第1章 情報経済学入門 鬼木 甫 4.経済主体の行動と情報――不確実性とリスク克服の努力  本節以降では、経済活動とのかかわりで情報の意義・役割を考える。通常の経済理論では、まず社会経済システムを構成する経済主体(個人や家計、企業、公共団体など)の行動原理を考え、次にそれらの経済主体間の相互関連から経済システム全体の運行を考察する。同様に本節では、まず個別経済主体の行動と情報について考え、次節以降で経済システムと情報の関係を考察することにしよう。 個別経済主体の行動と情報  経済理論(ミクロ理論)の入門書では、個別経済主体の行動が「情報」的側面を考慮しないで説明される。まず個人や家計などの消費経済主体が、与えられた所得を多種類の財・サービスにどのように支出するかを問題とし、効用(満足度)を最大化するように行動するものとして理論が作られる。また生産主体である企業については、まず企業全体が一体となって行動することを前提する。つまり、企業の内部構造や内部意思決定方式を問題とせず、大企業があたかも個人企業であるかのように考える。そのうえで、そのような企業が、利潤を最大化するように、与えられた供給条件下で技術と労働・資本などの生産要素を使用するものとして理論が作られる。公共経済主体についても、おおむね同様である。これらの理論では「情報」については触れられず、情報に関する問題は発生しない、あるいは「情報」は最初から不必要であるかのように記述が進められる。これが新古典派以来の伝統的な経済理論の方法であった。  しかし、もとより現実の経済活動では、情報が重要な役を果たしている。個人の消費行動において、たとえば買い物をするときに、「良い品物をなるべく安く買う」ように努力しない人は稀だろう。購入予定の財がどの程度自分の役に立つのか、価格が他店よりも高いのか安いのか、他の財で同じ目的に叶うものがあるのではないか、故障やトラブルが発生する可能性はどの程度か、アフターサービスはどの程度か、返品が可能かなど、単一の財を購入するときでも、多くの項目が検討の対象になる。  これらの項目の一つひとつについて、信頼できる答え、すなわち情報を入手することが理想であろう。しかし実際には、十分な情報を入手することは、時間的にも金銭的にも不可能である。したがって、消費主体ができることは、情報入手について「ある程度で妥協する」ことである。全く無知のまま、何も知らず、何も調べないで財・サービスを購入することには危険が大きく、これを避ける人が大部分であろう。しかし、他方、財・サービスの購入予定金額に不相応な金銭を支出し、あるいは時間を費やして詳しい情報を入手する人は少ないであろう。われわれはつねに、極端な無知と行き過ぎた情報収集との中間の妥協点を求めており、その妥協点で財・サービスの購入に関する決定を下し、行動するのである。また、実際に財・サービスを購入した後、結果に満足することもあるし、あるいは買い物に失敗して、次の機会には同じ過ちを繰り返さないようにしようと思うこともあるだろう。これは、財・サービスの購入を通じる情報の蓄積、すなわち「学習」である。  上記のことは、いわばだれでも知っている「買い物の常識」であり、考え方としてとりわけ難しい点はない。しかし、このような単純な事実についても、これを経済理論の形で表現し、何らかの分析の役に立てようとすると、多数の困難に出会う。通常の経済理論のように「情報」という考え方を排除しておけば、ある程度の理論を作ることができるが、一方で情報要因が存在することを容認し、他方で個別主体が自己の満足を求めて合理的に行動するという事実を描き出そうとすると、困難が多いのである。以下では、どの程度まで「理論」を作ることができるか、どのポイントから困難が出てくるかを具体的な例によって説明しよう。  なおこの段階で、次の点に注目しておきたい。一般に経済主体は、それぞれ固有の経済活動に従事し、そのために所得、労働、一般の財・サービスなどの「資源」を消費している*1。家計にとっては、家計所得と家計メンバーの「時間」が資源である。生産企業では、事業資金や、購入した資本設備・労働サービス・原料などが資源である。経済主体は、これらの資源をその本来の目的(消費、生産など)に使うが、その一部を情報活動のためにも使う。情報の収集、加工・処理、通信・広告などには費用がかかり、資源の投入が必要だからである。経済主体に固有の活動を「実物経済活動(substantive activities)」と呼び、「情報活動(informational activities)」と区別する。したがって、経済主体の行動・決定には、利用可能な資源を、実物・情報活動にどのように振り分けるかが含まれていることになる。次いで伝統的な理論では、情報活動が無視されているので、この点が表面に出ないのである。 不確実性の経済学(economics of uncertainty)  伝統的な消費者行動理論で「情報活動」を考えるための第一歩は、経済主体が置かれている環境に「不確実性」が存在すると前提することである。つまり、経済主体が何らかの行動をとったときに、そこから得られる結果に複数の可能性があり、実際にそれらのうちのどれが起きるかがあらかじめ確定できないとしたうえで経済理論(モデル)を作ることである。  特定の経済行動からの結果について、もし不確実性が存在せず、そこから得られる結果が一義的に分かっている、つまり「完全情報」の状態にあれば、それ以上情報を求める必要はない。他方、情報がゼロであれば、複数の可能性うちのどれが結果として出てくるか、全く分からない。何らかの特定の情報は、「すべての可能性」の中から既知部分を特定する。特定できない部分は、「未知部分」として残る。情報が増大すれば、既知部分が増大し、未知部分が減少する。これを単純に述べれば、「既知部分(情報)」プラス「未知部分(不確実性)」イコール「すべての可能性」ということになる。つまり、情報と不確実性は、反対方向に「増減」する(図1−5)*2。不確実性を考慮する立場からすれば、伝統的な消費者行動理論は、「完全情報の仮定」をあらかじめ設定していることになる。  不確実性に直面した経済主体(たとえばA氏)の行動を簡単な例で考えてみよう。いまA氏が資産100万円を持っており、一定期間(たとえば1ヵ月)の資産保有形態として現金("M")で保有するか、あるいは有価証券("S"、たとえば株式)で保有するか、2通りだけの選択ができるとしよう。A氏の1ヵ月後の資産額は、"M"保有の場合は100万円である。他方、"S"保有のときは、株式値上がりの場合(U)に110万円、値下がりの場合(D)に90万円になるものとしよう。簡単のために、"S"保有の場合の結果は、UあるいはDのいずれか一方が生ずるものとし、その他のケースは生じないとしよう。A氏の問題は、現在時点で自己の資産を"M"あるいは"S"のどちらの形態で保有するかを決めることである。  いま、現在時点でA氏が、株式の値上がりと値下がりの可能性が同程度である、すなわちUとDがそれぞれ確率1/2で起きると考えているとしよう。A氏が"M"と"S"の選択を考慮しているときには、A氏は主観的にUとDのどちらがどの程度の確からしさで生起するかを予想していると考えるのが妥当だろう*3。確率1/2の想定は、最も簡単な例である。また、A氏が、株式価格の変動の確率に関する情報をどのように入手するかは、ここでは別の問題と考える。  A氏は、"M"を選択して100万円を確実に保有し続けるか、あるいは"S"を選択して110万円あるいは90万円の資産をそれぞれ1/2の確率で入手するか、のいずれか一方を選ぶことになる。実際に、"M"と"S"のどちらを選ぶかは、A氏がプラス・マイナス10万円の資産額変動というリスクをどの程度好むか(あるいは避けようとするか)による。リスクに対する態度は、それぞれの経済主体で異なる。それは、財・サービスから得られる効用が経済主体ごとに異なるのと同じである。ここでは、A氏は「安全指向」型で、プラス・マイナス10万円の損得というリスクを避け、損得なしの結果を選ぶとしよう。このとき、A氏は"M"形態による資産保有を選択する。  次に株式"S"が、現在時点ですでに100万円以下に値下がりしているケースを考えよう。将来価格については、前記の場合と同じで、UとDがそれぞれ1/2の確率で生起するものとする。極端な場合、もし"S"の現在価格が90万円にまで下がれば、A氏は(どんなに安全指向でも)"S"を購入するだろう。最悪の場合でも購入価格で資産を保有し続けることができ、最悪以外の場合には値上がり益を享受できるからである。したがって、現在価格90万円と100万円の中間に、A氏が"S"を購入するか、あるいは"M"保有にとどまるかの境界線があるはずである。いまこれが98万円であるとしよう。つまりA氏は2万円=100万円−98万円の報酬と引換えに、"S"がもたらすリスク(110万円と90万円のそれぞれが1/2の確率で生起するという不確実性)を受け入れることになる。ここで、2万円は「リスクの代価(リスク・プレミアム)」である。もし、A氏の好みが「ギャンブル指向」で、リスク自体にプラスの価値を見出すのであれば、リスク・プレミアムはマイナスの値をとる。長期的に若干の損をしても競馬やパチンコを楽しむ人は、少なくともその行動についてはリスク指向型である。  上記のことが、図1−6にまとめられている。図の3行目は、"M"を保有した場合の期末の資産価値、4行目は、"S"を保有したときのUとDのそれぞれの場合の期末の資産価値が書かれている。図の最右列には、"M"と"S"がA氏にとってどれだけの価値をもたらすかが書かれている。"