第2章 これからの日本経済を支える広帯域通信網――概説 I.まえがき  本章では、将来の広帯域通信インフラ(情報ハイウェイ)整備に関係する経済問題のうち、インフラ整備の意義と広帯域通信サービスに対する需要、および関連する政策問題について考察する。まず、長期的には、広帯域通信のうち高性能ビデオ電話に代表される双方向映像・音声のフルサービスが主要な収入源となり、その需要は、少なくとも個人の物理的移動のための交通サービスの一部を置き換えることから生ずると予想されることを論じる。他方、ビデオ電話を中心とする広帯域通信サービスは、21世紀の高齢化社会を支えるために必要な国全体の生産性向上をもたらし、成熟期に入った日本経済を引張る要因になることを指摘する。さらに、広帯域通信インフラ建設は、20〜30年かけて収支均衡する長期プロジェクトであること、現在のわが国でそのための資金は潤沢だが、リスクを伴う長期プロジェクトへの投資を促進するため公共的施策が必要であることを主張する。 II.広帯域通信網とサービスの類型 A.広帯域通信で何ができるか  先ず新たな広帯域通信技術で、何ができるようになるのかをまとめておこう。一言で述べれば、広帯域通信は、映像・音声による双方向の即時的インタラクティブ(会話型)情報交換を実現する。現在の電話網も双方向の即時的インタラクティブ情報交換を実現しているが、それは音声だけの通信であり、必要な能力は狭帯域(64Kビット/秒)で足りる。広帯域通信は、音声・映像の双方による通信なので、これを実現するためには、数メガビット/秒以上の情報伝送と交換、つまり音声の数百倍以上の能力が必要となる。狭帯域通信は現用の銅線で実現できるが、広帯域通信には同軸ケーブルか光ファイバーが必要である。なお、テレビは映像・音声を送る広帯域の即時的通信であるが、一方向だけの伝送であり、双方向通信、インタラクティブ通信はできない。つまり、広帯域通信は、電話とテレビの長所を兼ね備える通信である。  通信量、回線容量の点だけから言えば、電話と広帯域通信の関係は、ラジオとテレビの関係に似ている。両者の差を考えることにより、広帯域通信のパワーを想像することができる。また、一方向通信か双方向・インタラクティブ通信かという点だけからすれば、テレビと広帯域通信の関係は、たとえば学校や会社で使われる「構内放送設備」と電話の関係に似ている。  他の分野、たとえば交通分野のインフラで言えば、電話と広帯域通信の関係は、鉄道の在来線と新幹線、航空機のプロペラ機とジャンボ・ジェット機の関係にもたとえることができる。いずれも、格段に高能力・大容量の手段によって、従来は実現できなかったサービスを供給するものである。  広帯域通信を特色づけるキーワードは、デジタル化、光ファイバー、情報ハイウェイ、ATM交換、ビデオ・オン・ディマンド(VOD)、高性能ビデオ電話・テレビ会議、大量データ伝送、インターネットなどである注1)。また、広帯域通信のもたらすサービスは、広義の「マルチメディア」サービスに含まれる。マルチメディアについては、すでに多くの解説書が刊行されている。本書では、マルチメディアの解説は他に譲り、広帯域通信の内容やそれが社会にもたらす効果について、より詳しく考えることにする。 B.広帯域通信の類型(その1)  本書で考察の対象とする広帯域通信サービスの内容を明らかにするため、まず、その概略の分類を試みよう。広帯域通信は多数の応用の可能性を持っているが、情報の流れ方・ネットワーク構成の特色などから、とりあえず3通りの発展段階を区別してみる(表1)。 1.情報供給サービス――新しいメディアの出現  第1段階の広帯域通信は、ビジネスや日常生活の中で現在すでに普及が始まっているか、あるいは数年以内に利用可能になると考えられるものである。大別して、VOD(ビデオ・オン・ディマンド)型情報供給と、インターネット型情報供給がある。  VOD型情報供給は、映像などの形で、個人が自らの選択する情報を電子的に取り寄せることを可能にするサービスである。ビデオ・レンタル店まで足を運ぶことなくビデオソフトをオンラインで入手するとか、各分野のニュースを文章やビデオやファクシミリで取り寄せるとかである。  米国では近い将来にVOD型情報供給サービスが実現される予定で、ユーザ・アクセスには、(最初のうちは)同軸ケーブルを主体とする既存のケーブルテレビ網と電話網を使う。ネットワークの成長にともなって光ファイバー部分が増加し、サービスのレベルを向上させ、最終的には第2、第3段階の広帯域通信フルサービスに到ると考えられている。なお、米国では、1970年代中葉からケーブルテレビが普及した結果、アナログ映像伝送用のケーブルがすでに95%以上の世帯の近くまで敷設されており、そのうち65%がケーブルを自宅内に引き込んでいる。その大部分はまだ同軸ケーブルだが、映像を伝送できる広帯域ケーブルがすでに大部分の世帯に届いていることは、本格的な広帯域通信のための「ダイビング・ボード」が用意されていることを意味する。  これに対し、わが国では、ケーブルテレビの普及は、(難視聴地域用、一般テレビ再放送用の分を加えても)全世帯の20%程度にとどまっており、広帯域通信のスタートという点からすると、日米間に大きなハンディキャップがある。わが国全体にケーブルテレビ網が普及するためには10年程度かかり、さらに後になってケーブルテレビ用の同軸ケーブルを光ファイバーに取り替えるには、巨額の費用がかかる。最初から光ファイバーを敷設して、初期の段階ではこれをケーブルテレビ用に使い、後に本格的な広帯域通信に転用することが有利である。しかし、スタート時のコストが極端に高いので、営利ベースでは光ファイバーの敷設が進まないというジレンマがある。これをどのように解決するかは、重要かつ緊急の政策課題である(本章V.B.4節を参照)。  なお、米国では、電話事業とケーブルテレビ事業は区別されているが、現在(1995年12月)時点で、競争促進のために両業界の相互参入を認める法律改正が進行中である。わが国でも通信事業と放送・有線放送(ケーブルテレビ)事業は縦割り型に区別されており、両者をどのように融合させるかについて、制度調整の問題が残っている注2)。  新しい情報供給サービスのもう一つの型は、「インターネット」である。インターネットは、LANなどのコンピュータ・ネットワークを共通仕様で接続し、相互通信を可能にした「(複数)ネットワークのネットワーク」である。インターネットは、1995年に入ってわが国で急激に一般の関心を呼び、一種の流行になって、毎日の新聞に「インターネット」や「サイバースペース」の用語を見ない日はないという状態になった。とりわけ、ワークステーションやパーソナル・コンピュータ(PC)上で検索ソフトを使い、世界中から画像情報を入手するWWW (World-Wide Web) は、格別の関心を呼んだ。現在、わが国の多くの企業が、WWW用のホームページを作成しつつある。わが国でのインターネットやWWWの利用は、まだ端緒についたばかりであり、ビジネスや日常生活のために本格的に利用するというよりも、強力な情報収集システムを手軽に使い、カラー画面で情報を見ることができる点がアピールしているように思われる。しかしながら、インターネットの普及規模と速度は、たとえば1960年代のカラーテレビの普及期の状況と似ており、近い将来においてビジネス・日常生活の必需品になることは確実であろう。  現在のインターネット型の情報交換は、回線容量がまだ十分でない初期の段階にあり、非即時的ではあるが、しかし汎用の安価な通信手段として実用化している。広帯域網の建設には時間と費用がかかり、一挙には実現しない。現在のインターネット型の情報交換は、将来本格的な広帯域通信が実現するまでの中継用としての意義が大きい注3)。  インターネットへのアクセス手段は、ビジネス用ではLANを高速専用線で結合し、個人用では電話回線・ISDN経由のダイヤルアップに依っている。そのため、電子メールのような文字を主体とする情報伝送には充分だが、画像情報の伝送では遅れが目立ち、ビデオ映像の伝送はまだ不可能である。しかし将来、光ファイバーと高速ルーター・高速ATM交換機によって大容量化が実現すれば、インターネット型の情報システムによって、音声から映像まで自由に伝送・入手できると期待される。なおインターネットへのアクセス手段としては、やはりケーブルテレビ用回線の転用が有用であり、現在(1995年)時点での日米間のハンディキャップが大きい注4)。  現在米国では、大部分の企業がすでにLAN経由でインターネットに接続されており、また全世帯の約10%がインターネットに接続されたPCを保有しているとのことである。わが国では、これらの数字はまだはるかに低く、米国の数十分の一あるいは数百分の一であろう。米国では専用回線が安価なため、個人住宅からのインターネット接続のための手軽なアクセス手段として普及しつつある。しかし、わが国では専用回線の価格が米国の5〜10倍程度と高価で、インターネットの普及を妨げているとの批判が多い。インターネット接続用専用回線、インターネット・ケーブルテレビ兼用の同軸ケーブル、あるいは光ファイバーを個人住宅にまでどのようなプロセスで敷設するかは、近い将来における重大な問題である(本章V.B.4節の議論を参照)。 2.専門サービスのリモート供給――学校、病院、デパートを手許へ引き寄せる  次に第2段階の広帯域通信は、たとえば学校に行かなくともビデオで授業が受けられる、病院に行かなくとも診断を受けたり、相談ができる、デパートに行かなくとも買い物ができる、などのサービスを実現する。そのために、少なくとも一方向映像の即時的インタラクティブ通信が必要となる。現在オン・ザ・スポット、つまり現場まで出向くことによって受けているサービスを、広帯域通信によってリモートで受ける。上記の第1段階では、情報自体、つまり新聞・雑誌とか、あるいはビデオ・画像などの情報を新しいネットワークで入手する。ここでは、情報を入手するだけでなく、さらに専門サービスをネットワーク上で入手するという相違がある注5)。つまり、広帯域通信が何らかのリモート・サービスを実現するための手段になっている。「マルチメディア」の多くはこの種類であり、近未来での実現を目指して、現在各地でフィールド実験が進められている。注6)  この段階の広帯域通信サービスでは、「専門家」同士あるいは「専門家」と一般のユーザが広帯域通信回線で結ばれ、それぞれの専門家が供給するサービスの特性に応ずる端末機器が用意される。たとえば、ホーム・ドクターが「リモート画像診断」を専門医に依頼するためには、患者の病状を示す高精細画像(ハイビジョンテレビのレベル、あるいはそれよりさらに高精細度の画像)を伝送するための機器が必要である。カラーグラフの印刷工場と編集者を結ぶ「印刷用画像情報」の伝送についても同様である。また、「リモート・デパート訪問」の場合には、顧客が商品の形状や色調などを詳しく見ることができる装置が必要となるし、リモート学校・塾の場合には、教師の表情や教材内容を伝える設備に加え、生徒側の反応(教師の説明がよくわかっているか否か、質問があるか否かなど)を伝送できることが望ましい。「リモート病院訪問」の場合にも、医師が患者の様子を知るためのカメラや、患者が医師のアドバイスを身近なものとして理解するための手段が必要になる。  現在進行中の諸実験は、上記の例を含む多数の可能性について、それぞれのサービスのために、どのような種類の、どのような性能・精度の機器が必要か、それらの開発・製造のためにどの程度のコストがかかり、またユーザ側ではどこまでコストを負担できるかなどを調べることを目的としている。それぞれのサービスを、(ネットワークコストを含めて)経済的な価格で実際に提供できるか否かが問題である。1980年代の「ビデオテクス」の失敗に示されるように、新しい情報通信サービスを経済的に提供するには、多くの困難を伴う。ほとんどすべての場合、提供初期の数年間は赤字が続き、ある程度普及した後に、初めて収支が相償うからである。最後まで収支相償わないで失敗に終わるケースもある。サービス提供当初においては、提供事業が数年後に成功するか、あるいは失敗に終わるかは分からない。このリスクがあるために、実験システムで特定サービスのための機器・システムが開発・テストされても、これを提供する意欲を持つ企業は実際になかなか見当たらないのが現状である。ただし、一般ユーザを対象とするサービスでなく、専門家同士を結合するサービス(ホームドクターのための「リモート画像診断」や、「リモート製版・印刷システム」など)については、需要予測が容易なので、実用化におけるリスクの問題は小さい。 3.広帯域ビデオ電話――直接面談の代替  広帯域通信の第3段階は、一言でいえば、高性能ビデオ電話サービスである。現在、われわれが電話を使うのと同じように、好みの相手とダイヤル接続し、音声だけでなく映像付きで話ができるサービスである。ただし、これまでの(簡易)ビデオ電話のように、表情や身ぶりが分かるか分からないかの「粗末な」ものではなく、直接面談に近い効果を生ずる性能を持つことを前提する注7)。もとよりそのためには、大容量の回線・交換機や高性能の端末を用意する必要があるので、第1、第2段階に比べて建設費用は大幅にアップする。第2段階の広帯域通信でも「ビデオ電話」は使用されるが、それは目的を特定した専門家向きのシステムである。第3段階のビデオ電話は、(現在の電話と同様に)目的を特定しない汎用システムであり、専門家だけでなく、一般ユーザがオフィスや住宅で使うものである。  ビデオ電話の可能性については、専門家でも疑問を抱く人が多い。ビデオ電話はかつて提供されたが、実際には需要が生じなかったというのがその理由である。ビデオ電話は1930年代から(旧)AT&Tが米国でサービスしていたし、また数年前からNTTも提供している。それにもかかわらず、さっぱり普及しない注8)。しかし、それは当然であって、現在のビデオ電話はアナログ電話回線を使っているから、小さな画面に相手の顔がやっと見えるだけで、粗悪な写真を見るのと変わりなく、動きもコマ落しの映像のようにぎこちないという制約がある。ここで考えている「(高性能)ビデオ電話」は、一言で述べれば、われわれが日常おこなっている直接面談を(リモートで)代替できるものである。ここで考えるビデオ電話用機器の能力の最低限は、現時点の「テレビ会議」で提供されているレベルと考えていただきたい。  ところで、現在電話が充分普及しているのに、直接面談は依然として大切なコミュニケーション手段になっている。立ち入った話をするときに、われわれは「電話で済ませる」ことをせず、わざわざ相手のいる場所に出向き、一緒にコーヒーでも飲みながら、相手の顔色を見ながら情報交換をおこなっている。そのため、われわれは、かなりの時間コストと手間をかけている。これはなぜだろうか。  われわれが面と向かって相手と話をするときは、いわば「全人的」に相手に対している。ちょっとした目線の動きとか、しかめ面をしたとか、咳払いまでコミュニケーションの手段になっており、相手が熱心に聞いてくれているのか、お付き合いで聞いているのかも分かる。それから、資料が必要であれば、手許から見せることもできるし、コピーを取って渡すこともできる。そもそも話のスピードや用語の選択、相手にとって既知のことと未知のことの判別、相手に未知の前提事項があることが分かったとき、それをどのように自己の話に織り込むかの判断など、複雑きわまる対応を、われわれは相手の反応を見ながら「自動的に」おこなっているのである。このような高度のコミュニケーションは、粗悪なビデオ電話では不可能で、(現在は)直接面談に依る他はない。  広帯域ビデオ電話が利用できるようになれば、現在のフェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションのかなりの部分がビデオ電話に移ると考えられる。フェイス・ツ−・フェイス・コミュニケーションには、重要度の高いものと、それほど重要でないものがある。ビデオ電話は、後者を代替するだろう。その理由は、直接面談のコストが高く、将来必要となる情報交換のうち電話で済ますことができない分をすべてフェイス・ツ−・フェイスでおこなうことは不可能だからである(本章IV.E.1節参照)。  広帯域システムで直接面談を代替するためには、もちろん現在のビデオ電話程度のサービスでは不足する。よりハイレベルの、直接面談に近い環境を実現するシステムが必要である。そのためには、たとえばビデオ電話用のカメラのアングルや距離はどの程度が適当か、人間の表情たとえば目線の微妙な方向や目の光り方を伝えるためにディスプレーの解像度や色調の数はどの程度が必要か、会話にともなう身振り・手振り(ボディー・ランゲージ)は、実際の情報伝達の中でどの程度の重要度を持っているのか、そもそも、直接面談において、われわれは五体と感覚器官をどのように使っているのか、などを考えただけでも、研究を必要とする課題は多い。注9)  C.広帯域通信の類型(その2)  上記の広帯域通信3段階の区別に加え、将来を考える上で有用な2通りの区別を述べておこう。 1.センター・アクセス型(1×N型)と相互アクセス型(N×N型)  一般に通信サービスを、センター・アクセス型と相互アクセス型に区別することができる。前者は、図書館・ビデオセンターへのアクセス、病院と医者へのアクセス、スーパー・デパートへのアクセスなど、何らかの専門業務を提供するセンターへのアクセスである。後者は、現在の電話と同じように、子供や親、親戚や友だち、あるいは仕事上の相手など不特定多数のネットワーク加入者へのアクセスである。センターへのアクセスには、そのセンターの業務に応じて目的が特定される。これに対し、相互アクセスでは、目的は特定されない。その時、その場の必要に応じて、アクセスの目的は変わる。広帯域ビデオ電話による相互アクセスとしては、親子で顔色を見れば元気なことがわかるとか、ボーイフレンドやガールフレンドに連絡すれば、忙しくてデートできなくとも良い関係が保てるとか、それぞれの仕事上の連絡とか、あらゆる種類の需要がある。すなわち、広帯域の相互アクセス・サービスは、(電話と同じく)汎用サービスである。  現在の電話網は、大部分相互アクセスのために(汎用的に)使われていることに注意されたい。電話によるセンター・アクセスは可能であるし、またある程度は使用されてもいる。時報・天気予報サービスやダイヤルQ2はその例である。しかし、センター・アクセス型の電話使用の比重は小さい。例えば、電話を使って音楽ソフトを取り寄せるサービスは成立していない。オーディオ・カセットを買ったほうが安くて便利なので、「オーディオ・オン・ディマンド」は発展しなかったのであろう注10)。  将来の広帯域網に対する需要(事業者の収入源)も、電話網と同じように、主として相互アクセスから生じると予想される。そのため、広帯域網はセンター型の専門目的だけでなく、汎用的に使われることを目的として開発・建設が進められるべきである。 2.メディア仲介型のアクセスと人間を結びつけるアクセス  広帯域通信サービスのもう1つの類型は、それがユーザである人間と何らかのメディア(あるいはメディアに蓄積され、メディア経由で提供される情報)を結合するのか、あるいは人間同士を直接に結合するのかの差から生ずる。  まず前者を考えよう。われわれはあらかじめ作成・保存・蓄積された情報を受け取る。書物を読む、音楽を聞く、ビデオ・テレビ番組を見る、インターネット上で情報を入手するなどが、その例である。すべての情報は直接・間接に人間によって生産されたものであるから、情報を受け取ることは、究極的にはその情報の生産者と相対することを意味する。しかし、この場合、情報の生産者との関係は「間接的」であり、直接の情報交換ではない。  メディア経由の情報入手は、それが直接の情報交換に比べて効率的な面を持っていることから、これまで重要な役を果たしてきた。とりわけ、最近になって利用が急増した画像・映像などの視覚的手段は、情報受信を容易にし、またデータベースやインターネット上の情報検索は、必要な情報を見出す手間を大幅に節約した。マルチメディアは、映像とコンピュータの結合によって、情報を従来よりもはるかに容易に入手することを可能にする手段であると言うこともできる。広帯域通信によって、この種の情報伝達が発展することは疑いない。  これと比較して人間同士の直接の情報交換は、どのような意味を持っているのであろうか。メディア経由の情報交換に比べて、直接の情報交換が持つ特色は、それがインタラクティブ(会話的)におこなわれる点にある。学校の授業・講義や講演のように、実際は「会話的」でなく、大部分が一方的な情報伝達と考えられる場合でも、話し手は生徒・学生・聴衆の反応を見ながら話を「作り出している」。話の節目節目で聞き手がどのような顔色をしているか、何人に一人の割でうなづいているか、あるいは居眠りしているか、横を向いたり体を動かす人がどの程度いるか、などの「無言の応答」は、結構話し手に影響を与える。特に熱心に話を聴いてくれる人、明らかに話の趣旨に同意をしてくれる人の「応答」は、多数の受け手の中でもよく目立つので、「記憶に残る学生、よく聴いてくれた人」として覚えているものである。このような話し手と聞き手のインタラクションは、放送やビデオカセットのようなメディア経由の情報伝達では得られない。  また、情報の受け手の側にとっても、放送番組やビデオを自分だけで見ている場合と、他の聞き手の中に入って情報を受け取っているのとでは、差がある。われわれは聴衆の一人として、無意識に、話し手だけでなく周囲の聞き手の「態度」から情報を得ている。講義や講演のどの部分について、他の人が理解できたのに自分では理解・同意できなかったのか、逆に多くの人が拒否反応を示したポイントについて自分では話し手に共鳴したかなど、そこで提供された情報の「一般性、意外性、独創性」などについて、周囲の聞き手の反応から貴重な情報が得られる。放送番組やビデオからは、見かけ上は同じであっても、この種の情報は得られない。それだからこそ、われわれは時間と費用をかけて講演会に出掛け、シンポジウムに聴衆として参加するのである注11)。  しかしながら、講義や講演はやはり「一方的」なコミュニケーションの色彩が強い。直接の情報交換の特色が強く表れるのは、少人数の会合や二人だけの対話である。もとよりそれは、「相手の反応を見聞きしながら話を作ってゆく」という「対話の創造性」による。一対一の対話のときには、相手が無言で聴いていても、話し手は影響を受けるものである。問題点への質問・疑問を受けながら話を進めると、話の内容が深められ、聞き手にとってより適切な説明ができる。さらに進んで、話し手と聞き手の立場が必ずしも分かれず、双方が自由にアイデアを出し合いながら話を進めてゆくとき、当初予想もしなかった新しい事がらが出てくる経験を多くの人が持っておられるであろう。すでに古典ギリシャの時代に、ソクラテスやプラトンは「対話の創造性」を強調していた。おそらく読者のすべてが、対話の創造性の意義に同意されるのではないだろうか注12)。  上記の議論をまとめると、メディア経由の情報伝達はその「効率性」においてすぐれ、人間同士の直接の情報交換はその「深さ」と「創造性」においてすぐれていることになる注13)。後者を(部分的・不完全にしろ)代替する広帯域通信について問題となるのは、メディア経由の情報交換と人間同士の直接の情報交換の必要性が、将来どのように変わるかである。一つの考え方は、情報手段の発展によって人間同士の直接の情報交換は次第にその必要性を減じ、社会のすべての人はインターネットのようなネットワーク上で情報を受発信するようになるだろうとするものである。言い換えれば、人間同士の直接面談による情報交換の比重が減少し、極端な場合、家庭生活・個人生活では人間同士の接触が残るが、ビジネス目的の情報交換は、大部分コンピュータとインターネットに依存するようになるだろうとする考え方である。これに対し、他方では、個人生活だけでなくビジネスの世界でも、人間同士の直接の情報交換の必要性は依然大きな比重をもって残るだろうと考える。  このような形で問題を提起すれば、大多数の読者は、直観的にまた心情的に、将来においても直接面談の必要が残るという考え方を支持されるだろう。筆者もそのように考えている。ここで提起している問題は、両者の比重が将来どのように変化するかである。将来の世代は、限られた時間や支出をどの程度コンピュータネットワーク等からの情報入手に振り向け、またどの程度人間同士の直接面談のために振り向けるだろうか、ということである。マルチメディアをめぐる議論では、将来の広帯域通信・情報ハイウェーは、大部分メディア仲介型の情報交換に向けられると前提されているように見える。筆者はこれと異なり、広帯域網はどちらかと言えば後者、すなわち人間同士の直接の情報交換を実現するサービスのために使われると考えている。広帯域網・情報ハイウェー建設のコストも、人間同士の直接の情報交換のための支出によって賄われると予想している。  基本的な理由は、社会の進歩・経済の成長・ビジネスや生活の複雑化にともない、抽象化・機械化できる「定型的な」情報よりも、それぞれの人間の中に「潜在的に」蓄えられていて、相手の状況・必要に応じて柔軟かつ弾力的に取り出される「非定型」情報の比重が増大することにある。情報化は、製造工業の「大量生産」を情報産業の「個別化少量生産」でおきかえる。しかし、情報の世界では、メディア情報は「大量生産・使用」される情報であり、「非定型情報」が「個別化」されている情報であることに注意されたい。工業に比較して「情報化」が進行するのと同じ理由で、メディア経由の「定型情報」に比較して「非定型情報」が重要になるのである。  確かに、時代の経過を考えれば、情報メディアの発展(紙の発明からインターネットの実用化まで)によって、抽象的・定型的情報のウェイトが増加してきたように見える。しかし、それは、実際に「伝達された」部分についてであろう。これに対し、「伝達・入手する必要があるが、諸制約のために実際には伝達されないで終わった」部分については、抽象的・定型的情報よりも、それぞれの人間の中に蓄えられている固有の非定型情報、文書や書物やデータベースのようにあらかじめ抽象化・定型化できず、相手の要求に応じて必要な分だけを取り出さなければならない種類の非定型情報の比重が大きいのではないだろうか。社会の進歩・経済成長が、同一規格の製品やサービスの量的拡大でなく、多様性や独創性に基づく新しい製品・サービス・情報によって支えられるとき、多様性・独創性の基盤である「それぞれの個人とそれぞれの状況の組合せ」に適切な情報が重要になるのではないだろうか。人間同士の直接の情報交換の必要度が増加していることの間接的な証拠は、われわれが直接面談のための「物理的移動」に割いている時間と費用の比率が、過去数十年間一貫して上昇していることである(本章IV.C.2節参照)。上記の論点について、図1を参照されたい。しかしながら、これらの点に関しては、本章の議論だけでは不十分であり、より立ち入った調査や考察が必要であろう。 III.経済の成熟と高齢化社会の到来 A.貯蓄が余り、投資プロジェクトが不足している  次に本節では、広帯域通信が将来の日本経済において果たす役割を考えよう。まず、現在の日本経済の問題を概観する。  1990年代に入って日本経済は戦後最大の「平成不況」を経験している。GDP(国内総生産)の成長率は、1991年以降1%に満たず、1993年度は第1次石油危機直後の1974年以来の実質マイナス成長となった。民間企業の投資意欲はすっかり冷え込み、1992年度から5〜10%のマイナス成長になっている。政府は1993年度以降、公債を発行して公共事業費を(小出しながら)増額しているが、民間投資の減少分を埋めるまでには到っていない。不況の影響は1993年度に到って労働市場に及び、有効求人倍率は同年から1.0を下回り、完全失業率は3%を超えた。1995年末に到っても、就職先の決まっていない大学4年生が多数残っており、とりわけ女子の内定率は50%を大幅に下回るという深刻な事態になっている。1950〜60年代であれば、暴動に近い学生デモが起きても不思議ではない状況だが、その気配も見えないのは、これまで所得・生活水準が上がり、不況から生ずる困難がまだ日本経済の各所で吸収されているからであろう。この間、企業は社員の再配置・出向などリストラを進め、また高水準の人件費を避けてアジア諸国に工場を移す海外進出(国内空洞化)が進んでおり、労働市場への圧力は今後さらに強くなる見込みである。このような状況下で「日本経済の曲がり角・方針転換の必要」の議論が多い。  上記のような平成不況は、短期的な「循環変動」と長期的な「停滞傾向」が重なって生じた結果である。短期的な循環変動とは、いうまでもなく、1980年代後半の「バブル経済」の崩壊である。1980年代前半に、潤沢な貯蓄資金(保険を含む個人貯蓄と年金を主とする公的貯蓄の双方)と、そこから派生した金融機関の資金が株式市場と土地市場に流れ込み、一時的なブームすなわちバブルを作り出した。しかし株式と土地のバブルは、1989年から91年にかけて相次いで消滅し、主要銀行を含む金融機関のバランスシートを悪化させ、投資意欲を減退させた。1995年後半に到り、日本銀行は公定歩合を0.25%というゼロに近い水準に引き下げて景気振興を図っているが、企業の設備投資意欲が動き出すには到らず、1996年度の国家予算でも21兆円の公債発行を含む赤字財政が組まれているという状態である。1995年末に至って、景気回復の兆しが少しずつ見えはじめてきたとのニュースもあるが、日本経済の先行きはまだ雲の中に閉ざされていると言ってよい。  次に、循環変動に加え、日本経済の長期的な停滞傾向は、以下の2個の要因に集約できる。第1の要因は、製造工業部門での規格品大量生産に象徴される「追い付き追い越せ型の経済成長」が完全に終わったことである。第2の要因は、戦後の「団塊の世代」が40歳代後半の年齢に達し、日本社会が高齢化社会の入口に立っている事実である。つまり経済の成熟化と高齢化がほぼ同時に押し寄せてきて、長期的な停滞傾向を生じている。  1950年代から80年代前半に至るまで、日本経済は、繊維、造船、鉄鋼、自動車、家庭電化製品の成長産業を拠点として輸出を伸ばし、生活水準を高め、先進国に並ぶ「豊かな社会」を実現してきた。この間の経済成長のパターンは、前述のように規格品の大量生産である。少数種類の高品質の生産物を大量に生産し、これを国内市場と海外市場に販売するというパターンであった。そこでは新しい製品・サービスを開発するよりも、既存の生産物のコストを切下げ、品質を高めることに努力が払われた。輸出の尖兵となった戦略産業では、このように高生産性とコストの節約が実現されたが、しかし農業やサービス産業のように海外との競争にさらされない産業では、低能率・高コスト体質が残った。1990年代には、国民の生活水準が先進国並になり、労働コストも上昇した。他方で、1980年代からアジア諸国の工業化・経済成長が始まり、わが国の製造工業の多くが労働コストの高い日本国内を避け、アジア諸国への立地を求めるようになった。  長期的停滞傾向の第2の要因は、日本経済が高齢化社会の直前の状態、すなわち「壮年後期」にあることである。つまり、第二次大戦による人口構成の歪み(世代ごと人口の極端な増減)の結果、1990年代後半に、日本人は平均して「働き盛りの最後の時期」に到っている。当然のことながら、人間は働き盛りの期間に、次世代である子供を育てながら老後の用意をする。現在の状況は、養育するべき子供世代の数が少なく、他方で老後の用意をしている働き盛り世代の人口が多いため、日本経済全体として(老後のための)貯蓄に励んでいる、すなわち手元に入る所得のうち、かなりの部分を(消費せずに)「貯蓄」している状態にある。所得のうち消費支出された部分は、財・サービスへの需要となるが、貯蓄された部分は、自動的には需要となって出てこない。他方、国内で生産された財・サービスのうち、消費用に需要されずに残った部分は投資財として購入されなければならない。すなわち、経済全体として需給均衡が成立つためには、所得のうち貯蓄された金額に等しい分だけ投資財への需要が生じなければならない。具体的には、貯蓄資金を借入れてこれを事業化し、将来の収益を見込んで投資財を購入する企業が居なければならない。十分な投資が生じなければ、生産物・サービスの一部が売れ残り、経済は縮小均衡に向かう。現在は経済が停滞期に差しかかった上に、循環的不況が重なっているので、国内の投資意欲が乏しく、高齢化社会の準備のために豊富に用意されている貯蓄資金を全部吸収できない。国内の生産物が余ってしまう状態にある。  この点を分かりやすく説明するために、日本全体を平均的日本人1人で表し、かつ食料用の農業生産だけをおこなっているものとしよう。この平均的日本人(R氏と呼ぶ)は、50歳直前の年齢で、あと25年間生きると予想している。50歳を超えると生産力が落ちるので、R氏は現在の収穫からかなりの部分(たとえば4分の1)を節約して(食べることを控えて)「貯蓄」し、老後に備えようと望んでいる。しかしR氏の望みが実現するためには、R氏よりも若い誰か(A氏)が、本年の余剰食料(総生産の4分の1)を引き取り、これを有効に活用(投資)して翌年以降生産に従事し、その結果得られる生産物(食料)で、A氏自身に加え、年老いたR氏を養わなければならない。もしR氏が、孤島に漂着したロビンソン・クルーソーのように1人だけで生活していれば、これは不可能である。R氏の老後は、R氏自身で養う他はないからである。R氏が老後に自ら働くことができないとすれば、彼にできることは、たとえば隣島の住民(B氏)を見つけて壮年期の余剰食物を貸し付け、自分の老後に貸し付けた食物の「元利返済」を受けることである。すなわち、R氏は壮年期に余剰生産物を隣島に「輸出」し、輸出代価はそのまま隣島のB氏への貸付に回し、その結果得られる元利返済をもって食料を「輸入」し、自らの老後を養うほかはないのである。  「壮年期」の最後の時期に立ち至っている日本経済が置かれている状況は、「平均的には」上記のようなR氏と同じである。1980年代後半から、日本経済の貿易収支の大幅黒字が始まり、1990年代には年間1000億〜1500億米ドルに達した。1993年度末には、日本経済の対外純資産の残高が6千億ドルを超え、これに千億ドル以上の外貨準備を加えて、合計7千100億米ドル(日本人1人当たりで55万円、1世帯4人家族として220万円)にまでなっている。R氏が隣島に頼み込んで余剰生産物を貸付け、何とか老後の足しにしようとしていることに相当する注14)。  隣島がR氏の頼みを引き受けるか否かは、隣島自身の経済事情に依存する。もし隣島が子沢山で幼年期の経済段階(途上国)にあり、将来の成長が見込めるのであれば、現在の子供を養うために喜んでR氏から借り入れるだろう。しかし、R氏の方は、隣島の金融制度が未成熟なため、信用貸よりも、若手のA氏が自分で余剰生産物を持って行って仕事をする(海外進出)ことを望むかもしれない。また隣島が成熟段階の経済(米国)であれば、さらに技術進歩を実現して成長余力を持っている場合にR氏の頼みを引き受けるだろう。ただし、R氏の貸付けが累年増加するに伴って少しずつ条件が厳しくなるだろう。このようにして、基本的にはR氏と隣島の取引が続かない理由は無い。子沢山の幼年期経済であっても、活力旺盛な成熟経済であっても、隣島がR氏の余剰生産物を有効に活用して将来の返済後に「利益」を残すことができる場合には、現在のR氏からの貸付を受け入れることが有利である。平均的日本人の老後扶養を「国(島)際的」に実現できない実物面からの理由は無い。  しかしながら、日本経済の一方的な輸出(外国への貯蓄)は、実物以外の側面(金融面、信用面、心理面、政治面など)で無理を生ずる。まず、貿易収支の赤字国(米国)では、「外国からこんなに借金を続けてよいのか」との心配が起こり、「国際収支不均衡」是正の政治的圧力(貿易摩擦)が生ずる注15)。  他方、日本の輸出業者が国内の余剰生産物を海外に輸出・販売する結果、国内にその販売代金である米ドルが残る。輸出業者はこの米ドルを円に交換しようとするので、ドルの超過供給(円の超過需要)が生ずる。他方「米国への貯蓄」がうまく機能するためには、日本から米国への投資が貿易黒字に見合う額だけおこなわれなければならない。日本の投資業者が米国で投資を実行する(金融資産あるいは投資財を購入する)ために必要とする米ドルの需要が、貿易黒字の結果として出てくる米ドルの供給と一致すれば、米ドル・円の外貨市場は均衡する。しかし、海外への投資は多数のリスク要因を含み、その実行は主観的判断に依るところが大きいので、毎年の投資額は変動しやすく、外貨市場の不安定要因になる。加えて、外貨取引には投機資金が入るので、為替レートは短期的にだけでなく、中・長期的にも影響を受ける。たとえば、わが国はすでに数千億ドルを超える米国への投資をおこなっいるので、これ以上安全有利な投資先を見つけることは困難であると投資業者(たとえば米国国債を購入する金融機関)が考えるかもしれない。充分な投資意欲があれば、貿易黒字の結果出てくるドル資金を購入し、そのドル資金をもって米国への投資をおこなうことになるが、充分な投資機会がもはやないと判断すれば、貿易黒字の結果生じた米ドルは超過供給になり、円で表したドル価格の下落、すなわち円高が生じる。これが1984年のプラザ合意以降の円高傾向の原因である。円高になれば、日本の生産物が海外で高価になり、輸出は困難になる。しかしながら、国内に(老後のために残している)余剰生産物があるため、輸出産業では何としても生産物を海外に売らなければならない。血のにじむような輸出努力の結果、上記のような経過で円高が生じ、結局「自分自身の首を絞める」ことになっている。  上に述べたことを別の観点からまとめると、以下のようになる。「追い付き追い越せ型」の経済成長が終わり、国民の生活水準が向上して日本経済が成熟段階に入ったので、これまでと同じ仕方では国内で生産物が売れなくなり、国内の投資意欲が減退した。他方では、日本経済が壮年後期に立ち至ったので、高齢化時代に備えて高額の貯蓄をおこなう。すなわち、消費を控え、この面からも国内で生産物が売れ残るようになった。もし、鎖国時代のように日本経済に輸出入が許されず、閉鎖経済であったならば、この時点で直ちに不況がはじまる。国内で投資が貯蓄を下回る分だけ生産物の売れ残りが生じ、企業は生産を縮小しなければならないからである。しかし幸いにも、日本経済は海外貿易と海外投資によって、国内の余剰生産物のバッファを海外に求めることが可能であった。余剰生産物を海外に売り、その代価を貿易黒字の形で海外に貸し付け、1980年代中葉以降の数年間は需要不足を凌ぐことができた。しかし、(前述のように非実物面からの要因のために)これにも限度がある。ある時点から円高が生じて輸出が困難になった。20世紀の最後の5年間に入った時点の日本経済の現状を一言でまとめると、上記のようになる。  それではわれわれには、この状態からどのような出口があるのだろうか。国内の貯蓄が国内の投資を上回る分だけ生産が余剰なのだから、余剰分をすべて国外に貸し付けることができないかぎり、可能な出口は2通りしかない。その第1は、国内生産を切下げ、豊かな生活から低水準の生活に舞い戻ることである。その結果、日本人が平均的に現在より貧乏になり、貯蓄する余裕が減少する。縮小生産と所得低下の結果、生産物の需要と供給が低水準でバランスするという方向である。これは「後戻り路線」である。実際現在の不況は、日本経済を少しずつこの方向に連れ戻している。  われわれは「後戻り路線」を選択できるだろうか。縮小均衡の結果生ずる所得の減少や生活水準の切下げが、日本国民のすべてに平等に負担されれば、この方策も考えられるかもしれない(資源環境問題の「消極的な解決策」にもなる)。しかし、実際には、所得低下の影響は不平等であり、国民の一部(老年層や大学の新規卒業生など)に過重な負担がかかってくる。もちろん日本経済はすでに高水準の生産力を有しており、企業貯蓄や個人資産も蓄積されている。縮小均衡だからといって、1929年の大不況時のように路上に多数の餓死者が出るような極端な事態にはならないであろう。しかし、「縮小均衡」は苦しい道であり、とくに過重な負担を受ける人の生活は困難を極める。資源環境面からの制約が否応なしにならないかぎり、この方向は選びたくない。しかし、われわれが現状を放置すれば、行き着く先は「縮小均衡」しかないことも事実である。  これまで述べたことから、国際環境が変化しないかぎり、現在の状況からの出口は、国内投資を高める以外に無いことが明らかであろう。今後数年以内に迎える高齢化社会を支えるため、現在時点で将来の生産性を増加させるための投資を実行し、これによって現在の需要不足を解消する他に途は無い。高齢化社会を支えるのは、長期的平均的に考えれば、われわれ自体なのである注16)。そのために新たな工夫によって現在の余剰生産物を活用(投資を実現)し、将来高齢者人口が増加し、労働人口が減少しても、過去の投資の結果、国全体の生産水準が維持できる状況を作り出さなければならない。  しかしながら、従来の「追い付き追い越せ型」の生産活動を続けるだけでは、新たな投資機会は生じない。従来型の財・サービスはすでに充足され、またその多くはアジア諸国から安価に供給される。従来型生産のコスト削減でなく、何か新しい方策を実行し、従来よりも少ない労働で、より高価値の財を生産しなければならない。つまり、新規生産物を開拓することによって1人当たりの労働生産性を高めなければならない。従来と同じく1日8時間働いても、従来より仕事を質的に高め(すなわち生産性を高め)、より高度の生産物・サービスが生み出せるようにならなければならない。そのような生産性増大が投資収益の新しい機会を生み出し、企業によってそれが事業化され、実際に高度の財・サービスが生産されるという順序になる。もちろん、そこで供給された高度の財・サービスは、国民生活水準を直接あるいは間接に向上させるものとして国民に受け入れられなければならない。  このような変革のためには、国全体の産業・部門において広く投資機会が生ずるように、「構造改革」「産業基盤の形成」「インフラ整備」などを進めることが必要である。個人の創意工夫力を増大させるための教育内容・制度の改革、研究開発の振興、創意工夫の結果が容易に事業化できるためのベンチャー・ビジネスの振興、新しいビジネスが台頭できる環境を作る規制緩和など、最近しばしば見られる主張はこの点に関するものである。また、従来型の経済活動の延長ではアジア諸国と競争できないのだから、日本が比較優位を持つ分野の生産活動、すなわち高水準の技術、高能率の組織から生み出される付加価値度の高い生産物・サービス分野の生産性増大を実現しなければならない。  実際には、日本経済は、すでに高水準の技術・高付加価値の生産物・サービスの方向に少しずつだが構造転換を進めている。日本の輸出商品の代表である家電製品、たとえばテレビ受像機をとっても、普及品については生産拠点が海外に移り、日本は輸入国に転じている。国内で生産されているのは、特別な機能のついた高水準・高付加価値の製品である。家庭電化製品だけでなく、ほとんどすべての分野の製品について、最近Made in ChinaとかMade in Malaysiaのマークが付いているものが多い。これらの製品の多くは、海外に進出した日本企業によって生産されている。国内では、高付加価値の消費財や高度な資本財・生産財を生産し、これを海外に輸出している。国内で生産された資本財・生産財を海外の日本企業が使用し、その生産物が国内に輸入されるのは典型的なケースである。現在われわれに必要なことは、このような高水準の技術、高付加価値生産の傾向を加速し、技術力・組織力をさらに向上させることである。これが国内の生産性の増大であり、現在の生活水準を引下げることなく21世紀の高齢化社会を支えるための方策である。  先進国である米国や西欧諸国は、すでに高水準の技術、高付加価値の生産に重点を置いている。米国が比較優位を持つ生産物・サービスは、航空産業・宇宙産業・情報通信産業・医療サービス・医薬品産業・教育産業・研究開発「産業」などである。日本経済も、近い将来においてこのような「高度産業」で比較優位を持つことが望まれる。ただしこの場合でも、単に先進国に「追い付く」ことを目指すよりも、できれば他国が生産していない新しい財・サービスの供給を実現することが望ましい。  本章で論じている「広帯域通信網」は、日本経済がこのような「高度産業」を持つための一つの有力な手段である。その詳細は次節で説明しよう。 B.広帯域通信網建設の効果  次に広帯域通信網建設のもたらす効果、とりわけ前節で述べた日本経済の困難、21世紀の日本に成熟経済と高齢化社会が同時に押し寄せることから生ずる困難を解決するために有用な効果を考える。広帯域通信網建設の効果は、大別して、同建設投資がもたらす「需要効果」と、建設された同網のサービスが国民生活、企業活動などに与える「供給効果」とに区別できる。通常は需要効果が強調されるが、以下に説明するように、広帯域通信網の建設がもたらす主要な効果は、供給側にある。 1.需要効果  まず、広帯域通信網建設投資がもたらす「需要効果」を考えよう。本書3章の試算によれば、広帯域通信網建設のための累積粗投資額は、1996年から10年間で18兆円、20年間で52兆円、30年間(2025年まで)で94兆円と推定されている。つまり、最初の10年間に年1.8兆円、次の10年間に年3.4兆円(=(52-18)/10)、最後の10年間に年4.2兆円(=(94-52)/10)程度である。3章の試算では、最初の20年間にユーザの75%、30年後にユーザの98%以上が広帯域通信網に加入することを前提している注17)。  上記の投資規模の需要効果を考えるため、関連する指標を挙げてみる。1990年代のNTTの年間の固定資産取得額は1.8兆円程度であり、広帯域通信網建設の最初の10年間の粗投資額とおおむね等しい。30年間で94兆円という金額は、平均して1年に3兆円強である。現在アナログ電話網が完成しており、その減価償却分を広帯域通信網投資に当てるとすれば、年間3兆円はそれほど大きな金額ではない。3章の試算では、10年目から20年目に至る期間が建設の加速期であり、この期間に相当の金額を現在の電気通信産業の投資額に積み増しする必要がある。しかし、積み増し金額は年間1兆円内外であろう。また3章で試算された広帯域通信網建設のための必要投資額は、どちらかといえば「安全側」の数字(「多めに見積もられた数字」)であり、今後急速な技術進歩と普及加速によって、広帯域網が日本全国に敷設されるための累積投資額が試算を大きく下回る可能性がある。  国民経済規模との比較では、1年間の民間投資(企業設備投資と住宅投資)の合計が90兆円台であり、広帯域網建設投資の30年間の累計額とおおむね等しい。つまり、広帯域通信網の建設は、グロス計算で、日本経済全体の投資を3%程度増加させ、(アナログ電話網維持のための更新投資分を除いた)ネット計算では、1〜2%程度増加させる。平成不況時の需給ギャップ(不況を克服するために積み増しする必要のある投資金額)は十数兆円程度と推測される。広帯域通信網建設のための投資は、この需給ギャップの10分の1を下回る。この金額は、もちろん無視できるほど小さいものではないが、しかし、不況克服のために必要な投資額のごく一部であるにすぎない。日本経済は、1995年度末までに大幅に情報化されたが、コンピュータや放送分野を合計しても、日本経済全体の中の情報通信分野のウェイトは、まだ2〜3%程度であり、この分野の投資の積み増しが、国全体の需要を量的に引っ張ることは期待できない。(不況脱出のためのリーディング産業としての意義はあるだろう。)注18) 2.供給効果(1)  広帯域通信網が21世紀の日本経済に貢献できるのは、主として「供給効果」によってである。この点については、情報ハイウェーやマルチメディアをめぐる議論でも、立ち入った予想はまだあまりおこなわれていない。以下では、広帯域通信が、表1の第1段階および第2段階まで発展した場合と、表1の第3段階すなわち高性能ビデオ電話のフルサービスに発展した場合のそれぞれについて、どのような効果が日本経済に及ぶかを考える。  現在のマルチメディアの議論では、広帯域通信サービスの第1段階(VOD型とインターネット型)と第2段階が想定されており、どちらかといえば文化・娯楽面、生活の便宜の向上、若者世代へのネットワーク・コミュニケーションの浸透などの効果が強調されている。最近ではインターネット上のWWWによるテレショッピング、バーチャル銀行、電子マネーなどが話題になっているが、それが日本経済の生産活動に大幅の変革を与えるとまでは予想されていない。主たる変革は、生産・サービスの流通、商業、銀行・証券・保険などの金融分野、プロフェッショナル・サービス分野に及ぶと考えられている。また、企業組織については、電子メールによって企業の中間管理層の存在意義が薄れ、企業組織がピラミッド型からフラット型に変わるなどの議論が代表的である。筆者はこれらの議論に反対するものではない。VOD型の広帯域通信は、生活や娯楽の便宜を増大させ、またインターネット型の広帯域通信は、ネットワークに近い人間の仕事や生活スタイルに影響を及ぼすであろう。また、広帯域通信の第2段階に至り、さまざまなサービスをリモートで享受できるようになれば、生活・仕事上の便宜はさらに増進されるだろう。たとえばリモート大学(仮想大学)の成立は、現在の日本の高等教育システムを揺るがすかもしれない。しかし、この種の便宜の増大だけで21世紀の日本経済の困難、つまり年間数十兆円(一人当たり年間20〜30万円)にも及ぶ需要不足を埋め、高齢化社会の維持に必要な生産性向上を実現させるだけの投資を発生させることができるか否かは疑問であろう。マルチメディアに関する多くのアンケート結果に見られるように、新しい広帯域通信サービス(第1・第2段階)に付加的に支出できる金額は、世帯当たりで月に1万円、年間で10万円程度(日本経済全体で4兆円程度)である。 3.供給効果(2)  次に、高性能の広帯域ビデオ電話から生ずる効果を考えよう。本章第I節に述べたように、広帯域ビデオ電話は、第一義的には直接面談の代替手段であり、離れた場所に所在する人の間で直接面談に近い情報交換を実現する。したがってビデオ電話がもたらす効果として第1に考えられるのは、直接面談の一部がビデオ電話による面談に替わることから生ずる効果である。言いかえれば、直接面談のために支払っている時間・費用から、ビデオ電話への需要が生ずる。日本全体として、これがどの程度の効果を持つかを考えてみよう。  次節で詳しく述べるように、現在のわが国で各人が移動に振り向けている時間は、仕事のための移動時間を除いて(通勤時間は含める)、1人1日平均、男性で70分程度、女性で35分程度である。仕事の時間に含まれる移動時間は、統計資料が無いので正確には分からないが、1日平均1人数十分程度であろう。  ビデオ電話の導入の結果、かりに仕事中および仕事外の移動時間が1日1人平均30分だけ節約され、他の活動に使えるようになったとする。交通費・自動車維持費も節約されるが、その分の金額はビデオ電話に支出するので、ネット・ゲインは時間の節約だけである。この時間を金銭に換算すると、どの程度の価値があるだろうか。  1人1日の労働時間を(超過勤務を含めて)8時間としよう。30分の時間節約は、その16分の1に当たる。毎年の国内総生産を国民の時間当たりで表すと、その16分の1はどの程度になるだろうか。1993(平成5)年の国内総生産は467兆円であり、その16分の1は29兆円余になる。国民1人当たりで計算すると、年間23万円余である。4人世帯を考えると、これは年間149万円程度になる。第1・第2段階の広帯域通信サービスに付加的に支出できるとしている金額の十数倍になることに注意されたい。  もし、1人1日平均30分の時間節約分をすべて労働に向け、その分だけ国内総生産が余分に生産されたとすると、日本経済の成長率は年6.2%(=1.0/16)だけ増加することになる。現在の「基礎成長率」を1.0%とすれば、日本経済の成長率は年間7.2%に達する。これは1960年代の高度成長期の実質成長率には及ばないものの、1950年代および70年代の実質成長率に匹敵する。これだけの経済成長を10年間続けると、国内総生産は2倍に増大する(池田内閣当時の「所得倍増計画」を想起されたい)。  これらの数字から、1日30分の時間節約が日本経済に対して持つ意味の大きさが理解されるだろう。将来、高齢化社会になると若手の人口が減少し、労働力つまり労働時間が不足する。このとき従来移動に使っていた時間を節約し、仕事のための時間として使えば、若い世代の生産性が上がって高齢者の支えになる。広帯域ビデオ電話による移動時間節約は、もしそれがすべて労働に向けられれば、高齢化社会を支えるのに十分な生産性の増大を実現する。  しかし、これはかなり乱暴な議論である。節約された時間がすべて労働に向けられるとはかぎらない。全部が労働時間になったとしても、付加的な30分の生産性は低めになるかもしれない。生活のための時間や、余暇・レクリエーションに回されることもあるだろう。それはそれでわれわれの生活を豊かにする。また、場所的な移動を節約することが常に望ましいとは言えないとの反論もあり得る。旅行はレクリエーションの一つであるし、場所・環境を変えることによって、われわれは気分的にリフレッシュし、新しい刺激を受け、また思いもかけない新たな知人を得るなど、さまざまなプラスがある。ここでは、これらのことをすべて承知した上で、なお、われわれの最も貴重な資源である時間節約がもたらす効果を強調しておきたい。 4.供給効果(3)――人間のシナジー効果 移動時間の節約は、広帯域通信・高性能ビデオ電話がもたらす効果のうちの、いわば「消極的な」側面でしかない。読者の多くは、すでに気がついておられるだろうが、広帯域ビデオ電話は、人間同士の情報交流という点で、われわれに従来とは比較にならないほどの多くの可能性をもたらす。一言で述べれば、ビデオ電話の使用は、われわれが日本中の、あるいは世界中のどの人とでも、好むままに面談できることを意味する。これがどのように大きな効果をもたらすかは、われわれの想像をはるかに超える。  直接面談という最も有効・濃密な情報交換について、われわれは地理的所在によって制約されている。他人と用談するため、会議に出席するため、セールス活動をおこなうため、われわれは物理的に目的地に移動しなければならない。直接面談のために物理的移動を必要とする事実は、面談できる相手の人数を制約するが、面談できる相手の範囲をも制約している。大阪から東京の企業を訪問して、その企業の社員5人に会うことは現在でもできる。しかし、これと同じ時間を使って大阪から全国の5ヶ所を回り、自分が最も必要とする5人に面談することは、物理的移動によるかぎり不可能である。直接面談による情報交換について、現在はこの基本的な制約を当然のこととして前提してすべての活動がおこなわれている。われわれの移動だけでなく、会社の組織・ビジネス活動はもちろん、日常生活も、文化的な活動も、政治行動も、すべてこの基本的制約を前提にして実行されている。ビデオ電話によって、直接面談に近い情報交換が離れた場所間で即時的にできることは、この制約が無くなること、すなわち情報交換に関するわれわれの能力が飛躍的に増大することを意味する。  読者の多くは、これと似た議論をすでに聞かれたことと思う。「テレコミュニケーションは距離の制約を克服する、と言っているではないか。ここでの議論は、電話の効果と同じで、その二番煎じにすぎない。」実際そのとおりだが、ビデオ電話がもたらすのは、直接面談という最も濃密・効果的な情報交換であることに注意していただきたい。電話もビデオ電話も距離の制約を克服するが、その結果実現される内容が、たとえばラジオとテレビほど差があるのである。  ビデオ電話の効果を知るため、ビジネス活動の場、すなわち会社・企業のオフィスを考えてみよう。企業の目的は、何らかの財・サービスを最も効率良く生産し、供給することである。生産・供給活動を管理するために、なぜオフィスというスペースが用意され、社員が毎日そこに通勤するのであろうか。いうまでもなく、社員がチームを組み、相互に情報を交換しながら、それぞれの能力を有機的に結合して、別々の場所で仕事をするのでは実現できない高度な仕事にたずさわるためである。離れた場所からの電話やファクシミリの連絡だけでは、頻繁かつ濃密な情報交換は不可能であり、企業活動の能率は低下してしまう。これまで通勤時間を節約するために、サテライト・オフィスやテレワーク・オフィスが導入され、本社への出勤をたとえば週1回にとどめて、週4日は自宅の近くで仕事をすることが試みられた。しかし実際にはなかなかうまくゆかないことが多いようである。上司や同僚と顔を会わせないでいると、情報が入らないし、疎外感も強くなり、共通の基盤を失って仕事ができないという理由で失敗した例が多い。ただし、個人単位でおこなう仕事、個人の独立性が強い仕事(弁護士や医者あるいはソフトウェアの開発など)については、テレワークや自宅で仕事をする「エレクトロニック・コテージ」注19)が実現している。会社のオフィスで他者と交流を保ちながらでなければ仕事ができないケースがすべてではない。ビデオ電話は、これまで「一緒に居ないと仕事にならなかった」種類のチームワークの多くをリモートで(あるいは仮想的に)実現させる。もちろん、仕事によっては、「ビデオ電話でもチームが組めない」ものはあるだろうが、ビデオ電話の導入は仕事のスタイルの可能性を大きく拡げる。たとえば、日本各地に、あるいは世界各地に社員が散らばっている「会社」を作り、従来は全く不可能であった事業を営むことができる。  広帯域ビデオ電話は、人間同士の面談に関する地理的な制約(距離の制約)を取り除くので、「新しい知己を作る」「新しい対人関係を作る」際に、従来とは比較にならない能力をわれわれに与える。とりわけ、何らかの目的や問題意識の下に、他人と協力して、あるいは他人の助けを求めながら仕事を進めるときに、協力・助力の対象を捜し出す範囲が大幅に拡大する。他人と協力し、他人の援助を得るためには、まず特定の候補が適切であるか否かを知らなければならない。「一緒に仕事ができるか」「助けになるか」を知る方法は、当人と面談することである。たとえば、自分の考えている仕事の概要や目的、特色について説明し、相手の反応を知ることによって、相手とチームワークを組むことから得られる長短所、将来の見込みなどにつき、多くの情報が得られる。直接面談のこのようなパワーは、電話や手紙や電子メールではなかなか得られない。面談に比較して情報交換の効率が落ちてしまうからである。もちろん、チームの形成は、一度の面談だけでできるものではない。当初は軽い協力関係から入り、一緒に仕事をすることで双方の特色が分かり、緊密な協力関係ができあがる。このような「チーム形成」プロセスの進行のために、ビデオ電話は大きく貢献できる。距離の制約を超え、必要なときに、必要な相手と、好むだけ「面談できる」からである。  チーム形成は、「生産活動」のために役立つさまざまな人間関係の一つにすぎない。アドバイスの授受、専門サービスの供給、トレーニングや教育、モニタリングなど、ビデオ電話によって効率を増大できる人間関係は多い。もとより仕事・労働の場だけでなく、生活・文化・政治・娯楽などの分野でも、ビデオ電話の使用は大きな差を生み出す。  上記のことをまとめると、広帯域ビデオ電話は、あらゆる局面で新しい人間関係を作り出す大きな可能性を与える。この事実を本書で「人間シナジー効果」と呼ぶことにしよう。  新たな情報手段が新しい人間関係、従来は存在しなかったグループを形成する可能性は、すでに指摘されている。(現在の)インターネットによる情報交換については、「知的共同体(インテリジェント・コミュニティ)」や「ネチズン(Netizen、ネットワーク市民)」などの用語が使われている注20)。ここで「人間シナジー効果」と呼ぶのは、インテリジェント・コミュニティやネチズンと類似の現象を、広帯域ビデオ電話に適用したものである注21)。  21世紀の日本で、新しいビジネスの可能性が求められている。それは、従来の横並び型・同質性に特色づけられる組織や行動でなく、個人が自己の能力を十分に発揮して、多様性に富み、創造力にあふれる活動をおこなうことである。多様性や創造力は、個人が孤立して仕事をすることからは生まれない。われわれが経験からよく知っているように、新しい着想・アイディアは、他者との交流から生まれることが多い。また着想やアイディアの具体化・組織化は、他者からの批判や質問を契機にして進むことが多い。そもそも自分の考えを他者に説明・提示しようと試みること自体が、すでに新しいものを生み出す知的活動である。相手の反応・質問・批判、あるいはそれらの欠如、場合によっては相手からの攻撃さえも、新しいものを生み出すきっかけとなる。他者との情報交流による創造を実現するためには、他者と容易に、効率的に情報交換ができることが望ましい。また交流する相手は、なるべく広い範囲から選べることが望ましい。広帯域ビデオ電話は、直接面談に関する距離の制約を取り払うことにより、われわれ個人の多様なかつ創造的な仕事の強力な助けになる。  21世紀の日本が順調に発展するためには、国民の1人1人が「創造的活動」に従事することが理想である。創造的活動といっても、国民すべてが研究者になったり、調査活動をすることを意味しない。それぞれの職業のそれぞれの仕事において、各自が他者と自由に交流し、人間的な結びつきを深め、相互に批判や助言を与え合い、それによって仕事の効率を高め、新しい分野の仕事を切り開き、自己の経済的地位を高めながら他者にも貢献することである。人間同士の結びつきの可能性を飛躍的に増大させる広帯域ビデオ電話は、そのために大きく貢献し、将来の世代にとって必須の用具になるだろう。それは、電話やファクシミリや電子メールが、現在のわれわれにとって必須の用具であるのと同じである。  21世紀の成熟経済・高齢化社会を、多様性と創造性に富むビジネスチャンスで支えるには、もとより広帯域通信のような情報交換手段の導入だけでできるものではない。ビジネス分野に加え、教育や研究・開発のあり方、社会制度、人間関係、政治活動など、他の多くの分野での改革が必要であろう。広帯域通信の実現は、われわれ個人の持つ能力を最大限に発揮させ、多様な創造力を開花させるための助けになる。つまりそれは、ビジネスを含む各分野の改革を助ける。個人間の結びつきを強化することにより、広帯域通信網は、社会経済の「神経網」を一段と高度化し、動物で言えば、たとえば「爬虫類」から「哺乳類」への進化と類似する効果を「社会の進化」にもたらすのである。 IV.広帯域通信網への需要源  広帯域ネットワークのような新しい通信手段については、一体どれだけの需要があるのかが疑問として出てくる。新しい可能性を提供するのはよいが、人々はそれにどれだけ支出する用意があるのかという疑問である。  本節では、主として広帯域ビデオ電話による相互アクセス型の需要について、「移動時間の節約」という点から需要を考えてみることにする。本節での筆者の結論は、「広帯域ビデオ電話への需要は、『移動時間の節約』だけから考えても十分にある。したがって、ビデオ電話サービス普及初期の数年間だけ公的措置によって『助走』をつければ、その後は急速に普及する。ビデオ電話がある程度普及すれば、単に『移動の代替』だけでなく、前節で述べた『人間のシナジー効果』を発現させる使い方が自然に出てくるだろう。」である。すなわち、本節の議論の目的は、「広帯域通信網の普及初期の経済性について」である。 A.コミュニケーション手段の変遷  広帯域通信サービスに対する需要を考えるために、まず相互アクセスのためのコミュニケーション手段の変遷について振り返ってみよう。表2は、過去・現在・未来の主要な手段をリストしている。現在は1990年代で、直接面談は依然として大切な手段である。手紙も使われているが、慶弔目的を除く電報、テレックスはかなり廃れた。電話とファクシミリは主要な手段である。電子メール・インターネットが普及し始めているが、広帯域ビデオ電話はまだ使えない状態にある。  過去たとえば1950年代に遡ってみると、面談はもちろん重要な手段で、手紙がよく使われていた。テレックスはビジネス(とくに国際)のために必須であった。電報もこの時代にはかなり使われていたが、日常生活ではどちらかといえば補助的な手段であった。ふだんは手紙を書いたり、会いに行ったりして用を足し、急ぎの時だけ「チチキトク」、「カネオクレ」などの電報を使っていた。電話はほとんど使えなかった。人口100人あたり2〜3加入程度の普及率で、それもビジネス用が大部分であったから、日常生活用としてはゼロに近かった。しかし、1960年代には電話がある程度普及し、急ぎの用事には「徒歩呼出」による電話連絡(電話の共用)が当たり前になっていた。  将来たとえば2010年になっても、直接の面談は(前節で述べたように)依然基本的なコミュニケーション手段として残るだろう。しかし、現在面談でなされているコミュニケーションのかなりの部分が広帯域通信に移るだろう。手紙は、本当に手書きの字が大切なとき以外はあまり使われなくなり、電子メール、広帯域通信で代替されるだろう。電報、テレックスは過去の手段になる。現在のわれわれが、昔は「のろし」を使って通信していたと言うように、2010年の将来世代は、昔は電報・テレックスで通信していたと言うだろう。 B.直接面談・移動の代替手段としての広帯域通信  広帯域通信は将来のサービスであり、まだ利用可能でないから、その需要を直接に計測することはできない注22)。直接面談・移動の代替手段として考えた広帯域ビデオ電話に対する需要を考えるため、表3のような簡単な計算をしてみた。筆者は大阪に住んでいるが、日本の情報の中心が東京にある関係から、東京に行く必要が数多く生じる。東京で人と会ったり、会議に出るために、新幹線による往復を考える。そのときかかる費用は、交通費が片道1万2,000円で、食費を除いて、往復2万4,000円程度である。それから、「ひかり」を使った場合、往復6時間が必要である。さらに新幹線で行くと、年齢にもよるが身体が疲れて、後に休みが必要になる。本来の目的であるコミュニケーション(面談・会議出席など)を別にして、これらが大阪・東京往復の費用と時間とその他のコストになる。航空機を使っても交通費は大体新幹線と同じである。移動時間は縮まるが、便数が少ないからスケジュール上の弾力性が無く、また身体は楽だが事故のとき生命にかかわるリスクがあるので、全体としては新幹線と同程度であり、実際に筆者は、新幹線と航空機の双方を使っている。  次に、広帯域ビデオ電話(テレビ会議)でこれを置き換えることを考える。つまり、大阪に居ながら、東京の人と高性能のビデオ電話で話をして、あるいは東京での会議に「広帯域通信で出席」して仕事を済ませるのである。この広帯域ビデオ電話の料金は未知だが、現在の電話と同じにはならないだろう。音声に加えて、映像も一緒に送られるからである。ここでは、ビデオ電話の料金が電話の3倍になると考えよう。3倍にした理由は、建設コスト面からの考慮である。後に述べるように、広帯域通信の料金を3倍にすると、その建設費が大体ペイする。注23) 相手とのコミュニケーションには、1回に2時間かかると考える。普通の仕事では、2時間程度で用が足りるケースが多いだろう。電話料金が3分180円だから、2時間で21,600円になる。もちろんビデオ電話の場合には、本来の目的であるコミュニケーションに必要な時間以外の時間コストはゼロである。ただし別のコスト要因として、直接面談と比較して、不十分・不完全なコミュニケーションしかできないという点がある。その程度は、技術進歩の結果、どの程度フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションに近い広帯域ビデオ電話ができるかにもよるが、直接面談には敵わない。  それでビデオ電話が実用化したときの、直接面談とビデオ電話の選択になるが、表の数字を見ると、往復6時間という移動時間の負担が大きいのではないかと考えられる。大阪から東京の人に2時間会いに行くだけで、一日仕事になってしまう。この点を考えると、高性能ビデオ電話が電話の3倍程度の料金で利用可能になれば、移動をともなう面談のかなりの部分がテレコムで置き替えられるのではないかと思われる。すでに、企業内テレビ会議は、(それほど高性能でないにもかかわらず)急速に普及しつつある。  上記の例は東京・大阪往復の場合だが、東京と北海道・九州往復になると、時間コストと交通費は増えるが、通信料金は同一なので、ビデオ電話がさらに有利になる。これらの例が示すのは、もし電話代の3倍で広帯域ビデオ電話が使えるならば、東京・大阪ぐらいが両者のブレイク・イーブン距離で、それ以上遠ければビデオ電話が有利になり、近ければ物理的移動が有利になるということである注24)。  海外出張になると、往復に最小限3〜4日はかかるから、時間コストが非常に大きい。海外出張も最初の1〜2回はよいが、回を重ねると時差調整などが苦しみになる。身体の疲労も大きい。気晴らしに、あるいは見聞を広めるために行く海外渡航は別にして、それ以外はビデオ電話がはるかに有利になる。このように考えると、広帯域ビデオ電話への需要は、長期的にはきわめて大きいと考えられる。 C.移動のために支払うコスト 1.交通量  ビデオ電話による移動の代替について具体的に考えるため、交通・移動にわれわれが支払っているコストを概観する。まず交通量を考える。図2は、1人あたりの年間の自動車交通量を千キロ単位で示す。  同図によると、1951年の自動車交通ではバスが大部分を占め、1年に1人あたり200キロぐらいの移動量であった。1日に平均1キロも動いていなかった。現在では、バスで年間1,000キロ、乗用車を合わせると6,000キロ近く移動している。1日に平均20キロである。増加分で大きいのは、乗用車による移動である。なおここでは、赤ちゃんも老人もすべて入れた平均を考えている。  次に図3は、電車、列車による移動量のデータである。自動車と同じく、1人1年間に何千キロ動いたかを示す。1951年には、1人平均年間1,400キロぐらい動いていた。1日にすると4キロの移動量である。これに対し現在では、年間3,000キロ以上、1日あたりで10キロの移動量である。これで見ると、列車・電車による移動距離が戦後40年間に2〜2.5倍ぐらい増えたことがわかる。なお、新幹線のウェイトは、現在でも全体の6分の1〜7分の1である。  航空機による移動距離(図4)は、1951年にはほとんどゼロであった。1960年すなわち約35年前から航空交通が増加しはじめ、現在では1人あたり年間1,000キロ弱である。日本からアメリカ西岸を往復すると1万キロになるから、平均移動距離は、国際・国内移動を合計して、10年に1回アメリカ西岸を往復する程度である。航空機による移動距離の伸び率は、バスや自動車・鉄道よりはるかに高い。図4の下方のグラフが国内線、上方が国際線を示す。国際線は乗客数が少ないが、距離が長いので、平均距離にすると国内線と比較できる程度になる。おもしろいことに、国内線と国際線が、同じ移動距離で伸びている。  以上示したように、過去約40年間に、日本人は平均して格段に動き回るようになった。社会生活・経済活動が変化・発展し、離れた場所の人とのコミュニケーションがより必要になって、移動量が大幅に増えたのである。 2.移動時間  次に移動のために使われている時間のデータを示す(図5)。日本人1日あたり、1人平均で何分間移動に使ったかである。ただしこのデータには、出張などビジネス目的の移動時間は入っていない。ビジネス以外の移動時間、たとえば通勤時間、買い物のための移動時間、(出張以外の)旅行時間などである。  40年前の1955年には、1人1日平均、男性で30分強、女性で20分強を移動に使っていた。これが少しづつ増加し、40年間で、男性は68分まで、2倍強になっている。女性についても2倍に増加し、1日50分近くを移動に使うようになった。  これにビジネスのための移動時間をプラスしなければならないが、残念なことに、すぐ利用できる政府統計は無い。およその見当をつけるほかないが、新幹線の伸びなどから考えると、40年間に少なくとも2倍程度には増加しているのではないだろうか。読者の方の日常経験からも、ビジネスでの移動時間が以前より大幅に増えているのではないだろうか。  もとよりわれわれの持ち時間は、1日24時間に限られている。そのうち、かなりの部分が睡眠、休養、食事のために必要である。これに加え、テレビを見る時間、新聞・書物を読む時間も入る。そしてもとより、オフィスや工場等での仕事の時間がある。その中に移動時間が増加して食い込んでいるのである。かつて男性について24時間中に30分だけ占めていた仕事以外の移動時間が、40年間のうちに70分近くに増えてしまった。合計が24時間と限られているのであるから、これは大きな変化である。 D.家計支出の比率  次に、サービス購入のための支出金額から、広帯域通信の需要を考えてみよう(図6)。残念ながら、ここでもビジネス関係についてのデータが得られないので、家計支出中の交通と通信への支出だけを考える。図7は、勤労世帯の総支出を消費支出と貯蓄支出に分け、前者すなわち消費支出中の交通費と通信費の支出比率を百分率(%)で示す。1963年から現在まで、約30年間をとっている。  グラフの一番下の黒い平坦な部分は、バス・鉄道などの交通費の比率である。次に自動車関係支出がグラフの中間部分であり、マイカーの増加による上昇傾向を示している。それから、上部の帯状の部分が通信費の比率を示す。これには電話、郵便、放送の3項目が入っている。  グラフの経年変化を見ると、バス・電車・新幹線などの交通費は、消費支出の2%程度で30年間ほとんど変わらない。前節で述べたように移動距離は伸びているが、これは列車速度が早くなったことによる交通費距離単価の下落と、所得上昇による交通費支出の増加の結果であり、支出比率は変わっていないのである。他方、グラフから明らかなように、自動車関係費は、支出金額はもとより支出比率でも大幅に伸びている。交通費比率は、1963年当初の0.7%程度から、1993年には7%近くの水準にまで増加している。それから通信費は、0.25%から2%程度にまで増加しているが、自動車関係費の伸びに比べれば小さい。  実は、家計消費支出の項目支出比率は、数十年間の長期にわたって安定しているものが多い注25)。その中で、自動車関係費の支出比率の増大はきわめて顕著である。わが国の自動車産業の発展は、この事実に支えられていたのである。  次章で、広帯域ネットワーク建設費について説明するが、その規模は、建設期間の30年間にわたって、年間消費支出の1%足らず、正確には0.7%ぐらいである。これは自動車関係費の比率の約1割に当たる。光ファイバーを全国に引き、広帯域ビデオ電話を普及させるための負担は、この程度の大きさだと考えて頂きたい。 E.移動とテレコムの代替 1.移動時間の増加傾向は続くか  前節で述べた移動時間増加のトレンドは将来も続いて、あと何年か経つと、ビジネス以外の移動時間が1日平均で1時間半や2時間にまで増加するのだろうか。ビジネス目的の移動時間を入れると、平均3〜4時間が移動に使われることになるのだろうか。そのようなことはおそらく不可能であろう。というのは、もしそうなると、移動のための時間があまりに長すぎて、実際の仕事ができなくなり、休養もとれない状態になってしまうだろうからである。  もっとも、移動時間が増加する傾向は悪いことではないという意見もある。「人間は動く動物である」という特徴付けもある。しかし、1日の時間が24時間と限られているのに、そこから何時間も移動に使っていたら、やってゆけないはずである。移動しながら静止している時と同じように食事をし、睡眠・休養をとり、仕事を進めることができればまた別だが。現状では、満員電車での通勤中は新聞を読むぐらいが関の山で、静止時とくらべて移動中の活動水準は大幅に落ちる。  他方、社会全体の傾向としては、直接面談によるコミュニケーションがますます必要になっている。仕事の性質や生活のパターンが、人間の移動をより多く必要とする方向に変化しているからである。例えばビジネス分野では、営業領域が拡大し、国内はもとより海外へのマーケティングが必要になっている。技術分野では、エンジニアの仕事が特殊化・高度化して、国内各所の工場の機械メンテナンスのために、担当者が全国を動き回らなければならない。海外との技術提携も増加する一方である。研究者も、関心を共有する国内・海外の研究者との共同研究を通じて、研究の質を高めるようになっている。もとより、政府・企業のトップや中堅層の移動も大幅に増加している。さらに人件費節約のため、支社・出張所を設置する代わりに、東京をはじめとする拠点に要員を集め、仕事は日帰り出張で済ませるケースが増えている。  生活の分野では、以前は親子兄弟、近い親類は同一地域に住んでおり、コミュニケーションや慶弔の行事出席のためには歩いてゆくだけで済んでいた。しかし現在では、親子は分かれて住み、兄弟・親類は日本国中に散らばっている。時おり血縁を確かめ合うためには、移動しなければならない。  しかし、移動時間増大の進行は、もはや限界に近いのではないか。図4のグラフはどこかで横這いになるのではないかと考えられる。この点からしても、筆者は広帯域ビデオ電話は必ず普及すると考えている。人と人の間の直接面談に近い通信手段が、近い将来どうしても必要になり、そのような手段が提供されれば、人々はかなりの料金を払ってもそれを利用するだろう。  以上述べたことをまとめ、時間の制約から考えた相互アクセス型コミュニケーション手段の比重の変化が図7に示されている。 2.新メディアへの適応  新しいメディア、特に新しい通信メディア・情報手段の導入には、常に心理的・生理的抵抗がつきまとう注26)。明治年間に初めて電話が導入されたとき、電話線上を「魔性」が走って音声を運んでいると考え、その下を通るとき魔除けのために扇をかざしたという話がある。ただし電話については、その普及に100年近くの長い期間を要したので、普及率が100人に2台に達した戦前までに、電話に対する偏見や抵抗感はすべて払拭された。  これに対し、10年ほど前にファクシミリ端末が普及しはじめたとき、ある国立大学経済学部への設置を提案した若手助教授が、先輩教授に「君はファクシミリを使うほど原稿を書けるのかね?」と冷笑されたそうである。当初ファクシミリは、原稿執筆に追われる流行作家が、締切まぎわの原稿送りに使っているとしてマスコミに紹介されたからである。留守録機能付の電話は最近になって急速に普及したが、中年以上の方で、はじめて他人の電話にメッセージを録音する際に心理的な抵抗感を持たなかった方は少ないのではないか。多くの年輩の読者が、パソコン批判側から転向して、少なくともそのワープロ機能を利用することに決めた記憶を持っておられるのではないだろうか。  また経済学研究におけるコンピュータの使用は、現在は全く普通のことになっている。しかし当初は、「本来頭脳を使うべき学術研究分野の創造的な仕事において、機械の特殊な能力を使って成果を上げることを試みる、アンフェアなやり方、自己の創造力に自信がない研究者の逃げ道」という批判があった。  交通分野での新メディアへの移行は、われわれにとって「時間」という資源の希少性・重要性が、メディア・スイッチングの障害を短期間のうちに乗り越えさせてしまうことを示している。  東海道新幹線の開通時のことを記憶している年配の読者もおられると思うが、新幹線の建設は、当初マスコミによって疑問を持って見られていた。時速何百キロもの高速鉄道を作って、事故が起きたらどうするのか、危険な新幹線に高い料金を払って乗る人が果たしているのかというような懐疑的意見が多かった。1994年は新幹線の30周年だったが、発足以来重大な事故が1件も起きなかったのは素晴らしい記録である。阪神大震災の時刻が、新幹線一番列車の発車直前であったのは、不幸中の幸いであった。  新幹線の料金は、最初スタートのときから在来線の2倍程度であったと記憶する。新幹線が最初に通ったときは、羽田空港の新ターミナルや関西空港ができたときと同じで、乗客が集まり列車は満員になった。初期混雑が終わった後しばらくの間は、空席が多かった。しかし3ヵ月、半年と経つうちに乗客数は少しづつだが着実に増加し、2倍の運賃を払っても新幹線を使う人が多くなってきた。時間節約の価値が認められたのだと思う。東京・大阪間を在来線で8時間かけて行くのに比べ、(当時のように)4時間で行けるならば、2倍の料金は払う用意があったということである。やがて新幹線を使うことが常識化し、公用出張費の計算にも入るようになった。会社持ちの出張だけでなく、私用旅行でも、東京・大阪間をわざわざ在来線で行く人は100人に1人もいない状態になり、現在に到っている注27)。  新幹線や航空機による移動は、現時点で「人間のシナジー効果」を部分的に実現している。それは、もし新幹線や航空機が利用できなくなって、30年前の在来線だけで移動しなければならないとしたら、現在の社会はどうなるかを考えることによって知ることができる。現在のアナログ電話についても同じである。  さて上記の諸例から、広帯域ビデオ電話が現在あまり注目されず、マルチメディアの話題になっていないことも理解できる。その開発には、専門家や関連企業もあまり熱心でない。われわれは、個人生活に密着する新しいメディアに対して本来的に「保守的な」性向を持っており、当初は抵抗感・警戒感をもって臨むのではないだろうか。多くの人が、「人間的なコミュニケーションのためには、直接に会って話し合うことが必要であり、これをディスプレー上の映像で置き換えられるものではない」と漠然と考えているのではないだろうか。「ビデオ電話は、我が家のプライバシーに容赦なく踏み込んでくる。とても受け入れる気にならない。」と答える人が多い。しかし、上記の諸例や過去の経験から類推・予測すれば、将来の広帯域ビデオ電話には、移動の代替という点だけから考えても巨大な潜在需要がある。まちがいなくそれは将来多くの人々によって使われるに違いない。一旦ビデオ電話サービスが利用できるようになったら、必需品中の必需品になると考えられる。 V.広帯域網インフラの建設  経済の話には、需要と供給の二面、すなわち物を買う側と、作って売る側とがある。上記III節では、21世紀の日本経済の発展のために、広帯域ビデオ電話が果たすと予想される役割について述べた。またIV節では、広帯域通信の、とりわけ広帯域ビデオ電話の需要について考えた。われわれはどの程度時間不足の状態になっているか、移動のためににどれだけ支出しているかを述べた。そして広帯域通信への需要は、物理的な移動を置き換える分だけでも十分にあることを主張した。本節では、広帯域通信サービスの供給側の問題を考える。 A.建設投資と事業収支  まず、広帯域通信網を作るための投資資金がどの程度必要かが問題である。ファイバー・ツー・ザ・ホーム(FTTH)と呼ばれるが、全国のすべての家庭まで光ファイバーなどの広帯域アクセス手段を敷設し、広帯域通信サービスを提供するためには、インフラ部分(「ビデオ電話機」などの端末機器や端末機器用ソフトウェアを除いた回線や交換機の部分)で、20年間に累計45〜54兆円(1990年価格)ぐらいの費用がかかると予測されている注28)。もっとも、これらの推計は、どちらかといえば「安全側」の数字、つまり多い目に見積もられた建設費用である。技術進歩や大量生産効果によってこの費用が節約される可能性は充分にある。  この建設費45兆円を日本の人口1億2500万人で割ると、1人あたりで36万円弱になる。赤ちゃんも老人も入れた1人あたりの負担がたとえば20年間に36万円ということである。4人世帯では144万円になる。これを一度に支出するのは重い負担だが、1年間では7.2万円、月あたりでは平均6千円の広帯域通信費負担になる。これは、現在の電話代支出の2〜3倍を、(電話を含む)広帯域通信費として支出することを意味する。  広帯域網を日本で建設するとすれば、どの事業者がこれを担当するかの問題がある。政府が自ら公共事業として担当する、NTTが担当する、NCCが担当する、別に会社ができて担当する、これらの一部あるいは全部が担当するなどいろいろな可能性がある。1995年までこの点がまだ何も決っていないので広帯域網の建設は遅れている注29)。  仮にこの問題が解決し、建設にあたる事業者(複数も)が決まると、次に建設事業の収支見込みが問題になる。民間で建設する場合には、黒字の見込みがつかなければ誰も手をつけない。政府が建設する場合は、赤字部分をどのように補填するかの計画が必要となる。つまり、広帯域網建設のためにどの程度の投資をおこなう必要があり、そこからどの程度の収益が得られるかについて、大体の見込みをつけ、資金調達方法を具体化する必要がある。次章で詳しい予測計算を示すが、以下ではその大要を述べることにしよう注30)。 1.普及率と料金  まず、広帯域網への加入について、何年後に何%の普及率になるかを想定する。話を具体化するため、1996年から建設を始め、20年後に75%、30年後には99%の普及率に達する(全加入者の99%が広帯域網に加入する)ものと想定する。  3章図1のグラフの左端は現在の電話加入者数を示し、6000万近くになっている。わが国の人口は1億2500万人だから、2人に1加入に近いところである。人口は少しずつ増えるから、この加入率が持続すると全体の加入者数も少しずつ増えて、30年後には7000万近くになる。これだけの加入者が、時間の推移とともに、現在の(狭帯域)電話サービスから新しい広帯域通信に移ると考えるのである。  ここで広帯域通信サービスとしては、2種類を区別している。中間のグラフの灰色の部分は、ケーブルテレビと狭帯域ディジタル電話のサービス(NVサービス、本章第I節表1の第1段階と第2段階の一部)の加入者である。それから黒い部分が広帯域通信のフル・サービス(Hサービス、同第2段階の一部と第3段階)加入者で、広帯域ビデオ電話、直接面談に近い臨場感を持つコミュニケーション・サービスを利用できる注31)。2025年、つまりスタートから30年後に、加入者全体の75%がHサービスに移行すると考えている。その時点では、NVサービスの加入者が25%近く残り、現在の狭帯域電話だけの加入者は1%弱になる。だいたいこの程度の普及速度を想定する。  広帯域網を上記のように建設すれば、事業者の収支はどの程度になるか。将来のことだから不確定要素が多いが、一応の予測結果を示す。まず、料金について、NVサービスは現在の電話代の1.5倍程度に設定する。それからH−サービスは、現在の電話代の3倍とする。NVサービスは普通の音声電話サービス(ただしディジタル)を含むので、電話料の0.5倍がケーブルテレビ加入料にあたる。すなわち、ケーブルテレビ・プラスアルファのサービス(テレビ番組料金は除く)を、現在の電話代の半額程度で提供することになる。これは、現在のケーブルテレビの加入料と同額か少し安いぐらいである。それから、Hサービスは現在の電話の3倍の値段であり、ビデオ電話サービス(音声電話、ケーブルテレビなども含む)を提供する。次にこのサービスは、現在の電話と同じ程度の頻度で使用されると考える。例えば、現在電話を1日平均30分使っている加入者は、この時代にもやはり1日平均30分だけ広帯域ビデオ電話を使う(あるいは同額を他の広帯域サービスに支出する)とする。そうすると、加入者数の想定と併せて事業者収入が計算できる。 2.支出  次に事業者の支出は、インフラ建設投資の償却分や人件費・物件費である。建設費は、光ファイバー単価とその敷設費に加え、交換機単価が与えられると計算できる。ここで、ネットワークの建設が進むと、単価が下落する点に注意されたい。コンピュータや通信機器では、年間生産数が100万個程度以上であれば、10年間で単価が7分の1から20分の1に下がるという過去の統計がある注32)。広帯域網に使われる交換機やその他の半導体製品についても、生産増加にともなって単価が下がると期待できるので、広帯域網の普及とともに建設費が下がる。この要因も考えて、工事費すなわち建設に必要な投資額を計算する。 3.事業者収支  収入から工事費や人件費などを差し引いた結果が、事業者資金収支(3章図9)および累積資金収支(3章図10)に示されている。ここで説明を具体化するため、仮に広帯域網の建設をNTTが担当するものとしよう。3章図9のグラフは、NTTが現在の電話事業を広帯域網事業に置き換えてゆくとき、どれだけの投資資金を調達し、返済することになるかを示す。  建設期間の最初のところでは資金余剰が出ている。現在、NTTは多額の減価償却前利益を実現して、設備投資と過去の負債の返済に充てている。グラフで1996年以降数年間の資金収支がプラスに出ているのは、その分の資金余剰を示す。したがって、交換機のディジタル化が終わる1998年以降のNTTの資金収支は、実際でもおおむねこのグラフの通りになるはずである注33)。広帯域網普及の初期には、大部分の加入者は現在の電話を使っているから、そこで稼いだ資金余剰が出るのである。  次に建設が進むと広帯域網への加入者数が増加し、外部から投資資金を借り入れなければならない。この状態が数年間つづく。その後さらに広帯域網が普及すると、今度はその使用からの収入が増加し、借り入れた負債を返済することができる。もし、現在の電話網から生ずる資金収支と広帯域網の資金収支を別個に表示すれば、後者では最初から資金を借り、2010年過ぎた時期にはじめてこれを返済することになる。ここではNTTが広帯域網の建設を担当すると想定しているので、現在の電話網の資金収支と広帯域網の資金収支を併せて表示している。  3章図9は、NTTが広帯域網を建設する場合に、全体として年間5,000億円程度の資金が21世紀初頭の約10年間にわたって必要となることを示している。広帯域網だけについて計算すれば、建設当初から年間数千億円の資金を借りなければならない注34)。  3章図10は、電話網・広帯域網を合わせた累積資金収支を示す。当初は電話網からの収入でプラスの資金残高となり、次いで広帯域網投資のために負債残高が増加する。これを広帯域網の収入から返済し、30年経過した2025年に1兆円程度の債務が残る。累積40〜50兆円の投資で、30年後に未償還分が1兆円というのは、その時点の事業者資産価値のごく一部であり、超健全な財務状態と言うことができる注35)。 B.建設計画と政策問題 1.電話網インフラ建設との比較  現在の電話網の建設は、広帯域網の建設と同じく長期のプロジェクトであった。電話網は戦後40〜50年かけて建設されたが、その過程で、将来の広帯域網インフラ建設において生ずる問題と類似の問題が生じていた。つまり現在のわが国が広帯域通信システムに対して置かれている状況は、1950年代のわが国が現在の電話システムについて置かれていた状況と類似する点がある。本節では電話網建設について概観し、わが国が過去においてインフラ建設に伴う問題をどのように解決したかを明らかにする。電話網建設に関するより詳しい説明については、本書4〜6章を参照されたい。  日本電信電話公社(以下「電電公社」あるいは単に「公社」と略称)は、1952年8月1日に当時の電気通信省を移管して設立され、1985年4月1日に民営化されて現在のNTT(日本電信電話株式会社)になった。この間、公社は国内電気通信サービスを独占的に供給する事業者であった。公社が発足した当時の電話加入率(人口1人あたりの加入者数)は2%程度であった。わが国電気通信インフラ建設は1960−70年代に急速に進み、公社発足三十余年後の1984年度末の加入率は、先進国並の36%に達した。わが国における電気通信インフラの建設は、世界の先進諸国の中でも成功例に属する。  1950年代においては、電話は貴重品と考えられていた。個人で電話を引けるのは、高額の加入料・使用料を支払うことができる裕福な家庭に限られていた。また個人の場合、加入申し込み後、長いときは数年間待ってはじめて電話を引くことができる状態であった。他方、電話はすでにビジネスの必需品であったので、オフィスを開設した会社は、相当の代価を支払っても電話を引く必要があった。国民一般にとって、電話は便利ではあるが高価な手段とされており、電話網整備の強い要望が公社に寄せられていた。1950年代から70年代初期にかけて、公社は「すぐ付く電話」をモットーにして電気通信インフラの建設を成功させ、次いで「すぐかかる電話」をもう一つの目標にして電話網の全国自動ダイヤル化を実現した。  本書4章の図1は、公社の電話加入数と積滞数(電話加入を申し込んでいるが、まだ架設されていなかったもの、すなわち「超過需要」)のグラフである。電話加入数は一貫して増大したが、1970年代末までは積滞(超過需要)が存在していた。1960年代の高度成長期には、積滞が数百万の規模に上ったこともある。実際にはビジネス需要が優先されることが多く、積滞の大部分は後回しにされた個人ユーザの需要であった。わが国電気通信インフラ建設の特色は、第1に長期にわたる積滞であり、その背景として電話の公定価格は経済的な均衡価格よりも低いレベルに設定されていたことが指摘できる。その結果、電話加入権の売買市場が生まれ、公定価格を上まわる市場価格が形成された注36)。  当時、電話ネットワークの建設を加速させるために、「加入者債券」の制度が工夫されていた。すなわち1982年以前のわが国では、新たに電話を引くと、初期負担金とは別に「電信電話債券(あるいは割引電信電話債券)」を相当の金額分(1959年まで6万円、以後1982年まで15万円)だけ購入することが義務づけられていた。新規加入者の多くは、債券を購入した後直ちに転売した。初期負担金に加え、債券売買の価格差が加入時の実質的負担であった。  電話網加入料の公定価格が市場価格よりも低く設定されたことは、新規加入者が加入者債券を引き受け、これを債券市場に転売するために必要な条件を作り出した。その結果、公社は、(当時稀少であった)国民資金プールから、電話網インフラ建設に必要な資金を大量に導入することができた。1950−60年代において、わが国経済の投資資金のかなりの部分が電気通信産業に集中した(4章図8)。多い時期で、日本経済全体の投資の3〜4%が電話ネットワークに投資されていた。電気通信産業が日本の経済全体に占める比重は、売上額でも付加価値でも1〜1.5%程度である。3〜4%の投資比率は、相当の資金モービライゼーションであった。  次に4章図5A、5B、6A、6Bは、公社資金の源泉と使途を示している。図5A、5Bで見ると、加入者債券による資金調達は、(減価償却引当金を別にすれば)1959年ごろから原資の最大項目であったことがわかる。1970年半ば以後は公社の収益力が増大し、減価償却と事業利益が原資の主要項目となった。図6A、6Bは資金使途を示し、設備投資と発行債券の償還(利子支払いを含まない)から成る。加入者債券発行による資金調達が原資の最大項目であった1960年代には、その大部分が設備投資にまわされていた。債券の償還が資金使途の重要な部分を占めるのは、1970年代に入ってからであり、債券償還額は1975年以降増大した。他方、設備投資は、1977年以後、年額平均1.5兆円のレベルで推移している。  電電公社の電話加入者は、1960〜70年代に500万から4000万まで増加した(4章図1)。この期間が、電話網インフラの建設の加速期であった。図8は、インフラ建設のための借入が続いたため、公社の固定負債比率がこの期間に上昇して70%を超えたこと、また1970年代後半から1990年代まで、借り入れた固定負債の返済が続き同比率が低下したことを示す。  上記をまとめると、電電公社は、積滞と加入者債券、債務の政府保証という手段によって国内の乏しい資金を電気通信産業に導入し、電話網インフラの急速な建設に成功し、1970年代末までに先進国並みの電話網を国民にもたらした。建設スピードを上げたことにより、ネットワークの「臨界点(クリティカル・ポイント)」の峠を比較的早期に超え、ネットワーク外部性(規模・範囲の経済やユーザ外部性)を享受することができた。すなわち、臨界点に到達するまでの「苦しい期間(収支相償わない期間)」を短縮した。1980年代以降は、ネットワーク外部性をフルに利用して収益を上げ、従前の負債を順次返済することに成功してきたのである。 2.建設資金について  広帯域通信インフラ建設のための資金源については、いくつかの考え方がある。まず、光ファイバー建設のためには、現在の電話代以上の支出は必要ないとする意見がある。現在の電話代には、電話回線、とりわけユーザ宅への引込線(銅線)の減価償却費が入っているから、耐用年数が来た銅線を少しずつ光ファイバーに置き換えてゆけば、広帯域ネットワークの光ファイバー部分の建設ができるとする考え方である。  上記に加えて、現在のNTTには巨額の資金余剰があり、現在(1995年)はこれを、旧型アナログ交換機のディジタル交換機への置き換えに使っている(1993年度で約6000億円)。この置き換えは1997年までに終わる予定なので、その後この部分の資金を広帯域網用に振り向ければ、必要投資額の半分程度はすでに足りている勘定になる。あとの半分を、広帯域網への加入料・使用料でまかなえばよい、とする考え方もある。  しかし、これらの考え方にはいくつかの問題点がある。最も重大な点は、それが「逆ユニバーサル・サービス(大衆課税)」的な効果を生ずる点にある。現在の電話網は、すでに建設を終わって「収穫期」に入っているために、また技術進歩によって交換機や(長距離)回線のコストが低落したために、年々多額の余剰を稼ぎ出す状態にある。現在は、その余剰を交換機ディジタル化のため、つまり遅れた地域へのサービス向上の投資に振り向けている注37)。しかし、これを広帯域網に振り向ければ、それは広帯域網に最初に加入する大企業や高額所得者への実質上の補助金になってしまう。広帯域網の建設初期には、建設コストの何分の1という低価格でサービスを提供しなければならず(コストに見合う価格を付けたら誰も加入しない)、そのための費用は投資資金でまかなう他はないからである。このような方策にユーザは同意しないので、短期間内はともかく、何年も続けて実行することは不可能であろう。  次にこの計画では、広帯域網の建設に時間がかかりすぎるのが難点である。第1に、広帯域網の臨界点への到達時期が遅れ、建設プロジェクト全体の収支を悪化させる。また、耐用年数に達した回線から光ファイバーに置き換えてゆく方法では、10〜15年程度で日本全国に普及させるのは無理で、20〜30年かかることになる。それでは建設が遅れすぎるのである。諸外国とくに米国との差が大きくなりすぎ、また高齢化社会の到来にも間に合わない。さらに、少しでも利益をあげることを目的として光ファイバーの敷設をおこなうと、東京や大阪をはじめとする大都市は早い時期に光化されるが、中小都市は大都市より10年以上も遅れることになり、格差の拡大、地方経済の相対的衰退、大都市の過密化の促進などの望ましくない効果を生ずる。  これらのことを考えると、広帯域通信システム・光ファイバーネットワークをたとえば2010年ごろまで全国に普及(たとえば全ユーザの75%に)させるには、現在の電話代支出に相当する負担だけでは無理なことがわかる。広帯域網の建設期間が終わるまでの期間、他の消費支出項目からテレコムに支出を回す必要がある。最も自然と考えられるのは、前節で述べたようにわれわれの物理的移動を減らして交通費・自動車費用を節約し、これを広帯域通信で置き換えることである。(本書では特に論じないが)環境・エネルギー資源の問題、道路・駐車スペース不足の問題もあり、また前節に述べたように時間「資源」の絶対的不足の問題もあるので、交通への支出比率のこれ以上の増加を抑え、そこに生じた余剰から(広帯域通信費の形で)光ファイバー建設に支出すれば、長期的に国民全体の利益を増進させることができる。なお、これは支出比率の問題であり、交通費支出金額の絶対的減少を必ずしも意味しないことに注意されたい注38)。  また、この方策は、課税や規制、その他の強制手段をもって直接に実現するべきことではない。広帯域網の建設は、消費者支出の自発的な変化、つまり国民一人一人の経済的選択の結果として実現されるべきことである。  広帯域インフラ建設のための実際の資金調達・供給方式は、(次節で述べる)建設事業体制に依存する。インフラ建設初期(たとえば10年程度の期間)における事業赤字・資金収支赤字が予測されるので、民間の営利事業としては成り立たず、何らかの公的政策が必要である。(前述のように、営利事業の範囲内で広帯域網を建設することも不可能ではないが、建設期間が極端に長くなる。注39))  建設のための資金自体は、(本章III.A節で述べたように)壮年後期のわが国で潤沢に供給されている。現在の状況は、むしろ収益性のある投資プロジェクトが不足しているので、資金供給に問題はない。  広帯域網インフラ建設の資金調達で問題になるのは、10年を超える長期あるいは超長期資金が必要とされる点にある。通常の民間資金は、10年程度までの償還期限を前提している。実際には、たとえば10年満期の社債を発行し、償還期限が来たらこれ借り換えることにより、長期資金を入手することはできる。しかし、民間金融ベースでは、借換を前提とする債券発行はリスクが高いと見做され、発行条件が悪くなる。  したがって、資金調達に関する公的支持を借換の保証、あるいは同じことであるが、長期償還期限の債務の保証に向ければよい。具体的には、広帯域インフラ建設を担当する事業者に、10年を超える長期債券の発行を認め、これを政府保証債とすればよい注40)。電話網インフラ建設の際には、電電公社が発行する加入者債券およびその他の公社債券に政府保証が付けられた。広帯域インフラ建設においても、基本的には同様の施策を取ればよいことになる。  広帯域インフラ建設資金の調達において、政府保証だけでなく、「加入者債券」方式を採用するべきか否かは問題となるところであろう。電話網建設の場合には、日本経済全体として資金不足の状態にあったので、資金調達の機会を少しでも増やすため、加入者債券方式が採用された。(加入者債券は、多数の少額債券であったため、事務処理費が高くついたとのことである。)現在そのような資金不足の状態は存在しないので、資金調達の機会を増やすために加入者債券方式をとる理由は無い。しかしながら、加入者債券(あるいは加入者株式)は、広帯域網への加入者が、自らの判断で広帯域網建設のリスクの一部を負担し、高水準の収益を入手する途を開く。「自分が使うサービスに自分で賭ける」のである。このような利点があるので、加入者債券・株式の採用は一考に値する。  広帯域網インフラ建設資金の調達を公的に支持するためのもう1つの方法は、「利子補給(無利子融資)」である。しかしこの方式は、以下の理由により、上記政府保証債方式よりも劣ると考えられる。まず第1に、広帯域網インフラ建設は、(次章で予測しているように)短期的には赤字であるが、長期的には十分以上の収益を上げることができる事業である。教育・研究や福祉事業と異なり、国民の税金によってはじめて実現できる事業ではない。公的支持として求められているのは、収入不足を補填するための補助金や利子補給ではなく、短期資金の「長期化」である。目的に手段が適合していない。  第2に、広帯域インフラ建設に適するのは、長期の視点からリスクと収益を考えて事業を計画・推進する能力を持つ事業者である。補助金や利子補給では、このような目的に適する事業や、それを実現できる人材を集めにくい。どちらかといえば、短期的な視点を持ち、(悪い言葉だが)「補助金目当の」事業計画や人材を吸引することになり、広帯域インフラ建設の目的に合致しない。  第3に、政府一般会計財源による補助金や利子補給は、わが国の財政制度の特質から単年度の計画となり、インフラ建設のような長期事業に適さない。また、一般会計支出の補助金が「無償贈与」の性格を持っているため、当然のことながら、実施金額が少額にとどまりがちであり、他にも実施上の制約が多い。長期的視点から実行するべき大規模なインフラ建設に適さないのである。  政府保証債発行のような広帯域インフラ建設のための公的支持について、常に問題になるのは、「もし事業が失敗したらどうするのか」であろう。本章III、IV節で述べた理由により、筆者は、広帯域網インフラ建設事業は成功する確率が極めて高いと考えるが、もちろん失敗の可能性がゼロであると言っているのではない。事業である以上、失敗の可能性は常に存在する。広帯域通信網インフラの建設、とりわけ高性能ビデオ電話サービス提供事業におけるあり得べき失敗の原因としては、(a)高性能ビデオ電話用機器の開発が思うように進まず、便利に使えない(たとえば移動電話サービスにおいて数年内に携帯電話端末が数分の1に小型化されたような技術進歩が実現できない)、(b)ビデオ電話サービスに対してユーザの拒否反応が強い(たとえば顔が写し出されることに抵抗を感ずる、プライバシーが侵されるので家庭に入らない、など)、(c)そもそも直接面談によって実現していた情報交換は、ビデオ電話では実現できない(たとえば、直接に面談して一杯汲み交わしながら話さないと意思が伝わらない――ただし現在までのテレビ会議の普及は、ビジネス面におけるビデオ電話の有用性を示しているように思われる)などであろう。  政府保証債によって調達した資金で建設した広帯域事業が失敗すれば、もちろん撤退時点までの損失は、国民一般の負担(租税からの支出)になる。その可能性は小さいがゼロではない。広帯域ビデオ電話の普及状態を見て、事業の成否が分かるのは、事業開始の数年後であろう。乱暴な計算だが、当初の実験システムを含め、成否が分かるまでインフラ建設に投入される資金は2〜3兆円程度までで、撤退時の損失額としては1兆数千億円程度までではないだろうか。最悪の場合の国民1人当たりの負担額が1万円、1世帯で数万円以内ということである。  広帯域通信網インフラ建設は、いわば国家規模の「ベンチャー・ビジネス」である。インフラ建設が成功すれば、本章II節に述べたように、国民は巨大な便益を5〜10年ぐらい早く受けることができる。その差は金額では表すこともできないほど大きいものだろう。21世紀の最初の10年間をとっただけでも、1世帯数万円の金額とは桁が違うであろう。高齢化社会の到来を考えると、その差はさらに大きくなる。他方、不幸にも失敗した場合の負担は、1人1万円程度である。これは資金が余りがちの状態にある現在のわれわれにとって、きわめて有利な投資機会ではないだろうか。 3.建設のための事業体制  以上述べたように、広帯域通信インフラの建設は、建設途中で巨額の資金を必要とするが、20〜30年経てば十分元がとれるプロジェクトである。これが5年とかせいぜい10年で元がとれるのであれば、通常の株式会社の経営原理、すなわち短期の収益を重視する方針の下で実現できる。しかし、20〜30年経ってはじめて借金が返せる、利益が上がるのはそれから先のことになるという長期プロジェクトは、株式会社の経営原理では実現できない。  現在のNTTも基本的には民間の株式会社だから、広帯域網の建設のような長期プロジェクトを支えることには困難が付きまとうだろう。もし、現在のNTTが株式会社組織のまま相当のスピードをもって広帯域網建設をおこなうと、最初10年間ぐらいは、同プロジェクトから年間数千億円の赤字が出ることになる。そうすると、NTTの株価が大幅に下落する。そのとき、NTTはインフラ建設の任務を負っているのだから短期的な赤字は当然であると説明しても、電話網からの収益と広帯域網からの損失をどのように評価するかをめぐって、株式市場は混乱し、国民も混乱するだろう。  他方、現在の日本で実際に広帯域網の建設ができるのは、技術的・経営的な実力からしてNTT以外には無いと考えられる。しかし、制度的には、株式会社としての現在のNTTでは無理が多いということになる。  この問題の解決策としては、例えば、NTTの中に特別会計を作って広帯域網建設のための経理を株式会社経理から切り離すとか、あるいは「NTT広帯域」という子会社を作って、そこに少しづつNTTの人材と技術を移し、上記のように最初の10年ぐらいは資金面で公的にサポートすることが考えられる注41)。  もしこの種の方策を採用せず、現在のNTTの経営原則内で広帯域網の建設を進めれば、スローテンポで30〜40年かかることになる。しかしそれでは、アメリカ・イギリスなど、既存のケーブル・テレビ網から広帯域網に切り替えて建設を進めればよい国と大差がつく。その結果、わが国の社会・経済の発展が、他先進諸国と比べて遅れることになってしまう。また、現在の潤沢な低利資金を活用できず、高齢化社会に入ってしまった後に高利率で資金を調達しなければならない。もちろん、高齢化社会の支持に必要な生産性増大も実現できない。  ここで再度強調したい点は、広帯域網の建設は、長期間をかけてようやく収支均衡するプロジェクトだということである。当初の赤字は大きいが、しかし、それを過ぎると大きな黒字を生むプロジェクトであり、その特質に応じた事業体制を必要とするということである。1990年代の前半に、わが国のテレコム関係の「知的パワー」がNTTの組織見直し問題に集中されたため、広帯域インフラ建設について、(1993年以降米国から有用なヒントを与えられたにもかかわらず)検討があまり進まなかったのは残念なことである。テレコム産業への競争環境の導入はもとより大切な目標である。しかし、広帯域インフラ建設も重要な問題であり、競争環境の問題とは若干異なる種類のアプローチを必要とする。NTTの組織見直しとの関係では、広帯域インフラ建設の「非競争的要因」がネットワークのアクセス部分(ユーザから加入局までの回線)にあるので、この部分の事業について「競争環境導入」とは異なる種類の考慮が必要であることを指摘しておきたい。 4.その他の政策問題  本節では、広帯域通信網インフラ建設について考慮するべき政策問題のうち、付加的な事項を述べる。第1はケーブルテレビ網建設との関係、第2は広帯域通信用機器の普及促進についてである。  わが国では、米国やヨーロッパ諸国に比較して、ケーブルテレビ網の普及が大幅に遅れたが、最近になってようやく建設が加速されつつある。従来の一般テレビ放送に加え、新たな放送事業者が参入し、海外からの衛星放送も加わり、また「通信衛星」による放送や、ディジタル衛星放送も可能になって、わが国にも「多チャンネル時代」が訪れはじめ、ケーブルテレビの事業機会が増えている。また、ケーブルテレビ事業者は、電話アクセス、あるいはコンピュータ・ネットワーク(インターネットなど)のアクセスのための競争事業者として参入する可能性がある。  このようなケーブルテレビ網の発展は、わが国の「情報化」のために歓迎するべきことである。ここでの問題は、そのインフラとして、旧来の「同軸ケーブル」が使われている点である。幹線部分は光ファイバーに依っていても、各加入者へのアクセス部分には同軸ケーブルが使われている。これは事業者の観点からは当然であって、ケーブルテレビ・サービス(および付帯する電話やコンピュータ・ネットワーク・アクセス)に関するかぎり、アクセス部分が光ファイバーである必要はなく、同軸ケーブルで十分だからである。現時点では、光ファイバーによるケーブルテレビは、同軸ケーブルに比較してコストが大幅に高い。  他方、広帯域網インフラ建設において最も費用がかかるのは、ネットワーク末端のユーザ・アクセス部分、すなわち光ファイバーの「最後の1〜2q(ユーザへの引き込み線)」である。この部分の設置では、物理的な回線コストより工事費がはるかに高いので、同軸ケーブルを使っても光ファイバーを使っても回線自体の費用には大差はない。光ファイバー末端に付せられるONU(光ファイバーで送られた信号を電気信号に変換する装置、第3章参照)のコストだけ余分にかかるのである。(1995年時点で数十万円程度。しかし、技術進歩と大量生産で将来の価格低下が見込まれている。)  広帯域通信インフラ建設という長期目的を考えれば、現在の時点で無理をしてもケーブルテレビ用に光ファイバーを設置し、何らかの方策でONUを導入して、当面はケーブルテレビ受信用に使い、後にこれを広帯域通信用に転用することが望ましい。これによって、ONUの大量生産と技術改良の道を開き、その価格下落を導く一助にもなる。同軸ケーブルを大規模に敷設した後に、さらにそれに加えて(あるいはその代わりに)光ファイバーを敷設することは、二重投資に近い無駄である。  したがって、ケーブルテレビ用の光ファイバー敷設を現段階で可能にするための公的施策が望まれる。そのための具体策としては、たとえば「ケーブルテレビ用光ファイバー設置促進基金」を設立し、債券を発行(政府保証債にする)して資金を調達する。この資金で、ケーブルテレビ用に光ファイバーを設置する際に余分にかかる費用(主としてONUの費用)を加入者あるいは事業者に対して全額補助する。数年後に、ケーブルテレビ用光ファイバーを本格的な広帯域通信用に使う(ケーブルテレビだけでなく、広帯域通信サービスの加入者になる)際に、補助金分を回収するのである。そのために必要な利子費用やその他の費用は、広帯域網建設がある程度進行した後に、広帯域網サービスへの課税によって回収する。したがって、基金は長期的には収支均衡し、国民の税金からの補助は必要ない。この種の措置によって同軸ケーブルと光ファイバーの『二重投資』を避け、国民全体として利益を得ることができる。  次に、上記のケーブルテレビ用の光ファイバーほど緊急ではないが、広帯域網インフラ建設促進のために、建設初期の補助金と、建設後の成熟期の課税を組み合わせた「広帯域通信網建設促進基金」のような政策措置が望まれる。すでに何度も述べたように、広帯域網インフラの建設は、最初の数年間が困難である。建設費は高く、加入者は少なく、広帯域通信用の機器・端末の価格も高い。建設が進行するに伴い、建設費が低下し、(ユーザ外部性によって)ユーザの使用度も増大して事業者の収入が増加し、また端末機器の価格も(大量生産によって)低下する。(同様の事実は、情報機器のように大量生産の利益が大きい生産物・サービスのすべてについて成立する。携帯電話端末やハイビジョン・テレビの価格の低下傾向を想起されたい。)困難な時期をなるべく短縮することが有利である。  上記を考え、広帯域網建設を加速するために、同網普及の初期に加入者・事業者に補助金を支出し、広帯域ネットワークが普及して事業者収入が増加し、端末価格が低下した後に、課税措置によって補助金を回収する方策の実行が望まれる。前述の基金と同じく、政府保証債によって資金を調達し、普及初期にたとえば機器・端末価格の2分の1を補助金として支払う。補助金の率は広帯域網普及とともに少しずつ下げ、ある時点から、逆に物品税を徴収して基金の収入とする。補助金から租税へスイッチする時点や、補助金率・税率の設定は検討を要するが、広帯域網発足後、たとえば20年間で物品税徴収を終わり、発行債券をすべて償還して基金を終了させるのである。基金自体の収入は、ネットワーク普及後の課税ベースが拡大することから広く薄い税収が期待できるので、(広帯域網建設自体が失敗しないかぎり)問題はない。  上記の政策は、いずれもインフラ建設初期の加入者・事業者の負担を減らし、広帯域網が十分普及した後に加入してその恩恵を受ける加入者に、(ネットワーク立ち上げに要した)初期費用の一部の負担を求めるものであり、インフラ建設加速によって臨界点への到達時を早め、国民に利益をもたらすのである。 5.広帯域網建設の負担  本章の最後に、国民経済の観点から見た広帯域網建設の負担の大きさについて説明しておこう。  表4は、過去の電話網建設と、広帯域通信インフラ建設とを比べたものである。まず電話は双方向音声のサービスである。広帯域通信は、NVサービスは一方向だけの映像伝送だが、長期的には双方向に映像を送ることができるHサービスが普及する。建設期間については、比較のため、電話網は1956年から1980年まで、広帯域網は1996年から2020年まで、同じ25年間にセットしてある。建設資金は、広帯域インフラについて45兆円としている(第3章参照)。他方、電話網建設に投資した資金を1990年価格で合計すると、31兆円ぐらいになる。名目金額はこれより低いが、石油ショック時などにインフレが進んだので、インフレ率で調整するとこれだけの金額になる。  これが日本経済全体にとってどの程度の負担になっていたか、あるいは将来なるであろうかを見て頂こう。電話網の累積投資31兆円は、建設当初の1956年のGDP(1990年価格、以下同じ)、すなわちわれわれの給料等の1年分の合計と同じ程度の金額になる。電話網の建設が終った1980年のGDPと比較すると、日本経済は25年間で成長したから、累積投資額はその12%ぐらいに当たる。すなわち、もし1980年になって25年分の電話網建設費を全部一度に負担したとすると、すべての日本人の1年分の所得の12%ぐらいになったはずである。もちろん実際には、1年間でなく、25年間に分け、電話代として支出された。1年あたりの支出額は、100%と12%の平均の25分の1だから、所得の2%強程度になる。  上記と同じことを広帯域網で考えると、必要累積投資額45兆円は、1990年のGDPの1割程度になる。電話網の累積投資額は、建設開始時の所得の100%であったが、広帯域網では1割強にしかならないのである。次に、GDPが1996年から年2%の率で成長したとすると、45兆円は建設が終る2020年のGDPの6%強になる。これは、電話網の負担比率12%の半分である。これらから明らかなように、広帯域通信網を作るための負担は、40年前の電話網建設の負担に比べて格段に軽い。GDPとの比較では、電話網建設の数分の1の負担にすぎない。  電話網への投資額を国全体の投資額と比較すると、建設初期においては国全体の4%ぐらいであった。現在ではテレコム投資は年2兆円程度で、国全体の投資(国内総固定資本形成)140兆円の1.4%程度にすぎない。広帯域網を建設するためには、テレコム投資を現在の1.4%から、2.0%〜2.5%程度にまで増加させる必要がある。  また、電話網建設時の資金借入利子率は非常に高かった。住宅ローンや消費者ローンには全く資金が回らず、資金はすべて産業投資に向けられていた。名目利子率は低く抑えられていたが、それでも年8.5%〜9.5%の高水準であった。ご承知のように、現在は低金利時代で、年5.5%程度で資金が借りられる。これは、関西空港建設のために同空港会社が民間から借りている資金の利子率である。8.5%〜9.5%と5.5%の差は大きく、事業者の金利負担が格段に違ってくる。  電話網建設時の日本経済は資金不足の状態にあり、国際収支は赤字基調であった。現在の日本経済はその反対で、資金は余っており、国際収支は黒字基調である。  上記を考えると、広帯域通信網の建設は、日本経済全体の観点からなるべく早く進めるべきであるとの結論になる。広帯域網プロジェクトは、日本経済にとって最良の投資先の1つである。それは、直接的には、日本人の時間の使い方をより効率化して、国全体の生産性を上げ、日本人の将来の生活を支える。長期的には、「人間のシナジー効果」を実現して、われわれの社会を高度化する。  上記をまとめると、広帯域網インフラの建設の負担は、かつての電話網建設の負担よりもはるかに軽く、その数分の1にすぎない。建設促進の条件は整っていると言うことができる。高齢化社会が到来するまでの資金潤沢なうちに、同網建設が促進されることを望みたい。 参考文献 会津泉『進化するネットワーク』NTT出版、1994年。 伊東光晴・西村康雄「国鉄からJR:分割民営化とは何だったのか」『経済セミナー』1996年1月号(No.492)、pp.6-15。 伊藤成康・今川拓郎「わが国における電気通信産業の生産性分析」『郵政研究レビュー』第4号(「特集 電気通信サービスの需給分析」)、1993年、pp.2-21。 猪瀬博『デジタル時代――情報技術と文明』(NHK人間大学、1994年7月〜9月期)。 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NOTE: 注1)これらの意味の詳細や応用の可能性、諸外国の現状などについては多くの書物・論文が刊行されているが、たとえばギルダー(1993)、公文(1994)、電気通信審議会(1994)、日経産業新聞(1993)、日経BP社(1994)、郵政国際協会電気通信政策総合研究所(1993)、Information Infrastructure Task Force (1994)などを参照されたい。 注2)なお、広帯域通信のATM技術を使うと、将来的に通信と放送は技術的に一体化してしまう。そこでは、放送とは、広帯域通信ネットワーク上で、映像を不特定多数の受け手に流すこと(一斉同報)である。放送の視聴とは、同ネットワーク上でATM交換機を通して発信情報を受け取ることである。放送のための電波は不必要になる。電波を使う放送も可能だが、広帯域網を使えば、固定位置にある受け手に電波を使うことなく放送ができるので、社会的に有利である。電波はより有用な目的、例えば移動通信やパーソナル無線に振り向けることができる。しかしもちろん、そのためには制度改革が必要となる。 注3)インターネットの現状、意義等については、たとえばKrol著・村井訳(1994)、会津(1994)などを参照。本文で述べたように、インターネットの特色は、大変安上がりなことである。数年前まで、アメリカと日本を結ぶインターネットの回線容量は、500Kb/s程度で済んでいた。単一企業の専用線の容量で、日本とアメリカの間のすべてのインターネット情報を伝送していた。当時の日本では、数千人程度のインターネット使用者がいた。アメリカでは、数十万人であった。両者が1メガ未満の回線で結ばれていたのである。実際には、その上で四六時中データが流れ続けていた。もちろん現在は、回線容量が大幅に増大した。しかしそれでも、回線はフルに使われている。回線に空きができた瞬間に、送信待ちの電子メールやファイルなどのうち短いものが送られる。画像・映像などの長大ファイルは、伝送の優先度が低いので待たされる。いずれにしろ、回線は一刻の休みもなく使用されている。何千人もの共用だから、1人あたりでは大変安上がりになる。実際、大学でのインターネット使用費は全部大学当局が負担しており、個々のユーザにとっては無料である。これは大学全体で年間数十万円程度の支出で済むからである。これが何百万円も何千万円にもなったら事情は異なってくるだろう。  将来は、この形の情報交換に広帯域回線が少しづつ採用され、多量の情報でもほぼ即時的に安く送れるようになるだろう。まずインターネットのような設備共用から始まり、しだいに現在の電話加入者線のように、大部分の時間は空いており、使いたいときだけ使うという形に発展すると考えられる。 注4)最近首都圏の「東急ケーブルテレビ」は、インターネット・アクセス(コンピュータ通信アクセス)用としても使えるケーブルテレビ網を実験的に敷設することにしたとのことである(日本経済新聞、1996年1月3日)。 注5)映像通信を必要としないリモート・サービス(たとえば簡単なショッピングと代価の支払、バンキング)は、すでにインターネット上で供給されはじめている。 注6)わが国では関西の京阪奈研究都市で、新世代通信網実験協議会(BBCC)が1994年から実験をスタートさせた(たとえば、新世代通信網実験協議会(1995)参照)。また、NTTは同年に「マルチメディア通信の共同利用実験」を開始した(たとえば、田辺・渡辺(1994)参照)。 注7)そのための基礎技術は開発ずみであり、ITU-Tによって標準化も進められている。 注8)ビデオ電話の失敗例については、Noll (1992) を参照。また、最近の実験例(成功例を含む)については、Kraut and Fish (1995) を参照。ただし後者で取り扱われているのは、PCやワークステーションのディスプレー上で実現する専門家の共同作業向きの(低精度)ビデオ電話システムであり、本文で述べている広帯域通信の第3段階のビデオ電話に相当するものではない。 注9)しかし、そのような研究成果の試作品は、まだほとんど見たことがない。この種の研究は本質的に難しいのか、人間の顔を対象にするのが気恥ずかしいのか、費用がかかりすぎるなど理由があるのかもしれないが、あまり研究が進んでいないようで残念である。 注10)電話ネットワーク上のセンター・アクセス型サービスの比重が低いことには、いくつかの理由が考えられる。その一つは、可能なセンター・アクセスの数が、可能な相互アクセスの数よりはるかに小さいことがある。例えば、10センターと1000ユーザについて考えると、可能なセンター・アクセス数は10×1000=1万であるのに、相互アクセス数は1000×1000/2=50万で、50倍になっている。前者はユーザ数に比例するが、後者はその2乗ペースで増えるのである。広帯域網への需要源として、この点の差は大きいのではないだろうか。 注11)本文に述べた理由で、講演やシンポジウムの際にステージだけを明るく照らし、客席を真暗にするのは、一見注意を話し手だけに集中させるように見えて、「広義の情報交換」のチャンスを逃すことになるので、望ましくない。これは話し手にとっても聞き手にとっても同じである。  ちなみに、最近大学の講義の際に学生の私語が多く、講義がやりにくいとの話をしばしば聴く。教師側の評価は「最近の学生は生意気になって、真面目に講義を聴こうとしないので、やりきれない。」というのが多数であり、私語の多い教室の責任はすべて学生側、あるいは高校までの教育の仕方にあるという意見が多い。あるいはそのとおりかも知れない。しかし、筆者は「最近の教室が騒がしくなってきた原因は、大学教育の内容が学生側の変化についてゆけず、古臭くなったことの反映ではないのか。教室での学生の行動は、講義の出来、不出来の鏡ではないのか。」とのおそれを捨て去ることができない。筆者の限られた経験でも、「面白そうな」講義をしたときと、前年までの決まりきった話を通り一遍にしゃべった場合とでは、学生の私語に差があるように思われる。 注12)もとより、人間同士の対話は、本文で述べたような「真面目な」目的や実利的な目的のためだけにおこなわれるものではない。多くの人が気分発散の手段としている「気の合った者同士のお喋り」も対話である。自由に連想を発展させ、相手の話に応じて「無責任に」対応できる楽しみは、人間に本来的なものである。米国では、この目的のために電話が多用されている。その1つの理由は、わが国と異なり、「ローカル通話」が月額一定のフラット料金になっているからである。最近になって、わが国でも若い世代では、「通話料金負担という心理的圧力が小さいこともあって」長時間の電話対話を楽しむ若者が増えている。 注13)パソコン通信やインターネット上の電子メール(E-mail)は、両者の中間的な情報伝達手段である。電子メールが個人間でやりとりされる場合は、人間同士の直接の情報交換に近い。他方、同一の電子メールが、同報通信などの手段によって多数の受け手に伝達される場合には、「メディア経由」の情報伝達の性格を帯びる。電子メールによる情報伝達でも、しばしば記号を使って人間の表情(たとえば笑顔を :-) で示す)を通信文に入れ込むことがおこなわれる。これは直接の情報交換における「表情」の重要さを示している。 注14)つまり、日本人が全体として、アメリカ国という「銀行」に資金を「預け」、われわれの老後に、つまり日本が高齢化社会に達したときに、「預けた」資金をアメリカ国「銀行」から「返済」してもらうことを期待していることになる。この「預金」は、紙幣でなく、輸出財、つまり自動車や電気製品を運ぶことによってなされている。これが貿易収支の黒字である。 注15)最近では、輸出代金のドルが余って外貨が安いので、日本人はアメリカで土地や建物を買い、映画や美術品を買い漁っているが、何かと失敗が多いようである。また、国内で余った資金を国際旅行やブランド品消費に支出しているが、夏の季節に遊び浮かれるキリギリスのようなものではないだろうか。アメリカの国債や証券を買っても、将来のドル減価のリスクから逃れられない。  貿易収支黒字から生ずる国際摩擦について、われわれはアメリカが日本叩きをしていると考えがちだが、むしろ日本人への忠告と考えるべきであろう。「日本人はしっかりしてほしい。あなたがたは今は働き盛りだが、やがて年寄りになる。働き盛りのうちに自ら工夫し、将来に供えるのが賢明ではないのか。せっかくの貯蓄を日本国内で活用できずに余らせてしまい、これをアメリカに持ち込むのは、日本人にとっても不利である。慣れない国でのビジネスには失敗が多いだろうし、第一将来のドル価値が保証されるとは限らない。それよりも自分たちの老後のために、資金は日本の国内で活用しなさい。公共投資を増加させ、規制緩和を進めてビジネス機会を作り出し、あなたがた自身の将来のために資金を有効に使い、老後に備えなさい」と言っているのである。 注16)高齢化社会をどのように支えるかについては、「年金」の負担や受給をめぐって、年金財政収支の観点から議論されることが多い。しかし年金の議論は、世代間の所得分配(すなわちパイの分け方)にかかわるものであり、高齢者を支えるための生産物・サービスの実物面(パイ自体の大きさ)には直接には関係しない。たとえば、仮に年金支給額を赤字公債発行で増大させても、インフレが生じて、高齢者の実質生活水準は向上しない。この意味で、高齢化社会を「実質的」に支えるには、生産性を増大する以外に方法は無いのである。 注17)年次進行とともに毎年の投資額が増大しているのは、新規加入者の増大と、初期投資分の減価償却による。また、アナログ電話網については、上記30年のうちの最初の数年間に、計9兆円程度の更新投資を見込んでいる。 注18)もちろん、現在農業・建設分野に廻っている数兆円の公共投資が、広帯域通信網建設に振り向けられれば別である(しかし、投資先の急速な転換は、投資財の供給面でボトルネックを生ずる)。なお、本書で主張している広帯域網インフラ・情報ハイウェーの建設には、公共投資は考えていない。現在潤沢な民間資金の利用で十分と考えている(本章V.B.2節参照)。(ただし上記は「公共投資配分比率の固定化」を認める趣旨ではない。) 注19)A.トフラー(1980)参照。 注20)猪瀬(1993)、公文(1994)を参照。 注21)ネチズンやインテリジェント・コミュニティがもたらす効果と「人間のシナジー効果」との差は、後者が「直接面談」という強力な情報伝達にかかわる点にある。また、前者はどちらかといえば、コンピュータを駆使できる少数の人たちに限られる含意があるのに比べ、後者は(電話と同じように)ビデオ電話を使うことができる人、つまりほとんどすべての人にあてはまる。 注22)唯一の作業例として、栗山他(1993)、Kuriyama(1995)がある。 注23)「電話料金の3倍」という本文の設定は、高すぎると考えられるかもしれない。実際、「将来の広帯域通信が普及するためには、その料金が現在の電話料金と大差ない程度でなければならない。」との主張を聞くことが多い。筆者も、ユーザとしてはそれに同感である。しかしながら、この主張は、「広帯域通信を急速に普及させるためには、格段の努力によってその供給コストを下げ、広帯域通信料金を現在の電話料金と大差ないレベルに持ってくることが望ましい。」と読むべきであろう。コストに比較して料金だけを無理に引き下げるのは、事業者の赤字補填の点で問題が多いからである。(政府の一般会計収入つまり国民の税金を赤字補填に注ぎ込むことに国民の同意が得られるか否かは、疑問であろう。旧国鉄(と現銀行?)の成り行きを想起されたい。)したがって、実際に問題となるのは、どのようにして「格段の努力」を生じ、「コストを引き下げ」ることができるかであり、そのための具体策を考えることである。料金が引き下げられれば、広帯域通信への需要は、さらに増加することになる。ここでは、第3章で推計されている広帯域システムの建設費を前提にしている。 注24)本稿の校正中に、NTTが長距離電話の最高料金(平日昼間)を3分180円から140円に値下げする旨の発表をおこなった。ブレーク・イーブン距離の東京−大阪は、東京−名古屋に変更する必要がある。 注25)例えば住宅費については、長期的な地価上昇でマイホームが高価になったため、支出比率が増えていると予想される。しかし、実はそうではなく、住宅費支出は消費支出の5〜6%程度で、40年間おおむね一定水準にとどまっている。バブル期以降不動産単価が上昇したが、家計による購入量は減少したのである。また教育費の比重も長期間にそれほど変わっていない。教育費といっても、小中学校の先生の給料は税金から支払われているから、家計支出には入らない。ここでは、塾の月謝や文房具代など、直接の教育費負担だけを考えている。この負担分が増大しているという新聞記事を見かける。しかし、実際には教育費支出は3〜5%の範囲に納まっており、一貫した増大傾向は見られない。  なお、教育費は、子どもの学齢時に支出し、育ち上がれば支出しないから、学齢期の子どもを持つ世帯の一時的な教育費負担が大きいことは当然である。ここでは、教育費負担を全世帯にわたって平均している。また、住宅費は、30〜40才代からローンを組んでマイホームを建て、その後返済してゆくケースが大部分であろう。これも全世代を平均した話である。それぞれの世代の人口比重の増減を反映して、住宅費・教育費の支出比率は若干変動するが、「常識」が信じているように比率の一貫した増加傾向は観察されないのである。 注26)「万年筆」がないと論文が書けない老学者、管理職の「キーボード・アレルギー」を想起されたい。 注27)近年になって、東京−大阪間を2時間半で結ぶ「のぞみ」が走りはじめた。「のぞみ」はまだ1時間に1本しか通っていないから、待ち時間まで勘定に入れると「のぞみ」で行くのが時間的に有利であるとはかぎらない。「ひかり」の3時間と比べ、走行時間の節約分は30分だけで、ランダムに出発駅に着くときの待ち時間の平均30分と同じである。「のぞみ」が20分に1本でも出るようになると、待ち時間は平均10分になるので利用が増加するだろう。料金の差も小さくない。企業向ディスカウント切符と比べると、「のぞみ」の料金は1.3倍ぐらいになっている。ところが実際には、すでに多くの人が「のぞみ」を利用しており、ここでも時間の大切さに対する認識が確認できると思う。 注28)たとえば本書3章、電気通信審議会(1994)を参照。米国での推計例としては、Reed (1992)が代表的である。 注29)広帯域網建設担当主体の議論が進まないのは、平成7年度末と時間を切られている「NTT経営形態見直し」問題に現在関心が集中しているからであろう。 注30)くわしくは、本書3章を参照。 注31)NVサービスのNはNarrow-band(狭帯域)の、VはVideo(映像)の頭文字である。HサービスのHは、High-Quality(高品質)の頭文字である。 注32)例えば、電卓が1970年代の半ばに出はじめたころは1台20万円だったが、20年後の今日ではその400分の1(=1/20×1/20)、すなわち500円になっている。 注33)誤解を生じやすい点だが、現在のNTTは、競争事業者であるNCCに長距離電話市場のシェアを取られて収入が減少し、赤字にまでは到らないが利益額が激減して、1995年2月の基本料値上げに到ったという説明がある。事実そのとおりだが、これはNTTの損益勘定の話である。NTTの資金収支は、損益勘定とは異なり、大きなプラスである。NTTはすでに電話網の建設を終わり、現在はその「収穫期」で、毎年多額の償却前利益が入ってくる。NTTは年間の営業収入5.5兆円のうち1.5兆円を減価償却用として留保し、これを使って平成5年度に1.8兆円(国民1人当たりで年間1万5000円)の設備投資をおこなっている。同時にNTTは過去の負債を返済しており、民営化の時点に4兆円であった社債発行額が、1993年度末には2兆円余に半減している。 注34)株式会社の資金収支は、損益計算とは別個の概念で、会社全体として外部から資金をどれだけ借りて、どれだけ返すかを示す「キャッシュフロー」に基づいた考え方である。株式会社の経理を示すためには、年度単位の損益で考えることが多い。通常の場合はそれでよいが、電話事業、鉄道・道路・空港事業のようにインフラ設備を建設し、20年以上かかって資金を返済する長期のプロジェクトでは、年度単位の損益計算はあまり意味がない。建設当初においては大きな赤字が出るに決まっている。その代わり20〜30年経つと、プロジェクトが「収穫期」に入り、大きな黒字を出すことができる。そのような長期プロジェクトの経営指標としては、毎年の損益より、資金収支が有用な指標である。この事実はアメリカでは一般によく知られており、「キャッシュフロー」の用語が使われる。わが国では、資金収支はバブル期の「財テク」との関連で一般に知られるようになったが、インフラ建設の指標としての意義はあまり知られていない。(その結果、わが国ではインフラ建設プロジェクトが「(損益勘定の)単年度黒字達成目標年次」のように不適切な指標で評価される傾向がある。) 「キャッシュフロー」表示では、減価償却や資産の再評価などの面倒なことを考えず、プロジェクトのキャッシュインとキャッシュアウトを単純に捉え、その時系列で長期プロジェクト全体の経済性を示す。通常の株式会社では、毎年の短期的な経理状態を表示する必要があるので、減価償却等を考慮して損益を計算する。株式会社でも「キャッシュフロー」は計算されているが、損益勘定ほど重視されない。長期プロジェクトであるインフラ建設においては、短期の損益計算が無意味に近いので、素朴な「キャッシュ・フロー」だけが注目されるのである。 注35)ちなみに、現在の国鉄清算事業団が抱えている旧国鉄の累積赤字は約26兆円程度と言われており、国民1人あたり20万円強になる。周知のように、旧国鉄の経営は大失敗に終わった。政治家が選挙対策のために圧力をかけ、収入にならない鉄道路線を次々に建設させたため、また旧国鉄の人件費・年金費が上昇したため、国民に巨額のマイナス財産を残したのである。今後、清算事業団は旧国鉄の土地を売って借金を返し、店じまいするが、それでも国民に14兆円近くの負担を残すことになると言われている(伊東・西村(1996)参照)。これと比較して、広帯域通信プロジェクトがここでの予測どおりに進行すると、30年後に1兆円の負債が残るが、同時に何十兆円かの資産も残り、それ以後ビジネスを続けられるだけでなく、広帯域網の「収穫期」に入ってさらに多額の収益をあげ、通信料金を大幅に引き下げて国民生活と経済に寄与することができる。(JRでも現在の新幹線はすでにこの状態になっている。ただし、新幹線からの利益は、新幹線料金引き下げでなく、在来線の赤字補填に使われている。) 注36)現在でも電話加入権の売買市場(とそれに基づく電話加入権のレンタル市場)が存在し、加入権価格は新規加入時の一時負担金72,00円に等しい。この事実は、NTTへの加入者数がこれまで例外なく純増していたことによる。近い将来、移動体電話や地域サービスの競争事業者(たとえばケーブルテレビ事業者)との競争によってNTT加入者が純減に転ずる可能性があり、その場合には電話権の市場価格が72,000円を下回ることになる。現在では電話加入者の「脱退価格(NTTからの脱退(電話加入権のNTTへの返却)時の返還金)」が明確に決められていない(加入時一時負担金はすべて「工事負担金」として「消耗品・人件費」的な性質を持つように扱われており、その結果返還金は結果的にゼロに設定されているが、実際は転用可能な回線・交換機設備があることから、紛議を生ずる可能性がある)。また、先進国でNTTのような高額の加入負担金を徴しているケースは現在では少ない。元来加入負担金の制度は、電話網建設時の事情を反映して作られたものであり、成熟期である現在の情勢に合っていない。(たとえば、海外からの居住・移住者にとって重い負担であり、国際化時代にそぐわない。)さらに、広帯域網をNTTが建設する際には、現在の電話加入権と広帯域網加入時の一時負担金の関係も問題になる。電話網の加入者一時負担金の性格と金額については、(現在の加入者にとっては影響が無いことから)問題にされることが少ないが、上記の理由で早急な検討が必要であろう。 注37)わが国の電話代が他の先進国にくらべて高い理由の1つである。つまり、わが国の電話サービスは、高価格・高投資という特色を持っている。 注38)この点については、通信産業と運輸・交通産業・自動車産業の利害が搦んでおり、国民全体の合意成立は必ずしも容易でない。消費支出の比率の変化によって、すべての産業が均しく潤うことは不可能であり、どの産業かの成長率が増加すれば、どこか他の産業の成長率が減少せざるを得ない。合計は一定だからである。フランクに私見を述べれば、自動車産業はゼロから始まって、日本人の消費支出のシェアを7%近くも取るようになった。国民全体の利益のためには、そのシェアは横ばいか、場合によっては若干減少してもよいのではないかということである。 注39)なお米国においても、1993年初頭に情報ハイウェーの建設がクリントン・ゴア政権によって提唱された時点で、公的建設計画が示唆された。しかしながら、AT&Tをはじめとする電話会社によって、電気通信インフラの建設は、政府によっておこなわれる事業ではなく、民間の活力を活かした電話会社が担当するべきであると反対され、(かつての米国の高速道路建設のような)公的資金による情報ハイウェー建設計画は作られなかった。その結果、アメリカ政府のNII・GII計画は、主として教育・医療・公共図書館などの公共サービスの分野に向けられている。筆者は、本文で述べる理由から、この政策によってアメリカの情報ハイウェーの建設は遅れることになると考えている。電気通信産業における競争促進はもとより必要であり、そのために民間電話会社の活力を活かすべきことには異論ないが、しかし、広帯域通信網のようなインフラ建設は、(収支均衡期間が20〜30年と長いことから)公的措置がなければ、早急には実現できない。電気通信産業の中で民間活力が発揮されるべき分野と、インフラ建設のように民間活力だけでは目的を達成できない分野とを分けて考える必要がある。(なお、米国におけるアナログ電話網の建設も、一種のインフラ建設であった。しかし、これは公的政策によってではなく、(公的政策と同様の効果を生ずる)(旧)AT&Tの独占力によって推進された。) 注40)最近の「住専問題」に関して、回収不可能な不良債権を処理する「債権処理機構」の原資調達のために、20年以上の政府保証債の発行が考えられている。 注41)ただしそのためには、法律(日本電信電話株式会社法)改正が必要である。