第1章 情報経済学入門 鬼木 甫 6.「財」としての情報  本節では、情報および情報支援財、すなわち知識、科学技術、情報機器、情報通信システムなど(以下「情報財・サービス」、「知的財産」、"IP (Intellectual Property)" と略称)が、通常の財と同様に市場で取引される場合を考え、社会全体の見地から制度・政策について論じる。 知的財産権の成立  経済社会の長期的な成長・発展に伴って、基幹産業が第1次産業(農林漁業)から第2次産業(工業、鉱業、建設業)に移り、最近では、サービス産業を主体とする第3次産業の比重が先進諸国の国内総生産の60パーセント以上を占めるようになった。1970年代以降の情報技術の発展と情報化の進展によって、第3次産業の中でも「情報財・サービス」の占める比重が増大しつつある*1。  経済活動の枠組みを決める社会経済制度は、経済発展のそれぞれの段階で経済活動を効率化し、個別主体間の分業・協業の効果が最大限に発揮されるように作られてきた。近代以前においては第1次産業が主体であったので、村落集団の共同作業と生産手段の共有が重視され、私有財産の考え方は必ずしも発展しなかった。わが国では、入会権や漁業権が残っている。資本主義システム、とりわけ「私的所有権制度」や「利潤追求の自由」の原則は、近代工業生産の発展に応じて作られてきた。工業社会における生産活動の効率は個人の工夫や勤勉に依存するので、自他の財産を区別して生産物の帰属先を明確化し、個別主体の努力を経済的に評価するための制度が重要であった。現在われわれの社会で私的所有権が絶対視されているのは、近代工業社会の発展のため、数世紀にわたってそれが必須の要件であったからである。  第二次大戦後に、第3次産業、すなわちサービス生産の比重が増大したが、人間や施設・機器のサービスの帰属は、私的所有権制度の枠内で処理することができた。したがって、サービス生産の増大自体は、所有権制度面で問題を生ずるには至らなかった。しかしながら、1970年代以降において情報技術が急速に進歩し、国内総生産の中で「情報財」が占めるウェイトが上昇してきた。さらに1990年代に入り、インターネット・マルチメディアなどの情報伝達・収集技術が大幅に進歩して情報メディアが多様化した結果、「情報財」の内容・形式も多様化・複雑化することになった。その結果、従来型の所有権制度のフレームワークに収まらないケースが続出し、新しいアプローチが必要になっている*2。  周知のように、知識・情報・技術などの知的生産物・情報財は、その生産・所有・取引に関し通常の財と異なる特色を持っており、このため、その所有権を通常の財・サービスと同様に設定することには問題が多い。したがって、まず通常の財産権と区別された「知的財産権」の設定が必要になる。  一般に、情報財の新規生産(たとえば研究開発)は困難を伴い、多くの資源を必要とする。しかし、情報財がひとたび生産されると、コピー・複製・学習等によって多数のユーザーが低コストでそれを使用できる。情報財のこの特色は、一方において情報財の社会的有用性を高めているが、他方において情報財の生産者への報酬を減少させ、生産コストの回収を妨げることになる。社会的に有用な情報財の生産を促進し、同時に多数のユーザーが知的生産の便益を享受できることを目的として、近代国家では知的財産権が認められた。多くの国で「特許権」・「著作権」などの制度が、発明・発見の当事者や、文学・芸術作品の作者を保護するために早い時期から設定されており、現在においては身近な制度として広く社会に受け入れられている。これらの制度は、通常の私的所有権の考え方を、技術・製品デザインや文芸作品などの「情報」に適用して作られたものである。  しかしながら、最近に至って、知的財産権の保護の必要が強調される機会が増大した。これは、1980年代以降になって、社会の生産活動が科学・技術に依存するようになってきたこと、知識・情報の生産量が飛躍的に増加したこと、情報手段が質・量ともに大幅に進歩したこと、先進国間および先進国・途上国間において情報財の交流が増大したことによる。  ここで、通常の財の所有権と同様に、知的財産権を無条件に保護するべきであるとする考えが一般化していることに注意されたい。これは、当初において、通常の財の所有権がすでに確立されている状態の中で知的財産権の考え方が出現してきたという事情による。多くの場合、知的財産権は「不当に侵害」されていると認識され、知的財産権の保護が、技術の進歩や文化の向上のために無条件に必要であるとする考えが広まった。  さらに、途上国における科学技術・製品・デザインなどへの強い需要により、先進国においてすでに知的財産権制度が確立し、これらの知的財産が保護されているにもかかわらず、途上国側の知的財産権制度が不十分であるため、先進国で生産された知的財産が途上国において一方的に「無料で」使用される事態を生じた。アメリカをはじめとする先進国側はこれに対して強い不満を表明し、知的財産権が途上国等によって「海賊的に使用されている(pirated)」としてその保護を要求した(たとえばGATTウルグアイ・ラウンドにおけるTRIP協議)。また、先進国間、たとえば米国とわが国の間においても、知的財産権の保護の問題が、貿易摩擦・投資摩擦と絡んで出てくるケースが多くなっている。これらの結果、知的財産権の保護の必要だけが強調され、知的財産権を保護することの意味や、またどの程度の保護が社会的に、あるいは世界全体の観点から適切であるかという問題が軽視される結果をもたらした。  私的所有権の保証は資本主義システムの基盤とされているが、それは必ずしも絶対ではない。たとえば国家による租税徴収・所得再配分制度や社会福祉政策によって、通常の財の所有権は実質上の制限を受けている。もし、自由な経済取引と私的所有権制度が神聖不可侵であれば、これらの社会政策は正当化できないことになる。これらが広く受け入れられているのは、極端に偏った富の分配は望ましくなく、是正されるべきであるとの考え方が定着しているからである。また、所得の極端な不平等は、社会の不安定を醸成するという理由で、「持てる者」にとっても望ましくないとする考えが普及した。  通常の財に関する所有権と同様に、知的財産権についても、その無条件の容認や一方的な保護の推進は、社会全体の進歩と安定のために貢献するとは限らない。元来、知的財産権は、発明・発見の当事者の利益と社会全体の利益をバランスさせるために作られた。しかしながら、現在の先進国においては、知的財産権の保護の推進だけが強調されており、知的財産権の過度の保護から生ずる問題に関しては、個別主体の利害関係から直接に生ずる論議を別としてほとんど検討されていない。以下においては、知的財産権制度に関する問題のうち上記の側面に着目し、社会的に望ましい知的財産権制度と、その実現のための政策について考える。 知的財産権保護のプラス面とマイナス面  本章第3節で述べたように、人間の活動は基本的に知識・情報に依存している。したがって、知的財産権の対象である知識・情報は、近代工業社会において通常の財の所有権が成立するはるか以前から存在しており、いわば人類の存在と一体不可分のものである。われわれの社会が原始社会からスタートして現在のレベルにまで到達できたのは、当初社会の一部で作られた知識・情報・技術などの知的財産が社会全体の共有財産となり、その上にさらに新たな知的財産が作られ、これを繰り返すことによって高度な知的水準を実現してきたからである。知識・情報の共有なしに社会の知的水準を高度化することは不可能である。すなわち、人間社会における知識・情報の共有は、その存在と発展のための基盤である。われわれが日常使っている基本的な知的財産、たとえば文字・言語・常識・概念等の共有の重要性は容易に理解できる(図1−10)。  社会によって共有されてきたこのような「知的基盤」とは別に、近代工業社会の成立に伴って通常の財の所有権が成立し、さらにこれを「準用」して「知的財産権」の考えが生まれ、特許権や著作権として保護されるようになった。それは、近代工業社会の成立と経済成長に伴い、新たな発明・発見の意義が増大し、また情報技術の進歩(印刷・放送技術など)により、著作物や芸術作品が普及したことによる。  知的財産権の経済分析は、「著作権・特許権の経済学」によってなされてきた。そこでは、新しい知的財産の生産者(発明・発見の当事者や文芸作品の著作者)の利益と、その知的財産のユーザーである社会全体の利益をバランスさせることが主要目標であった。実際に問題となるのは、多くの場合、特許権あるいは著作権による知的財産の保護期間である。保護期間が長すぎると知的財産の生産者は多額の独占利益を享受できるが、ユーザーの側で高い使用料を長期間支払い続ける必要が生じ、知的財産の普及が遅れることになる。また保護期間が短かすぎると、知的財産の生産者の利益が害され、新しい情報財を生産するインセンティブが失われる。知的財産の生産者とユーザーの利害はこのように相反しており、双方の要求を100パーセント満足させることは不可能である。したがって、実際には、両者の要求の中間点をとり、社会全体として望ましい保護期間を選ぶことになる。この選択をどのような基準で行うか、そのための経済モデルをどのように構築すればよいかなどが、従来の知的財産権の経済学の主要な問題であった。  知的財産権の経済学においては、相対立する利害関係、たとえば情報財の生産者とユーザー間の利害関係、あるいは知的財産の保有者である先進国とそのユーザーである途上国間の利害関係を取り扱うため、価値判断の導入を避けることができない。この場合に正当化できる価値判断は、個別主体の利害ではなく、社会全体の利害である。もし個別主体の利害だけで分析を行うとすれば、単に両者の利害の対立のみが残ることになり、客観的に正当化できる結論は得られない。何らかの想定によって社会全体の利益を考えることにより、知的財産権の保護の程度、たとえば保護期間の設定について客観的な結論を得ることができる。  知的財産権の経済分析の論理構造は、上記のように比較的単純である。しかし最近において、上記の考え方の枠を超える新たな問題が発生することになった。以下、これらの概略を説明する。 知的財産権保護のための「組織コスト」  「特許権・著作権の経済学」を含む通常の経済分析では、「保護制度のコスト」は明示的には取り扱われない。まず、「制度コスト・組織コスト」について説明しよう。  たとえば、市場取引においては、実際に取引を実行するために各種のサービスが必要である。取引を行う場所、代価支払いのための貨幣・金融・保険制度、取引対象の評価サービス、取引相手を見出すためのサービスなどが考えられる。市場取引を実現するために必要なこれらのサービスのコストは、取引費用、組織コスト、制度コストなどと呼ばれる。情報コストは、そのうちで大きなウェイトを占める。これらのコストは、取引される財・サービス自体のコストとは別のものである。理論を単純化するため、これらのコストが考慮の外におかれることが多い(取引コスト・ゼロの仮定)。しかしながら、制度・組織自体の変更や改廃が問題となる際には、制度・組織コストを明示的に考慮しなければならない。集権的計画経済と分権的市場経済の長短所を論じた「社会主義論争」や、最近の「組織の経済学」などはその例である*3。  知的財産権の経済分析では、以下の理由で、理論的にも実際的にも組織コストを無視できない。それは、前節で述べたように、知識・情報の生産と使用が社会の基本活動であって、社会のあらゆる場所に存在していることの帰結である。  まず、現存の特許権・著作権制度が実際に保護しているのは、社会全体に存在する知識・情報のごく一部にすぎないことに注意されたい。たとえば、工業生産(大量生産)に有用な発明・発見は特許によって保護されている。もし保護されていなければ、研究開発に従事する動機が失われ、新しい知識・情報・技術が生まれず、社会の停滞をもたらすからである。しかし、現在の特許制度は、発明・発見について新たな知識・情報・技術自体、すなわち「純粋なアイディア」は保護の対象から外し、それらの知識・情報・技術に基づく具体的な生産物、あるいは生産のための具体的な手続きの記述だけを保護している。「アイディア」段階の保護が困難であり、これを無理に保護してもそのためのコストが高く、それに見合うだけの効果が見込めないからである*4。しかしその結果、われわれの生活の周辺でも、新しい生産物・サービスを創造・提供する「アイディア」が、他者(late comers)によってたやすく踏襲(盗用)されている例が見られる。  上記の考察から明らかなように、知的財産権制度には、どの範囲の知的財産を保護するべきかという問題がつねにつきまとっている。社会全体に存在する知識・情報・技術をすべて保護することは不可能・不適当であり、したがってその一部だけを保護することになるのであるから、その範囲をどこに定めるかについての考察が必要なのである。経済分析の立場からは、それぞれの知的財産について、それを保護することの「社会的便益」と「そのために必要な組織コスト」を比較し、前者が後者を上回る分についてのみ知的財産権を設定するのが望ましい。  特定の知的財産を保護することから生ずる「社会的便益」は、その知的財産自体の性質と保護の程度(典型的には特許権・著作権が認められる範囲と期間)によって決まる。最近におけるように、情報技術が急速に進歩している場合には、新しい種類の知的財産が急速に増大することがあり、従来保護の対象とならなかった知的財産が短期間のうちに大量に供給され、新たな知的財産権の設定が必要となることがある。コンピュータ集積回路や同ソフトウェア、インターネット上を流れる多様な情報はその典型的な例である。  特定の知的財産の保護に必要な「組織コスト」は、さまざまの種類を含む。知的財産権保護に必要な実務の行政コスト、違反者を監視するためのモニターコスト、保護を実効あらしめるための司法・警察コスト、知的財産権保護制度を社会に受け入れさせるために必要な教育・広報コストなどである。これらはいずれも公共機関が行う活動で、そのコストも公共的に負担される。これに対し、知的財産の生産者・ユーザー・取引当事者などが支払う「私的コスト」も存在する。たとえば、違法なコピーを防ぐためのプロテクト費用、またプロテクトされた知的財産を(適法あるいは不法に)入手するための防護解除費用などである。知的財産権制度の詳細な考察に際しては、これらの公共コスト・私的コストと保護制度との関係を明らかにし、そのうえで望ましい知的財産の保護の制度を明らかにしなければならない。この種の分析はまだほとんど行われていず、「知的財産権の経済学」の空白地帯となっているように思われる。 財・サービス間のインターフェースにかかわる知的財産  特許権・著作権は、知的財産の生産者・著作者に一定期間だけ情報財の独占供給者の地位を保証する。一般に、財・サービスの供給独占は望ましくないが、それにもかかわらず知的財産の独占供給を保証するについては、以下のような暗黙の前提がある。それは、新たな発明・発見や文芸作品が持つ経済的価値は、社会全体(あるいは産業全体)の経済活動の中でごく小さなウェイトしか持たないという想定である。発明・発見の場合には、従来存在しなかった種類の生産物やサービスが新たに供給されるのであるから、当初その経済規模はゼロに近く、社会あるいは産業全体の規模に比して小さいはずである。したがって、一定期間独占供給を許しても、独占から生ずる害悪は限られている。また、文芸作品についても、その著作者は個人あるいは少人数であるから、社会全体の経済規模に比して、その経済的価値ははるかに小さく、独占から生ずる害悪も小さい。むしろ、特許権・著作権を認めて新たな発明・発見や優れた文芸作品の発表を促進し、一定期間これを保護して生産者に酬いた後に社会全体の共有資産とすることが望ましい。そこから得られる便益は、独占的供給を許すことから生ずる害悪よりも大きいであろう。これが、知的財産権保護の経済的基礎である。  しかしながら、最近における情報技術の進歩や産業活動の拡大により、このような知的財産権保護のための基礎前提が必ずしも満たされない場合が現れてきた。その第一は、保護されている知的財産が他の財・サービスと深い関係を持ち、知的財産の保護がその直接の生産者の保護にとどまらず、結果的にその周辺の財・サービスの生産者による独占的供給までも保護する結果になってしまう場合である。  典型的な例はパーソナル・コンピュータ(PC)において見られる。生産物としてのコンピュータの特色は、それがハードウェアおよび複数レベルのソフトウェアから構成されるシステムであり、その部分システム(ハードウェアあるいはソフトウェア部品)間の連携(インターフェース)が重要であるという点にある*5。  この事実を利用して、特定の部品のメーカーは、自己の製品と組み合わせることができる他部品の仕様を事実上特定することができ、したがって自己の製品の仕様を公開しなければ、あるいは、自己の製品の仕様が知的財産の一部として保護されていれば、自己の製品と組み合わせることのできる部品の生産活動全体を事実上コントロールできる。したがって、コンピュータを構成する多数のハードウェア・ソフトウェア部品のうち、中心となる部品について独占力を獲得すれば、事実上コンピュータ全体の生産について独占力を獲得できるという結果を生ずる。これは、中心となる部品の経済価値(生産コスト)に依存しない。生産コストが低くとも、その部品が他の部品に対して枢要の地位を占めており、その部品の有無がコンピュータ全体の機能に決定的な影響を与えるのであれば、その部品を支配するメーカーはコンピュータ全体を支配することができる。  パーソナルコンピュータ産業は、過去十数年間に急速に成長した。当初ほとんどゼロであった市場が、ハードウェア、ソフトウェアを合わせ、現時点で年間数兆円の規模にまで成長している。その背景は、もちろん半導体・メモリー・ソフトウェアなどに代表される情報技術の急速な進歩にある。しかしながら、パーソナルコンピュータ産業においては、大規模生産の利益、標準化の程度、部品間の互換性の必要、知的財産権制度の4要素が上記のように作用し合って、産業ダイナミズムを特色づけている。その結果、コンピュータ・メーカー、ソフトウェア・ベンダーは、良い製品を低価格で供給するという競争市場の本来の目的と並んで、知的財産権制度やコンピュータ・システムの技術的特性を利用して、パーソナルコンピュータ市場に独占力を築くことを目標とする競争を行ってきた。  パーソナルコンピュータにおいて戦略的地位にある部品としては、CPU(中央処理装置)、BIOS(基本入出力システム)、周辺機器ボード用バス仕様、OS(オペレーティング・システム)のインターフェース仕様などがある。周知のように世界のCPUの生産は、米国インテル社が独占力を持っている。BIOS市場は寡占体制、バス仕様は競争体制になっている。最後にOSについては、米国マイクロソフト社による実質的な独占が成立している。  パーソナルコンピュータ市場のこのような特色は、情報技術の特質に加え、コンピュータ産業の歴史、情報技術の発展の経過、標準化の進展、知的財産権保護制度によって影響を受けてきた。たとえば1990年中葉までの日米両国間における市場構造の相違と市場のパフォーマンス(すぐれた製品がどれだけ安く供給されているか)を比較すると、独占と競争の効果に関する普遍的な結果を見ることができる。  バス仕様とBIOSが標準化され、競争的に供給されていた米国においては、OSが独占されていたにもかかわらず大規模なソフトウェア市場が成立し、ソフトウェア・ベンダー間の競争によって、多数の優れたソフトウェアが安価に供給された。また、CPUを除いて他のハードウェア市場でも競争が進み、価格低下と性能向上が実現した。これに対し、BIOSがメーカーごとの知的財産として保護され、非公開となった日本では、ソフトウェア市場がハードウェア・メーカーごとに分割され、規模の利益が不十分にしか成立せず、価格・製品数・製品機能のいずれをとっても米国に比して大差がついた。  またコンピュータ本体(ハードウェア)は、複数のBIOSが供給されている米国において、多数のメーカーが競争的に供給しているのに対し、わが国においては、メーカーごとに分断された独占市場が作られ、外部からの参入が実質上不可能な状態が続いた。上記の結果、米国とわが国との間でハードウェア価格に大差が生じた。このような両国間の格差は、今日まで影響を残しており、長期的に日本のパーソナル・コンピューター市場が、米国仕様の機器、OS・ソフトウェアによって占められる形勢にある。  上記のように、日米のパーソナルコンピュータ市場は、歴史的要素、技術的要素、制度的要素が複雑に絡み合って展開したが、そこにおいて知的財産権制度は必ずしも当初意図されたプラスの効果を与えなかった。このような事態に対し、新しい技術進歩の方向を見定め、それに適した知的財産権保護の制度を作る必要があると考えられる*6。 Notes: *1 「情報財・サービス」やこれに関連する「情報支援財」などの定義については、広松・大平(1990)を参照。 *2 たとえば、中山(1996)を参照。 *3 第5節参照。 *4 ただし、企業活動等に関するアイディアは「企業秘密」として、個人のアイディアは「プライバシー」として、部分的・間接的には保護されている。なお最近の米国では、線型計画法の解法など、アイディアに近い知識・情報が保護の対象になる傾向が見られる。 *5 もちろん、通常の生産物、たとえば家具や機械においても、それぞれの部品は相互に連携して働くように設計されている。たとえば木造家屋における柱と鴨居は、接合点においてうまく噛み合っていなければならない。もし、柱と鴨居の接合面の形状に矛盾があれば、両者を結合して家屋の一部とすることはできない。機械の部品、たとえばネジとネジ穴の形状についても同様である。コンピュータにおける部分システム(ハードウェアあるいはソフトウェア部品)間の関係もこれと同じである。ただし、コンピュータ部品間の関係は、物理的な形状等によってではなく、部品相互間の情報伝達に関する情報的互換性によって保たれる。情報要素は多様性に富み、かつインタフェースの内容を直接観察によって知ることが困難であるため、複数個の部品を結合するには、それぞれの部品の情報機能について詳しい知識を持っていなければならない。 *6 鬼木(1996)、9章を参照。