M"の場合は、貨幣額100万円そのものであり、"S"の場合は、A氏が安全指向型であることから98万円になっている。  これが最も簡単な例で述べた「不確実性とリスクの経済学」である。この考え方(理論)は、一般化され、精緻化されて、「ポートフォリオ(資産)選択の理論」が作られている。最近では、ポートフォリオ選択の理論自体がコンピュータに組み込まれ、株式市場での売買を有利に行うための手段(プログラム取引)になっている。1987年秋に米国ニューヨーク株式市場で起きた平均株価の大幅下落(「ブラックマンデー」)は、(未熟な)プログラム取引の普及の結果といわれている。 不確実性と情報  次にA氏が、事象UとDについて「情報」を入手できる場合を考えよう。いまA氏が資産保有形態として"M"あるいは"S"を選択する前に、x万円を支払って、情報を入手し、UとDのどちらの事象が起きるかを知ることができるものとしよう。もちろん、情報を入手しなければ、UとDのどちらが起きるかは分からないものとする。A氏は、情報を入手する、入手しないのいずれを選択することもできる。情報を入手した場合、もし、Uが生起することが分かれば"S"を購入することが有利であり、反対にDが生起することが分かれば、"S"を購入せず、"M"で保有することが有利である。ここでの問題は、このような情報(I)を入手するために、A氏は何万円まで支払うことに同意するか、つまりA氏によるIの需要価格の決定である。  この問題を考えるために、図1−7を参照されたい。この図には、A氏のとる3種類の行動のそれぞれについて、UとDのそれぞれが生じた場合のA氏の「純利得」が示されている。まず"M"保有の場合には、100万円の貨幣がそのまま期末まで持ち越されるのだから、純利得は(U、Dのいずれの場合でも)ゼロである。次に"S(98)"の行は、98万円支払って"S"を購入したときのU、Dの場合の純利得である。Uの場合の利得は、12=110−98であり、Dの場合の利得は、−8=90−98(損失8万円)である。前項で述べたように、A氏にとって"M"と"S(98)"は同一の価値をもたらす。  次に"S(98)&I(x)"は、"S"が98万円で購入できる場合に、情報Iをx万円で入手したときの純利得を示す。情報Iが事象Uの生起を示す場合には、"S"を98万円で購入して期末110万円の資産を保有することが有利であり、そのときの純利得は、"S"の保有から生じる資本利得12万円マイナス情報費用x万円になる。他方、事象Dの生起が分かったならば、"S"の購入はやめ、資産は"M"の形で持つのが有利である。そのとき、資本利得は0であるから、純利得は情報購入費用すなわちマイナスx万円になる。もし、情報が無料で入手できる、すなわちx=0であれば、もちろん"S(98)&I(0)"は"S(98)"よりも有利である。他方、xが8万円まで上昇すれば、"S(98)&I(8)"は"S(98)"よりも不利な結果をもたらす。従って、x=0とx=8の中間に、"S(98)&I(x*)"が、"S(98)"と同一レベルの満足を与えるxの水準x*が見つかるはずである。もし実際の情報費用xがx*よりも低ければ、情報購入が有利である。他方xがx*を超えれば、情報購入は不利である。すなわちx*は、A氏による情報Iの需要価格である。  A氏が情報Iを費用xで購入するとき、同氏は当初資産100万円のうちx万円を情報活動に振り向け、残りの(100−x)万円を実物活動(ここでは貨幣あるいは株式の保有)に振り向けていることになる。情報購入のための支出は、貨幣保有あるいは株式購入に先立って行われるが、情報を購入するか否かの決定には、実物活動から生ずるすべての結果を考慮に入れている点に注意されたい。  上記は簡単な例だが、個別経済主体の不確実性下の行動がすべて分かれば、そこから不確実性を減少させる「情報」に対する需要価格を求めることができることを示している。このことは、より複雑な場合、たとえば生起する事象が2個以上の場合や、購入対象となる"S"型資産が複数個存在する場合や、行動主体が複数の個別経済主体で構成される「チーム」の場合でも同じである。すなわち、一般に、不確実性下の行動から情報に対する需要を導出することができる*4。  しかしながら、この手法を拡張して、通常の財と同様に「情報」に対する需要供給分析を行うことは難しい。それぞれの「情報」について、その供給価格(情報生産に必要なコスト)を定めることは可能かもしれない。しかし、情報の場合には、通常の財と異なってその「量」を一義的に表すことができない。以下に述べるように、異なる情報は、財・サービスのように量的に相違するというよりも、むしろ「質的」に相違しているからである。情報量として、そのシャノン測度(第2節参照)やそれを表現する「メディア」の物理量(書物のページ数など)を採用することは不可能ではないが、不自然な結果を生ずることが多い。 これ以外の点でも、情報は通常の財・サービスとは異なる性質を持っている。たとえば、情報は、それを複製して他者と共有・共用することが容易である。複製にはコストがかかるが、一般の財の複製よりもはるかに低い。また、ある種の情報は、「経験」によって「自然に学習」される。同一環境下で行動を繰り返すことによって、その環境の性質が少しずつ分かる、すなわち行動と結果の対比から情報を入手できる。その結果、個別行動主体にとっての情報の価値が、過去の経験に応じて変化するのである。  さらに、一般の財はその「種類」と「数量」によって規定できるが、情報を特色づける「属性」は多数存在する。情報には、その「内容」を別にしても、「表現手段(メディア)」、「精度・信頼度」、「将来の有用性の限界(よりすぐれた情報が出現して、その情報が無用になってしまう確率)」、「他者保有による有用性の限界(現在他者が同種の情報を持っているため、その情報の価値が減殺されている確率)」など多くの属性を持っている。これらの性質は、通常の財・サービスには存在しない。上記の理由で、「情報の組織的な需要供給分析」は困難であり、まだほとんど手がつかない状態である。 「ショッピング(商品探し、職探し)」の経済分析  個別経済主体の行動に「情報」がかかわる例として、「ショッピング(サーチ)」行動を考えよう。これはより安い商品を求めて店から店を探し回る場合、あるいはより良い職を求めていくつかの会社の面接や試験を受ける場合などである。商品探しにしても、職探しにしても、最初に出会ったケースに飛びつくのは、よほどラッキーな場合でないかぎり損である。だからといって、何十カ所も何百カ所も際限なく探し回るのも、時間や費用の無駄である。したがって、通常は何カ所かの店や会社を試みた後に、どこかで「決心」してサーチを終わり、品物を購入するなり、求職の次のステップに進むことになる。この種の行動を経済モデルとして記述するにはどうすればよいだろうか。  なるべく簡単なケースで考えるため、まず特定の個人(B氏と呼ぶ)が、ある財の定められた数量の購入を考えているものとする。その財は、何軒かの店で売られているが、どの店でも品質は均一で、販売価格だけが異なるものとする。B氏の目的は、なるべく安い価格の店を「合理的に」見つけることである。財の販売価格は店によって異なるが、その確率分布が、「確率密度曲線」で与えられているものとしよう。大部分の店の価格は中心付近に分布しているが、例外的に高い価格の店もあり、また低い価格の店もある。B氏が訪れる店は、このような確率分布から順次取り出される「標本」であると考える。  B氏は、最初からこの確率分布をよく知って(あるいはよく知っていることを確信して)行動するものとする。つまり、B氏は、それぞれの店の販売価格については何も知らないが、すべての店の販売価格の確率分布を知っており、かつショッピングを繰り返してもこの確率分布自体は影響されないものとする。これはB氏が、ショッピングの経験から販売価格の分布について学習しないことを意味する。もちろん実際には、ショッピング開始時に価格分布についての情報が限られており、何カ所かの店を訪れながら価格がどの範囲に分布しているかを学習することが多いだろう。ショッピングによって、価格分布に関する情報と、それぞれの店の個別価格がどの高さになっているかの情報、つまり2種類の情報を同時に入手している。典型的には、海外旅行の場合である。しかしながら、理論モデルでこの両者を同時に表すことは複雑な作業となる。ここでは価格分布を既知とし、それぞれの店の個別価格に関する情報を入手することだけを考えるのである。  次に、B氏のショッピングに、費用がかかるものとしよう。B氏の1回のショッピングには費用x円がかかるが、それ以外の制約や費用はないものとする。すなわち、ショッピングを繰り返したとき、B氏はx円にショッピング回数を乗じて得られる金額だけを費用として負担すると考える。もちろん実際には、時間の制約や身体的・心理的な疲れなどがあるが、これは考えに入れない。また、一度ある店で販売価格を知った後、再びその店に戻って以前に見つけた価格で購入することは許されないものとする。つまり、特定の店の価格を記憶しない場合である。  なお、B氏はショッピング開始前に、「ショッピング方法」をあらかじめ定めておくものとする。つまり、特定の店で販売価格が分かったとき、その店で購入するか、あるいは購入をしないでさらに別の店でショッピングを試みるかの行動規準をあらかじめ定めて行動する。衝動買いのような気まぐれの行動はとらない。そしてB氏は、ショッピング方法を、購入商品の価格とショッピング費用の合計の「期待値」を最小化するように定めるものとする。