日本経済の効率性と回復策 に関する研究会 第3章コンピュータ・半導体 鬼木 甫(大阪学院大学) はじめに  「コンピュータ」すなわち「電子的手段によるデジタル情報処理のための機械」は二十 世紀後半の所産である。1940年代、第2次大戦の終了時前後に米国で生まれて以来、半世 紀後の今日まで、コンピュータは、能力向上と適用範囲の拡大、価格の低落、サイズ縮小 のそれぞれについて、大幅な進歩を遂げた。 当初コンピュータは、大企業・銀行・政府機関・大学などで専門目的に使用される「大 型・汎用コンピュータ」であった。1970年代に至り、コンピュータの主要部分である電子 回路が、シリコン等の半導体素材上の集積回路として実現され、「プリント(焼き付け)」 方式による大量生産も可能になって、デスクトップ・コンピュータ(パーソナルコンピュ ータ、PC)が作られるようになり、オフィス・家庭における1人1台使用が始まった。 1990年代に入ると、集積・小型化がさらに進み、ポータブル・コンピュータも実用化し た。1990年代中葉以降は、「インターネット」に代表される通信ネットワークと結合して、 コンピュータは二十一世紀の「IT社会」 実現の役割を担うとされている。 現時点において、コンピュータはすでに、大量生産・大量消費の「コモディティー」に なっている。しかしながら、価格・性能比の低下、サイズの縮小、消費電力の節約、より 簡便な使用法の実現等の点で進歩は続いており、製品としての成熟段階には達していない。 従来の経過を延長すると、二十一世紀に入っても、少なくとも10年間程度は進歩が続くで あろうと予測される。 周知のようにコンピュータは、当初の発明から最近のインターネットの普及に到るまで 米国を中心として発展した。他の先進諸国は米国に追随し、これを追い越すことを試みて きた。日本においても、コンピュータによる情報処理が国家社会の重要な活動を担うこと から、「戦略産業」として重要視された。1960−70年代の汎用・大型コンピュータ国内メ ーカーの保護や、1980年代初頭以来の半導体メモリー開発に対する国の援助などは、その 表れであり、後者についてはこれが成功して、米国との貿易摩擦を生ずるまでになった。 しかしながら1980年代末のPCの出現以降、日本のコンピュータ・半導体産業に対して、 直接の公的補助や規制はほとんど加えらなかった。 同産業は国際的な競争環境におかれた のである。 コンピュータ・半導体の生産については、当初、それが日本における労働力・自然資源 の特性に合致しているように見えたことから、日本が比較優位を獲得することが期待され た。しかしながら、今日の状況を見ると、その期待は必ずしも実現していない。ハードウ ェア・部品を含む電子産業全体を見れば、日本の輸出は国内生産の半額に達している。ま た一部の先端的な製品、たとえば1980年代中葉の半導体メモリー、最近の液晶ディスプレ ー、小型ポータブル・コンピュータやプリンタ等の周辺機器について、日本からの輸出が 目立っている。しかしながら、PC本体やその主要部品であるCPU、マザーボード、チッ プセット等については輸入が多い。加えて、ソフトウェアでは輸出・輸入比が1%台とい う状態であり、またインターネット関係の製品(ルーターなど)も米国からの輸入が多い。 全体として、将来この分野で相対的な成長が予想される製品について日本の競争力が弱い というパターンが観察される。 本章においては、日米間でコンピュータ・半導体産業の比較優位が製品ごとに分かれて いることに留意しつつ同産業の日米比較をおこなう。第1節では、主に統計データによっ て日本のコンピュータ・半導体産業の現状を概観し、同産業における日本の比較優位・劣 位の所在を明らかにする。 次いで第2、第3節では、コンピュータ・半導体の中でも代表的製品であるデスクトッ プ・パーソナルコンピュータ(PC)について、1980年代後半から1990年初めにかけて日 本がその比較優位を獲得できず、逆に日米格差が生じた経過と原因を考察する。PCについ ては、日本語・英語の言語環境の差から、当初は日米の市場が分離して発展し、1990年代 初頭に到って両市場が統合された。 統合直後において、日本のPCメーカーは、安価な米 国PCの流入から苦境に立たされたが、その後海外からの部品調達などによってコスト引 下に努めつつ生産を続けている。 今日では、PCは世界規模の市場から広く部品を調達し て生産され、世界市場で販売される「グローバル商品」になっている。したがって、現時 点で過去のPC市場の展開を考える意義は少ないと思われるかもしれない。しかしながら、 製品としてのPCの特色や日本のPC市場の構造・環境の特色は、今日におけるたとえばイ ンターネット構成要素のそれと共通するものがあり、PC産業の経過を考えることは、将来 の日本のIT産業の効率性を考察するためのヒントになり得るものと考える。 最後に第4節では、コンピュータ・半導体産業について観察された日本の比較優位・劣 位の生成原因を考察し、日本が比較優位を実現するために必要な方策について述べる。「お わりに」では、本章が取り扱ったテーマに関する従来の研究成果を概観し、残された研究 課題について述べる。 1. 日本のコンピュータ・半導体生産と輸出入 (1) コンピュータ・半導体の生産の流れ 図3.1はコンピュータ・半導体産業における生産の流れを説明している。コンピュータ はさまざまの情報作業(たとえば文書作成、インターネットアクセス)のために使用され るが、それは(汎用の)コンピュータ・周辺機器・ハードウェア上に目的に即したソフト ウェアを設置(インストール)し、ユーザがそれを駆使することによって実現される。ソ フトウェアは100%近く労働だけの製品である(他ソフトウェアの転用を含む)。他方ハー ドウェアは、多数の部品を組み立てて生産される。主要な部品が半導体集積回路である。 それはシリコン等の素材から作られたウェハー(薄片)上に回路設計図を縮小して焼き付 けたもので、小型化を実現し、大量生産を可能にしている。半導体集積回路はコンピュー タだけでなく、他の製品にも広く使われており、1980年代には「産業のコメ」と呼ばれて いた。コンピュータ組立のためには、半導体集積回路以外の電子部品・デバイスも使われ るが、それらの部品・デバイスはコンピュータだけでなく、他の多くの分野で使用されて いる。 (2) 1999年のコンピュータ・半導体産業――ハードウェア まず最初に、1999年における日本のコンピュータ・半導体の生産と輸出入の現状を概観 しよう。コンピュータ・半導体は、表3.2に示されているように、電子工業製品に分類さ れる。電子工業製品は、民生用電子機器(主に音響・映像機器)、産業用電子機器、電子部 品・デバイスに三分される(ソフトウェアは含まない)。コンピュータ本体とその周辺装置 は、産業用電子機器の一部である。他方、半導体集積回路や液晶デバイスなどの部品は、 電子部品・デバイスに分類されている。 1999年の国内総生産(GDP)に対する同年の電子工業生産額23兆円余の比率は5%弱で ある 。電子工業生産のうちで産業用電子機器はその約半分(48.6%)を占め、電子部品・ デバイスは43%程度であり、残りの1割弱が民生用電子機器である。産業用電子機器は、 コンピュータとその周辺装置のほか、通信機器・制御機器などを含む。1999年におけるコ ンピュータと周辺装置の生産額は共に約2兆円であり、両者合わせてGDPの1%弱になる。 他方、電子部品・デバイスの生産高は計10兆円であるが、その中で半導体・集積回路の合 計は3兆5000億円(GDPの0.7%程度)、液晶デバイスは1兆2000億円(GDPの0.25%) である。従って、これらの生産金額だけから見れば、コンピュータ・半導体は、「電子工業」 の中で先端的な製品ではあっても、生産金額の点ではその一部にすぎない。また日本経済 の中で同産業が占めるウェイトは、たとえば自動車産業と比較してもかなり小さい。 次にコンピュータ・半導体の輸出入の状況を見よう。電子工業は全体として見れば輸出 産業であり、表3.4が示すように1999年の輸出額は12兆円強で、同国内生産額の約半分 に達し、日本の財貨・サービス輸出額の4分の1を占めている。その中で、デスクトップ と携帯用を合計したコンピュータの輸出額3400億円は、同国内生産の15%強に留ってい るが、周辺装置の輸出1兆2000億円は、国内生産2兆円の半分を超えている。他方、電子 部品・デバイスを全体としてみると、国内生産10兆円に対して輸出は8兆円にも達してい る。記憶素子・論理素子などの集積回路のついても、同様に輸出が多い。 他方、電子工業生産の輸入を表3.6で見ると、全体として国内生産23兆円に対して、輸 入は5.6兆円であり、これは輸出の約半分である。電子工業の各項目について輸出と輸入 のパターンを見るため、1999年の電子工業純輸出(輸出マイナス輸入)を計算してみる(表 3.8)と、輸入超過になっているのは有線通信機器(電話機・交換機・ルータ等)と、デス クトップコンピュータの2項目だけで、それ以外のすべての項目で輸出が輸入を超過して いる。また、特に純輸出が大きい項目は、コンピュータ周辺装置、通信・コンピュータ以 外の産業用電子機器(たとえば制御用機器)、および半導体・集積回路以外の電子部品・デ バイスである。 これらの結果から、日本経済における電子工業の生産は、デスクトップ・コンピュータ の本体、通信機器を除く大部分の項目について輸出超過であり、生産効率が高いことが分 かる。 (3) 1990-1999年のコンピュータ生産 図3.9は1990年代の電子工業の国内生産と輸出入に加え、同年代のコンピュータ本体と 周辺端末装置の生産高の経過を示している。コンピュータ生産の総額は1992年の不況期に 減少した後、1997年に到って一旦は上昇し、その後再び減少していることが分かる。しか しながら1990年代を通じて顕著な増減・変動はなく、総額は5−6兆円台で停滞している。 次に生産額の内訳を見ると、まず大型コンピュータの減少傾向とパーソナルコンピュー タの増大傾向が顕著である。大型コンピュータは1990年の生産高1.3兆円から、1999年の 2600億円にまで減少した。これに対してパーソナルコンピュータの生産金額は、1993年に 大型コンピュータを追い越し、1999年には2兆2000億円にまで達している。これに対し、 周辺端末装置の生産金額は若干の減少傾向にあるが、電子計算機本体に匹敵する金額を保 持している。 上記のように1990年代のコンピュータの生産は、金額だけで見ると、大型コンピュータ の減少とパーソナルコンピュータの増加傾向を除いて、概ね安定していたように見える。 しかしながら、後に説明するように、この期間実質的な内容は大きく変化している。まず 第一に、PCと周辺端末装置の価格下落と性能向上が著しく、(売上金額は変わらないにし ても)個々の生産物の性能価格比は大幅に向上している。まずPCの国内出荷台数は、表 3.9が示すように、1992年の176万台から1999年の921万台へと7年間に5倍強の成長を 示している。他方平均価格は1992年の56万円から24万円に低下している。PCの平均性 能はこの期間に数倍から十数倍に向上した(統計データには表れていない)から、もし「性 能・価格比を考慮した実質生産」という統計データが作成されていれば、そのグラフは指 数的に成長していたはずである。  次に図3.9において増大傾向を示しているPCの内訳についても、1990年代に変動が生 じた。同年代前半においては(これも後に説明するように)NEC製のPC9800型パソコン がシェアの過半を占めていたが、1993年ころからDOS/Vが普及し、当初IBM型PCの輸 入増大の形で、続いてその国内生産が増大した。1990年代の後半には、NECもPC9800型 の生産を停止してDOS/V型PCに移行した。 1999年の時点では、(アップル社製を除き) 100%近くのPCがDOS/V型になっている。 (4) ソフトウェア生産と輸出入 次に、ソフトウェアの出荷と輸出入について説明する。表3.11が示すように、日本のパ ソコン・ソフトウェアの出荷金額は1998年で5900億円台であり、これは同年のパーソナ ルコンピュータ・ハードウェアの生産額2,1兆円の約28%にあたる 。この数字は、ハー ドウェアへの支出に対するソフトウェアへの支出比率の増大というトレンドの同年におけ るスナップショットであり、今後においてはソフトウェアへの支出の比重は一貫して高ま ることが予想されている。 図3.12Aと同Bは、1998年におけるパソコン用ソフトウェア出荷額の種類別と、流通経 路の比率を示している。同年において、ソフトウェアの中ではオペレーティングシステム (OS)が最大の比重を占め、これにワープロソフト、表計算ソフトが続いている。他方、 PCソフトウェアの流通経路としては、デストリビュータ経由の出荷額が最大の42%を占 め、ソフトウェアベンダーからの直接販売が19%、PCハードウェアや他ソフトウェアと のバンドル・パッケージが10%弱を占めている。 次に、ソフトウェア(PC用パッケージソフトだけでなく、個別発注・製作分なども含む) の輸出・輸入額の年次経過を1994-1998年について見よう。表3.13、および図3.14から明 らかなように、輸出と輸入の間には極端なアンバランスが存在する。1994年における日本 のソフトウェア輸入は2600億円程度で、その大部分は米国からの輸入であった。1998年 には、輸入金額が6000億円近くにまで増大しており、同じく米国からの輸入が大部分であ る。これに対し、日本からのソフトウェア輸出は、1994年において55億円、1998年でも 88億円程度であり、輸入額の数十分の一というアンバランスが続いている。図3.13にはソ フトウェアについて日本からの輸出を日本の輸入で割った輸出入比率が示されているが、 日本は米国、欧州、アジア、その他の世界各地域に対して輸入超過になっており、1997− 98年の対米国比率は最低の0.23%である。ヨーロッパとの輸出入比率は1994年の32%か ら1998年の4.6%に減少しており、アジアについても61%から30%に半減している。これ らの数値は、日本のソフトウェア輸入が絶対値だけでなく相対比率においても増大してい ることを示している。 (5) 米国のコンピュータ・半導体産業  表3.15A・Bは米国のIT産業(コンピュータ・半導体産業を含む)の生産額(GDP)(付 加価値額)を示している。 1999年の(推定)生産額は7300億ドルである。IT産業がGDP 合計中に占める比率は、1990年の5.8%から1999年の8.2%に到るまで一貫して増大して いる。このうち日本の電子工業に対応する項目はハードウェアと通信機器であるが、その 1999年の合計額268,214百万ドルは、1990年の123,715百万ドルの2.17倍であり、また1999 年のGDP合計の3.0%を占める。前述のように同期間における日本の電子工業生産額は、 23兆円程度の水準で停滞していた。  なお同表は、コンピュータ・ハードウェアに対する同ソフトウェア生産額(付加価値) の増大傾向を示している。1990年のハードウェア生産額に対するソフトウェア生産額の比 率は26.6%(=8.27/31.11)であったが、1996年においては35.0%(=11.08/31.62)になっ ており、6年間で平均8.4%(1年間で1.4%)の上昇スピードを示している。 2. 日米のパーソナル・コンピュータ(PC)産業・1970年代中葉から現在まで  コンピュータ・半導体産業の日米比較のため、本節ではその代表的製品であるパーソナ ル・コンピュータ(PC)産業を取り上げる。パーソナル・コンピュータは、70年代の集積 回路技術の発展にともなって、それまで複数の基板上に作られていた電子回路が1個の半 導体素子(チップ)にまとめられ、ワンチップ・コンピュータ(マイクロプロセッサー・ ユニット、MPU、CPU)として実現されたことに始まる。PCは従来の大型コンピュータ を縮小・簡単化した製品であり、半導体素子の小型化と大量生産の結果実現された安価な 小型コンピュータである。したがって、軽薄短小をお家芸とする日本メーカーがPC生産 の比較優位を獲得できるのではないかと一般に予想されていた。しかしながら前節で見た ように、(製品の極度の小型化・軽量化を要求されるポータブルPCを除いた)デスクトッ プ・コンピュータについては、この予想は実現していない。日本のPC産業の環境に米国 のそれと異なる要因があり、これが日本メーカーによるPC生産の比較優位の獲得を阻げ たのではないかと考えられる。本節と次節の目的は、そのような「阻害要因」を明らかに することである。 (1) PC生産のはじまり――複数アーキテクチャー間の不完全競争と独占の成立 1970年代中葉から同年代末にかけて、米国においても日本においても、多数のコンピュ ータ・メーカーが、インテルあるいはモトローラ社のCPUを使ったPCを市場に供給した。 現在に比べて能力ははるかに低く、小規模の計算や短い文章のワードプロセッサー機能程 度を有するだけであった。 このように発足直後のPC産業は、多数メーカーが異なるアーキテクチャーのPCを提供 するという異種製品間の競争(不完全競争)の形をとっていた。80年代に入り、米国にお いてはIBMが、日本においてはNECが急速にシェアを広げ、数年のうちにそれぞれ独占 的な地位を確立する。 まず米国においては、1981年にIBMがインテルのCPU(8086)を使用したIBM-PCを 発表し、コンピュータ市場に参入した。それは、オフィスの日常業務をどうにか満足でき るスピードで処理できる最初のPCであった。IBMコンピュータは米国の企業社会に広く 受け入れられて急速にシェアを拡大し、発売2年後の1983年には70%以上を占めるよう になった。IBMは1984年にインテルの新しい16ビットCPU(80286)を装備したPC-AT を発表したが、これが現在に至るまでPCの標準方式として定着している 。それ以外の形 式のコンピュータは市場から姿を消し、IBMによる独占が形成された 。  他方、日本においては、米国に1年ほど遅れて、NECがIBM−PCと同じくインテルの 8086を装備したコンピュータを発表し、IBMと同じくオフィスにおける採用数を急速に伸 ばした。1983年には、日本IBMが米IBMコンピュータを改造した日本語仕様機5550を 発表し、また、富士通、日立もそれぞれ事務用を主目的とするコンピュータを発表した。 その後個人使用のコンピュータ(必ずしも家庭用でなく、大部分は企業において事務用に 使用された)について、NECのPC-9800型コンピュータが急速にシェアを伸ばし、1980 年代中葉までにはシェア第1位をとるようになった。  このように、70年代末のPCの出現期から80年代前半まで、両国のコンピュータ市場は ほぼ同一のパターンで展開し、不完全競争から独占に変わっていった。これは、技術的理 由による「自然独占」であったと考えることができる。しかしながら80年代中葉から互換 機市場の展開が始まると、日米両国のコンピュータ産業構造に大差が生ずるのである。 (2) 米国における互換機メーカーの参入と競争市場の成立(コンピュータ標準の成立)  米国においては、IBMによる独占形成後わずか数年のうちに、IBMコンピュータの互換 機メーカーが急速に成長した。1983年のIBMのシェアが72%強であったのに対し、4年 後の1987年には4分の1以下に低下し、市場の75%以上が互換機メーカーによって占め られるようになった。  互換機メーカーの急速な成長を可能にした理由は、IBMによるコンピュータ仕様開示の 方針、メーカー・ユーザによる標準方式の受け入れ、および競争促進のための司法判決な どである。IBMは、当初からパーソナル・コンピュータの部品の取り替えを可能とする設 計を採用し、同時にそれぞれの部品の結合仕様(インターフェース)を公開した。その結 果、IBMコンピュータの互換部品や互換機の生産が可能となり、多数の中小メーカーによ る技術開発、市場参入、価格低下がもたらされ、IBM方式によるコンピュータの標準化と 同市場の急速な成長が実現した。しかしながらそのために、IBMは互換機メーカーの攻勢 にさらされ、独占市場を失うことになったのである 。 (3) 日本における複数メーカーの併存とNEC方式市場の複占化――日米格差  米国のコンピュータ市場はIBM互換機メーカーの大量参入によって競争市場となった が、日本ではこれと異なる経過をたどった。まず、一般企業において大型機の端末として 使用されるPCについては、大型機の供給者でもあるNEC、日本IBM、富士通、日立のコ ンピュータが並立する形が継続した 。この中でNECのPC-9800が着実にシェアを伸ばし、 1980年代後半には、価格と品質、利用可能なソフトウェア数などにおいておおむね独占的 地位を確立した。  1987年にいたり、NECのPC-9800型市場に、エプソン社が互換機メーカーとして参入 を試みた。同年春にNECは、エプソンをBIOSの著作権違反で提訴したが、結局両者の和 解が成立し、PC-9800型市場は、NECとエプソンによる複占体制となった。同年以後、同 市場に新たに参入を試みたメーカーは現れていない。これらの結果、1990年の時点で、市 場の60%以上をNECとその互換機が占め、残りを日本IBM、富士通、日立の3社および 他メーカーが分け合う形になった。 この間、米国においては、IBM互換機の性能向上と価格下落が著しく、その結果として の需要拡大とさらなる価格下落という好循環が生じ、このころから日米コンピュータの格 差拡大の傾向が明瞭になった。しかしながら、この期間、米国製のコンピュータが日本語 を取り扱えないという事情から、日本のコンピュータ市場は米国から隔離され、米国製コ ンピュータの輸入はゼロに等しかった。  1980年代後半から90年代にかけて、日米のコンピュータには、インテルの80286から、 同社の386、次いで486と性能を大幅に向上させたCPUが採用された。また米国において は80年代中葉のPC-AT型機、日本においては同年代中葉のPC-9800型機が主流を占め、 それぞれ実質上のコンピュータ標準の地位を確立した。 (4) 米国製コンピュータの流入  1991年に到り、CPUの能力増大の結果、米国IBM型のコンピュータ上で日本語の処理 (日本語文書や、日本語を含んだ表・データなどの作成)が可能になった。そのための新 しいOSが、日本IBMのDOS/Vである。 1991年から92年の米国においては、経済全般にわたる不況もあって、コンピュータ価 格が下落した。当初は、小規模互換機メーカーのみの価格引き下げであったが、漸次(コ ンパックなどの)大規模メーカーへ波及し、最後にはIBMも価格を引き下げた新しいコン ピュータを供給するようになった。これらの結果、日米のコンピュータ価格・性能差が従 来にもまして顕著になり、1992年の後半から米国製コンピュータの日本市場への輸入が増 大した。その結果1993年に到り、NECおよびエプソンは、性能を強化し、価格を2分の1 程度に引き下げた新しい機種を発表して輸入コンピュータに対抗することにした。