TRIZフォーラム: 読者の声

自由・愛・倫理 と 西田哲学

寄稿:島田忠幸 (2018年9月7日、推敲 10月22日)、 応答: 中川 徹

責任編集: 中川 徹(大阪学院大学)

 

 

掲載: 2018.11.21

Press the button for going back to the English top page.

  編集ノート (中川 徹、2018年11月19日) 

このページは、甲陽学院中学・高校(兵庫県西宮市)での同級生でありました島田忠幸さんから9月7日づけでいただきました封書をきっかけにした、メールの交換によるものです。当時の甲陽学院は、3クラス約150人で、高校進学時にだけ(ランダムな?)クラス替えがありました。6年間一緒ですから、同級になった場合はもちろん、一度も同級にならなくても互いに大体のことは知っています。40歳ころから、(地元関西での同期会の他に)関東地区同期会が毎年1回開かれるようになり、4年ほど前からは春秋の2回になりました。そんな中で、数年前から島田さんが私のTRIZの活動に関心を持ってくださり、『TRIZホームページ』の更新案内をいつも出していました。

島田忠幸さんの略歴:  1965年3月 神戸大学土木工学科卒業。同年4月 石川島播磨重工業株式会社入社、 主として、長大吊橋の技術開発業務に従事。2000年6月石川島播磨重工業株式会社定年退職。1995年 博士(工学・神戸大学)、1998年 技術士(鋼構造およびコンクリート)。コンクリート診断士、土木鋼構造物診断士。

私の「下流老人」問題を発端とした「「自由」vs「愛」:人類文化を貫く主要矛盾」という考え方について、島田さんが西田幾太郎の哲学や禅の考えをベースにコメントをくださったものです。その後3往復ばかりのメールのやり取りをして、島田さんが論理を整理した形で10月22日づけで寄稿いただきました。本ページでは、この推敲後の寄稿を最初に掲載し、その後ろに中川と島田さんのメールのやり取りを掲載します。なお、太字は中川が編集時に施したもの、緑字は編集に際しての中川の注記です。

 

本ページの先頭 寄稿: 島田忠幸(2018.10.22) 応答と討論(中川 徹、島田忠幸)      

「読者の声の索引ページ」

英文ページ

 


 寄稿: 自由・愛・倫理 と 西田哲学  (島田忠幸、2018年9月7日、推敲 2018年10月22日

中川 徹 様

ご無沙汰致しております。いつもTRIZホームページをお送りいただき、ありがとうございます。次元の高いお仕事をなさっておられ、お礼のお手紙を書こうと思いながら敷居が高く、正直なところ戸惑っておりました。

中学生の頃、何かの折に「徹 私の信条」と書いておられたことを思い出しております。論理的にものごとを緻密に考えて進まれる所は、あの頃と少しも変わっておられないように思っております。

[注: 国語(?)の授業の中で、各自に「私の信条」を書きなさいという課題(宿題(?))が出された時のことです。]

高校生の頃、国語の教科書に「知と愛」と題して、西田幾多郎の「善の研究」の一文がありました。「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい・・・」で始まる西田の文章には、教室で受けていた合理的な考え方とはどこか違った所が感じられ、その後西田哲学に関心を寄せて参りました。お送り頂いた論考を読ませて頂き、西田の「純粋経験」とか、「主客合一」といった言葉を思い出しております。ここに私の思うところを書かせて頂くことにしました。ピントはずれの所があるかと思われますが、その折はどうかご容赦ください。

 『「自由」vs「愛」:人類文化を貫く主要矛盾』 何度も読ませて頂きました。根底にある藤田孝典著『下流老人』も一読させて頂きました。このような社会問題を正面から取り上げられた、真摯な態度に厚く敬意を表しております。

議論の発端は、下流老人のような社会問題にTRIZを適用することから端を発し、その過程で「自由」と「愛」の矛盾の問題に気づかれたことと理解致しております。確かに、競争に勝って生き残ることと、助け合いとの間には考え方には不統合があります。この矛盾が人類文化の主要矛盾であるとも述べられております。この問題に対して、私なりにいろいろ考えてみました。

