第1章 情報経済学入門 鬼木 甫 5.「経済システム」と情報――競争と協調の挧み合い 経済システムと情報  われわれの社会の経済システムは、多数の個人、家計、営利企業、公共機関やその他の非営利団体などの経済主体から構成され、これらの経済主体は、相互に協調あるいは競合・競争しながら経済活動を営んでいる。それぞれの「実物経済活動」、つまり生産、消費、購入、販売などをめぐって、さまざまな「情報活動」が営まれ、大量の情報が交換される*1。企業間取引では、発注・納品・請求・支払・領収書などの書類メディア(最近では電子メディア)によって情報が伝達される。またそれぞれの経済主体は、自己に有利な決定を行うために情報を収集し(たとえば前節で考えたショッピング)、また情報を伝達・拡散する(たとえば広告)。情報は、何らかの経済活動に伴って副次的に伝達されることもあり(たとえば取引を重ねるうちに相手企業の経営状況が分かる)、また取引等の経済活動とは別に情報自体が独立して伝達される(たとえば営業報告書を発行する)こともある。  このように、情報活動は実物経済活動に影響を与え、また実物経済活動の結果として生じる。それは、社会経済システムの運行といわば表裏一体の関係にある。経済システムの運行における情報活動の重要性は明らかであろう。しかしながら、経済システムにおける情報の働きを包括的にとらえる理論はまだ作られていない。その影響する範囲がきわめて広く、また、影響の仕方も多様にわたるので、まとまった理論を作ることが容易でないことによる。そこで本節では、これまで社会経済システムについて生じた若干の問題のうち、情報が重要な役を果たすものを選び、それぞれのポイントを解説しよう。 市場メカニズムと計画経済(「社会主義論争(the Socialist Controversy)」)  市場メカニズムを広汎に採り入れている資本主義(自由主義)経済と、社会主義国の計画経済との優劣については、1980年代半ばの「ベルリンの壁の撤去」という象徴的な出来事を境にして、多数意見による結論がすでに得られている。今日では、価格機構の「需給調節機能」と、個別主体の「利益追求インセンティブ」を活用できる市場メカニズム型の経済が、すべての決定を中央政府当局にゆだねる計画経済よりも多くの点で優れていることに異論を唱える人は少ない。  しかし、第一次大戦後に社会主義国(旧ソ連)が発足した直後には、この問題の答は出ていなかった。むしろ、資本主義初期に生じた労働者の搾取、所得の極端な不平等、景気変動による不況時の倒産や大量失業などの経験から、多くの人は社会主義のイデオロギーに希望を求め、計画経済が市場メカニズムより勝るのではないかと考えていた。エコノミストの間でも、市場経済と計画経済の優劣については意見が分かれ、1920年代末から「社会主義論争」を生じた。  当時、計画経済を支持するグループに対し、「情報活動のコスト」の観点から市場メカニズムの優位性を説き、市場メカニズム以外の手段で複雑な経済システムを運営することは不可能であることを述べ、半世紀後のベルリンの壁の帰結を予言したのは、ランゲ(O. Lange)、ラーナー(A. P. Lerner)、ハイエク(F. Hayek)などの理論家であった*2。かれらは、計画経済を市場メカニズムと同様に円滑に運営するためには、計画当局が経済活動の現場(たとえば農家や工場)の情報を入手して、それぞれの事態に応ずる命令を伝える必要があることを指摘した。そしてそのような巨大な量の情報の集中や伝達は実際には不可能であることから、計画当局は不十分な、また誤った情報しか入手できない。その結果、発せられる命令も不十分・不適切なものになり、計画経済は必然的に需給のアンバランスなどの非効率を生じ、経済活動が停滞あるいは崩壊するであろうことを主張した。  市場経済では、それぞれの農家や工場の状況に関する情報は、現場の経営者やマネージャーが保有している。かれらはその情報に基き、それぞれにとって最適の行動を選択する。その結果、個別主体のレベルで効率性が実現される。他方、経済全体の需給調整は、市場メカニズムの「価格機構」を通じて実現されるのである。  実際に旧ソ連では、第二次大戦前後に計画経済を管理する官僚機構が急速に肥大し、その傾向が続けば20年以内に旧ソ連人口のすべてが公務員になってしまうとまでいわれる状態になった。この問題に対処するため、旧ソ連をはじめとする社会主義諸国は、1960年ごろから部分的に市場メカニズムを採用し、漸次その範囲を広げていった。しかしながら、1970年代に入っても「計画部門」の比重はなお大きく残り、とりわけ金融、運輸交通、情報通信、などの重要なサービス部門は、計画当局の直接統制下に残った。当時これらの諸国は、農業主体の経済から工業国への転換期にあり、しばらくの間は農業人口の製造業部門への流入によって経済成長を実現できた。しかしながら、この過程が終わり、製造業の高度化やサービス産業拡大の時代に入ると、生産活動現場での判断・工夫の重要性が高まり、計画経済の弱点が表面化した。その結果、経済成長が停滞して西側諸国との格差が拡大し、東ヨーロッパ諸国の改革、ソ連の崩壊に至るのである。  なお、中国でも、1960年代末の「文化大革命」前後に同じような経済停滞が生じた。しかしながら、1970年代に入って中国は柔軟に方針を転換し、政治的には社会主義体制をとりながら、経済的には市場メカニズムのウェイトを増大させ、実質上の「市場経済化」を進めた。この傾向は、今日でも続いており、1990年代に入って、中国経済、とりわけその沿岸部は経済成長を加速させている。  また、上記のランゲ等による「市場メカニズムの効率性」の主張は、第二次大戦後の冷戦時代を通じて西側諸国のエコノミストの支持を受け、米国を中心とする自由主義陣営のイデオロギーとなり、またその経済政策のバックボーンにもなった*3。  計画経済と市場経済の問題は、一国の経済システム全体を巨大なコンピュータ・ネットワークであるかのように考えると分かりやすい。多数の経済主体は、自己の担当する経済活動について、資源・技術などの環境条件がどのようになっているか、それらを活用してどれだけの実物経済活動を行うことができるか、に関する情報をあらかじめ保有している。経済システムの目的は、それらの情報を統合し、社会全体として望ましい経済活動(生産・分配など)を決め、各個別主体がそれを実行できるようにすることである。計画経済では、計画当局という「巨大コンピュータ」が存在し、各経済主体は自己の可能性に関するデータをすべて巨大コンピュータに送る。巨大コンピュータは、すべてのデータを集めて全国の経済計画を作成し、これを各端末つまり個別主体に送るのである。これに対し、市場経済では個別主体が自己の可能性をすべて記述するデータを送ることはしない。各財の「市場」コンピュータとの間で、財・サービスの価格、売買数量のような限られた情報だけを交換し、それぞれの経済行動を決定する。その結果、計画経済と市場経済との間で実物経済活動自体は同じであっても、それを実現するために必要となる情報伝達量、つまり情報活動のコストに大差が生ずる。つまり計画経済では、望ましい実物経済活動を実現するために最低限必要な情報活動ではなく、それをはるかに上回る「無駄な」情報活動がなされており、これが計画経済の「非効率」を生むのである*4*5。  なお、計画経済の非効率性の理由は、情報的側面に限らない。計画経済に労働インセンティブや企業利潤インセンティブが欠落していること、その結果として個人や個別企業の自発的な努力や創意工夫が抑制されること、計画当局の情報処理能力不足によって経済活動が単純・画一的になり、多様性に基づく発展の可能性を摘み取ることなども、非効率性の理由として指摘されている。「情報活動の非効率性」は、ある意味でこれらの基本的な要因である。 競争と規制(市場原理と計画原理のバランス:I)  市場経済体制と計画経済体制の優劣については、上記のように理論上も実際上も結論が出たが、本質的に同一の問題は、現在の経済システムの中でも存在する。その第一は、「競争と規制」の問題である。現在の経済システムは、市場メカニズムを基本的な原理としているが、しかし同原理が経済活動をすべて支配しているのではない。実際には、経済活動のかなりの部分が「公共部門」として中央・地方政府の管理下にある。また「半官半民」の経済主体(財団など)が多数存在し、さらに「民間部門」でも、政府規制によって管理されている部分が多い。つまり市場経済システムの中に、「計画経済要因」が入り込んでいる。この事実は「混合経済」の名で呼ばれている*6。現在わが国で、公共部門(たとえば事業資金の供給を財政投融資に頼っている部門)の縮小や、規制緩和の必要が論じられている。その基本的な理由は、社会主義諸国の没落・消滅の原因となった計画経済システムの非効率性にある。  規制と競争の問題のポイントは、経済活動全体の中で、どの部分が公共的意思決定に適し、あるいは公的規制を必要とするかである。また、どの部分が民間経済活動に適しており、もしそこで不必要な公的要因が残っていれば、これをどのような手順で撤廃・緩和するかである。現在行われている議論では、公的部門の縮小や規制緩和の理由として、財政赤字などのマクロ経済面の必要や、公的部門のモラル低下などが取沙汰されることが多い。計画経済の「情報的非効率性」はそれらと並ぶ基本的な理由である。 企業規模と企業の境界(市場原理と計画原理のバランス:II)  計画経済と市場経済という二つの原理は、上記とは別の面で、資本主義経済システムの重要な側面を特色づけており、エコノミストの研究テーマになっている。それは企業規模と企業の境界を決める要因は何かという問題である。  一般に、市場経済システムは、多数の企業によって構成されている。経済全体が計画当局によって一元的に管理されず、多数の企業が自主的に活動し、企業間の相互関連は市場取引に基づいているという意味で、それはたしかに「市場経済」である。しかしながら、個別企業の内部では、市場原理でなく計画原理が作用している。つまり社長や取締役会が企業の経営方針を定め、社員の仕事を管理するという意味で、それは一つの「ミクロ計画経済」であるといえる*7。また、複数の企業が垂直あるいは水平的に合併・統合してより大きな単一企業になることがあり、逆に企業が分割されて複数の小規模企業になることもある。つまり、われわれの市場経済の中で企業の境界は変化しうるのであり、それに従って「計画原理」と「市場原理」が適用される範囲が動くことになる。  上記の見方を前提にして、以下の問題を考えよう。「もし市場原理が計画原理よりも情報伝達その他の面で効率的であるのなら、現在の企業をさらに複数の小企業に分割し、これまで企業内で計画原理に従って実行されていた仕事を市場原理下に移し、分割されてできた小企業間で取引を行うことが効率的である。」この考え方を極端にまで押し進めれば、経済全体を多数の極小企業(仕事単位たとえば個人)にまで分割し、すべての経済活動を極小規模の企業間の市場取引として実現することが望ましいことになる。これが正しくないことは直観的に分かる。したがって、企業の行き過ぎた分割を非効率にする要因、つまり小規模企業を統合・合併して大規模企業にすることが効率的である理由が存在するはずである。  次に、先の問題と逆の問題を考えることができる。「もし一般に企業の細分化が不利であれば、それは逆に、企業の統合が有利であることを意味する。そうであれば、現存の企業を次々に統合し、経済システム全体を一巨大企業とするシステム、つまり計画経済が効率的なはずである。」これが正しくないことも、われわれはすでに知っている。  上記をあわせ考えると、実際には企業細分化(分権化)の利益(=集権化の不利益)と、企業統合(集権化)の利益(=分権化の不利益)が、それぞれ別個に存在しなければならないことが結論として出てくる。極端な集権や極端な分権は、それらの不利益のどちらか一方を増大させるのでいずれも望ましくない。集権・分権の最適点は両者の中間に存在する。つまりその点で最適企業規模が決まると考えられる。  分権化の利益、つまり集権化の不利益については、集権化に必要な情報伝達コストの増大が社会主義経済を非効率にさせたことをすでに述べた。それでは、もう一つの「統合(集権化)の利益」は何から生ずるのか。それは一口に言えば、「市場取引コストの節約」である。取引相手が企業内にいる場合、つまり企業が保有する設備や資源、企業が雇用する労働者については、所有権設定や雇用契約によって企業内の「自由な」使用がすでに前提されており、そのために必要な直接コストは少ない。これに対し、同じ設備や資源が企業内で備えられていず、外部市場で購入あるいは借用する場合や、また必要な技能を持っている社員が企業内に見当たらず、外部から一時的に雇用したり、外部に仕事を委託する場合には、さまざまな「市場取引コスト」がかかる*8。必要な設備や労働者を見出すためのコスト、それらの「質」が当方の要求を満たしているか否かを調査するコスト、設備や労働者がどの程度の代価で入手・雇用できるかを調べるためのコスト、他により有利な購入・雇用機会が存在するか否かを調べるコスト(第4節のサーチ問題である)、取引契約の作成・実行のためのコストなどが考えられる*9。これらのコストは、大部分情報費用である。つまり、生産資源を統合し計画原理に従って運営される「企業」が形成される基本的な理由は、市場取引に伴う情報活動のためのコストである。  さらに、この問題をもう一歩押し進めて述べた次の問題(Willamson's puzzle)が知られている。「相互に取引を行っている2企業を1企業に統合することを考える。統合後の経営原理としては、本来の集権的経営、すなわち統合企業の経営陣による直接管理に加え、統合前の企業関係、すなわち統合前の2企業間の市場取引をそのまま統合後の企業の内部取引として採用する可能性も認めることとする。そのとき、統合後の企業は、統合前に可能であった市場取引が有利な場合はこれを実行し、かつこれに加えて、新しい「統合された集権的経営」の可能性を入手する。すなわちこのような企業統合は、管理方式について何物をも失わず、新しい可能性のみを付加するので、統合によって効率が増大することはあっても減少することはない。したがって、この方式を押し進めて企業を次々に統合し、経済全体を一巨大企業として運営することは、少なくとも非効率的ではないはずである。」この叙述が正しくないことをわれわれは知っている。それでは、この推論のどこに落とし穴があるのだろうか。上記の問題は、企業組織、経済組織の根幹にかかわるものであり、現在でもエコノミストによる研究が続けられている*10。 不完全情報(情報の偏在・非対称性)から生ずる市場の失敗  前節で述べたスティグラーの「情報の経済学(economics of information)」は1961年に発表された。1970年代に入ると、市場で取引される財・サービスの「質」に関する情報の不完全性から生ずる市場機能の阻害、つまり、財・サービスの売り手や買い手が満足できる結果が得られない(被害を受ける)場合に関心が寄せられ、多数の分析結果が発表された。その嚆矢となったのは、アカロフの「レモン(車)の市場」の論文である*11。「レモン」とは、質が悪く、購入後すぐにでも故障を起こしかねない中古車のことである。  1970年代以前の米国では、自動車の故障率が高く、かつ中古車への依存度も大きかった*12。そのため、消費者は購入直後の中古車の故障に悩まされることが多かった。アカロフは、中古車が外見上同一であるのにその質(故障率)が異なること、つまり購入者が個々の中古車の品質について不完全な情報しか持っていないことから生ずる結果を分析した。同様の問題は、生命保険や健康保険(保険会社が被保険者の健康状態に関して不完全な情報しか持っていない)、労働市場(雇用主が個々の労働者の質について不完全な情報しか持っていない)、レンタカー市場(レンタル業者は、借り主がレンタカーをどの程度大切に扱うかについて不完全な情報しか持っていない)など、多数の市場で発生する。  不完全情報市場の働きをレンタカーの例で説明しよう*13。レンタカーの借り手として2グループを考える。グループIは優良運転者、グループIIは乱暴運転者である。グループIの借り手は、自己の運転が優良であることを認めてもらってその分の割引を得たい(低価格で借りたい)と思っており、反対にグループIIの借り手は、自己に課せられるかもしれない高価格を避けたいと思っている。レンタカー業者の側では、グループIの借り手に対しては低価格でレンタカーを提供してもよいが、グループIIの借り手に対しては、乱暴運転から生ずる故障や事故費用をカバーするため、高価格を課さなければ引き合わないと考えている。このような場合に、借り手がグループI、IIのいずれに属するかについて貸し手がどの程度「情報」を持っているかによって、レンタカー貸借の結果がどのように変わるかが問題となる(図1−8)。  まず、第一に、ケースAとして、個々の借り手のグループI、IIへの所属が最初から分かっている場合(完全情報のケース)を考えよう。この場合は、グループI、IIのレンタカー市場は分離され、別個の商品が売買されているのと同じことになる。グループIの借り手には低価格が、IIの借り手には高価格がつけられ、それぞれ需給均衡する水準に決まる。貸し手・借り手の双方とも、この場合を規準にして下記のケースを評価するものとしよう。  次に、ケースBとして情報が不完全であり、借り手は自己がグループI、IIのいずれに所属するかを知っているが、貸し手であるレンタカー業者には分からないものとする。この場合、貸し手は、両グループに同一価格でレンタカーを提供する他はない。この場合に生ずる結果の主なパターンとして、ケースB1とB2がある。ケースB1は、グループI、IIのそれぞれの借り手について取引が成立する場合である。この場合には、グループI、IIに共通のレンタル価格が、ケースAでの高価格と低価格の中間に決まるだろう。したがって、グループIの借り手は、グループIIの借り手の費用の一部を結果的に負担することになり、不満が残るだろう。逆にグループIIの借り手はケースAよりも安く借りられるので、満足であろう。レンタカー業者がケースAに比べて満足であるか不満であるかは、一般には分からない。しかし、このように市場の歪みが生ずる場合は、レンタカー業者に不満が残ることが多い。  ケースBのもう一つの場合として、グループIの借り手が、ケースB1の高価格に不満を覚えて借りること自体を止めてしまい、取引がなくなってしまうことが考えられる。グループ2の借り手は取引を続けるだろうが、この場合は、レンタカー価格が、ケースAのグループ2の価格に近いところまで上昇するだろう。グループIIの借り手の満足度は、ケースAと同程度になる。これらのことは、情報の不完全性の結果、元来レンタカー借入に適していた優良運転者が市場から退出し、乱暴運転者にだけレンタカーが貸し出されることになり、通常の「望ましい方向」とは逆の結果を生ずることを示している(「逆選択(adverse selection)」のケース)。 次にケースCは、ケースB1の「発展型」である。グループIの借り手がグループIIと区別されない結果、グループIIに課される高価格の一部を負担することを不満に思い、何らかの手段でレンタカー業者に自分がグループIに属することを示す(たとえば過去のレンタカー記録を持参する)ことによって、ケースBよりも低価格で借りる場合である(「自己選択(self selection)」のケース)。グループIIの借り手が自己の所属を貸し手に示すために使われるメディアは、「シグナル」と呼ばれる。ケースCは「シグナリング」を伴う取引である*14。グループIの借り手は、シグナリングのために若干の追加支出負担に同意する。この場合には、グループIのシグナリング借り手は、ケースAのように低価格で借りる機会を得る。しかし、シグナルは不完全であるかもしれず、またシグナリング費用を負担しなければならない。したがって、満足度はAの場合より低いが、Bの場合よりは高いだろう。グループIIの借り手は、Bの場合のように低価格に便乗することはできなくなる。しかし、グループIの借り手のシグナルが不完全である場合には若干の便乗の余地が残り、平均して満足度はAの場合より高いであろう。  上記のように、市場で取引される財・サービスの質が個別主体によって異なり、取引相手(前記の例ではレンタカー業者)がリスクに晒される場合には、ケースBのように、リスクから生ずる負担が借り手の間で平均化される場合がある。また、借り手の一部がそのような平均化を避けるため、シグナリングを使う場合がある。そのとき、取引結果はさまざまであり、一義的な結論は得られない。厚生経済学上の評価基準である「パレート最適性」は満たされないことが多い。また、シグナリングが全体としての効率を高めるか否かも一般的には分からない。  シグナリングについては、日常生活に関連する問題が多い。レンタカーの場合には、優良運転者が自己のレンタカー記録を持参する例をあげたが、この他にも、たとえばレンタカー業者が、レンタカー記録をプールして借り手の質を判別することが考えられる。クレジットカード取引については、この方式が広汎に成立している。中古車の場合は、「中立の評価機関」が設立され、個々の中古車に「品質評価書」を添付することが考えられるが、そのような機関の中立性自体が疑われることもあるので、完全な解決策ではない。  次に、健康保険や失業保険は、わが国では国営になっており、被保険者を差別しない。しかし生命保険では、被保険者の加入時健康診断を義務づけることが多い。損害保険でも同様である。もし健康保険について健康診断に基づく差別が行われれば、逆選択が成立して、健康保険を必要とするグループが保険対象から排除されることになり、保険そのものの意味が失われてしまう。これは健康保険が公的管理下に置かれている理由の一つである。  一般の財・サービスの場合、品質の高い優良・高級品に生産者名やブランド名をつけて「商品信用」の確立をはかる場合がある。これもシグナリングの例である。しかし、テレビ・コマーシャルにおいて見られるように、ブランド名自体がつねに高品質を保証するものではない。実際は、単に商品名を消費者に記憶させ、購入時に時間不足等のため商品内容の吟味ができない場合に、多数の商品の中から記憶に残る商品名称・ブランド名によって自己の製品を選択させる目的の場合もある。  最後に労働市場、とりわけわが国の新規学卒の市場については、問題が大きい。日本のように終身雇用制が支配的である場合には、新卒の学生が良い雇用機会を得ることができるか否かが生涯所得に大きく影響する。その結果、学生の側では少しでもよい職場に入ろうとして、学歴社会・就職競争を生み、また就職時には「職探し」に何カ月間もの時間を投入することになる。これは図1−8のケースCの典型的な場合である。  グループIの労働者は、自己の所属を雇用側に示すために莫大な犠牲を厭わず学歴シグナルを求め、企業訪問を重ねて自己のシグナルを示し、グループIIの労働者もこれに対抗する必要から高学歴追求と企業訪問を重ねる。その結果、高学歴が自己の技能や社会の一員としての教養につながらなくとも、コストを顧みず学歴シグナルを追求することになり、社会的損失を生じている。とりわけ「浪人」の存在は、個人レベルの学歴追求が社会的損失になることを示している。また、就職シーズンには、大学の教室が「空洞化」する結果を生んでいる。他方、企業側でも、終身雇用制のために、学生採用時の成功・失敗がその退職時まで長年月にわたって影響するので、学歴本位の採用に依存し、また同じく自他のコストを顧みず採用面接を重ね、社会的コストを生じることになっている(図1−9)。  「不完全情報」を伴う市場の分析は、1990年代に入って下火になっているが、上の例に示したように、その社会的意義は大きい。それは、制度改革や政策問題とも関連する。今後いっそうの発展が望まれる分野である。 マクロ経済学と情報  マクロ経済学の目的は、景気変動や長期不況の原因を明らかにし、その対策(マクロ経済政策)を考えることである。周知のようにケインズは、1930年代の大不況時に、所得・消費・貯蓄・投資のマクロ的なメカニズムを明らかにし、不況の主要原因は総需要の不足にあることを主張した。第二次大戦後の米国では、1970年代までケインズ理論がマクロ経済政策の骨格に採用され、財政支出を主な手段として不況防止に努めてきた。しかしながら、1973年の石油危機後から、同政策の副産物として貨幣の追加供給とインフレーションが招来され、その長期的効果に疑いが持たれるようになった。  この観点を、個別経済主体による物価水準の予測という「情報」の見地から理論化し、古典派に近い立場からケインズ理論を批判したのがルーカスである*15。ルーカスは、貨幣増発を伴う財政支出の名目的増大は、遅かれ早かれ各個別経済主体に物価水準の上昇を予測させることを指摘した。個別経済主体は、その予測に従って自己の名目的行動を変更する。予測が完全であり、かつ行動が瞬間的に調整される極端な場合、物価水準の影響を除いた実質的な経済活動は影響を受けず、名目的な財政支出増大は無効化する。予測が不完全で調整に時間がかかる場合でも、財政支出増大の効果は一時的なものにすぎず、長期的には同じく無効になってしまう。したがって、ケインズの主張は、個別経済主体の情報活動が無視できる場合にだけ成立するものであり、上記のように個別経済主体によるマクロ経済情報の入手と予測、行動調整を考慮すれば、ケインズ政策の効果は疑わしいことを主張した。ルーカスの所説は「合理的期待形成理論(theory of rational expectations formation)」と呼ばれる。それは「長期的完全情報」という限定下ではあったが、マクロ経済学に「情報」要因を採り入れた最初の成果であった。  ルーカスに始まる合理的期待形成理論は、マクロ経済現象の考察のために個別経済主体の情報取得・期待形成とその行動の変化を考慮する必要があることを示した。それは、狭義のマクロ政策だけでなく、個別経済主体による期待形成とその帰結の分析、資産価格や証券価格の形成など、将来事情の不確実性とそれに関する情報の伝達をめぐる経済主体の動学的行動の分析に大きな影響を与えた。またそれは、実証的研究のためのマクロモデルの形成に必要な視点を提供した。  さらにルーカスの所説は、マクロ経済現象、すなわち景気循環と長期不況の根本的な原因について深く考えさせる手掛かりとなった。ルーカスが主張したように、一般に個別経済主体はマクロ経済現象に関する情報を入手して行動し、それらの結果がマクロ経済現象に集計されて出てくる。つまり個別経済主体の行動とマクロ経済現象との間には、「予測」と「行動」を通じて相互関連が存在する。われわれは、両者の関連に関するいくつかの仮説を考えることができる。最も単純化された仮説は、以下のようになる。「もし物価水準について『完全情報』が実現され、すべての経済主体が物価水準を正しく予測でき、かつ即時的な調整を行えば、貨幣的要因に基づく景気変動や長期不況を避けることができる。」その場合に生じる景気変動や長期不況は、実物的要因に基づくものだけとなる。  次に、「もし、『実物的側面』についても完全情報と即時的調整が実現できれば、貨幣的側面におけるのと同じく、実物的要因に基づく景気変動や長期不況を避けることができるだろうか」という問題が出てくる。この問いに対しては、「実物的側面に関する完全情報」が何を意味するか考える必要がある。物価水準という単一のデータで示される事象にくらべ、実物面の経済は複雑きわまりなく、実物面の経済事象は無数の要因の絡み合い、すなわち無数の可能性の中の一つの結果として表れるものである。したがって、「実物的側面に関する完全情報」について、簡単な叙述を与えることは難しい。  ここで単純な経済システムを考え、そこから不確実性をすべて取り除き、「完全情報」をモデル上で実現しても、モデルの性質によっては、景気変動のような循環的動学経路を生ずるという結論を導くことができる*16。また、上記「完全情報」の概念は不正確であり、厳密に考える余地が残っている。そのためには、そもそも「情報」、「経済現象」、「特定の経済現象に関する情報」、「複数の情報を完全性の程度に関して比較すること」、「完全情報」、「複数の経済主体相互間の情報交換を考えたときの完全情報」などの概念を正確に定義しなければならない。これらの作業を済ませたうえで、はじめて、「実物的側面における完全情報の意義」を考えることができる*17。  このように、情報の問題を「実物的側面の完全情報」に絞っても、その含意を経済モデルで論証することは困難であり、今後の研究にまたなければならない。  ここでは、マクロ経済問題について、以下の点を指摘しておきたい。まず個別経済主体は、おおむね安定した取引を望んでいると考えられる。企業やその他の経済主体で、自己の経済環境が変動することを望むものは、存在したとしても、全体のうちの一部であろう。地域的あるいは動学的な裁定活動から利益を得る経済主体は存在するが、それらの行動は、基本的に市場を安定させる方向に働く。たとえば外国為替市場で観察される市場の不安定傾向は、市場参加者の情報が限られていることから生ずる不確実性と、「付和雷同的」な行動の結果として理解できる。このように個別経済主体の本来的な行動から、経済全体の循環的変動や長期的な不況(不均衡)が生ずると考えるべき理由はない。したがって、景気変動や長期不況の原因は、経済主体間の相互関連に関する情報伝達と調整が不十分・不完全であることにある。それゆえ、一般に、経済社会システムにおける情報活動レベルの向上は、景気変動や長期不況などのマクロ経済問題、さらに一般の不均衡・不安定などの問題を緩和・解消する方向に働くと考えることができる。しかしながら、特定の経済問題と、それを緩和・解消させるために必要な情報活動の内容・水準等に関する考察は、将来の課題である。 Notes: *1 とりわけ株式・社債の発行・流通などの資本取引には、大量の情報を伴うことが多い。投資資金の供給者はつねに有利な投資機会を求めており、そのために情報が必須だからである。 *2 Lange(1938)、Knight(1921)、von Hayek(1948)を参照。 *3 社会主義論争を含め、それ以後の「経済体制論」の情報的側面については、Hurwicz(1973)を参照。 *4 集権・分権両経済での情報伝達量の測定法については、Oniki(1974、1983)を参照。 *5 上記の見方は、実際のコンピュータ・システムの構成にもあてはめることができる。最近になって、大型コンピュータよりもワークステーションやパーソナル・コンピュータ(PC)を主体とするネットワーク・コンピューティングが主流になっている理由の一つは、企業など組織体の経営のために必要な情報伝達の実現方式として、「分権型」つまり「ネットワーク型」が、「集権型」よりも効率が高い(情報処理コストが低い)からである。 *6 「混合経済(mixed economy)」の語が最初に使われたのは、P. A. Samuelsonが1940年代に書いた経済学入門テキストにおいてである。 *7 大規模企業では、企業内に独立した部局を設け、部局間で(それらがあたかも別個の企業であるかのように)企業内取引が行われることがある。また持株会社、子会社間の関係は、計画原理と市場原理の中間の性質を持つ。他方、下請企業が実質的に親企業の一部であるかのように行動することもある。ここでは簡単のために、これらの中間的ケースを除外して考えている。 *8 「市場取引コスト」の存在と企業組織形成の関連を最初に指摘したのはR. Coase(1937)であり、その所説は後にO. Williamson(1985)などによって展開された(Transactions cost economics)。またArrow(1974)を参照。 *9 一般に、市場取引あるいは企業内部の「取引」のための契約は、取引が完結するまでに生ずるさまざまな外的要因を処理するための配慮を必要とするので複雑化しがちである。また、どんなに周到に配慮しても、予想外の事態を避けることはできない。この理由で、取引のための契約では、契約がカバーできない事態が必ず残ることになる。これを「不完備契約(incomplete contracts)」と呼ぶ。契約の不完備性に対応するため、市場取引では慣習の適用、事後交渉、裁判などの手段で解決するが、そのためのコストが高くなりがちである。取引が企業内部の場合には、企業の所有・経営者の決定に拠ることとなるため、コストを節約できるのである。このとき、「不完備性」から生ずる利潤や損失は、企業所有・決定者に帰することになる。最近では、これらの点が強調され、企業形成の理由を「不完備契約」や、企業所有・経営者による予期しない利潤・損失の処分に求めることが多い(Hart(1995)、Buckley他(1996)、伊藤(1996)などを参照)。 *10 O. Willamson(1985)、Marris(1988)、Stiglitz(1991)、伊藤(1997)とそこでの参照文献を参照。企業組織・理論の一般的解説としては、Putterman(1996)が便利である。また、Oniki(1991)は、Williamson's puzzleへの解答を試みたものである。「統合の不利益」に関する通常の説明、たとえば管理組織の肥大、管理ヒエラルキー数の増大などは、同puzzleの条件が企業内市場取引の可能性を認めているので、ここで考える「統合の不利益」にはなっていないことに注意されたい。 *11 G. A. Akerlof(1970)。 *12 ただし、1973年の石油危機後には、故障率の低い日本車やドイツ車の輸入が急増して事態は改善された。 *13 以下の説明について、酒井(1982)を参照。 *14 M. Spence(1974)。 *15 R. E. Lucas, Jr.(1972)。 *16 本書2章の西村論文を参照。 *17 本書4章の山崎論文は、マクロ経済変動の一つのケースである資産価格の「バブル」、すなわち資産保有者の予測の「正のフィードバック」に基づく同価格の継続的上昇を排除するための一つの十分条件が、厳しい定義に基づく「完全情報」にあることを示した。