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教育実践報告: 1年次ゼミナールでショーン・コヴィー著『7つの習慣 ティーンズ』を学ぶ (その3) | |
学生レポート「ゼミで、学んだこと、考えたこと」とコメントの精選集 | |
大阪学院大学 情報学部 ゼミナールIB 中川ゼミ 学生23名 コメントと編集: 中川 徹 (大阪学院大学 情報学部)、2011年 2月16日 |
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掲載: 2011年 3月13日 ; 追記 2012. 3.10 |
編集ノート (中川 徹、2011年 3月12日)
昨年の初めに、「教育実践報告: 1年次ゼミナールでショーン・コヴィー著『7つの習慣 ティーンズ』を学ぶ」という一連の報告をしました。第1報
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(2010. 1. 3) 、第2報
(2010. 3.11)。つぎの各ページを見てください。
- ゼミナールの趣旨 (第1報、A)
- ゼミナールの教科書 『7つの習慣 ティーンズ』の紹介 (第1報、B)
、
- 指導の実際のやり方(第1報、C)
、
- 学生のレポートに対する中川の指導例 (第1報、D)
- ゼミナールの学生たちに向けて書いた「「中川 徹のミッション・ステートメント」とその心」
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(2010. 1. 3)
- 学生たちのレポートの精選集 (第2報)
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本ページは同じ1年次ゼミナールでの、今年度の学生たちのレポート (原文のままのものと添削後のものを含む) の精選集で、各レポートについての中川のコメントをそのままの形で記録しています。この報告の趣旨を、繰り返しになりますが、簡単に説明しておきます。
(1) この1年次後期のゼミナールは、「読み、書き、考え、発表する」基礎訓練を目的とする全学統一のゼミナールですが、教材ややり方は各教員の判断に委ねられています。今年度は中川は 2クラス(14人と16人) 担当しました。
(2) 中川は、2008年度からこの『7つの習慣 ティーンズ』を教材として採用しました。ゼミ (90分) では、学生諸君に順番に半頁〜1頁半を音読させ、「ここの記述をどう思う?」という質問から、討論していきます。ところどころを端折りながら各回 20頁程度進み、14回でちょうど完了します。
(3) 「書く訓練」を重視し、(昨年度は3回でしたが) 今年度は4回のレポート提出を課しました。「ゼミで 学んだこと、考えたこと」が共通テーマで、「感じた、思った」という「感想文」ではないことと指示しています。各学生のレポートを読み、その主要部を添削し、また書き方について、書いた内容についてコメントをしました。
(4) 各クラスで、全学生のレポート(全文)をまとめた「レポート文集」と、全学生分の「コメント集」とを毎回作り、学生にフィードバックしました。みんなのレポートを互いに読むこと、また、それぞれに対する中川のコメントを読むことが、1対1の指導よりもはるかに有効だと考えたからです。この趣旨はゼミの最初に説明して、学生諸君の了解を得ています。
(5) レポートの指導は、第1回、第2回あたりは文章の書き方の添削をしますが、後になると添削はほとんど不要になり、中身の議論が主になります。
(6) 今回、学生諸君のレポートとそれに対するコメントを、できるだけ生の形でまとめて、教育実践の報告としてここに掲載することにいたしました。学生諸君が何を考え、何に悩んでいるのか、またゼミで何を学んだのかを、学生諸君の文章で掲載しておくことが、よいだろうと思った次第です。
(7) この文集を編集するにあたって、つぎのようにしました。
・ 学生たち自身の文章 (黒字) と、それに対する中川のコメント (青字) とを組にして、ここに載せる。
・ 各自のレポートの全文を掲載することはできないので、中川がコメント集に選んだ部分 (それをさらに選んで) を載せる。
・ 初回提出レポートでは、文章が稚拙な点があり、その文意を保って中川が添削した形 (すなわち、コメント集での形) で載せる。後半の提出レポートは、この添削をほとんど必要とせず、学生の文そのままである。添削文/原文の区別を明示する。
・ 学生各人のものを一箇所にまとめる。テーマごとに見るよりも、学生の心の変化が読み取れるからである。
・ レポートを提出した学生全員について掲載する。現在の学生諸君の気持ちを理解するのによいと思う。順不同。
・ 小見出し、太字、微小の補足 ([ ]内)、小規模の中略(■)、大規模の中略 (■■) などで、コンパクトに読みやすくした。
・ 学生たちの名前は明示しない。ただし、著作権があるから、イニシャルで示す。なお、『7つの習慣 ティーンズ』
の主要目次は以下のようです。
- 「習慣」の意義
- パラダイム と原則 -- (思いこみと自分の考えの中心)
- ボクのワタシの「自己信頼残高」 -- (自分自身への約束を守り、自信をつけていく)
- 第一の習慣: 主体的に行動する -- (自分で判断して行動する、自分自身をコントロールする)
- 第二の習慣: 目的を持って始める -- (自分の未来、ありたい姿、自分の才能を考える、自分のミッション・ステートメントを書こう)
- 第三の習慣: 一番大切なことを優先する -- (生活時間の管理の考え方、緊急性よりも重要性、快適ゾーンから勇気ゾーンに飛び出す、意思の力で選択する)
- 人間関係信頼残高 -- (人からの信頼をこつこつ築く)
- 第四の習慣: Win-Winの考え方 -- (勝ち負けにとらわれない。自分も勝ち、相手も勝つ。)
- 第五の習慣: まず相手を理解してから、次に自分が理解される -- (心から耳を傾ける、真のコミュニケーション)
- 第六の習慣: 協力から生まれる相乗効果 -- (違いを認めて、益にする)
- 第七の習慣: 自分を磨こう -- (身体、知性、感情、精神を定期的にリニューアルする)
[追記 2012. 3. 3: 2011年度の9人の学生のレポートと中川のコメントを、新しいページに掲載ました。
(2012. 3.10)]
本ページの先頭 | 学生レポートとコメント(2010年度、火曜クラス) | 同 (2010年度、木曜クラス) | 編集後記 | 2011年度実践報告 (学生レポートとコメント) |
教育実践報告親ページ(1) | ゼミナールIB | ショーン・コヴィー著『7つの習慣 ティーンズ』 | ゼミでの「7つの習慣」の指導 | 学生のレポートへのコメント例 | 学生15人のレポート集(2009年度) | 中川 徹のミッション・ステートメント | 英文ページ |
ショーン・コヴィー著 (キング・ベアー出版)
『7つの習慣 ティーンズ』 を読んでこのゼミで、学んだこと、考えたこと
火曜クラス (学生11名のレポート + 中川のコメント)
KS君 【第1回】 【添削文】 2010.12.23
僕自身このゼミを受講するのは2回目です。この本の内容は何度読んでも自分のためになり、自分にとって有益なゼミだと感じています。 ■
「7つの習慣」について書かれていますが、逆の「不幸せになる7つの悪習慣」も詳しく書かれています。それらを比較して考えることを僕たちに求めているのがよく分かります。
ここにある「7つの習慣」は考えさせられることも多く、納得するところもあって、「このとおりの習慣を守って生きていけたら何かと得だし、有意義に生きて行けるだろうな」とも思います。しかし僕はこうも思っています。「習慣なんてものは人それぞれである」と。どういう事かというと、ショーン氏は7つに習慣を分けて考えましたが、別に8つの習慣を心がけたっていいのですから (大事なのは数ではなく内容なのですが)。僕は、「習慣は自分自身で決めるもので人に教えられて決めるものではない」と考えています。この本を読んで納得するところがあったとしても、この考えは変わりません。自分がひねくれているのは分かっています。ただ僕はこの本から学ぶところも多いのも事実で、これからもこの本を頼るつもりでいます。これでも一応この本が好きですから。
【コメント (中川 徹)】
- KS君の文章は、言おうとしていることはある程度通じますが、まだ適切な表現になっていないと思います。いろいろなところがちぐはぐだったことは、上記の添削をしているうちに段々はっきりしてきました。自分の文の添削例だけでなく、他の人たちの文の添削例をもよく読んで、文章の書き方の練習をして下さい。
- 「習慣は自分自身で決めるもので、人に教えられて決めるものでない」ということが、何を意味しているのかは、このレポートでははっきり述べていません。KS君がここでいっている「習慣」とはどういうことですか? 本書でいっている「習慣」ですか、それとももっと日常用語としての (何時に起きる、体操をする、などの)「習慣」ですか? あるいは、もっと根底の、自分の信条、自分の行動のしかた、などのことですか?
- 本書の意味での「習慣」について、「人に教えられて決めるものでない」というのはある意味でそのとおりと思いますが、「自分自身で学んで、決める」ことが必要ではないですか? 「自分自身で、学ばないでも、決めることができる」ものですか?
- 「本書の内容は何度よんでも自分のためになる」と感じていることは、素晴らしいことです。じっくり読んで、よく考えて、自分の人生に (自分なりに) 生かしていって下さい。
KS君 【第3回】【原文】 2010.12.23
第2の習慣 目的をもって始める。
目的をもって始めることは、何かを始めようとするまさにその時に決まります。目的とは「ゴール」です。そしてそのゴールは自分が決めるのです。誰かに決めてもらったりはできません。そこで、ここの章でも肝となるであろうミッションステートメントについて考えてみます。
ミッションステートメントは、人それぞれの個性も出て、書き方は様々です。僕自身も授業中には書きませんでしたが、家で考え、書いてみることにしました。すると自分の良い所や悪いところが見えてきました。思ったことをとりあえず書いてみて、実際に文字にすることで現実感が増すというか、身が引き締まりました。
なにか困難にぶつかったとき今の心情を文字として紙いっぱいに書いてみる。すると新しい自分に出会うことができる。僕はミッションステートメントの重要さに気づかされました。 ■■
【コメント (中川 徹)】
KS君 【第4回】【原文 (一部省略)】 2011. 1.27
第4の習慣 Win-Winの考え方
■ 私はこの本を読むまでWin-Winの考え方を知りませんでした。それまでは勝つ側がいれば負ける側もいるのが普通という考え方でした。しかしここで書かれている内容は少し違う意味のWin-Winの考え方でした。それは、スポーツなどの勝敗ではなく、人間関係の上でのことでした。 ■
Win-Winの考え方は相手も勝って自分も勝つという考え方です。言葉でいうのは簡単ですが、それは最も難しいとこの本でも書かれており、私もそう思います。人の幸せを素直に喜べる人は一体どれくらいいるのか。自分自身が不幸に陥った時に、果たしてだれも道連れにしないでいられるのか。「相手も勝って、自分も勝つ」この言葉の真の意味を知るには私にはまだ早いのかもしれません。大人になり仕事をしようが、Lose-Loseの考え方の人はまだまだ沢山いるでしょう。しかし私はこの考え方を忘れることはないです。自分が成長するために大切であり、人間の本質がよりよくなることを私はこの本で学んだからです。
このゼミは、他の授業と違って「人間の在るべき姿」を学べる授業でした。この本に出会って私は絶対に変わりました。変らされたのではなく、自ら変わろうという意思がありました。
【コメント (中川 徹)】
- 文章としてはほとんど直していません。自分の気持ちを素直に書いているので「感想文」に近い感じの文章ですが、それなりに表現としてはよいと思います。
- 「学んだこと」を、適切に自分の言葉に置き直して書いており、よいと思います。
- ここで『ティーンズ』の本が言っていることを、「スポーツなどの勝敗のことでなく、人間関係のことでした」と書いているのは、分かりやすい記述です。スポーツ選手同士が、ライバルとして競い合っているとき、「試合では勝敗がつく」けれども、「人間関係 (あるいは人間同士)としては Win-Win」になれるのです。それがスポーツマンシップの真髄ですね。
- Win-Winの考え方を身につけること、それを実行していくことは、本当に難しいことです。その難しさを知った上で、「しかし私はこの考え方を忘れることはないです。自分が成長するために大切であり、人間の本質がよりよくなることを私はこの本で学んだからです」と書いているのは、立派です。
- このゼミが、「「人間の在るべき姿」を学べる授業」であったというのは嬉しいことです。また、「この本に出会って私は... 自ら変わろうという意思がありました」というのも嬉しいことです。この授業で学んだことを心に留めて、これからも成長していって欲しいと、思っています。
KI 君 【第1回】 【原文】 2010. 11.19
「どうやったら人生がうまくいくか」。これはおそらく誰もが思ったことがあるだろう。自分の夢にひたすら真っ直ぐ向かっていく人や、これからの多くの経験で自分の人生を決めていく人もいるだろう。しかし実際私たちのような年齢になるとどうしてもこれからの社会や自分自身のことでも将来に不安がないとはいえない。
そんなときにゼミナールで出会った「7つの習慣ティーンズ」という本をこれからの人生に役立ててほしい。この本には先ほどにも言った「どうやったら人生がうまくいくか」という疑問を解決してくれる。簡単に言えば人生をすばらしい道に導いてくれる本だ。(勿論宗教の話ではない)その方法とは7つの「習慣」を守こと。これこそが人生の成功の鍵だとこの本は記している。
まだ将来が見えない若者やこれからの自分を新しく変えたいという人にぜひ読んでほしい1冊だ。 ■■
【コメント (中川 徹)】
- この文章は、一見すらすらと書いていて、よい文章のように見えます。文章を書き慣れた人の文で、インターネットのブログや、本の書評などによく出てくるような文です。
- しかし、この文章は、ゼミのレポートとしては、適当でありません。
- 文章を書くときに大事なのは、だれが、だれに対して、どういう目的で書くのかを、弁えることです。どのような姿勢(スタンス)で書くのかを、誤解するとすべてが無用で有害になります。
- 上記の文章は、誰に対して (誰に向けて) 書いていますか? そのときに、この文章を書いている人(レポートの筆者、KI君) はどういう立場にあるのですか?
- 上記の文で、「これからの人生に役立ててほしい」、「・・・という人にぜひ読んでほしい1冊だ」という表現が、この文章 (このレポート) 全体のスタンスを表しています。それが適切でないのです。
- 一つのものを学ぶとき、(特に本書のような、人間の内面や行動のあり方について論じているものを学ぶとき) まず自分自身の問題として学ぶことが本筋です。他の人に薦めたりするのは、もっと後の話です。
- この本が言っていることを自分の身に当てはめて考える、考察し、反省する、ことがまず大事です。それをしていないものは、ゼミのレポートとしては失格です。
- また、このようなものを学ぶときに、その本が言っていることをよく理解すると共に、鵜呑みにせずによく判断することが大事です。本当にそうだろうか? 自分のいままでの体験や、いままで学んできたものと比べて、どう違い、どう良いのだろうか?