下流老人の問題には二つの側面があると考えています。一つはこのような問題が生まれる社会の構造的な背景、他の一つは人間存在の根源的問題です。後者は時代には関係なく、人間の普遍的な問題です。

アンナ・アーレント(Hannah Arendt)という女性哲学者がいます。彼女はハイデッガーの門下生で「人間の条件(The Human Condition)」を書いております。

この中で、人間は公的領域(Public Realm)と私的領域(Private Realm)の二つの領域で生きていると言っています。公的領域は元来政治の領域、私的領域は家族の領域としています。古代においてはこれらの区別がはっきりしていたが、現代では私的でもなく公的でもない、社会的領域が新しい現象として出現してきたと言っています。つまり、家族の集団が組織化されて、一つの超人間的な家族となっているのが、社会と呼ばれるものであり、その社会の政治的形態が国家と書いています。

下流老人の問題は本来「家族の問題」ですが、現代では家族の問題が社会の問題になり、家族と社会の間に生じた矛盾として捉えることができます。したがって、この問題を6箱方式で解決しようとするとき、まず社会と家族の間に生じたこれらの矛盾の分析を開始することで、答えが見えてくるように思っています。

一方、これとは別に人間存在の根源的問題があります。この問題は、人間をどのように捉えるかが基本と考えています。通常、人間は実体(selfness)としてとらえています。自由、人権、さらに愛などは、その根底として人間を実体として捉えた用語と考えています。この場合、確かに自由と愛には矛盾が生じます。

これに反して、人間の実体を否定する考え方があります。いわゆる仏教で言う無我(unselfness)です。西田は「善の研究」で、「純粋経験」と言った用語でこのような世界を説明しようとしています。この場合、否定を媒介とすることで、「自由」は「自在」となります。また、「愛」は「慈悲」という用語に代わります。この否定を媒介とする世界は無を媒介とする弁証法的世界で、 ここでは「自由と愛の矛盾」は解消すると考えています。

ただ、現代の管理社会の中でこのunselfnessを指導原理の根底に置く考え方には無理があると考えています。組織の中では、責任とか権限と言ったものを根底としなければ、組織は動きません。つまり、責任とか権限といった用語は公的領域を対象とした 用語で、unselfness は私的領域における用語と考えています。

ホームページで企業の経営者と従業員の間の矛盾について論考しておられました。自由に利潤が追求できる経営者とその分配に依存する従業員の間には確かに、「多い、すくない」の問題が生じます。この場合、「自由と愛」は矛盾します。

西田哲学の中に「一即多、多即一」の論理があります。否定を媒介とするとき、一は多であり、多は一である論理です。つまり、 否定を媒介とすることで、経営者と従業員は自己同一であると解釈しています。本来、経営者と従業員はこのような関係が理想ではないか思っています。

現代人は管理社会の中で生きています。同時に、私的領域で生きています。私的領域では、例えば“生きがい”とった人間存在の根源的な問題が出て参ります。このような問題には、TRIZが重要視する矛盾律は成り立たないのではないかと考えています。

下流老人の問題にTRIZの適用を考えるとき、さきの社会的問題については、そのまま適用が可能と考えています。しかし、「生きがい」「友愛」といった意識の問題、私的領域の問題については、その適用方法について今後検討が必要ではないかと考えています。ただ、期待される成果としては、それによって下流老人が「世界に開かれた自己」を見出すことのできる事が結論でなければならないのではと考えています。

以上、下流老人の問題にTRIZを適用するにあたって、私の思う所を述べさせて頂きました。ピントの外れた所があればご容赦ください。

島田忠幸       平成30年10月22日

 


 応答と討論: 自由・愛・倫理 と 西田哲学  (中川 徹、島田忠幸: 2018年9月20日〜10月24日

 中川 徹 ==> 島田 忠幸さん  2018.9.20  

9月7日づけのお手紙、ありがとうございました。  

[注: 手紙の内容は上記の寄稿の元のもので、10月22日には最後の1/3が推敲されています。重複する部分が多いですから、ここには原文の掲載を省略しました。]

