情報通信産業における競争と規制 ――日米比較と規制情報の伝達 大阪学院大学経済学部教授 大阪大学名誉教授・同先端科学 技術共同研究センター客員教授 鬼木 甫 一 まえがき*1 将来の「戦略産業」 情報通信産業は、21世紀の「戦略産業」として期待されている。最近の著しい技術進歩によって、新しい情報通信機器・サービスがわれわれの生活とビジネスを大きく変化させつつあり、一層の発展が予想される。  情報通信産業は、第1に日本経済の「稼ぎ手」として期待されている。戦後わが国の経済は、繊維・造船・鉄鋼・自動車・家電製品・生産機械などの製造業を中心として発展してきた。それぞれの発展段階に対応して、これらの産業が順次に中心的役割を担い、日本経済を支えてきた。しかしながら、最近の所得上昇・高賃金と生産技術の情報化によって、1980年代以降の中心産業であった自動車・家電産業が海外に拠点を移しつつある(製造業の空洞化)。各分野のハイテクノロジー製品はまだ輸出力を持っているが、今後新たな戦略産業が出現しなければ、日本経済は長期的に停滞・衰退の途を辿るかもしれない。豊かな成長の可能性を持つ情報通信産業は、自然資源が少ない反面、高い教育水準と勤勉度を持つ日本人が「比較優位」を獲得できる産業として期待されている。  第2に情報通信産業は、その製品・サービスが社会経済組織の「神経網」として働くことから、将来の発展の鍵を握ると考えられている。社会経済発展の一つの基盤が国民全体の知識・情報にあることは疑いないが、情報通信産業の製品・サービスは、各分野で「知識・情報活動」を大幅に効率化するからである。現在時点での情報通信産業の重要性は、たとえば明治維新当時の初等教育、戦後の「大学高等教育」の重要性とも比肩できると思われる*2。  ところが、この情報通信産業で「日米格差」が拡大しているとの指摘が多い。情報通信産業をマラソン・レースに例えれば、米国がトップランナーとして2位以下との差を拡げつつあり、日本は2位グループの先頭を英国・ドイツ・フランス・北欧諸国などと争っているというのが、大方の見解であろう。2位グループ内での日本の地位には現在のところ心配ないが、1位の米国との差が大きく、それが拡大しつつあることが懸念される。米国は国内に多くの問題を抱えながらも、経済各分野、政治、文化、社会、軍事活動などの分野で他国を引き離している。米国と米国以外の差が現在以上に拡大することは、わが国だけでなく、途上国を含む他国にとっても望ましくないのではないだろうか。  以下本稿では、「日米格差」のあり得べき原因の一つとして、両国における情報通信産業、とりわけテレコム産業(電気通信産業)での競争と規制のあり方について考える*3。 二 日米格差とその原因 日米格差(?) まず最初に、情報通信産業での「日米格差」について述べておきたい。情報通信産業のパフォーマンス、ビジネスや生活の「情報化」に関する包括的な国際比較は入手できないようなので、手近な資料で見よう。まず、平成8年『通信白書』に、「産業の情報化に関する日米比較」の項がある。「事務用一般電話加入率」に始まる15調査項目のうち日本の指標が高いのは、「ISDN回線契約率」だけで、他のすべての項目で米国の指標が高い。同15項目のうち9項目について、米国の比率が日本の1.5倍以上になっており、とりわけパーソナル・コンピュータ(PC)設置率、PCネットワーク化率、インターネット・ホスト設置率などコンピュータ・ネットワーク関係で、米国の比率がわが国の4倍以上である*4。  次に日米の代表的なテレコム事業者が提供するサービス数で比較してみると、AT&Tは、(長距離通信のみを担当しているにもかかわらず)1993年時点で500種類を超えるサービスを提供している*5。これに対しNTTについては、筆者の知るかぎりで、(長距離・市内サービスを加えて)100種類を超えないであろう*6。また、同一の新規サービス(たとえばフリーダイヤル、自動転送、フレームリレー、VPNなど)の提供開始が、日本では米国に一両年から数年程度遅れている。さらに諸サービスの価格について、日米間で概ね等しいものもあるが、国内長距離料金やビジネス向けのサービス(たとえば近距離専用線など)の料金に格差がある(日本の方が高い)。  ちなみに、アジア諸国の中でも、情報通信分野で日本がトップに立っているとは限らない。たとえば、経済規模当たりのインターネット・ホスト数について、日本はシンガポール、香港、台湾、韓国に次いで5位であり*7、人口当たり携帯電話加入数ではシンガポール等に次いで4位、人口当たりケーブルテレビ加入数では、台湾に次いで2位(都市型ケーブルテレビ加入数では4位)、人口当たりパソコン保有数では、シンガポールに次いで香港、韓国と並ぶ状態である*8。また、海外から帰国した人から、「米国では旅行中、ボイスメール・サービスを利用できて便利だった。」とか、「シンガポールで国際携帯電話が便利で助かった。」などの体験談を聞くことが多い。他方、来日した米国人から、日本の情報通信サービスを評価する言葉を聞くことは皆無に近い。これらを総合して考えると、分野によりサービスによって差はあるが、日米間に相当の格差があり、またアジアの中でも、日本の地位は他の経済分野におけるように突出していないことが結論できる。 日米格差の原因 一般の製品・サービスと同じく、情報通信サービスにも需要と供給の両側面があり、格差の原因もその双方に求められる。需要側の原因、つまりわが国で情報通信サービスに対する需要が低いことについては、いくつかの指摘がある。たとえば、ビジネス・生活の特色から、日本人は直接に会って話したり、会議を開いて情報交換することが多く、電話・ファクシミリ・電子メールなどの手段で他者と交流することが米国よりも少ないと言われる*9。またわが国では、PCやデータ通信が、ビジネス活動に不可欠の手段でなく、それらの活用が生産性向上(人件費節約)に結実していない。理由の一つは、雇用契約が年功賃金・終身雇用型になっているため、情報通信システムの高度化によって人件費を節約する動機が欠けていることにある。これらの結果、平成不況時に、多くの企業で情報通信関連投資が早期削減の対象となった。需要面からの要因が、全体として格差形成にどの程度影響したかについては、より詳細な分析が必要である。ただし、格差の全部が需要側要因から生じたのでないことは確かである。もしそうであれば、情報通信サービスの輸出傾向が見られるはずであるが、現実は逆の傾向を示しているからである。  上記に対し、供給側から生ずる日米格差の原因としては、生産要素の供給条件、技術水準、企業経営方式、規制制度の4側面が考えられる。まずテレコム産業での生産要素は人間と機械であり、(たとえば農業やエネルギー消費型産業のように)わが国にとって本来的に不利な条件は存在せず、格差の原因は見当たらない。次に技術面についても、わが国と米国との間に極端な格差があるとは考えられない。日本はどちらかといえばハードウェア製造分野で優れ、ソフトウェア生産やシステム建設の分野で弱いと言われる。情報通信産業でソフトウェア・システム的要因が大きいこと、それらのウェイトが増大する傾向にあることは確かであろう。今後において、ソフトウェア・システム面の弱さがそのまま続けば、日本の情報通信産業のブレーキになるだろうが、現在までにそれが日米格差にどの程度影響したかについては検討の余地がある*10。  次に企業経営と規制制度を考えよう。筆者は、日本型の企業経営方式と日本型の規制制度が、情報通信産業の特色に適合しない点があり、これらが日米格差の原因の一つになったのではないかと考えている。「日本型企業経営方式と情報通信との不適合」については、PC産業のケースについて筆者の見解を他所で述べたので*11、本稿では、「日本型規制制度」について、日米比較をおこないながら検討する。  なおここで、筆者が、日本の情報通信産業の事業者や規制制度と、日本の他の産業の企業・事業者や規制制度とを比較しているのではない点に注意していただきたい。筆者のポイントは、わが国の諸産業に共通する日本型企業経営・規制制度が、製造業ではそのままの形で産業の特性に適合し、その結果1960年代以降の高度成長をもたらしたが、情報通信分野については「相性」が悪く、産業成長につながっていないのではないかという点にある。他方米国型の方式は、製造業よりもむしろ情報通信産業に向いていると考えている(これらの理由は後述する)。また、急いで付け加えたいが、筆者は、日本型企業経営・規制制度と情報通信産業の相性が悪いからといって、日本の情報通信産業の将来に望みがないと述べているのではない。情報通信産業の特色に沿うように企業経営方式・規制制度を少しづつでも変革する必要があることを主張している。個人的には、ある程度の時間はかかるだろうが、日本人の能力と柔軟性から見て、そのような変革は十分に可能であると考えている*12。 三 規制の前提条件 産業のダイナミズムと規制制度 規制制度の日米比較をおこなうに先立って、規制制度と産業発展の関係を考えておきたい。広く同意されているように、産業発展の要因は、より良いサービスをより安く提供することを目指す企業(事業者)の自発的努力にあり、それは、「ビジネス活動から得られる利益」によって引き出される。外部からの強制や誘導、イデオロギー、公徳心・愛国心等へのアピールから引き出すことはできない。また、産業ダイナミズムが継続的に出てくるのは、「自発的努力をしなければ利益が失われる」状態、つまり競争環境に置かれたときである。これらのことは、資本・社会主義両グループ間の対立と最近におけるその帰結、および国内諸産業について、自由度の高い産業と制約度の大きい産業間のパフォーマンスの相違などからも得られる結論である。  したがって、情報通信産業発展のために望ましい規制制度とは、経済的自由を現存事業者・潜在的事業者に保証し、産業環境に関する情報を十分に供給し、新工夫・新機軸を広い範囲から招致し、かつそれが成功したときに報いられる環境を作ることにある。ビジネス活動に加えられる制約が多いとき、産業の実情が分からずビジネスの見込みが立たないとき、新機軸の努力が報われないときに、既存事業者は萎縮し、潜在的事業者は参入を控え、資金供給者は他産業に向い、優秀な人材も入ってこない。最近、情報通信産業にかぎらず広く「規制緩和」の必要が叫ばれているのは、この認識に基づいている。  なお、上記の議論から得られる短絡的な結論は、「一般に産業を発展させるためには、既存の規制をすべて撤廃し、極端に言えば規制当局は何もせずに、民間事業者が自発的に事業を進めるのを見ているだけでよい。」であるが、もとよりこのような単純な推論は成立しない。どの産業においても、企業の行動範囲を決めるフレームワークが存在しないことはあり得ないからである。財産権の尊重や契約の遵守は、最小限の制約である。産業によっては、製品・サービスの安全性の確保、それらの性質・用途などに関する情報の伝達、自然環境の保全など、守られるべき事項が多くなる場合もある。「自由競争」とは、明確に規定されたフレームワーク・領域内での(相対的に)自由な活動から生ずる競争である。またフレームワークが拡がっても、その境界が不明確である場合には、自由度は増加しない。むしろその逆である。許される活動の境界について常に自制を働かせ、場合によっては規制当局の顔色を伺いながら事業活動を進める必要があり、自己の力のすべてを製品・サービスの向上やコスト削減に向けることができないからである*13。 テレコム産業の特色 テレコム産業では、技術的な特色や歴史的な経過から、現在時点で事業を完全に自由化できない理由が他の産業に比べて多い。そもそもテレコム産業は、通信路や電波などの公共資産が何らかの方式で事業者に割当てられなければ成立しない。既存事業者が実質上の独占力を持っている場合に、競争を少しずつ導入するには、規制当局が何らかの方式で市場に関与(独占事業者の行動を規制)し、しかも独占力の強弱に応じて、規制を加減する必要がある。また、「ユニバーサル・サービス*14」が要求される場合には、そのための施策を実行しなければならない。これに加え、基礎技術の開発援助、通信方式の標準化の実現、長期間にわたる資金投入を要する通信インフラ建設のサポートなどが、その例である。  テレコム産業の中で、規制を要する分野と、競争に任せるべき分野とでは、技術の進歩と産業の成長にともなって、後者の比重が増加している。しかしながら、テレコム産業の諸活動を一挙に「完全自由化」することはできない。テレコム産業の規制と競争をめぐる困難は、このようにダイナミックに変化する環境に応じて、規制当局が、長期的に競争環境を実現するためにその時点で必要とされる規制を実施しなければならない点にある。また、そのような規制のあり方自体が、既存事業者、新規事業者、潜在的事業者、ユーザの利害にかかわるため、規制当局に圧力が加えられ、適切な規制をおこなうことが困難になる点にある。最悪の場合、規制当局が一部の事業者・ユーザの利害に巻き込まれ、不適切な規制を実施してしまう場合もあり得る。  上記のような課題を抱えるテレコム産業において、日米の規制制度がどのような役を果たしたかを次に考える。米国のテレコム産業は、放送産業・ケーブルテレビ産業を含め、主として連邦通信委員会(FCC、Federal Communications Commission)によって規制されているので、まずFCCの機能を概観しよう*15。 四 規制制度の日米比較 米国の規制制度 FCCは、5名の委員(Commissioners、議長1名を含む)から成る合議体で、大統領により上院の同意を得て任命され(任期5年)、2000名を超える自身の事務局を持つ。FCCは、議会への報告義務を持ち、議会によって予算を賦与される他は、憲法と法律にしたがって、独立に(つまり大統領や他機関からの指揮・命令を受けることなく)その業務を遂行するので、「独立規制委員会」と呼ばれる*16。  まずFCCに関連する立法・行政・司法活動を概観しよう。図1を参照されたい。図1の左半分は、「通信法」にもとづく規制にかかわる立法と行政活動を、右半分は司法(審理)活動を示す。また図の左上方には一般的事項をかかげ、右下方に移動するにしたがって、より具体的な事項にかかわる活動が示されている。  まず、憲法はすべての規制活動の根本である。憲法の規定にしたがい、議会によって法律(通信法)が制定される(立法活動)。この段階に対応する司法活動は、制定された法律が憲法に違反することを理由とする訴えの審理(違憲立法審査)で、(固有の)司法機関すなわち裁判所が担当する。  法律は規制原則を定めるが、法律にしたがって具体的事項の規制方式・内容を定めるために、「規則(Regulation Rules)」が制定される。規則はわが国の政令・省令に相当する。規則制定はFCCの業務であり、立法と行政の中間的な性格を持つ(行政立法とも呼ばれる)。規則の制定・改廃は、現存する法律の枠内で新たに生じた必要に対処するためにおこなわれることもあり、また法律条文が改正・新設されたときに、その内容を具体化するためにおこなわれることもある。後者の場合を、法律条文の「具体的設置(implementation)」と呼ぶ*17。  規則制定の手続きは、FCCあるいは事業者・ユーザによる規則制定案の提示、同案に対する意見(comments)や回答(reply comments)の表明、聴聞(hearing)、FCC担当者による規則の決定、などから成る一連の審理過程(proceedings)として詳細に規定されている。また、この段階に対応する司法活動は、規則の法律(あるいは憲法)違反を理由とする訴えの審理で、裁判所の担当である。  FCCによる規制活動の主要な部分は、制定された規則にしたがっておこなわれる多数の「規制行為(命令、承認など)」で、これは、行政活動そのものである。たとえば米国内外の事業者が新たなテレコムサービスの提供を意図する場合には、同事業者からFCCへの書面申請によって同件に関する規制過程(procedure)が開始され、審理・決定に到る。また規制行為に関する司法活動は、FCC自身と裁判所が担当している。具体的な規制行為が法律あるいは規則に違反することを理由とする訴えに対し、多くの場合第一審はFCC内で、再審以降は裁判所で審理される。この場合、FCCが担当する審理は、行政と司法の中間的性質を兼ね備えている(これを行政司法と呼ぶこともできる)。  図1の最下段は、FCCによる「裁定」活動で、事業者間あるいは事業者・ユーザ間の対立をFCCが解決するものである。たとえば新規事業者がある地域への参入を計画し、そのために既存事業者への回線接続を要求する場合、接続の可否や接続条件(接続の結果、既存事業者が提供することになるサービス部分の価格づけ)などの案件に関し、事業者間交渉で合意に達しない場合に裁定に訴えるのである。FCCでは担当官を定め、訴えを裁く。当事者がFCCの決定に不服の場合には、FCC内で再審の途が開かれており、それでも不服の場合は、裁判所に訴えることもできる。FCCによる裁定は、形式上は司法活動的色彩が濃いが、内容的には「規制行為」と関連することが多く、行政的側面も持っている。すなわちこの部分も行政司法と呼ぶことができる。  「規制行為」と「裁定」は、法律・規則上の区分ではなく、FCC業務全体の理解のために本稿で設けた区分であり、そのための規則はおおむね両者に共通している。それぞれの規制行為・裁定について、(規則制定と同じく)申請の公示、意見・回答意見の公表、聴聞、そしてFCC担当者による決定などの手続きが、詳細に規定されている。  なお、規則制定、規制行為、裁定のいずれについても、提案や申請に始まり、決定・裁定で終わる過程(procedure)の審理場所(FCC Court)・記録はすべて公開・公表され、当事者だけでなく、第三者もその経過を詳細に知ることができる(公開・公表しないことは特別の理由がある場合にのみ許されている)。FCC会合の議事録や、FCCメンバーの投票内容も公表される。  全体としてFCCの活動は、文書主体であり、活動の実体の大部分は、文書の提出(filing)、送付、記録への編入、公表などである。口頭弁論を主とする聴聞(hearing)についても、その効力は聴聞内容の記録文書によって決まる*18。 規制制度の日米比較 上記のような米国の規制制度と日本の制度を比較しよう。表面的に見れば(たとえば両国の制度の比較対照表を1ページ程度にまとめれば)、日本の制度も図1と似た結果に表される。(図1のそれぞれの項目に対応して、わが国の法律に条文が存在する。)しかしながら、両国の制度の実質的な差は、1ページ程度の比較対照表が示すよりもはるかに大きい。まず、米国と比較したときの日本の制度の特色を列記しよう。 1.日本では、法律・規則(政・省令)に、一般的な事項についての定めはあるが、具体的な定めが無い場合が多い。したがって、条文数は少なく、条文は平均して短い*19。その結果、実際に生起する具体的事項の大部分は、(法律・規則に同事項に関する具体的な定めが無いため)当局がそのたびに「裁量」によって(しばしば非公式に)決めなければならない。 2.日本では、規制行為にともなって規制当局が発行する文書量が少なく、また発行文書が組織化されていない*20。多くの場合、規制当局の「決定」「命令」などの結論部分のみが発行され、背景事情の説明、規制根拠となる法律・規則とその解釈、当事者意見とそれに対する規制当局の見解などは文書に含まれない。また、発行文書の性質を示し、それを組織的に保管し、発行文書間の参照に必要な文書の分類・ナンバリング等が計画的になされていない。 3.日本では、規制関係文書の公開のための規定がほとんど無く、また文書公刊のための規定が存在しない。米国の場合、特別の理由がないかぎり公表が義務づけられている。公表されるべき文書としては、FCC作成・発行分だけでなく、第三者から寄せられた意見(comments)・回答意見(reply comments)やその他の資料も含む。さらにこれに加えて、FCCは自己の作成・発行する文書をすべて印刷・公刊し、かつこれを印刷コスト程度の価格で一般に販売する義務を負うことが定められている*21。 4.日本では、規制行為は大臣・局長など組織の代表者名でおこなわれる。しかし、政策方針決定に近い事項から個々の事業者・ユーザ・サービスにかかわる細かな事項まで多岐にわたるので、実際には事項ごとに担当者が決まる。米国では、規制の最終権限はFCC委員(commissioners)が保有しているが、事項ごとに担当官を選び、規制権限を委任する(delegated authority)。担当官の氏名は公表され、委任事項の決定権限を持ち、決定文書(DA文書)に署名する。もちろん、重要事項は委任されず、委員自体の合議で決まる(そのときの決定文書(FCC文書)には、FCC秘書が署名する。) 5.規制担当官の公的立場と私的利害を区別するための規律に関して、日本では「国家公務員法」に一般的に定められているだけであるが、米国では規制業務に対応する詳細な規律がFCC規則に定められている*22。 6.規則制定、規制行為のプロセスで、事業者・ユーザからの参加(情報インプット)が日本では少ない。規制当局は、関係者である事業者・ユーザから非公式に情報を受け取る(この情報は口頭で伝達されることが多く、文書化されないので、当事者以外に伝えられない)。 7.日本では、事業者間対立を効果的に解決する「裁定」制度(再審を含む)が弱体であった。 8.日本では、「規則・制度の漸進的改良のための手続・規定」が無い。そのため、制度は必要が生じるたびに少しづつ改正されるのではなく、必要が蓄積した後に一挙に改革される傾向がある。 (ただし、日本でも、最近において、「行政手続法」の制定、郵政省による「事業審査基準」「市場参入マニュアル(日・英語)」の文書化・公表、「接続の基本的ルール案」の発表と同案への文書意見のリクエストなど、規制情報の文書化と伝達の試みが、部分的ではあるが始まっている。) 規制に関する「文書情報伝達」の効果 上記8項目の比較に示されるように、テレコム産業の規制制度の日米間の差は相当に大きい。しかし、読者は気付いておられるだろうが、上記8項目は、「日本のテレコム産業規制」の特色ではなく、「日本の規制」あるいは「日本の行政組織、企業組織」の特色である。また、産業界だけでなく、他の分野たとえば「大学の運営方式」にも共通する特色である。すなわち、テレコム産業の規制制度の日米間の相違は、両国間の「行動原理・組織原理」の相違、漠然と言えば「文化の差」から生じていることになる。以下、本稿の課題は、このような「組織原理・行動原理」の差がテレコム産業でどのような効果をもたらすかを明らかにすることである。紙幅の関係で8項目すべてを詳細に論ずることができないので、項目1〜3、すなわち「法律・規則の精粗、規制文書の多少、文書公表・公刊の有無」、つまり規制に関する「文書情報伝達」度の差について考察しよう。  米国のように、法律・規則・規制文書などの形式で、規制に関する詳細な情報が伝達されていることは、以下のような望ましい効果をもたらす。第一に、現実に生起するさまざまな事項への規制をあらかじめ予測できる。まず、法律・規則が精密であれば、個々の事項についてそれだけより詳しい予測ができる。また、関心ある事項が法律・規則に明示されていなくとも、類似の事項について過去の規制文書に事項の背景、決定とその理由が示されていれば、それを参考にして関心ある事項が受ける規制を予測できる。新事業・サービス提供を企図する(潜在的)事業者、つまり産業ダイナミズムの担い手にとって、このことの利点は大きく、新規参入促進の強い要因になる。反対に、法律・規則に定めがなく、参照するべき文書も少なく、「申請を出して規制当局の決定がなされるまでは、どのような規制を受けるか分からない。」状態では、新規参入の意欲が阻害され、有能な潜在的事業者は他産業に向かうことになる。経済理論の用語を使えば、「新規ビジネスにともなう不確実性が大きく、リスクが高いので、必要な投資への期待収益がマイナスになる。」のである。  法律・規則を精密化し、規制行為の詳細を文書化することに対する反論は、規制の硬直化という欠点への配慮、つまり「将来どのような事項が起きるか予測できないのだから、実際に事項が生起するまではフリー・ハンドを保ち、事項が生起した後に十分に検討を加え、最善の規制を選択することが望ましい。」であろう。確かに、相手のいない独り舞台であればこのことは正しい。しかし規制の目的は、「それぞれの事項について、それが生起した後に最善の規制を決め、これを実行すること(たとえば、規制結果に対する事後的な批判を避ける動機から)」にあるのではなく、「テレコム産業を発展させること」にある。規制が結果的に正しいものであっても、事業者・ユーザが萎縮し、産業活動が沈滞するのでは意味がない。  精密な法律・規則から生ずる規制の硬直化の可能性については、法律・規則に「条件付き規定」を設けることによってある程度までは回避できる。つまり、考え得る複数の事象について、それぞれあらかじめ規定を設けておくのである*23。このことによって法律・規則は長大化するが、これは止むを得ない。また、当初まったく予想できなかった事項が生起したときには、「規制行為」と「裁定」手続きによることになる。将来起きる可能性がある事象をどこまで予想して規定を作ることができるかは、(行政)立法担当者の能力によって決まる。  また、「規制行為の文書化から生ずる規制の硬直化」については、一つの規制行為の決定が後続の決定を制約しないこと、つまり、後続の決定は同一・類似の事項に関する先行諸決定を参考にするが、もし先行決定よりも良い決定が見つかれば、先行決定と矛盾する決定をおこなうことを認めることによって軽減できる。実際、同一・類似の事項についてなされる最初の決定が最善の決定である保証はない。したがって、この方策は「規制行為・裁定の漸進的改良」への途を開く*24。  規制に関する「文書情報伝達」の第二のメリットは、情報伝達範囲が広範囲に及ぶことである。その結果、事項の当事者でなくとも、関心を持つ競争事業者や潜在的事業者、またメーカーやサービス開発担当者・研究者などが、規制の現状と将来の方向に関して詳しく知ることができる。また、地理的にも、米国内だけでなく、世界全体で関心を持つ者が情報を入手することができる。これに対し、わが国の場合は、規制に関する情報の公刊・頒布が少ないので、特別な手段を講じないかぎり規制内容を詳しく知ることができない*25。  法律・規則が精密でなく、規制情報が「文書化」されていなくとも、規制の現状・将来について規制当局に問い合わせることは可能である。しかしながら、情報が文書で提供されている場合と、規制当局の担当者に面会したり、電話で問い合わせるのとでは、情報収集コストに大差を生じ、多くの場合「必要な情報が入手できない」結果になる。また規制担当者の側でも、多数の問い合わせに個別に詳しく説明するわけにはゆかないから、文書の場合よりも簡略な情報しか提供できないことになる。また規制情報が「文書化」されていれば、そこに客観性と信用を生ずるが、口頭の情報には、(当事者が注意していても)誤りが含まれる可能性がある。これらのことを考えると、規制情報が「文書形式」で提供されるか否かは、長期的にテレコム産業の「競争度」に大差を生ずると言うことができる。  第三の利点は、文書によって「情報蓄積」が可能になることから生ずる。規制行為・裁定における決定は、現実に生ずるさまざまの事項について、規制担当官や当事者である事業者・ユーザが知恵をしぼって到達する貴重な成果である。与えられた困難な問題(たとえば、それが公共の利益と事業者の私的利害の衝突から生ずる場合)に対し、法律・規則に即しながらそれらをどのように解釈し、どのような決定を採用したかを述べた記録は、後々のための有用な情報源になる。これが文書化され、組織的に保存され、蓄積されることにより、テレコム産業規制に関する「共通情報ストック(データベース)」が形成される。  この情報ストックは、テレコム市場で新サービス提供を計画する事業者、テレコム市場への参入を企図している潜在的事業者にとって貴重な資料である。過去のケースを調べることによって、現状を理解し、将来の方向を予測することができるからである。その結果、ビジネスチャンスの発見、リスク回避が容易になり、新規参入が促進され、競争が進展する。またこの情報ストックは、規制当局の担当官にとっても貴重な資料である。同じく過去のケースを調べることにより、規制に関する学習が効率化され、自己の担当する事項について、より広い見地から優れた規制行為・裁定を選択することができる。また担当官は、過去の経過を事業者・ユーザが知っていることを前提できるので、不必要な説明・説得などの手間を省くことができる。(もし初歩的な誤りを犯した申請が出された場合には、過去の適切なケースの記録を指示するだけでよい。) 情報通信産業(テレコム産業)の「ネットワーク性」 本節の冒頭で述べたように、規制情報の「文書型伝達」は米国社会の特色であり、米国の情報通信産業、テレコム産業だけの特色ではない。これに対し日本社会では、人間同士の直接の会談や会議が重んじられ、直接会話によって到達した理解に基づいた意思決定がなされる。日本の規制制度の特色も、このような日本社会の意思決定方式・情報活動スタイルを反映している。それでは、なぜこのような日米の差が、情報通信産業・テレコム産業で大きな意味を持つのであろうか。  第一の理由は、前述のテレコム産業の特色、つまり技術的・歴史的理由による規制の必要と、技術進歩など産業環境の急速な変化から生ずる規制の複雑化・困難である。その結果、テレコム産業の運行のために大量の情報伝達が必要になり、法律・規則・文書主体の規制が有効になるのである。  第二に、より根本的な理由として、「情報通信産業(テレコム産業)のネットワーク性」を指摘したい。これは、テレコム産業で規制が必要となる一因であるが、それよりも広い範囲の事象に関連する。一口に言えば、テレコム産業ではそれぞれの事業者の活動が直接に関連している事実を指す。電話やインターネットのようにネットワークを使用するビジネスでは、この点は明らかである。離れた2地点のユーザを結合する電話ビジネスが複数の事業者によって提供される場合には、通話路の生成や維持について、事業者間の密接な協力が不可欠である。またインターネット上の商業活動でも、一事業者だけによる提供は稀であり、商品の提示、購入・支払契約、信用供与、代金支払いなどについて、複数の事業者が協力する。このように、テレコム産業では、個々の事業者が全国・全世界に散在するユーザにサービスを提供し、また、個々のユーザは、全国・全世界に散在する事業者からサービスを購入する。つまり、多数の事業者・ユーザの活動が、さまざまなレベルで、さまざまな仕方で相互に絡み合っている。テレコム産業のこのような特色を、その「ネットワーク性」と呼ぶことにする。  規制当局の観点からすれば、「ネットワーク性」が存在するため、個々の事項について適切な規制を実施するために広い範囲から情報を集め、また広い範囲に情報を伝達しなければならない。産業全体を広域的に理解した上で、個々のケースに対処しなければならない。特定の規制担当官の仕事を考えれば、集められた情報の大部分は不要であろうが、しかしその中に自己の仕事に重要な情報が入っている。また規制当局が発した情報に興味を持つ事業者・ユーザは、日本全体あるいは世界全体に散在している。個々の事業者・ユーザにとって大部分の規制情報は不要であろうが、その中に事業者・ユーザに大きな利益を約束する情報が入っている。このような種類の情報交換は、「文書」という手段に依らなければ不可能である。日本型の情報伝達方式である直接面談・会議という手段では、伝達内容・範囲について制約が生じ、必要・有用な情報が伝達できない。  情報通信産業(テレコム産業)の「ネットワーク性」は、設備・サービスの地域的な広がりや事業者・ユーザ間の広域的関連からだけでなく、それが「情報」という対象を扱うことからも生ずる。「情報」や「情報関連サービス」は、それぞれが孤立して生産・提供されるのではなく、常に他の「情報・サービス」を前提とし、それらとの補完的関係のもとに提供される。たとえば電話の「キャッチホン」サービスは、「電話基本サービス」と「交換機の付加サービス」を前提として供給される。「自動転送」サービスには、電話ネットワーク内に「加入者名と転送先を持つデータベース」が必要である。インターネットの「電子メール」サービスでは、ネットワーク上のデータ転送サービス(TCP/IP)からの援助が前提されている。このように個々の情報・サービスは、常に他の情報・サービスを前提とし、それらとの関連のもとでユーザに提供される。  もし、テレコム産業全体が単一企業の独占下にあれば、この「ネットワーク性」は、同企業内部で処理される。しかしながら、テレコム産業に競争が導入され、複数の事業者が存在する場合には、上記のような「ネットワーク性」の一部は、(通常の市場取引では実現できないので)規制当局によって実現されなければならない。つまり、テレコム産業は、「ネットワーク性」のため、全体として単一企業であるかのような性質を持ち、多数企業間の分業と競争という本来の市場メカニズムに納まらない側面を持つ。この理由で、テレコム産業の規制当局の地位は、計画経済における「中央当局」と類似する点がある。社会主義下の計画経済については、個別企業が持つそれぞれの情報を、計画当局が十分に把握できないことから生ずる非効率性の存在が知られているが、テレコム産業の規制当局は、これと似た地位に置かれているのである。このように、多数の事業者・ユーザの情報の規制当局への集中と、規制当局の持つ情報の多数の事業者・ユーザへの伝達を可能なかぎり効率的に実現するのが、「文書」による情報伝達である。直接会談や会議という手段では、「文書」よりもはるかに低能率の情報伝達しかできない。  製造業などの他産業では、テレコム産業に比較して「ネットワーク性」が低い。たとえば自動車製造業では、自動車という一体化された「製品」を生産するために必要な情報だけを伝達すればよい。実際には、自動車メーカーが下請け企業と連携を保ち、ピラミッド型の情報伝達組織を構築してこれを実現する。自動車製造に必要な情報伝達範囲は、自動車メーカーと関連下請け企業の範囲に留まり、テレコム産業のように全国・全世界にわたる情報伝達は不要である。そこでの情報伝達量は、「ネットワーク性」が低いため、テレコム産業よりもはるかに少なくて済む。他の製造業でも事情は似ている。つまり製造業では、(文書による情報伝達を重視しない)日本型の情報伝達方式でビジネスを実行できる。むしろ、企業内では、文書による形式的な情報伝達よりも、人間同士の直接の接触による緊密な情報伝達が有効に作用した。他方、テレコム産業のように「ネットワーク性」のために関連範囲が拡がっている場合には、「文書」による情報伝達が有効になるのである。 「日本型規制方式」の変革の可能性 情報通信産業・テレコム産業において、「文書」を主要な手段とする規制情報の伝達が、産業発展のために必要かつ有効であると考える理由は、上記のとおりである。米国では、元来「文書型情報伝達」が多用されており、これが情報通信産業・テレコム産業の特性に適合したので、同産業でのダイナミズムを生む一因となった。筆者は、日本の情報通信産業・テレコム産業の長期的な発展のためには、わが国でも「文書型」の規制情報伝達を採用する必要があると考えている。以下では、これに対するあり得べき反論について考えよう。  第一に、日本でも、規制当局はすでに大量の文書を作成しており、実質的には「文書型」規制、少なくとも文書を基盤とする規制になっていると反論されるかもしれない。確かに、規制官庁内部では、大量の文書・資料が作成されている。文書や資料の山に埋もれがちな現状から如何に脱却するかが問題で、新たに文書を作成することが問題ではない、との答が返ってくるかもしれない。  事実その通りであろうが、しかし、現在規制当局が保有する文書は「内部文書」であり、規制当局の分析資料・記憶手段として使われている。規制当局と事業者・ユーザ間のコミュニケーションには使われていないし、また現在規制当局が作成している文書をそのまま外部に出しても役に立たない。ここで必要とされるのは、事情の分かった者同士のための作業用文書でなく、事情を知らない外部の者に事情を説明し、規制内容と理由を理解させるための文書である。なお、このような文書を作ることによって外部とコミュニケートすることは、規制当局自体による意志決定方式の一部変更が必要となるかもしれない。  第二に、法律・規則を精密化し、文書主体の規制を実行することは、詳細部分の具体化・明確化により、かえって論議・係争を巻き起こし、規制当局・事業者・ユーザ間の争いを激化させ、得策ではないとの指摘がなされるかもしれない。むしろ規制当局内部に情報を集中し、外部には規制の結論だけを出すことによって、この種の争いやそれにともなう法的コストを避け、産業を円滑に運営する方策が効率的である、とする意見である。  たしかに、米国では、FCCや裁判所への争訟が後を絶たず、そのために多額の法的コストを支払っている。もともと米国は「訴訟社会」であり、裁判官・弁護士の数もわが国より(人口比率で)格段に多く、文書で内容を明確化するかわりに、明確化されるべき内容をめぐって争いが絶えない。1996年通信法は、「1996年弁護士雇用法(Lawyers Employment Act of 1996)」のニックネームで呼ばれているとのことである。それは今回の法改正(法律・規制条文増を伴う)が、規制当局・事業者・ユーザ間の争点を増大させ、法廷内外の争いをめぐって、弁護士に対する需要を急増させているからである。  この種の「法的コスト」は、法律・規則の精密化や、規制の文書化にともなって必ず生ずる。日本でも同じであろう。問題は、文書型規制制度の採用から生ずるテレコム産業の効率性増大と、弁護士等の増大を含む「法的コスト」との大小である。実際に統計データを調べたわけではないが、筆者はテレコム産業の効率性増大が桁ちがいに大きいと考えている*26。 五 あとがき 以上、テレコム産業における日米の規制制度を比較して、規制に関する情報の「文書化」の点で両国間に大差があること、長期的には、日本のテレコム産業の規制でも、「文書型」情報伝達が必要かつ有効であると考えられることを述べた。  もとより一国の規制制度を短期間内に変革することは不可能である。筆者の意図は、日本のテレコム産業の発展のために、規制制度変革の長期的な方向づけに関する提案をすることにある。  テレコム産業への競争導入のため、1996年米国通信法は、ローカル電話市場への新規参入促進手段として、既存事業者の「接続義務・サービス・アンバンドリング義務」を定めた。日本でも、1995年に、NTTがネットワークの開放・接続を提案し、郵政省も「接続に関する規則作成・法律改正」を検討中である。「ネットワーク接続・アンバンドリング」は、競争促進のための有効な手段となる可能性を持つが、他方接続価格をめぐって事業者間の直接の利害対立をもたらすので、規制当局による「裁決」が必須となる。しかも、接続料金の算定については、地域別・サービス別に条件が異なり、算定基準も多種類の方法が提案されている。このような場合に、規制情報の文書化(具体的には詳細な「接続ルール」の文書化、個々のケースの「裁定内容」の文書化)が必要であろう。接続条件が不明確では、潜在的事業者の新規参入が困難になり、また既存事業者も営業方針を確立できないからである。とりわけ、NTTが近日中にサービスを開始する「オープン・コンピュータ・ネットワーク(OCN)」のサービス・アンバンドリングや接続価格の決定が当面の課題となるであろう。OCNへの接続について、「文書化」による規制情報伝達の努力が望まれる。                               規制事項のスペクトラム 司法(審理)         一般的事項        具体的事項 一審   再審 │ │ │憲法制定│ アピール内容 立法 │ │ │ │ │ │ │法律制定│ │違憲立法* │ │ │ │ │ │ │ │ │ │規則制定★* │ │規則の法律違反** │ 立法・行政   │ │ │ │ │ │ │ │    │規制行為(命令・承認│規制行為の法律・規則違反**│    │等)の実行* │ │ │ 行政 │ │ │ │裁定(事業者間、事業者・ユーザ間対│                         │立の解決)★★ * │ │ 注: │  │ FCCが担当する事項    ★  日本の政・省令に相当する ★★ 「裁定」は行政・司法双方の性格を持つ    *  日本で対応する機能存在するが、米国と比較して弱い    ** 日本で対応する機能がほとんど存在しない 図1 通信産業規制をめぐる立法・行政・司法活動の関係と分担(米国) Notes: *1 本稿作成の過程で、田中栄一氏(郵政省)から有益なコメントを頂いた。記して謝意を表する。 *2 ただし、この意味の重要性からは、情報通信機器・サービスの供給主体が「日本の情報通信産業」でなければならないという帰結は出てこない。海外の優れた情報通信事業者・サービス業者が日本に上陸して主要な供給主体になってもよい。また、その方が国内事業者を刺激して、第1の意味でもより良い結果を生むという見解もある。読者はさまざまな意見を持っておられるだろうが、この点の考察は本稿では割愛する。 *3 「情報通信産業」には、テレコム産業(電気通信産業)、放送産業のほか、コンピュータ産業、半導体産業、ソフトウェア産業、コンテンツ産業などが含まれる。本稿では、これらのうち競争と規制のあり方が強い影響を及ぼす「テレコム産業」を主に考える。 *4 平成8年『通信白書』、3章2節1(4)(pp.263-264)、同付表42-44(pp.300-302)。 *5 A Guide to AT&T's Services, 1993から、筆者が項目数を概算して得た数値。 *6 平成7年『有価証券報告書総覧(日本電信電話株式会社)』pp.24-26のサービス項目数の略計は37であった。また、『NTTデータブック・94』pp.58-121に収められているサービス項目数の略計は41であった。ただし、これらから漏れている分も多いと思われる。 *7 平成8年『通信白書』3章1節1(1)ウ(ア)(p.214)。 *8 同上3章1節3(1)(pp.237, 239)。 *9 ただし、最近の若者世代では、電話の長時間使用、ポケベル、携帯電話の流行に見られるように、行動様式の変化によるテレコムへの需要増加が見られる。 *10 「日本では学校での一律教育が創造力の芽を摘み、そのためにソフトウェア生産が苦手になる。」「PC用アプリケーション・ソフトの大部分は米国製品を日本語に書き直したものである。」「新規テレコム・サービスの導入が遅れる傾向があるのは、ソフトウェア開発力が不十分だからである。」程度の話は、しばしば聞く。しかし、「日本のソフトウェア開発力」について、(a)米国との格差はどの程度か、(b)それは何に起因するか、(c)強化策として何が考えられるか、などの組織的考察はまだ試みられていないようである。 *11 鬼木甫『情報通信ハイウェイ建設のエコノミクス』1996年、日本評論社、9章Y節。 *12 「固有の文化」や「民族に特有の行動様式」を変えるのが大変な作業であることは確かである。ここでは、日本人が、戦国時代から、江戸時代・明治年間を経て戦前まで続いた「武力を背景とする他国支配・他民族蔑視」という古いパターンを、(敗戦というショックの結果ではあったが)戦後50年間に、すっかり変えることができた点を指摘しておきたい。 *13 このことは、スポーツ・ゲームが詳細・厳格なルールによって明確に規定された活動許容範囲を持ち、プレーヤーがその範囲内で全力を尽くすことと似ている。もし、相撲の禁じ手が不明確で、合法プレーと反則プレーの区別が曖昧であれば、力士は土俵で全力を出し切ることができない。サッカーやラグビーのゲームで、もしエンドラインやサイドラインがはっきりせず、悪くするとジャッジのその場の判断でボールのイン・アウトが決められるような場合には、プレーヤーのエネルギーの一部はジャッジの顔色を見ることに向けられてしまう。これでは、スポーツ技能は向上しない。なお海外の議論で、事業者のことを「プレーヤー」と呼び、市場競争を「ゲーム」と呼ぶことが多いが、それは、規制下の事業活動と(スポーツ)ゲームが、上記のように類似しているからであろう。 *14 基本的なテレコムサービス、たとえば通常の電話サービスについて、加入者当たり単位費用の低い都市地域でも、単位費用の高い地域でも、同一価格であまねくサービスを供給すること。 *15 テレコム産業の(広義の)規制は、独占禁止法関係について司法省(場合によっては裁判所・判事)、州内の事業について(各州)公益事業委員会が担当している。しかし、1996年2月の「通信法」改正によって、FCCの担当範囲が拡大する傾向が出ている。なお、米国FCCと類似するカナダの規制委員会の活動例について、鬼木甫「カナダ・ラジオ・テレビ・電気通信委員会公聴会について」『情報通信学会誌』9巻2号(1991)、pp.175-180、を参照。 *16 FCCは一つの行政組織であるが、大統領下の行政組織とは別個の組織である。したがって、FCCの決定を覆すことができるのは、訴訟に基づく司法判決だけである。米国では、このような「独立規制委員会」が多数設立されている(連邦取引委員会、連邦証券委員会など)。なお、日本の「行政組織法3条」で設置される「(3条)委員会」は、内閣の下にあって総理大臣の指揮を受けるので、上記の意味の「独立規制委員会」ではない。 *17 法律条文は一般的事項のみを定めたいわば「設計図」であり、設計図にしたがって具体的に設置(implement)される実体が「規則」であると考えられている。それゆえ、法律条文ができても、それに対応する「規則」が作られなければ、その条文は有効にならない。(前記米国「通信法」改正時に、議会は、規則設定の遅れから生ずる新法の「空文化」を防ぐため、重要条文についてFCCに期限つきの規則設定を義務づけた(改正法に含ませた)。そのためFCCは、現在新通信法のimplementationで多忙を極めている。) *18 本項全体について、「米国通信法(Communications Act of 1934 as amended by the Telecommunications Act of 1996)」の1、4、5条、同規則1、2部を参照。なお、これらの参照は、それぞれ、47USC151, 154, 155; 47CFR pts.1, 2と略記される。47は、「米国法典(USC: U.S.Code)」中の通信法の篇番号であり、かつ「米国連邦規制典(CFR: Code of Federal Regulations)」のテレコム篇の番号である。 *19 筆者による概略の比較の結果であるが、法律(米国の「通信法(47USC)」とわが国の「電気通信事業法」)では1桁程度、「FCC規則(47CFR)」とわが国の「電気通信事業法施行令・規則」との間には、2桁程度の分量の差がある。 *20 前注と同様に比較した結果、発行文書量について、2桁あるいは3桁程度の差がある。 *21 同公刊文書(FCC Record)の量は年間で10,000ページ強、積み上げたときの高さで1メートル程度に及ぶが、日本から年間350米ドル程度で購読できる。 *22 FCC規則第19部。 *23 たとえば「dominant事業者」に課される非対称規制について、それがどの時点で、どの条件の下に廃止され、対称規制に移るかを指定する。このような比較的簡単な条件付き規制であっても、規制内容を文書化して提示するスタイルが成立していない場合には、実行に抵抗が伴いがちである。 *24 「判例法」が長期的に「進化」することと似ている。 *25 たとえば、日本に居住する米国通信産業の研究者は、FCC文書を入手することによってその動向を知り、調査をおこない、結果を論文等に作成することができる(本稿の一部もその例である)。しかしながら、海外の研究者が、日本語の能力を十分に持っていたとしても、一般的に入手できる資料だけから日本の情報通信産業の規制動向について論文を作成することは不可能である。実際には、来日して関係者にインタビューを重ね、結果をまとめて論文を作成するほかはない。 *26 いま仮に、日本のテレコム産業の法律関係を処理するため、弁護士100人が新たに雇用されたものとする。弁護士一人の活動に必要なコストを年間1億円(人件費、オフィス費等を含む)とすれば、総費用は年間100億円になる。これはテレコム産業の年間売上8兆円の800分の1、年間利益4000億円の40分の1である。したがって、「文書型規制制度」の採用による効率増大によって、テレコム産業の売上が現在の800分の1、あるいは同利益が40分の1以上増大すれば、法的コストは十分に賄えることになる。なお、この計算には、テレコム産業の発展が他産業にもたらすプラスの効果を考えていない点に留意されたい。 「情報通信産業における競争と規制――日米比較と規制情報の伝達」、『ジュリスト』、No.1099、1996年10月15日号、pp.18-28。