[EcInfCom]   New | Contents | Home | OGU Home


『情報ハイウェイ建設のエコノミクス』
第1章 まえがき
  1. 目的と概要
  2. 高性能ビデオ電話
  3. 留意点

『情報ハイウェイ建設のエコノミクス』の目次へ戻る


  1. 目的と概要

    本書『情報ハイウェー建設のエコノミクス』(*1)は、21世紀の通信網として期待されている「広帯域通信ネットワーク」の建設をめぐる経済問題を考察する。

    最近の情報通信技術の急速な発展の結果、マルチメディアやインターネットが一般の関心を呼んでいるが、広帯域通信ネットワークや情報ハイウェーは、そのためのインフラ(基盤)である。本書では、現在(1995年)から21世紀初頭までの10~20年程度の期間を念頭におき、将来の広帯域通信の発展方向を考え、そこから最大限の便益を得るために現在時点で何をするべきかを提案する。

    まず、広帯域通信に必要なインフラ建設、すなわち情報ハイウェーの建設を取り上げ、広帯域通信時代の主要サービスと考えられる「高性能ビデオ電話」が、現在の電話を受け継ぐ汎用通信手段として、21世紀の生活や社会経済活動に不可欠の手段となり、高齢化時代に入る日本経済を強力に支えること、そのため情報ハイウェー建設をなるべく早くスタートさせ、かつ建設を加速するための政策をとる必要があることを述べる(第I部)。

    次いで、いくつかの点で情報ハイウェーの建設が過去の電話網建設と類似することに着目し、情報ハイウェー建設の参考にするため、電電公社による1950年代以降の電話網建設経過を分析する(第II部)。

    さらに、広帯域通信時代には、コンピュータ技術・ディジタル技術と融合した新しい通信技術(ATM交換やセル単位の情報伝送など)が現在の音声用アナログ通信技術に取って代わるが、その際の「テレコム産業組織」として、同技術の特色を生かす「上下分離」型の構造が、競争と規制の双方の長所を最も良く実現できることを述べる(第III部)。

    最後に、広帯域通信インフラ・情報ハイウェー上に開花すると期待される「マルチメディア産業」の将来を考えるため、マルチメディア産業の諸特色を原始的な形で持っているパーソナル・コンピュータ(PC)産業の発展経過の日米比較をおこない、なぜ日本のPC産業が伸びなかったのか、将来マルチメディア産業を発展させるために何が必要かを考える(第IV部)。

    なお、本書中の政策提言が、末尾の第10章にまとめられている。

    (*1)
    「エコノミクス」の訳語には「経済学」が宛てられることが多いが、英語の"economics"と日本語の「経済学」とではかなり意味が異なり、前者の方が広い範囲をカバーする。"economics"とは、「何らかの活動や組織の経済的側面を考えること、またそのための技法や知識」と言うほどの意味で、「経済学」は上記の「知識」の一部に当たる。英語の"economics"は、たとえば「秋の大学祭でタレントを連れてきて何か企んでいるそうだが、その"economics"の方は大丈夫か(?)」「私はこの建物の防災計画の"economics"を担当しています(防災計画委員会の"economist"です)。」のような使い方をする。本書タイトルの「エコノミクス」は、したがって、「情報ハイウェー建設にかかわる経済問題全般についての組織的な考察と分析――scienceとしての『経済学』はそのために必要なかぎりで使用する」を意味する。

    Top of Page


  2. 高性能ビデオ電話

    本書では、将来の広帯域通信の代表的なサービスとして、(現在関心の的になっているマルチメディアやインターネットでなく)「高性能ビデオ電話」を考えている。音声だけの電話に対し、ビデオ電話は映像と音声の双方で通信する手段であり、その原型は企業向けに普及しつつある「テレビ会議」に見ることができる。いうまでもなくわれわれの情報伝達は聴覚と視覚に依存する。一般に、聴覚に訴える音声は情報の骨格部分を伝え、視覚に訴える映像はそれを具体化・強化(あるいは深化)する。音声だけの場合と比較して、音声・映像を同時に使用する情報伝達が強力であることは、ラジオと比較したテレビ、音声カセット・レコーダーと比較したビデオカセット・レコーダーの威力から理解できる。

    「ビデオ電話」を使って電話と同じように自由に通信するための技術は、現在実用化の一歩手前まで来ている。映像関係の技術はテレビ・ビデオ分野で発展し、映像のような大量情報を一挙に伝送する光ファイバーは音声やコンピュータ・データの経済的な通信手段として普及している。また、コンピュータ関係のディジタル技術が通信技術と融合した結果、交換機を通して映像情報を音声と同様に任意の場所に伝送する(ATM交換)技術が実用化されている。したがって、広帯域通信インフラ建設や機器製造に相当の金額を投資すれば、「高性能ビデオ電話」を近い将来に使うことができる。

    ビデオ電話については、「われわれの社会にいつかは登場するだろうが、それはまだ先のことではないか。」「先方に自分の顔が写るなど、気恥ずかしくて使う気になれない。」「家庭に入ってきたらプライバシーを侵される。」などの反応が多いかもしれない。しかし、もう少し考えて頂きたい。新しいメディアが入るときにはいつも抵抗感がある。最近の移動電話でも、留守録でも、ファクシミリでもそうだった。しかし、一旦メディアが普及すれば、急速に不可欠の用具になってしまう。もし今、ファクシミリや留守録機能が無くなったら不便は大きい。もし電話網自体が無くなったら、われわれの生活やビジネスは、一体どうなるのか。このように考えれば、将来世代が「ビデオ電話が使えない世界はどんなに不便だったことか。」と考えるだろうこと、つまり「ビデオ電話」がもたらす便益の巨大さを推察できる。

    ラジオとテレビを対比し、音声カセット・レコーダーとビデオカセットレコーダーを対比して考えることにより、「ビデオ電話」が視覚・聴覚の双方を駆使する通信手段として、現在の「電話」の自然な発展形体であることに同意されるだろう。本書の立場は、「『ビデオ電話』の時代はすぐそこまで来ている。われわれはここで一押しして、『ビデオ電話』中心の広帯域通信時代を早く実現させるべきである。(電話と同じく、ビデオ電話は皆で一緒に使うものだから、政策措置がなければスタートしない。)また、それは、現在閉塞・沈滞状況にある日本経済を21世紀に向けて活性化させるための一要因になると考える理由がある。」である(詳しくは第2章を読んで頂きたい)。

    Top of Page


  3. 留意点

    本書の対象は、(第II部を除いて)すべて将来のことである。本書では、将来の事象を筆者なりに予測し、これに対して現在時点でとるべき行動を「政策提案」として述べる。もとより、将来のことは「神様にしか分からない。」将来について、下手に述べると間違う危険がある。間違ったときの責任を軽くするためには、明確な叙述を避け、ぼかした表現にする(ごまかす)方がよい。筆者もこの点は承知している。しかし、ぼかした表現ではポイントが不明確になり、何も書かない方がまし、になりかねない。本書では、これらの点を考えた上で、論点を明確にするために、将来に関して大胆な(あるいは乱暴な)記述をしている。間違いの責任を逃れるわけではないが、読者はこの点に留意して読んで頂きたい。本書の記述が実際に正しいか否かは、時間を経過すればすべて明らかになる。

    近年、情報通信の世界ではダイナミックな動きが激しいので、現在は思いも寄らないことが近く出現して、3年後には本書の半分が事実とかけ離れ、5年後には全部書き直す必要が出るかもしれない。しかし、筆者は、たとえそうであっても、現在時点で将来について何も論議しないよりは、乏しい情報と限られた能力ながら、分かる範囲で将来を予測し、行動を起こすことが、長期的にわれわれの利益に叶うと考えている。とりわけ将来事象への対応に長い時間が必要な場合には、将来事象を予測して早期に行動を起こす意義がある。広帯域通信ネットワークのインフラ建設は、建設の目途がつくまで十数年以上の長期間を要するケースである。

    なお、誤解を防ぐために一言しておきたいが、本書には、一見すると「現在の大勢、世論の方向」に逆らうかのような記述や政策提言が含まれている。現在は世界規模で、「市場競争の利点の実現、公的規制の緩和・撤廃」が大勢になっている。わが国では、最近の経済不況・沈滞から抜け出るために、規制緩和と民間活力の発揮が必要とされており、テレコム産業では、「従来の市場独占や過剰規制を排して市場に競争を導入するために何をすればよいか」が問題になっている。上記の方向は、筆者も全体としては正しいと考えており、本書でことさらに異論を唱えるものではない。しかしながら、現代社会は複雑であり、物事をすべて単一あるいは少数の原理で律することはできない。とりわけ、テレコム産業では、過去からの歴史的経過、技術・サービスの特色、ユーザの要求から、「全体としては競争促進が望ましくとも、特定の理由により、特定の分野に限って競争促進に反する方策を取るべき」ことがある。広帯域通信については、インフラ建設、とりわけユーザアクセス部分の建設・運用や、広帯域通信時代のユニバーサル・サービスの実現や、標準化(標準通信方式の設定と維持)について、競争導入と両立しない要因がある。本書では、これらの点について、「時代の大勢や世論の方向に遠慮することなく」筆者の結論を述べておいた。筆者の意図は、「必要なことを必要なかぎりにおいて述べる」にあり、それ以上あるいは以下の政治的意図は全く無い。蛇足ながら、読者には、本書の具体的記述を拡大解釈して、「本書の筆者は、競争導入は必ずしも望ましくないと考えている。」のような一般的結論を引き出さないようにお願いしたい(*2)

    (*2)
    もとより、われわれは民主社会の一員として政治的意見を表明する権利があり、ときには義務もある。しかし政治的意見の形成は各人に固有の作業である。筆者も自分の政治的意見を持っているが、読者の政治的意見はそれぞれ各自で作られるべきことであり、筆者はこれに干渉する意図は無い。(筆者は専門家の任務として政治的判断のための材料は提供するが、その採否や、矛盾する要因の軽重の判断は、読者各自でなされるべきことである。)

    Top of Page


    『情報ハイウェイ建設のエコノミクス』の目次へ戻る


Top of Page | New | Contents | Home | OGU Home

Hajime Oniki
ECON, OGU
05/05/98
HTML4.0