- KI君のレポートの本体部分は、ここには掲載しませんでした。それは、本書を要約しているだけで、自分が学んだこと、考えたことの記述になっていないからです。
KI君 【第3回】【原文】 2011. 1.28
第4の習慣・Win-Winの考え方
人はあらゆる場所で他人と競争している。クラスメートや部活仲間、あるいは会社の同僚などだれもが経験したことがあるだろう。そのときに、「こいつだけには負けたくない」とか「自分のほうが上だ」と思ったこともあるかもしれない。特に、とある学校では、「強制的相対評価」というものを採用しており、どんなに成績がよくても下位の成績の人はおとされるというものだ。つまり、「勝つための勉強」ではなく「負けないための勉強」をするのだ。一見すると、こうすることで誰もが勉強して成績がよくなると思うが、これはWin-Loseの考え方で、あまり良いとはいえない。もし自身がこんな状況になったら絶対に落第したくないのでどんな手を使ってでも生き残ろうとするだろう。いつまでもこういう考え方では、なにも得るものはない。 ■■
【コメント (中川 徹)】
- KI君のこのレポートの書き方は、基本的に本を「要約したもの」だと思います。ところどころを自分の表現に置き換え、自分の考えも挿入していますが、それは本の要約の流れをあまり変えるものではないと思います。
- KI君の第1回レポートのときにも書きました、「文章を書くときのスタンス」の問題 (だれがだれに対して書いている文章かという問題) は、かなり良くなっていますが、まだ残っていると思います。
- 例えば、第1行の後半の文を考えます。 「クラスメートや部活仲間、あるいは会社の同僚などだれもが経験したことがあるだろう。」 この文は、「自分もいつも経験している」というスタンスではありません。「どこにでもある」と、一般論を言っているのとも違います。「本の文章をもってきた要約であり、著者が読者に言っている文だ」というのなら、「... と著者は書いている」といった表現がこの文の後にこなければなりません。ここのKI君の文は、この文の著者(KI君)が大向こうの読者(「だれもが」) に向かって言っているというスタンスの文です。このゼミのレポートは、「自分の考えを (向こう受けをねらわずに) きちんと書く」ということを第一の目的にしています。そのようなスタンスで書くことが大事なことです。
- KI君の文を基本的に「要約」だと感じるのは、いくつものところで本に書いている内容をそのまま書いているからです。また、それらの所に、「...と著者は書いている」という表現がないので、本の著者の文とKI君の文が区別されていない。だから、たとえKI君が一部分のところに自分の表現をもってきていても、それは「要約」の範囲の中のこと、「ほんのちょっと言葉を変えただけ」と感じられてしまうのです。
- このようなスタンスの問題、また、要約の問題があるために、KI君の真意が伝わってきません。この意味で、このレポートは随分と損をしていると思います。やはり、自分が本当にどう考えているのかを、改めて自分自身のために書いてみるとよいと思います。
TY君 【第2回】【 原文 】 2011. 1.27
このゼミで学んだことの中で一番考えさせられたのは、主体的に動くということだ。主体的に動くということはほかのすべての習慣を身に着ける鍵でもあるので、とても重要なことだ。
では、どうすれば主体的に動けるようになるのか。そのチャンスは、1日のうちにとてもたくさん存在する。それも選択権は自分にある。
主体的に動くことの対義は、反応的に動くだ。主体的に動くことは、自分に磨きがかかったり、交友関係がよくなったりとメリットが多いが、反応的に動くという行為にはデメリットしか存在しない。反応的に動くことは、自分からパワーを奪い、自分以外のものに放出してしまう。どちらがいいかなど一目瞭然ですね。
また、主体的に動けるようになるということは、本当の意味で、大人になると同義であると私は考える。今の時代はどうだろうか。すぐ気分を損ねる人、すぐ人を非難する人、愚痴ばかり口にする人、何事にも受身で、自分からアクションを一切起こさない人、などの反応的行動をしている人だらけに感じるというのが本音だ。どちらかというと私もそうだろう。
だが、たった1つ、その時の感情だけでなく、その先や自分の周りの人間をきちんと気にかけることを意識できたなら、主体的行動をとることは難しいことではないはずだ。それがきちんと習慣化されている人間が、本当の意味で大人であるといえるだろう。
これらのことをきちんと踏まえて生活を送っていけば、自ずと幸せなりなんなり訪れるであろう。たった1つ、主体的に動くということを意識して生活するだけで、視野ががらりと変わるはずである。私は来年成人だが、その先の人生を歩んでいくなかで、こういう当たり前のようで実はできていないことが大変重要であるということを学んだ。この知識を今後も意識して生活していこうと思う。
【コメント (中川 徹)】
- 上記の文章は原文のままです。いろいろ推敲するとよいことはあるでしょうが、一応きちんとした文章になっていますので、手を入れていません。
- 第1の習慣、「主体的に行動する」ということに絞ったレポートになっています。絞ったこと自体はそれでよいと思います。
- ただ、このレポートには、「主体的に行動する」とはどういうことか、どういう意味で言っているかを、明確に書いていません。それはもう分かっているものとして書いている。また、反対語の「反応的に行動する」の方も、いくつかの例示がありますが、きちんと説明しているとも言えません。文章を書く場合には、それが一つの独立した文書として読まれても、誤解を生じないように、文意がきちんと伝わるようにすることが大事なことです。このレポートの場合でも、2、3行あれば、「主体的に行動する」という言葉で何を意味しているかを説明できるだろうと思います。
- 「主体的に行動する」(自分の判断で、自分の行動に責任を負って行動する)ことの基礎として、「その時の感情だけでなく、その先や自分の周りの人間をきちんと気にかけること」をTY君は挙げています。適切な表現だと思います。また、「主体的に行動できること」が、「本当の意味で大人になるということ」だと書いているのも、そのとおりだと思います。ここで学んだことを、ぜひ、今後の学生生活でも、人生でも活かして欲しいと思います。
AYさん 【第2回】 【原文】 2011.11.25
第一の習慣の主体的に行動するで私が学んだ事は、主体的な選択と反応的な選択で性格的に表せば、主体的な人は落ち着いていて周りがよく見えている人や、考えて行動できる人で、反対に、反応的な人は自己中心的で周りを見ないで行動してしまう人だったり、事が起こるのを待つ人だと思った。自分はいつも、優先順位を見間違えたり、自分から行動を起こさなければいけないのに指示されるのを待っていたりと、どちらかというと反応的な人間だと思うので”主体的”という言葉を意識していかなければならないなと思った。
そして、考えた事はp.76の「主体的な人は――」というところで「自分でできる事に目をむけ、できないことは気にしない」とあるが、本当に主体的な人なら、「自分でできる事に目をむけ、できないことはできるまでやる」など、チャレンジ精神というか克服しようという意思を持っているべきでなかいかと思った。
【コメント (中川 徹)】
- この第一段落で、主体的な人と、そうでない人とを対比させて書いている部分は、適切と思います。自分らしい言葉で、よく消化して書いている点が、優れた記述になっています。
- 第二段落では、「自分でできること/できないこと」という理解が適切でない(本書の記述を誤解している)と思います。本書はここでは「自分でコントロールできること/コントロールできないこと」を区別して言っているのです。AYさんが言っている「できないことはできるまでやる」というのは、「自分でコントロールできないことを、コントロールできるまで努力する」ことでしょうか?そのような「チャレンジ」は、「間違ったチャレンジだ」と本書は言っていると思います。(添削していないのは、原文の論理を変えないために、手を入れていないのです。)
AY さん 【第4回】【原文】 2011. 1.27
半年を通して『7つの習慣 ティーンズ』を読み、私が学んだことや考えたことはたくさんありました。
初回のゼミナールの授業で読んだ第1の習慣のときは、まだ本の内容を理解できていなくて少し戸惑ったこともありました。
しかし読み進めていくにつれ、自分自身の考え方、人との付き合い方、人とのつながりの大切さ、色々なことが学ぶことができたと思います。
これから先、この本を読んだことによって考え、学び、そして実践して、今までの自分の考え方や行動に比べて「変わったな」と思えるような生き方をしていければ良いなと感じました。
【コメント (中川 徹)】
- 素直に書いているのだと思います。この本を読んで、「自分自身の考え方、人との付き合い方、人とのつながりの大切さ」など、いろいろと学んだ。それらをさらに考え、実践して、自分の生き方を変えていきたい、とのこと。この本とこのゼミが役に立ったのでしょう。
- ただ、この文章として書いているのは非常に漠然としていると思います。AYさんは、まだ自分が学んだこと、そして考えたことを文章にする努力が十分でないと思います。文章にすることは、(人に見せたから人の役に立つというよりも) 自分自身に最も役に立つのです。この本、このゼミで本当に何を学んだのか、自分のために一度まとめてみるとよいのです。第2の習慣で学んだように、「自分のミッション・ステートメント」を書き出すとよいでしょう。
YK 君 【第1回】【添削文】 2010.10.21
いままでの3回の授業で本書から学んだことは、本のタイトルである「7つの習慣」の基礎、そして「自己信頼残高」についてである。
「7つの習慣」の基礎として、本書ではパラダイム・シフトというものについて、以下のように説明している。「パラダイム・シフトとは考え方の転換という意味であり、自分自身に対するパラダイム (思いこみ) や他人に対するパラダイムの間違いを正すことにより、よりよい人生を送ることができる。自分自身に対するパラダイムの一つの面は、自分が何を中心として生きているかである。人々がその中心としているものには様々なもの (例えば、友達、恋人、学校、など) があるが、「原則」を中心とすることにより、一層優れた人になることができる。ここでいう「原則」とは、「人間の世界を支配する法則」であり、正直、勤勉、愛、など沢山あるが、人はだれでもそれを自分の心(「良心」) で感じることができる。「原則」自体を理解し見つけることは容易だが、それを人生の「中心」とすることは難しい。なぜなら、人には楽をしたいといった欲があり邪魔をするからである。」
ここで私が考えたことは、どのようにすれば「欲」を抑え込み、「原則」を身につけることができるのかである。「7つの習慣」は原則に基づいて出来ているので、このことは重要である。「欲」を抑え込むことのできる「良心」を、自分ひとりで成長させることは無理であると思う。周りの人々と相互に関係し合い、互いに高めあうことが必要であると思う。そのような努力の中で、欲を抑え込み、良心を成長させ、原則を身につけて行けるのではないだろうか。そして「7つの習慣」を身につけ、より良い人生を送ることが望ましいのだと思う。■■
【コメント (中川 徹)】
- レポートの全体の構成、および文章の書き方など、きちんとしていると思います。
- 文章で、読点「、」をもう少し入れる方がよいでしょう。[上記ではかなり添削済み]
- 「学んだこと」(自分の言葉での本書の内容の説明) と「考えたこと」 (自分の意見、自分の考察) とを、二つの段落で書き分けているのはいいことです (ただし、いつも段落を分けるのがよいとは限りません)。その点をより明確になるように添削しています。
- 「学んだこと」に関して、本書を読まなかった人にももう少し分かるようにするのがよいと思いました。その趣旨で文章を補っています。
- 本書の中で特別な意味を持たせて言っている言葉は「 」内に括って書くのがよいでしょう。上記ではそのような趣旨で「 」を挿入しました。
- 内容的な面では、「欲を抑え込み」という表現が適切かどうかが気になります。本書を学んでいく中で、きっと違う表現ができてくるものと思います。
YK君 【第3回】 【原文】 2010. 12.18
第3の習慣「一番大切なことを優先する」
この第3の習慣は7つの習慣の中では最も難しいものだがしっかりと要点をおさえてしっかりと身につけていけば大きな力となるのである。
まずは「一番大切なことを優先する」事柄に対して、それが持つ目標と時間の中での「重要性」と「緊急性」について書く。「重要性」とは目標につながる一番重要なもので最優先なもので、「緊急性」とはすぐに対応しなければならない、差し迫ったものである。これら2つの程度と組み合わせにより大きく4つに、重要かつ緊急であるもの、重要だが緊急でないこと、緊急だが重要でないこと、重要でも緊急でもないもの、と分けることができるのである。重要かつ緊急であること、とは一見良いものに見えるがそれは間違いであり緊急の面でおいて時間に余裕がないとい言うことで危険性を多く含んでしまっているのである。緊急だが重要でないこと、は要するに大きく目標に関わってくるものではないのだが対応をしてしまうような事柄である。重要でも緊急でもないことは、リフレッシュをする分には良いがこれのようなことを優先的にやってしまえば後に取り返しがつかなくなってしまうのである。重要だが緊急でないこと、とはようするに「一番大切なことを優先する」事柄をやるにおいてよいであるといえるのである。これに主眼をおいて残りの3つをバランスよく保てば、「一番大切なことを優先する」事柄をこなして、目標達成に近づくのである。
こういった時間の中でものを調整して実行するにはプランナーを使い1週間も予定を決め、また1日ごとに調整していけば効果は大きくなる。これらに対しては非常に困難なことであると考えている。やはり細かい事柄に対して色々と修正をかけていかなければならないわけなので、身につけるのは相当な時間と精神が必要である。とくに余裕を持って重要なことに挑むことはこういった習慣を身につけるにあたり、はじめのうちは大変苦労すると思うので一筋縄にはいかないであろう。■■
【コメント (中川 徹)】
- 文そのものはしっかりとしており、教科書の内容を適切にまとめている。
- YK君は、いままでしっかりしたレポートを書いてきているけれども、今回のこのレポートは (多分時間に追われて) 書きなぐってしまったように見える。構想が練れていない、推敲ができていない、と思う。
- このレポートは、第2の習慣と第3習慣についての教科書のすべての範囲をカバーして、かい摘んで説明しようとしている。教科書の内容を逐一誰かに伝えることが目的なら、そのような書き方もあるだろう。しかし、それはこのゼミでのレポートの趣旨ではない。「自分が」何を学んだのかを、書いて欲しいと思っている。それは総花で説明するのではなく、本当に学んだこと、新しく知って、「そうだったのか」「たしかにそうだ」と思ったことに絞って書くとよい。
- やはり、レポートとしては、「考えたこと」が欲しい。「学んだこと」よりも「考えたこと」の方が、レポートに書く価値がある。高校までの教育は、「学ぶこと」がほとんどすべてで、すべての問題には「唯一つの正解」があると教え込まれてしまっていただろう。しかし、実社会の問題は、技術の問題でさえも、多くの考え方、多くの方法、多くの解決策があり、場合によって、状況によって、それらをダイナミックに考え、選んでいかなければならない。だから、「考えること」の方が大事であり、レポートとしても、「考えたこと」の方が大事になる。
- 自分にとって、いま何をすることが大事なのだろう?自分はどんな人になりたいのだろう? といった素朴で、大事なことを、もう一度考えてみるとよいかもしれません。それがここの「ミッション・ステートメント」を書いてみるということでしょう。
YK君 【第4回】【原文 (微修正) 】 2011. 1.27
第四の習慣: 第四の習慣はWin-Winの考え方ということがテーマとなっており、人間関係を人生の本質ととらえ、自分も相手も勝つという考え方である。Win-Winを見ていくにあたって他に考え方として、Win-Lose(勝ち負け)やLose-Win(悪いのは自分)、Lose-Lose(らせん降下)といったものがあり、これらは非常に危うい考え方であるといえる。Win-Winは相手にとっても自分にとっても良い結果が返ってくるがこの考え方を身につけるのは非常に難しい。得られるものに対しての困難度が非常に高いのである。私としては、Win-Loseという考え方が一般的に広まっていると思っている。二大悪習として「比較」と「競争が」挙げられており、「競争」においては表裏で良い面、悪い面があるとなっているが、一般に「競争」の悪い面をも良い面としてとらえているがゆえにWin-Winの考え方に近づくことができなくなっているのではないかと思う。Win-Winに近づくには色々と方法はあるとは思うが、一筋縄ではいかないだろう。 ■■
【コメント (中川 徹)】
- YK君の文章は、いつもきちんと書いていると思う。ほとんど直さないつもりであったが、読んでいくにつれてやはり少しずつ直した。
- 直したことのほとんどが、読点「、」を挿入したことである。一つの文が長くなっており、いろいろな考えを後ろにつけ加えている構文になってしまっていることが分かる。
- 特に大事なのは、「〜だが、〜」、「〜しても、〜」などの場合である。このような場合に「、」を打たないで続けていて、論理がすらっと通っているかのように日本語では感じる。しかし、本当はこれらは「逆接の接続助詞」であり、論理的に反対のことを述べている。この論理の逆転をもっと明確に意識しないといけない。そうでないと、あたり障りがない、結局何を言っているのかが明確でない文章になってしまう。
- Win-Winというのはたしかに身につけることが難しい。その難しさは、Win-Lose が支配している現在の社会と現在の自分の心の状況において、ある時点で思慮深く、一旦自分が相手に譲ること (すなわち、Lose-Win) をしなければならない、からである。それは、相手の言いなりになるLose-Winではない。相手の立場を考え、また、相手が心を持った人間であることを信じて、自分のプライドとか面子とか利害とかを一旦捨てる (すなわち、そういったものに対する欲を克服する) ことであろう。要するに、自分の中で、Win-Lose にとらわれている自分を克服することが、その本質であると思う。
- 「一筋縄ではいかない」、「すぐに身につくことではない」というのは分かっていることです。それは「学んだこと」であり、また「考えたこと」でもあるでしょう。しかし、自分が「学んだこと、考えたこと」をまとめた文章の最後に、これを持ってきて終わってはいけません。「自分はどうするのがよいのか」という質問に対する自分なりの答えを考えて、それを最後に持ってこないといけません。それがこの本を読んで、学んで、考えるべきことなのです。
- YK君にはいつもいつも厳しく書いてしまっているように思います。それだけ期待しているからです。
SS君 【第2回】 【原文】 2010.11.19
<概要>
このレポートはゼミナールTBの講義で『7つの習慣 ティーンズ』(ショーン・コヴィー著)を読み、その中のエピソードや講義中に行われた発言等を参考にして、「第一の習慣 : 主体的に行動する」について学んだことをまとめ、それらに対する私自身の考えをも述べる。「主体的な人間」
私は「主体的」の中に含まれる要素は、冷静さ・分別・自信であると考える。思慮深く感情よりも理性で行動しようとすること。自分に出来るものと出来ないものを理解し認めること。他人の言葉・評価で自らを悪い方へ変えてしまうことがないように、自らの長所・良い点を忘れないこと。それは自信となり、自信は行動の強い軸および原動力となる。他人の言葉に揺るがされることなく、自分自身の心の平静を保つことができる。私は「主体的」ということについてこのように考える。「不幸と選択」
私がこの章で最も興味を引かれたのが「逆転勝利」の項である。その中のW・ミッチェル氏のエピソード。バイクでの衝突事故と飛行機の墜落事故を経験し、下半身の麻痺など多くの障害と共に生きていかねばならなくなったミッチェル氏。彼は同じく麻痺のある青年患者にこう言った。「ぼくもこうなる前はできることが1万あったよ。だけど今は9千だ。でも、失った千のことを考えるよりも残りの9千に目を向けていくことにしたんだ。」大事故に遭った後、多くを成し遂げたミッチェル氏はさらにこうも言っている。「この状態(怪我や障害)を挫折ととるか、出発点ととるかは私次第だ。」彼ほどの事件でなくとも、人には良いか悪いか「転機」と呼ばれる時がある。それが不幸な出来事であったとして、その出来事自体はどうにもならない。しかし、それを挫折と思いその後まで不幸なのか、それとも出発点と思い幸せになろうとするのかは、自分で選択できるのである。
私自身は人生に大きく関わるような出来事にはあっていない。しかし、事故や病気など何時自分の身に起こっても不思議はないのである。様々な出来事も起こってしまえば、それ以前に戻ることはできない。例えそれが不幸な出来事であったとしても。しかし、その後は自分で選ぶことができる。幸せになるか不幸になるかは、その出来事がどのようなものなのかではなく、その後の自分の生き方をどうするかで決まる。私はこのエピソードを読んでそのように考える。
<終わりに>
選択の積み重ねが人生であるとするなら、一つ一つの選択に責任を持てないようでは、人生そのものも到底自分で動かしていけるわけがない。「幸せも不幸も自分の選択次第」ということを忘れず、一つ一つの選択に責任を持たねばならない、ということをこの章で学び、これからも考えていこうと思います。【コメント (中川 徹)】
- これは素晴らしいレポートであり、素晴らしい文章です。上記の文で、どこも添削するべきことはありません。二度、三度と読んだ上で、手をまったく入れないのがよいと、中川は判断しました。
- このレポートが優れているのは、(例えば「主体的な人間」の項で) 本を読んで学んだことを、よく噛み砕いて、自分の言葉にして、自分で重要項目を選択して、さらにその論理的な関係をも簡潔、適切に表現していることです。「学んだこと」のレベルで話しているのではなく、「考えたこと」のレベルで話しているのが、優れたことです。本書から学んだ内容をベースにした上で、考えたこと、自分の考えとして表現できている点が優れた点であると思います。
- 「不幸と選択」のミッシェル氏の話は、授業の中でみんなで読まず残念でしたが、印象深い話ですね。この話を読んでのSS君のまとめも適切で力強いものであると思います。
- 「一つ一つの選択に責任を持つ」ということが、主体的に行動するということである。それは日常的な些細なこと (毎日100回程度は遭遇するようなこと) に対する選択から、人生を左右するような大きなことに対する選択 (あるいは、ここの例のように人生を左右する大きな出来ごとが起こった後の自分の行動の選択) までを含んでいる。それらの選択を積み上げた60年、100年が一人の人生である。-- たしかにそのとおりであり、いつの間にか決まっていっているようでありながら、その総計は結局はその人が選択してきた結果であり、実に重いことである。
SS君 【第3回】【微小添削文】 2010.12.18
<概要> このレポートはゼミナールTBの講義で『7つの習慣 ティーンズ』(ショーン・コヴィー著)を読み、その中のエピソードや講義中に行われた発言等を参考にして、「第二の習慣」および「第三の習慣」について学んだことをまとめ、それらに対する私自身の考えをも述べる。
「第二の習慣」について:
目標を定めたならば、それを実現させなければならない。しかし、私は「必ず実現できるような目標」が良いとは思わない。今の自分には出来ないような目標を目指すべきである。大きな目標に向かうことが出来る強い意志こそ、目標を達成するために必要なものである。
私は目標の設定についてこのように考える。「第三の習慣」について:
「なりたい自分」を思い描くのは難しい。それを考えると「なることのできる自分」を思い描いてしまう。それは自分自身につけるレッテルになり、自分の選択肢を狭めることにもなりかねない。「なることのできる自分」を考えてしまうのは「なりたい自分」になれなかった時に恐怖を感じるからである。恐怖は必ずしも悪いものではない。人は恐怖が在ればこそ物事を慎重に考える。しかし、恐怖が過ぎれば二の足を踏み、チャンスを逃してしまう。そうならないためにも、時には慎重さを捨て、身の丈に合ったことをするのではなく、背伸びをするべきである。
<終わりに>
進むべき道は慎重に決めるべきだが、すぐできることを目標にしてはならない。掲げる目標は今の自分ができないと思うことより、さらに難しいものにすべきである。より大きな目標に向かえば、それより小さな目標は自然と達成されていく。今の各領域の自分の比率は、第一領域(重要で緊急):40% , 第二領域(重要だが緊急でない):35% , 第三領域(重要でないが緊急):5% , 第四領域(重要でなく緊急でない):20% といったところです。あまりいいとは言えません。今回こうして自覚できましたので、今後これを思い出し、修正していこうと思います。
【コメント (中川 徹)】
- しっかりしたいい文章です。上記で「添削」したのは、微小なことだけです。
- 句読点や括弧の記号に関して、横書きの和文で何を用いるかは、微妙です。
英文流儀: 句点 . 読点 , 引用や強調 ’ ’ や ” ”
和文流儀: 句点 。 読点 、 引用や強調 「 」 や 『 』
出版社によって違いがありますが、最近は和文流儀の方が主流になってきているように思います。それは、日本文の文字(漢字や平仮名)の大きさに比べて、上記の英文流儀のものの字が小さく、文中で明瞭でなくなるからです。私自身も8年程前に、句読点について、英文流儀から和文流儀に変えました。- 「目標」や「なりたい自分」についての、SS君の考えは素晴らしいと思います。SS君の書いている結語につけ加えるべきことはありません。
「進むべき道は慎重に決めるべきだが、すぐできることを目標にしてはならない。掲げる目標は今の自分ができないと思うことより、さらに難しいものにすべきである。より大きな目標に向かえば、それより小さな目標は自然と達成されていく。」- SS君がしっかり、簡潔にレポートを書いてくれており、その考えが分かったことが、ゼミのこのクラスにとっての大きな収穫です。日常SS君があまり話しませんから、なかなかその考えを知る機会が少なかったのですが、このレポート文集が意思疎通の優れた場になったことは嬉しいことです。4年間の大学生活で、よい友達を作り、互いにさら向上して欲しいと思います。
HM君 【第3回】【原文】 2011. 1.28
第2の習慣「目的をもって始める」
第1の習慣で自分の人生を自分で選び行動するようになると、次はどの目的に向かって、どうゆうルートを通って行動するかを具体的に設定する必要があります。しかしそれは、将来についての職業や、進路とかの話ではなく、どうゆう毎日を歩んで自分の人生をどうゆう方向にもっていくかという事です。ミッション・ステートメント
これは、自分の人生の中心にあるモットー、全ての選択における自分のルールであり、自分の進むべき方向にあるミッションを設定する事です。授業で実際に書いてみたけど、大まかな事でいいと言われても、なかなか書けないものでした。このミッション・ステートメントが書けると、自分に対する価値観によって決断を行うことができます。第2の習慣の感想
目標をクリアにしてしっかりした計画を立てることで目標の達成も早く、充実したものになると思いました。第3の習慣「一番大切な事を優先する」
この習慣を身につけることで、最優先するべき物を最初にもってくる事、時間のやりくりをすることができます。しかしこの習慣は、ただの時間管理でなく、恐怖を克服して強い意志を持つという意味もあります。時間管理のマトリックス
時間を管理する上で大切なのは、重要性と緊急性に分けることです。簡単に言えば目標を達成する上で重要な事と、すぐに対応すべき差し迫ったものに分けること。さらにその中で4つの領域(先延ばしタイプ、優先順位づけタイプ、イエスマンタイプ、無気力タイプ)に分ける。これをしっかりすればなにを最優先にして、どの順番で物事を処理していくかハッキリしてとてもやくにたつ方法だと思いました。特に4つめの無気力タイプのグループを見つめなおすことで怠慢な生活を見直す事ができます。ただそれが他人にとっては無気力タイプに見えても自分にとっても大切なことの場合もあると思うので、一丸にこう書いているのはおかしいと思いました。第3の習慣の感想
この習慣は「一番大切な事を優先する」というテーマなのに、中身はそれの数倍深い内容でただの時間管理でなく、そのまま自分の方向性や成功に向かうために重要なツールの作成など、難しい事ばかりだったので苦労しました。【コメント (中川 徹)】
- HM君は、(上記では随分省略しましたので分かりにくいですが) 「本の構成に従って、要約しながら、そこに自分の感想を書き込んでいく」というスタイルを取っています。それは、レポートを書くことを「作業としてやる」のにはやりやすいのですが、よいレポートにはなりません。
- そのやり方では、「学んだこと」を正確に書いているようでいて、ただ字面だけを整えたものになり、自分での再構成ができていず、消化されたものになっていないからです。読んでもちっとも迫力がありません。
- また、「感想」を挿入し、自分の言葉で書いている所もいろいろあるのですが、それは「考えたこと」というレベルまで深くならない。さらっと書いていて、(本のとおりの構成になっているから) 一見まとまったもののように見えますが、自分自身で考えたことが一つのまとまりとして表現されていない。そこまで考えられていない、と思います。
- 書こうとすることの構成を自分で決め、その中身も自分で考えたことを書いて行く。それは随分の労力を必要としますが、そうでなければ、自分の文章とは言えないのです。そのような意味で、HM君がもっときちんと書いてみる努力をするとよいと思います。
- それはそれとして、HM君がこの本の全部を読み返しながら、最初から最後までのレポートを書いたのは立派です。いろいろ学んだことが役に立つとよいと思います。ミッション・ステートメントも書いてみるとよいですね。時間管理ももう一度考えてみるとよい。「テレビやPCの画面に向かっていること」がすべて悪いわけでは確かにありません。そこで何を見て、何をしているのかが問題なのです。(私はきっと毎日10時間以上PC画面で仕事をしているでしょう。)
YT君 【第3回】【原文】 2011. 1.10
第2の習慣の「目的を持ってはじめる」とは、何も考えずにただ言われるままに流されるのではなく、自分でどういったことをしたいのか、という目標をしっかりと決めて、それに向かって行動を起こすということです。
僕が第2の習慣を読んで思ったことは、「何か行動を起こす時に目的をもって行動を起こすのと、何も目的をもたずに行動を起こすのとは全然違う」という事です。僕の場合は、目的をもって行動を起こしたほうが良いと分かっていてもなかなかそれができません。特に目的意識を持たずに何かをする事もできます。しかし目的意識を明確にもって行動する時のほうが、自分の力以上の事ができたりすることもあると思います。
目的意識を明確に持つとは■ 僕は、行動を起こす一番の要因は目的意識だと思います。「こういう目的を持って何をしたい」という意識のない人には強い行動力は生まれません。
目的意識の中でももっとも基本となるのは自分の人生の目標だと思います。しかし、これを持っている人は多くはいないと思います。人生の中で成し遂げたいことは何か、一生のうちで経験したいことは何か、これらの意識を持って生きているかいないかだけで行動力は大きく違うと思います。これらの意識があれば、行動しないではいられなくなります。やろうかどうしようか迷ったときには、自分の人生目標を思い出すことで後押しをし、最後の決断をすることができます。そうすれば、しっかりと目的を持って行動することができると僕は思っています。
【コメント (中川 徹)】
- 文章としては素直に書けていて、いろいろな考えを述べていてもその論理構成がよく分かりますから、原文を直しませんでした。第1回のレポートに比べると、文章の書き方はずっとよくなっていると思います。
- しかし、ここに書いていることは、「学んだこと」が主体です。そういわれるときっとYT君は不満で、「学んだことだけでなく、自分で考えたことも沢山書いたつもりだ」というでしょう。しかし、ここで書いているのは、いろいろな人の場合のことを書いている。自分でもなく、特定の人でもなく、思い浮かべるさまざまな人たちについて、一般論として書いています。それは、「自分で考えたこと」を含んでいるにしても、まだ、自分より外のことであり、いわば「痛くも痒くもない」ことを書いているにすぎません。
- このゼミで学んで欲しいこと、考えて欲しいことは、「自分自身がどうであるか? 自分自身がどうあるべきか? 自分自身が何をすべきか?」ということです。『7つの習慣 ティーンズ』を学ぶのは、「7つの習慣という考え方についての知識」を学ぶのではありませんし、「一般論としてどうあるべきか?」を学ぶのでもありません。学ぶことを通して、「自分自身がどうあるべきか?」 を考えることです。その意味で、私は、YT君のこのレポートに不満です。(YT君はじめ、みんなのレポートが、回を重ねるに連れて良くなっていっているので、私のコメントも段々一層高いことを要求しています。そう思って読んで下さい。)
- さて、そのような目でこのレポートを読み返してみると、「目的を持って始める」に関して、YT君は、「目的」--「目的意識」--「人生の目標」という順に議論をしています。これはどういう順番でしょうか? YT君の論理では、「人生の目標」が決まっていれば、それに応じた「目的意識」ができ、それに応じた「目的」が設定でき、それに応じた「行動」を起こすことができる、ということでしょう。しかし、「人生の目標」などという大上段のものを決めている人は多くない、だから、「目的意識」もなかなか明確にならず、「目的」も明確にならず、結局、はっきりした「行動」を起こせる人は少ない (そして、自分も起こせていない)。
- 「目的を持って始める」というためには、何がスタートになりうるのだろう? 「人生の目標」というのは、ここでいっている「目的」よりも、先に決めることができる/先に決めるべきなのか? 「目的意識」というのは、「目的」とどう違うのか?どちらがより明確なのか、どちらが先に心の中にできるのか?
- 人間の心は、最初はぼんやりしたもので、感覚的であって論理的でなく、明確に自覚していず、明確に言うこともできないものからスタートする。それがいろいろなできごとや経験を通して、段々明確な「意識」になり、そしてその後に明確な「決心」になる。-- 私はそのように思います。だから、「目的意識」が最初で、小さな個々の「目的」が次にきて、それらをまとめたものとして「人生の目標」が来るのだろうと、思います。
- 「目的を持って始める」というときの「目的」は必ずしも最終目的である必要はありません。模索の段階には模索の段階に適した「目的設定」があります。例えば、「模索」の意図をもって何かを「一ヶ月間集中してやってみる」というのも、目的設定のしかたです。(漫然と同じものをやったのとは、明確に違います。)
- 一年次の諸君にとって、情報学部の中で何を学んでいくかは、将来の自分の方向づけ、自分の仕事の可能性に大きな影響を与えます。「模索」の段階であっても、それぞれを真剣に学ぶことが大事なことです。
YT君 【第4回】【原文】 2011. 1.27
■■ 感想
14回の講義と、4回のレポートにわたって「七つの習慣」というものについて勉強してきましたが、僕は正直最初はこんな本を読んで意味があるのか、と疑っていたのですが、先生の講義を受けているうちにどんどん「七つの習慣 ティーンズ」という本にはまってしまい、講義が終わった時には、いろいろなことを感じたり、考えさせられたりしました。この本を読むことによって大げさだとは思いますが、今後の人生や将来について自分の中での考え方がとても大きく変わったと思います。この「七つの習慣 ティーンズ」という本は本当にすごい本だと思いました。また何かあったときは、この本を読み直して先生のゼミのことを思い出せたらいいと思います。
ありがとうございました。【コメント (中川 徹)】
- YT君の文章は、本の記述に従う形で、自分の言葉に置き直しながら、素直に書いているように思います。最初は要約なのかなと思いましたが、要約ではないのがよい点です。自分の感想、自分の考えがその流れの中に自然に入ってきています。
- 第4の習慣から第6の習慣までを書いていますが、それらが繋がったものとして理解し、一連の流れの中で考えていっているのがよいことだと思います。「Win-Win の考え方」が「調和的なもの」を求めていること、「まず相手を理解してから、次に自分が理解される」では、「傾聴する」ことと「思いやり」をもつことのつぎに、自分のことを話すための「勇気」がいること、そして、それらの過程を通して「協力から得られる相乗効果」のことを、YT君は述べています。それらは一つの繋がったものなのだ、という理解をしていることが大事なことと思います。
- ゼミでもたびたび話しましたが、特に日本人にとっては、自分の判断で自分から行動するという「主体性」を身につけることが大事だと思います。「傾聴する」ことのつぎに、自分から自分の考え、自分の気持ちを話す積極性が必要で、それにはやはり「勇気」がいるのです。そのような積極性は、結局は自分の中での自覚的な考え方、目的意識を持ち、何が大事かの優先順位の判断をして行動するという、日常生活から培われるものでしょう。YT君も、他の人たちも、そのような主体性をぜひ身につけていって下さい。(就職面接などといっても、結局はそのような人間としての主体性を見られていると思って間違いありません。)
- この本と、このゼミの授業によって、「今後の人生や将来について自分の中での考え方がとても大きく変わった」というのは、随分大きなことだと思います。嬉しいことです。
DW 君 【第3回】【 添削文】 2010.12.16
まず第3の習慣の前に、第1の習慣で、主体的に行動することの大切さ、第2の習慣で、目的をもってはじめることの大切さ、を学んだ。しかし第3の習慣のp.152では「目標をきちんとしたリストや意欲はあったとしてもそれを実行すること、優先することは至難の業です」とある。僕も、夢があるけれど、バイト、学校、睡眠など様々な、しなければならないことがあり、また、したいこともある(マンガ、ゲーム、読書、対話など)。それらを優先してしまい、自分の夢を見失っている時が多い。なので、第3の習慣はためになるように思う。■■
【コメント (中川 徹)】
- 全体的には、よく書いていると思う。ただ、文にはいろいろと舌足らずの表現がある。
- 最初の方で、「しなければならないこと」(例: バイト、学校、睡眠など) と「したいこと」(例: マンガ、ゲーム、読書、対話など)とを書いている。一方、『7つの習慣 ティーンズ』では、そのような区別ではなく、「重要/重要でない」と「緊急/緊急でない」とで分けている。DW君の分類と、この著者の言っている分類とは、どのような関係にあるのだろう?
- おそらく、DW君がなにげなく言っている、「しなければならないこと」と「したいこと」とをもっと具体的に考えて、著者のいう4つの分類で考えなおしてみることが、大事なことなのだと思う。
- 「バイト」でさえ、「本当にしなければならないこと」なのか?、もっと削ってよい、削った方がよいのでないか?と、中川は思う。経済的な事情によるが、学生の本業である勉学が二の次になようなバイトのやり方は適切でない。バイトが本当に削れないなら、厳しい条件を自覚してバイトをしつつ一層勉学に励む、という態度が必要なのだと思う。
DW君 【第4回】【原文】 2011. 1.27
第4の習慣「Win−Winの考え方」では、我々は勝ち負けを基準にして考えすぎだ。そうではなくて共に勝っていくことがとても大切であると述べられていた。また2大悪習と呼ばれる「競争」と「比較」のところでは人は成長のスケジュールが違うのだから「競争」と「比較」はすべきではないという事であった。確かにそうかもしれない。しかし、もう18〜19歳の人間ならば、イヤでも社会に出なければならないと思うし、就職活動は「競争」「比較」のみの世界だと思う。少し甘いと思った。
第5の習慣「まず相手を理解してから、次に自分が理解される」では、■
ティーンズでは「真のコミュニケーション」とは「心から耳を傾ける事」だと書かれている。その効果的な方法はミラーリングという方法だ。ミラーリングはオウムのようにではなく、鏡のように相手の言葉の意味を返してあげることや、自分自身の言葉で返してあげる。また暖かく親身な言葉のやり取りの事だ。つまり人が心から求めている返事は、心と心のやり取りで単なることばではないという事が言える。また、説教は聞きあきているともいえる。またこの第5の習慣は「相手を理解してから自分が理解される」という事が重要だとも書かれている。これは大変難しいと思う。なぜなら、根底に隠されている悩みは人それぞれで、デリケートな内容だからだ。これらを理解するのは至難の技だと思う。■■
ではここから感想を書く。まずとても有意義だったと思う。人生について考える事はいいことだし、自己啓発できたと思う。ただ授業は少し退屈に思えたし、「7つの習慣ティーンズ」大学生が読むには少し幼い印象もあった。なぜならときどき高校の話や進路について書かれているページがあるからだ。しかし内容は自分では気付けなかったことや、人生について重要な内容も書かれていた。なので、有意義であった。
これからの人生でティーンズが役に立てばよいと思う。
【コメント (中川 徹)】
- 本書全体、ゼミ全体でのまとめとしてこの期末レポートが書かれています。文章としては (本当は少しずつ推敲するとよい所もありますが)、簡潔、適切に書かれていると思います。
- この『7つの習慣 ティーンズ』という本が、「大学生が読むには少し幼い印象もあった」というのは、そのとおりかもしれません。「ティーンズ (teens)」とは、もともと13 (thirteen) から19 (nineteen) までを意味しますから、この本が想定している主要対象は中学、高校生です。大学生を主対象として書くなら、きっともっと違う事例を扱い、もっと違う論理的な書き方をするでしょう。なお、もともとのスティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』は社会人を対象にして書いていますから、読んでみるとよいでしょう。
- ただ、Win-Winの習慣に関連して、「競争」や「比較」をすべきでないという本書の記述に対して、「少し甘いと思った」とDW君は書いています。しかし、このWin-Win の習慣の考え方は、「競争」や「比較」の考えが圧倒的に支配している現在の社会に住む社会人を対象としてまず出されているのだ、という点を忘れてはなりません。それは「競争」や「比較」などは「気にしなくてよいのだよ」というほど甘くはありません。これらは現実のものとしてあるのだけれども、自分の心と生き方の中でそれにとらわれないようにせよということです。
- 「競争」を目先だけの狭い視野ですること (例えば、クラス内、就職面接で遭った10人の中での競争など) 、さらに「比較」を一つの観点だけですること (例えば、「成績」がすべてと思うこと、「金持ち度」がすべてと思うこと、など) 、そしてそれが自分にとってのすべてだと自分で思うこと、が多くの弊害を作りだしてしまうのです。これらの「競争」も「比較」も社会でなくなりはしない。しかし、それにとらわれないで、自分を育てること、自分を磨くことが大事なのです。自分に実力をつける、自分の内面を育てることが、もっともっと広い視野で多くの観点でみたときの、自分の評価を上げることです。そのような評価が、就職に際しても、企業内の活動に際しても、結局は総合的に行われていくわけです。もちろん、社会的な評価がいつも正しいわけでない (例えば、よい地位にいる人がいつも優れているわけでない、など) 。「だから、それにさえとらわれるな」と本書はいうのです。
- 「授業が少し退屈に思えた」というのは、本音だろうと思っています。本来は、皆が本書を読んできた上で議論できるとよいのですが、ほとんど誰も読んできていない。本の半頁〜1頁を順番に読んだ上で、「ここの記述はどう思う?」という質問から始めました。本で書いていることが、「あたりまえ」のことだけではありません。普通には「そうすればいいことは分かっていたって、そんなことできっこないよ」、「そんなの甘いよ」などということが一杯あります。それをきちんと納得できるように読んでいくには、なかなか一部を飛ばして読むことが難しかったのが実情です。DW君にはきっともっと話したいこと、議論したいことがあったのだろうと思いますが、そこまで授業が深まりませんでした。
- 全体の感想として、「とても有意義だった」というのは良かったと思っています。将来また思い出して読んだり、考えたりしてみて下さい。
YM君 【第4回】 【原文】 2011. 1.28
さて、これまで7つの習慣から、たくさんのことを学ばせてもらった。いや、学ばせてもらった、というよりは思い出させてくれた、と言ったほうが正しいかもしれない。
どれも、とてもためになる内容が書いてあるかのように思える。だが、それは違う。どれも本当は当たり前のこと。人は、世知辛い人間関係や世間、環境から大切なことをどんどん忘れていってしまっているのだろう。本当に、大切なことを思い出させてくれたものだと思う。
どの項目も実行するのは、なかなか難しいし、実行に移したところでなかなか上手くはいかないだろう。しかし、それこそが人生である。人間のすごいところは、学習能力のある点。生きてるのだから、間違いなんて星の数ほど犯すこともないとは言えない。そう、間違いはいくらでもしても構わない。重要なのはそこから何を学ぶかということ。
歴史の授業のときに、過去のことを学んでどうするのか、疑問に思った人は多いはず。その通り、過去はそんなに重要ではない。我々が今生きているのは今、そして未来なのだから。ただその過去からは様々なことが学べるはず。それを、今に、未来に、どう活かすか。そこが肝心なのだ。
初めから完璧な人間などいない。そうやって失敗を積み重ねて、ときには自分で過ちに気付き、時には人に教えてもらい、切磋琢磨することで少しずつ成長していく。それが人というもの。
ときには絶望に溺れるときもあるし、絶望に酔いしれたくなるときがあってもいい。ひとしきり酔ったあと、また立ち上がれるなら。二日酔いしたってまだ明後日がある。かといって長いようで短い人生。なるべく早く歩みを再開して。少しでもいい生活が出来ればとても素晴らしいことだと思う。
日常の感動なんて、少しずつ薄れていくものではあるが、ふとしたときに生きててよかった、と思えればそれでいいと思うのだ。
【コメント (中川 徹)】
- YM君の3つのレポートを読んで、YM君は「美文家」だと思う。文章がテンポよく展開され、体言止めが使われ、しばしば論理に「反転」があり、比喩があり、「読ませる」文章である。そのような文体は、文学や随筆での技法、「読みもの」(すなわち、「楽しみのための文章」) の世界での技法である。インターネットの時代でも、ブログなどでは読者を引きつけるに違いない。
- しかし、「美文」を使うべきでない世界がある。それは、「きちんとした情報を伝える」べき世界であり、情報を伝えるために文章(文書)を書く世界である。ビジネスの世界の多く、技術の世界のすべて、学術の世界のほとんどすべてが、そのような世界である。
- このゼミナールIBの (全学統一の) 趣旨は、「読み、書き、考え、発表する訓練」である。私のレポートの趣旨は、「感想文でないもの」、「学んだこと、考えたこと」を書くことを求めている。それは「読み物としての文章」ではなく、「情報を伝えるための文章」の訓練を意図している。もっと根本には、本を読んでその (情報としての) 内容を理解し、自分で考え、その考えを (情報として) 他者に伝えるために表現することを意図したものである。(だから、「美文」を使うべき世界ではない。)
- YM君の文章は、2〜3行の範囲ではひとまとまりで明確に書いてあるように感じる (ただその中に反転があり、展開がある)。そしてまた次の2〜3行にも、主題が移行しながら繋がっているように感じる。しかし、10行〜20行の全体を見ると、本当には何が言いたいのだろうと、疑問になる。美文体というのは、全体の構成や全体の主張を明確にしない面がある (いろいろな余韻を残した感覚・感情を与えることの方が重要視される)。
MS君 【第1回】 【原文】 2011. 1.29
【五つの聞き下手スタイル】
ここで言われる「コミュニケーションの四大形式」である 読む・話す・書く・聞く この中の「聞く」を除いては幼い時から習っていたが、上手に聞くための授業は普通受けていない。それどころかこの四大形式で、おそらく最も使用する頻度の高い形式が聞く事だ。それを踏まえてこそ、この章の重要性が更に増すと思う。
まず、五つの聞き下手スタイルとして挙げられているのは
・上の空 ・聞いているふりをする ・選択的に聞く
・ことばだけ聞く ・自己中心的に聞く「上の空」「聞いているふりをする」この二つは明らかに聞いていないことが分かるが「選択的に聞く」については、あながち間違いではないと考えている。流石にP.248の例えについては「間違った選択」が挙げられているのでこの場合は「聞き下手スタイル」に当てはめられる。それとは逆に「正しい選択」例えば、相手の話が本題から外れた場合や、ギャンブルをしない者に競馬の予想を聞かされても、親切に最初から最後まで聞いている人はごく少数、大抵は路線を本題に戻すか、両者の楽しめる話題に変える努力をするのが普通であり賢明な判断だと思う。今述べた「正しい選択」も一つの例に過ぎないが、これを上手く使うことが出来れば、会話テクニックの一つとして取り入れても良いだろう。
「ことばだけ聞く」確かに聞き下手として挙げられるのは理解できる、また自分がいつも相手の真意を上手く読み取れているかどうか自身があると言えないが、P248L8の例はあまりにも人間離れしているのではないかと言わざるを得ない。せめてこの会話の前にロナルドなる人物がキムにアプローチする描写、例えば『やあキム、週末にある映画のチケットが2枚手に入ったんだ、良かったら一緒に行かないかな?』キムにチケットを手渡して『じゃあまた週末に!』と去った後に隣にいた友達にこの質問をするのであれば幾分か自然な流れだと取れる。少々描写が足りないので戸惑ったかも知れないが、これは元々が日本で書かれた本ではないため、アメリカならこの様な読心術も当たり前で行われているのだろうと寛大に補完しておけば良い。アメリカではよくあること。 ■
結論
普段の会話で「五つの聞き下手スタイル」に注意するだけでも、自分を含めて当てはまっていた人に関しては随分変わってくると思う。特に最後の「自己中心的に聞く」はその性質から無意識中に陥りやすいスタイルである為、自分の普段の会話を思い返してみても意外にそうなっている気がする、これからは会話する際に少しでもこの五つを思い出して努力したい。【コメント (中川 徹)】
- MS君のレポートは、本来4回提出のはずだが、このレポートが初めてで、期末に提出されたものである。全学統一のゼミの趣旨、「読み、書き、考え、発表する訓練」に則った実質的な指導ができないことは残念である。
- 1月初めのゼミで随分長時間かけてMS君と議論になったことを思いだす。Win-Winの事例として挙げられていた高校生の実話がある。「バスケットボールで、(嫉妬から) 自分にパスを回そうとしなくなったチームメイトに、(お父さんの助言で) 自分が敢えてパスを回して、そのチームメイトが得点した。そのパスを繰り返している内に、素晴らしいコンビになっていった。」 この話に対して、MS君は、「自分もシュートが打てるタイミングだったのだから、チームメイトにパスしたのは間違いだ (良くない)」と主張した。
- この議論がゼミ中で異常なほど長引いたのは、(私に言わせれば) MS君の論理がどんどんと枝葉末節の問題に入っていったからである。
- 今回のレポートを読んで、私はその議論のときとほとんど同じようないらだちを感じている。MS君の論理は、この本が語ろうとしていることの本題ではなく、個別の事例の、MS君が「欠陥」と考えるものをあげつらっているように見える。その指摘が当たっている点が一部にあっても、それが各節の議論の主要部を占めてしまうと、やはりそれは本題ではないという感じの方が強くなる。
- ゼミでの議論、ゼミの夕食会のときの議論、そしてこのレポートを読んで、MS君の話し方は、ここでいう (枝葉末節にこだわり) 「選択的に聞く」、(相手の言おうとしていることや考えの中心的なことを理解しようとしないで) 「自己中心的に聞く」の面が強いと思います。やはり、MS君が結論に書いたように、気をつけるとよいと私は思います。
木曜クラス (学生12名のレポート + 中川のコメント)
YG君 【第1回】【添削文】 2011. 10.22
■ 「パラダイム」と「原則」のところで僕が学んだことは、自分が知らないうちに持っている「パラダイム」(思い込み) と、「なにを(人生の) 中心にするか」で人生が大きく変わることです。僕が今まで中心にしてきたものは友達です。でも、この本を読んでそれが間違っていることに気付きました。思い返せば、確かに友達に振り回されていたこともあったと思います。「では、何を中心にすればいいのか」、僕にはまだ判りません。本には、「人は心で真の原則を見分けることができる」と書いてありますが、僕にはおそらくそれがまだできていません。■■
【コメント (中川 徹)】
- 比較的素直に書けていると思います
- 文章はあまり直していません。「すらっと」書いていて、添削しようとすると「加筆」することになってしまうからです。
- 全体に論理が単純だと感じます。もう少し深い思考・考察があるとよいと思います。
- 例えば、友達についても、良い面と悪い面とがあります。どのようなケースが「振り回されていた」ことだったのか。なぜそれを自分が避けられなかったのか。自分の心理はどういうことだったのか。そのケースでは何をすると良かったのか? また、いまの交友関係をどう考えるとよいのか/どう直すとよいのか?-- このようなことを、本書を学びながらさらに考えていくとよいでしょう。
- 「人が心で真の原則を見分けることができる」というのは、必ずしも「真の原則の全体」を明確に意識できることではありません。正直であるべきか/不正直であるべきかは、自分の心で判断できる。自分が自分に嘘をついたか/嘘をついてないかは、冷静になったときには判断できるということです。具体的なことで、「本当は」どちらを選ぶべきかを、人間の良心は判断できるのだと、本書は述べているのです。ただ、人間には、それ以外に感情/欲/利害/面子などが一杯ありますから、「本当の道」をいつも選ぶことがなかなかできていないのです。
- レポートでは、これからもう少し突っ込んで書きなさい、段々長く書きなさい。そうすると自分の考えをはっきりさせ、はっきり述べることができるようになります。今後を期待します。
YG君 【第2回】 【原文】 2010.11.18
僕は今まであまり主体的ではありませんでした。友達のせいにしたり自分はいつも相手が行動した後に行動していた。でも、僕的には主体的に行動するのは難しいと感じます。親と喧嘩をしたり友達ともめたりした時も反応的な態度をとったりします。そういうところで主体的になるのはなかなか難しいことだと思います。でも、この本を読んでからできるだけ主体的に行動したり主体的な態度をとったりする心がけをしています。おかげで最近はめっきり喧嘩が減ったような気がします。やはり主体的に行動するということは思ってた以上に大事だということがわかりました。
僕はピア・ジェンセンさんの話を読んで運命は変えることができるんだと教えてくれました。ピア・ジェンセンさんはほかの記者と違って主体的な行動や考え方をしていたから成功できた。だから僕もピア・ジェンセンのような自分の人生は自分で決めて自分自身の行動や態度も自分で決めれるような人になります。■■
【コメント (中川 徹)】
- このレポートは、文章としても、随分よく書けているし、内容的にも明確なものになっていると思います。
- いままで、「友達のせいにしたり、自分はいつも相手が行動した後に行動していた」というのは、自分を冷静に見たのでしょう。「相手が行動したあとに行動する」のは、守りの姿勢、無難な判断、受け身の行動、追従の行動などを意味します。主体的であるということは、まず自分の判断で、自分の責任で、自分から行動するということです。
- 「おかげで最近はめっきり喧嘩が減った」というのは良いことですね。大人になった一つの変化というべきでしょう。それも、主体的な、自分で行動する大人になるのです。
MY 君 【第1回】【添削文】 2010. 11.26
このゼミで読んでいる『7つの習慣 ティーンズ』は、私にとってとてもプラスになる本だと思った。
初めは「7つの習慣」を読んでもあまりピンとこなかったが、「不幸せになる7つの悪習慣」を見て、私はほとんどのものに当てはまり、耳の痛い話だった。しかし同時に、これからの人生を良くしていくにはどうすればいいかが分かった。
特に思い当たったのが、第三の悪習慣の「一番大切な物は後回し」というものだった。私はいつも一番大切なものを後回しにして、自分が一番したい事を最優先にしている。学校の課題など大切なことはいつも後回しにし、自分がしたい、友達と遊ぶ事などを優先してしまっている。そして疲れてしまい、明日やろうなどと考え、先延ばしにしてきた。
こういうことを繰り返して、今まで後になって後悔してしまうことがよくあった。、最近後悔した出来事は、学校の期末課題を後でやろうと思い後回しにしてしまい、課題の提出期限を過ぎて提出したところ、受け取ってもらえず、単位を落としたことだ。授業にしっかり出席していたのに単位を落としてしまい、今思うと本当にバカなことをしたと思う。
どうして一番大切なことを後回しにしてしまうかを自分なりに考えてみたところ、自分の意志がしっかりしていないことや、人に流されやすいところや、先の事をあまり考えないことなどがあると分かった。これからはこれらのことをどう改善していくかを、自分なりに考え行動していき、自分の人生をより良いものにしていこうと思った。
【コメント (中川 徹)】
- この文章は何を言おうとしているかは、比較的明瞭に書いています。
- ただし、句点(「。」)と読点(「、」) が極めて少なく、適当でありません。上記の添削例は、文章の流れをあまり変えないで、文を「。」で区切り、また、「、」で読みやすく区切りました。本当は、一つ一つの文をもう少し短く区切る方がよいだろうと思います。
- 言葉遣いは、話し言葉の要素がまだあちこちに見受けられます。例えば、「〜してしまう」、「こうゆうことを繰り返して」、など。文章としてもきちんとしたものにすること。
- 第3の習慣に対する「悪習慣」について、具体的な経験を挙げ、また自分の気持ちを分析して書いているのは、よいことです。
- MY君が「自分が一番したいことを最優先にしている」と書いている点が、やや不明確です。後ろに例をあげているのは、「友達と遊ぶ事」です。「一番したいこと」が積極的な意味、意義をもつ活動であるなら、話はもっと深く議論しなければなりません。それに反して、遊ぶこと、娯楽、息抜き、雑談、などであるなら、ここで言っている「悪習慣」の典型でしょう。「したいこと」というのがどんな種類のことであるかを、もっとよく考えないと、上滑りの議論になっていまいます。
MNさん 【第1回】【添削文】 2010.10.22
このゼミで学んだ「自分に対するパラダイムを変えると、人生が変わる」ということは、私自身の体験とよく一致することだった。そこで、私の体験とそこから得た教訓をここに書いてみる。
私は小学校から中学校のころ(?)、学校で引っ込み思案で目立たず、人と話すのがとても苦手だった。そんな中で、中学 ?年のときに(?)、勇気を持ってクラスメイトに自分の意見を伝えてみたことがある。しかし相手は聞く耳を持たず、私の意見を何故か聞き流してしまった。私はあまりにも理不尽だと思った。どうして私の話を聞いてくれないのだろうと思った。しかし、どうせ私の話なんか聞いてくれない。意見を言ったのは普段から目立っていない「自分みたいな人間だから」と思った。そう自分に言い聞かせて、黙ってしまった。当時、沢山の人の前に立ってリードすることは、「私には絶対に無理」だった。当時の私はそれがどうしてなのかわからなかった。
中学? 年生の頃(?)、私はどうしたら他の人たちに相手にして貰えるだろうかと考えた。そして、勉強を一生懸命頑張ろうと思った。成績優秀な人はよく人に囲まれていると考えたからだった。質問をしたり、一緒に学習したり、頼りがいがあったりするから、人が集まって来るのだと考えた。それから私はこの目標に近づくために努力した。そうすると、自然に人が周りに寄ってくるようになった。私はそこで人と関わることで、徐々に自分のことを話す機会が増えた。人と話すことのためらいがなくなっていった。高校?年の頃には、ずっとスムーズに友達や先生やいろいろな人と話せるようになっていた。
ゼミの『7つの習慣 ティーンズ』の本の中で、「人に意見を押し付けるだけでは駄目だ。他人を変えるにはまず自分を変えなければいけない」ということを学んだ。それは私が体験したことと同じだったから、とても共感できた。
さらにゼミで学んだことは、「一つのもの (ものごと) に対しても、それをどのようにとらえるか、人それぞれに違う。見方を少し変えてみると、また違ったとらえかたができる」ということだった。私は、人と価値観が合わないことがよくあるし、他人の行動が理解できないことが多い。自分の意見を相手に押しつけてしまう傾向があり、他人の意見を聞き入れても、やはりまだ自分の考えていることが一番正しいのではないかと思っていた。「それは、私が不完全なパラダイムを持っているからだ」と、この本から学んだ。意見というのは、「正しい」や「間違い」はない。個人の意見を否定せずに、その人の個性を尊重すべきだと思う。
何かを動かすには、自分を認めて貰えることが必要だ。自分をさらけ出したうえで、人に初めて信頼される。今まで固定されたパラダイムに縛られず、自分のパラダイムを自分で見つけて変化させることが大切である。それは、新しいものの見方や違った視点から物を見ることができるからだ。
【コメント (中川 徹)】
- 文章に簡潔なリズムがあり、分かりやすい、よい文章です。
- ただ、「変わっていったこと」を話そうとしているのですから、いつ頃のことをいっているのか、「時」をもっと明確に書いた方がよいと思います。上記は推測で記入しました。(?)をつけている部分はそのような中川の追記部分です。
- 「ゼミ」は「演習」であり、「講義」ではありません。「授業」の一つといってもよいかもしれませんが、「ゼミ」と書いておくのがよいかと思います。
- 人と話すのが苦手だった自分を、決心して変えていったというこの体験談は、非常に興味深く、また重要だと思います。勉強の成績だけでなく、真剣な態度、積極的な態度、信頼のおける振る舞い、親切な振る舞い、人とできるだけ話をしていこうという態度などが合わさって、周りに友達ができていったのでしょう。立派なことであり、嬉しいことです。
- パラダイムに関する文が、元の文章では絡み合っていて、少し混乱させます。少し位置を変え、まとめ直してみました。MNさんの気持ちどおりかどうかはやや疑問がありますが、こんな位置づけでよいのだろうと思っています。
- 「いろいろに立場が違うと一つのものごとでも見え方が違う」、その意味で、「自分の見方を見直してみる、改めてみるとよい」、また「いろいろな人のいろいろな見方を理解することが大事である」と、ゼミで本書からも学んでいます。しかし、そのことは「各人の意見には「正しい」とか「間違い」とか、というのはない」ということでしょうか?すべての意見 (や考えや主張) が「個性」である、「その人の勝手である」として認められるべきなのでしょうか? -- もしそうだとすると、だれがどんな意見 (考え)をもっていても、それを認めて、そのままにしておくのがよいのでしょうか? それなら、本書は何を薦めているのでしょうか? あるいは、いろいろな本で人の生き方について書いているのは、何の役に立つのでしょうか? よく考えるべき問題だと思います。
MNさん 【第3回】 【原文】 2010.12.18
私は今回のゼミナールTBの第二第三の習慣で、「約束を守ろう」という項目が、とても印象に残った。約束を守ることにより、人間関係信頼残高に大きく影響するということがわかった。約束を守るということは本当に大切なことだと改めて学んだ。私が過去に経験したことと照らし合わせて深く考えた。私には、約束を守ることの大切さについて実感したことがある。
私は月に数回、ある友人と出かける予定をしていた。しかし、その友人は予定があるときには、いつも待ち合わせ時間に時間通り来ない。何時間も平気で待たされ、やっと来たと思ったらいつも「ごめん」の一言で済まされる。一度目は自分にも同じようなミスをするかもしれないし、ここで取り乱して怒ってしまっては、これからの予定が楽しくないと思い、主体的に物事を考えて、その時はしょうがないことだと相手を許すことができた。しかし、それは二度目三度目でおさまらず、毎回決まって同じような結果になってしまう。私はだんだんと怒りが込み上げてきた。友人が言っている待ち合わせの時間が信じられなくなった。それに留まらず、友人の発言さえも信じられなくなった。また次回に私と予定をしても、きっと遅れてくるだろうと決めつけてしまうくらいだった。私は次に予定したのを最後だと決め、今日が駄目だったら、本当にその友人と付き合いをやめてしまおうと思っていた。当日、その友達はやはり時間通りに来ることはなかった。私はこれまでにないほどその友人に失望してしまった。それから、その友人に対していい評価をできなくなってしまった。
他人が誤ると、人間は自分も同じミスを犯すかもしれないという気持ちになり、一度は我慢することができる。しかし、それが積み重なっていくと相手に対する評価が徐々に下がっていき、相手を信頼することができなくなる。私が、遅刻して本当に仕方ないと思えるような理由があったのであれば、私も大人になって考えることもできただろう。しかし、友人はいつも遅れてくる理由が同じで、もう信頼などしていない友人の話なんて聞きたいと思わなかった。
たった一つの小さな約束を守ることにより、人間関係信頼残高を少しずつ預け入れすることができる。小さいことだから関係ないと思っていると、人間関係信頼残高がたまらず、いつまでたっても人から信頼されず、所詮それまでの人間であると決めつけられてしまう。人の信頼を得るためには、小さな積み重ねが大変重要である。そうすることによって人から初めて信頼される。信頼されるということは、人から必要とされる人間であることだと思う。だから私は今回のゼミナールTBから学んだことを実際行動に移せるようになりたい。小さな約束を守れるようになれるだけではなく、小さな親切をしたり、人の話を聞いたり、沢山の人間関係信頼残高を実行できるようになりたい。そして人から必要とされる人になりたいと思った。
【コメント (中川 徹)】
- 第3回ですが、いつもよい文章だと思います。体験談を書いて、自分の考えを書いて、きちんとまとまった文章にしています。
- ただ、(段々高度な要求をしていくことになりますが) この文章は「優れた感想文」のパターンに入っていってしまっているように思います。
- 「学び、考える」ことが本当に価値があるのは、自分がいままで知っていることや思っていることに接したときではなく、自分がいままでよく知らなかったこと、違うように考えていたことに接したときです。そのようなときにこそ、学び、考えることが価値があります。
- ゼミでの議論でも何度も出てきますが、「7つの習慣」として言っていることを実践するのはやはり容易ではありません。いろいろな場面でどう対処するのが本当によいのかに迷うことは沢山あります。そのような意味で、MNさんの中にもある、葛藤や迷い、自分の将来に関すること、などが表現されてくるとよいと思います。(たしかに、ここの友人との待ち合わせの問題はそのような大きな葛藤だったのだろうと思いますが。)
KNさん 【第1回】【原文】 2010.12. 2
■■ ◇結び -この授業で得たもの-
このゼミナールで学び始めた7つの習慣は、どれも当たり前なことである。しかし意外にも出来ていない事の方が多い。この機会に7つの習慣を「習慣づける」べきである。とは言え今まで中々出来ないことをいきなり7つも習慣づけるのは難しい。私が行うべき事は、まず目標を明確にする事だ。今までは「〜をやろう」としか思わなかったが、そうでなく「〜を、何時、どれぐらい」をはっきりさせなければいけない。
【コメント (中川 徹)】
- KNさんの文章は、比較的よく書けていと思います。文章の添削はこのレポートではせず、第2回レポートの方でやります。
- ただ、内容的には、「学んだこと」を主として書いており、「考えたこと」の書き方が十分でないと思います。「この授業で得たもの」という言葉は、(単なる要約でないという意味での) 「学んだこと」に近く、一部に「考えたこと」を含むかと思います。あるいは、学んで、考えて、その上で自分の身につく形で「得た」もの、という意味で使うこともあるでしょう。KNさんの最後の部分の記述は、まだまだ、この考える段階を「さっと通りすぎてしまっている」ように思います。もっとよく自分の状況を考えて、日常の行動に反映させていかなければならないと思います。
- 「この7つの習慣は、どれも当たり前なことである」という捉え方は、まだまだ浅いと思います。本書で扱っているのは、「習慣」ということばを使っていますが、それは、(「朝起きたら歯を磨く、朝食を必ず食べる」といったレベルでの) 「日常用語での習慣」ではありません。「いつもいつもの自分の内面の基本、自分の行動の基本」のことです。自分が考えたり、行動したりするときに、私たちは「ゼロから考えて、まったく違う行動のしかたをする」ということはできません。(もしそのような振る舞いをしたら、「この人は気が狂ったのでないか」と思われるでしょう。) 自分の内面や行動には、なんらかの基本となるものがある。通常の言葉では「人柄」と呼ばれるものだろうけれども、うわべのことでない、もっと根底にある「人格」のことなのだと思います。
- 「自分の内面の基本がどうあるべきか?」、「自分の行動の基本がどうあるべきか?」 というのは、簡単なことではありません。「当たり前な答えがある」ほど、簡単なことではありません。いくつかの(多分「道徳」に属する) 「決まり」があって、「それに従うことがいつもいつも可能で、正しい」というほど簡単ではないでしょう。
- 「自分の内面の基本」や「自分の行動の基本」は、もって生れたままのものではありません。持って生れたものに、周りからの影響を受け、自分の考え、振る舞い、経験、学習などによって、それぞれ自分で (一部ははっきり自覚せずに) 作りあげてきたものです。成人になってきたいまの段階で、それをもう一度、自覚的に考え直し、よりよいもの (何が「よい」のかをも考え直して) にしていくことが、本書で薦めていることで、このゼミで学生の皆さんにして欲しいことです。
KNさん 【第2回】【添削文】 2010.12.24
(1)自己信頼残高
このレポートを書き上げる前に改めて「7つの習慣」を読み返してみました。この本のたとえ話はどれも面白いのですが、今回小タイトルにも挙げている「自己信頼残高」は特に印象的でした。銀行口座に例えた自己信頼残高は、預金通帳ならぬ「預信通帳」を見る事で、自分自身がどれだけ信頼できるのかを自己評価することができます。私も本に記載された残高チェック表をチェックしてみた所、今の所は預金の方が多いようです。とはいえ少し危ないギリギリのラインでした。
以下の6つは信頼残高を増やす行為です。
・ 自分に優しくなる
・ 正直になるこの二つは簡単そうですが意外と難しいです。自分に「優しくなる」という事は自分を「甘やかす」事ではありません。例えば大失態を犯してしまった場合、自分を「厳しく」すれば重荷になり、かと言って仕方がないと開き直るのは自分を「甘やかす」ことになり、自分の為になりません。「厳しく」と「甘やかす」の丁度中間辺りが自分に「優しく」なるのではないかと思います。■■
【コメント (中川 徹)】
- 文章としては、基本的に分かりやすく、論理としても通っていると思います。そこで、添削としては最小限にしています。
- これ、それ、あれ、どれなどは、昔は漢字を使いましたが、いまは平仮名が基本です。読書が好きということですから、古い文章に接する機会が多いのだと思いますが、一度、最近の標準的な文体についての解説を読んでみるとよいでしょう。
- 言葉のニュアンスについても、気を配るとよいでしょう。「預信残高」という表現は非常によい、と思います。ただ、通常の意味での (自己の能力に対する) 「自信」の残高ではなく、自分の内面や振る舞いに対してどれだけ信頼できるのかの自己評価に関する残高と考えるとよいと思います。「課題を終わらせる」よりも、「課題をやり上げる」の方が、ずっと内実のある言葉遣いです。
- KNさんの「自己預信残高」が、プラスになっているのはきっとそうだと思います。アルバイト先でのお客さんへの対応なども書いていますが、よく配慮していると思います。ただ、沢山のプラスの項目があるのに、いくつかのマイナスの項目があって、ぎりぎりのプラスになっているのでしょう。この問題を解決するのは、自分の目標を明確にし、それに合った行動パターンを作る (時間管理をする) ことだろうと思います。要するに、第二の習慣と第三の習慣に関連して、自分の生活と将来とをよく考えてみることだろうと思います。-- 第3回レポートに期待しています。
- 「自分にやさしくなる」というのは、たしかに随分とデリケートなことです。「自分に厳しくする」と「自分を甘やかす」との「中間」というのは、ある意味でそうですが、最初から「中間」を選べばよいということではないでしょう。大きな失敗をしたときに、まず最初は「自分に厳しくして」失敗の原因を考え、反省するのがよいでしょう、そしてその後に、「その (自分の) 失敗を許す」、すなわち、「自分を責め続けない」、「自分に対してやさしくなる」ということです。KNさんが知っているTRIZの言葉でいえば、「自分に厳しくする」と「自分を甘やかす」との矛盾 (対立)を、「時間的に分離することによって解決」している (両立させている) のです。
DA君 【第1回】【微小添削文】 2010.12.18
ゼミナールTBで学ぶ『7つの習慣ティーンズ』は私に考え事をつくらせるばかりだ。
ただでさえ人生について疑問だらけの私の頭に、さらに重くのしかかってくるんだ。
しかし理解力に欠けている私に、「自己信頼残高」なんて言葉でやわらかい言葉遣いで語りかけるので、
溶けて抜群のフィット感だった。この授業で私は自分の過去とそこからまわりの環境を見渡すことをした。
過去にいじめを受けていた私は、周りと同調することを一番に考えていた。
そうなることで私は自己主張を抑える代わりに、とても楽だったんだ。
しかしこれといってやりたいことがない分、目標をさだめられなくなっていった。
ついに私は生きる意味がわからなくなるぐらいにね。そんな考え方をしていたところにこの『ティーンズ』の本を読むことになった。
本の中の彼らにびっくりさせられたんだ。自分の目標を立てて意味を見出せていたことに。
何年もかけて筋肉をつけて自分の目標を達成しきっていた人とか。
また自分とは違いすぎるぐらい大変な目にあっている人もいた。
ドラッグに溺れていた友人を助けようにも助けられなかった人。そんなものを見ていると、自分は何をやっているんだろう、こんなままでいいのかって思わされたよ。
だからゼミの終わり際にはいつも、思考をめぐらせて考え事をしていた。いやさせられていた。
特にいじめのお話がね。意志が弱いがゆえにいじめられてしまうんだなって結論付けたりしていた。
そして意志の弱さ、それは日本社会に自殺という形で現れているんだとか、
そうなるように上下関係、階級をきめた昔に原因があるんだなとか、
相互監視社会を形成させるための村八分を作ったり、階級をきめて権力をしめさせたり、
日本人のおとなしさはここからきているんだなと。
周りを気にしていじめられていた、自己主張ができない私にそっくりだなと、そう思った。だから、そんな社会を打ち砕くためにも、私はそれとは正反対の方向へ進むためにも、
社会のおかしな部分を、
いろんな人のあれこれを知っていくんだ、このゼミナールを利用して。
死んだように生きるなんて、それじゃ死んでるも同然だから。【コメント (中川 徹)】
- DA君のレポートはこれが初めてです。読んでびっくりしました。
- 文体は、特有のものと感じます。このゼミで通常要求しているのは、「学んだこと、考えたこと」を論理的に表現したレポートですが、このレポートは、論理よりももっと気持ちの方が先行しており、思いのたけを吐き出した形になっています。それは非常に大事なことです。そこで、上記の添削例は、テニヲハを最小限で修正しただけで、文体も文意もそのままに残しました。
- なお、もともとは、一文ごとに改行した、段落がない形式でしたが、中川が、内容的な区切りを考えて空白行を入れ、5段落に分割しました。このように段落を分けるだけでも、全体の文意がはっきりします。
- このレポートは、「学んだこと、考えたこと」よりも、「感じたこと、考えたこと」を中心に書いていますが、「学んだこと」がそのバックあり、随所にでてきているので、優れた、迫力のあるレポートになっています
- このレポートでのテーマの中心は、自分の主体性に関わることです。自分が過去にいじめに合っていて、そのためにいつも周りを気にして、周りに合わせることばかりをしていた。そして自分の生きる意味を見失いかけていた。そのようなときに、この『7つの習慣 ティーンズ』を読んで、沢山の人たちの体験談に出会い、大きな刺激を受けた、というのです。貴重な出会いの機会になったことを、本当によかったと思います。
- 日本のこどもたちの中での「いじめ」の問題は、本当によく考えなければなりません。日本の社会に、昔の (特に江戸時代からの) 身分制度があり、村八分などのしきたりがあって、それが尾を引いているのだとか、とここでは考えています。戦後すぐの時期にはこのような捉え方が多くあり、「封建的な悪習を直せ」というのが若者たちのスローガンでした。しかし、その頃、例えば1950年代、60年代には、子どもたちの中でのいじめは、最近のように陰湿ではなかったと思います。親たちだけでなく、こどもたち同士でも「弱いものいじめをするな」といって、ちょっとした喧嘩をやめさせたものです。
- この30年ばかりのこどもたち中のいじめは、大人社会の競争と弱肉強食とストレスを反映しているように思います。こどもたちの中に、特にクラスの中で優秀 (だと思われている) 子どもたちの中にストレスがたまると、それが弱いものいじめの陰湿ないじめになって広がってしまうように思います。それをなかなか解消できないでいる。
- DA君は、この『ティーンズ』の本の中のいろいろな人の体験談から沢山の刺激を受け、勇気を貰っている。よいことだと思います。それらの話を何回も読み直してみて、またそれらの話をバックにして本書が薦めていることを真剣に学んで、実践に移していくとよいですね。
DB君 【第3回】【添削文】 2010.12.18
今回第三の習慣で学んだことは、日常の生活での時間の使い方について、優先順位を付けて実行することと、そのための人間関係の大切さについて学びました。
始めに、優先順位を付けるためには、その物事に対して緊急のことなのかそうでないのか、さらにそれが重要かそうでないかをしっかりと見極めて、それぞれを適切な優先順位で実行していかなければなりません。
私自身、物事に対しての優先順位はしっかりと決めていけていると思っていたのですが、本文を読んでいくうちに、まだまだ自分で決めて作っていた計画にはあまく順位を付けている所があるなと実感する事がありました。
例えば、期限などが決まっている提出物などは、もらったその日などにやり終えてしまいますが、テストなどは前日などにならないと勉強に身が入らなかったりするので、それをもっと前から少しづつでも勉強が出来るような計画を立てていけるようにしていきたいと思いました。 ■■
【コメント (中川 徹)】
- 文章はやや冗長 (だらだらしている) と思いますが、あまり添削していません。
- 時間管理の優先づけについて、「提出物などを貰った日のうちにやってしまう」というのを実行できていることは素晴らしいですね。試験などについては、その分野について「きちんと理解する」、「実力をつける」ことが最も重要なことです。指定の教科書やプリントだけでなくて、他の本を読んだり、演習したりして、事前に (試験前に) 学ぶとよいのです。
DB 君 【第4回】【添削文】 2011. 1.28
■ 私は今回のゼミでは第六の習慣について、とても興味を持ちました。この習慣では「協力から生まれる相乗効果」について語られています。その中で特に私の印象に残ったのは、「人との違いを歓迎しよう」というところでした。私自身は人との違いをまったく気にしていなかったタイプなのですが、この本ではそれは「とても損なことをしている」のだと書かれていました。自分の思っている考え方とはもっと違う見方ができるものだということです。そこで、いろいろな人とは違いがあるのだということだけでなく、その違いについてどう違うのかをもっと知っていこうと思います。自分が持っていないものを相手は持っているのだから、相手の持っている良いところをもっと尊重できるようになっていきたいです。また、相手のことを知ることができたなら、(この本にも書いてあるように)こんどは相手に自分のことを知ってもらえるように、特に、知ってもらいたい相手に対して自分なりに伝えていけるように、なっていきたいです。
これに関連して、この第六の習慣の前に読んだ第五の習慣もとても大切だと思います。第五の習慣では相手の話をうまく聞くコツが書かれていました。私は第五の習慣で言われている五つの聞き下手スタイルのうちの「聞いているふりをしている」スタイルに入っていました。そこで、(第六の習慣を実行する前に)人の話の聞き方について、もっとこの本を読み、理解を深めていかなければいけないと、とても強く思いました。
今までのゼミを通して学んだことは、今まで生きてきた中での自分の考えだけでは、まだまだ狭いところしか見ることができていなかったということです。そんな狭い見方だけでは、これから人と上手に付き合っていくことが難しいと分かりました。そこで、もっと自分の視野を広げていこうと思います。ゼミで教わってきた考え方をもっと実行していき、また、自分の考え方や今までの行動をみなおしていって、いままでの足りない所を克服していけるようにしていきたいです。
今まで書いてきたレポートについても、自分で学び、考えたことですから、書いただけで終わらせないようにしたいと思います。しっかりと継続的に続けていけるように工夫をしていき、「7つの習慣」を自分のものにしていけるようにしたいと思っています。■■
【コメント (中川 徹)】
- DB君の文章を大分添削しました。随分と長く、だらだらと続いていた文が多くありましたので、ひとつひとつ明確に文を区切るようにしています。それによって、言おうとしていることが随分はっきりしただろうと思います。[話の順番や論理そのものは変更していないつもりです。]
- 「人との違いを歓迎しよう」ということに対してDB君が書いているのは、興味深いことです。ある人たちは、自分がまわりの多くの人たち(「普通の」人たち) と違っていることにはすごく敏感で、できるだけまわりの人たちに合わせようとします。DB君はそれとは逆に、人と違うことをまったく気にしない (無頓着な) タイプであったといいます。それで、その違いについてもっと気をつけてみよう、違いを知って、相手の持つ違ったよい面を取り入れるようにしようと思うと、いっているのです。
- DB君はこのことを、自分の見方が狭かったことを知って、もっと見方を広げるのだ、と位置づけています。それが、いろいろな人に接する、人とつきあって協力していくのに、必要だと感じているのです。いいことだと思います。「自分の道を行く」という場合にも、まわりのことを知らずに独りよがりでいくよりも、まわりのこと知った上でやはり自分で選択した道を行くのがよいことです。
- いままでDB君がレポートに書いてきたことを、書いただけで終わらせずに、継続して考え、努力して、身につけていこうと考えているのは、嬉しいことです。本を読んだだけでなく、レポートにしたこと、それをみんなに読んでもらったことは、きっと自分自身に定着させるのにプラスになるでしょう。『ティーンズ』のことばでいえば、すでにゼミのメンバの人たちに「ロープを渡した」のですから。
HY君 【第3回】【添削文】 2011. 2. 6
ミッション・ステートメントに関連して:
ある人がそのミッション・ステートメントで、「家族の団結力を軽んじない」と書いていました。僕はこれまでに家族の団結なんて考えもしなかったけど、団結しとかないとちょっとしたことで家族がばらばらになってしまうという事を学び、これから家族を大切にし、団結していこうと考えました。
「真の友達をおろそかにしない」と書いていたのも、とても心の中に残っています。真の友達というのはなんでも話せて、お互いを大事にする友達ということです。
「自分のための時間も取っておく」とも書いています。僕は逆に、自分のための時間を取りすぎているように感じます。なので、自分の時間を減らしてでも家族との時間を大切にし、真の友達をおろそかにせずに、そのための時間に費やしたいと考えました。
同じ人がさらに、「難関にぶつかったら、それを乗り越える(少しずつ克服する)」と書いています。「家族の団結力」と「真の友達を大切にする」というのはつながってるような気がします。難関にぶつかると、家族や友達に相談したり助けてもらったりできるとおもいます。大切にしとかないと本当に困った時に自分が苦しむと思います。
【コメント (中川 徹)】
- HY君のレポートは、文章としてもっともっときちんと書くように努力が必要と思います。上記には、最小限での推敲をしました。
- 推敲した趣旨は、まず、本に書いていることの引用(あるいは要約)と、自分が考えたこととを書き分けることです。このレポートでは、本に書いてあることを引いてきて、それについの感想・考えたことを書いていますので、その構造をはっきりさせることが、他の人に読んでもらうために大事なことです。
- なお、HY君の文章には、話し言葉が沢山残っています。レポートとしては本当はきちんと直すべきなのですが、今回はその推敲をしていません。例えば、「家族の団結なんて考えもしなかったけど、」→「家族の団結などとは考えもしなかったけれども、」。また、「団結しとかないと」→「団結していないと」。
- このレポートの前半は、ある一人の人が書いたミッション・ステートメントを引用しつつ、自分が考えたことを書いています。その人が書いたものが特に印象に残ったわけですから、それを取り上げることはいいことです。ただ、本書の著者が書いていることではなく、本書の中の一事例であることを、上記のように明記しておく必要があります。
KOさん 【第3回】【原文】 2011. 1.14
約束を守ろう。
信頼を築くにはまず約束事を守ることです。
私は、中学のときにめんどくさいと言う理由や眠たいという理由でたまに友達と遊ぶ約束をしたのに、破っていました。始めのほうは、許してくれたのですが長く続くと友達が遊んでくれなくなりました。その時に私はやっと信頼をなくしたのだと気がつきました。
私は、自分勝手なところがありわがままばかりだったのでこんなことになったんだと思いました。こんなことでは新しい友達どころか、今までの友達みんなをなくしてしまうことになります。
それにならないためには、どんな小さな約束でもしっかりと守ることだな…と私は思いました。私は噂話などが結構好きです。そのせいで後悔をしたことがあります。
私は人の話をなんでも信じていました。例えば初対面の子の悪口を聞いただけでその子のことを嫌いになったり、ばかにしたりしました。でも実際に会って話をしてみると、とてもいい子で気の合う友達となりました。そのときに私はすごく後悔をしました。
なので今は噂話が好きではありません。人から信頼されるには絶対にやってはいけないことがあるのだと学びました。【コメント (中川 徹)】
- 上記の文章は添削をしていません。改めて、KOさんの第1回、第2回のレポートを繰り返し読んでみたのですが、ほとんど添削をしていないこと、あまりきちんとコメントできていないことに気づいています。今回も、ほとんど同じで、添削できません。
- 文章としては、意味は伝わりますし、気持ちはある程度伝わりますから、ぜひ修正すべきだということはほとんどありません。素直に書いていると思います。ではどうして、添削できないか、またきちんとしたコメントができないかというと、その理由は二つあるように思います。
- 第一は、これが「学んだこと、考えたこと」というレポートではなく、「感想文」に近いことです。学んだことのポイントを踏まえて、自分の(内面的な)経験を書き、反省したこと、こうしようと思っていることを書いています。小学校・中学校の作文での典型的な書き方で、「感想文」としての「よい作文」です。ただし、そのような「感じたこと」や「感想文」は、批判する (コメントする) とかの対象ではありません。
- 第二は、「約束を守る」とか、「噂話をしない」とかの、一つ一つの望ましい振る舞いについて、それを確認している文章ですから、「それは、そのとおりだね」というしかありません。ただ、大学のレベルになり、この『7つの習慣 ティーンズ』のような「人としての生き方」を考えるレベルでは、理想と現実とのもっともっと大きな葛藤を前提としています。だから、「学ぶべきこと」というのももっと深いでしょうし、「考えるとよいこと」というのももっといろいろあります。いろいろなメンバが書いていることと、そのコメントを読むと、そのような例が分かるでしょう。
- 私は、みんなのレポートに対して、「素直に書いている」というのをまず「良いこと」だとしてコメントしてきました。「自分の気持ちに素直に書いている、その表現と論理を素直に (わかりやすく、はっきりと) 書いている」という意味です。KOさんのこの文章についても、「素直に書いている」とコメントしました。
- ただ、KOさんは、「書いていないことが沢山ある」のだろうと思っています。自分の気持ちを文章にすることは、なかなかしんどいことですし、ゼミの先生やみんなが読むのを知ってレポートとして書くのは、もちろん大変なことです。ただ、自分の気持ち、考えていることを表に出すことによって、本当の「人と人との繋がり」ができていくのだと思います。自分の考えを話すこと、さらに自分の心を開くことは、「勇気」が要ります。先週、「第5の習慣」の後半として書いてあったとおりです。【KOさんが部活で】ドラムを叩くのと同じように、自己を表現するとよいのだろうと思います。
KT君 【第1回】【添削文】 2010.11.05
このゼミナールTBは、私には大変興味深い内容です。
このゼミのテーマは人間の心理学に関連しています。ゼミのときに見せられた絵は、私には若い女性に見えたのですが、他の人が年老いた老婆に見えるというのでびっくりしました。話を聞いているうちに、両方の見方ができるように描いてあるのだということでしたが、私にはなかなか二つの見方ができず、自分は物の見方が下手だと実感しました。
このゼミで使っている教科書『7つの習慣 ティーンズ』は非常に興味深い内容です。私は自分でひととおり読んだのですが、ゼミの中で読み直ししていると、改めて興味深い内容ばかりで、この本を真剣に理解しようと思います。教科書に書いてある「幸せになる7つの習慣」と「不幸せになる7つの悪習慣」は、面白い内容でした。自分は「幸せの7つの習慣」には正直にいってほとんど当てはまらず、一方、「不幸になる7つの悪習慣」には2つほど当てはまるものがあります。これは改善しなければならないと思いました。
私には一つの苦い思い出があります。小学5年生の時、私は塾に行ってました。その塾の先生方はよく話を聞いてくれるよい人達でした。ある日、塾が終わって、担当していた先生と雑談していた時、私は悪ふざけで近くにあった紙筒で先生の頭を叩いてしまいました。その時の先生の顔は静かに怒っており、私は急いで家に帰りました。その後、私は塾を辞めました。■■
【コメント (中川 徹)】
- 文章としては、上手い面と下手な面があると思います。
- 一つ一つの文が、やや冗長ですので、添削したように、もっと簡潔に、しまって書くことができると思います。それは、話し言葉から、書き言葉 (文章としての言葉) に変えることでもあります。
- 上手い面は、話をどんどん展開していっていることです。自分の体験談を書いて、話に具体性を持たせていることもよいことです。
- しかし私は、上記の添削例のように、この体験談の後ろの、脳の仕組みの話も、そのつぎの長い段落もばっさり省略するのがよいと思います。これらの内容は、このゼミのレポートとして要求していること、「ゼミで学んだこと、考えたこと」とは、趣旨が違っているからです。
- 塾の先生の頭を叩いたという話を、KT君はゼミの中でもしていました。この出来ごとに関して、大人になったいま、もっと突っ込んで考えてみるとよいのかもしれません。
-- あのとき、どのようなきっかけで、どのような雰囲気で、どのような気持ちで自分は先生を叩いたのだろうか? 先生がどんな反応をすると予想していたのだろうか?
-- 叩かれたとき、先生はどんな気持ちだったのだろうか? 怒っていたのだろうか? それならどうして怒らなかったのだろうか? 「静かに怒っている」とはどういう気持ちなのだろうか? そのとき周りはどんな雰囲気になったのだろうか?
-- その先生を見て、自分は何を感じたのだろうか? 実際に自分はどう振る舞ったのだろうか? そのとき自分は何といったのだろうか? もしいまの自分ならどうしただろうか? どうしたら良かったと思うのか?
-- その日自分は家に帰って、お母さんに何といったのだろう。どう説明したのだろう。あるいは何も言わなかったのだろうか? そして、お母さんは自分に何といったのだろう? 覚えているだろうか? いまになって考えてみると、自分はどうしたらよかったのだろう。お母さんがどうしてくれたらよかったのだろう?
-- その後で塾をやめたということだが、塾や先生には、やめる理由をだれがどのように話したのだろうか? 子どもであった自分は、叩いた後、やめるまでに何をしていたのだろう? お母さんはどうしていたのだろう? お父さんはどうしていたのだろう? 両親からの働きかけに対して自分はどのように振る舞ったのだろう? この間、(もし自分が親の立場だったら) 親としてどうしたらよかったのだろう?
-- KT君が塾をやめた後で、塾の先生はどのような気持ちだっただろうか? 塾で他の先生達とどのような話があっただろうか? このできごとは、塾にどのような波紋とどのような教訓をもたらしただろうか?
-- KT君は、この話を8年ばかり引きずっている。このできごとが自分のその後にどんな影響を与えているのだろう? そのできごとから自分は何を学んだのだろう?
-- いまも塾は続いているだろう。あの先生はまだいるだろうか? 自分はこのできごとを積極的な形で精算できるとよいのでないか? それにはどうしたらよいのだろう? ・・・- このできごとは、こどもだった自分、塾の先生、ともだち、親、など、いろいろな立場のひとたちの内面と振る舞いを考えさせてくれる。これを「主体的に行動する」という原則から考え直すとどのように考えればよいのだろう? ・・・ これらのことは、頭の中だけで考えると堂々廻りをします。文章にして書き出していくと、ずっとよく分かるようになります。それが「レポートを書く」ということの意義です。
KT君 【第2回】【原文(一部訂正)】 2011. 1.23
虐待、強姦、暴行、いじめ、その言葉や行動を起こした者がニュースで取り上げられる時や本に書かれてるのを見ると、私は心の底から怒りを感じます。現在よくニュースでよく見る我が子への虐待、学校で起きるいじめ、それで死ぬ子供達を見ることがあります、何故その人達は虐待やいじめをやるか・・・私的の考えはそれでしか自分を保つことが出来ないからだと考えます。お腹を痛めてまで産んだ大切な我が子をなぜ虐待などするか。狂人なら手遅れですが、恐らく心的ストレスで周りやカウンセリングを受けずに我慢した結果、暴行をすることでしか自身を保つことが出来ないのだと考えます。
そして学校等で問題になってるいじめ、私も中学、高校1年といじめを受けていました。幸いに私には信頼できる親友や親に相談したので大事にはなりませんでしたが、相談を出来ず親にも話さない子もいます。勿論学校が迅速に対応しないのも問題ですが、一番の問題はそのいじめをするグループです。彼等は恐らく心が弱く、他人に暴行しそれで周囲に”自分”と言う存在をアピールしているのだと思います。何故グループとなるのか考えた結果、それら全員がリーダー格の子と同じ心境なのだと考えました。人は古来からグループを作る動物です。同じ考えまたは同じ志を持つ同志、リーダーを信じ尽くす者達、それらも人が集まることでできます。つまり私は、いじめをする子達は皆が周囲に見捨てられるのを極端に怖がる者同士で集まることで、グループが出来ると検討しました。
この問題で一番悪いのは、苛めた子、苛められた子ではなく、周囲の大人達だと思います。我が子がいじめをしていると連絡を受けてもガンとして信じないモンスターペアレント。そしてその担任。自分の生徒がいじめを受けているのが分らないはずが無いのに、自分の保身の為にそれを見て見ぬふりをする。そしてそれがニュースになると堂々と「分りませんでした」と記者会見をしているのを見た時は反吐がでました。
【コメント (中川 徹)】
- KT君の文章は滑らかで、いろいろなことをどんどん書いていく力があるのには感心します。書いている内容も豊かです。KT君は趣味で小説を書いているといっていましたから、なるほどと思います。
- 上記では、最小限で添削しました。大部分の箇所は、読点「、」を挿入したことと、読点「、」を句点「。」に変更したことです。要するに、どんどん書いているときに、もっと文章をきちんと区切り、読みやすくしなさいということです。特に、「。」に変更しているのは、そこで一旦区切って、論理を明確にしなさい、という意味です。
- 一つ気になるのは、【この精選集では省略した第3回レポート中の】第2の習慣や第3の習慣の所で、自分自身を振り返って、これからどうしようという記述がないことです。ミッション・ステートメントが有益そうだとは言っていますが、実際に自分で書いてみたようでありません。自分の目標が何なのか、自分がどのように時間管理するべきなのか、もっと考えるとよいのでないかと思います。
- もう一つの点は、「小説」や「感想文」ではない、きちんとした論理的な文書、情報を伝えるための文書を書くことをやってみるとよいと思います。いままでにも、これからも、情報学部で学んだこと、学ぶことは沢山あります。それをきちんとした技術的な「レポート」にまとめることをするとよいと思います。このゼミのレポートでも、もっと論理的に表現することはできるはずです。自分の好みではなくても、そのような文書が要求される機会は多いのです。
NN君 【第3回】【原文】 2010.12.18
このゼミで、第二の習慣、「目的を持って始める」について、自分が立つ人生の岐路を学びました。自分は、将来何をしたいか決まっておらず、目標がはっきりとしていません。自分はプログラミングに興味がありますが、プログラミングの何をしたいのかがはっきりと決まっていません。大まかなことは、決まっていても、そのことに対してどういう風に取り組んでいけばいいのかが、自分の中ではわかりません。自分は流れに任せて、将来をあまり深く考えていませんでした。これからは、自分の人生について深く考えて行きたいです。
ミッション・ステートメントについて、自分の目標に関して取り組んでいくことを学びました。ミッション・ステートメントを書くときは、目標がはっきりとしていないため、どのようなことを書いていけばいいのか迷いました。書いたことは、自分の目標を明確にするやその目標のためによいことをするでした。今の自分にとっては、大まかな目標しか決まっていないので、目標を明確に決めることが1番大切なことだと思いました。目標を決めたとき、その目標に関してどう取り組んでいくのか、まだはっきりとしていません。ミッション・ステートメントを書いたことで、自分のやるべきことがわかりました。
【コメント (中川 徹)】
- 第3回になりましたので、文章の書き方についての添削はあまりする必要がないと思いました。以下には内容についてのコメントをします。
- NN君の大きなテーマは、自分の目標をどのように決めて、どのように進んでいけばよいかという点です。「自分はプログラミングに興味があるが、プログラミングの何をしたいのかがはっきりしない」と書いています。情報学部に来たのですから、プログラミングについて学ぶ材料は一杯あります。沢山の科目があり、それらはプログラミングについての多様な面を学べるようにカリキュラムに組んであります。だから、まず第一は、「授業に集中して、プログラミング (あるいは、情報科学、情報システムなど) というものを理解する。それを使えるようにする」ことが最も確実な方法です。もし授業の位置づけが分からないなら、その授業の先生に聞いてみるとよいでしょう。
- 例えば、このゼミIBはプログラミングと関係がありますか? もちろんあります。プログラミングに関連した仕事は、グループ作業で、ソフトウェアを設計・制作し、お客さんに示す文書を書き、それをお客さんの前で発表し、・・・といった仕事をするのです。「読み・書き・考え・発表する」という基本的な訓練が必要なことは明白です。100頁の要求仕様書 (お客さんが作って欲しいと思っているソフトウェアを、きちんと書き出したもの) を2週間程度で書き上げないといけないのです。それについてお客さんの前で (例えば、注文元の部長さんたち数人に) 15分で説明しなければならないのです。そんな必要があるから、このゼミIB でも、ゼミ中に発表させ、レポートを4回も提出させて添削しようとしているのです。
- 授業だけでなく、自分でプログラムを組んでみて、「本当に面白いものだ」と実感することが大事です。(NN君も履修している) 中川の(共通科目の) コンピュータサイエンスの授業で、BASIC のプログラムのデモを見せ、そのプログラムがどう作られているのかを説明しているのも、(他学部の人たちをも含めて) そのような実感を持ってもらいたいと思っているからです。
- 目標というのは、最初はその対象をよく知らないから漠然としており、広がっている。それに向かっていろいろ調べて、実行していく過程で段々と明確になり、また絞られてくるのです。最初から目標を絞ろうとすると、間違う、うまくいかない、状況が変化すると困ってしまう、などのことが起こります。
NN君 【第4回】【原文】 2011. 1.28
このゼミで、第四の習慣、「Win-Winの考え方」について、Win-Lose、Lose-Win、Lose-Lose、Win-Winの考え方を学びました。自分はLose-Winに当てはまると思います。自分はあまり争いごとを好まないので、自分から引いて物事を早く終わらせようとします。自分は話すことが苦手なので、自分の気持ちをうまく話すことが出来ずに、流れに任せてしまうこともあります。これからは、物事を自分から引かずに、前向きに取り組み、自分の気持ちをうまく話せるように取り組んで行きたいです。
第五の習慣、「まずは相手を理解してから、自分が理解される」について、自分は五つの聞き下手スタイルを学びました。自分は五つの聞き下手スタイルのうち、聞いているふりをする、選択的に聞くの2つに当てはまると思います。自分は、親が話している途中に「うん」や「はい」と相槌を打つことがよくあります。自分はうまく話すのが苦手なので、相槌をよく打ってしまいます。親に対して、話を真剣に聞いていないように思われていたんだなとこの本を読んで、分かりました。これからは、相手の話を真剣に聞いて行きたいです。選択的に聞くについて、自分は興味のある話は、自分が話したいことを話してしまいます。自分は話すのが苦手なので、ここぞとばかりに、自分のしゃべりたいことを優先してしまいます。これからは、自分が興味のあることを優先せずに、相手の話したいことを、聞き取って行きたいです。
心から耳を傾ける 真のコミュニケーションについて、目と胸と耳で聞こうを学びました。自分は耳だけで聴いてしまいます。相手の言葉だけ聞いて、心の言葉を聞こうとしません。自分は相手の言葉をまとめようとして、相手の声の調子や雰囲気まで目が行きません。これからは、相手の心の言葉を聞き取れるように取り組んで行きたいです。
【コメント (中川 徹)】
- NN君のレポートの文章の書き方は随分よくなったと思います。添削をする必要なく、NN君が伝えたいことがきちんと伝わってきます。
- NN君がここで書いている、「自分の気持ちや考えをあまり話すことができていない」というのは、いまのNN君にとっての大きな問題なのだろうと思います。
- ゼミの授業の中で質問されたとき、発言を求められたときに、NN君はなかなか話せないでいます。ゼミでは沢山のメンバの前で話さねばなりませんから緊張するでしょうし、時間的に限られていて早く話すように求められてしまいますから、ますます緊張することになるのだと思っています。両親の前では、また違う意味で、きっと繰り返し同じ説教をされて、話しづらいのだろうと思います。
- ゼミや授業などでの発言に関しては、きっと、「正解を答えなければならない」と思っているからでないでしょうか。小学校からずっと、「問題(質問) には正解が一つだけある」と教えこまれてきているのではないでしょうか。「正解を答えなければ馬鹿にされる」、「自分が思っていることが正解かどうかは分からない」、「もし正解でなかったときに、答えて馬鹿にされるのは怖い」という気持ちがあるのだろうと思っています。
- このゼミで、一つの実話を読んだり、ひとまとまりの記述を読んだりして、「ここの話、どう思う?」と聞かれているときには、「一つの正解」などはないのです。沢山の感じ方があり、沢山の議論すべきこと、考えるべきことがあるのが当たり前です。NN君はNN君で、自分が感じること、大事だと思ったことを話せばよいのです。その話をきっかけにして、議論が進んでいくことになるのです。また、自分の考えが十分にまとまっていない場合ももちろんあります。その場合には、複数の可能性に触れて、「まだ結論がまとまっていない」といえばよいでしょう。
- このゼミのレポートのように、「書き出してみる」というのは大事なこと、有効なことです。自分のペースで、自分が考える筋道に沿って、書いていくことができます。それも、最初はいくつもの案/考え方/観点から、いろいろに書いていってもよいのです。一旦書いてから、もう一度全体を読み直して、再整理する、再構成すると、自分の考えや気持ちを整理しなおすことができ、また、同時によい文書(メモ、ノートなども含む) になります。
- いままでいろいろ質問されたりしたときのことを、振り返ってみるとよいかもしれません。自分は本当は何を考えていたのだろう、何をいいたかったのだろう、どうしてそれをあまりはっきり/すぐにいえなかったのだろう、自分がいったことと自分の本当の気持ちは一致していたのだろうか?こういったことを、具体的なケースで(自分のメモとして)書き出してみるとよいのではないでしょうか。
- 『ティーンズ』が書いているように、「自分を理解してもらうには、勇気が要ります」。その勇気とは、大抵の場合、ちょっとした恥ずかしさ、あるいはプライドが傷つくことの恐れを克服しないといけないという勇気でしょう。しかし、たとえ恐れていたように恥ずかしかったしても、それは大抵ほんのしばらくのことです。すぐ後では、やはり話してよかったと分かることが多いものです。(例えば、コンピュータサイエンスの授業で、同時に数人に黒板に出てもらって演習の回答を書いてもらいますが、間違いがあった学生でも、「黒板に出て書いてみて、よく分かった」とその日の受講カードに書いています。)
- ともかく、このレポートもまた、NN君にとってのさらに新しい一歩になったということです。その意味でよいレポートだと思います。
MS さん 【第1回】【添削文】 2010. 11.20
私が興味を持ったのは第2の習慣と第6の習慣です。
第2の習慣は「目的を持って始める」ということです。私はこれに関しては「悪習慣」のほうになっています。「目的を持たないで始める」。何事をするにも目的を持って始めるのがいいとみんな言いますが、私は目的を持たずに始めます。『7つの習慣 ティーンズ』を読んで、私がしていることは悪習慣なんだと気付きました。でも、目的を持って始めるとなると私は何もできなくなってしまいます。だって、目的を達成した後きっと虚無感に襲われるから。 ■■
【コメント (中川 徹)】
- この文章は、文章として独特のテンポとスタイルを持っていて、魅力的であると同時に、問題をも含んでいます。
- よい点は、文が簡潔に区切られていて、論理の展開のテンポが早いことです。「倒置法」が使われていて、つぎの文を読むと、論理がぱっと反転する鮮やかさがあります。その意味で「読ませる文」です。
- ただ、上記の特長がプラスに評価されるのは、文学とか、随筆とか、ブログとかの世界 (すなわち、「楽しみのための文章」の世界)です。ところが、「レポート」は、報告、提案、情報伝達、などの「実務のための文章」の世界に属します。そこでは、伝達すべき情報の内容を正確に確実・迅速に伝えることが、最大の目的です。内容がきちんと伝わるためには、論理がぱっと反転するのは、邪魔になります。そのような表現法は適切でなくなるのです。
- 上記の添削は比較的小幅に留めてあり、上記の意味での表現法の修正まではしていません。
- この文章の内容、レポートの内容は、非常に興味深いものです。よく考えるとよい素材が一杯あります。それは、MSさんが、自分の主張を明確にもっていて、それを表明しているからです。一つの本を読んだとき、著者がいうことがすべて正しいとは限りません。違う著者は違うことをいうのですから、(たとえ「教科書」として選ばれたものでも) なにもかもが正しいわけではありません。
- 「目的を持って始める」に対して、MSさんは、「私は目的を持たずに始める」、「目的を持って始めるとなると私は何もできなくなってしまう」と書いています。ここの議論には、つぎのような場合分けがバックにあるでしょう。(a) 「目的を持って、始める」、(b) 「目的を持っているが、始めない」、(c)「目的を持っていないから、始めない」、(d)「目的を持っていないが、始める」。すなわち、目的を持つ/持たないの場合分けの他に、始める/始めない (あるいは、行動する/行動しない) という場合分けが存在しています。
- おそらくMSさんは、始める/始めないの区別の方を、目的を持つ/持たないの区別よりも重要視していて、始めることの方が大事だと思っているのでしょう。たしかに、大事なポイントであり、「目的をはっきりできないから、まだ何もできない/始めない」という状態よりも、よい点があるでしょう。その場合にも、「始めながら、行動しながら、目的を明確にしていく」ことが望ましいのだと、著者はいうでしょう。「始め、行動しているのに、その目的をきちんと考えない/方向づけを不明確のままにしている」ことに対して、著者は警告をしているのだと思います。
- ともかく、これは第2の習慣のところでもっと学ぶとよいことです。
MSさん 【第3回】【原文】 2011. 1.15
ミッション・ステートメントについてはあまり考えてませんでした。
私は主になりたいことがないのです。昔はいろいろアレになりたいコレになりたい、色々ありました。女の子ですから。でも、母に夢を壊されてからアレになりたいコレになりたいという夢は6月の雨と一緒に流れて消えました。それからは、夢と未来は見ないで今の現実だけを見るようになりました。反対にしたいことはたくさんあります。人間関係はへたくそなのでしませんが、HPを編集しなきゃとか、勉強しなきゃとか、家の用事手伝わなきゃとか、たくさんあります。目的がないという事はなりたいものがないというものにつながります。本当は目的を持たなきゃいけないこともわかっていても出来ないのです。なりたいものが、未来がないのですから。
次に第3の習慣「一番大切なことを優先する」。
緊急 緊急でない 重要 先延ばしタイプの人 優先順位付けタイプの人 重要でない イエスマンタイプの人 無気力タイプの人 私はこれを見ると、「先延ばしタイプの人」+「無気力タイプの人」が合わさった人間であることがわかった。
「先延ばしタイプの人」の中で当てはまるのは『試験が明日に迫っている』『今日が締め切りの仕事』の2つだ。よく、試験勉強として、一週間で頭に詰め込もうとすることがあるが結局当日になってもやってることが多い。地道に勉強するということが出来ないのだ。それに、家に末弟がいるので勉強ができないのです。完璧「先延ばしタイプの人」だなぁと思います。
「無気力タイプの人」の中で当てはまるのはほぼ全部当てはまります。テレビはあんまりみないにしても、私はPCを持っているのでかなりの時間PCの傍から離れません。勉強にも必要だし、遊びにも必要だし、と言い出したらきりがない言い訳です。無気力と言葉の通りに私は何に対してもたぶん無気力です。勉強意欲だってとても偏っています。
一番大切なことが今の自分にはわからないのです。
家のことも、勉強のことも、遊びのことも、何を優先しらいいのかわからないので、私は全部をいっぺんにやっているようなものです。勉強があるなら勉強をしながら末弟の世話をしてちょっと休憩がてら小説読んでまた勉強して末弟の世話して、母の代りに出来る躾をして、時間になったら休憩込で末弟を寝かしつけて、寝たら洗いものして、という毎日を繰り返しています。
第2の習慣「目的を持って始める」は、私の興味に少なからず引っかかりました。他の人はどんな考えをするのかが私には気になるだけであってあまり目的を持って始めることをしない私には新鮮でした。第3の習慣「一番大切なことを優先する」ことに関しては大いに興味があります。私は未来を決めないので大切なことがわかりません。家事も、勉強も、遊びも全部大切なことだからです。今後「一番大切なことを優先する」が自分にできればいいと思います。
【コメント (中川 徹)】
- 上記の文章は原文のままです。いろいろと口語的な表現がありますが、MSさんの思いや考えていることを素直に書き出すには、やはりいつもの自分の言葉の方がよいから、自然にそうなったのだと思います。文章の見かけを整えるよりも、文章の中身の方が大事ですから、私は原文のままがよいと思いました。
- 日常の生活とその中での思いをありのままに書いていて、びっくりしましたけれども、よい文章だと思います。
- MSさんは、自分のことを、「先延ばしタイプの人」+「無気力タイプの人」と判断していますが、その生活ぶりを読むと、「無気力」ではなく、随分といろいろなことをやっていると思います。テレビはあまり見ない、PCを長時間やっている、HPを作らなきゃ、勉強して、小説読んで、末弟の世話をして、・・・とてんてこ舞いでやっていて、がんばっているんだなと思います。
- ただ、それが、なにか一つの目的とか、夢とかに結びついていない。いまは、そのような夢を持てないのだと、書いています。以前のような夢が持てなくなったのだと。
- いま、MSさんは沢山のことを一緒にやっている。一緒にやるだけのバイタリティを持っています。これは素晴らしいこと、大事なことです。「沢山一緒にやっていることを、関連づけてみるとよいですよ」と、私は思います。
- きっと、PC で沢山の情報を読んでいるでしょう。そのときに、読みとばさずに、まとめることをしてみるとよいのです。例えば、ケータイの新しいサービス/機能について広告やニュースを見たら、それに関連した情報をインターネットで探して、(最初は切り貼りでもよいから) ともかく自分で一つの文章にまとめる。それに、少々のイラストを入れ、デザインして、HP のページに仕立ててみる。こんなことをしていると、PCでのより高度な使い方をしてみたくなるでしょう。ファッション関係の記事を扱ってみれば、画像処理のソフトなどをどんどん使うことにもなるでしょう。
- 楽しみながら、こつこつと作ってみる。何を作るかとかを、初めからきちんと決めなくてもよいでしょう。(その意味で、「目的」を最初に決めていなくてもよい。) 途中で段々変わっていってもよいのですし、ある程度蓄積したところで、整理しなおしてもよいのですから。
- いまの時間をできるだけ、積極的な意味を持たせて使うことです。PCに関連して、実技的な技術を身につけるのが、きっと一番やりやすいのではないでしょうか。
- また、あなたはきっといいお母さんになるでしょう。がんばりなさい。
MSさん 【第4回】【原文(一部字句訂正)】 2011. 1.28
第5の習慣「まず相手を理解してから、次に自分が理解される」。
私はいつも、第5の習慣を無意識にしています。話し合うために「まず相手を理解する」。それは、友達であっても、兄弟であっても、もちろん他人のことであってもです。友達なら、たかが、知れてて仲もいいから理解しなくてもいいじゃん。そう思う人が多いでしょう。しかし、私は『ティーンズ』の言葉通り、「友達であっても」さらに深く理解しようとします。そして、どこに問題があるのかを見つけ出すのです。
第5の習慣には「5つの聞き下手スタイル」というものがあります。 ■
私は、「5つの聞き下手スタイル」とは反対のことをよくします。まぁ、それは真剣な相談ごとに限ってのことですが。そして、相手のことを理解したら、今度は自分が理解される番です。私は、自分の性格を外に出そうとしないのでよく誤解されがちです。が、私はまったくもって「自分を理解されよう」とは思いません。逆に「理解される」のを嫌がります。「理解なんてしてくれなくて結構」、そんな態度をよくとります。これは、私が客観的に見て言うことですが、それは結局本当の自分を隠しているだけにすぎないのです。本当は理解されたい。でも、周りがそれを受け入れてくれないのを私は分かっているから出さないのです。
【コメント (中川 徹)】
- 非常に深く、興味深いレポートであると思います。
- MSさんが第5の習慣の「まず相手を理解してから、つぎに自分が理解される」ということを、自然に身についた形で行っているのは立派なことですね。友達との間でも、真剣な相談事などのときに、きちんと相手を理解するように聴く。これができていると友達などから信頼されていくようになることでしょう。
- 「つぎに自分が理解される」ということに関してMSさんが書いているのは、非常にデリケートなことで、興味深く感じます。「(私は) 逆に、「理解される」のを嫌がります。」と。
- 私の印象に強く残っているのは、ゼミの初回にMSさんが出席したとき、マフラーで顔の下半分を隠していて、(10月なのに) 「寒いから」と言っていたことです。3回目くらいからマフラーはなくなり、だんだん元気になり、1月の夕食会などでは大いに話を盛り上げていました。嬉しいことです。
- 自分が理解されるには、やはり自分から話したり、自分から行動したりする「勇気」が必要なのですね。この『7つの習慣 ティーンズ』で書いているとおりだと思います。
- 前回のレポートも、今回のレポートも、素晴らしいレポートだと思います。これからきっと、自分を理解して貰える、自分を理解してほしいと思う、友達などが増えて、よいチームワークも経験するでしょう。
KT君 【第1回】【添削文】 2011. 1.28
まず僕がゼミで学んだこと、考えたことのうちの全体的なことを書いておきます。
第一に、自分自身に対してもっと自信をつけ、人とのコミュニケーションを取ることができるようにすることが大事だと思いました。
いままでの自分は、自分に対してあまり自信がなく、意見を通すことがあまりできなかったと思います。今回までのゼミを通して、自分に対してちょっと自信が持てるようになりました。
今回のゼミで『7つの習慣 ティーンズ』を授業中などに読んでいて、いろいろと自分に思い当たる部分がありました。それを読んで、「自分も変わろうとしたら変われるんだ」と思いました。
第二に、自分が読んだところでも、ほかの人が読んだところでも、もっと自分の意見を言えるようにしていこうと思いました。
なぜなら、僕はあまり発言をしなかったのですが、今後はもっと自分の意見を発言できるようになりたいからです。自分の発言ができないと、やはり自分が困ることを学びました。
第三に、ゼミで考えたことをまとめると、「自分自身をもっと見つめなおそう」ということです。■■
最後に、自分に対して希望を持てるように、これから頑張っていきたいです。
【コメント (中川 徹)】
- KT君のレポートはこれが最初ですので、文章の書き方を添削しています。文章として言いたいことが的確に伝わるように少しずつ推敲しました。ただ、一つ一つの文で言おうとしていること自体については変更していません。言いたいことの論理をより明確にする、発展・改良するのは今後のことです。
- レポートの最初に、ゼミ全体として学んだこと、考えたことを書いており、そこに大事なことを書いていると思います。この本とゼミを通じて、「自分を見つめ直そう」、「自分も変わろうとしたら変われるんだ」と感じ取ることができたのは素晴らしいことです。
- 「自分に自信を持とう」、「自分から発言できるようにしよう」、「人とコミュニケーションを取れるようにしよう」というのは、それぞれに関連したことで、少しずつ少しずつ努力して伸ばしていくことです。意識して努力し続けるか、それとも諦めて引っ込んでしまうかで、一歩一歩の違いは小さいのですが、一学期過ごし、あと3学年を過ごせば、卒業する頃にはものすごく大きな違いになっているはずです。
- 例えば、このゼミのレポートだってそうです。ともかく書き上げて提出した。それが自信になります。自分からの発言になります。先生だけでなく、ゼミのメンバともコミュニケーションを取ることになるのです。
- 今後のための第一歩として、このレポートはよいレポートです。なによりもまず、KT君自身の励みになる、目標と希望になる記念の文章です。心よりエールを贈ります。
「最後に、自分に対して希望を持てるように、これから頑張っていきたいです。」 !!
編集後記 (中川 徹、2011年 3月13日)
以上、レポートを提出した合計23人の学生諸君全員の文章です。それぞれ一部分だけを中川の判断で選択いたしました。このホームページでの掲載を了承してくれている学生諸君に感謝します。
一人一人のレポートを読み、添削指導して、本当にいろいろな学生たちがいると思います。文の書き方も、そのレベルもまちまちですし、その内面の状況も随分違っていると思いました。その一人一人の状況と気持ちを汲み取った上で、必要な訂正や指導をし、激励することを心がけています。
自分の主体性を確立すること、目的意識を明確にすること、生活時間を自覚的に管理して大事なことを優先して行うこと、などの大事さをつくづくと思います。この『7つの習慣 ティーンズ』で薦めていることが、やはり学生諸君にとって一番の土台になる大事なことだと思います。その上でいろいろな人と接する上での自信ができてきて、人間関係が成長していくのだと思います。それがまだまだできていない学生諸君が多いように感じます。また、その諸君にとってこの本がよい刺激、よい指針になっていると思います。
いろいろな学生のレポートで、びっくりするような記述もありました。それぞれの生活においても、内面においても、普通はあまり言わないことまで、きちんと書いてくれている例がいくつもあります。無口で分からなかったけれども、しっかりした考えをもった学生もいます。この本も、このゼミも、有益だったと書いてくれている学生が多いのも嬉しいことです。普通の大学の授業では得られないような、交流ができたのは実に嬉しいことです。
もしこのゼミの実践報告を読んで、『7つの習慣 ティーンズ』を読んでみようという人、ゼミで使ってみようと先生があれば、まことに嬉しいことです。
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最終更新日 : 2012. 3.10. 連絡先: 中川 徹 nakagawa@ogu.ac.jp