電気通信規制における「レフェリー機能」の必要について(意見本文) NTTにおける研究会 1995年9月14日 鬼木 甫(中京大学経済学部) 1.概要  わが国では1985年の改革以来、電気通信産業発展のために競争が導入されたが、競争の進行と技術進歩にともなって必然的に生ずる事業者間の利害対立を有効に解決するための制度・フレームワークが欠落している。このことは、最近のフレームリレー・VPNのための接続問題に見られたように、新技術・新サービスの導入を遅れさせ、事業者の開発意欲・ビジネス意欲に水を差し、産業全体の発展を阻害している。この問題を解決するには、中立の立場から利害対立を調整する「レフェリー機能」を、何らかの形で導入する必要があると考える。この点に関し、日米比較と必要性、現制度の問題点、「レフェリー機能」の要件、当面の方策などについて意見を述べたい。 2.日米比較  米国FCCは、「規制機能」と「レフェリー機能」の双方を持っている。米国の電気通信事業者は当初から民間株式会社であったから、その利害対立の調整はFCCの主要任務の1つであり、「レフェリー機能」が発達した。最近の米国電気通信産業の発展の原因の1つは、ルールが明示され、「レフェリー機能」が整備されたビジネス環境で、各事業者が十分に力を出していることにあると考えられる。わが国「事業法」においても、レフェリー機能について若干の規定があるが、米国に比較すると整備の程度において大差がある。この点を見るため、末尾の表に規定条文数を比較しておく。 3.必要性  今後において技術進歩により、新しいインフラ、ネットワーク、機器、サービスが開発されると、ネットワーク接続、サービス内容区分(アンバンドリング)、料金、情報開示など、市場競争や当事者間の協議だけでは解決できない多数の利害対立が生ずると予測される。この問題の長期的・根本的な解決策は、産業組織、市場形態、事業区分など経済活動のフレームワーク自体を合理的に整備し、利害対立がなるべく市場競争の中で解決される(公的規制・介入の必要を最小限にとどめる)ようにすることである。しかしながら、産業環境の整備には長期間を要する。当面においてはもちろん、中期的にも「レフェリー機能」が必要である。 4.現制度の問題点  わが国では事業者間の利害対立は、まず当事者の協議による解決に委ね、協議が整わないとき郵政大臣が命令・裁定を下すことになっている(事業法38、39条)。しかしながら、この制度には下記の欠点がある。 a.当事者間の協議に長時間を要するので、協議が成立した場合でも新技術・サービスの実現が遅れる。相対立する利害に関して協議がおこなわれるため、一方あるいは双方の譲歩がなければ協議は成立しない。しかし譲歩は直接に当事者の経済的損失を意味するため受け入れられず、協議が成立しないことが多い。 b.命令・裁定により協定が締結される場合、結論に到るまでの説明、根拠資料等が作成・公開されないため、特定のケースの経験が以後のケースに生かされない(産業全体の共通知識にならない)。当事者以外の事業者は過去のケースの内容が参照できないため、将来において生じ得る利害対立がどのように解決されるかを予測できず、新技術・新サービスの開発リスクが大きくなる。 c.命令・裁定のプロセスで、当事者が自己の立場を詳細に主張するための手続が明確に規定されていないため、「手さぐり」のプロセスになりやすい。そのため、特定の利害対立の解決のためのプロセスが、人間・組織間の対立に拡大し、不必要な緊張感をもって進められがちであり、事実にもとづく判断を妨げる傾向がある。 d.命令・裁定当事者が(郵政大臣という)「代表者名称」になっているため、暗黙のうちに命令・裁定の無謬性を前提・要求することになり、誤りを重ねながら漸進的に改良を重ねる生産的なプロセスが生じにくい。(代表者名称の使用は、論議を生じる余地の無い場合(人事発令、外交儀礼など)には適するが、論議の余地が多い問題については、適切でない。) e.