大阪学院大学 外国語学部ホームページ
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高木 淳(外国学部英語学科1995年卒業、長野県公立中学校教員)

早いもので、大学を卒業し教師となって14年目を迎えます。20代の若いうちは、若さで勝負し、楽しい授業を追い求め、生徒もある程度ついてきてくれた部分もありますが、年数を重ねるうちに、生徒に力をつけるためにはどうすればよいかということのほうを真剣に考えるようになりました。自分で今日の授業は上手くいったと思える授業は数えるほどしかありませんし、自分では満足でも、生徒の反応は全く逆ということも少なくありません。でも、生徒のために少しでもよい授業をしたいという思いは強く、今でも、研究会や研修のため東京に何度も足を運ぶ生活をしています。

私が教員になりたいと思ったのは、中学時代の先生の影響です。体をはってトコトン生徒にぶつかる先生、いつも日記にあたたかいコメントで励まし続けてくれた先生に大きな憧れをもったのです。そんな地元広島で教員をという願いもありましたが、当時は、採用がほとんどなく、臨時採用の講師が多くを占めていました。場所にこだわるより少しでも可能性のあるところで勝負して、とにかく夢を叶えたいと考えた私は、大阪府も含めて4県の採用試験を受験しました。教育大学や、教育学部ではないという弱さも感じていましたので、浪人をする覚悟で、やれるだけのことはやっておこうと、教員採用試験のための通信講座も利用していました。また、もう一つ私が大学時代に続けたことに、新聞の切り抜きがあります。当時、寮生活で、夢を叶えるために、とテレビを置かずに4年間を過ごしていた私にとって、新聞は社会を知る貴重な情報源でした。その中で、毎日私は教育関係の記事をすべて切り抜き、ファイルにスクラップしていきました。このことが、教員採用試験での面接はもちろん、教員となってからも大変役立ちました。記事をスクラップしていくうちに、教育の専門用語やタイムリーな情報が頭の中に入り、「不登校」や「いじめ」といった教育問題についての記事に多く触れることで、自分自身の考えを深めることにもつながったのです。

教員という仕事は、採用1年目から生身の人間を相手に、授業やクラスを任されるので責任は大きいです。しかし、自分が英語を教えている生徒が、一生懸命努力している姿を見たり、「教科書がスラスラ読めた!」と笑顔を見せてくれたりするとうれしいものです。また、3年間担任として見守り続けた生徒たちが無事卒業していくときには、それまでの苦労を忘れてつい泣いてしまいます。人間形成において一番大事な時期の教育にかかわることができ、生徒の成長を間近で感じることができる大変やりがいのある仕事だと思っています。

教員をめざしてがんばっている皆さん、どうか夢をあきらめずに、充実した学生時代を過ごしてください。特に、教員という仕事を志す皆さんにとって、学問はもちろん、アルバイトや留学などでさまざまな人と出会い、苦労を味わっておくことは、将来貴重な経験となって生きてくるはずです。苦労の先には数え切れない生徒たちとの素敵な出会いが待っています!私自身、これからも生徒のために学び続ける教師でありたいと考えています。