第1章 情報経済学入門 鬼木 甫 7.社会経済の発展と情報――「情報化」と「情報産業」をめぐる政策問題 情報技術の発展と「情報化」の意義  本章第3節で、われわれは、生物の進化と人間社会の進歩において「情報」が基本的な役割を担っていることを見た。というより、生物の進化も人間社会の進歩も、「情報活動の高度化、情報階層数の増加」によって特色づけられることを知った。また本章第4節および第5節では、個別経済主体にとっても、市場機構や企業組織などの「経済システム」にとっても、情報活動はそれらのパフォーマンス向上のための要件であることを知った。個別経済主体の場合は、情報不足から不確実性とリスクの増大を生じ、経済行動に伴うコストの増大や、経済的失敗を生ずる可能性が高くなる。また「経済システム」の場合には、情報不足からシステム構成要因間の協調が困難になり、相互に矛盾した行動や争いが生じ、「経済システム」全体のパフォーマンスが低下する。  身近な例として、新卒大学生の就職活動を考えてみよう。日本経済に与えられた諸条件から、大学卒業前の学生は、数週間から数カ月の「求職期間」を必要とする。また企業等求人側でも、同程度の「求人期間」を必要とし、そのために高額の費用を支払っている。  その基本的な理由は、全国規模の巨大な新規労働市場において、需要と供給が効率的にマッチされていないことにある。その結果、求職・求人側にとって「優先度」の高い組合せから順次就職・採用が決まってゆくため、平均的な「サーチ期間」が長期化するのである。学生側から見れば、自己に与えられた条件の下で、どの程度求職活動を続ければ最適に近い就職先が見つかるかがよく分からない状態にある。また、求人側でも何人までの学生を選考すれば、最適に近い新規雇用が確保できるかよく分からないので、長期にわたる求人活動を続けることになる。つまり、巨大な市場の中で、「自分の番」がいつ回ってくるか見当がつかないため、長期間市場にとどまって、大部分は不毛に終わる「サーチ活動」を続けることを余儀なくされる。このように、労働市場の実情に関する情報不足が、個別経済主体にとっても、「経済システム」にとっても、重い負担を生じているのである。  しかしながら、他方において、われわれは情報技術の急速な発展を経験している。コンピュータは第二次大戦直後の1940年代後半から実用化し、現在までの半世紀の間着実に進歩して、われわれの生活や仕事のすべての面に浸透してきた。とりわけ、1970年代後半以降のコンピュータ素子LSIの進歩は、コンピュータ機能の向上と価格低落を実現し、その価格・機能比は20〜30年間のうちに数千分の一になってしまった。21世紀の初頭には、コンピュータの1人1台時代、コンピュータ・ユーティリティの広域大量供給時代が実現し、「いつでも」「どこでも」「必要なだけ」コンピュータ機能が利用できるようになるものと考えられている*1。また、コンピュータを中心とするディジタル技術は、本来の情報処理にとどまらず、社会のあらゆる部分に普及・浸透してきた。その結果、旧来の産業基盤は一変し、新しい企業や職業が生まれ、生活の便宜は大幅に増大している。従って、情報不足から生じている困難・非効率も、情報技術の活用によって解決できるのではないかとする希望が生まれている。  「情報化」の考え方は、上記の観察と予測から導かれる。それは、第一に、情報技術の進歩が社会経済活動の進歩をもたらしてきた事実を示す。第二に、今後において情報技術の進歩と普及をはかることにより、社会経済活動の一層の進歩を実現し、情報不足から生ずる困難・非効率を解決できる可能性を示している。  「情報化」の可能性は、わが国では他の先進諸国に先駆けて認識され、すでに1960年代後半に広く議論された(「第一次情報化論」)。その後1970年代に入り、環境問題や石油危機が生じたために、情報化の議論は一時下火になった。しかし1980年代以降、パーソナル・コンピュータの本格的な普及と通信ネットワークの発展に伴い、再び「情報化」が議論されている。「情報化」は、わが国では、時代の「流れ」として受け取られ、同時に企業経営や政府施策の指針として採り上げられるようになった。本節においては、この「情報化」とその政策含意について考える。  「情報化」の意義を改めて考えるため、仮にそれに対する批判的立場をとることにして次の問いを発してみたい。  第一に、過去の歴史を見れば、たしかに社会経済の進歩に伴って「情報化」が進行しているが、それは実際に社会経済の進歩の原因になりえたのであろうか(?)。つまり、別の要因から実現された社会経済の進歩の結果として、「情報化」が実現したのではないか。もし「情報化」が社会経済の進歩に貢献したのであれば、たとえばコンピュータ性能の向上・普及が、どのような「経路」で社会経済の進歩に「結実」したかが明らかにされなければならない。この問題は、「情報化」をめぐる社会経済発展の諸要因間の因果関係を解明することであり、そのための「仮説」を作ることである。  第二に、上記因果関係について組織的な仮説が得られたとして、その正当性を統計データ等から実証できるか否かが問題となる。  第三に、上記第一、第二の問題に肯定的な答が得られた場合には、次に「政策」面で問題が出てくる。それは、「情報化」が社会経済の進歩に貢献し、かつそれがデータ面でも実証された場合、政府等の公共機関が「情報化」を促進する政策を採用する必要があるか否かの問題である。別言すれば、政府の公的施策なしの場合、すなわち「情報化」が個人・家計や民間企業の自発的な行動だけによって進行する場合に、「情報化」スピードの不必要な低下が生ずるか否かの問題、つまり「情報化」公的施策の必要性の検討である。そして、公的施策が何らかの意味を持つとき、はじめて、それぞれの分野において「情報化」のための望ましい公的施策は何かが問題になる。 日本にとっての「情報化」の意義  現在のわが国にとって、「情報化」には二種類の意義がある。第一は、それが日本経済の「稼ぎ手」としての情報産業を発展させることである。第二次大戦後の日本経済は、繊維・造船・鉄鋼・自動車・家電製品・生産機械などの製造業を中心として発展してきた。それぞれの発展段階に対応して、これらの産業が順次に中心的役割を担い、日本経済を支えてきた。しかしながら、最近の所得上昇・高賃金と生産技術の情報化によって、1980年代以降の中心産業であった自動車・家電産業が海外に拠点を移しつつある(製造業の空洞化)。各分野のハイテクノロジー製品は輸出力を持っているが、今後もし新たな戦略産業が出現しなければ、日本経済は長期的に停滞・衰退の途をたどるかもしれない。豊かな成長の可能性を持つ情報産業は、自然資源が少ない反面、高い教育水準と勤勉度を持つ日本人が「比較優位」を獲得できる産業として期待できる。  しかしながら、上記は、「情報化」の意義としては第二義的なものである。日本経済の基本的構造が従来と大きく変わらず、食料・原料・原油の輸入に頼らなければならないかぎり、何らかの産業で比較優位を実現し、戦略産業を持つことが必要であろう。しかし、それが情報産業でなければならない先験的な理由はなく、他の産業であっても差し支えない。  たしかに情報産業の諸性質から、日本がそれを戦略産業として持つことが望ましいであろう。1960年代以降のわが国の「情報産業政策」は、この考えを拠点としていた。しかしながら、現在までに同政策は成功せず、一部を除いて、情報産業はまだ日本の戦略産業になっていない*2。  「情報化」の第二の、より重要な意義は、本章第3節で述べたように、情報が社会経済活動の基本要因であることから出てくる。個人の生活や仕事にとって、営利企業、政府機関等の組織にとって、経済・政治・行政・文化・教育など広い範囲の活動にとって、情報はその基本要因である。「情報化」は広範囲の活動を従来よりも安価、敏速に実現する。また、「情報化」は、従来は実現不可能であった種類の情報活動を可能にし、その結果、個人や組織の活動を従来よりも桁違いに改良・進歩させることがある。  たとえば前述のように、大学新卒学生の「職探し」と企業側の「人探し」は、双方の側に長時間・多額の費用を生じている。もとより、職探しも人探しも情報活動の一種である。新しい「情報手段」を適切に導入し、従来は企業訪問や面接によっていた情報交換の一部を、コンピュータや通信ネットワークを利用して実行することが考えられる。また現在、職探し・人探しのための情報の大部分は「捨てられる情報」であり、「実際の就職・採用に結実する情報」はそのごく一部である。したがって、職探し・人探しの情報活動のかなりの部分を合理的に省略できるはずである。新しい情報技術を活用してこれを実現できれば、求職・求人の双方に大きな利益を与える。  これは極端なケースであろうが、程度の差はあっても、類似の現象は、われわれの生活や仕事の中に無数に存在する。また「情報化」の意義は、上記のように無駄な情報活動を節約することだけでなく、新しい情報活動を実現して生活や仕事をさらに豊かなものにすることからも生ずる。したがって、これらの意味での「情報化」の意義について疑いを差し挟む余地はない*3。 「情報化」はどのように実現されるか  前述のように、「情報化」の意義は明らかであるが、これを組織的に分析・理解し、実際に「情報化」を実現することは容易ではない。ここで再度、「職探し・人探し」の例で考えてみよう。  何らかの手段、たとえば「インターネット」のようなコンピュータ・ネットワークを使って、職探し・人探しを「情報化」し、コストを節約する可能性を追求することを考える*4。従来のコストとは、学生の側では多数の企業訪問と面接のための手間と時間、企業の側では多数の学生を面接して採用者を決定するための手間と時間である。双方で無駄な手間と時間を生ずる理由は、最終的にそれぞれの要求がどの程度満たされるかが不明であること、それを見出すために面接を繰り返さなければならない点にある。  インターネット利用の方法もいくつか考えられる。たとえば、学生と企業に必要な情報の入力を求めて、求職・求人側双方のデータベースを作成し、企業情報は学生に、学生の情報は企業側にアクセスさせて、就職先候補、採用候補を見出す方式を考えることができる。あるいは双方のデータベースを統合し、データベース上で条件を突き合わせて求職と求人の「マッチング」をはかる方法も考えられる。これらは、求職・求人という情報活動を、コンピュータ上で部分的に実現する方法である。得られた結果は、ミクロ的にもマクロ的にも利用できる。個々の学生や企業は、データベースから得られた結果を参考にして、企業訪問、学生面接の候補リストを作ることができる。また、データベース上の「マッチング」の集計結果は、新規労働市場の需給状態のマクロ情報を与える。個々の学生・企業はこれを利用して、自己の就職・採用戦略を樹てることができる。これらは、いずれも「無駄な情報交換」を減少させるために有用である。  また、直接的な「情報化」として、インターネット上で、求職のための企業訪問と、求人のための学生面接を「実行」することも考えられる。もとより、インターネット上で、直接の企業訪問・面接に匹敵する情報交換は実現できないが、それに近い情報交換は実現できる。その方法としては、第一にインターネット上で文字情報を使う「電子メール交換」、第二に画像・音声・一方向ビデオなどを使う「画像・ビデオ・メール交換」、第三に「双方向即時高性能ビデオ電話」が考えられる。便益とコストは、第一よりも第二の場合、第二よりも第三の場合が高く、双方を勘案して使用の可否が決められるだろう。長期的には「双方向即時の高性能ビデオ電話」が安価に利用可能となり、現在の面接の大部分を代替するだろう。読者はこれらの他にも、さまざまな可能性を想像されることと思う。  次に、「求職・求人活動の情報化事業」を考えよう。その実現のために必要な作業は、まず「インターネット上の求職・求人サービス」について需要側と供給側の条件を明らかにすることである。この場合の需要側は、学生と企業である。個々の学生と、個々の企業が、直接面談の代替手段としてインターネットを使用するとき、どの程度のサービスにどれだけの代価を支払う用意があるか、つまりインターネット上の求職・求人サービスに対する「需要関数」の推定が必要である。そのためには、学生と企業が企業訪問・面接に現在どの程度の時間・費用を負担しているか、直接の訪問・面接を部分的に代替するインターネット上の求職・求人にどの程度の有用性を認めるか、などのデータが必要であろう。そのためのデータは、直接のインタビュー、アンケート、あるいは一般の統計データを利用して作成することになる。  他方、供給側については、コンピュータ、ソフトウェア、ネットワークを統合し、インターネット上で実際に同サービスを供給するための費用・投資を知る必要がある。同サービスの「レベル」が文字情報だけか、画像・音声を使うか、あるいは高性能ビデオ電話も使うかによって異なる場合には、それぞれのレベルごとに需要・供給の条件を明らかにする必要がある。「求職・求人の情報化」事業の実現の可否、その採算や公的援助の必要の有無などは、これらの需要・供給側の条件を明らかにしたうえで判断されるべきことである。  容易に推測されるように、これらの「事業用データ」を作成するためには、相当量の作業を必要とする。実際に同データを作成するには、「インターネット上の求職・求人サービス」に直接関係するデータの作成と、そのための基礎データの作成が考えられる。また実際には、十分なデータを集めることなく実験的に事業を開始し、需要側の反応やサービス供給費用の具合を見ながら事業継続の判断を下す場合も考えられる。十分なデータを集めるための費用が過大であり、また実験的に事業を開始するための(ベンチャー)資金もサポートされない場合は、かりに同事業が長期的に収支均衡し、社会的に便益をもたらす場合でも、その実現は期待できないことになる。 「情報化」の統計データ作成・同計量分析  「情報化」の意義を明らかにする、すなわち、「情報化」が情報産業の成長や、より広い社会経済活動の進歩に貢献したことを客観的なデータに基づいて解明するためには、まず「情報化」を記述する基礎統計データが必要である。「情報化統計」には、情報機器、ソフトウェア、システムの生産、供給、使用をはじめとする各種の「情報活動」データが含まれる。この種のデータは、公的機関が「情報化」の実情に基づいて適切な政策を策定・実施するために、また企業や個人による事業計画・実施のために有用である。  情報の重要性が認識され、情報産業の活動が注目されるようになったのは最近のことであるから、この分野の統計データの収集はまだ不十分である*5。  それでも、「情報化」の統計データ作成と、統計データを使用する計量分析は、少しずつ進められている。この分野の成果としてまず第一に強調されるべきは、1960年代初頭以来続けられてきた米国マハループ(F. Machlup)の研究成果である*6。かれは、前後2回にわたる著作において、米国の知識・情報産業の活動に関する統計データを収集・分析し、この分野の研究のさきがけとなった。また投入産出分析手法による先駆的な「情報化」分析として、ポラトの成果が知られている*7。ポラトは、企業活動のために企業内外で生産される情報の量を比較し、少なくとも1970年代では、企業外部の情報産業によって生産・供給される情報量よりも、企業組織内部で「生産」され「自家消費」される情報量が大きいことを見出した。  わが国でのデータ作成については、経済企画庁(1987、1988)による早期の成果があり、また投入産出手法を使って「郵政産業連関表」が作成されている(郵政省(1992))。また、毎年の『通信白書』には、情報通信関係の統計データが収められている。これらを含め、「情報化」の計量分析については、廣松・大平(1990)を参照。ただし、統計データの収集・発表を含む現状調査や情報供給は、他の産業において必要とされる公的活動であり、情報通信分野に特有のものではない。 「情報化」と「情報産業」に関する政策問題  わが国では戦後長い間、海外先進国への「キャッチアップ」が国家目標であったため、政府がイニシアチブをとって多様な産業政策を実行してきた。情報分野では、メインフレーム・コンピュータ生産について、通産省が1950年代以降典型的な「幼稚産業保護政策」を採用した。その結果、わが国では、他先進諸国と異なり、当時の独占メーカーであった米国IBM社と並び、国産メーカー数社が生き残ることができた。  1970年代後半以降、半導体産業が情報分野の戦略部門になった。通産省は、1970年代末から半導体開発の援助・推進につとめ、その結果、1980年代初頭以降にわが国のメモリ用半導体生産が急成長して、米国との間に貿易摩擦を生ずるまでになった。しかしながら、同省は1980年代中葉から急速に成長したパーソナル・コンピュータ(PC)生産については、特段の政策をとらなかった。PCが、メインフレーム・コンピュータに比較して「軽薄短小」の性質を持っていることから、日本が容易に比較優位を獲得できると予測し、政策措置を必要としないと考えたのであろう。しかしながら、1980年代後半から1990年代にかけてPC市場が急拡大したにもかかわらず、日本はこの分野で輸出力を持つには至らなかった。PCは「汎用情報機器」であるため自動車や家庭電気製品と異なった性質を持ち、そのため、日本の産業構造・企業組織がその生産に適合しない側面を持っていたからであると考えられる*8。  なお、産業政策や貿易政策の必要性は、情報産業だけに生ずるものではなく、いずれの産業についてもその成長過程において生じうる。以下、産業政策・貿易政策とは別に、「情報産業」固有の特色から必要となる政策や、「情報化」自体の性質から必要となる政策について考える。  情報分野で必要となる第一の公的政策は、前節で述べたように「知的財産権」の設定と運用である。発明発見の促進や、芸術・文化の保護だけでなく、情報技術の発展に伴って「知的財産権」の適用範囲が急速に拡大しつつある。たとえば、インターネットなどのネットワーク上で移動する「情報」は、移動時にその内容・形式の一部が変化することが多く、著作権等の保護について複雑な問題を生ずる。合理的な「知的財産権」制度の整備のためには、今後長期間にわたる作業が必要である。  また、知的財産権に関連する政策課題として、情報機器・サービス方式の「標準」の問題がある。当面において解決を迫られているのは、(1)生産物・サービス等の「標準」と関連する特許権・著作権の保護の範囲と方法の設定*9、(2)公的に設定する「標準」と、市場で競争の中から成立する「事実上の標準(de facto standard)」の関連と取り扱い方、である。  「情報産業」の特色から必要となる公的施策として、次に、(3)個人や個別企業の「プライバシー保護」の程度と方法を設定すること、(4)政府機関や民間企業等の保有する情報の「公開」の程度と方法を設定すること、(5)放送やインターネット等の情報手段を利用して伝達される情報の内容や関連する経済活動について、児童保護、差別禁止などの観点から適法・不法の境界を設定し、不法行為を制裁する方式を設定すること、などが議論されている。いずれも個人や組織の能力が最大限に発揮されるように、社会の「情報環境」を整えるための公的施策である。  これらに加え、通常は民間の担当と考えられる経済活動あるいは情報活動について、それぞれの分野に特有の理由から政府施策を加え、場合によっては規制・介入を必要とするケースがある。主要な場合を列挙しておこう。(6)まず原理的には民間の営利企業に拠ることが可能であるが、特別な技術的・経済的理由から、民間に拠った場合には目的達成が不可能である、あるいはそのために極端な長期間や高コストを要する活動がある。典型的な例は、(a)通信ネットワーク等のインフラ建設について、その収支均衡期間(投資の回収期間)が極端に長く、民間企業では資金調達面から建設が推進できない、(b)基礎的研究について、多額の資金を要し、成否のリスクが大きく、かつ成果が社会の広い範囲で享受されるため費用の回収が困難である、(c)製品・サービスを、経済的弱者を含めて広く一般に供給することが要請され、そのため広域でコストをプールする必要がある(ユニバーサル・サービスの実現)、(d)産業活動に公的資産を使用する必要があり、同公的資産の管理・供給やその代価の徴収を公共的に実施する必要がある。典型的なケースは、通信回線建設スペースの供給・確保(「通信事業者特権」の維持・管理を含む)、電波資源の管理と供給である。(7)なお、情報産業のうちでテレコム(電気通信)産業と放送産業は、元来国家事業あるいは公的事業としてスタートした。現在それらが段階的に民営化され、営利企業として運営される方向に制度変革が進行中である。この場合、競争に適しない一部の業務について政府規制・介入の必要が残る。たとえば、電気通信ネットワークのユーザー・アクセス部分(ユーザーと最寄りの電話局間の回線部分)は、既存電気通信事業者(日本ではNTT)の独占力が強く、規制なしではユーザーの利益が損なわれる可能性がある。両産業とも、ディジタル技術の採用によって、インフラ・サービスの両面で変革が進行中であり、事業形体・産業組織がダイナミックに変化している。それらの経済的背景の分析、将来予測なども情報経済学の課題である*10。 Notes: *1 そのような時代には、コンピュータやその機能は、現在自販機で売られているドリンクのようになってしまうだろう。実際、電卓やディジタル時計では、それに近い状況が実現している。電卓・ディジタル時計は、それらが当初出現したときには1個20万円を超し、現在の高級PCに匹敵する価格であった。現在では、それらの価格は数百円程度であり、コーヒー1杯の値段で入手できる。 *2 この点に関する著者の意見については、鬼木(1994、1996)を参照されたい。 *3 最近の「情報化」については、トフラー(1980)、猪瀬(1994)、公文(1994)、ゴアほか(1995)などを参照。 *4 コスト節約のための情報手段は「インターネット」に限らない。たとえば、「電話」や(将来のメディアであるが)「ビデオ電話」も考えられる。インターネット利用は、これらのうちの一例にすぎない。 *5 たとえば、情報化関係の「指定統計(政府が作成を義務づけられている少数の重要な統計)」はまだできていない。 *6 F. Machlup(1962)。 *7 M. Porat(1972)。 *8 この点については、鬼木(1996)9章を参照。 *9 第6章参照。 *10 たとえば、奥野ほか(1993)、南部(1986)、林紘一郎(1989)、林敏彦ほか編(1992)などを参照。