■ 言語学

 私の専門研究分野は言語学です。特に理論言語学の中の統語論とその関連分野を研究しています。「統語論」を辞書で引くと、「文法論、構文論」などという説明が出てきますが、いわゆる学校で習う文法とはかなり異なります。

 言語学は、言語が人間にとってどのようなものであるのかについて研究する学問です。幼い子供は、周囲で話される言葉をインプットすることで母語を獲得するわけですが、そのインプットとなる周囲で話される言語というのは、一緒に生活する父母、兄姉、祖父母たちによる発話が大部分を占め、それらは、学校で習う文法とは異なり、平易なものから段階を踏んで次第に難易度の高いものへと移行するように提示されるわけでなく、しかも日々の生活においては、途中まで言いかけたところで途中で発話を中断してしまったり、言い誤りなどが数多く含まれます。そのような劣悪な言語資料を基に、子供たちは正確にしかも驚くほど高速で母語を習得します。これはいったい何を意味するかといえば、子供たちは言語に関してゼロの状態から言語習得を開始するのではなく、言語に関してある程度の(かなりの程度の?)青写真を既に持って生まれてきていると考えられます。

 パソコンにたとえるなら、OSとして既にWindowsがインストールされた状態で工場から出荷され(誕生したばかりの子供)、あとは購入者が個々にワープロソフトとしてWordを、表計算ソフトとしてExcelなどをインストールして(母語習得中の子供)、パソコンとして使用できるようになる(母語習得が完了した子供)といったようなものです。

 この誕生した時既にインストール済みのOSを、言語学では普遍文法と呼びます。言語学は、この私たちが生得的に持っている普遍文法がどのようなものであるのかについて研究する学問です。再びパソコンにたとえるなら、私たちの多くは、WordやExcelを使いこなしていても、その大本となっているWindowsというOSはどのようなものなのか分かっている人は殆どいないと思います。それと同じように、私たちは母語を難なく喋ることができますが、その根本にある普遍文法とはどのようなものなのか、直接認識することができません。私たちができることは、直接捉えることのできる日本語、英語、中国語、タガログ語などさまざまな言語が同じ人間言語として共通の特質を備えていると考え、そこから普遍文法を引き出すことです。その中で、統語論は、特に句や文レベルの構造を研究する分野です。

 最近、私はバスク語を研究しています。バスク語というのは、西ヨーロッパのイベリア半島にあるピレネー山脈を挟むスペインとフランスにまたがる地域で話されている言語で、その話者は100万人程度しかいません。そんなマイナーな言語を研究して、普遍文法に接近できるのかと危惧する方もいらっしゃるかも知れませんが、それは違います。バスク語であれ、あるいは既に今では話者のいない古期英語やラテン語であれ、これらはすべて同じ人間言語としての共通の特質を持っているという点で、有効な資料となります。さらに、言語研究が英語を中心に、インド・ヨーロッパ語族の言語において盛んに行なわれている中で、ヨーロッパの真ん中で使用されているにもかかわらず、インド・ヨーロッパ語族の言語とは系統的にまったく異なると言われ、言語系統的に孤立しているバスク語は、普遍文法解明に向けてより有用な資料となるかも知れません。なぜなら、同じ系統の言語を研究しても、共通の項目が数多く発見されるのは当たり前で、果たしてそれが普遍文法の一部分なのか疑問が大きいからです。

 そういう意味で、日本語も言語系統的に孤立していますので、普遍文法解明への大きな手がかりを提供してくれる可能性が高いと思われます。実際、日本語研究によるこの分野への貢献は大きく、日本語を題材にした論文(勿論、論文自体の使用言語は英語)も数多く発表され、日本語に興味を持つ海外の研究者も大勢います。