日本で は1992年から93年にかけて不況が深刻化したので、コンピュータ市場の規模は若干縮小 した。そして1993年には、米国製コンピュータ、NEC・エプソンのコンピュータともに、 価格引下、性能向上が進んだ。1993年末において、日本のコンピュータ市場の大部分は依 然PC-9800型が占めていたが、新しいOSであるWindowsの供給開始と平行して、米国製 コンピュータのシェアが少しづつ増加した。1992年6月および1993年11月の時点におけ る両国のコンピュータ(ハードウェア)の小売価格(定価)を比較すると、同一性能の製 品について日米両国の間に3対1あるいは2対1程度の価格差があった 。   (5) ウィンドウズOSの普及とコンピュータ世界市場の一体化  1992-3年から現在まで、PCハードウェア性能の向上と価格下落、DOS/Vに代わる Windows OSの普及とそれに基づく世界的規模でのユーザ数の拡大と価格下落が進んだ。 これらの傾向は2000年に入っても依然として継続しており、少なくとも今後10年程度の 期間は継続するものと予測されている。  1990年代後半の日本においては、Windows OSがPCのための強力なプラットフォーム として成立し、NEC-9800型のPC上でもWindows 用のアプリケーションプログラムを使 用することが可能になった。その結果、DOS/V型PCのアプリケーションとPC-9800用ア プリケーションの区別がなくなり、PC-9800はWindows OS下のハードウェアの一仕様と なった。IBM型PCは世界規模の市場を持ち、NEC-9800型PCの市場は日本国内に限られ ていたので、生産規模の利益から両モデルの生産費に格差を生じ、NEC-9800型PCは次第 に競争力を失っていった。しかしこの間、大部分のユーザは新しいハードウェア、新しい OS(Windows)、新しいアプリケーションへの買い換えを進めたので、NEC-9800型PC上 でDOSプログラムを使用していたユーザも次第にIBM型PC上でのWindowsプログラム 使用に移行した。そしてNEC自体も本来のNEC-9800型PCの生産から、(PC98という同 一あるいは類似のブランド名を保持したまま)IBM型PCへの切り替えを進めた。これら の結果NECは、古くからの自社PCのユーザに(他社PCのユーザと比較して)極度に大 きな負担をかけることなく、自社モデルであるNEC-9800型PCから世界標準となったIBM 型PCへの切換を完了することができた。同社のシェアは1980年代末の6-7割という独占 的水準から大きく低下したが、しかし現在でも国内PC市場のトップシェアを維持してい る。  1990年代前半の米国製PCの流入以来、国内のPCメーカー(NEC、富士通、日立など) はPC生産にかかる利潤率を大幅に切り下げた。また従来のPC部品の社内供給体制を諦め、 台湾・東南アジアの広範囲のメーカーから部品購入をはかってコストを切り下げ、輸入PC に対抗した。90年代後半は、Compaq社を初めとする米国メーカーと国内メーカーがPC ハードウェア市場で激烈な争いを繰り広げた。また1990年代末においては、米国のメール オーダー型サプライヤであるDELLやGateway2000も日本市場に参入し、その結果さらに 競争が進展して、価格引き下げ、需要増大の同時進行という好結果が日本市場でも実現し た。 (6) 世界市場の中の日本のPC産業  上記の経過から出てくる問題点は、世界のPC市場における日本メーカーのパフォーマ ンスが、何ゆえにテレビ、ファクシミリ、VTR市場でのすぐれたパフォーマンスと大きく 異なることになったかである。日本のメーカーは早くからPCの重要性と将来性を認めて おり、十年余の期間にわたって(途中一部メーカーの脱落はあったが)悪戦苦闘とも言う べき企業努力を払い続けてきた。それにもかかわらず、PCハードウェア市場で苦戦を免れ なかった。またPCソフトウェア市場では、OSでもアプリケーションでも、最初からほと んど勝負にもならなかった。このような極端な結果を生じさせた原因を明らかにすること が、次節の課題である。 3. 日米のコンピュータ産業構造の比較と日本型企業組織 (1) 上下分離型の米国コンピュータ産業――競争市場と独占市場の併存  前節で説明したように、米国においては、1980年代中葉にIBM型PCの標準仕様が確立 し、多数の互換部品メーカー、互換機メーカー、ソフトハウスが市場に参入した。これら のメーカーは、自己の得意とする部品、製品、システム、ソフトウェアなどの生産に特化 し、分業の利益を最大限に発揮しながら他メーカーと競争し、技術進歩、製品改良、コス ト引き下げを実現した。その結果、ハードウェアからソフトウェアまでの各レベルにわた って「上下分離」型産業構造が成立し、(少数の例外を除き)それぞれのレベルで競争が進 行した。上下分離型の産業組織は、高度な分業のための、つまり効率的な生産のための必 要条件であった。  図3.18が示すように、米国のコンピュータ産業は上下5層に分かれて機能している。最 下層は、ハードウェア部品・デバイスの生産である。多数の部品・デバイス市場が成立し ており、米国だけでなく世界各地に供給基地があって、その大部分が競争市場で、製品開 発・改良が急速に進んでいる。 次に、同図の下から2番目と3番目の層は、コンピュータ本体や周辺装置を設計し、組 み立てる仕事である。設計・組立は、いずれも高度の知的作業や注意深い工程管理を必要 とするが、特殊なハードウェアのように知的財産権などで保護される要素は少ない。この ため、この層には多数の企業が参入して競争市場が形成されている。 図3.18の上2層は、いずれもソフトウェア生産である。上から2層目のオペレーティン グ・システム(OS)市場は、マイクロソフトのほぼ完全な独占下にある。OSは、その上 の層すなわちアプリケーション・プログラム(AP)に対して標準化された公開インターフ ェース(API)を提供する必要があり、(内部構造は別にして)インターフェースについて 独自性を出す余地はほとんどない。また、OSの開発には多額のコストがかかる。OSはす べてのコンピュータで使用されるため、販売数は格段に大きいが、「生産」はコピー作成に すぎないため、可変費用が極度に低く、規模の利益が大きい。したがって、独占市場が一 旦成立すると、製品価格が高く設定されないかぎり、市場に新たに参入することは困難で ある。IBMが当初PCの供給を開始したときに採用したマイクロソフトのオペレーティン グ・システム(MS-DOS)が、IBM-PCと同互換機の普及にともなって強固な独占市場を形 成し、ウィンドウズOSの時代になってもこれが維持されている 。 図3.18の最上層は、アプリケーション・プログラム(AP)である。プログラムの生産 は、特定の仕事を実行する手順に関するアイディアと、それを実現するための(プログラ ム・記号の)コーディングに依存しており、優れたアイディアとコーディング技術があれ ば、少額の資本で容易に参入できるため、ソフトウェア市場は強度の競争市場となってい る。その結果、コンピュータの使い勝手は年々改良され、またコンピュータによって実行 できる仕事の範囲も拡大し、多数のユーザを引きつけることができた。米国におけるコン ピュータ産業発展の一端は、競争環境にあるアプリケーション・プログラム市場が担った のである。 (2) 縦割り型となった日本のコンピュータ産業――メーカー間の不完全競争と NEC9800市場  米国のコンピュータ産業が上下分離・横断型の競争市場となったのに対し、日本のコン ピュータ産業は、当初MS-DOSの時代に、ハードウェア、OS、ソフトウェアを通じてメ ーカーごとの縦割りになり、それぞれのメーカーが少しずつ仕様の異なるコンピュータを 生産・供給した。 その結果、わが国のコンピュータ産業の成長は、米国と比較して遅れることになった。 ハードウェアについては、メーカーごとに研究開発、品質改良の努力がなされたが、市場 が縦割りであり、それぞれの市場の規模が小さいために、優れた製品を開発してもそこか ら十分な収益を上げることができなかった。したがって、研究開発に向けられる資金量も 限られ、全体として技術進歩のスピードが落ちたのである。 また、DOS時代のアプリケーションについては、ソフトハウスが、各メーカーのOS・ ハードウェアに適合するようにソフトウェアを作らなければならなかった。通常の場合、 まず市場規模が最大であるNEC社コンピュータ用のソフトウェアが供給され、そこで成功 したソフトウェアのみが他メーカーのコンピュータ用に書き直された。 ソフトハウスが 「書き直し」に余分のコストを支払わなければならなかった分だけ、新製品の開発力が落 ちたのである。その結果、ユーザが入手できるソフトウェアの種類や数において、そして また平均的なソフトウェアの質において、日米両国間に数年程度の格差がついたと言われ ている 。 (3) NEC仕様コンピュータの「不完全」独占  米国と日本のコンピュータ産業の構造変化を比較してみると、米国において生じた変化 すなわち標準仕様PCの成立と互換機メーカーの参入による競争の進展が、日本において は中途半端で終わり、最後まで進行しなかったことが観察できる。第1に、NEC仕様のコ ンピュータのシェアが3分の2程度まで拡大して、同社と他社の間に製品格差が生じたに もかかわらず、他社仕様のコンピュータは消滅せず、相当のシェア(それぞれ5〜10%程 度)をもって生き残った。第2に、最大シェアをとったNEC仕様のコンピュータ市場には、 わずか1社(エプソン)だけが参入したにとどまり、米国で生じたような多数の互換機メ ーカーの参入は、コンピュータ本体については生じなかった。(周辺機器市場には多数の参 入が生じた。)  第1の点、すなわちNEC仕様のコンピュータのシェアが100%にまで拡大しなかった理 由、すなわち他社仕様のコンピュータが生き残った理由はいくつか考えられる。まず、日 本の企業は、自己の属する企業系列グループのコンピュータ・メーカーの機種を採用する 傾向があった点を指摘できる。その理由は、第1に、企業が使用する大型機が同一グルー プ・メーカーの製品であり、大型機メーカーが供給するコンピュータを使うことが有利で あった。第2に、日本の企業社会の「風土」により、技術的・経済的要因を超えて同一グ ループに属するメーカーの製品が購入される傾向が強かったことが挙げられる。 (4) NEC仕様コンピュータ市場への「不完全」参入 NEC仕様のコンピュータ(PC-9800型)のシェアの拡大が米国のように極端まで進まな かった基本的な理由は、同市場が独占あるいは複占のままで終わり、米国のように上下分 離された競争市場とならなかったことによる。米国においては、競争の進展によってIBM 型コンピュータの価格の下落と性能向上が急速に進み、短期間のうちに他社仕様のコンピ ュータと大差がついてしまった。これに対し、日本においては、最大シェアを持つPC-9800 市場が独占・複占のまま続いたので、高価格が維持され、また性能向上もそれほど急速に は進まなかった。したがって、NEC以外のコンピュータのユーザが、NEC仕様のコンピュ ータに乗り換える動機が米国と比べて弱く、他社仕様のコンピュータが1990年代まで生き 残ることになったのである。  日本のコンピュータ産業構造の1つの特色は、PC-9800市場への新規参入がエプソン1 社だけで終わり、米国のような多数メーカーの参入が生じなかった点にある。この点につ いては、特許権や著作権などの知的財産権の制度やその運用の仕方が影響を与えた。コン ピュータ市場の独占は、独占企業の技術やノウハウがすぐれていて他社が容易に追随でき ないことから成立している場合もあるが、多くの場合、コンピュータに不可欠の部品が知 的財産権によって保護されていることによって成立している。以下、これらの点について 日米比較をおこなう。 まず、知的財産権の法律条文自体には、日米間でほとんど差がない。特許権や著作権関 係の法律は、長い間国際的な標準化・均一化の努力が続けられており、その結果、先進国 はおおむね同一内容の法律を持つようになっている 。日米間のコンピュータ産業への新 規参入の程度の差は、知的財産権法の差から生じたのではない。実際に影響を与えたのは、 法律の条文ではなく、法律の運営方法の差、すなわち米国においては裁判所の判決、日本 においては裁判所の判決(その欠如)を含む社会的風土であった。 (5) 米国における互換機メーカーの参入と知的財産権  米国IBMは、1980年代中葉に同社仕様コンピュータのインターフェース(バス仕様や キーボード、ディスプレイ、固定ディスクなどの接続仕様)を公表し、周辺機器メーカー の参入を認めて市場の急速な成長をはかった。しかしながら、コンピュータ本体、とりわ けその中心部品である基本入出力システム(BIOS)については著作権による保護を求め、 自社仕様コンピュータの供給独占を継続しようとした。これに対して互換機メーカーは BIOSを自社で生産し(たとえばコンパック社)、あるいはBIOSを同専門メーカー(たと えばAMD社)から購入して市場参入を試みた。IBMは、これらの互換BIOSの生産が同 社BIOSの著作権を侵害しているとして、互換機メーカー、BIOSメーカーを何度も提訴し てきた。  これらの提訴に対し、1980年代後半における裁判の結果、第三者によるIBM仕様コン ピュータのBIOS生産について「クリーン・ルーム方式」と呼ばれる参入ルールが成立し、 同方式にしたがう生産は、IBMの著作権を侵害しないとする判例が確定した 。  その結果、先行企業が設計・供給したプログラムや半導体と同一機能の製品を後発企業 が合法的に生産する途が開かれた。この方式は、BIOSだけでなく、他の製品、たとえば インテルCPUの互換メーカーにも適用されている。 (6) セイコー・エプソン社のNEC型コンピュータ市場への参入  日本の場合には、NECのPC-9800方式のコンピュータ市場において、1987年3月にエ プソンが「自社開発」と主張するPC-9800方式BIOSをもって参入を試みた(エプソンPC286 モデル1〜4)。NECは当初これに対し、エプソンの同BIOSが自社BIOSの著作権を侵害 しているとして出荷差し止め(製造販売中止の仮処分申請)を同年4月7日に東京地裁に 提訴した。エプソンはNECの提訴に対し、当初供給しようとしていたBIOSの出荷をとり やめ、自社で開発した別のBIOSによってNEC互換機を供給することを発表した(PC286 モデル0) 。その後、NEC、エプソン両社は同訴訟について和解に達し(同年11月30日 発表)、(非公開の条件の下に)NECは提訴を取下げ、エプソンはNECに和解金を支払っ た上でPC-9800仕様市場への参入を果たした。その後、エプソンと類似の条件で同市場へ の参入をNECに申入れた企業もあったが、NECはこれをすべて拒否したとのことである。 エプソン社以外、同市場に互換機をもって参入を試みたメーカーはない 。  BIOS生産に関する訴訟において日本が米国と異なっている点は、互換メーカー(上記 ケースにおいてはエプソン)BIOSについて、適法な生産と不法な生産を区別する明確な 基準が確立されなかったことにある。NECとエプソンの和解内容は公表されず、また、裁 判所もこの点に関する明確かつ具体的な判断を示さなかった。エプソンの参入後も、 PC-9800市場への合法的な参入の方法は不明確のままで残り、結局NECの提訴を予想した 上での他社による同市場への参入は試みられなかった。安易な参入が不法行為となり、企 業イメージを損ずることを怖れたからであろうと推測される。その結果、同市場はNEC とエプソンの複占市場として存続した 。 (7) 製品としてのコンピュータ(本体)の特色――部品の緩やかな結合体  前節の議論のように、日米間のコンピュータの製品格差をもたらした原因は、第1に産 業構造の差(上下分離型か縦割り型か)、第2に知的財産権の保護をめぐる司法制度の差に あったと言うことができる。しかし、日本企業が成功した自動車や家電、オフィス機器(フ ァクシミリ機など)などの市場は上下分離型でなく、企業ごとの縦割り構造になっている。 自動車はともかくとしても、コンピュータは大衆市場を目標にした小型の電気製品という 点で、家電製品・オフィス機器と類似している。それにもかかわらず、日本メーカーがコ ンピュータにおいて成功しなかった理由は何であろうか。  その説明のためには、コンピュータという製品の性質を明らかにすることが有用である。 図3.19は、コンピュータ本体(ハードウェア)、同ソフトウェア、自動車、および家電製 品が比較している。また、コンピュータの重要な部品である半導体(CPUとメモリ)につ いても、参考のために比較をおこなっている。比較の視点としては、製品の改良、需要の 増大、そして産業成長の諸点にかかる項目が選ばれている。(他の項目、たとえば資本労働 比率・収益期間などは省略されている。) 図3.9の項目を全体として眺めると、PC本体ハードと同ソフトの性質は比較的似ており、 これに対して家電製品はPC本体よりもむしろ自動車に近い性質を持っていることがわか る。コンピュータ・ハードウェアは小型の電気製品として家電製品と似ているように思え るが、実はその性質は相当に異なっているのである。また、半導体(CPU、メモリ)は、 製品構造と研究開発のパターンにおいて自動車・家電と似た性質を持っている。 図3.10の最初の4製品(PCハード、ソフト、自動車、家電)は、いずれも組立型の製 品である。しかし部品の物理的性質は、製品間で大差がある。特にPCソフトの部品は、 他と異り「情報(プログラム)」そのものである。それにもかかわらず、これらの4製品は、 それぞれがある程度独立した部品から構成されており、多数の部品をその性質に応じて組 み立て、部品全体が統合されて製品としての働きを生み出す点で共通している。 しかしながら部品相互間の関係、すなわちインターフェースは、PCと自動車・家電製品 の間で大きく異なる。PCにおいては、ハードウェアについてもソフトウェアについても、 部品間の結合度が弱く、1個の部品を(たとえばより性能の高い)別の部品で置き換える ことは比較的自由にできる。その結果、部品間の性能のバランスに変化が生じても、製品 全体として大きな問題にはならない 。これに対し、自動車や家電製品においては、部品 間の結合度が強い。たとえば自動車については、部品規格がメーカーごと、モデルごとに 決まっており、一部の部品だけ高級なものに取り替えることは不可能ではないが、大部分 の部品については考えられていない。家電製品については、故障した部品を同一部品で取 り替えることはあっても、部品取り替えによって部分的なグレードアップをはかることは 皆無である 。なお半導体は、情報を取り扱うという点でPCハード、ソフトと共通してい るが、組立型の製品ではなく、当初から一体化されて生産される。その点では、PCよりも 自動車・家電に近い。 このように、製品を構成する部品が比較的自由な取り替えを許すか否かが、PCと自動 車・家電製品・半導体との大きな差になっている。PCにおいては、ハードウェアについて もソフトウェアについても部品取り替えを可能にするため、部品間のインターフェースが 標準化されている。インターフェースの約束を守って製造された部品は、メーカーの如何 にかかわらず組み込むことができる。これに対して、自動車・家電製品においては、故障 時の取り替えを除いて部品の入れ替えは最初から考えられていない。したがって、(タイヤ やバッテリーのような少数の消耗品を除いて)部品間のインターフェースは標準化されて いない 。つまりPCはハードウェアについてもソフトウェアについても、複数の製品(部 品)の「結合体」になっている。これに対し、自動車・家電製品・半導体は、文字どおり 単一製品としてまとまっている。 (8) 日本型企業の特色と製品の特色  上記のような製品特色の比較から、自動車・家電製品・半導体は日本型企業における研 究開発および生産に適していたと言うことができる。日本型企業は、会社ごとのまとまり が強く、社内の統制がよくとれており、社内コミュニケーションも円滑に進む。社員がチ ームを組み、緊密な連携の下に新製品を開発し、また製造技術に磨きをかけるために適し ているのである。日本型企業においては、製品開発はもとより、生産段階においても、材 料・部品の調達、組立、流通・販売に至るまで実質上系列化されていることが多く、それ ぞれの系列の中で各ステップが効率化されている。競争相手の企業系列との交渉はほとん どなかった。 自動車・家電製品や半導体のように一体化された製品は、上記のような日本企業におい て最も効率的に生産された。たとえば、自動車については、部品生産を受け持つ下請け企 業も、製造プロセスの側面では実質的に親企業の中に組み込まれていた 。親企業と下請 け企業の関係を断ち切り、自由な「部品市場」を作って、親企業が最も安価な、優れた部 品を購入することは考えられないではなかった。しかしながら、そのような方法では、品 質管理や生産管理等について、親企業と部品供給企業との間の交渉の手間、すなわち取引 費用(Transactions Cost)が増大し、有利な結果は必ずしも得られない 。家電製品・半導 体メモリについても、同様の傾向が見られた 。 上記のことを逆に述べれば、垂直統合された日本型の企業は、コンピュータ本体の生産 には適していなかったと言わなければならない。コンピュータにおいては、部品間の結合 がゆるく、一部の部品の改良がそれ自体のメリットを発揮する。したがって、米国のコン ピュータ産業に見られたように、部品単位の取引を実現することが有利である。すなわち、 それぞれの部品について、メーカーは、自己のために最も有利な条件を提供する相手と取 引することが望ましい。部品間の結合が緩く、また標準仕様が確立しているので、外部市 場から部品を調達して組み立てても問題は生ぜず、企業間の取引コストも増大しない。こ の理由で、コンピュータの生産においては、企業間の開かれた市場が産業成長のために威 力を発揮したのである。 垂直統合された日本型企業がコンピュータの生産に従事するときには、研究開発能力の 不足という不利を被むる。研究開発と部品生産をすべて自社内でおこなうときには、研究 開発に振り向ける資源をすべて自社で負担しなければならない。部品市場が開かれていた ならば、国内で(あるいは世界中で)最も優れた研究開発の成果を利用できた。しかしな がら、自社開発の場合には、社内という限られた範囲内で最も優れている研究開発の成果 しか利用できない。産業全体の観点から言えば、企業が縦割り構造になっているため、研 究開発能力が企業ごとに分断されたのである。これに対し自動車・家電製品あるいはポー タブル・コンピュータの場合には、部品間のインターフェースが強いために、コンピュー タのように外部市場から部品を調達する利点が少なかった。デスクトップPCの場合には、 同じ理由で外部から部品を調達できないことが生ずるマイナスが大きかったのである。 日本型の企業組織が、自動車・家電製品・半導体メモリの生産において威力を発揮した 反面、コンピュータの生産においてはマイナス要因となった理由は上記のとおりである。 4. 日本のコンピュータ・半導体産業の将来 (1) 日本の比較優位・劣位の概観 日本のコンピュータ・半導体産業、あるいはそれらを含む電子工業は、全体としてみれ ば現在時点で十分な国際競争力を持っており、この地位は中期的には(たとえば5年ない し10年程度の期間は)安泰であろうと考えられる。もとより電子工業の製品は多種多様 であり、抵抗器やコンデンサーのように単純な構造の部品から、コンピュータ用メモリ・ CPU集積回路のようにシステム的要因が大きい複雑なハードウェアまで存在する。大量生 産・大量販売に適した製品と、特殊な用途や場所だけで使われる少量・注文生産の製品も ある。日本が比較優位・劣位のいずれを持っているかは、それぞれの特性によって大きく 異なるが、全体としての競争力については当分の間は安心してよいと言うことができる。 これは、1990年代の電子工業の純輸出が6〜8兆円で安定している(内訳は動いているが ――表3.9)ことにも表れている。 しかしながら日本の比較優位・劣位の所在を詳細に点検すると、時間の経過にともなっ て電子工業全体としての日本の比較優位の程度が減少傾向にあることがわかる。日本の優 位性は長期的に少しずつ失われており、もし現状のままにとどまれば、電子工業全体から の所得の減少(つまり日本全体として他に新たな所得の発生源が見付からないかぎり、他 国と比較したときの日本の平均所得の相対的減少)を生ずることになる。 電子工業に関する日本の優位を低下させる外的要因は2つある。第一は、中進国からの 追い上げである。電子工業、あるいはコンピュータ・半導体産業において日本が比較優位 を持っている製品は、いずれもアジアを主とする中進国が得意とする製品でもある。これ らの中進国が、日本より安価な労働力を使いつつ技術進歩と大量生産の利益を実現すれば、 それは確実に日本製品の市場を侵食することになる。 第二の要因は、電子工業の製品に対する需要のシフトである。経済成長によって世界全 体の平均所得が高まるとともに、単純な製品から複雑な製品へ、単品からシステムへ、ハ ードウェアからソフトウェアへと需要がシフトする傾向がある。ハードウェアは大量生産 によって価格が低下するが、新製品が現れる余地はそれほど大きくない。これに対しソフ トウェア製品・システム製品は、新工夫・新機軸によって作られる。製品を改良しグレー ドアップする機会、全く新しい製品を生み出す機会は、ハードウェアに比べてはるかに大 きい。したがって電子産業全体について、単純な製品・ハードウェアに支出する金額に比 較して、複雑な製品・システム製品・ソフトウェアに支出する金額が相対的に増大する傾 向がある。 本節においては、日本の電子工業の比較優位・劣位の所在についてより詳細に検討し、 上記のように日本の比較優位が少しずつ失われることを防ぐための方策について考察する。 (2) 日本の比較優位・劣位の所在 電子工業を構成する3部門、すなわち民生用電子機器(映像・音響機器)、産業用電子機 器(コンピュータ・通信機器・周辺機器など)、電子部品・デバイスについて考える。民生 用電子機器および電子部品・デバイスにおいては、日本は強い比較優位を持っており、そ れぞれ純輸出金額(輸出―輸入)が国内生産金額の半分近くにまで達している。産業用電 子機器についても純輸出はプラスであるが、それは国内生産額の1割程度である。 民生用電子機器における日本メーカーの強さは高度成長期からすでに定評があり、日本 の独壇場と言うことができる。日本の輸入についても、そのかなりの部分が日本メーカー が東南アジアで生産した製品の輸入であり、労働コストの差から海外に進出しているが、 生産技術では他の追随を許さない。 次に電子部品・デバイスについても、全体としてみれば民生用電子機器と同様である。 単純な部品や集積度の低い半導体については、台湾・韓国および東南アジアからの輸入が 多いが、より高い技術レベルを必要とする部品やデバイス、たとえば特定用途半導体論理 回路、コンピュータディスプレイ(とりわけ液晶デバイス)等について日本の比較優位が 目立っている。これに対し、コンピュータ用CPU、チップセット、マザーボードのように さらに集積度が高く、あるいは高度なシステム製品・ソフトウェア要因の強い製品につい ては米国が比較優位を持っており、日本の輸出力はあまり強くない。しかしながら日本が 比較優位を持っていないこれらの電子部品・デバイスは(単価は高くても)金額的にはそ れほど大きくはなく、電子部品・デバイスの全体の純輸出を引き下げるほどの影響は及ぼ していないのである。 産業用電子機器については、日本の純輸出は全体としてプラスであるが、その金額は国 内生産額に比べてそれほど大きくない。また、産業用電子機器のうちで通信機器および(携 帯用を除く)コンピュータは純輸入になっている。現在の有線通信機器輸入の主要な構成 要素はインターネット用ルータ・スイッチであり、ハードウェアとソフトウェアが一体化 した製品である。(コンピュータのように両者がアンバンドルされていない。またソフトウ ェアのコストが大きい。)またコンピュータについて携帯用とデスクトップを比較すると、 スペース・重量等の関係から携帯用コンピュータは、最初から構成部品を一括して設計す る必要があるのに対し、デスクトップコンピュータの部品は(それぞれ規格を守るかぎり) 別個に生産できる。つまり産業用電子機器の分野において、日本メーカーは分散型・シス テム型の製品、およびソフトウェア要因が大きい製品について比較優位をもっていないこ とが結論できる。 電子産業全体として見ても、民生用電子機器はシステム要因が比較的少ない一体型製品 であることから 、日本が比較優位を持つことが説明できる。また電子部品・デバイス中 で日本が比較劣位にあるPC用CPUも、実は一体型製品とはいえ内部にマイクロプログラ ム構造を持つなどシステム要因が大きい製品でもある。ソフトウェアはもとより典型的な システム型製品である。 これらを総合して考えると、前節においてデスクトップコンピュータについて考察した 日本の比較優位の有無の決定要因、つまり製品が一体型であるか複合システム型であるか という区別が、電子産業の他の製品についても概ね当てはまることが分かる。ただし、PC 用CPUは一体型としての性質とシステム要因の双方をもっており、上記基準だけで日本が PC用CPUを100%近く輸入している事実をすべて説明することはできない。インテルに 対するAMDのような互換機メーカーが日本で育たなかった理由を明らかにすることは、 今後の研究課題である。 (3) 日本型企業の不得意の克服策  日本のメーカーが複合システム型・ネットワーク型製品の生産を苦手としているのは、 日本型企業の組織、仕事の仕方、人々の関わり方に根ざしているものと考えられる。それ は社会の特色が反映された結果であり、その根は深い。その変革は一国の社会・文化の変 革を意味するので不可能であるとする考え方がある。またそのような社会基盤の入れ替え は、日本という国家の特色を失わせるものであり、受け入れるべきではないとする主張も ある。ここでは、そのような変革が大きなものではあっても日本社会・文化を失わせるほ どのものではないとする考え、またそのような変革は困難ではあっても不可能ではないと する考えを前提して議論を進めよう 。 日本型企業が複合システム型・ネットワーク型製品を苦手としているのは、PC産業の ケースについて見た(第2―3節)ように、生産活動を自社内、あるいは系列・下請けの ように固定した関係者だけで実行しようとするからである。その結果生産活動が閉じてし まい、オープンな経営ができない。したがって分業が不徹底になり、企業外部の優れた資 源を利用できず、同一製品についてオープンな経営を行っている他企業との競争に負けて しまうのである 。上記のことを別の表現で述べれば、日本型企業では生産活動に必要な 協業が狭い範囲に限られており、広範囲の協業(Wide Coordination)を実現できる企業と 比較して効率が低い 。 この問題は生産に必要な協業を実現するための2種類のモードである「組織」と「市場」 の選択という企業理論の1ケースであり、そこでの議論を適用することができる 。  一般に生産活動に必要な要素を外部市場に求めず、企業内で準備するのは、その要素を 市場で購入するための取引費用を節約するためである。この点からすれば、日本型企業が 例えばPC生産に必要な部品を自社内で(あるいは自社系列内で)調達する傾向があるの は、これを外部市場から調達することから生ずる取引コストが高いので、それを節約する ためである。そのような「取引費用」とは、具体的に何であろうか。  外部市場でのオープンな取引として、「スポット型取引」と「プラットフォーム型取引」 を区別しよう。スポット型取引とは、取引がそのたびごとに独立しており、双方の企業が 自由意志をもって契約を結び、取引する場合である。この場合、両企業の「契約能力」が、 取引内容に応じる水準にまで達していなければならない。取引対象を過不足なく特定する こと、運搬・納入・支払い・アフタサービス条件を確定すること、さまざまな不規則・不 確実な事象に対してあらかじめ処理方法を定めることなどが契約内容の例である。コンピ ュータやその部品のように製品が複雑である場合は契約内容も複雑化するので、他の単純 な製品の場合よりも、高い契約能力が必要となる。日本型企業においては、この種の契約 能力が必要な水準に達しなかったため、詳細な契約を結ぶ必要がある外部市場での取引を 避け、社内あるいは系列内の相手と試行錯誤によって取引内容を確定し、その後取引相手 を固定するという閉じた取引方式を選んだと考えられる。  また外部市場での取引は、どのように詳細な契約を作成しても、契約外の事態が必ず発 生する。そのような事態が生じた場合の処理は、第一に広く認められた商慣行に従い、そ れで不充分の場合は社会全体の司法制度、つまり法律と裁判所に拠らなければならない。 日本においてはこの目的のための法律と司法制度の整備が不充分であったために、オープ ンな取引の実現が阻害された可能性が大きい。  外部市場における協業実現の第二の類型は、「プラットフォーム型取引」である。それ は特定の種類の取引・提携についてあらかじめ一定の条件を定め(そのための「プラット フォーム」を整備し)、プラットフォームの条件に適合する取引や提携についてはスポッ ト契約を結ぶことなく、自動的に実施するものである。交通・通信サービス供給における 「約款」制度、PCのウィンドウズ・プラットフォーム(API)上でのアプリケーション・ プログラムの作動、インターネット・プラットフォームにおける電子メールやウェブサー ビスの供給などが典型例である。プラットフォーム型協業は、スポット契約と比較して取 引費用を格段に節約し、小規模・多数の取引を効率よく実現するための有力な手段である。 プラットフォーム型協業の実現に必要とされるのは、スポット型契約の場合と同じく 「プラットフォーム形成能力」とも呼ぶことができる「能力」であろう。プラットフォー ムがどの程度の協業を実現できるかは、そのプラットフォームが提供する契約条件(例え ば約款)が、それぞれの取引相手の注文にどの程度まで柔軟に対応できるかによって決ま る。日本型企業の場合には、「プラットフォーム形成能力」が不充分であった(紋切り型 の対応しかできなかった)ために、プラットフォーム上での開かれた協業が不充分のまま に終わったと考えられる。  スポット型契約にしろ、プラットフォーム型協業にしろ、オープンな外部市場での取引 は、必然的に競争をもたらす。もとより競争は、競争にさらされる当事者にとって利潤機 会を奪う要因であり、競争なしで済ませることができればそれに越したことはない。した がって競争の導入に反対する動機は強く、経済活動のあらゆる場面で競争を制限する動き が出てくる。しかしながらもとより、社会全体にとって競争は効率化推進のエンジンであ る。したがって、企業間の協業が開かれた市場で行われることは、競争要因の働く範囲を 拡大し、産業全体の効率化と成長に寄与するのである。  上記で述べた「契約作成能力」「法律・司法制度の水準」「プラットフォーム形成能力」 は、経済活動システムの形成・維持能力である。これらはいずれも、社会全体の「ビジネ ス・インフラ」であって、その整備には長い時間を必要とする。つまり本項における筆者 の主張は、半導体・コンピュータ産業において日本型企業が複合型・システム型製品を苦 手としたのは、一時的・偶然的なことではなく、上に述べた「ビジネス・インフラ」が不 足したためであったという点にある。このようなビジネス・インフラの不足によって比較 優位を獲得できるチャンスを失ったのは、コンピュータ・半導体産業に限らず、他の産業 でも多数存在したのではないだろうか。「ビジネス・インフラ」整備のための方策が早急 に開始されることが望ましい。 次に第2―3節で述べたように、日本のPC産業がNECによる独占市場から互換機メー カーの参入による競争市場に「進化」できなかったのは、互換機メーカーの適法な参入と 不法な参入を区別する基準が不明確のままに終わったからであった。実際には、NECの PC9800市場に対してエプソン社が互換メーカーとして参入を試み、一旦は裁判になったも のの途中で「和解」し、両メーカーの直接の交渉によって参入が実現した。オープンな互 換機市場のためのルールは形成されなかった。当時の事情からすればやむを得なかったで あろうが、これが米国PC産業と日本のPC産業の勝敗を左右する一因となったのではない だろうか。 コンピュータ・半導体産業においては、一方において新しい発明・工夫を誘引するため に知的財産権の保護が不可欠であり、他方においては新規参入を可能にして競争環境を実 現する必要がある。この2つの目的には矛盾する点があり、両目的間の境界を明確に示し ておかなければならない。境界が不明確であれば、当事者のリスク回避行動を引き起こす。 その結果、新しい工夫や発明をもたらす動機を鈍らせ、あるいは低効率の独占市場を長期 にわたって存続させるという望ましくない結果を生じる。もとより個々のメーカーは、自 己の利益を追求するために知的財産権という武器を最大限に活用するので(この点で遠慮 する経営者は株主のサポートを受けることができない)、産業全体・社会全体として望まし い結果を実現するためには、知的財産権関係の法律の整備と知的財産権分野の司法制度の 整備が不可欠である。(私見では、この目的のための専門の裁判所の設立と、専門の裁判官・ 弁護士(弁理士)の大量養成が必要と考えている。) (4) ソフトウェア産業  本章1(4)で述べたように、日本のソフトウェアの輸出は輸入に比べて1%程度(米国に 対しては0.25%)というゼロ水準にあり、日本のソフトウェア生産性が極度に低いことを 示している。ソフトウェア生産のための作業は、「組織的な情報処理手順の設計と記述」 であり、緻密かつ几帳面という日本人の特性と合致している点がある。その生産性が極端 に低いのは、特異な現象と言わなければならない。 さらにソフトウェアの生産は、基礎的な知識さえあれば、PC1台と数万円程度のソフト 作成用ソフトウェアのみで足り、能力と意欲だけで容易に参入できる。PCは多数の用途 に使われており、インターネットと接続してその可能性はどこまで増えるか想像できない くらいである 。 日本社会に何らかの全般的・組織的「原因」があって、日本でのソフトウェア生産を妨 げているのではないか、と考えられる。ソフトウェアは、将来のネットワーク社会・IT 社会で情報機器を有効に活用するための手段であること、そしてソフトウェアへの需要が 相対的に増大し、支出金額も増大することを考えるとき、日本におけるソフトウェア生産 の極度の不振という現在の状態は放置できない。  日本におけるソフトウェア産業の不振という事実はすでに広く知られているが、この問 題に対する一般の反応は表面的・類型的であるように思われる。たとえば「日本はビジネ スソフトウェアの生産は苦手だが、エンターテイメント分野のゲームやカラオケやアニメ の生産では米国に勝っている。」として、そこで議論が終わることが多い。実は、この認 識には誤りが含まれている。カラオケやアニメについて日本の生産性が高いのは、そこで 使われているソフトウェアではなく、カラオケ用のコンテンツ(つまり音楽)やカラオケ・ サービスの提供用ハードウェアである。アニメについては、そのためのソフトより、アニ メの内容自体(コンテンツ)やそれを収めたパッケージである 。 また、ゲームについて日本の生産性が高いのは、ゲーム機というハードウェアについて であり、ゲーム用コンテンツ(この場合は本来のコンテンツとソフトウェアが一体化され ている)については、ユーザとの関係からローカライゼーションの必要が強く、日本製の 「ゲームソフト(上記の意味のコンテンツとソフトの双方)」の輸出力は必ずしも高くな いという指摘がある 。 日本における(本来の)ソフトウェアの生産性が低いことの原因として、専門家を含め 多くの人がそれぞれ異なった意見を持っているように思われる。たとえば、「日本の企業 では個人プレーが許されないので、個人の能力に大きく依存するソフトウェアの開発が妨 げられる。」「日本の企業では優秀なソフトウェアを開発しても、そこから生ずる利益を開 発者が受け取るシステムになっていない。」「ソフトウェア作成のためには英語を使わなけ ればならず、日本人は本来的に不利な立場にある。」「日本の学校教育では暗記型学習が多 いため、ソフトウェア開発に必要な能力の形成が妨げられる。」「日本ではベンチャービジ ネスが育つ環境がないために、ソフトウェアを開発してもそれをビジネス化できない。」 「日本人は物ごとを情緒的に受け取るので、論理構成を作業内容とするソフトウェアの生 産は苦手である。」などである。これらの意見は、豊富な経験と深い洞察から得られたも のかもしれないし、単に日常生活の偶発的な出来事からの思いつきにすぎないかもしれな い。多くの場合、ソフトウェア生産の不振を問題にしても、この種の説明がなされてそれ で議論が終わってしまうことが多い。  この問題について筆者は、「ソフトウェア生産性の決定要因に関する組織的調査」の実 施を提案したい。  まず日本のソフトウェア生産性を増大させるためには、現在の低い生産性をもたらして いる原因を明らかにする必要がある。原因が特定されなければ、対策を考えることはでき ない。  次に、ソフトウェア生産性の決定要因は、多数に及ぶことが推測される。個人の能力や 意欲、目的とするソフトウェアの性質、ソフトウェア生産の環境や手段など、ソフトウェ ア生産性の決定には多数の要因が影響を与えている可能性があり、実体は組織的な調査に 拠らなければ明らかになし得ないだろう。ソフトウェアは日常生活で触れることが多いの で、その際の経験から生産性の決定要因について理解できたような錯覚を生じやすいので はないだろうか。実際には、ソフトウェア生産性の決定要因は複雑・多様な要因を含み、 一人あるいは少数の人間の経験の積み重ねだけでは意味のある結論が出せない種類のも のではないだろうか。  現在の日本の「ソフトウェア生産性の問題」は、1980年代初頭のアメリカにおける「製 造工業の生産性の問題」と類似している。当時のアメリカでは、日本の製造工業の高い生 産性による輸入増加と、自国の製造業の不振が問題になった。アメリカ政府は多額の予算 を割いて専門家を動員し、年月をかけて日本の製造業の実状を調べ、そこから得られた知 見と政策提言を「MIT Report (Made in America)」として1989年6月に発表した。アメリカ の多くの企業がこの提言に沿って改革を実行し、その結果1990年代のアメリカ経済の繁 栄が実現された 。日本においてもソフトウェア生産性について、組織的な調査に基づく 生産性向上のための政策を実行するべきではないだろうか 。 5. おわりに 本章では、コンピュータ・半導体産業、とりわけPC産業について日米比較を試みたが、 残された研究課題は多い。日本のコンピュータ・半導体産業の効率性を調べるために、同 産業の細分類について純輸出(輸出マイナス輸入)を計算し、製品特性との関連を見るこ とを考えたが、時間不足で実現できなかった。また日本のデータと米国のデータを直接に 比較することが有用だが、これも一部だけで終わった。 さらに本章では、コンピュータ・半導体産業の供給側だけを議論したが、需要側つまり 普及・使用の側面も重要である。最近のインターネットに代表されるコンピュータ・ITの 活用は、企業・政府組織の効率を高め、教育・文化を向上させ、政治面では民主主義を充 実させて社会の進歩・発展に貢献するからである 。 最後に、本章の参考文献について述べておきたい。コンピュータ・半導体産業の文献は 多数に上るが、本章のテーマである「日米比較」に焦点を絞ったものは意外に少ない。ま ず同産業の歴史や代表的企業・経営者・技術者の動向(エピソードを含む)について述べ た書籍は多数出版されている。ここでは最近の刊行分として、関口(2000)、谷(1999)(い ずれも参考文献が多い)を挙げておいた。日米のコンピュータ・半導体産業の生産性比較 を取り扱った書物としては、伊丹(1998)と同書のベースになった伊丹・伊丹研究室(1996) (参考文献が多い)が必見である。数年前の刊行であるが、PC以前の大型コンピュータ時 代を含めて日本のコンピュータ・半導体産業を概観しており、本章の内容と一致する点も 多い。ただし同書では、本章の主要なポイントである製品特色による日米の比較優位の決 定、つまり一体型製品とシステム・ネットワーク型製品の差については言及していない。 荒井(1996)、Baba他(1996)も日米の電子産業を比較しているが、カバーしている時期 が1993年ごろまでである。なお、日本のPC9800アーキテクチャーの成長・衰退のプロセ スについては、かなりの数の海外の研究者が関心を寄せている。Methe他(1997)とその 参照文献を見られたい。分散・ネットワーク型製品(モジュール製品)という観点につい ては、最近Baldwin他(1999)が刊行され、理論的側面を含めた議論を展開している(た だし内容は散漫である)。日本型企業の特色というテーマは、最近多数の研究者の関心を呼 んでいる。例えば青木他(1996)を参照されたい。そのうちオープン・ネットワーク経営 の観点については、國領(1998)が議論を展開している 。さらに、本章の議論で前提し たコンピュータ・半導体、あるいはネットワークタイプの製品・サービス市場の特色は、 Shapiro他(1999)にまとめられている。 参考文献 青木昌彦・奥野正寛(編著)『経済システムの比較制度分析』東大出版会、1996。 新井光吉『日・米の電子産業』 株駐刻走[、1996。 伊丹敬之『日本産業−三つの波』 NTT出版株式会社、1998。 伊丹敬之、伊丹研究室(編著)『日本のコンピュータ産業 なぜ伸び悩んでいるのか』 NTT 出版株式会社、1996。 鬼木 甫、「パーソナル・コンピュータ産業の経済分析――マルチメディア産業の発展のた めに」上(日米パソコン産業の歴史と現状)、下(日米パソコン産業の構造比較)、補論 (基礎事項の解説)、『経済セミナー』、No.472、1994年5月、pp.44-54;No.473、1994 年6月、pp.42-53;No.474、1994年7月、pp.34-36。 鬼木 甫、『情報ハイウェイ建設のエコノミクス』、日本評論社、1996年2月、xviii+356pp.。 國領二郎『オープン・ネットワーク経営』 日本経済新聞社、1998。 関口和一『パソコン革命の旗手たち』 日経経済新聞社、2000。 谷光太郎『半導体産業の系譜−巨大産業を築いた開拓者たち−』 日刊工業新聞社、1999。 戸塚秀夫、中村圭介、梅澤隆『日本のソフトウェア産業:経営と技術者』(財)東京大学出 版会、1990。 Baba, Yasunori, Shinji Takai and Yuji Mizuta, "The User-Driven Evolution of the Japanese Software Industry: The Case of Customized Software for Mainframes," in David C. Mowery, ed., The international Computer Software Industry: A Comparative Study of Industry Evolution and Structure, Oxford University Press, New York, 1996. Carliss Y. Baldwin and Kim B. Clark, Design Rules, Volume 1. The Power of Modularity, The MIT Press, 1999. Dedrick, Jason and Kenneth L. Kraemer, Asia's Computer Challenge: Threat or Opportunity for the United States and the World?, Oxford University Press, 1998. Methe, David T., Ryoko Toyama and Junichiro Miyabe, "Product Development Strategy and Organizational Learning: A Tale of Two PC Makers," Journal of Product Innovation Management, 14,5 (Sept. 1997): 323-336. Oniki, Hajime, "Japanese/US Comparative Advantage: Width and Depth of Co-ordination," A Chapter of Information and Organization: A Tribute to the Work of Don Lamberton, edited by S. Macdonald and J. Nightingale, 1999, Amsterdam: Elsevier Science B.V., pp.197-214. Shapiro, Carl and Hal R. Varian, Information Rules: a Strategic Guide to the Network Economy, Harvard Business School Press, 1999(宮本喜一(訳)『「ネットワーク経済」の法則』蟹DG コミュニケーションズ、1999。) Williamson, Oliver E., The Mechanisms of Governance, Oxford University Press, 1996. 価格・性能比だけで言えば、もしコンピュータと同じ程度の技術進歩が自動車において生じたならば、 現在われわれは1台を2−3ドル程度で入手できることになると言われている。 IT: Information Technology スーパー・コンピュータ輸入をめぐる同年代の「貿易摩擦」は、米国による不当要求(関係者の利害だ けを反映した要求)の面が強いが、その背景には、1960−70年代における国内コンピュータ・メーカー の保護という経過があったと思われる。 ただし、税制上の優遇措置など間接的なサポートは続けられている。 ただし使用言語(日本語と英語)の差から、1990年代初頭まで、国内メーカーはPCハードウェアにつ いて外部(米国)からの競争にさらされなかった(ハードウェア部品・デバイスを除く)。ソフトウェア についても言語障壁が存在するが、英語用ソフトウェアの日本語用への転換は容易であるため、障壁はそ れほど高くない。他方、情報サービス・サポートなどについては(他サービスと同じく)強い言語障壁が 存在する。 PCは当時すでに普及していた大型コンピュータのミニアチュアとして生産されたので、PCの仕様は (使用言語を除き)両市場間で同一であった。したがって、両市場におけるPC生産の展開は、たとえば 異なる環境におかれた双生児のようなもので、両市場環境の差を反映することになった。 ただしPCについては、ユーザに対するアフター・サービスを含めて「流通経費」のウェイトが大きい (米国においては、PCハードウェア流通の付加価値が同生産の付加価値を超えている――後出表3.15 を参照)ので、日本メーカーは国内市場で海外メーカーより有利な立場にある。 国内総生産は付加価値の合計であり、表3.2の数値は(付加価値ではなく)売上高であることに注意さ れたい。ただし、民生用・産業用電子機器は耐久消費財あるいは投資財として最終需要に入るから、本文 数値は国内総生産の需要面での比率を表していると言うこともできる。 PCの中核となるCPU・チップセットなどの論理素子集積回路(マイクロコンピュータ)は、周知のよ うにインテル、AMDなど米国メーカーからの輸入に頼っている。しかしながらこれらは、半導体製品全 体の中で集積度が極端に高い例外的な存在で、より単純な論理素子の生産については日本メーカーが得意 としており、生産・輸出金額も大きい。 NECは同社生産のDOS/V型PCにも"PC98"の名称を付しているが、本来の同社PC9800型PCとの互 換性はごく一部を除いて保持されていない。 コンピュータは当初ソフトウェアが無い形、すなわちハードウェアだけで稼働する形で供給された。 大型機時代にソフトウェアが使用されるようになったが、初期においてはハードウェアと一体化(バンド ル)して供給されていた。1970年代に、当時大型コンピュータを独占的に供給していたIBM社が(米) 司法省から独占禁止法違反の訴追を受け、その結果同社はソフトウェアをハードウェアから分離(アンバ ンドル)して販売することに同意し、基本ソフト(オペレーティングシステム、OS)とアプリケーショ ンソフトの分離も実現された。1970年代末にPCが出現したときにもこの形式が踏襲され、当初からPC 用ソフトウェアはハードウェアと分離して、またOSとアプリケーションも分離して生産・供給された。 その後、ハードウェアの価格は急速に下落し、ソフトウェアに対する支出の比重が高まってきた。 本表は前出の表と異なり、各産業の付加価値金額を示しており、したがって合計額に重複は含まれて いない。 本節と次(3.)節は、鬼木(1994)をベースとして書き改めたものである。 もとより現在までいくつかの新しい標準方式が付加・置換されている。  現在まで残っている唯一の形式は、アップル社によるマッキントッシュ型のコンピュータである。 IBMは、独占市場の急速な形成と喪失の原因となった上記方策を後になって修正している。同社は、 1980年代中葉に、基本入出力装置(BIOS)の生産について、互換機メーカーを知的財産権違反の理由で 何度か提訴した。また、1989年には、新しいマイクロ・チャネル方式(MCA)をデータ・バスとして採 用し、その仕様を公開せず、バス使用者から高額のライセンス料を取ることを試みた。しかし、独占市場 回復を意図したこれらの試みは成功しなかった。 4社のコンピュータ仕様は、基本的には米国IBMコンピュータの仕様に倣っていたが、細部において 異なり、それぞれ別種の製品として供給されたが、NECのPC-9800のシェア上昇と性能向上にともなって、 同機が大型機端末として採用されるケースも増加した。 くわしくは、鬼木(1994)参照。 ただし、メーカーの特殊な技術に依存する部品市場は独占下にある。独占は、生産技術が高いこと、 また製品が知的財産権(特許・著作権制度など)によって保護されていることから生ずる。最も顕著な独 占市場は、インテルが供給するCPU市場である。CPUの価格は、コンピュータ・ハードウェア、ソフト ウェア全体の価格のうちで大きな比重(10%〜30%程度)を占める。  現在のコンピュータ・ハードウェアについては、(キーボードなど一部の部品を除いて)使用言語に よる区別は存在しない。したがって、全世界のハードウェア市場は一体化している。1990年代中葉以降、 米国で(小売店舗を持たない)メール・オーダーのハードウェア・メーカー(DELL、Gateway2000社 など)が急成長し、最近では日本市場にも進出して急速にシェアを伸ばしつつある。 マイクロソフト社のOSは数回にわたってグレード・アップされたが、すべて下方互換性が保証され、 とりわけMS-DOSからウィンドウズへの切換時には、当初MS-DOSをベースにしたWindows3.1によ って顧客をつなぎ止め、次いでMS-DOSから独立したWindows95/98を供給するという巧妙な方策が採 用された。(これに対し、IBMは当初からMS-DOSから独立して自社OS“OS-2”の供給を試み、失敗 に終わった。)またマイクロソフトは他OSの参入を防ぐため、通常の独占価格よりも相当に低いと思わ れる水準にOSの価格を設定した。その結果、同社は独占市場のほぼ完全な維持に成功し(他OSの参入 が皆無ではなかったが、市場シェアの点で問題にならなかった)、独占OSおよびそれをベースとして進 出したアプリケーションソフト市場からから巨大な利潤を得た。ただしOSの価格は、コンピュータ・ハ ードウェア全体の3%〜5%程度であり、同社の独占は直接的にはそれほど強くユーザに影響しているわ けではない。1998年に(米)司法省は、同社のOS以外の市場への進出方式が(米)独占禁止法に触れ るとして訴追を開始したが、2000年6月に一審判決がワシントン連邦地裁で下り、同社は独占禁止法に 違反しているという理由でOS事業とアプリケーション事業への2分割という是正命令を受けた(ただし 二審への控訴が予測されている)。  多数のアプリケーション・プログラムのうち、格段に優れた性能を持つプログラム、マーケティング に成功して多数のユーザを獲得したプログラムには、大量販売による規模の利益が作用し、その分野にお いて独占あるいは寡占的な地位を獲得するものも少なくない。しかしながら、プログラム価格が高水準に 設定されると、他ソフトハウスからの参入を招くので、独占・寡占的地位の継続は必ずしも容易ではない。 アプリケーション・プログラム層全体としては効果的な競争環境が実現しており、優れたアプリケーショ ン・プログラムが大量に供給されている。 それぞれのメーカーのコンピュータの仕様が微妙に異なるので、機械的な書き直しができない。「書 き直し」のコストは、当初ゼロから作るコストより小さいかもしれないが、ソフトウェア・コスト全体の 中で無視できなかった。 1980年代中葉以降において、米国のIBM-PC仕様のコンピュータ用のソフトウェアが10万点以上発 売されたのに対し、わが国においては、最大シェアを持つN社仕様コンピュータ用のソフトウェアでも、 1〜2万点が供給されたにとどまったと言われている。  縦割り構造は、コンピュータのハード・ソフトの使用から生ずる「ロックイン効果」によって強化さ れた。コンピュータが実行する仕事自体には、メーカー間で大きな差はない。しかしながら、たとえばN 社のハードウェアを購入したユーザは、そのハードウェアを使うために、N社のOSとN社のOSに適合 したアプリケーションを購入しなければならない。年月が経ってハードウェアを新しい機種に買い替える とき、すでにN社用OSとそのためのソフトウェアを保有しているので、それらを無駄にしないためには、 同じN社のハードウェアを入手しなければならない。N社の新しいハードウェアは下方互換性があり、N 社の古いハードウェアの機能をすべて持っているので、既存のOSとソフトウェアは新しいハードウェア 上でもそのまま使用できる。次に、今度はソフトウェア(の一部)を買い替える、あるいは新しく買う場 合にも、他社用のソフトウェアはN社のハードウェア上で使用できないので、同じくN社用のOSやソフ トウェアを購入することになる。このようなハードウェアとソフトウェアとの結合関係を通じて、ユーザ は一旦特定メーカーのハードウェアとソフトウェアを購入すると、結果的にそこに縛り付けられる。他社 の製品に買い替えるには、それまで購入したハードウェアおよびソフトウェアを全部捨てて、ゼロから出 発する必要がある。これが「ロックイン効果」である。90年代中葉に到るまで、日本のコンピュータ市 場のシェアの過半はNEC社によって占められていたが、上記の「ロックイン効果」は、NEC社コンピ ュータのユーザにも、またNEC社以外のメーカーを選んだユーザにも同様に成立した。NEC社と他社 のコンピュータの間には、シェアの大小に応じて、ハードウェアの価格・機能や、ソフトウェアの数にお いて格差があった。したがって、NEC社以外のコンピュータのユーザは、もし「ロックイン効果」がな ければ、価格の安い、かつソフトウェアが豊富なNEC社製品にシフトすることを望んだはずである。し かしながら、この「ロックイン効果」のため、また次節に述べる他の理由から、NEC社のシェアもある 程度以上は増加せず、縦割り構造が続いたのである。 これはコンピュータだけでなく、多くの製品・サービスについても観察されている。企業系列グルー プの存在意義(たとえばリスクの軽減)についてはいくつかの研究があり、系列内の取引関係が密である ことが必ずしもすべて経済外的な現象ではない。しかし、コンピュータについては、標準化と競争市場の 利点が大きいので、系列グループの存在は同産業の発展のためのマイナス要因となった。 もちろん、法律の細部や運用の仕方においては差があり、ガット・ウルグアイラウンド協議対象の一 部にもなった。しかし、コンピュータ関係の知的財産権法、半導体レイアウト保護法やプログラム著作権 法などは、1980年代中葉の米国「ヤング・レポート」後に開かれた日米協議の結果に基づいて作成・改 訂されており、両国はほとんど同一条文の法律を持っている。 「クリーン・ルーム方式」とは、以下のような手続きによるBIOS(一般には半導体チップやプログ ラム)の生産を指す。IBM仕様BIOSの生産を企図するメーカーは、まず同BIOSの機能を知る必要が ある。BIOSは、現在ではROM(読み出しのみ可能、すなわち書き込み不可能のメモリ)で供給される が、ROMに入っているプログラムの内容や働きを組織的に解析するのである。これを「リバース・エン ジニアリング」という。次に、リバース・エンジニアリングにたずさわった技術者とは全く別の技術者が、 リバース・エンジニアリングの結果判明したBIOSの機能に関する情報のみを使って(BIOSの内部構造 に関する情報は使わないで)、同一機能を持つ別のプログラムを作成する。このとき、リバース・エンジ ニアリングにたずさわった技術者と新たにプログラムを作成する技術者との間には、情報的に何らの連絡 もあってはならない。この意味で、BIOSを作成するエンジニアは、情報的に「クリーン・ルーム」に入 っていなければならない。 日本経済新聞1987年4月24日[産業1]欄。  本パラグラフに述べた事項の大部分は、本研究会における水野幸男NEC元副社長(現顧問)の説明 による。  日本のコンピュータ市場とりわけNECのPC-9800型コンピュータ市場が、米国IBM型コンピュー タ市場と異なった構造をとった理由については、上記以外に多くの解明すべき課題が残っている。コンピ ュータ本体は複占市場となったが、周辺機器やソフトウェアまで含めると、事情は異なる。たとえば、同 機用のハードディスク・ドライブ(HDD)については、PC-9800型コンピュータの発売後数年間は、本 体と同じくNECが独占的に供給していた。しかしながら、1980年代末ごろから互換機メーカーの参入 が始まり、わが国におけるHDDの性能価格比が急速に上昇した。NECは、PC-9800のBIOSを著作権 によって保護したが、バス接続仕様については、IBMに倣って当初からこれを公開していた。HDDはバ スに接続する制御ボードを通じてコンピュータ本体から使用されるので、その意味では9800型コンピュ ータについても、当初から互換HDDメーカーの参入は可能であった。しかし、1980年代中葉のわが国 において、HDDの生産技術は大型機メーカーしか保有していなかったので、中小企業である互換メーカ ーの参入には時間がかかった。80年代中葉から同年代末にかけて、米国の中小企業の間でHDDの技術 が急速に発達し、IBMコンピュータの互換機市場で大量の参入を生じた。この技術が数年後に輸入され、 また外国HDDメーカーの日本支社も設立されて、わが国のHDD市場は競争市場となった。他の入出力 機器や消耗品、たとえば通信モデムについても、類似のプロセスで競争市場が成立した。 たとえばPCハードにおいてメモリが高速化されれば、それだけメモリ関係の仕事の効率が上がり、 ディスクが大容量高速のものに置き換えられれば、ディスクを多用する仕事の効率が上がる。 したがって、自動車や家電製品については、各部品の耐用年数が揃うように設計されており、予定さ れた使用期間が終わると製品全体が廃棄されることになる。これに対し、PCについては、部品ごとの使 用期間に差がある。 ただし、設計・製造コストの節約のため、単一メーカー内で、異なるモデルの部品が標準化されるこ とはある。 このような「部品の緩やかな結合体(ネットワーク型製品)」としてのコンピュータの特質はどこか ら生ずるのか。コンピュータが情報処理を目的としているからではない。テレビやファクシミリやVTR のように、家電製品・オフィス機器にも情報処理を目的とするものは多い。これらの製品は情報を取り扱 うが、ほとんどすべての場合、一体化されており、部品を少しずつ取り替えてグレードアップさせること はない。コンピュータとこれらの製品との間の差は、前者が情報処理のための「汎用機器」である点にあ る。すなわち、コンピュータにおいては、ソフトの取り替えによって異なる仕事を実行できる。これに対 し、テレビ、ファクシミリ、VTRは、それぞれあらかじめ定められた種類の情報処理だけをおこなう。 コンピュータが部品の取り替えによるグレードアップを許し、それによって生ずる部品性能のアンバラン スを受け入れることができるのは、コンピュータが汎用情報処理機器であるからである。複数の仕事のう ち、与えられたそれぞれの仕事に応じて一部の部品がその性能を発揮し、複数の仕事全体にわたって考え れば、部品間の性能のアンバランスが平均化される。これに対し、自動車・家電製品においては、仕事が 単一であるため、部品は常に同一の仕方で製品全体の仕事に貢献している。一部の部品だけをグレードア ップさせても、その効果は他の低グレードの部品によって打ち消され、全体としての能力向上は実現され ず、グレードアップによるコスト増だけが欠点として出てくることになる。したがって、一部の部品だけ を改良することは得策でなく、製品は一体として設計・生産される。 このような製品構造の特色は、図3.19の研究開発(R&D)の特色の項目にも反映されている。コン ピュータにおいては、部分的なグレードアップ・改良が意味を持つので、研究開発は、個人あるいは少人 数のチームによって部品ごとにおこなわれることが多い。これに対し、自動車・家電製品においては、部 品間のバランスが重要であるため、多人数のチームにより、緊密な連携の下に、全部品にわたるバランス のとれた研究開発が必要である。半導体については、その必要はさらに大きい。自動車・半導体において は製品単価が高いため、新モデル・新製品の開発は、多人数のチームによって集中的におこなわれる。家 電製品においては、自動車・半導体に比較して開発費用が低く、また製品種類が多数にわたるので、最初 からある程度の「当たりはずれ」を勘定に入れた研究開発(新製品の設計)がおこなわれる。したがって、 自動車産業・半導体産業におけるほどは研究開発活動が集中していない。 本節内容のより立ち入った検討については、Oniki(1999)を参照。 親企業と下請け企業が区別されていたのは、製造プロセスにおける便宜のためでなく、賃金格差、労 務管理などの別の要因によっていた。 ただし2000年3月の時点で、各国の自動車メーカーが提携して部品使用を標準化し、インターネッ ト上で競争的に調達・納入するシステムを作りつつあるとのことである。これはネットワーク活用による 取引費用の節約として説明できる。 なおコンピュータ用CPUの生産における日米格差は、別の要因、すなわち回路設計技術の差と「ロ ックイン効果」によって生じている。 1994年ごろから、日本でもコンピュータ・メーカーによる輸入部品の使用が増加した。現在では、 CPUはもとより、マザーボード・チップセットなどの中心的部品を含め、コンピュータ部品の過半は米 国・アジアから輸入されている。日本のPCメーカーが米国メーカーと共存できているのは、従来からの 自社製品優先の方針を切り替え、オープン市場で部品を調達するようにしたからである。 前出4(7)の説明、図3.19。 過去において日本は、社会の基盤の変革とも呼ぶべき出来事を幾たびか経験している。封建社会から 近代国家へ転換した明治維新や、拡張型軍国主義から平和を前提とする経済成長主義への敗戦を境とする 変革、また生産活動の面でも、安価な粗悪品を生産する戦前の個人・家内工業単位のシステムから、優良 製品を生産する戦後の企業・工場単位の「リーン生産システム」への変革を経験している。 この点について詳しくは國領(1998)を参照。 詳しい議論はOniki (1999) を参照。 近刊では、たとえばWilliamson(1996)を参照。 最近のウィルス被害を考えるとき、たとえばウィルス予防・退治や発生源トレース(犯人特定)のた めのソフトウェアの価値は高いだろう。 しばらく前まで、「ソフトウェア」の用語が、ハードウェアを駆使する手段としての本来のソフトウ ェアと、ハードウェア上に格納され利用される「コンテンツ」の双方を意味するように使われていたこと からこの種の誤解が生じたのではないかと推測する。 本パラグラフの内容は、本研究会の一員であった池尾和人慶応義塾大学経済学部教授に負っている。 本研究会における依田直也立正大学経営学部大学院教授・(株)東レ経営研究所元代表取締役社長の 報告による。 たとえば、まず「ソフトウェアの生産性決定要因の組織的調査プロジェクトのプロポーザル」と、「同 上プロポーザルの初期審査と、採用プロジェクトの途中評価のためのシステムのプロポーザル」の公募を、 相当額の政府予算で実施することが考えられる。 この点については、本報告第○章「情報・通信」を参照。 同氏は本研究会のメンバーでもあった。 −3−