10-12日に大阪で「創造性とイノベーション」国際会議があり「自由」vs「愛」と「倫理」の発表をし、13‐14日に東京でTRIZシンポジウムがあって、世界TRIZサイトプロジェクトの発表をしました。こんなことで慌ただしくしていましたので、返信が遅くなりすみません。

島田さんが書いておられることで、西田幾太郎の哲学について、私はほとんど学んでいませんでした。  
親鸞や道元、原始仏教などを少し学びましたし、キリスト教の教学は学んで来ましたが、西田哲学は学べていません。
これを契機に読まなければと思っています。

私的領域と公的領域を区別して考えること、そしてその両方を考えることは、大事なことと思っています。 ただ、私は、「自由」が両方の領域に存在し、「愛」も両方の領域に存在している。そして、両方の領域で、「自由」vs「愛」の問題があり、その様相はほぼ並行していると考えています。また、「倫理」が両者を動機づけ、調整するというのも、両方の領域でほぼ並行してあるのだと、考えています。

「悪」の心の問題は、大きな、難しいことです。
私は、生き物としての先天的な方向付け(指導原理、能力)が人間に(そしてすべての生き物に)備わっていると考えており、その先天的なものを「良心」と呼んでいます。その方向づけは、生き物が、「生き(生き残り)、子孫を作り、種を繁栄させる」という大原則を満たすように、数十億年にわたる生物進化で獲得してきたものと考えています。
ただ、「悪」の心、「悪」の振る舞いも、また、この生物進化の中で起こり、発展してきたものに違いありません。それでも、「悪」が優勢になった状態では、上記の大原則を長期にわたって保持できないことを、生物進化は理解してきたものと考えられます。その意味で、先天的な「良心」は、「悪」から「善」へと導くものであると考えています。

私は、「宗教」のことには、触れていません。「宗教」の中の大事な要素は「倫理」であり、その内容の大部分はさまざまな宗教の違いを越えてほぼ人類共通であると思われます。「宗教」の残りの部分は、絶対者の存在、死後の問題、などであり、不可知の事柄、「宗教の宗教たる部分」で、具体的な宗教ごとに違いがあり、「信じる/信じない」の世界です。  
『ブツダが説いたこと』という本で、ブツダは死後のことを語らなかった、尋ねられても答えようとしなかった、現在の世界に生きること・生きるあり方を探ることに心を集中するべきだと述べていることを知り、感銘を受けました。

[注: ワールポラ・ラーフラ著、今枝由郎訳、『ブッダが説いたこと』、岩波文庫、青343-1、岩波書店、2016年、207頁。]

魂のこと、心の平安のことは、「倫理」の範囲の中で考えていくことができるのでないかと思います。

島田さんの手紙は、深く考えて書かれていて、大変参考になります。  
『TRIZホームページ』の「読者の声」のページに掲載させていただけないでしょうか? 本当は、私が西田哲学を学んでから、返事をするべきなのですが。

いろいろとありがとうございました。 とりいそぎ。

 島田忠幸 さん ==> 中川 徹  2018.9.27

ご丁寧なお返事いただきありがとうございました。 大変恐縮致しております。

お返事の中で、「倫理と宗教」について述べられています。 ここで、少し私の考えを書かせて頂きたいと思っています。 宗教と倫理はどう違うか。私は「宗教」は人間の存在を問題とし、 「倫理」は行為を問題にしていると考えています。

人間存在の 一つの問題は、「有限な人間が如何にして超越に触れることができるか」 ではないかとと考えています。超越に触れることを妨げているのが、人間の知性と思っています。 聖書では人が智慧の木の実を食べたためにエデンの園から追われたと書か れています。また、禅家では「知は是妄覚、不知は是無記」と言っています。 二つは同じことを言っています。 このように考えますと、人類の根本的な矛盾は人間が知性を持っていること ではないかと思っています。

倫理の問題はこの存在の問題から自然と答えが 出てくるように思っています。超越に触れるという点では、キリスト教も仏教も同じ所を問題にしていると思っています。  このような存在の問題を取り上げているのが、ハイデッガーの“Sein und Zeit” ではないかと思っていますが、まだ読んではいません。  

私の先日の文章、『TRIZホームページ』の“読者の声”に掲載して頂けるとのこと、もしご迷惑になるのでなければよろしくお願いいたします。

 中川 徹 ==> 島田 忠幸さん  2018.10.11 

島田さんの9月初めのお手紙を、Wordファイルでいただけないでしょうか? また、島田さんの簡単な略歴を書いてきていただけないでしょうか。

9月9日と10日に、一心寺の高口恭行長老を訪ねることができ、いろいろと話し、一心寺を案内してもらえました。今度の『TRIZホームページ』には、島田さんのものと、高口さんのものを同時に掲載できるかと、思っています。 原稿ができましたら、予めチェックいただくようにいたします。 よろしくお願いします。

 島田忠幸 さん ==> 中川 徹  2018.10.22

同窓会 [10.17] でお目にかかれることを楽しみにいたしておりましたが、生憎風邪をひき、欠席させていただきました。

原稿を送らせていただきます。その後、かなり手を入れて、 論旨を整理いたしました。 一読していただき、掲載の可否をご判断ください。 略歴を巻末に添えましたが、これでよろしいでしょうか。

高口恭行長老を訪ねられたとのこと、大変懐かしく思いました 私も臨済禅に少し頭を突っ込んでおりますので、機会がありましたら お話を伺いたいと思っておりました。 よろしくお願いします。

 中川 徹 ==> 島田 忠幸さん  2018.10.22

メールありがとうございます。  10/17の同窓会、今回は風邪による直前欠席が3人あり、残念でした。 [一心寺] 高口長老の記事は10/19 のホームページ更新で掲載しています。

推敲された原稿と略歴、ありがとうございます。

その後、西田哲学を少し学んでみようと思い、藤田正勝『西田幾太郎−生きることと哲学』岩波新書を2度通読しました。ただ、本当のところ、よく分かりません。私には、なじめない感じが強いです。   

島田さんの原稿、いろいろ書いてくださっており、 本当は一つ一つ考察するとよいのでしょうが、どこでどのように論理がすれ違っているのかは、なかなかよく分かりません。 いま、国際会議の準備などで多忙にしており、11月下旬くらいには、ホームページに掲載させていただきたいと思っております。 とりいそぎ。

 島田忠幸 さん ==> 中川 徹  2018.10.24

メールありがとうございました。

高口長老の記事読ませていただき、非常に懐かしい気持ちになりました。 一心寺講堂の「三千佛堂」の写真を見させて頂き、その絢爛さに感嘆致しております。同時に、念仏と禅家の違いを感じております。

西田哲学は仏教、特に禅の思想を西洋的な論理で体系づけたものと 言われています。禅の公案から入ると、理解が早い世界ではないかと 思っています。しかし、きちんと理解するには、カントから入ることが必要なようです。

11月に原稿を掲載していただけるとのこと、大変うれしく思っております。 少し、手をいれましたので、先日の原稿と差し替え頂ければと思っています 修正箇所にunder lineをいれております。掲載いただくときは、線の除去を お願いします。 よろしくお願いします。

 

 

本ページの先頭 寄稿: 島田忠幸(2018.10.22) 応答と討論(中川 徹、島田忠幸)      

「読者の声の索引ページ」

英文ページ

 

総合目次  (A) Editorial (B) 参考文献・関連文献 リンク集 TRIZ関連サイトカタログ(日本) ニュース・活動 ソ フトツール (C) 論文・技術報告・解説 教材・講義ノート   (D) フォーラム Generla Index 
ホー ムページ 新着情報 子ども・中高生ページ 学生・社会人
ページ
技術者入門
ページ
実践者
ページ

出版案内『TRIZ 実践と効用』シリーズ

CrePS体系資料 USITマニュアル/適用事例集 WTSP (世界TRIZサイトプロジェクト) サイト内検索 Home Page

最終更新日 : 2018.11.21      連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp