高原利生:研究メモ [54] 論理的網羅: 『哲学ノート』の 今


論理的網羅: 永久に未完成の哲学ノート 第一部第二部 の 今

高原利生、
『TRIZホームページ』寄稿、2020年 1月 2日

『TRIZホームページ』掲載、2020年 1月14日

掲載:2020. 1.14

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編集ノート (中川 徹、2020年 1月  7日)

本ページは、高原利生論文のまとめ (2018-2019年)を掲載するにあたって、「論文集解題」の代わりに高原さんに書いていただいたものです。
高原さんの当初(12月半ば)の原稿は、論文集第4集(2018. 8.30) の「論文集解題」を更新したような形の詳細なものでした。私は、「全体的なことは(「哲学ノート」などの)論文本文で繰り返し書いておられるでしょうから、今回はもっと簡単に、2018年秋〜2019年の仕事を簡潔に振り返ったものにしてください」とお願いしました。そのような趣旨で新しく書いてくださったのが、この原稿です。

高原さんの「今」を表現している貴重な記録です。(「研究ノート」の一部ではありますが)ここでは「研究メモ」と呼ぶことにします。

 

本ページの先頭

研究メモ [54] 先頭

1. 2018−19年の成果

2. 論理的網羅が成果をもたらした

3.マルクス「経済学・哲学手稿」の一体化を読む

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高原利生 論文のまとめ(2018‐2019)

 


 

                                  

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論理的網羅: 永久に未完成の哲学ノート 第一部第二部  の 今

高原 利生  
『TRIZホームページ』 寄稿  2020年 1月 2日、掲載、2020年 1月14日

 

研究メモ: 「論理的網羅: 永久に未完成の哲学ノート 第一部第二部 の今」

2018、19年は、中川徹先生のホームページに載せて頂いた稿をもとに「未完成の哲学ノート」「永久に未完成の哲学ノート」第一部第二部を本の形で書き始め、形になった年だった。

三つ述べる。

1. この二年近くの成果、
2. 成果をもたらした「原因」は、論理的網羅であること、
3. 論理的網羅を方法としてマルクス「経済学・哲学手稿」の以前から分からなかった二文が読めたこと。この「経済学・哲学手稿」の二文が、偶然、本の一つの結論を表した文だったことが奇蹟である。マルクスは、1844年に175年後2019年の結論を先取りしていた。

本の概要では全体をもれなく総括しているが、ここでは2018,19年の進歩だけ書く。

 

1. 2018年、19年の成果

前提となる生きることのモデルを、次のようにしている
   ・ 世界観と方法,論理、
   ・ これらが決める感じ方、態度=生き方、
   ・ これらによって認識と行動が事実を変えること。

世界観と論理(学) が哲学なので、本には哲学ノートという名前を付けた。

11.  論理学は、方法,論理の生成とその体系である。
論理は、抽象化・具体化、推論の二種からなるという構造を持っている。抽象化、具体化は粒度の変更である。

これをはじめて明示的に明らかにしたのは、2005年以前からの中川徹先生の「6箱方式」である。[中川徹, "6箱方式", 『デザイン科学事典』, 日本デザイン学会編, 編集委員長 松岡由幸、丸善出版、2019.10,   ]
抽象化→ 推論→ 具体化という三過程が、ほぼ、それぞれ状態を表す二つの箱、計6箱で表される。同じ内容が、状態遷移でも過程でも図化できるのは、工学ではよく知られている。
「6箱方式」は、「創造」や「問題解決」に限定されない、認識と変更像を作る思考全体の方法、論理である。(これは技術に限定した中川先生の「50語」の表現が、技術、制度という人間の全ての行動にも当てはまるのと同様。[中川徹, "TRIZのエッセンス−50語による表現". ) 「6箱方式」は、「創造」や「問題解決」に特に有用であるが、全ての思考の方法、論理であるのがよい。

知覚、感覚は、それ自体、すでに大きな抽象化を行っている。抽象化が知覚、感覚の役割である。思考でさらに抽象化し、推論し、具体化し、表現と価値実現を行うことが、生きることである。思考の論理は、世界観、感じ方とならび生き方を作る。
2020年、大学入試で、国語や数学の表現力の試験が問題となっている。表現力以前に問題がある。
また、小中高の平均学力が、シンガポールには何年も前から、最近は、台湾、中国都市部、韓国に劣り始めた。幼少期から、体系的にかつ個人の多様性を活かして、感覚と論理を研ぎ、それを個人と社会の価値増大に使わなければならない。そうさせるのが政治、行政の役割だが、今はそうなっていない。これらは第二部で述べている。

推論を構成するのは演繹、帰納、仮説設定である。仮説設定は、パース以来多くの人が検討しているが、定式化が済んでいると思えなかった。行ったことの一つは、仮説設定の厳密な定式化である。これについて、以前「できた」と書いたことがあるが違っていた。今回、初めて定式化らしいものができた。もっと明確に書こうと何度も試みたができなかった。あいまいなようにみえる今の書き方で止まっている。
なお、分かったことは、仮説設定の理想的な実現は、ほぼ不可能に近いことである。だから今まで作れていなかったのかもしれない。これは、推論という思考ができない、議論が進まない、したがって民主主義が実現できないことと同じである。
仮説設定の理想的な実現に近づく方法はあるのではないか。近似的な実現方法がまだできていない。大きな課題である。

12.  もう一つ、今回、世界観を見直し、今後の生き方の提案「対象化と一体化の統一」「自由と愛の統一」の提案をしたのが、今回の出版のもとになる2018年の発表だった。

「自由と愛の統一」については、中川先生が第12回日本TRIZシンポジウムで2016年に "社会の貧困の問題にTRIZ/CrePSでアプローチする:人々の議論の根底に、人類文化の主要矛盾「自由vs. 愛」を見出した" という発表を行われ、その後も展開をされている。中川先生は、今までの人類の歴史に「自由vs. 愛」の矛盾があったという把握をされているのに対し、高原は今、この矛盾を人類が見つけ始めたと言う違いはあるが、大きな違いではない。

1の論理については、中川先生のお仕事のごく一部を検討し、また、2の世界観、生き方については、やや中川先生と異なった展開をしている。

 

2.  論理的網羅が成果をもたらした

以上は、2018,19年の作業のまとめである。これらは、全く論理的に導いた結論である。

これができたのには、二つの理由があったような気がする。

一つは、前提として、「歴史と論理の(大まかな)一致」という仮説を使ったからである。論理だけで事実を正しく把握するためにはこの前提が必須である。ヘーゲル以来の「歴史と論理の一致」については本文に詳しく述べている。

もう一つは、「論理的網羅」を徹底して考えたからである。もともと「根源的網羅思考」と自分で名付けた思考を提案してきた。今まで書いてきたことは、「根源的網羅思考」に限らず、提案と言いながら自分に課した課題でもあった。言ってきたのは、根源的網羅思考の内容は、事実と価値の本質と真理を論理的に求め続けること、方法は、抽象化具体化の縦の論理と仮説設定を中心とする推論という横に進む論理である。

「歴史と論理の一致」と「論理的網羅」が展開できた二つの理由だが、前者は前提なので、方法としては「論理的網羅」だけと言ってもいい。

 

この圧縮した表現が、本質把握と網羅「何かを把握するとは、本質をつかみその要素を論理的に網羅する」ことである。要素が網羅できるように本質をとらえることかもしれない。

21. 網羅としての事実

「ある」ものが事実の本質である。事実のある場所が、客観的事実と知的生命の観念の像の二つで、事実の要素が、空間的に存在、関係(運動)の二つで網羅されている。もともと同一であったものが宇宙発生後に時間的に何かに分化したとすると、存在と運動(関係)の二つに分化したのである。関係、運動、過程は同じものである。

はじめは、網羅を空間的網羅に限って考えていた。これを、新たに時間的網羅を含むように拡張する。ある事実、オブジェクトの時間的網羅を、その事実、オブジェクトの発生からの全ての時間経過における作用を網羅することとする。少し分かりにくいが、歴史と論理の一致という仮説と合わせると、事実を、論理(と小さな偶然の変化)が作った歴史の網羅として扱うことができる。今の空間的網羅の事実である現実、オブジェクトは時間的網羅の結果の一つである。歴史と論理の大まかな一致と、事実の空間的網羅、時間的網羅の大まかな一致は同じものである。

22. 網羅という論理,方法

歴史と論理の一致は、方法としての網羅をもたらす。

・ 概念上の網羅1: 粒度を支える網羅

扱うオブジェクトは、事実からある抽象度、粒度によって切り取られる。単にオブジェクトを特定するだけなら粒度だけでよい。だが適正な粒度は、直接には当のオブジェクトを含む上位のオブジェクト内で、さらに大きな全体として、網羅された中から選ばれるべきで(そうしないと必要なオブジェクトを取り逃がす)、同時に網羅はある粒度に拠って行われる。

そのため、オブジェクト、粒度、網羅の三つは、全体の中からオブジェクトの位置を規定するために必要な最少の基本概念である。しかし、オブジェクト特定には粒度がキーになる。

オブジェクトの特定からより全体的本質的な認識像、変更の像を作ることができる。オブジェクト、粒度、網羅という抽象的基本概念と個々の事実の中間に、事実の構造に似た観念内の情報構造が出来上がっていく。

この意味の粒度、網羅は、以下の各段階に共通の重要さを持つ。詳しくは本文第一部1.2節を参照されたい。

 ・  概念上の網羅2: 推論における網羅の利用

演繹、帰納と並び、より重要な仮説設定abductionの中核が論理的網羅なので、網羅は粒度とともに重要である。

 ・  概念上の網羅3: 思考の手段として思考の出発点、全体把握としての網羅

網羅は全体思考の出発点になる。網羅によって必ず今より大きい全体が得られる。

例:  本稿の事実などの網羅的全体把握。本稿の矛盾の全体把握。本稿の論理学の構築方法。本稿の世界観の構築、その出発点になった対象化と一体化での網羅。本稿の生き方提案。

 ・  概念上の網羅4: 思考の手段として思考の途中経過での網羅

例えば、今書いている文の節区分、書く内容が扱っている事象を網羅するようにする。

 

3. 網羅の論理,方法により「経済学・哲学手稿」の一体化を読む

本書の論点である一体化そのものについて「経済学・哲学手稿」が教えてくれた。

まず、マルクスの「対象」の意味を見、双方向対象化、一体化を考える。

「太陽は植物の対象であり、植物には不可欠の、植物の生命を保証する対象である。同様にまた植物は、太陽のもつ生命をよびさます力の発現、太陽の対象的な本質力の発現として、太陽の対象なのである」 [経済学・哲学手稿 国民文庫,p.223]

作用をする側と受ける側にとっての対象の意味が、高原の意味と逆であることに注意。マルクスは、作用を与えるものが、受け手の対象であるとしている。
彼はこの時、アニミズム一歩手前まで行っている。彼は意識のないものが相互にお互いのプラスになる作用を行いあう双方向対象化を述べている。
意識のある対象どうしの場合、双方向の対象化が、双方に共有されているお互いを高めあうプラスの価値観によって行われると、一体化が実現する。
片方だけ意識のある場合、意識のないほうの価値を増しそれが意識のある側に反作用することを想定できるなら、擬人的に一体化が実現する。(これは次の「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,」の文章で述べられる)
意識のないものどうしの場合も、客観的にお互いのプラスになる作用を行いあう双方向対象化を、擬人的にお互いのプラスになる作用をしあう一体化ととらえることにする。

もう一つの文章を読む。今まで何十回か読んだがよく分からなかった二文である。

「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ、この対象が彼にとって、人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。

このことが可能であるのはただ、対象が人間にとって社会的な対象となり、彼自身が自分にとって社会的な存在となり、同様に社会がこの対象において彼のための存在となる場合だけである」   [経済学・哲学手稿 国民文庫,p.153]

この意味を読み取ることを試みる。

一文目に対象的、二文目に社会的という言葉が出てくる。

一文目は、自己と対象の関係を考察している。一文目の、自己が主語の命題、「人間が彼の対象のうちに自己を失わない」は、自己が働きかける対象の中に、自己があることを言う。続いてマルクスは、その条件が、対象が主語の命題、「この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となる」ことであることを言う。自己が対象の中にあり同時に対象が自己の中にある。命題と条件が、単に、主語の人間と対象を入れ替えた表現になっている。

マルクスは、一文目の条件を述べる二文目で、自己と対象の関係に、社会との関係を加えて考察する。その条件は、人間、対象、社会の三つがお互いに一体になっていることである。一文目の自己と対象の一体化に、社会を加え、三者相互の一体化、同時実現を述べ、全体の内容が充実する。社会とは、自己と他の自己の関係の単純和ではない、多くの「自己と他の自己の関係」の総体で、自己と他の自己の関係群をまとめる共同観念を本質とする「制度」である。

この二つの文章は、二段階で条件を語る形をとり、一文目の「命題」で仮の命題が述べられ、後はその内容を一文目の後半の「条件」、二文目の「条件」と徐々に、網羅的に展開していく過程が文章になっている。

何かを把握するとは、本質をつかみその要素を論理的に網羅することである。ここでマルクスは、意識せずそれを述べる過程を示している。

第一に、わずか二文でこの本質の把握の方法を述べている。
同時に第二に、その内容は、今の自分の、理想的な対象との一体化の生き方を作ることと、自分の外に制度を作ることは同時にしかできないことを明らかにしている。
自分の生き方を作ることと、自分の外にポスト資本主義という制度を作ることは同時にしかできない。自分の生き方、常識を変えようとしない人にポスト資本主義は作れない。
この把握は、論理によってだけ得られたように見えるが、前提には、歴史の網羅的総括があったと推測する。

 

以上を、民主主義国、独裁国を問わず、地球人全員の常識にすることが目標である。民主主義国、独裁国の差は生きる条件の相違に過ぎず、生きる内容の本質的差ではない。

できあがった内容は、おそらくプラグマティズム、論理哲学、分析哲学に近い。

 

 

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1. 2018−19年の成果

2. 論理的網羅が成果をもたらした

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高原利生 論文のまとめ(2019)

 

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最終更新日: 2020. 1.14     連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp