フォーラム

救命延命医療から緩和医療へ

島田 宗洋 (救世軍清瀬病院 病院長)
救世軍清瀬病院 前期昇天者合同記念会挨拶、
2016年 6月25日、 救世軍清瀬病院 (東京都清瀬市)

掲載: 2016. 7.31    許可を得て掲載。

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  編集ノート (中川 徹、2016年 7月26日)

本件は、「読者の声(2016年6月〜)」のページに記していますように、中川が『下流老人』の「見える化」資料ほかをお送りしましたのに応答して、島田宗洋さんが返信に添付してお送りくださったものです。本ホームページへの掲載を快諾いただき感謝いたします。

島田宗洋さんは、小児血管外科を専門とされる医師で、国立小児病院の医長を退職されたのち、救世軍清瀬病院の院長をしておられます。救世軍清瀬病院のホームページに、院長挨拶があり、写真も載っています。

救世軍とは(上記の病院ホームページより): イギリスに本部を置き、現在、世界124の国と地域で活動する国際的なキリスト教(プロテスタント)の教会です。 日本での活動は1895(明治28)年に始まり、現在は、47の小隊(教会にあたる)、2つの病院(ホスピス併設)、保育所、児童養護施設、婦人保護施設、特別養護老人ホーム、老人保健施設、アルコール依存症者支援施設などを通して働きを進めています。

島田さんは、「この問題(高齢者の貧困の問題)は、命を脅かす疾患や不治かつ末期の患者さんのお世話をさせていただいているわたし達の職場にとっても非常に重要な喫緊の課題です」と書いておられます。それとともに、超高齢化社会にあって、医療のあり方、特に高齢者の医療のあり方、終末期医療のあり方は大事なことと思います。

本『TRIZホームページ』は、(従前の)TRIZの技法や技術の分野にとらわれずに、さまざまな問題を認識し、それらを根本から解決していく考え方や試みを、積極的に取り上げていきたいと考えています。皆様のご寄稿をお願いします。

 


 挨拶本文    ==> PDF

救世軍清瀬病院 前期昇天者合同記念会挨拶

2016年 6月25日   病院長 島田宗洋

前期昇天者記念会は、2000 年から2015 年の過去16 年間に当院にてご逝去された方々の昇天を記念する集まりでございます。10 年一昔と言いますが、16 年も経てば世の中はかなり変わります。人間の記憶も年と共に薄れて行きます。それにも拘わらず長い間に亘って万難を排してこの記念会に参加してくださっている皆様方に先ずはこころからの感謝とお礼を申し上げたいと思います。数は少なくても天国の故人を偲ぶ大変密度の高い集いです。有難うございます。

この16 年間を振り返って見れば、緩和医療や終末期医療のあり方や考え方にかなり大きな変化が見られております。今回は、しばらく時間を戴いて、この点について皆さまと共に少しばかり冷静に振り返ってみながら将来の姿に想いを馳せてみたいと思います。

先ず初めに、わたし達の小さな病院の立ち位置の確認をしておきたいと思います。医学の歴史を概観してみると、20世紀の半ば頃から人工腎臓を嚆矢として、人工呼吸器など様ざまな人工臓器が導入されるようになり、これを引き継ぐようにして臓器移植が行なわれるようになりました。その後、この科学的医学の進歩を受けて、救命延命医療は長足の進歩を遂げましたが、その一方で、例えば、肺癌の末期患者さんに人工呼吸器をつけるような行き過ぎた救命・延命医療が行われたりする事態が生じていました。その背景には、「死」を考える医学を「敗北の医学」と考えて軽蔑する風潮がありました。言い換えれば、臓器が中心の医療で、どちらかと言えば、病気だけがあって人間がいない、何が何でも命を延ばす、データを見るのに忙しくて患者さんの触診や聴診がおろそかになって行き、医療の中心に人間の姿が見えない不在の医療で、死について議論をしようとしない医学という側面がありました。そして数十年前が経過しました。

この間、患者さんは集中治療室にいてご家族は患者さんの死に目に会えず、お別れの言葉を交わすことなどは不可能でした。これで良いのかと言う議論が世界的に巻き起こっていましたが、なかなか着地点は見えない時代が約四半世紀位はあったと思います。その突破口は、ロンドンに出来たセント・クリストファー・ホスピスでした。その後、人間学的医学の立場から尊厳ある「死」を模索する考え方、即ち、緩和医療の考え方が世界的に急速に広まって行き、不治かつ末期の患者さんの医療は、ここ四半世紀で大きく変化して行きました。

経済成長を遂げて先進国と呼ばれている国々は、殆どの場合、同時に科学技術の面でも先進国です。それらの国々で行われている医療は、人間の死を克服して長寿を目指すことが第一の目標となっています。病院らしい病院とは、画像診断が出来て、医療機器が揃っていて、正確な診断が出来て、高度な延命治療が可能な病院を意味しており、このような病院が高く評価されています。従って、慢性期の病気とか不治かつ末期の病気のケアを中心としている病院は、病院の体をなしていないと言われて蔑まれることがあります。しかし、今の時代では、このような一方的な考え方は間違っています。現代の超高齢社会では、救命延命治療つまり急性期医療を求めている人びとよりも、慢性期緩和医療の充実を求めている高齢者の人びとの方が明らかに多数を占めており、大病院の医療よりももっと人間的な緩和医療の充実が大きな課題となっているのです。

世界保健機構(WHO)は、2002 年に「緩和医療は、生命を脅かす疾患による問題に直面している全ての疾患とその家族に対して行なわれるべき医療である。」と明記しております。世界においては、緩和医療の対象は、がんのみならず非がん疾患を含む全ての疾患を対象としております。これが「本来的緩和医療」です。

日本では、2007 年に「がん対策基本法」が国会で可決されました。その結果、緩和医療は、「がん」とエイズ(HIV)に限られてしまい、その後、エイズの患者さんは減少の一途を辿ったので、現在の日本では、緩和医療は、「がん」患者さんだけに特化してしまいました。その結果、この国では緩和ケアと言えば「がん」患者さんだけがその対象であると言う誤解が、全国的に非常に強固に非常に頑固に一般に流布しております。わたしは、もともと原理原則に立ち戻って物事を考えようとする性格なので、この状況は何とも異様に見えます。この国は、ホスピス発祥の地であるイギリスやその他の民主主義諸国の状況と比較すれば、かなり偏った道を歩んでいることが判ります。一方で、当院の働きのみならず、この状況に少しずつ変化の兆しも見られており、この動きに期待したいと思っております。

わたしの眼には、がん患者さんだけが特別扱いされるのは、病気の差別化であり同時に人間の差別化と写ってしまいます。救世軍清瀬病院に入職して以来、この想いは一貫して変わっておりません。2013 年には、欧州緩和ケア学会では「プラハ憲章」が制定されました。プラハ憲章は「生命を脅かす疾患に対して緩和医療を受けることは人権である。」と宣言しています。その翌年の2014 年に、世界保健機構(WHO)は、毎年4000 万人が緩和医療を必要としているが、実際にはその10 分の1 程度しかケアがなされていないと指摘しています。特に、超高齢社会となっている国々では喫緊の課題です。それにも拘わらず、日本の行政府は、2008 年に打ち出して失敗した療養型病棟の廃止を、もう一度2030 年に廃止しようとしています。先日、慢性医療協会からこれに関してアンケートが寄せられましたが、わたしは、「生命を脅かす疾患」や「不治かつ末期の疾患」を緩和医療から切り離すような政策には反対であるとの趣旨の返信をしました。安らかな死の支援をすることは緩和医療の重要な課題です。為政者らはもっと理解を深めて、富の分配をより平等に行なう工夫を凝らして欲しいものです。

現在、ここで働くわたし達は、がん緩和医療に特化した従来の「伝統的ホスピス緩和ケア病棟」に加えて、療養病棟に於いても、非がん患者さんに限らずがん患者さんにも入院して戴いて一定以上のレベルの緩和ケアを提供したいと願ってきました。新しい病棟は「本来的ホスピス緩和医療病棟」です。古い皮袋ではなく新しい皮袋を得た訳ですから、ここには、「本来的ホスピス緩和医療病棟」と言う新しいぶどう酒を注がなければなりません。例えば、鼻から胃に入れた管や胃ろうから必要以上の栄養物や水分を注入し続ければ患者さんは血糖値が上がったり手足が浮腫んだり痰が増えたりします。新陳代謝が非常にゆっくりとなっている高齢患者さんには、このような「医療もどき」のようなことはしないでぎりぎりまでそれなりに上手に食べていただくことの方がずっと大切だと思います。さまざまに進歩してきた医療技術がありますが、その技術が患者さんの役に立っていない場合には、やらない決断をしなければなりません。これが長高齢社会となった時代の要請だと思います。今回、完成した新しい療養病棟には、このような重要なコンセプトが含まれています。今後の重要課題は、当然ながら、本来的緩和医療の内容を今まで以上に飛躍的に向上させることです。

もう一つ、日本と欧米の間には非常に大きな溝があります。欧米の個人主義の国々では、リビング・ウイルを最も大切にしていますが、この国では、生命を脅かす病気や不治かつ末期の臨床現場に於いてさえ、患者さんご本人の意思よりもご家族の意思や医療者の意思の方が大きな決定権を持っています。これは「人権問題」ではないでしょうか?リビング・ウイルを用意しておられる患者さんはごく僅かです。具体的に書いておられる方は皆無です。このことに対処するためには、次善の策として、当面、前もってケアプランを考えておくAdvanced Care Planning (ACP) しかありません。患者さん、ご家族、関係する医療者が一同に会して、双方が納得するケアプランを前もって作成することによって、患者さんの生命の質(クオリティ・オブ・ライフ)(QOL)と死に方の質(クオリティ・オブ・デス)(QOD)を高めて行く作業が重要だと考えております。後でご家族のなかで点滴をするかしないかで喧嘩にならないようにしたいものです。

この際、医療者側に要求される態度は、患者さんと対等な立場に立って、出来れば友人のように患者さんに仕える(サービス)態度です。サーバント・ケア、サーバント・マネジメント、そしてサーバント・リーダーシップです。この分野では、ボス的な態度や振る舞いは相応しくありません。これは、緩和医療の基本的な考え方ですが、同時にこれはキリスト教の精神であり、とりもなおさず、救世軍清瀬病院の使命です。更に、職員全体がこのような考え方で仕事をすることが病院の働き方の基本を形つくって行きます。職員全員がこれを原点と捉えてこれまで以上にいろいろな提案をしてくれることをわたしは望んでおります。患者さん達から沢山の事柄を学んでいますが、わたしは、生と死がお互いに和解出来る状況について自問自答を繰り返しております。これが緩和ケアの目指すところです。キリスト教的に考えれば、死は勝利へと飲み込まれて行くのです。

手前味噌で申し訳ありませんが、わたしは最近 Wie wollen wir sterben? (わたし達は、どんな死に方をしたいのか?)と言う題名の約300 頁のドイツ語原著を、日本語が堪能なドイツ人医師の友人と一緒に邦訳しました。この本は、2010 年発刊後、第5版を重ねたベストセラーです。内容を読むと、ドイツでも、日本と同様に超高齢社会の問題を多く抱えており、延命医療から緩和医療へいつどのように移行するべきか、本来的緩和医療の姿形はどうあるべきか、更に 緩和医療の限界である死亡幇助の問題についても具体的に議論がなされています。ドイツと日本が大変よく似た状況があることに驚かされます。わたしは、この本から非がん患者さんの緩和医療について多くを学ぶことが出来ました。しかしながら、出版不況の今日ではハウツー物が横行しており真面目な本は鼻から門前払いをされてしまいます。既に著名な出版社など4社から断られて途方に暮れておりましたが、この度、キリスト教出版社の「教文館」がその価値を認めて拾ってくれることになり、現在出版の準備が始まっております。上手く事が運べばこの秋には出版にこぎ着ける予定です。

実は、わたしは1939 年生まれです。昨年の暮れの12 月15 日で、満76才を迎えた後期高齢者です。救世軍清瀬病院も1939 年生まれなので、わたしはその歴史的時間を共有しています。昨年、キリスト者医科同盟の関東部会で講演を頼まれたのを機会に、やっとキリスト者医科連盟の一年生に加えて戴きました。実は、このキ医連も1939 年に京都で生まれております。年を取るとこのようなことが不思議に思えてなりません。その後、早速キ医蓮から「臓器移植の今」と題する特集の原稿依頼がきましたので「臓器移植の今:俯瞰的考察」と題して小論文を書きました。その中で、わたしは、日本には、尊厳死法が無いのに臓器移植法だけがあるのは倫理的バランスに欠けているのではないかと主張しました。

振り返って見れば、わたしの医師としての半世紀の歩みは、救命延命医療の最先端である小児心臓外科から、緩和医療の最先端である終末期医療へと導かれておりました。新生児医療から終末期医療まで、医師としての半世紀を、地を横に這うように横に歩んで参りました。神さまは浜の真砂のように小さく不器用なわたしにも普通の医師が味わえない不思議な計画を与えてくださいました。時代はすっかり変わって今や第3次産業革命の只中にあります。世界は何処へ向かって行くのでしょうか?まだ生かされてあることに感謝しながら「御心ならば」と思う今日この頃です。

本日は、穏やかな時間を過ごしていただくための催しなのですが、かなり厄介な話をしてしまって申し訳ございません。この後でささやかな交流会が用意されております。どうぞ去りし日々を思い出しながらゆっくりと和やかな時間をお過ごし戴ければさいわいです。加えて、皆様方が今後も健やかに過ごされますようお祈りいたしております。これをもって本日のご挨拶とさせていただきます。有難うございました。

 


  編集ノート後記 (中川 徹、2016年 7月26日)

私は、島田宗洋さんとは、東京大学学生基督教青年会(YMCA)の寄宿舎(本郷・向ヶ丘)で4年間一緒に過ごしました。私たちは同期でしたが、私が理学部の3年〜修士2年、島田さんは医学部の3年〜6年の期間です。全部で25名ばかりの寮で、素晴らしい先輩/後輩の人たちとともに、60年安保闘争直後の大学紛争の時期に、勉学と社会意識とキリスト教と青春の時代を過ごしました。卒業後は年賀状のやり取り程度のことが続きましたが、この20年ほどは年に1回のYMCAの同窓有志の会で顔を合わせてきました。私は、自分の健康のことや、子・孫の健康のことについて、ときどき島田さんの助言を仰ぎました。

それでも、お互いに考えていることを、(5分、10分の近況報告でなく)きちんと書いたもので読む機会はほとんどありませんでした。今回は得難い機会であったと思います。-- ありがたいことに、私には沢山の先輩、友人、知人、そして読者の方があります。私は話下手で、飲んでてもあまり話さないことが多いですが(話させると長いとも言われますが)、書くことはできます。本当に思うこと、考えることを、きちんと書いて、勝手ながらここに掲載し、お読みいただける方があればと思っております。

 
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最終更新日 : 2016. 7.31     連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp