TRIZ/CrePS 発表(社会問題)

人類文化の主要矛盾「自由 vs 愛」を考察する
(2) 個人における「自由 vs 愛」の矛盾・葛藤と「倫理」

中川 徹 (大阪学院大学 名誉教授 & クレプス研究所 代表)

(D)  拡張・推敲論文版: 2018年2月27日脱稿、
『TRIZホームページ』 初出掲載 2018年6月25日

(D) 拡張推敲論文の英訳版 『TRIZホームページ』掲載  2018年 8月14日

掲載:2018. 6.25; 更新: 2018. 8.14

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編集ノート (中川 徹、2018年 6月19日)

本稿は、2017年秋に同一の表題で3つの学会で発表したもの(下記(A)(B)(C))を、さらに拡張・推敲した和文論文(D)です。
(A) 日本創造学会研究大会 発表 2017.9.9-10 (和文スライドと和文論文
(B)   日本TRIZ協会 日本TRIZシンポジウム 発表  2017. 9.21-22 (和文スライドと 英文スライド
(C)   ETRIA  TRIZ Future Conf. 発表 2017.10. 4-6 (英文スライドと英文論文
(D)  本稿 『TRIZホームページ』掲載 (和文論文

創造学会での発表の後で、直ちに予稿集の論文(2段組み 8頁)を見直し、6.節考察を大幅に追加して 9月15日に創造学会論文誌に投稿しました(1段組み 16頁)。翌1月10日に査読結果が初めて示され、不採録の返答でした。理由は、先行研究(特に倫理学)が参照されていない、言葉の定義が明確でない、自由と愛の正の論と負の論が混在している、創造性との関係が不明確、など。私は、推敲の上、再査読の申し立てをし(1月14日)、さらに再推敲版 (1段組み、19頁)を提出しました(2月27日)。しかし、再査読は認められませんでした。

その後この5か月、私は倫理学の本をいろいろ読みました。そして現在、本論文で主張している基本仮説は、いずれも先行研究とは異なるもので、有意義で重要な新しい観点と理論を提出していると、考えるに至りました。ただ、従来の学説との関連を議論するには、まず本論文を提示することが必要であり、それを踏まえて初めて(今後の後続の論文で)比較の議論ができると考えます。

このような経過で、本稿は2月27日の提出原稿のままで、ここに掲載いたします。(日本創造学会の論文誌に再投稿すると、発行まで1年待たねばなりませんので。)日本創造学会の査読者の方のご意見も(一部)採り入れて推敲しており、査読意見に感謝いたします。本論文の英訳はできておりません。先行研究(特に倫理学)に関する議論は、今後さらに考察を深めて発表していく所存です。

編集ノート(中川 徹、2018. 8.14)  本論文の全文英訳版を掲載しました。また、倫理学の先行研究をレビューして、新しい論文を執筆し、大阪での国際会議ICCI2018で発表します。その一部 (概要、7.Discussion、8.Conclusion など)を和訳して、『TRIZホームページ』に掲載します 。本件拡張論文と合わせて、現在の理解を示しています。本研究の基本仮説の新規性・妥当性・意義がさらに明確になりました。

 

論文目次    論文先頭

0. はじめに

1.  人類文化の第0原理:「倫理」

1.1  人間の内面の根底と、人類文化の第0原理としての「倫理」
1.2  「倫理」の後天性と「良心」の先天性
1.3 人類文化における「倫理」の位置づけ
1.4  「倫理」の中核概念としての「基本的人権」
1.5  第0原理「倫理」の本質:「すべての人に幸福追求の権利がある」 

2.  人類文化の第1原理:「自由」

2.1  「自由」は、「自分で判断し、自分で行動して、生きる」こと
2.2 「自由」同士の対立:「競争」の必然、「競争に勝つ」努力
2.3  「競争社会」と「格差」
2.4  「社会的勝者」による「支配」:新しい「社会ルール」とその「保守」
2.5  支配された状況からの「解放」と「革新」
2.6 人類文化における「革新」:「自由」の意義
2.7 第1原理「自由」の本質:「自分(たち)の幸福・利益を追求する」

3. 人類文化の第2原理:「愛」

3.1 「愛」は、「各人がその子を愛し、家族を愛し、隣人を愛して、助け、守る」こと
3.2  「愛」は「助け合う」、「与える」、「協力する」
3.3  「愛」は「調和」を求め、一部の「自由」を抑制する
3.4  多様性(多様な「自由」)を尊重した「協調」(「愛」)
3.5  もう一つの「愛」の原形:性愛・恋愛・結婚
3.6 「愛」は「身内」を守るために、「外部に対抗する」性質がある。
3.7 「身内」を守ろうとする「愛」は、一つ上の社会レベルで「対立」を作り出す。
3.8 「博愛」:「格差」の是正と社会の「革新」
3.9  第2原理「愛」の本質:「みんなの幸福・利益を追及する」

4.「自由」と「愛」の対立・矛盾

4.1 ある人の独自の判断と行動(「自由」)を、別の人の「愛」が止めようとする
4.2 「助け合い」「協力」を求める「愛」に、「自由」が協力を拒否する
4.3 「勝負」「戦い」での決着(「自由」)を、「愛」は「平和的に」避けたい
4.4 「社会的勝者」が作る「社会ルール」に、「愛」が異議を申し立てる場合
4.5 「抑圧からの解放」の運動(「自由」)に、「愛」が反対する場合
4.6 「愛」が「身内」の団結を求めて、メンバーの「自由」を束縛する場合
4.7 「愛」の「身内意識」が、外部の人の考え・行動(「自由」)を排除する場合

5. 「自由」と「愛」に対する「倫理」の役割

5.1 「倫理」自身の理解が、人類文化の歴史の中で発展してきている
5.2 個人の心の中で「倫理」が適切に理解され、実践されることの重要性
5.3 不十分な「倫理」(の理解)は、「自由」の精神を損なう
5.4 「自由」の土台となる「倫理」:「基本的人権」と「本質的平等」の概念
5.5 不十分な「倫理」は、「愛」の精神を損なう
5.6 「愛」の土台となる「倫理」:心の中の「愛」と「広い心」
5.7 現代社会の問題:経済的「格差」の問題と「富の再配分」の問題の認識

6.考察

6.1 創造的問題解決の方法論(TRIZ/CrePS) の寄与
6.2  問題と事例検証、文献検証と、基本仮説の設定・検証
6.3  基本仮説の構造と意義
6.4 人類文化における「倫理」の共通基盤の可能性
6.5  第1原理「自由」の意義と影響:革新性と保守性
6.6 第2原理「愛」の意義と影響・限界:革新性と保守性
6.7 第0原理「倫理」の社会的な役割
6.8  人類文化の主要矛盾「自由 vs 愛」の解決を困難にしている要因

7.まとめ

補足

参考文献

 

本ページの先頭

(D) 論文の先頭

0.はじめに

1.第0原理 倫理

2. 第1原理 自由

3. 第2原理 愛

4. 自由と愛の対立

5. 倫理の役割

6. 考察

7. まとめ

参考文献
本論文PDF   2017年秋3学会発表のページ(A)(B)(C)  (A) 創造学会発表スライド (A) 創造学会発表論文 (B) TRIZシンポ スライド (C) ETRIA 出版論文 (C) ETRIA 論文  (C) ETRIA スライド     英文ページ

 


 (D)  『TRIZホームページ』 初出掲載論文

 

 論文 (拡張・推敲版)     PDF (19頁、623 KB) 

人類文化の主要矛盾「自由vs愛」を考察する
(2) 個人における「自由vs愛」の矛盾・葛藤と「倫理」

'Liberty vs. Love': The Principal Contradiction of Human Culture
(2) The 'Liberty vs. Love' Contradiction and 'Ethics' at the Personal Level

中川  徹  (大阪学院大学 名誉教授)

Toru Nakagawa (Osaka Gakuin University, Professor Emeritus)

『TRIZホームページ』 2018年 6月25日掲載
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2018Papers/Naka-LibertyLove-2D-2018/Naka-LibertyLove-2D-THPJ-180619.html

英訳版 『TRIZホームページ』掲載 2018年 8月14日 

 

[ 概要 ] 

本研究は、社会的な問題に「創造的な問題解決の方法論TRIZ/CrePS」を適用した第2報である。前報で、人類文化の「第1原理:自由」と「第2原理:愛」とに対立があり、それが人類文化の歴史を通じて未解決の「人類文化の主要矛盾」であることを認識し、その対立を調整する可能性を「倫理」に求めた。本報は、社会階層の根底である「個人(と個人間)のレベル」での、「自由・愛・倫理」の構造を詳しく考察した。人間の内面は、感覚・感情と「欲・欲求」がベースにあり、「悪の心」と「善の心」の葛藤がある。「悪の心」に打ち勝ち、根源的な生きるエネルギーと「善の心」を育む指針が「倫理」である。「自由vs愛」のさまざまな矛盾は、「倫理」が不十分なときに深刻化する。「倫理」、特に、「人間としての本質的平等」を中心とする「基本的人権」の概念が、主要矛盾「自由vs愛」を解決する鍵である。

[ Abstract ]

This is the second report of applying the TRIZ/CrePS Methodology to the social field.  A basic hypothesis, found in the first report, is “ ‘Liberty vs. Love’ is the Principal Contradiction of Human Culture unsolved yet throughout the human history. Possible keys to reduce/solve the Contradiction may be found in ‘Ethics’ ”.  The present study has extended it further to investigate the structure/relationships of ‘Liberty, Love and Ethics’ at the personal (and inter-personal) level.  Inside the human hearts, there exist senses, feelings, and greed/desires at the base and also conflicts between Bad will and Good will.  The guiding principles for overcoming the Bad will and cultivating fundamental energies to live and Good will is Ethics.  Various contradictions of Liberty vs. Love become serious in poor understanding of Ethics.  Keys to reducing/solving the Principal Contradictions Liberty vs. Love are found in Ethics, especially Fundamental Human Rights around the concept of Intrinsic equality as humans.

 

キーワード:自由、愛、倫理、人類文化の主要原理、主要矛盾

KEYWORD:Liberty, Love, Ethics, Principal Principles of Human Culture, Principal Contradiction

0. はじめに

本研究は、社会的な問題に「創造的な問題解決の方法論TRIZ/CrePS」[1] を適用した第2報である。前報[2, 3]では、日本社会における貧困の問題を考察し、国民の意識の中にある「自己責任論」と「助け合い精神」との対立が問題の根底にあることを認識した。その対立が、「競争に勝ち、生き残る」ことを目指す「自由」という指導原理と、「他を助け守り、協調する」ことを目指す「愛」という指導原理との対立であること。さらに、人類文化において第1原理の「自由」と第2原理の「愛」とが矛盾を内包し、「自由vs愛」が「人類文化の主要矛盾」であり、人類文化の歴史を通じて未解決であること、を認識した。また、自由と愛の両者を動機づけ調整しうるものが「倫理」であると考えた。

本研究では前報の考察をさらに進め、社会システムの階層の一番根底にある、「個人(および個人間)のレベル」での、「自由・愛・倫理」の構造を考察した。考察の方法として、一人の人の成長を年令時期(乳児・幼児期、学童・少年期、青年期、壮年期、老年期)で特徴づけ、その内面と行動のパターンを「自由・愛・倫理」の観点から理解した。ついで、これらに顕われた内面と行動を特徴づけるキーワード(および社会的側面でのキーワード)を多数列挙し、「札寄せ」法でその関係を「見える化」して、「自由・愛・倫理」の内部構造、矛盾・対立の構造を考察した。さらに、その考察結果を文章として書き出し、前報を補強・発展させた新しい理解を得、「仮説」としてまとめた。

図1に「自由・愛・倫理」の構造について、多数のキーワードを用いた詳細版を図示する。さらに、この図1を得た後にそのエッセンスだけを描き出したものを図2に示す。

図1.人類文化の主要矛盾:「自由・愛・倫理」の構造(詳細版)(個人(間)のレベルを中心に)

 

図2.人類文化の主要矛盾:「自由・愛・倫理」の構造(エッセンス版)

 

以下の本文1.〜5.節に、本研究で得た理解結果を、「基本仮説」として整理して述べる。

1. 人類文化の第0原理:「倫理」
2. 人類文化の第1原理:「自由」
3.人類文化の第2原理:「愛」
4.「自由」と「愛」の対立・矛盾
5.「自由」と「愛」に対する「倫理」の役割

これらの節では、各原理(指導原理、人類文化の目標の意)の基本的性質をまず定義として述べ、その性質が必然的にもたらす現象・側面を順次述べている。これらの「原理」はすべて人類文化にとって根本的に大事な目標/指針であり、追い求めるべきプラスの価値である。しかし、人類文化がそれらを追い求める過程で、これらの各原理の内部(1.〜3.節)にも、また原理相互間(4.節)にも、対立・矛盾が生じ、拡大していく。このことを明確に示したのが本研究の「人類文化の主要矛盾」という仮説であり、その仮説を提示したことが本研究の意義である。また、5.節にはこの主要矛盾を解決する方向性を提示している。

これらの節では、簡潔さと明確さを大事にして、仮説をトップダウンに記述している。非常に大きなテーマだから、議論するべき問題点や観点は多々あり、個別の論点では古今東西無数の人びとの考察・著述があるに違いないが、枝葉に立ち入らない形での記述にした。そこで、本文の6.節を「考察」とし、本研究のアプローチを改めて述べ、基本仮説の諸点を補足している。

 

1.  人類文化の第0原理:「倫理」

1.1  人間の内面の根底と、人類文化の第0原理としての「倫理」

人間の内面の根底は、感覚と感情をベースにし、さらに生き物としてまた人間的な「欲・欲望」を含んでいる。それは、生きるエネルギー、特に人間としての根源的な欲求(幸せを求め、自己実現を求める欲求など)を内在し、誠実、情熱、優しさなど、人の「善の心」の基になっている。

しかし、人間の「欲・欲望」には、他を害しても自分が得しようとする「悪の心」につながる面がある。人間の内面にはこのように「善の心」と「悪の心」が同時に存在し、互いに矛盾し、葛藤している。この内面の葛藤において、何が「善」で、何が「悪」であるかを示すのが「倫理」である(これが本研究での「倫理」の定義である)。それは人の人生の指針をなすと同時に、社会の指針の基礎でもある。この認識から、本研究で「倫理」を「人類文化の第0原理」(すなわち、人類文化の発展の最も基礎にある指導原理)と呼ぶ。

1.2  「倫理」の後天性と「良心」の先天性

何が「善」であり、何が「悪」であるかという内容(すなわち、「倫理」の中身)は、時代と社会によって異なるものであり、それぞれの時代の社会で作られ教え込まれてきた。そしてそれらが相互に影響を与えつつ、人類文化の歴史と共に発展してきた。

では、人類文化で共通のもの、DNAに組み込まれ先天的なものはないのか?私は、「良心」がそれだ、と考える。「内心において善悪を見分ける(先天的な)心の能力」をここで「良心」と呼ぶ。(なお、このような先天的能力の仮定は、言語能力の場合を参考にしている。すなわち、赤ん坊は、生まれの遺伝背景によらず、どこで育てられても育てられた家族・地域の言葉を理解し話せるようになる。言語そのものは後天的に学ぶのだが、言語を理解し話せるようになる能力は先天的に備わっている。)「良心」を人類が共通に持っているという理解(本研究での仮説)は、人類文化を考えるときの大きな拠り所となる。

「良心」が一人一人の内面に存在して、自分の(そして周りの人々や社会の)言行の善/悪を(内心で)判断し方向づけるという点で、「倫理」は極めて個人的なものであるが、それと同時に、社会が善悪の基準をすでに作っていて、それを各人に教え込み守らせようとしている点で、「倫理」は(各社会に依存した)社会的なものである。

1.3 人類文化における「倫理」の位置づけ

人類の文化は、この「倫理」を土台にして発展し、自分で判断し行動して最大限の自己実現を目指す「自由」の伸展と、他者を愛し助け守ってみんなの幸福を実現しようとする「愛」の拡張(普遍化)に向かって進んできた。しかし、「自由」と「愛」のそれぞれにもまた相互にも対立・矛盾があることが明確になっている。それらの矛盾を調整する(解決する)ための拠り所となるのは、土台にある第0原理の「倫理」であると考えられる。(なお、ここの記述は、個人レベルでも社会レベルでも共に成り立つ。)

1.4  「倫理」の中核概念としての「基本的人権」

「倫理」に近い日本語として「道徳」があるが、そこには(旧来の身分関係・上下関係を前提とした)社会ルールへの「従順」「服従」というニュアンスが強い。(この点は世界の多くの国々で最近まで/今なおそうである。)しかし、人類文化の歴史の中で「(人間の本質的な)平等」という概念が得られ、さらに明確化されて、現代では「基本的人権」が人類文化を調整する基本的な(明示された)「倫理」概念になっている。この意味で、古い「道徳」の「服従」思想を克服した「倫理」観が大事である。

なお、「基本的人権」の概念がカバーしない「倫理」の部分があることを、付言する。誠実、勤勉、優しさ、謙虚さといった、個人の内面と行動に関わり、人間の美徳・人格に関わる「倫理」の部分を「基本的人権」はカバーしない。「基本的人権」は、社会が人間にどう関わるべきか、何を守り何をするべきでないかを、規定しようとしている。

「自由」と「愛」の両者を動機づけ、両者の矛盾を調整するのが「倫理」であるという認識は、「自由」と「愛」が、「基本的人権」で代表される「倫理」を尊重する(「基本的人権」を損なわない)ことを要請する。

1.5  第0原理「倫理」の本質:「すべての人に幸福追求の権利がある」 

「倫理」を端的にいうと、「すべての人に「幸福追求の権利」がある」(ことを認識し、保証・実現していく)、という(指導)原理である。(「倫理」の役割については、さらに5.節に敷衍して述べる。)

 

2.  人類文化の第1原理:「自由」

人類の文化は、「自由」を第1原理(指導原理)とし、その伸長を主要目標とする。

2.1  「自由」は、「自分で判断し、自分で行動して、生きる」こと

第1原理の「自由」は、各人が「生きる」ために、「自分で判断し」、「自分で行動する」ことである(これが本研究での「自由」の定義である)。それを最大限に伸展させることを目指す。それは「主体性」と言ってもよい。

「自分で判断する」ことは、判断を他の人に依存しないことであり、自分が「生きる」ためには(「生き残る」ためには)、自分でその場その場でベストの判断をし、その責任を自分で負うことである。これは、新しい考え、独自性のある考えを生み出す可能性がある。そのような新しさが、人類文化を新たに発展させていくのだと、理解されている。

さらに、「自分の判断」をベースに、「自分で行動する」。自分でベストと考える行動をすることが、自分の自我を主張し獲得するための、つまり自分が「生きる」(「生き残る」)ためのベストのやり方だと、この第1原理では理解されている。もちろんどの行動にもさまざまな影響があり、リスクがあるから、成功することも失敗することもある。それを承知で、よく考えて(判断し)行動する、その結果に自分が責任を負う、というのが、「自由」の原理である。

2.2 「自由」同士の対立:「競争」の必然、「競争に勝つ」努力

自分の「自我の主張」(すなわち、「自由」の主張)は、多くの場合に他の人の「自我の主張」と対立する。人間が「欲しいもの」の対象(例えば、食料、住居、結婚相手、就職のポスト、など)は有限だから、そのような対立が必然的に起こる。その対立は、「競争」として現れる。

「自由」の原理は、そのような「競争に勝つ」ことを目指す。実際の人間社会では、競争者の間に有利・不利の差があることはしばしば起こる。その不利をも克服して「競争に勝つ」ことを目指すのである。競争の「勝者」は自分が欲していたものを獲得し、「敗者」にはそれが得られない(最悪の場合には自分の生命をも失う)。

そこで、自分が適切に判断し、それを行動に移して、よい結果を得ることができるためには、(「競争」の場では特に)自分がしっかり判断・行動できるような力(実力)を備えなければならない。実現したいと思うこと(「自我主張」の内容)に応じて、知力も経験も体力も資源も(そのような実力の一部として)必要であろう。

2.3  「競争社会」と「格差」

「競争に勝つ」ことを目指す「自我」(「自由」)の主張が、むき出しで現れると、「競争」はどんどん熾烈になる。例えば、受験競争は受験者の平均レベルが上がるほど一層厳しくなるし、商品の販売競争・価格破壊競争でも同様であり、人間が富を求める金銭欲には際限がない。そして、「競争」が激しくなると、「弱肉強食」のぎすぎすした社会になる。勝者はその次の競争に際してより有利になるから、勝者と敗者の立場の差が「格差」として社会的に拡大していく。

2.4  「社会的勝者」による「支配」:新しい「社会ルール」とその「保守」

社会的な(いくつもの)競争に勝った「社会的勝者」は、「社会的敗者」を「支配する」。これは社会システム(組織や制度)の場合に顕著である。「勝てば官軍」の諺があり、「勝者」の利害に応じて、「勝者」に都合がよいように、社会的ルールが作られていく。また、このことは個人同士のレベルでも起こる。子供の中でのガキ大将、少年期に顕著ないじめ、部活動での先輩と後輩、職場でのベテランと新人、家庭内暴力 (ドメスティックバイオレンス(DV))など、いろいろなところで見られる。このような「勝者」は、「支配者」として自分が作った体制(社会ルールなど)の温存・現状維持を望む。それは、「保守」の立場であり、(「理想主義」と対置した)「現実主義」の立場である。

2.5  支配された状況からの「解放」と「革新」

一方で、「社会的敗者」であった者には、支配された状況、抑圧された状況から「解放」されることが、自分(たち)の大きな利益である。そこで、現状を打破する、現在の社会ルールを「改革」することが、「自由」が目指す大きな目標になる。それは、「革新」の立場であり、(多くの場合に)一つの「理想主義」の立場である。このような「革新」が人類文化の歴史の発展を特徴づけてきた。

2.6 人類文化における「革新」:「自由」の意義

なお、このような社会的な革新でない場合にも、「自分で判断し、自分で行動する」ことが、 (科学技術や芸術など)文化的な革新を生み、発展を生むと理解されている。独自性、新規性のある科学認識や技術や芸術を生むからである。「イノベーション」は「自由」にとっての大きな目標である。この意味で、「自由」が人類文化を発展させるための重要な原理、必須の原理、とみなされる。

2.7 第1原理「自由」の本質:「自分(たち)の幸福・利益を追求する」

「自由」を端的にいうと、「自分(たち)の幸福・利益を追求する」という(指導)原理である。

 

3. 人類文化の第2原理:「愛」

人類の文化は、「愛」を第2原理(指導原理)とし、その普遍化を主要目標とする。

3.1 「愛」は、「各人がその子を愛し、家族を愛し、隣人を愛して、助け、守る」こと

(この節見出しが、本研究での「愛」の定義である。)第2原理である「愛」の原形は、母の子に対する「愛情」である。それはもともと、生き物としてのヒトがその子孫を残すために、子を守り育てる本能的行為である。母は生まれてきたわが子に対して自然に(本能的に)可愛がり、母乳を与え、危険から守り、育てる。その愛は幼児・学童期はもちろん、子どもが自立して以後も続くのが普通である。子どもは、母および家族の愛を感じつつ成長するのが、望ましい姿である。

このような「愛」が、親から子に向かうだけでなく、家族に対し、隣人に対して向けられ、さらにいっそう広くすべての人に向けられ、かつ双方向になることが、第2原理としての「愛」の普遍化の方向性である。

3.2  「愛」は「助け合う」、「与える」、「協力する」

「愛」には、「助ける」という面がある。(わが子だけでなく)弱い者、困っている者に対して、(少しでも余力がある者が)金銭や助言や助力を与えて助ける。さらに相互に助け合う、お互いの不足しているもの、困っていることを補いあう。その助け合いを家族だけでなく、隣人、友人などに広げていく。これが第2原理の「愛」の本来の方向である。

「愛」は、相手に「与える」こと、奉仕することが基本である。このような「愛」は、人と人とが触れ合う、コミュニケーションを取ることが前提になる。その中でお互いを理解して、一方向から双方向になり、「協力する」ことに発展していく。

3.3  「愛」は「調和」を求め、一部の「自由」を抑制する

「愛」には、自分の周りの人たちの「調和」を作るように、調整していこうとする働きがある。自分が、親のように振る舞い、助け、守り、奉仕することによって、その人々のグループ(「身内」)に調和ができるかもしれない。

しかし、関係する人々の人数が増え、多様性が増大して、それぞれが欲すること(「自由」の主張)が違ってくると、だんだん調整が難しくなる。一つのやり方は、自己主張する人を「なだめ」て、グループ内に留まらせることであるが、それは多少の不満を内包することになる。もうひとつのやり方は、自己主張する人の主張を基本的に認めて、他のグループメンバーに理解を求める(場合によっては「なだめる」)ことである。これらの場合には、「愛」による「調和」の志向が、グループ内の人々の「自由」の主張の間に「妥協」を作ろうとすることになり、(特に激しく主張する)一部の人の「自由」の追求と対立(矛盾)することになる。

3.4  多様性(多様な「自由」)を尊重した「協調」(「愛」)

もっと望ましいのは、グループの各メンバーが互いの主張や利害の違いを認めたうえで、相互に相手を尊重し、グループとして「協調」することが有益であると認識することである。特に、互いの違いが相互の足りないところを補い、互いによりよくしていくようにする(また、そう認識する)と非常に良い。これらは、多様性をベースにした上での相互協力であり、相互の「自由」に対する理解と「愛」が働いた望ましい姿である。

あるいはまた、一部の自己主張(「自由」)が新しく有益であるという場合には、その一部を従来のグループから「独立」(スピンアウト)させた上で、(緩い)連携を持つことが有益であろう。

3.5  もう一つの「愛」の原形:性愛・恋愛・結婚

「愛」の原形には、母の子に対する愛情の他に、子孫を作る生殖のための性愛がある。これは生き物としての根源的な本能の一つだから、性欲も対象者選びも本能的・感情的な面が強い。排他性・支配欲が伴い、相手を巡って他者と強い競争関係になることも多い。良い伴侶を得て、結婚し、結婚生活を全うすることは、人生の大きな課題であり、社会的安定の基礎でもある。

3.6 「愛」は「身内」を守るために、「外部に対抗する」性質がある。

「愛」のもう一つの面として、(自分の子どもや家族に限らず)自分たちのメンバーを、外部の危険から「守ろう」とする働きがある。そのためには、守るべきメンバー(「身内」)を明確にし、外部に対して「壁」を作って、外部からの危険を防ぎ、さらに外部に「対抗」しようとする。そのときに「身内」の結束を強める目的で、「身内」の中での意見や行動を統制する(すなわち、「自由」を束縛する)ことがある。これは「保守」の立場であり、「現実主義」の立場である。

3.7 「身内」を守ろうとする「愛」は、一つ上の社会レベルで「対立」を作り出す。

さらに、上記の「身内」を一つの(社会)組織と考え、一つ上の社会レベルでの一つの活動単位と考えると、そのレベルで新しい組織間の対立(競争や戦い)が生じていることが分かる。最も分かりやすい例は、一つの国民の「愛国心」とその隣国の国民の「愛国心」とが数々の戦争を引き起こしている歴史である。

3.8 「博愛」:「格差」の是正と社会の「革新」

多くの人々の中に「格差」があり、不当に不利なあるいは恵まれない人々がいるときに、それらの人々に「愛」が及ぶようにしようというのは、「愛」の本来の考え方である。「愛」の対象をできるだけ広げること、すべての人に「愛」を及ぼすこと(「愛」の「普遍化」、「博愛」)は、第2原理「愛」の本来の方向である。現実社会をそのような方向に変えていこうとするのは、「革新」の立場であり、「理想主義」の立場である。「愛」を広げていこうとする視野が国際的・世界的になるとき、それは「平和」を希求する立場、「平和主義」につながる。

3.9  第2原理「愛」の本質:「みんなの幸福・利益を追及する」

端的にいうと、第2原理「愛」は、「みんなの幸福・利益を追及する」。ここで注意するべきは、「みんな」という言葉で認識されている人々の範囲である。これは広い意味での「身内」であり、それが「全世界のすべての人」を意味するのはずっと上のレベルである。

 

4.「自由」と「愛」の対立・矛盾

いままでに、「自由」について述べた中で「自由」の内部にある対立・矛盾に言及し、同様に、「愛」の説明の中で「愛」の内部にある対立・矛盾に言及した。本節ではさらに、「自由」と「愛」の間での対立・矛盾について述べよう。基本的には、「自由」が「自分(たち)の幸福・利益」を追求しようとするのに対して、「愛」は「みんなの幸福・利益」を追求しようとすることの、対立・矛盾である。

4.1 ある人の独自の判断と行動(「自由」)を、別の人の「愛」が止めようとする

最初の対立は、ある人の独自の判断と行動に対して、その周りの人(特に親や先生など)が危うい、誤っているなどとして、止めようとする場合である。周りの人が保護的・指導的立場にあり、経験豊かな場合に典型的に起きる。「あえてリスクを取り、行動することが、将来の成功の糧だ」というのが「自由」に基づく立場である。「失敗は目に見えている、失敗したときのダメージが大きいからやめよ」というのが「愛」に基づく立場である。どちらが適切かは、場合によって異なる。

4.2 「助け合い」「協力」を求める「愛」に、「自由」が協力を拒否する

対立の第二は、「愛」がその(「身内」の)メンバーに対して、(「みんなの幸福・利益」のために)「助け合い」や「協力」を求めた場合に、メンバーが「自分の利益に合わない」として拒否するときである。「自由」は「自分の幸福・利益」を最大限に求めるから、この対立はしばしば起こる。

4.3 「勝負」「戦い」での決着(「自由」)を、「愛」は「平和的に」避けたい

対立の第三は、「自由」が「競争」によって「勝ち負け」をつけようとする場合である。それは「自由」にとっては当然の方法である。一方「愛」は、無用な「競争」「勝負」「戦い」を避けて、何らかの方法で「調整」「協調」「調和」「平和」を実現しようとする。しかし、競争・勝負に臨もうとする当事者たちに対して、「愛」が具体的に提示して両者を納得させることができる実際的な方法はそう多くない。「調停者」「裁定者」として当事者たちから信頼され、その「調停案」が当事者たちを納得させるものでなければならない。

4.4 「社会的勝者」が作る「社会ルール」に、「愛」が異議を申し立てる場合

対立の第四は、「社会的勝者」が自分たちに都合がよい新しい「社会ルール」を作り、支配者としてその体制を維持しようとする段階である。これは「自由」の立場での当然のやり方である。このとき「愛」は、その新しい「社会ルール」や支配の体制が、「みんなの幸福・利益」の観点から適切かどうかを問題にする。そして適切でないと判断すると、「みんなの幸福・利益」「博愛」の立場から反対の意思表示(新しい社会運動など)をすることになる。

4.5 「抑圧からの解放」の運動(「自由」)に、「愛」が反対する場合

対立の第五が起こり得るのは、「社会的敗者」が「抑圧からの解放」「現状打破」を掲げて、「革新」の運動を起こす場合である。このとき「愛」は、その運動が抑圧されていた人々を解放しようとしている点では同調する。しかしその運動が新たな(大きな)不幸を生じさせる恐れがあるときには、反対を表明するだろう。

4.6 「愛」が「身内」の団結を求めて、メンバーの「自由」を束縛する場合

対立の第六は、「外部」からの脅威や攻撃に対して対抗するために、「愛」がその「身内」の団結を求め、メンバーを束縛しようとする場合である。メンバーにとっては、その「考え」や「行動」を束縛され、「自由」を失うことになる。

4.7 「愛」の「身内意識」が、外部の人の考え・行動(「自由」)を排除する場合

対立の第七は、「愛」が認識している「身内」に対して、「外部の人」の処遇の問題である。「愛」の「身内意識」が強く、偏狭である場合には、「外部の人」ははじき出され、疎遠にされ、人間的な対立が起こるであろう。

5. 「自由」と「愛」に対する「倫理」の役割

さてここで、「倫理」の理解に立ち戻って、その役割をさらに深く考えておこう。第1原理の「自由」と第2原理の「愛」との両方を「動機づけ」、また「自由vs愛」の主要矛盾を(解決するために)「調整する」のが「倫理」である、と考えている。その内容をさらに深く考察する。

5.1 「倫理」自身の理解が、人類文化の歴史の中で発展してきている

人間の内面(内奥)においては、「感情」と「欲・欲望」があるが、それは「悪の心」と「善の心」(「自己実現」などの人間的欲求を含む)の両方を生じ、その葛藤を持っている。この両面とその葛藤を認識したうえで、人間の根源的なあり方(あるべき姿)の指針を示すのが「倫理」である。「倫理」は「何が善で、何が悪であるか」を示し、「悪から善に向かわせる」指針である。

しかし、「何が善で、何が悪か」の中身は、時代により、社会によって異なる。人々はその善悪の考え方を後天的に社会から教えられて、基本的にはそれに従って(従わされて)きた。人類文化の歴史は、時代と社会で異なる多様な「倫理」を抱き込み、相互に影響しつつ進んでいる。それがある程度の方向性を持っていると考えられるのは、「内心で善悪を判別できる心の能力」としての(本研究で定義・想定した)「良心」を人類が先天的に持っているからであろう。この意味で、人類文化の歴史が、より望ましい「倫理」の理解へと進んでいるものと考えられる。

5.2 個人の心の中で「倫理」が適切に理解され、実践されることの重要性

個人個人の心の中で「倫理」が適切に理解され、それが実践されることが、人類文化の二つの主要原理「自由」と「愛」が本来の姿で実践され発展するために最も重要なことである。以下に、「自由」の中、「愛」の中、「自由」と「愛」の間にある対立・矛盾を解決するために、「倫理」がどのような役割を果たすかを考察しよう。

5.3 不十分な「倫理」(の理解)は、「自由」の精神を損なう

まず、不十分な「倫理」が、「自由」の精神を損なう例は、枚挙に暇がない。

すなわち、(「自由」の精神である「主体性」に反する)消極性、無気力、追従、他人依存、無責任、付和雷同、大衆迎合、など、(「独自性、新規性」に反する)先例踏襲、ありきたり、陳腐、二番煎じ、模倣、など、(「挑戦的」に反する)無難、萎縮、など。

また、「競争」に際して、不適切な「倫理」はいろいろな不正を働く。例えば、裏口入学、カンニング、試験問題漏洩、ドーピング、妨害、判定操作、ルール違反、買収、収賄、など。

「自分の利益の獲得」に際して、もっと大規模な不正もある。例えば、脅迫、買収、収賄、追い落とし、文書偽造、扇動、詐欺、強盗、殺人、など。

「社会的勝者」による「新しい社会ルール」作りにおいて、不適当なルール(制度)も(歴史的に見れば)いろいろある。例えば、奴隷制、君主制、身分制度、家父長制、制限選挙(普通選挙でないもの)、植民地制、など。

「現状打破」の運動においても不適当な「倫理」理解が現れることがある。例えば、運動する側の武装蜂起、テロ、など、それに抵抗する側の言論統制、弾圧、など。

5.4 「自由」の土台となる「倫理」:「基本的人権」と「本質的平等」の概念

「自由」が第1原理として尊重されるためには、人の内面において、「倫理」が正しく理解され、本来の人間的欲求(自己実現など)を追及する「自由」であるべきで、人間の「悪の心」の欲求を追及する「自由」であってはならない。

これを保証するための具体的な指針は、「自由」の主張と競争の場に、(明文化された「倫理」というべき)「基本的人権」の順守を掲げることであろう。すなわち、すべての人々の「基本的人権」を守ることを「自由」の主張とその追求の大前提にすることである。

なお、これに関連して、旧来の「道徳」が身分社会を前提にして「服従・従順」を第一とする「倫理」であるのを脱却して、「人としての本質的な平等」を大前提とする「基本的人権」を主とした「倫理」観に進むべきである。さらに、「平等」概念にも明確化が必要であり、「画一的平等」とは異なる「本質的平等」の概念と具体的な扱い方の理解を普及させることが大事である。

5.5 不十分な「倫理」は、「愛」の精神を損なう

同様に、不十分な「倫理」は、「愛」の精神を損なう。

すなわち、(「愛情」に反して)無関心、嫌悪、冷酷、虐待、など、(「助ける」に反して)無視する、放置する、など、(「守る」に反して)見捨てる、など。

また、「愛」がグループ内の人々の意思を「調整」しようとするのに対して、不十分な「倫理」の反応には、固執、拒否、非協力、利己主義、無理解、無関心、冷淡、などがあるだろう。

5.6 「愛」の土台となる「倫理」:心の中の「愛」と「広い心」

第2原理の「愛」がその本来的な役割を果たすためには、それに関わる人々が「倫理」を適切に身につけている必要がある。「愛し、助け、守る」ことは、本来人間の根源的な性質(感情、欲求)であり、すべての人がその心の優しさとして、持っているものと期待される。それがあれば、グループ内で(そしてすべての人々と)助け合い、協力し、調整することができる。さらに、利己的な「自由」の主張を避け、「自由」と「愛」との対立の大きな要因を減らすことができる。

「愛」は、その対象を広げる、普遍化することを目指す。その障害になるのは、「愛」自身のもつ「身内」意識である。家族だけでなく、地域の人々、同国の人々へ、そして世界中の人種も言葉も違う人々に広がっていく必要がある。(そうでないと、「愛国心」同士が戦争を起こす。)このためには、「人間としての本質的平等」の「倫理」を持ち、また世界の状況を知り、世界の人々とのコミュニケーションに努めることが大事である。

5.7 現代社会の問題:経済的「格差」の問題と「富の再配分」の問題の認識

もう一つ言及するべきは、人間の欲望、特に金銭欲に際限がないことである。現代世界では、金銭が「社会的勝者」を決める最大の要素であり、「富める者」こそ「社会的勝者」であり、彼らに都合がよい社会制度になっている。それが資本主義経済であり、それを中核とした資本主義社会である。これが日本でも世界でも大きな格差を生み、沢山の問題を引き起こしている。この点を変革して、「富の再配分」をもっと明確に組み込んだ社会制度が望まれる。これが、本研究(の前報 [2, 3])で最初に取り上げた具体的問題、すなわち「下流老人の問題」「日本社会の貧困の問題」、を解決するための大きな方向づけを示すものである。

 

6.考察

6.1 創造的問題解決の方法論(TRIZ/CrePS) の寄与

本研究は、前報 [2, 3] および 0.節で述べたように、「創造的な問題解決の方法論(TRIZ/CrePS)」[1] を社会的な問題に適用したものである。TRIZの方法論はもともと20世紀後半に技術分野の問題解決のために旧ソ連の民間で開発樹立され、90年代以降世界に広がるとともにビジネスやソフトウエアの分野にも適用されてきた。特許の分析から最新の科学技術の知識ベースを作り、技術進化のエッセンスを捉えて、新しい問題解決に適用する。とくに、システム思考、矛盾の把握と解決、理想の考察などの考え方と技法に優れている。CrePSは、TRIZをベースにして、多様な創造性技法、問題解決技法を統合し、「創造的な問題解決の一般的方法論」とした。このTRIZ/CrePSを、技術やビジネスの分野から飛び出して、社会的な問題領域に初めて適用した。その結果、本研究は、創造性や創造的問題解決に関する研究領域(日本創造学会の研究領域)に新しい分野を追加することになった。また、社会問題あるいは社会思想の研究領域にとっても、(分野外からの)新しい切り口を与えるものになった。

研究プロセスの面では、本研究はCrePSの「6箱方式」[1] に従って進んでいる。すなわち、

[第1箱]  現実世界で問題を捉える。--
「日本社会の貧困」をテーマとし、『下流老人』の本 [7] を「見える化」して考察した。

[第2箱] 問題を絞り込んで、思考の世界に渡す。--
「自己責任論」と「助け合い精神」の対立が根源の問題であると考え、それをさらに根源的に、広範に追求することをテーマにした。

[第3箱] 現在のシステムと理想のシステムを理解する。--
対立の根底は、「自由」の思想と「愛」の思想との対立である。それは、人類文化の二大原理の対立であり、「自由 vs 愛」は人類文化の主要矛盾で、未解決である。両者を調整し得るものとして「倫理」を考える。この基本仮説を基に、現在、「自由、愛、倫理」の構造(関係)を考察している途上にある。その考察は(人類文化の歴史を踏まえた)現状の考察であり、また(歴史の反省と方向づけを考えた)理想の考察でもある。これらの考察を、個人のレベルから始めて、社会システムの各階層、各種組織について世界全体レベルまで明らかにすることは、今後膨大な研究を要する。

[第4箱] 新しいシステムのためのアイデアを得る。--
検討中である。「自由、愛、倫理」の関係の現状と理想を明確にして、「倫理」の役割を明示することが、新しいシステムのための基本的な鍵 (アイデア)であることが明確になってきた。この基本的な鍵を発展させて、個人レベルから各層の社会レベルに至り、また各種の広範な組織や領域に応用していくことが、今後の研究の方向である。

[第5箱] 思考の世界での概念的な解決策を作る。--
今後、順次考察する。

[第6箱] 現実世界で、解決策を実現する、解決する。--
将来の活動。

創造的問題解決の方法論TRIZ/CrePSは、その具体的な技法が本研究に寄与したというよりも、考え方・思想が寄与したというべきであろう。特に、「問題の本質を考える」、「問題のシステムを階層的に考える」、「問題のシステムの構造、働き、しくみを考える」、「問題を時間的(歴史的)、空間的(地域的)に考える」などの、システム思考が本研究を進めるに当たって大きな働きをしている。さらに、「問題が複雑なことを恐れない」、「問題の本質を矛盾として捉える」、「矛盾を明確にすることが、矛盾を解決する(問題を解決する)王道である」、「多数の矛盾がネットワークを成していることもある」、「矛盾を形而上学的にだけ考えるのでなく、具体的な事象として捉え、具体的な解決策を考える」といった、矛盾を扱う考え方の強みが本研究を支えている。また、技術の進化に対する考え方が、時代や地域の違いを越えて「人類文化の進化」を考える上での一つの土台になっている。「問題状況を「見える化」する」という考えも大きな寄与をした。

「創造性」という観点からも本研究を振り返っておくことが有益であろう。本研究の成果は、「人類文化の根底にある主要な指導原理を明らかにし、それらの間の対立・矛盾の構造を提示し、その矛盾(人類文化の主要矛盾)を解決する大きな方向性を示した」ことである。これらの成果は、まだすべて「基本仮説」として提示されている段階である。この「基本仮説」は、既存の類似例があったわけでない。著者が新しく考察して見出した(構築した)ものである。「基本仮説」というのは、いわば「アイデア」である。「創造性」の中核は、新しい・意義のあるアイデアを見つけて提示することだから、本研究は「創造性」が発揮された成果であると言える。その創造結果の価値は、今後の研究によって肉付けされ、歴史によって評価されるであろう。

「創造」に至った契機はいろいろ考えられるが、最も大きな因子は、科学技術の分野にいた著者が、「人類文化の根底」を考えるという、異質な新しい分野(人文・社会科学系の分野)で考察し、科学技術分野の創造的問題解決の方法論を持ち込んだことである。「創造」や「イノベーション」が、当該分野の既往の専門家ではなく、他分野からの新規参入者によって創られることは、しばしば見られることであり、本研究もその一例であろう。

創造的問題解決の方法論TRIZ/CrePSの寄与は本節の最初にその概要を述べた。創造性をもたらせた鍵を数点補足する。

(a)『下流老人』の本に関する読者書評の対立から、自己責任論と助け合い精神の対立、そして自由の精神と愛の精神との対立へと、問題の根本に遡ったことが、最大の鍵であった。

(b)多数のキーワードを書き並べ、その関係を図的に整理・構成した(図1参照)ことは、複雑なことを整理して考えを発展させる上で大いに役立った。特に、「自由」が「勝者の保守性」と「敗者の革新性」をもたらすこと、また、「愛」が「革新的な理想主義」だけでなく「保守的な内部統制」をもたらすこと、の認識は自分にとって新しかった。

(c) 「倫理」の中身(すなわち善/悪の判断基準)は社会によって教えられるものだから、時代と社会に依存する(だから人類共通でない(部分がある))ことを明言したこと。そして、「内心で善/悪を判断する心の能力」として「良心」の先天性(人類の共通性)の仮説を得た。

(d) 図1のエッセンスを抽出して図2を得たこと(注:実際には、まず図1を作り、図2を得てから、さらにその内容を図1にフィードバックしている)。この結果、全体構造(論理的関係)が非常に明確になった。

(e) 図的な考察と、論理的な文章記述とを繰り返したことが、新しい観点の気づきと論理の発展を促した

以上(a)〜(e)を眺めると、(創造的な)新しいアイデアが偶然のきっかけで得られたというよりも、問題の全体的・論理的な考察をきっかけにして順次発想されてきたように見える。

6.2  問題と事例検証、文献検証と、基本仮説の設定・検証

本研究では、問題状況の検証(例えば、日本社会での高齢者の貧困状況の具体的、統計的実証)をあまりしていない(藤田孝典著『下流老人』[7] を中心にし、日常的な社会情報に頼っている)。そして、一つの手がかり(同書に対する多数の一般読者の書評の議論での対立)を捉えて、「問題の本質」に飛躍している。これは「研究として安易でないのか」という批判がある。社会問題の専門研究者からの当然の批判であろう。しかし、問題状況も問題の本質も、多数の情報を日常的に受けて考えている市民である(異分野)研究者にとっては、自然な(大筋としてはきっと正しい)判断であると考えている。問題の本質がここにあること、そして、貧困問題だけでなく、多種多様な問題(教育のありかた、民主主義の実際、雇用問題、経済政策、税制、国際政治、など)の根底にこの「自由、愛、倫理」の問題があることは、今後確実に認識されていくだろうと考えている。

また、本論文が他者の参考文献をまったく挙げていないことも、批判を受けている。たしかに、本研究で掲げている「基本仮説」(と同様のこと)をいままでに他の人が提唱したかは、簡単な調査をしただけでは見つからなかったが、あるかないか分からない。本著者が独自に構築したことを主張している段階である。自由も愛も倫理も、重要な概念であり、広範な事柄に関連し、多くの社会で多くの人々が考察・議論・研究したことは間違いがない。いろいろな問題での具体的な葛藤が、自由と愛との間の葛藤であることを、多数の人が認識し言及したことであろう。ただ、その本質として、「自由」の思想と「愛」の思想とに本質的な矛盾が内在し、その矛盾が広範な事象・問題を引き起こしている、「人類文化の主要矛盾である」と明確に述べた人があるかどうか、まだ分からない。

もう一つ、自由の概念、愛の概念、倫理の概念、これらの概念のいろいろな関係事項などについて、本論文は個別の参考文献を挙げていない。これらの個々の論点に関わる(歴史的な)著作・論文は、世の中にはきっと膨大な数があろう。(関連するテーマで、私が最近読んで推奨する文献を敢えて挙げるとすると、[7 - 17]のようである。)数えきれない多くの人々の著述を参照せずに本論文を書いていることは、この分野の専門家からは批判を受ける。しかし、それらの個別事項は、本研究の骨格である「基本仮説」の枝葉の部分である。本論文の「基本仮説」は、「自由」「愛」「倫理」などの基本概念を自分なりに定義し、その上で論理的に記述しており、いま、著者が得た(自分では新しいと考える)知見を速やかに発表することは、社会的な意義を持つものと考える。(補足: 7.節まとめの末尾の「補足」を参照されたい。)

6.3  基本仮説の構造と意義

本研究の前報 [2, 3] の段階では、人類文化の第1原理「自由」と第2原理「愛」との矛盾を中心に考え、両者を動機づけ調整するものとして「倫理」を想定した。この段階では、「倫理」の捉え方が不明確であり、人間の内面についての考察も、人類文化の中での位置づけも未解明であった。本論文で、「倫理」を人類文化の第0原理と呼び、それが個人の内面においても、社会の諸組織のあり方においても、最も基本的な指針(指導原理)になるべきものであることを示した。これによって、「(第0原理)倫理、(第1原理)自由、(第2原理)愛」という構造が明確になり、それらの間の(基礎づけ、対立、調整などの)さまざまな関係を明示できた。この三者の構造が、本研究の「基本仮説」の骨格である(図2参照)。

なおここで、フランス革命のスローガンとして、「自由・平等・博愛」が掲げられ、現代社会につながる指導原理になっていることが想起される。ただこの場合に、(王政や貴族制度などの)身分による支配からの自由と身分によらない平等という意識が強かったと考えられる。三つのスローガンの間の構造的な(対立を含む)関係は、意識されていない。本研究での「倫理」は、(人間としての本質的な)「平等」の概念を含み、さらに広範なものである。

本研究の「基本仮説」は、三つの原理の本質を、共通の言葉で言い換えたときに、非常に明確になった(図2参照)。すなわち、第1原理「自由」は、「自分(たち)の幸福・利益を追求する」原理。第2原理「愛」は、「みんなの幸福・利益を追及する」原理。第0原理「倫理」は、「すべての人に幸福追求の権利がある」という原理である。「すべての人」をカバーしている第0原理が三者の土台を成すべきことは明瞭である。「自分」あるいは「自分たち」の立場を主張する第1原理「自由」が、より先鋭的で対立を生みやすいことも理解される。「みんなの」幸福・利益を追求する第2原理「愛」が、包括的で協調的なことも理解される。ただ、「みんな」として意識される範囲が、具体的な場合に応じて限定的であることに注意を要する。ある(社会)レベルでの「みんな」は、一つ上の(社会)レベルでの「自分たち」になり、そのレベルでの対立・競争の当事者になる。そのため、「愛」の対象が普遍的な意味での「すべての人」にまで広がるためには、多数のレベル間の意識の切り替え(意識変革・行動変革)が必要になる。

本研究の「基本仮説」は、「自由 vs 愛」の根本矛盾を指摘しただけではない。それらを調整し、矛盾を軽減/解決するには、結局のところ(根本的には)「倫理」に頼る、世界中での「倫理」の共通理解を深め、望ましい「倫理」を社会的なしくみに組み込んでいくべきであることを、根底の原理レベルで明確にしたものである。これは、主要矛盾に対する解決策の方向性を明確にしたものでもある。「自由、愛、倫理」の基本構造の理解が、主要矛盾を明確にするとともに、その解決の方向をも明確にしたといえる。

6.4 人類文化における「倫理」の共通基盤の可能性

「倫理」は、「何が善で、何が悪であるか」を示すものであり、各人の内面での指針となり、社会の指針となるべきものである。しかしその内容は、親のしつけを初めとして、教育や社会制度によって教えられるものであり、また各人のさまざまな社会環境や人生経験で(理解が)変わっていく。各社会での「倫理」(あるいはもっと普通の言葉でいう「道徳」)の内容は、歴史的に変化し、そして現在でも世界中の諸地域で違いがある。特に、身分制度や支配体制に伴う人間関係、性的差別、宗教的信条や慣習、経済状況に伴う人間関係などで、多くの違いがある。各社会での「社会ルール」が法律や不文律になっており、それに従うことが、「倫理」の柱になっている。それらの違いは、人類文化において「倫理」の理解がさまざまに異なって、歴史的に変化していることを示している。それらの中にある程度の共通項を見出し、変化の方向性(「進化」の方向性)を見ることができるが、人類文化に共通の「正しい、絶対的な、倫理」というものを想定できる段階ではない。

それでは、「善/悪」に関して、人類に共通の基盤がないのか?この点に関して、著者は「内心において善悪を見分ける(先天的な)心の能力」を仮定し、それを「良心」と呼ぶことにした(1.2節)。これは、著者が直観的に導いた「仮説」であり、その新規性のチェックもできていないし、その正しさの検証もできていない。それは、「人間の赤ん坊の言語獲得の先天的能力」から類推したものである。すべての赤ん坊は、0歳児〜2歳児において、言語を聞き取り話せるようになる。その言語は、育ての母と育てられた環境での言語であり、生まれの母や父など遺伝に基づく言語ではない。赤ん坊が習得する言語は後天的であるが、「言語を習得する能力」は先天的であると理解される。同様に、「善/悪」の判断の内容は、後天的に教えられ、習得するのであるが、「善悪を見分ける能力」が先天的に備わっていると考えられる。それは、各人の内心において、善悪を直観的・心情的に見分ける、(脳というよりも)「心」の能力である。人がおもてに出す言葉や考えは、いろいろな感情・打算・配慮・論理から脚色されて、内心を隠していることが多くある。幼児・子供に対して、「もし自分にされたらいやだと思うことを、他の人にしてはいけませんよ」と教えるのは、非常に分かりやすく有効な、善悪の見分け方の説明である。「善悪を見分ける能力」が先天的に備わっていることは、社会から後天的に教えられる「倫理」の内容、歴史や他社会から学ぶ(異なる)「倫理」の内容、そして社会の実経験から学んだ事項などを総合して、各人が自分なりの「倫理の理解」を形成していく土台になる。それがまた社会の「倫理」を進化させていく原動力になる。

6.5  第1原理「自由」の意義と影響:革新性と保守性

第1原理の「自由」が、「自分で判断し、行動する」という原理であり、それが主体性・独自性・新規性などをもたらすこと、競争を作り出すが、その競争に勝つことを目指し、新しい勝者が「革新」をもたらすこと、などはよく知られている。そしてそれは、積極的なプラスの指導原理であると、一般に認められている。

本研究は、さらに一歩を進めて、競争の反復が勝者と敗者の間の「格差」を拡大していくこと、社会的勝者が自分たちに有利な「社会ルール」を作り、社会を支配し、その支配を維持しようとして「保守」の立場をとること、をも示した。そして、時間の経過と状況の変化の中で、(従来の敗者の中から)新しい勝者が現れ、支配体制を革新する。このような流れは特定の場合にだけ起こるのではなく、非常に一般的に起こる。

この認識は、さらに多くのことを示唆している。「競争」の鍵になるものは状況に応じていろいろあろう。武力(体力)、権力、経済力、知力、などである。例えば、富と貧困の問題であれば、(自由競争に任せると)家庭(家系)の経済状況が富める者がますます富み、貧しい者がますます貧しくなる。教育レベルの問題なら、もともと教育レベルの高い家庭(家系)の方がより高い教育レベルに進みやすい(傾向にある)。そして特に大事なことは、いつの時代、いつの社会にあっても、その「社会ルール」はそのときの「社会的勝者」すなわち「支配層」に有利なように構成されているという認識である。ここで「社会ルール」と言っているのは、法律などの公的規定だけでなく、社会の種々の制度や組織形態、社会の活動のしかた、社会における富の配分、社会常識を含めた「倫理」など、広範なものを指している。これらのものがすべて、「社会的勝者」(先ほどの例でいえば、経済的に豊かな階層、教育レベルの高い階層)に有利なように設定されている。このような認識は、それぞれの社会の既存の「社会ルール」(さらには既存の(社会)「倫理」)の正当性を鵜呑みにするのではなく、より望ましいものを考察・追及する姿勢が大事であることを示す。

6.6 第2原理「愛」の意義と影響・限界:革新性と保守性

第2原理の「愛」は、母の子に対する愛を原形とし、家族を愛し、隣人を愛して、助け、守るものである。自分の欲を自制し、人に奉仕し、周りの人たちの考えや利害を調整し、調和を作る。その愛の対象を広げ、すべての人を愛することが、(イエスキリストや仏陀が説いた)普遍的な「愛」の目標である。そのような「愛」が双方向になって広がるときに、親密な助け合いが生まれ、争いのない平和な社会・平和な世界に進んでいく。だから、「愛」は人々に喜びを与え、差別や困窮のない助け合う社会へと革新する指導原理であると、一般に理解されている。

しかし、本研究では、「愛」の実際の姿は、「みんなの幸福・利益を追求する」原理であると、理解した。ここで「みんな」というのは、「愛し、助け、守る」対象として意識されている範囲の人々を意味する。それが「自分の家族」のこともあり、一つの組織や企業のこともあり、一つの民族や一つの国の場合もあろう。それが「助け、守る」べき、広い意味での「身内」である。この「身内」を守るために「外部」と対抗する必要が生じ、「身内」をまとめて(統制して)「外部」と対抗する。それは、一つ上の社会レベルでの競争や争いをもたらす。このとき、「愛」は往々にして閉鎖的、保守的な立場・役割を果たす。「みんな」という意識が、普遍的な意味での「すべての人々」にまで広がるには多くの段階での意識変革が必要である。

このように、第2原理「愛」も、その普遍的な「愛」の理想にも関わらず、現実世界においては、ポジティブな面だけでなくネガティブな面を持ち、多くの矛盾を内在している。このような矛盾の内在が、「自由 vs 愛」の主要矛盾を一層輻輳したものにしている。

「自由」と「愛」との間の矛盾については、4.節でさまざまな場合を列挙しており、本節で改めて議論することは控える。

6.7 第0原理「倫理」の社会的な役割

6.3節では、第0原理「倫理」が、(第一義的に)個人の内面において「善/悪」の判断の基準を与えるものであること、その基準は後天的に社会から教えられるものであるが、「内心において善/悪を見分ける心の能力」(すなわち、「良心」)は先天的である(だから、すべての人に共通に備わっている)と考えられることを述べた。そこでつぎに、「倫理」の総括的な内容と社会的な役割について、5.節を補足しながら考察を深めよう。

5.3節と5.5節に例示したように、「倫理」(の理解)が不十分であると、「自由」の精神・実践も、「愛」の精神・実践も簡単に損なわれてしまう。そのとき、不十分な「倫理」の例として挙げたのは、消極性、無気力、追従、身分差別、暴力、非協力、利己主義、無理解、などであった。これらを見ると、「倫理」には、個人の内面や振る舞いのあり方に関する指針と、対人関係のあり方に関する指針とからなっていると言える。そこで、「倫理」の中身を積極的な表現のキーワードで書き並べてみると、誠実、主体性、積極性、情熱、勤勉、努力、謙虚、感謝、公平、愛情、親切、共感、信頼、などである(もっともっと書き並べることもできる)。これらが「人のあり方」、「人生の指針」として、人類文化でほぼ共通に受け容れられている概念であると考えられる。ここには、「自由」や「愛」につながる指針もあるが、もっと根源的で第0原理「倫理」に固有に属する指針もある。

また、上記のキーワードには採用しなかったが、「倫理」のもう一つの面は、「殺すな」、「盗むな」、「偽証するな」、「姦淫するな」、といった「社会的な掟」である。それぞれの社会において、宗教的な戒律とされたり、罰を伴う法律として制定される(「社会ルール」の一部である)。それらの根底にあるべき概念として、現代世界において明確になってきたのが、「基本的人権の尊重」の概念である。例えば日本国憲法では、13条で「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定し、14条で「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。」と規定している。すなわち、すべての人(ここでは国民)に、差別なく平等に、生命・自由・幸福追求の権利を保証している。これが、本論文でいう、人類文化の第0原理「倫理」における「社会的指針」の一つの表現である。

本節で確認したことは、人類文化の第1原理「自由」も第2原理「愛」も、第0原理「倫理」を土台にしており、それこそが主要矛盾「自由 vs 愛」を調整し・解決するための鍵だ、ということである。

6.8  人類文化の主要矛盾「自由 vs 愛」の解決を困難にしている要因

人類文化はその全歴史を通じて主要矛盾「自由 vs 愛」の解決に取り組んできたが、その矛盾の事例はいまだ至るところに存在し、新たに生起し、複雑化・巨大化している。解決を困難にしている主たる要因はつぎの点にある [2-6]