命令・裁定者が特定された個人でなく、郵政大臣の名称で代表される複数の個人であるため、将来における命令・裁定内容の連続性・一貫性を事業者側で期待することが困難であり、ビジネス意欲が失われる。 f.命令・裁定者の中立性が具体的に担保されていないため、命令・裁定内容の如何にかかわらず(実際には中立であっても)、事業者側で結果に対する不信を生じやすい。また、非中立的な結果を予想して(実際には不必要であっても)、新技術・新サービスの開発意欲を失う傾向がある。 5.レフェリー機能の要件  「レフェリー機能」は、事業者間の問題だけでなく、事業者とユーザ、規制当局と事業者あるいはユーザ間の問題にも必要である。しかしながら、本意見においては、早期の対応を要する事業者間の利害対立についてのみ「レフェリー機能」を考える。前項の議論から、「レフェリー機能」には下記の要件が必要と考える。 a.レフェリー内容の一貫性の確保・・少数の適格者がレフェリーとなり、個人としてレフェリー内容に責任を持つ(ただし、下記7c項を参照)。レフェリーは、別に設定された政策目標にしたがい、それを具体的ケースへ適用する任に専念する。 b.レフェリー・プロセスの公開・透明性の確保・・当事者が、口頭または文書で、事情説明・意見表明をおこない、質問を発し、またこれに応答するための十分な機会を与える。すべての発言・提出文書を記録にとどめ、これを公開し、容易に入手できるようにする。レフェリーの決定等については、その根拠・理由を文書で示す。 c.レフェリープロセスの迅速性・手続の容易さの確保・・決定に到るまでの期間を問題に応じてあらかじめ定めておく。 d.レフェリーの中立・公平性の担保・・レフェリーが当事者と私的な利害関係をもつことを、現在および将来にわたって禁止する。 6.上記のような「レフェリー機能」については、さらに以下の諸点に留意したい。 a.現状は、交通で言えば、交通規則が不備であり、交差点に交通信号が設置されていないため、交通が渋滞し事故が起きやすくなっている状態にたとえられる。当事者間の「協議」や「ゆずり合い」では問題は解決しない。ルールと設備が必要である。 b.「レフェリー機能」には、当初から完全なものを作ることを考えない。不完全ながらも、とりあえず何らかの「レフェリー機能」を設立し、経験に学びながら少しずつこれを改良する方策が望ましい。したがって、「レフェリー機能」の「規定」を作るとしても、これを随時容易に、しかし組織的に改良する工夫をしておくことが望ましい。当初から詳細な「規定」を作ることは困難であり、また得策でもない。 c.個々のレフェリーには、完全無欠な決定を要求しない。レフェリーも多くの誤りを犯すことを認める。スポーツの審判と同じく、多くの誤りを犯しながらも全体として「ゲーム」を円滑に遂行させることがレフェリーの職務である。レフェリーの質の向上は、(産業活動と同じく)他のレフェリー(候補)との競争によってもたらされる。 d.レフェリーの目的は、多数のケースを通じて「競争の促進、産業の発展」という長期的目標、およびそのために別に設定された政策目標を実現することである。他方、多数のケースに関するレフェリー結果の中から、目的達成に適するルール・方針が少しずつ形成されることが期待できる。 e.レフェリーの中立性とは、レフェリー内容が政策目標に左右されないこと、レフェリー個人の判断が入らないことを意味しない。たとえば「既存事業者と新規事業者との非対称規制」の方針やその大略が「レフェリー機能」と別に決定されたとき、レフェリーはその枠の中で個々のケースを処理する。その際、レフェリー個人の判断が加えられることは当然である(個人の主観的判断なくしてレフェリーはできない)。レフェリーの中立性は、与えられた非対称規制の方針を具体的なケースに適用するときに、レフェリーの個人的利害の影響を受けないことを意味する。 f.わが国においてこれまで上記のような「レフェリー機能」が導入されなかった1つの理由は、それが民事・刑事裁判と類似することから、裁判にともなうマイナスのイメージが働いたことにあると考えられる。わが国では、古来、和の精神が尊重され、争い事を最小限にとどめる伝統があり、その「制度化」も避けられたのであろう。しかしながら、電気通信産業における技術の発展、サービスや業務の複雑化と競争から生ずる利害対立は、わが国の伝統的な枠組みに収まらないところまで来ていると考えられる。 g.他方、「法三章をもって善しと為す」という古来の伝統も、事業法中の「レフェリー機能」規定が少ない理由の1つと考えられる。規制関係の規定が簡素であり、規制組織が小規模であることは、「規制のコスト」を節約し、ユーザ・国民の負担を少なくする利点がある(この点で、米国は多額の規制コストを支払っている)。しかしながら、電気通信産業では、「レフェリー機能」を持たないことから生ずるコストが、「レフェリー機能」のコスト(関係者の人件費・事務費、その他の間接費)をすでに大幅に上回っていると考えられる。 h.また、規制関係の規定を詳細に定めることは、規制当局のフリーハンドを制限するので、規制の効力を減少させるという考え方がある。一面においてはその通りである。規制当局が決定するべき政策方針の内容や、その実現方策について、当局が立法の範囲内でフリーハンドを持つことは当然であろう。しかしながら、規制行為の手続について規定が欠落していることは、規制当局のパワーを弱め、規制の効果を減少させる。たとえば、事業者間の対立内容が詳細な技術的・経営的内容を含んでいれば、適切な裁定を下すために、当局はその背景に関する情報を入手しなければならない。しかし、当事者による情報提供規定(たとえば中立の立場にある証人の証言や反対尋問)がなければ、表面的なヒアリングだけで済ます他はない。その結果、不十分な情報で裁定を下さざるを得なくなり、不適切な裁定が出る可能性が高くなる。このことが繰り返されると、規制当局への信用が低下し、規制効果が減少する。 i.さらに、わが国の制度は固有の「文化」の表現であって、これを変えることはほとんど不可能であろうとの意見がある。あるいはそのとおりかもしれない。ここではスポーツに関する下記の例を指摘しておきたい。柔剣道は古来わが国の武道であり、武人間の優劣を決める直接の手段であった。周知のように、これらの武道にルールが導入され、レフェリーが設けられて、現代スポーツとして発展した。これは、直接的「対決」の枠組みを、決められたルールと審判の下で力を尽くして向上を競うように変換することができた例である。 7.「レフェリー機能」の実現のためには、さしあたり次の3方策が考えられ、それぞれ得失がある。 a.新規立法により「独立規制委員会」を設置し、これに委ねること。最も根本的な方策であるが、立法措置に時間がかかること、ひとたび制度を作ると試行錯誤による制度変更が困難になり、固定化・硬直化しやすい欠点がある。 b.規制当局が現行事業法の枠内で実質的に「レフェリー機能」を設立・運用すること。政省令の改定により可能であろう。電気通信審議会下の組織とする(この場合レフェリーの独立性が必要)ことも考えられる。上記aと同種の欠点があるが、aよりも望ましい方策である。 c.事業者が「自治的・自主的に」合意して、事業者間協議の方法としての「レフェリー機能」を設定し、レフェリー結果を(法39条の)協定として守るよう自ら定め、律すること。現時点ではこれが最も望ましい方策と考える。事業者間の立場の相違による困難が予想されるが、産業全体の発展(すなわち各事業者の発展)のために、この合意が成立することを希望する。 d.上記a−cのいずれについても、「レフェリー機能」の具体化の第一歩は、そのための「規定(私)案」の作成であろう。本意見に賛成して下さる法律・行政専門家、実務専門家に期待したい。 「電気通信産業における『レフェリー機能』の必要について」、『情報通信政策フォーラム』(1995年1月19日)及び『NTTにおける研究会(NTT料金企画推進室)』(1995年9月14日)における発表、8pp.。