ここでの問題は、B氏がどのような方法を選ぶかである。上記の想定のもとで、B氏が、より安い価格で買うことができることから生じる利益と、そのために生ずるショッピング費用の増大とをバランスさせる方策は、どのようなものであろうか。  もしx=0であれば、最低価格の店が見つかるまでショッピングを繰り返すのが最適行動である。他方、もしxが最高価格を上回っていれば、最初の1回のショッピングで終わるのが最適行動である。ショッピングの単位費用xが、0と最高価格の間で与えられたとき、B氏はショッピングを繰り返すことになる。B氏のショッピングは、どこまで続くだろうか。  確率論の「最適ストッピング理論(Optimal stopping theory)」から、上に述べた単純な場合には、期待支払額を最小化するショッピング方法は、以下に述べるような結果になることが知られている。販売価格の分布と1回あたりのショッピング費用から、B氏は財の購入価格の最高限度、つまりその財の「需要価格」を決める。B氏はランダムに店を訪れて販売価格を調べるが、もし需要価格に等しいかそれよりも低い販売価格の店に出会えば、そこでショッピングを止めて財を購入する。もし、その店の販売価格が需要価格を上回れば、別の店を選んで再度販売価格を調べる。B氏はこれを繰り返し、需要価格を上回らない店が見つかるまで続ける。以上がB氏の「最適ショッピング法」である。  ここで注意していただきたいのは、B氏の需要価格が第1回目のショッピングでも、それより後のショッピングでも変わらないことである。これは、ショッピングの回数や時間に制限がなく、また以前に訪れた店に後になって戻ることは許されないという想定による。つまり、ショッピングに関するB氏の「状態」は、第1回目のショッピングでも、第n回目のショッピングでも同じである。第(n−1)回目までのショッピングで、需要価格以下の店を見つけることができなかった場合、x円の(n−1)倍のショッピング費用がかかっている。しかしながら、その費用は過去の支出つまり既定事実であり、将来の行動に影響を与えないのである*5。  以上説明したモデルを拡張して、いくつかの点でより現実に近いモデルを作ることは可能である。たとえば、B氏のショッピング費用支出額に上限がある、あるいは費用調達のための利子率が増大すると想定すると、「サーチを続けるに伴って需要価格が上昇する、つまり、ショッピングを繰り返すと高い価格でも受け入れるようになる」という結果が得られる*6。しかし、この種の一般化を行っても、モデルの本質は変わらない。  ここで述べた「不確実性下のショッピング」のモデルは、情報経済学(economics of information)の用語を初めて使ったスティグラーが考えた問題を単純化して示したものである*7。同論文以降、「サーチ理論、最適ストッピング問題」の研究が進展し、情報経済学分野の最初の成果となった。 Notes: *1 ここで「資源(resources)」とは、「何らかの役にたつ財・サービス・ストックなどの経済的対象」の意味である。 「資源」の語をより狭い意味の「自然資源(natural resources)」に限って使うことも多いが、ここでは、「人造資源(man-made resources)」・「人的資源(human resources)」なども含めた広い意味で使っている。 *2 この関係は、熱力学分野から発展した「エントロピー理論」を援用して定式化されている(たとえばKullback(1968)、Ash(1967)参照)。ただし、「既知・未知部分」などの概念について注意深い定義が必要である。複数の人間がそれぞれ異なる情報を持っている場合、簡単には議論できない(本書4章の山崎論文を参照)。なお、本文の説明に対し、「すべての可能性」などというものは、本来知ることができないのではないか、との批判がありうる。たしかに実際の経済活動では、全く予期できない事態が起きることも珍しくない。しかし、「不確実性と情報の理論」では、「すべての可能性」自体は分かっているものとし、その中で何が起きるかだけが分からないと前提することが分析上は便利である。つまり、「すべての既知の可能性の中で何が起きるか分からないという不確実性」と、「すべての可能性自体が分からないという不確実性」を区別して取り扱うのである。 *3 この考えを厳密に展開した理論がある(Savage(1954)、Arrow(1971)Ch.2参照)。 *4 Diamond他(1978)中の諸論文を参照。 *5 このようなケースは、確率論の分野で「マルコフ過程」と呼ばれる。 *6 たとえば、DeGroot(1970)Ch.13参照。なお、この場合は「非マルコフ過程」である。 *7 Stigler(1961)。