■ 名前と音声学

 私の first name は「ゆうみ」と読みます。今でこそ名前に「未」の字を使うことが珍しくなくなりましたが、私の幼い頃は女の子で「ミ」の音を表したいなら「美」を使うのが一般的で、「未」を使用することはまずありませんでした。したがって、よく「未」を「末」と勘違いされて、「ヒロマツ」、「ヒロスエ」などと読まれ、男の子と間違われることもよくありました。私は小学校2年生の時に転校したのですが、新しい小学校での登校初日、教頭先生が全校生徒の前で転入生の名前を呼んで紹介してくださる場面で、「2年1組ヒロマツ君」と呼ばれ(本人は幼いながらも、そのように間違われることに既に慣れっこになっていて「またかぁ」とクールに対応。自分が呼ばれていると判断し、「はい」と返事をして前に出ましたが)、焦ったのは学校側で、「あれ、女の子だったの。じゃあ、1組ではなく、女子の少ない3組に入ってください。」なんて急遽クラス変更される始末でした。

 当時としては先駆的なこの売れないアイドルのような名前、今では結構気に入っています。さて、この名前、ヘボン式ローマ字で表記すると Yumi となり、「ゆうみ」なのか「ゆみ」なのか区別がつかなくなって面白くなくなってしまいます。(全国のゆみさん、別に「ゆみ」というお名前が面白くないと言っているわけではありません。悪しからず。)また、アメリカ人に、「私の名前は、『ゆみ』ではなくて『ゆうみ』」と説明しても、彼らには区別がつきません。「家」と「いいえ」、「鳥」と「通り」などの区別も、相当日本語に精通していない限り、彼らには区別することが困難です。

 これは、ちょうど私たち日本人にとって、rice と lice の区別が困難なのと同様と考えてよいでしょう。日本語においてはラ行を [r] で発音しようが、[l] で発音しようが、異なる単語を指すということはありません。すべてのラ行を巻き舌で発音しても、「おまえは矢沢永吉ばりのRockerか?」といぶかられることはあっても、言いたい事は伝わります。でも、「家の前の通りの木に鳥が巣を作っている」と言いたくて、「イーエの前のトリの木にトーリが巣を作っている」と発話したら、言いたい事が通じないでしょう。つまり、英語においては、[r] と [l] は意味の異なる単語を作り出すという点で弁別的で、長音か短音かは弁別的ではないのに対して、一方日本語においては逆に、長音か短音かは弁別的ですが、[r] と [l] は弁別的ではないということになります。(「弁別的 distinctive」という用語、音声学を履修した人は聞き覚えがあると思います。)このように、母語において弁別的でない音のグループが、他の言語においては弁別的であることが折々あり、そういう音のグループは区別することが難しく、外国語習得の障害となることがあります。

 「えっ、英語にだって長音と短音の違いはあるよ。例えば、it と eat の違いみたいに。」とお思いになる人もいるかも知れません。ところが、英語の it と eat の違いはイの部分が短母音か長母音かの違いではなく、もともとのイの音が異なります。つまり it のイは、eat のイに比べて口の開け方が上下に広く調音点もより低い位置に来ます。

 まあ、難しい音声学の話はさておいて、寛大で優しい私でも、Native Speaker の同僚から「ユミサン、ソレジャ、オバーサンミタイヨ。」などと、たとえ冗談だとしても言われたら、怒り心頭に発しますゾ。オバサンは自認していますが、オバーサン扱いは容認できません!お気をつけあそばせ、シャクルトン先生、ステラ先生、シュタイン先生、マイク先生。


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