[KTIB-804.8] W章 わが国の知識・情報・通信産業(続き) D.ネットワーク産業――「インターネット」の急成長 1.「インターネット」以前のネットワーク a.TSS(1960年代〜1980年代) 大型汎用機と端末による「スター型」ネットワーク 大型汎用機の遠隔使用、同資産の共用 コンピュータと通信の結合のはじまり データ通信技術の基礎の形成 例:航空機・列車などの座席予約システム 銀行勘定とATMのオンラインシステム 学術研究用大型汎用機の共用 b.パソコン通信(1970年代末〜現在) TSSの商業利用 電話回線による「巨大スター型」ネットワーク 通信ソフト・モデムの実用化・高速化 (当初300bps、現在28,800bps) センター用ソフトウェアの充実――サービス多様化 フォーラム、掲示板、パソコン通信、データベース利用など 少数の成功例: Compuserve(米) AOL(アメリカ・オンライン)(米) ニフティサーブ(日) 数十万人のユーザ獲得に成功 c.他ネットワーク メーカー固有仕様によるネットワーク ――汎用機中心の結合 IBM、富士通、日本電気など 分散型ネットワーク 汎用機、ワークステーション、PCの分散型結合 ネットワークとサービスの分離 例:BitNet(米、IBM) N1ネット(日本、大学間) ARPANET(米、「インターネット」の前身) 2.「インターネット」の形成 a.1960年代(米)――ARPANETの発足 J. C. R. Licklider:Galacticネットワークの提唱(1962) L. Kleinrock:パケット送信・交換(1961、1964) パケット:通信用データを複数個の「パケット(宛先ラベルのついた小包)」にまとめる。パケット交換機(ルーター)を介するデータのバケツリレー型伝送・交換を可能にした(回線結合による交換に代わる概念)。雑音等に強い効率的・経済的通信を実現。 L. G. Roberts:広域コンピュータ・ネットワークの試作(1965)(電話線をパケット用伝送に使用) DARPA(防衛省)によるARPANETの建設開始(1967)(当初2.5Kbps〜50Kbps) UCLAとSRI(Stanford Research Institute)にパケット・スイッチIMPを設置(1969)、戦時災害下でも柔軟に生き残るネットワークが当初の目標。 NIC設置(SRI):ホスト・アドレス参照、RFC(意見募集)システム ARPANETのホストコンピュータ4台になる(1969末) 軍事用の「柔軟なネットワーク」として発足 b.1970年代(米)―― ホスト・コンピュータの増設(1970年代前半) 通信用ソフトウェアの充実 NCP:最初のHost-to-Hostプロトコル ICCCコンファレンスでのデモ(1972) 電子メールの開始(1972) 当初はARPANET関係者用 メール処理ソフトの実用化 以降WWWの出現まで10年間、主要アプリケーションとなる c.「インターネット」概念の成立 R. Kahn:オープン・ネットワーク・アーキテクチュアを提唱(1972) 複数ネットワークが共通仕様の下に対等の立場で結合、データ交換用 TCP/IP仕様の提唱 地上有線パケット網に加え、地上無線パケット網、衛星パケット網も結合 4原則:各ネットワークの独立性、ベストエフォート型伝送、ゲートウェイ・ルーターを伝送媒介(フロー・メモリーなし)に使用、ネットワーク全体の運営中枢なし(分散型ネットワーク) 他原則:グローバル・アドレス使用、ホスト間のフローコントロール、PCのOS上での使用、など V. Cerf:TCP/IPを作成 複数の物理的ネットワークに適用できる通信用ソフトシステム IP:octetstream(長いバイト列)を使用 32ビットIPアドレス使用(当初は256個のネットワークのみ許容) TCP:FTP、Rlogin(Telnet)、E-mailを実現 d.1970年代後半〜1980年代――急速に成長したLANおよびWS、PCとの共生 B. Metcaefe:Ethernetを開発(1973) 企業内LANの急成長 Nobel社のLANソフトの急速普及、TCP/IPと併存。 P. Mockapetris:DNS(Domain Name System)の発明 多数ネットワーク(LAN)間、多数ホスト間通信を可能にした Routers用プロトコルの提唱・採用 WS用OS "Unix BSD" にTCP/IPを結合 多数のコンピュータ専門家がTCP/IPを使いはじめる ARPANETがNCPを正式にTCP/IPに変更(1983年1月1日) 多数ホストによるソフトウェア同時変更 ARPANETからMilnet(軍事用)を分離、ARPANETは研究用ネットワーク専用になる(1985) 多数の他ネットワークの出現: Bitnet(IBM、1981)、USENET(AT&T)、CSNET(NSFグラント)、HEPNet他 XNS(Xerox)、DECNet、SNA(IBM) 3.インターネットの充実・米政府NSFによる支援 a.NSFによるインターネットの推進(1980年代半ば〜1995年) D. Jennings、S. Wolff:NSFNET(NSFグラントによる汎用大学・研究所用ネットワーク・プロジェクト)を推進 NSFがTCP/IPの採用を決定(1986) NSFがDARPAインフラのサポートを表明、DARPA下のIAB(Internet Activities Board)/IEFT(Internet Engineering and Architecture Task Force)とNSFがRFC985を共同執筆し、DARPAネットワークとNSF下のネットワークのInteroperabilityを成立させた(1900)。 b.NSFによる基本方針の決定 FNC(Federal Networking Council)を設立、連邦予算による国際リンク、国内バックボーン、ネットワーク・アクセス・ポイント(NAP)、同連結ポイント(IX)のサポート。 他方地域網部分については、商用ユーザとの共用によりコスト節約を試みる(1987)。ヨーロッパ諸国等のネットワークと結合(RARE経由)。 AUP(acceptable use policy)により、バックボーン部分の使用を学術・研究等非営利目的に制限。これにより、商用ボックボーン(PSI、UUNETなど)の成長が促進された。 FNCが報告書 "Towards a National Research Network" を発表(1986)し、A. Gore上院議員(当時)に強い影響を与えた。FNCは後に "Realizing the Information Future: The Internet and Beyond" を発表し、NII/GIIの考え方の基礎となった(1994)。 NSFが連邦予算による支援を民間資金に切り換える方針を決定、NSFNETへの援助を停止(1995)。 NSFNETの期間(8年6カ月)に、「インターネット」は6ノード56Kbpsから21ノード45Mbpsに成長。1995年にはネットワーク数50,000(合計)、29,000(米国)に達した。NSFの援助は、この期間計2億米ドル。TCP/IPは他のネットワーク・プロトコルを抑え、世界標準になった。 c.RFCによる「文書化(documentation)」の威力 「インターネット」の「RFCシステム(Request for Commentsシステム)」は、同ネットワーク形成・発展のための「情報中枢」となった。 S. Crocker(UCLA)がARPANETのためのアイディア・実験結果などを関係者間で交換する「文書システム(RFC)」を開始(1969)。伝統的な学術論文形式では手続が煩雑、かつ時間もかかるので、これに代わる形式として使いはじめた。当初は、紙コピーにより、次いでFTPを使用して配付、現在ではWWWを多用。 J. Postel(SRI):RFC Editorとして、RFCナンバリングの一元管理に従事。 RFCの効果 アイディア・提案等の自由な交換による創意工夫のポジティブ・フィードバックの生成。結果的に、「インターネット」発展の最重要因子となった(他ネットワークは、同種のRFCを持たず、単一企業のように閉じた範囲内だけで創意工夫が試みられていた)。 RFCの対象 主たる対象は、「インターネット」上通信の「プロトコル標準(インターネット公式標準)」の形成。IPレベルのデータ伝送用の諸手続、電子メールとその添付文書の様式、FTPの方式などの大部分が、RFCによって提唱・改良された。他の用途として、ネットワーク運営に関する情報開示、インターネット使用現況・統計など。 RFCの使用 内外に無料公開。「インターネット」関係者によって広く使用されている。また大学の講義材料、企業による製品開発に参照された。(特定企業の特許等による独占を排し、広汎な技術の発展をもたらした。) RFCの作成 現在は75〜100グループがテーマ別に検討。ドラフト提案が修正を重ね、「合意」されると、RFC No.が与えられ、「インターネット公式文書」として配付される。 d.「インターネット」管理組織の形成 ARPANETのNWC(Network Working Group)より開始。 当初から諸機関との "Contracts" による独立した活動の集まり(パケット通信を推進するコミュニティ・メンバーが存在)。 1970年代:V. Cerf(DARPA) ICB(International Cooperation Board) IRG(Internet Research Group) ICCB(Internet Configuration Control Board)を設立 1983:B. Leiner(DARPA) 多数のTask ForcesとIAB(Internet Activities Board)に改組 1980年代: IEFT(Internet Engineering Task Forces)の形成と、RFC形成を通じる急速拡大、多数のWG(Working Groups)に分かれる。 DARPAの役割は漸次減少した。 1980年代末: 「インターネット」の成長継続 IABの下にIETFとIRTF(Internet Research Task Force)を併立 1991: CNRI(Corporation for National Research Institutions)の設立 1992: Internet Societyの設立、IAB、IEFT、IRTFを傘下に持つようになる。 1994: W3C(World Wide Web Consortium、代表A. Vezza)がWeb発展の中心となる。 4.「インターネット」の「商用化」と急速拡大 a.「インターネット」機器供給の拡大 1985年:Vendors向けTCP/IPワークショップの開催、TCP/IP標準・内容の開示、ベンダー側から多数の反応あり 1988年:第1回Interopトレードショウに50社5000人が参加 現在では、年間7回世界各国で開催、計25万人参加 全体として、TCP/IP内容の完全な開示が、急速な製品の展開・改良をもたらした b.「インターネット」の商用使用への開放 1992年:NSFがAUPを緩和し、商業目的使用を認める。 1993年:WWWの普及はじまる。 このころから、「インターネット」は、「汎用ネットワーク」として民間の広い関心を集め、マスコミの注目を受けるようになり、現状に到る。 E.結語 知識・情報産業(通信・放送を含む)における公共性(規制の必要)と効率性(競争の必要)との対立 部分的規制と部分的競争 規制部分最小化の原則 国際化(海外からの参入による効率化) 漸進的変革の原則 産業の上下分割と「スライス型横断規制(水平規制)」の利点 「公的規制スライス」の例: 電気通信: 通信ネットワーキング(ビット列情報の配送) (インターネットにおけるIP層、ATM網におけるATM層) 放送: 電波資源割当 放送ネットワーキング(ビット列情報の配送) 「委託放送」と「受託放送」の分離(日本のCS、BS) パーソナルコンピュータ: オペレーティング・システム(OS)標準の維持 周辺機器インターフェース方式標準の維持 OSとAP(アプリケーション)開発の分離 (マイクロソフト社対司法省、1998年米国)