交通の要所に位置しており、情報移動の急所を押さえている。 C.ハードウェア・ソフトウェアの全体構造  次に図12は、ハードウェア・ソフトウェアの双方にわたるパーソナル・コンピュータの構成要素を、図11よりも機能本位に(論理的に)並べたものである。パソコンの仕事は、ハードウェアがソフトウェアの指示にしたがうことによって進行する。図12では、作業の実際の担当者であるハードウェアが最下層に並べられている。このうち右側の2つ、すなわちCPUとメモリは、前述のように内部装置であり、左側は周辺機器である。これらのハードウェアは、図11で説明したように、バス・レジスタを通してデータを移動させる。周辺機器の場合には、BIOSによってデータ移動が制御されている。  ハードウェアの上部には、2層のソフトウェア、すなわちオペレーティング・システム(OS)と、アプリケーション・プログラム(AP)が示されている。OSもAPもそれぞれプログラムであり、物理的な製品ではない。これらは、実際にはメモリ中に電気的に記憶され、あるいはHDDやFDDなどの記憶装置に磁気記号として記憶される。ハードウェアは記憶装置に蓄えられているOSやAPの命令を読み出し、その指示にしたがって仕事をおこなうので、ハードウェアはあたかもOSやAPに従属し、その命令の下に働いているように見える。図12の上下関係は、この事実を強調したものである。 D.オペレーティング・システム(OS)  ソフトウェアは、OSとAPの2層に分かれる。まず、OSはハードウェアと直接に信号の授受をおこない、ハードウェアを制御する。ただし、周辺機器については、それぞれの機器の個性が強いので、BIOSの指示にしたがってデータ入出力を実行する。このようにOSは、一方では内部装置および周辺機器というハードウェアを制御するが、他方においては、その上部に位置するアプリケーション・プログラム(AP)の制御を受ける。すなわち、OSはAPの注文通りにハードウェアを動かすという仕事を担当する。この場合OSは、どのAPについても同一の仕方で仕事の注文(命令)を受け、かつハードウェアの仕事の結果や現状について同一の方式でAPに情報を返す。すなわちOSは、APに対し、標準化されたインターフェースをもって情報授受をおこなうのである。OSの役割は、(メーカーや製造年月によって)異なるハードウェアの特性を理解し、それらの差異を自己の中に吸収して、アプリケーション・プログラム(AP)に対してハードウェアの個性を見せず、APが標準化された約束のもとに情報授受をおこなうことを可能にする(すなわち、ハードウェア制御という面倒な仕事を肩代わりする)ことである。このように、パソコンの仕事はすべてOSを通して実行されるので、OSも(バス・BIOSと同様に)情報処理の急所を押さえている。 E.アプリケーション・プログラム  アプリケーション・プログラム(AP)は、パソコン上で仕事の目的に応じて具体的な作業を指令する。パソコンは情報処理のための汎用機器であるから、情報(文字や数字、図形やその他の概念など)を取り扱う仕事は、原則としてすべてパソコン上で実行することができる。それぞれの仕事の目的と手順に応じてAPが作られている。実際にわれわれは多種類の仕事を必要とするので、APの種類もそれに応じて多様である。また、同一種類の仕事(たとえば文書作成)についてもさまざまな工夫の余地があり、APの生産者(ソフトハウス)は、自己のアイディアを十分に使って優れたAPを供給するように努めている。  前述のように、実際に仕事を担当するハードウェアはすべてOSが面倒を見てくれるので、APの側では、ハードウェア制御に関することは一切忘れていてもよい。APの作成者は、OSに対して、たとえば「キーボードから打ち込まれた文字をメモリに移し、同時にディスプレーに表示せよ」「メモリ中の一連のデータ(たとえばひとまとまりの文章)をHDDに移動して保存せよ」などと命令することができる。オペレーティング・システムがハードウェアとAPの間に介在することにより、APの作成という仕事から、本来の仕事の内容に関係のないハードウェア固有の面倒な作業を省略することができるのである。  一般に、複雑に搦み合ったシステムを仕事の手順にしたがって論理的な構成要因に分離し、それぞれの要因に固有の仕事と、要因間の相互関連(インターフェース)に関する仕事を明確に分離して全体の能率を上げる仕方を「モジュール化」と呼ぶ。モジュール化はAPだけでなく、ハードウェアのメーカーにも利益をもたらす。たとえば、キーボードのメーカーは、実際にAPからどのような命令が来るかを一切考えることなく、BIOSから与えられる指示を実行する製品を作ればよい。パソコン全体の仕事のことは忘れて、BIOSの命令を忠実に実行し、使い勝手のよい、故障の起きないキーボードの生産に専念することができるのである。すなわち、モジュール化は、「分業の利益」を複雑なシステムについて実現するための手段である。 F.「パソコン産業を制するにはBIOSとバスを制せよ(?)」  図12を全体として見れば、最下段に並んでいるハードウェアと、最上段に並んでいる各種のAPが、OS、バス、BIOSによって結合されていることが分かる。したがって、パソコンの生産(ハードウェアとソフトウェアを含む)とその使用については、OS、バス、BIOSが決定的な重要性を持つことになる。またCPUはパソコンの頭脳部分であり、パソコンの仕事にとって最も大切である。すなわち、OS、バス、BIOS、CPUは、パソコンの仕様の決定要因である。これらの要素の仕様は、それぞれ知的財産権によって保護されている。  本文で説明したように、パソコン産業の発展過程において、CPUとOSについては、それぞれインテルとマイクロソフトの独占供給体制が成立し、この体制自体への挑戦はほとんどなされなかった。これに対し、BIOSとバス様式の設定は、CPUやOSの新規設計よりもはるかに低いコストで実行できるので、パソコン仕様の主導権(パソコンに不可欠の要素について標準仕様を確立し、同時にこれについて自己の知的財産権を設定すること)をめぐる争いは、本文で述べたようにBIOSとバスについておこなわれたのである。 「パーソナル・コンピュータ産業の経済分析――マルチメディア産業の発展のために」補論(基礎事項の解説)、『経済セミナー』、No.474、1994年7月、pp.34-36(一部改訂:1998年12月)。