阪神大震災を振り返る ――電話「エクスプレス・サービス」導入を 鬼木 甫(中京大学経済学部教授)  1月17日早暁の阪神大震災後、早くも2カ月余が過ぎた。大震災の中で起きたことと現在までの状況について、多くの人が語り、批判と注文を述べ、将来への方策を提案している。ここでは、筆者の専門である「情報通信の経済分析」の立場から、情報通信ネットワークの危機管理について1つの提案を申し述べたい。  災害時の情報通信ネットワークの重要性については、改めて述べるまでもない。阪神大震災時の経験については、すでに多くのレポートがある。災害時の情報通信では、下記の4機能を区別することができる。(1)災害直後から警察・消防・救急・医療などの諸機関が活動するために必要な情報伝達、(2)被災者の救護・生活維持のための情報伝達・広報、(3)被災地域の情報の外部への伝達・広報、(4)被災地域と外部との個別的な連絡・情報交換。前3者についてはすでに議論されているので、ここでは(4)について考えよう。  災害時の個々の連絡手段は電話であり、今回は震災後から数日間、電話が麻痺した。多くの交換機・回線が被災した上に、全国・全世界から被災地向けのコールが殺到したため、生き残った交換機・回線もパンク状態になり、被災地内および被災地と外部との通信の大部分が途絶状態になった。実際には、発信者(番号)と宛先地域による規制がかけられた。警察・消防等の公共目的の電話および公衆電話からの発信を優先し、一般の住宅用・事業用電話から被災地向けの発信の大部分を接続しない措置がとられたのである。  多くの人が、この結果に強い不満を表明している。しかしNTT、NCCなどの事業者は、仮にすべての回線・交換機が震災後に生き残って稼働を続けたとしても、多数のユーザが同時に電話をかければ接続は不可能となり、話中音あるいはテープ録音を流して対応するしか方策はないと答えている。この問題に対する解決策はまだ提示されていないようである。  筆者は1つの解決策として、(郵便や列車便と同じく)電話にも、急行・特急・超特急などの「エクスプレス・サービス」を導入することを提案したい。たとえば震災時に、被災したかもしれない肉親の安否を外部から確かめるため、普通の電話でつながらなければ、これらエクスプレス扱いでダイヤルする。国際電話のように00XXを余分にダイヤルしてもよいし、また契約によって、話中のときは自動的に急行扱いになり、それでもビジーであれば特急・超特急扱いになるよう設定してもよい。エクスプレス通話料金は5倍、10倍、100倍と高くなるが、一般通話よりも優先して相手につながる。そこでたとえば10秒間だけ通話して肉親の安否を確かめ、幸いに生き延びて避難所にいることがわかれば、最大の心配は消えて、次の手を打つことができる。通話料金が高いから、エクスプレスでの長話は避け、必要最小限の情報をやりとりして電話を切る。したがって、混雑も軽減され、より多くの人が災害直後に電話で連絡をとることができる。緊急度が少し低い通話、たとえば家族でなく遠い親戚とか、小学校の同窓生の安否を知りたい場合には、災害直後の混雑が終わってから、超特急でなく急行料金で電話をかけることになる。  現在のシステムでは、急用も不急コールも一律扱いだから、何としても電話をかけたいユーザは、何十回・何百回とダイヤルを繰り返すことになる。最近の電話機についているリダイヤル機能を使えば、ボタン1つで何度でも手軽にダイヤルできる。ところがこの無駄なダイヤルの繰り返しがさらに交換機を輻輳させる。たまたま電話がつながったラッキーな人は、チャンスを逃してなるものかと長時間話し続け、電話の輻輳を増加させる。ユーザ同士の足の引っ張り合いである。これらのことから考えれば、エクスプレス扱いの必要は明らかであろう。また緊急時に限って「一般のコールよりつながりやすいが、つながってもたとえば20秒で切れてしまうサービス」を導入することも考えられる。  「エクスプレス・サービス」導入の提案に対する最も強い反論は、「それはNTTやNCCなどの事業者が、災害時の混乱に乗じて増収を図る手助けになるだけではないのか」であろう。これに対しては、「災害後、一定期間内のエクスプレス増収分は、何カ月か後に、すべて料金割引分として、事業者からユーザに返還する」ように決めればよい。また別の反論としては、「この方策は電話連絡を最も必要とする被災者から高額のエクスプレス料金を取り立てるものであり、非人間的な方策である」であろう。これに対しては、「被災者の電話料金は、エクスプレス分を含め、事後的に10分の1、50分の1に減免する」措置をとればよい。事実、阪神大震災では、NTTは無料公衆電話の提供、被災地電話料金の減免をおこなっている。  さらに「緊急時のエクスプレス・ダイヤルはわずらわしい。自動的にエクスプレスになるようにしても、果たして何倍の料金をとられるのかわからなくて不安である」との意見もあり得る。これに対しては、「エクスプレス扱いになる場合にはメッセージを出すとか、急行であれば『1』、特急であれば『2』のように、ユーザがダイヤルを返した後にエクスプレスにする」方策が考えられる。  このように緊急時の通話サービスと料金に差別をつけるのは、一見、弱みにつけこむ商策、あるいは「物事を金銭づくで解決する低級なやり方」に思えるかもしれないが、それは誤りである。エクスプレス・サービスは、社会全体の緊急な情報交換と、後回しにできる不急の情報交換とを区別し、災害直後の限られた回線・交換機の能力を最も有効に活用する方策である。現システムと比べ、よりインテリジェントなサービス、賢い電話サービスであると言ってもよい。それはまた、経済学既習の読者が知っておられる「アダム・スミスの見えざる神の手」の1つの応用例である。  郵便・列車・航空機などでは、早くから緩急のサービスを区別し、ユーザのニーズに合わせてきた。また技術的には、NTTのユーザ交換機が1997年度中にすべてディジタル化(コンピュータ化)され、希望するユーザにエクスプレス・サービスを提供する条件が整う。平時でも、有名イベントや人気チケットの売り出し時など電話輻輳の機会は少くないので、エクスプレス・サービス導入の意味がある。また、混雑時とは逆に、交換機・回線が空いている(つまり資源が遊休化して無駄に捨てられている)場合のために、「逆エクスプレス(鈍行)・サービス」を導入することも考えられる。これは、航空機でのスタンバイ割引に当たる。遊休資源を活用してユーザが安いコストでたっぷり電話をかける機会を提供し、同時に事業者の増収をはかることができるのである。さらに、これらのサービスの導入は、長期的に交換機・回線の使用効率を高め、ユーザ負担の軽減、事業者利益の増大という「双方一両得」の望ましい結果を生み出すことが予想される。事業者による早い機会の検討を希望したい。  次に第二の提案は、震災地域の経済措置に関する国全体の問題である。まず阪神大震災の「経済的意味」をまとめておく。今回のような震災は、何百年あるいは何千年に1回日本の特定地域を突発的に襲う災害であり、これに対して充分な安全措置を講ずることはほとんど不可能に近い。近くは雲仙岳の噴火や、北海道釧路の地震などがあるが、どれだけの規模でどれだけの強さで起きるかがまったく余地できないからである。地球の内部は摂氏何千度の灼熱した火の玉であり、地球をリンゴとすれば、われわれはその皮よりも薄い地面に住んで、地球内部の巨大なエネルギーのほんの少しの上下に生活を左右される状態にある。近い将来に南関東で阪神大震災を大幅に上回る直下型地震が生じ、首都の半分を壊滅させるかもしれず、あるいは富士山が大規模噴火を起こして東西の交通を長期にわたって途絶させるかもしれない。あるいはそのような事態は今後何千年、何万年もの間起きないのかもしれない。住居やビルディングの構造を強化し、高速道路や新幹線の支柱に鉄板を巻くことによって、災害の程度を「平均的に」減少させることはできても、ゼロにすることはできない。早い話が、新幹線の高架線が地震に耐えたとしても、そのとき時速200qで「のぞみ」が走っていれば、たちまち振動によって脱線し、そのまま高架線から落下するとか、住宅地域につっこむとかのことが生ずるかもしれない。われわれがほぼ確実に言えることは、この程度の規模の大震災は、日本全国で何十年に1度、比較的限られた地域で起き、特定の地域だけを考えれば、何百年、何千年に1度以上は起きないということである。これが、自然災害とくに地震に対してわれわれが置かれている状況である。  しかし、いったん災害が起きれば、災害地域に「たまたま」住んでいた人、会社などは極端に被害を被る。生命を失った方はもはや取り返しがつかないが、生き延びることができた住民の今後3年、5年、10年の生活は、どのようになるのであろうか。現在のわれわれの社会体制は、「阪神大震災のような状況を想定した制度が作られていないため、なし崩しに、震災による被害は被害者当人が負担し、一定額以上の援助は与えられない」ということになっている。ボランティアが多数活動したことが、報ぜられているが、それもしょせん一時的、部分的な助けに過ぎない。義援金が100億円以上集まったと言われているが、これを仮に被災者50万人で頭割りにすると、1人あたり2万円に過ぎない。受けた被害に比べれば、雀の涙、焼け石に水である。極論すれば、ボランティア活動や義援金出捐は、震災によって生じた極端な不公平、他人の不幸に対する心の痛みを少しでも和らげるための自己満足、ごまかしに過ぎないとすることもできる。関西地区の新聞は、毎日のように震災地域の記事を載せ、被災者への同情の念を表明しているが、それもしょせんリップサービス、文字サービスに過ぎない。被災者の受けた損害はそれでは部分的にも償えないのである。  このような考察から筆者は、下記のような提案をしたい。すなわち「阪神大震災のように、たまたま神戸市とその近辺という地域に居住していたために受けた災害に対しては、これを国民全体で負担するある種の保険システムによってカバーし、被災者が投げ込まれた極端な不公平状態を解消する。そのために国民全体が平均して相当額を負担する。」短く言えば、「国民全体による地震保険」である。  保険と言えば、今回の震災に対する火災保険、地震保険の補償がきわめて少額であることに対する不満が聞かれる。もちろんそれは保険契約通りであるが、阪神大震災のように極端な経済的(その他の損害は別にしても)を受けた場合に、それを補償する保険制度がわが国に(おそらく世界のどこにも)ないということに不合理感を抱く人は多いのではないであろうか。しかし、経済専門家から言えば、これは無理な注文である。地震による被害は、その程度も規模も(たとえば火災被害と比べて)まったく予想できないので、(対数の法則)にもとづく保険メカニズムはまったく働かないのである。無理に地震保険を作っても、状況によって、保険会社が法外なボロもうけを何年、何十年も続けるか、あるいは破産するか、したがって、地震保険料は支払われないかのいずれかであろう。通常の意味の「損害保険」は、地震という災害に対しては働かないのである。その理由の1つは、保険が災害時の「支払額」を固定しているからである。  筆者が提案する「国家規模の保険」は、上に述べたように、民間の保険メカニズムでカバーできない阪神大震災のような被害を部分的に国民全体の負担によって救済するためのものである。仮にこれを以下の理由で「四分の三補償原則」と呼んでおこう。そのあらましを図によって説明したい。  図1は、最前のわが国経済全体を表示している。横軸は地域を表し、右端の10%が今回の阪神大震災被災地域であるとする。縦軸は、所得水準を表し、被災前の状態を100とする。次に図2は、被災後の状態を示す。全体の90%は無事であったが、10%の被災地域では所得が100から5に激減してしまった状態である。「四分の三補償原則」は図3に示されている。この原則によると、90%の無事地域の人々がある金額を租税として負担し、これを被災地域に補償額として支給する。無事地域の負担額と被災地域の補償額は、補償後の無事地域の所得水準が(被災前の100から減じて)92.8に、また被災地域の所得水準が(被災後の5から補償によって増加して)69.6になるように設定する。すなわち、補償後の被災地域の所得水準が無事地域の四分の三になるように金額を決めるのである。  今回の阪神大震災の被災者の人口比率は、この例の10%よりはるかに低いから、国民全体の負担は100から92.8に下がるのでなく、それよりもはるかに少額の負担で住むはずである。  本提案のポイントは、(通常の損害保険と異なり)補償金額の絶対水準をあらかじめ定めず、無事地域と被災地域の人口比率および被災に程度によって補償額とそのための負担が計算されるようになっいる点である。雲仙や釧路市の地震のように、国全体の経済規模からみてごくわずかの比重の被害であれば、国民全体としてほとんど負担を感じずに、これを補償できる。今回の阪神大震災については、国民全体としておそらく何年間に1回のバケーションを節約する程度で足りるのではないかと考えられる。しかし、将来もし関東大震災を大幅に上回る災害が首都圏で起き、1億2千万人の4分の1の3千万人が財産を失った場合には、われわれの残りの9千万人が給料を2割あるいは3割減らして首都圏を救済することになる。このような形で日本国民全体として相互に助け合うメカニズムを作るべきであるというのが本提案である。  この提案に対しては、多くの疑問が出されるであろう。以下においては1、2の点を述べておきたい。第1に、本提案の基礎となるべき法的根拠はすでに日本国憲法25条「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」にあるということである。当然のことながら、阪神大震災は、被災者が現在の水準では考えられないほど低い健康、文化的な生活に陥れられてしまった。これを救うのは、同25条第2項に規定されているように、憲法が定める国民全体の義務であると言わなければならない。  本提案に関する第2の批判は、図1〜図3に述べるような単純の経済計算は、実際にはほとんど不可能ではないかということである。これに対しては、筆者は、全国に数千人いる経済の専門家(主として大学教員)の能力をご紹介したい。経済の分野では、合理的な経済計算に関する理論がきわめて進歩しており、多くの優秀な若手、中堅の研究者が数学・統計学の手法を駆使して、図1〜図3よりもはるかに複雑・高度な問題を解いている。今回の阪神大震災について、また将来の起こりうる震災について、図1〜図3が示す原理にもとづいて、どの程度の租税を徴収し、それをどのようにして被災者に配分するかのメカニズムを設計するだけの実力をわが国の経済研究者はすでに備えていると筆者は考える。経済学の研究はあまり実際の役に立たないとする批判が多いが、震災補償の合理的計算と計算法の確立とその実施法の設計は、わが国の経済学研究者がチャレンジするべき大切な問題であろうと考える。 図1:被災前 100┌────────┬┐ (所得)│ ││ │ ││ │ ││ │ ││ └────────┴┘ 90%    10%             (地域) 図2:被災後・未保障 100┌────────┬┐ (所得)│ ││ │ ││被災額 │ ││ │ ├┤5 └────────┴┘ 無事地域(90%) 被災地域(10%) 図3:「四分の三」原則による補償後 (補償財源・租税) ┌────────┬┐ 92.8├────────┤│ (所得)│ ├┤69.6(=92.8×0.75) │ ││補償額 │ ├┤5 └────────┴┘ 無事地域(90%) 被災地域(10%) 「阪神大震災を振り返る――電話『エクスプレス・サービス』導入を」『国際経済労働研究Int'lecowk』、No.850、1995年5・6月合併号。