(a) 最も基本の個人(間) のレベルで、「自由 vs 愛」の実際の状況が明確でなく、また、それに関わる理想のすがた(とくに、「自由」・「愛」・「倫理」のありかた)が明確でない。人間性における「欲」「悪」の問題があり、人々が知性よりも感情で動かされる面があるために、 理性的な共通理解を作ることが困難であるだけでなく、それが広く実践されることにずっと大きな困難がある。

(b) 種々の社会組織における「自由」、「愛」、「倫理」のありかた(その現状と理想)が明確でない。グループ、組織(企業、政党など)、地域共同体、国 など、さまざまな規模のさまざまな組織形態のものについて明確化が必要である。これらが全世界の「社会システム」を構成しており、そのあるべき姿(特に、社会組織におけるあるべき「倫理」)の共通理解を作ることが必要である。

(c) 個人や組織が自己の利害(「自由」)を主張して、(社会的)「倫理」に反する行動をとり、それが社会的な「勝者」になることがある。社会的「勝者」が、自分たちに都合がよい社会システムを構築する。これは「自由 vs 愛」の主要矛盾の一つの事例・側面が解決されても、それ自身が別の側面での「自由vs 愛」の矛盾を作り出すことを意味する。

(d) 上記(c)の状況が、小さいものから大きなものまで至る所にあり、かつ、歴史的な積み重ねをもっている。(歴史的に)圧迫されていた人々や組織が、(恨みや憎しみの感情を持ち)既成の組織や体制を覆そうとする。これが至るところで繰り返されている。

これらの要因を認識したうえで、本研究は、まず (a) 個人レベルでの「自由・愛・倫理」のあり方を検討し、今後(b) 社会組織における「自由・愛・倫理」のあり方について、グループなどの小さな組織のレベルから検討し、徐々に高次のレベルに進んでいくことを目指している。

 

7.まとめ

第0原理の「倫理」は、まず個人の内面に関わり、「欲」や「悪の心」との葛藤で、「善の心」に導くことを目標とする。また、すべての人が守るべきものとして、(「(人としての基本的な)平等」を中核とする)「基本的人権」の概念が明確になった。

第1原理の「自由」は、自分の判断で行動し、競争に勝つことを目指す。それが文化的、社会的な革新をもたらせる。一方、競争の社会的勝者が自分たちに都合の良い社会ルールを作り、支配者として保守の体制を作る。競争に際し、また社会ルールの作成に際して、「基本的人権」の導入が大事である。

第2原理の「愛」は、人を愛し、助け、守ることである。その優しさの心は、本来、人の「倫理」の一部である。助け合いは社会の革新を目指す。ただ「愛」には「身内を守る」ために外部と対抗する性質があり、偏狭になる危険もある。「愛」の普遍化と、「基本的人権」の概念の適用が大事である。

個人のレベルでの「自由・愛・倫理」のあり方を正しく認識し、世界で共有していくことが、人類社会、人類文化を発展させる基礎として、大変重要である。

本研究は、TRIZ/CrePSの方法論、特にそのシステム思考と矛盾考察の考え方を用いて、輻輳した社会問題の根底に横たわる、人類文化の思想的な根本問題を考察し、以上に述べた基本仮説を導いた。今後、個人のレベルより一階層上の、グループや組織のレベルでの「自由・愛・倫理」の構造の考察に進みたい。

 

補足: 

歴史的な諸説・諸研究との対比を考える観点から、本論文の基本仮説の要点をまとめなおすと、つぎの3点になる。

(a) 人類文化の第1の指導原理が「自由」であり、第2原理が「愛」である。しかし、その二つの原理に大きな矛盾が内在している。その矛盾の解決が人類文化の主要課題であるが、それを人類文化の歴史は解決できないでいる。

(b) 「倫理」が人類文化の最も根底にある第0の指導原理である。「倫理」が、「自由」と「愛」の両方を動機づけ、また両者の矛盾を調整・解決する鍵である。

(c) しかし、「倫理」は社会から後天的に教えられ、時代依存である。人類共通で先天的なものを、人類文化の根底の指導原理である「倫理」のさらに根底に求めるなら、それは「良心(内心において善/悪を判断する心の能力)」である。

これら(a)(b)(c) のそれぞれについて、主題として議論し、主張している学説を探しているが、まだ出会っていない。

 

参考文献

[1] 中川徹、「創造的な問題解決のための一般的な方法論CrePS: TRIZを越えて:なに?なぜ?いかに?」、TRIZCON 2016、2016年3月3-5日、米国ニューオーリンズ; 和訳: THPJ 掲載, 2016. 6.20。 
  注:THPJ: 『TRIZホームページ』、中川徹編集、URL: http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/

[2] 中川徹、「社会の貧困の問題にTRIZ/CrePSでアプローチする:人々の議論の根底に、人類文化の主要矛盾「自由vs. 愛」を見出した」、日本TRIZシンポジウム2016 発表、2016年9月1日。THPJ 掲載、2016.9.9

[3] Toru Nakagawa: ‘TRIZ/CrePS approach to the social problems of poverty: 'Liberty vs. Love'  is found the Principal Contradiction of the Human Culture’, ETRIA TRIZ Future Conference 2016 発表、2016年10月24-27日、ポーランドWroclaw; THPJ 掲載、2016.11, 7 。『Selected Scientific Papers from ETRIA TRIZ Future Conferences 2016 and 2017(仮題)』, Gaetano Cascini, Leonid Chechulin, et al.編, Springer, 出版予定(2018年春)。

 [4] 中川徹、「「自由」vs「愛」:人類文化を貫く未解決の「主要矛盾」」、東京大学学生キリスト教青年会會報、第146号 (2016年);THPJ 掲載、2017.1.13

[5] 中川徹、「人類文化の主要矛盾「自由vs愛」を考察する (2) 個人における「自由vs愛」の矛盾・葛藤と「倫理」、日本創造学会第39回研究大会発表、2017年9月9−10日、横浜市。THPJ 掲載、2016.9.28

[6] Toru Nakagawa: ‘ 'Liberty vs. Love': The Principal Contradiction of Human Culture (2) The 'Liberty vs. Love' Contradiction and 'Ethics' at the Personal Level’, ETRIA TRIZ Future Conference 2017 発表、2016年10月4-6日、フィンランド Lappeenranta 。 『Journal of European TRIZ Association』、 Gaetano Cascini, Leonid Chechulin, et al.編, 掲載予定 (2018年春)。
  ==> Nakagawa, T., 'Liberty vs. Love': The Principal Contradiction of Human Culture (2) The 'Liberty vs. Love' Contradiction and 'Ethics' at the Personal Level.  Journal of the European TRIZ Association, INNOVATOR, ISSN 1866-4180, 02/2017 Volume 04, pp. 97-104 . 
http://www.etria.eu/innovator/ETRIAjournal2017vol04.pdf 

[7] 藤田孝典、『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』、朝日新書520、朝日新聞出版、2015年、221頁。

[8] 森岡孝二、『雇用身分社会』、岩波新書1568、岩波書店、2015年、240頁。

[9] 粕谷友介、『「自由・平等」への異議申立人は疎かにされてきた「愛」』、上智大学出版、2007年、199頁。

[10] ロバート・B・ライシュ著、雨宮寛・今井章子訳、『格差と民主主義』、東洋経済出版社、2014年、219頁。

[11] 岡本裕一朗、『いま世界の哲学者が考えていること』、ダイヤモンド社、2016年、318頁。

[12] ショーン・コヴィー著、フランクリン・コヴィー・ジャパン編、『7つの習慣 ティーンズ』、キングベア出版、2002年、370頁。

[13] スティーブン・R・コヴィー、ブレック・イングランド著、フランクリン・コヴィー・ジャパン訳、『第3の案 成功者の選択』、キングベア出版、2012年、567頁。

[14] ワールポラ・ラーフラ著、今枝由郎訳、『ブッダが説いたこと』、岩波文庫、青343-1、岩波書店、2016年、207頁。

[15] ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳、『サピエンス全史―文明の構造と人類の幸福(上・下)』、河出書房新社、2016年、267頁+294頁。

[16] 稲盛和夫、『考え方 人生・仕事の結果が変わる』、大和書房、2017年、255頁。

[17] 品川哲彦、『倫理学の話』、ナカニシヤ出版、2015年、276頁。

 

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0.はじめに

1.第0原理 倫理

2. 第1原理 自由

3. 第2原理 愛

4. 自由と愛の対立

5. 倫理の役割

6. 考察

7. まとめ

参考文献
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最終更新日:  2018. 8.14    連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp