Press the button for going to the English page.
編集ノート (中川 徹、2018年 8月28日) (追記:2018年10月 8日)
本ページは、高原利生論文集第4集
の中心をなす「研究ノート2018」四部作の展開部である第四部です。
研究ノートの全体ページには、全体構成、概要、掲載資料へのリンク、「おわりに」、参考文献を書いていますので参照ください。
この第四部は、8月30日に、その一部(11章、12章)をHTMLページにして掲載しました。
その後、9月16日に再改訂稿を得て、残りの部分(8章〜10章)をHTMLページに追加し、また、第四部全体をPDF
で掲載します(10月10日)。11章以降の部分のHTMLページは再改訂稿に対応しておりません。
第四部の目次は以下のようです。
未完成の哲学ノート(2018 年):
「 矛盾モデルと根源的網羅思考による人類の生き方の基本原理についてのノート 」高原利生 2018.4.12 寄稿、2018.8.30掲載
第四部 人工知能、宇宙論理学、人類の統一理論、ポスト資本主義の準備
9.1 人工知能の現状と欠点
9.2 今後の人工知能の可能性10.1 地球の具体的前提:地球人の論理を成り立たせる外界と主体の前提
10.2 宇宙人の論理の前提
10.3 地球人の弁証法論理
10.4 将来のあり得る宇宙人の論理の具体的前提、将来のあり得る宇宙人の論理の具体的例11.1 エネルギー
11.2 客観世界の統一理論
11.3 人類の統一理論
本ページの先頭 | 論文先頭 | 8. 前書き | 9.人工知能 | 10. 宇宙論理学 | 12.ポスト資本主義 | 研究ノート第四部PDF |
英文ページ |
||
高原利生論文集第4集 |
研究ノート全体ページ |
研究ノート第一部:根源的網羅思考 |
研究ノート第二部:矛盾 |
研究ノート第三部 |
研究ノート第四部: |
論文集第1集 |
論文集第2集 |
論文集第3集 |
|
論文 (和文: 2018. 4.12) 論文PDF
人類の統一理論、ポスト資本主義の準備:
Preparation for Artificial Intelligence, Logic of the Universe,
Unified Theory of Humankind and Post-Capitalism
研究ノート 2018/4 第四部(全) 第8章〜第12章
高原 利生
『TRIZホームページ』寄稿 (改訂稿)2018年 6月13日、 (第11,12章)掲載 2018年 8月30日
再改訂稿 2018年 9月16日、 (第8-10章) 掲載 2018年10月10日
注: 表記について:
過去に述べた内容と他文献からの引用は青字で示す。
緑字は例または注を示す。
濃赤字は強調 を示す。
下線は、文章上の単語の強調か、課題を示す。
8. 前書き
人の作った何事にも完成したものはない。
そして、完成したと思う思考は、死んだ思考の絞りかすで、常に否定し止揚し続けるべきものである。
特に哲学は、常に仮説であり、常に未完成で発展の途上にあることを意識すべきものである。この意味で、哲学は、作り続けられる仮説(極言すれば、虚構,フィクション)である。
したがって、無意識に哲学によって作られる常識も、極言すれば虚構,フィクションである。
無意識の哲学によって作られる、知識の体系である科学も、極言すれば、作られてしまった虚構,フィクションである可能性があり、より正しい科学を目指して変革を続けていく必要がある。
哲学によって作られる生き方は、認識、行動に直結しているから、フィクション、虚構になる恐れは小さいが、意識的に変革を続けていく必要はある。しかし、常識や生き方は、対象化されず意識されない故に、余りエネルギーを使わず有効に働いているとも言える。
[C.f. THPJ2015/3 6.1.1 b) 国家や企業、宗教における共同観念の共有は、そのために、法による罰の強制力や「道徳」や、これに代わるまたは補完する国家や企業、宗教への帰属意識を用いることができた。この強制力や帰属意識は、普通、対象化されず意識されないため有効に働く。この事情は今でもそうである]もし全ての人が、これからどう行動するかをゼロから意識して考えるとしたら、人類の活動は止まってしまう。
したがってこの変革は困難な課題になる。よほど変更の根本的必要性が、確かな根拠で、多くの人に理解されないと実現できない。
本稿は、今が、変更の根本的必要性のある稀な時代と思うので書いている。
人類の歴史を貫いている「基本法則」「基本原理」を求めること、世界に寄与する、人の幸せな生き方を作ること、この二つを目指す。
この二つの両立は、最低限の自明の要件だと考える。
世界は破滅に向かっているのに自分だけが幸せであることも、それぞれの人を置いて世界が良くなることも、ともにあり得ないからである。
人に何が必要か、どう生きればいいのか?
この人類の歴史を貫いている「基本法則」「基本原理」があるのではないか?
技術と科学が、今までになく経済・社会の構造を大きく変化させようとしている。
2018年の今から、数十年間の人類の変化は、これまでの人類誕生以来の変化より大きいであろう。言語、道具を作って利用し始め人類が誕生したのは、諸説あるが200万年前ほどのことである。
火を利用し始め、1万年前に農耕を始めるまでに人類は殆どの歴史を費やした。技術が新しい価値の可能性を開きそれを実現していくのが人の歴史だった。
大きくは技術の発展の歴史が、ほとんどの人の歴史だった。
この技術をうまく管理するために経済や政治が生まれた。
今、再び大きく技術が歴史を主導する時代になろうとしている。技術の責任が大きくなっている。
[THPJ2015/1] の冒頭に、次のように書いた。
「人は、あらゆる分野で、世界と人の事実を認識し、より大事な価値を求め、その価値実現のため努力してきた。
1. 時に抗しがたい状況もあったが、それでも懸命に人が生きてきたことを表現し伝えてきた。
2. 事実認識、より大事な価値認識と価値実現方法について、分かっておらず解決できていない課題を表現し伝えてきた。
3. 事実認識と価値認識の結果、及び価値の実現方法を表現し伝え実行してきた。
人が生き世界に対し行ってきたことはこれだけだと思う。」[THPJ2015/1]
人の生活、思考や対話は、論理と感情から成り立つ。ここでは主に論理を扱う。
上の3を言い換える。人類は、無意識に価値と考えているものから仮説によって作った目的と、現実世界との差異解消を行う問題を設定し、方法を作り実現を図り、実現がうまくいかなければ、目的か方法を変更しさらに繰り返す、というサイクルを続けてきた。[FIT2016]
次第に意識的に新しい価値を見つけ、それを実現することが人類の歴史だった。
人、人類の本質について述べているので、当然、他の生命との共通点についてはわざわざ述べない。食べて個体を維持することや子を作って種を保存するということなどを人、人類の本質としては述べない。
ただ、これらの他生命との共通点である「食べて個体を維持することや子を作って種を保存するということ」についても、「新しい価値を見つけ、それを実現する」という人の特徴は反映されたものになるはずである。技術が『大変革時代』をもたらしている今、価値,目的と方法は今までのままでいいのか?
価値を決める世界観は今までのままでいいのか?
世界観とは、人が、外界の構造と動きにどう関わるかの、過去、現在、未来の像である。
これが、人、人類の価値観、潜在意識、態度を規定する。
そして潜在意識に入った世界観に大きな意味がある。現実像とは、現実が客観的にどういう機能と構造をしていて、主観的にどういう基本概念でとらえられ、人はどういう法則と方法で認識と変革の努力をしているかということである。
現実の客観像だけでなく、それに対して人がどう取り組んでいるかも含める。潜在意識に入ってしまう像であるために、大まかな世界観は重要である。
政治家や技術者だけでなく、一人一人が意識的に世界観、価値、方法を把握し続ける努力をする必要がある時代である。
「良い」生き方は努力する生き方である。
「良く」努力することができるためには、「正しい」世界観によって現実と価値を「良く」理解することと、努力の方法、論理を知ることの二つが必要だと思う。
この二つは相互に影響を与える。
「良い」「正しい」ことは主観がとらえる価値に依存する。
自分が「良い」「正しい」と思うことは、必ずしも客観的にそうであるとは限らない。
したがって相対化の態度、謙虚さは欠かせない。時に基本概念の再把握も必要となる。前提として、「種の存続−個体の生−生の属性」というこの順に次第に小さくなる価値の系列を仮定している。
求めようとしているのは「種の存続−個体の生」という自明の価値に続く「生の属性」の内容である
(但し、老人の価値と子供の価値の差など、何となく常識的に分かっていても、本質は分かっておらず表現できてないことが多い)。「種の存続−個体の生」は、取りあえず固定されており単純だが、「生の属性」は、そうでなく、生き方によって動的に得られる価値である。
生き方と同時に得られる運動、矛盾であると言ってもよい。この内容の検討が本稿のテーマである。
誠実であることを検討の前提としている。嘘をつかない、約束を守る、偽善欺瞞のないことは、誠実さのイロハであるが誠実さの内容を述べているわけではない。
誠実さの内容を述べることが本稿と言えなくもない。この立場から
1. 歴史と現実を総括して得た世界観、価値(観)、
2. 潜在意識、態度、感情、粒度設定、論理,方法、
3. 認識像と行動像の生成、技術、制度など文化の支援、
4. 認識と行動
の総体、系列を、今、生きることととらえる。
粒度とは、認識、変更像、行動の単位で、空間時間、属性の範囲である。なお、ここで、
1. 生きることを、今の一瞬を生きることに限っている。
上の四つの要素で近似した系列は、意識していなくても、常に人の一瞬の中にある。
また、認識と行動を同格に扱っている[THPJ2015/1]。
これに対し、
2. 世界と人の関係をとらえる場合は、「世界についての認識−世界に対する行動」というモデルになる。
様々な人の立場に応じて様々な粒度がある。
3. 他に、世界の変化をとらえる粒度がある。これらの前提が、この系列の総体、系列の一部になっている論理,方法である矛盾モデルと根源的網羅思考である。
入れ子になっている。矛盾モデルは形式の基本、客観世界と人間に共通である。世界を、「項1−関係−項2」という矛盾モデルの集合体で近似する。
矛盾は、二つの項が両立しないことを表す意味で用いられることが多いが、ヘーゲル、アルトシュラーなどの弁証法論理の使い方により、二つの項が相互作用しつつ両立する (両立している、あるいは両立を目指す) 意味で用いる。根源的網羅思考とは、無意識のうちに決めるのでなく、素直に感情により,かつ論理的に粒度を意識して全体を決めようとする思考である。
この二つで従来の思考形式を全て含む弁証法を作る。根源的網羅思考と価値についての最新の成果を第一部2章に、矛盾についての最新の成果を第二部に示す。
この二つについては分かっていたつもりでいたが、自分で全く分かっていなかったことに気づいた。あるべき世界観、つまり対象化と一体化の矛盾の歴史を第三部に、これらの応用問題として、人工知能、宇宙論理学、人類の統一理論、ポスト資本主義と理想の生き方の要件と仮説の提起を第四部に示す。
なるべく独立しても読めるようにしたが、これらは相互に関係がある。
分かりにくいかもしれないが、第二部の矛盾は論理的に、第三部の矛盾は歴史的に扱おうとしている。なお、本稿はやや長い。さらに長くなるのを防ぐために、下記のノートの内容の詳細はなるべく繰り返さないようにした。
一度で解が出る小さな問題の解法、特に粒度設定、方法は下記のノートを参照されたい。
これが本稿の「大きな問題」の基礎になる。[THPJ2015/1] 高原, “粒度、矛盾、網羅による弁証法論理ノート: ノート2015-1”, TRIZホームページ, 2015.
(中川徹のTRIZホームページに高原利生論文集1,2,3,4がありhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2018Papers/Takahara-Biblio4-2018/Takahara-Biblio4-180823.htmにリンクがある)[THPJ2015/2] 高原, “中川徹の6箱方式へのコメント:ノート2015-2”, TRIZホームページ, 2015.
(同上)
[THPJ2015/3] 高原, “弁証法論理の応用展開ノート:ノート2015-3”, TRIZホームページ, 2015.
(同上)
また、
[FIT2013] 高原, “世界構造の中の方法と粒度についてのノート”, FIT2013. D-001, Sept. 2013
は根源的網羅思考によってできた最初の論文であり短い中に全体像が表れているので読んでいただくとありがたい。
本稿は、[THPJ2015/1] など以上に「論文」の形を取らないように努力したノートである。
意図したことは次のとおりである。
提起している根源的網羅思考により、考えている事項の全体の中の位置が分かるように、網羅の結果を書きながら記述をしているので煩わしいかもしれない。どうかご理解いただきたい。
また、思考の経過ができるだけ分かるようにし、分かっていないことは何かをなるべく書くようにした。
多分、分かった内容だけを閉じた体形にして書くとすっきりするが、将来への展開の途中であり、未完であることも示そうとした。
各自が自分で考え納得したことだけが身に付き理論と現実を発展させることができるからである。書いている内容は仮説である。
今、定説、常識と考えられていることは全て仮説であり、見直しを行うべきものである。現在、多様な意味で使われている用語を、特定の意味に限定して使っていることがある。
オブジェクト、粒度、網羅、自由、愛、価値、技術、制度などである。
これらの意味はその都度説明しているが、自分の使っている意味と異なる用語が多いと読みにくい。どうかご了解いただきたい。
本稿は、ノート第四部である。
第一部第二部が、弁証法論理、第三部が、世界観で、この二つが哲学の中心である。
第四部は、この応用の中から、今から大きく展開されるテーマである重要な課題を選んだ。
人工知能、宇宙論理学、人類の統一理論、ポスト資本主義である。バラバラであるように見えると思う。
人工知能は、技術が、今までも今もこれからも世界を決めるという本稿の趣旨に添い、注意すべき重要な内容を述べた。
本稿の直接の展開を要する課題である。宇宙論理学は、宇宙生成の論理学ではなく、知的宇宙人の論理学のことである。
正確には、宇宙比較論理学かもしれない。宇宙生物学などはあるが、宇宙論理学はまだない。
根源的網羅思考との関係が必要であろう。根源的網羅思考が宇宙に発展していくと、宇宙論理学の一部になる。人類の統一理論は、第三部の内容をまとめなおした。
ポスト資本主義は、必要であることは多くの人が述べているが、内容が確定していない。
「生き方を作ることと、ポスト資本主義という制度を作ること」という二つが課題であると本稿で述べている。
しかしその内容は殆ど進んでいない。議論を進めるべきである。
本稿の直接の展開を要する課題である。
9.人工知能
9.1 人工知能の現状と欠点
この数十年、数回、人工知能の悲観論楽観論が繰り返されてきた。
生きることは、無意識に生きていることと、意識的に生きることからなり、ほとんどの行動が無意識に行われ、問題の解も殆ど潜在意識下で得られる。[シカフスES]
無意識に行われている判断は定式化されていない。
定式化されれば必ずAI化される。
その繰り返しが永遠に続くだろう。技術は、人が定式化したものを技術手段にして現実化してきた。
誰かが人の認識、行動を定式化できれば、それは必ず技術手段化できる。
それを他の人が、人工知能万能と見間違うことがある。人または集団が、人工知能に助けを借りないで、独自の判断力を持ち、判断力向上を行うことは、それ自体大事なことである。
これは、必ず生じうるエネルギーダウン、機器ダウン時の対策のためにも必須である。
2017年時点で人工知能の問題がいくつかあると思う。
今は、ディープラーニング利用というシーズと、それが可能にするものだけが語られ、人工知能のあるべき全体像がない。
最低限、価値体系の全体像、それに対する現実の全体像、あるべき価値とそれに対する現実を埋めていく人工知能の姿勢が欲しい。
今はこれらがない。ニーズ指向がない。
人類の求めているものは何か、それに対して現実はどうなっているかという意識がない。人類の求めているものは、求める価値(像)の体系で示される。
それはとりあえず「種の存続−個の生−個の属性(自由と謙虚な愛、対象化と一体化)」であり、個の属性(自由と謙虚な愛、対象化と一体化)には複雑な階層構造がある。
個の属性(自由と謙虚な愛)の複雑な階層構造を、人工知能に教えるべきであろう。価値と現実の差異は複数の矛盾モデルで表される。
矛盾モデルの内容を具体的に決めるのは粒度である。
粒度とは、認識、変更像、行動の影響の及ぶオブジェクトの空間、時間、属性の範囲である。
問題にしている「価値」の粒度は、どの空間範囲の誰・何のための、いつの時間範囲の、どのような属性内容の価値であるかということである。世界も人も、複数の矛盾モデルの集合体で近似することが多いので、思考の殆どは、関連する複数の矛盾が同時に成り立つ粒度を決めることである。
複数の矛盾が同時に成り立つということは、各矛盾の全ての時間、空間、属性の粒度が両立するということである。
次第に定式化は進んでいるとはいえ、定式化は終わっておらず、人は殆ど勘で解いている。
あるいは、解が求まるのと、定式化は同時進行過程である。
解が求まる定式化だけが進んでいる。
定式化された部分はAI化が進む。しかし、AIのエンジニアは、定式化するための価値などの前提、過程、意図を必ずしも言わず結果だけ示す。
AIの結果表示は、原則的に、または求めれば、定式化するための価値などの前提、過程、意図を同時に明示するべきである。要するに、AIのエンジニアに限らず、自分の常識は意識していないので、それをAIに教えてしまう。
そして結果だけがこうなったと示される。
直すのは難しいが、今のこうなっている一連の流れを直すことは大きな課題である。
価値と現実の「問題」 <===> (AIと人の協同)
という意識が必要だが、今はどういう価値を、どういう前提と方法で、どう人と協同で実現するか、という意識が全くない。
人工知能で今、できていることは次の内容である。
・ 知覚のいくつかがセンサーとして機械化、代替されている。
個々のセンサー、個々のアクチュエーターの統合が行われ始め、複数の知覚の統合が行われ始めている。・ 特定領域の個別の問題定式化が済んだもの、特に碁やチェスのようなルールのはっきりした問題(矛盾)については、人工知能などによる思考支援が行われている。
ニューラルネットワークモデルの中でディープラーニングが行われている。個々には下記の問題があると思う。
コンピュータが、人のまだ分かっていないことに無理解であることと人の実感に無理解であることが問題である。
9.1.1 実感に無理解である
一つは、人の実感に無理解であることである。
当然だが、今は、人の知覚を機械は体感できない。
体感の個々の要素を定式化してそれを機械に教えることはできる。しかし、コンピュータについて、今まで全て対象化されたものだけだった。
「何かおかしい」という人の論理的感覚的把握を総合した感覚は対象化できない。人は知覚できるが、コンピュータが知覚できないものは何か?
人が探さないといけないのは何かを、コンピュータに探させることができるか?
新しい概念、新しい法則を作ることができるか?
一体化を理解させることができるか?9.1.2 定式化に無理解である
繰り返しになるが、世界も人も、複数の矛盾モデルの集合体で近似するこ とが多いので、思考の殆どは、関連する複数の矛盾が同時に成り立つ粒度を決めることである。
複数の矛盾が同時に成り立つということは、各矛盾モデルの全ての時間、空間、属性の粒度が両立するということである。
次第に定式化は進んでいるとはいえ、定式化は終わっておらず、人は殆ど勘で解いている。
あるいは、解が求まるのと、定式化は同時進行過程である。
解が求まる定式化だけが進んでいる。定式化された部分はAI化が進む。同じことかもしれないが、おそらく、重要な(検証が容易な科学の命題も)命題は、潜在意識と意識の中間状態で見つかる。
その状態の探索は対象化できていない。だから、AIにも教えられない。おそらく、重要な(検証が容易な科学の命題を除く)命題は、初めて見つけた人にだけ真髄が分かる。
それは言葉では他の大勢には伝わらない、ましてAIでは伝わらない。
それを伝えるにはどうしたらいいか?9.1.3 粒度の無理解、それによる認識と問題定式化の不十分さ、特に抽象化の不十分さ
もう一つは、粒度の管理が不得手である。
と言うより、ほとんど全ての人にさえ、粒度の意識がない。
したがって、根源的網羅的な粒度(空間時間範囲、属性の特に抽象度)の自由な管理ができていない。
したがって今、人工知能にもこれができない。
そもそも人が考えるとは、ほとんど、複数の事柄が両立する粒度を見つけることに等しい。・ 複数の事柄が両立する粒度を見つけるという意識がない。
思考の殆どは、関連する複数の矛盾が同時に成り立つ粒度を決めることである。
複数の矛盾が同時に成り立つということは、各矛盾の全ての時間、空間、属性の粒度が両立するということである。・ 価値と事実の区別が不明確である。
これが人によって相互規定の過程の中で生まれていくという意識がAI技術者の中にない。
したがって、粒度に応じた事実の認識、目的(価値)と手段の仮説設定、手段の課題の解決、仮説検証が不得手である。認識について抽象化が不得手である。
例えば哲学(世界観、価値観、方法)の認識が不得手である。・ 粒度の長期、短期、価値の抽象度に応じた問題(矛盾)定式化を行うことが不得手である。
9.2 今後の人工知能の可能性
これら欠点を解消できれば人工知能に次のような可能性がある。
ただし、共同の世界観、価値、人の労働と生活における生き方、共同の目的、解く問題の決定は、複数人と人工知能が共同で行い続け、集団内で合意するのが良い。
9.2.1 実感
人工知能とそれによるVRで人に「実感」をさせる。
例えば、人は、数千年前の物々交換時にはあった感動を今は実感できない [THPJ2012]。人の知覚を機械は体感できない。
体感の個々の要素を定式化してそれを機械に教えることはできる。人の論理的感覚的把握を総合した感覚が対象化できない。
これも、論理的感覚的把握を総合した感覚の対象化を一つ一つやっていくしかなかろう。9.2.2 粒度特定による価値実現
人工知能に今の問題に必要な認識、変更の粒度を特定させる。
問題とは、価値と現実の差であるから、どういう価値を話題にしているのかが前提となる。・ 網羅データベース
個人の思考、集団の議論支援を、網羅データベースと人工知能で行う
根源的網羅思考の実現は、個人の手に負えないかもしれない。
とりあえず欲しいのは、網羅のデータベースである。
ある粒度で、あるオブジェクトを網羅したデータベースが必要だ。
その中から何を選ぶかは、当面、人または集団に任せる。集団での合意が必要なテーマは多い。ほとんど全てかもしれない。
根源的網羅思考による議論が必要である。
その際、個人は、手元のPCやスマートフォンで網羅された中から選んだ粒度間の論理を展開する。人工知能の助けは望ましい。その成果を定式化しさらに人工知能化を進める。
・ 問題の複数の矛盾モデルの集合体で近似と複数の矛盾が同時に成り立つ粒度を決めることを定式化する。
複数の矛盾が同時に成り立つということは、各矛盾モデルの全ての時間、空間、属性の粒度が両立するということである。
あるいは、解が求まるのと、定式化は同時進行過程であることを定式化する。・ 入れ子、階層構造などを実現するニューラルネットワーク
AIの実現手段であるニューラルネットワークで、入れ子、階層構造などを実現する。
今のニューラルネットワークは三層であるが、超格子やFractal構造で実現される入れ子、階層構造のニューラルネットワークは有用ではないだろうか。
・ 認識
価値体系の全体像、それに対する現実の全体像、今の人工知能の全体像を明らかにし、それらを埋めていく。
粒度に応じた事実の認識、目的(価値)と手段の仮説設定、手段の課題の解決、仮説検証を行わせる。人工知能の認識について、下記を行う。
1. あるものの、全ての領域の全体の中の位置を認識させる。
あるものと他との関係も認識させる。2. 「一体化と対象化」を含んだ価値、価値の体系を認識させる。
3. 粒度変更、特に抽象化を行い普遍的な法則を発見させる。
これらのもとで、思考、議論の前に、常に話題の粒度の歴史を網羅、総括し、問題を明確にし、提起する。AIはその有力な手段になる。
・ 事実の変更
価値体系の全体像、それに対する現実の全体像、今の人工知能の全体像を明らかにし、それらを埋めていく。
粒度に応じた事実の認識、目的(価値)と手段の仮説設定、手段の課題の解決、仮説検証を行わせる。
人工知能の事実の変更について、下記を行う。1. 価値の体系の中のそれぞれの粒度に対応する個々の価値の全体の価値の中の位置を明示させ、その価値を実現する事実変更をさせる。
2. 人の今の努力が世界と歴史の全体に繋がる実感のある生き方を提示させる。
3. 新しい価値を実現する制度を作ることを提示させる。
・ 価値実現定式化の高度化
新しい方法、モデル化の網羅的検討をさせ、問題(矛盾)定式化をよりよくさせる。
時間,空間,属性粒度を自由に管理し問題(矛盾)を定式化させ、扱う領域を拡大させる。
これらは、人にとっても課題である。課題の相対化、対象化が必要である。
10.宇宙論理学
宇宙論理学とは、宇宙の知的宇宙人の論理学のことである。正確には、宇宙比較論理学である。
宇宙生物学などはあるが、宇宙論理学はまだない。根源的網羅思考との関係が必要であろう。
いつか必ず必要になる宇宙の知的宇宙人の論理を検討しておく。
宇宙人の感じ方は難しい。感じ方を除いた考え方、論理は分かるもしれない。
ひょっとしたらその理解が人類の将来を決めるかもしれない。次の仮定の基で検討する。
・ 事実とオブジェクト[FIT2003など]は共に、存在と関係からなる [FIT2013など]。
宇宙人が、仮にいなくても宇宙、星はある。そこでも全ての事実は関係し合い運動している。
形式論理は、宇宙に普遍的で共通とする。・ この存在、関係を現実化するのはエネルギーである。
1. 宇宙人の論理の前提(これは、今の地球の論理を規定している前提を網羅し、かつ相対化して得られる)、
2. 地球の具体的前提、
3. 地球の具体的論理、
4. 将来のあり得る宇宙人の論理の具体的前提、
5. 将来のあり得る宇宙人の論理の具体的例、
という系列がある。「2.地球での具体的前提」と「3.地球での具体的論理」は、一部分かっている。
ただし「3.地球での具体的論理」は理想像である。
これらを充実させながら、1.宇宙人の論理の前提、4.将来のあり得る宇宙人の論理の具体的前提、5.将来のあり得る宇宙人の論理の具体的例 を作ることが課題である。「3.地球での具体的論理」については、矛盾も根源的網羅思考も,項の内容、知覚の内容に関わらず成立する。
また、今まで、地球上の農業革命後の歴史と論理の同一性を述べ、それに基づいて検討を行って来た。
矛盾の成立順序の歴史は、地球に多様性に富む自然という独自の内容があることが分かった。
どのように独自であり、また宇宙に共通な論理は何かを明らかにしなければならない。
つまりこれを、一般化し、論理と歴史が他の知的宇宙生命ではどうなっているかを検討しなければならない。
10.1 地球の具体的前提: 地球人の論理を成り立たせる外界と主体の前提
1) 地球の外界の前提1: 属性と運動
地球,月,太陽の属性、運動、特に重力、公転、自転の周期、温度、水や風の循環により、地球人,地球上の生命の属性、生産,消費の時間,内容は、無意識に規定されている。
2) 地球の外界の前提2: エネルギー
人間の歴史は、常にエネルギーが主導した。
エネルギーの現実的可能性が、人にその可能性を現実性に変える必要性の意識を生じさせ、必要性、可能性、現実性の矛盾ができた時が、今までの人間の歴史に大きく二度あった。農業革命と産業革命の時である。人間のエネルギーとの関係を、エネルギー利用の粒度で見れば、
1. 外部のエネルギーをエネルギー変換し利用する、
2. 外部のエネルギーを蓄積した物質のエネルギーをエネルギー変換し利用する、
3. 特殊な物質、ウランなどをエネルギー変換し利用する、
4. 普通の物質をエネルギー変換し利用する、
という段階がある。普通の農業、太陽光発電、風力発電は1、
化石燃料利用発電は2、
原子力発電は3.4に当たる。地球の人類は、太陽エネルギーを蓄積した植物や動物が人類誕生以前に既にあったため、太陽エネルギーのみの利用により農業栽培や人工的動物飼育が行え、食料を作る人類の第一の転換である農業革命を起こせた。
そして太陽エネルギーを蓄積した化石燃料が採掘できるわずかの期間に、人類の第二の転換の産業革命が起きた特殊な歴史を持つ。
今は、この矛盾に別の問題が生じている。
太陽由来の化石燃料が枯渇しつつある。
地球内部の地殻変動や小惑星衝突などによる太陽依存のエネルギーの広範囲長期の壊滅から脱する必要も分かってきた。
これらのため、あらゆる時間空間に普遍的で安全なエネルギーの必要が生じている。
安全な普遍的エネルギーへの意識的な第三の転換をしなければならない。
この課題と、エネルギーをどういう価値実現に使うのかを決めることの二つが課題になる。従来、人間は、得られるエネルギーの限度で価値の現実性を最大限可能にする方法とそのための世界観を求めてきた。
この問題が環境破壊や格差拡大等の課題に直面している今と、エネルギーの課題が重なったのは地球の特異な事情による。
3) 地球の主体の前提1: 生物的属性
人間の感覚器官の種類と数、知覚の範囲、行動器官の種類と数、行動の範囲、人間の大きさによって、オブジェクトの粒度(空間時間範囲、属性)は規定されている。
知覚、過去の記憶、コミュニケーションによる情報入手、蓄積されている情報の入手と行動の間に、「世界観−価値観−態度−感情−粒度−論理」がある。この内、感情は本稿では直接にはあまり扱わない。
知覚、過去の記憶、コミュニケーションによる情報入手、蓄積されている情報の入手は、どれも、地球に独特な内容がある。
特に、知覚、コミュニケーションの内容が特に地球の特別な状態を反映する。この内、コミュニケーションと知覚手段の関係を考えててみよう。
遠隔コミュニケーションと近接コミュニケーションがある。
遠隔コミュニケーションに、送り手と受け手の間の媒介物に波として働く方法と粒として働く方法がある。・ 媒体を波(周波数)として進んで行く遠隔コミュニケーション; 見る、聞く
・ 媒体を粒として進んで行く遠隔コミュニケーション: 匂う・ 力学的または化学的作用による近接コミュニケーション; 触覚、味覚
4) 地球の主体の前提2: 個か集団か
地球の場合、多様な環境で別々な労働をする集団があり、その後、個という意識ができた。
今、集団が発展して高度な集団が重層的に存在している。
10.2 宇宙人の論理の前提
宇宙人の論理の前提を考える。これら前提が、粒度と論理の枠組みに作用する。
論理も、この前提に数字の逆順に逆作用する。以下は検討項目の羅列に留まる。1) 外界
・ 星の属性 (大きさ、公転,自転周期、重力、環境の多様性など) と運動・星の利用可能エネルギー。 人間の歴史は、常にエネルギーが主導したが、他の星では、エネルギーの変化がなくこれと異なるかもしれない。
・主体の食料をどこから得ているか?
2) 主体
・ 宇宙人の生物的属性。
・ 主体は個か集団か?
3) 主体と外界の媒介
・ 主体と外界間の態度,価値観,世界観による媒介の有無と内容 (価値―機能―属性という系列がある)。
・ その間の技術,制度,科学,芸術による媒介の有無と内容。
・ 主体の行動の独自性・主体の運動、事実の変更と運用に要するエネルギー
・ このエネルギー意識の有無。
・ 何をオブジェクトとするか?
・ オブジェクトの認識と変更単位=粒度と、オブジェクト,複合オブジェクト間の関係=論理の意識の有無。
・ 主体の生きる運動の論理意識 (生き方) の有無。
・ 最小の事実近似モデルは「存在−関係−存在」か?
この変形「主体−関係−対象」という生きる近似モデルの「関係」が主体の行動で、その内容は、「誰が何に対して,何のためにどのように何をするか」か?・ 分業、物々交換の成立の成否。
・ 同一性と差異性への対処?
10.3 地球人の弁証法論理
粒度 [FIT2005改]、オブジェクト [FIT2003改]、網羅という最小の基本概念で、生きる全てを扱えるようになった。
事実と価値の粒度の見直しと管理をする根源的網羅思考と、これにより決まった矛盾を単位とする弁証法が新しい弁証法論理である。[TS2010,12][FIT2015][THPJ2015/01,02,03]。
認識と事実変更に共通の方法として、事実の矛盾と解の矛盾がある。
認識は事実の矛盾を解くこと、変更は解の矛盾を解き実現することである。
存在と運動 (機能) のオブジェクト追加,分割、二項の関係づけ、媒介、入れ子が認識、変更の方法の根本である [THPJ2015/02] 。
本稿も、矛盾とその入れ子による解の叙述である。
矛盾は、単なる変更である差異解消矛盾と二項の両立矛盾からなる。
矛盾の解に次の実現形態がある。・ 差異解消矛盾の解が、片項または両項の量的変化を起こす場合、さらにそれが量質転化を起こす場合。
・ 両立矛盾の解が両立の実現形態を示す場合。
・ 両立矛盾の解が、片項の質的変化を、両項の質的構造変化を、質的構造変化を生起しないまま両項の向上を、それぞれもたらす一体型矛盾の場合である。[THPJ2015/01]
問題の時間空間粒度が大きくなるにつれ、問題の矛盾は、[差異解消矛盾→ 一般的な両立矛盾→ 一体型矛盾] を解くことが必要になるように進んでいく。
一体型矛盾の解の必要十分条件は、二項が相互に入れ子になることである。これらのための詳細条件の検討が課題である。
10.4 将来のあり得る宇宙人の論理の具体的前提
仮定で、地球、他の星の論理成立の前提を書いてみた。
表10.1 あり得るX/Y/Z星人の世界観、論理の前提例 [IEICE2016スライド改]
地球
X星
Y星
Z星
利用エネルギー
太陽エネルギーとそれを基にした化石エネルギー、初歩的原子力
自然エネルギー
マントル運動エネルギー
原子力エネルギー
食料
太陽エネルギーを基にした他生命(植物も動物も太陽エネルギーがもと)
他生命
人工食料
人工食料
集団/個
個+集団
集団
全体で一生命。例:ソラリス
個が独立
価値
種の存続、個の生、他との関係(自由)
自由
種の存続
種の存続、個の生、他との関係(自由、愛)
お金の有無
有り
無し
無し
無し
媒介する文化・文明
科学、芸術、技術、制度
科学、技術
科学、技術
科学、芸術、技術、制度
知的生命は生まれたが、物々交換が成立しなかった星はあるのではないか。
地球では生産物が増えれば増えた分は人口増加に使われたので、いつも生産物は不足だった。それが物々交換の誕生に至る条件の一つだと思う。
そうでない星があり得る。人口は増えないが生産量はどんどん増えていく星だと、ものが要る人は自由に持っていく。物々交換は生まれない。物々交換が、所有という一方向一体化と等価原理を生んだという仮説なので、等価原理がないと、「いけにえ」も罪と罰も生まれないのではないか。等価原理がない星で科学は生まれるか?
他の星の論理そのものは書いていない。[IEICE2016スライド改]
他の星の論理は、根源的網羅思考を、個々の星の制約条件に応じて具体化したものになると推測する。
対象化を行う宇宙人はいるだろう。
一体化(という概念)のない宇宙人、一体化のある宇宙人(所有観のみある宇宙人、帰属感のみある宇宙人)があり得る。不十分だが両方ある地球型宇宙人さえ稀かもしれない。
十分な対象化と完全な一体化がある宇宙人がいるだろうか?
もし、地球人とX/Y/Z星人が遭遇した時、地球人は彼らを、敵/食料/ペット/友人のいずれと扱うだろうか?
立場は逆かも知れない。彼らは地球人を敵/食料/ペット/友人のいずれと扱うだろうか?
また、犬や猫、ミミズ、ハエなど周りの動物は皆、宇宙人である。木や花も、宇宙の生命体である。
11. 人類の統一理論
客観世界の場合も人類の生きることにも共通なことがある。
・ 何事も、始まりとその後の運動の歴史がある。ある事が終わったように見える時もある。
・ 二項(のモデルで)の(外部または内部の力が作る)差異とエネルギーが、始まりを含んだ全ての運動を作る。客観世界は、エネルギーを最少にする原理を内蔵している。物質・エネルギー保存則である。
長い人類の歴史も今までは最少エネルギー原理が働いていた。エネルギーを最少にするような制度を作り行動が行われてきた。経験則の仮説である [FIT2016]。今、科学の進歩により微細な差異は次第に認識でき制御できるようになっている。また、制御・操作の力、範囲は大きくなってきたので、人類の発展の歴史と論理を正しく知る必要も大きくなっている。
客観世界の近似モデルは、客観世界自体にはなく、変化が起こった歴史的経過の認識モデルがあるだけである。客観世界は、エネルギーを別にすると、そのモデルは、
「(ある粒度での(その粒度は後から分かる))差異が生じ運動が行われる」
だけである。
今、語られている宇宙や太陽系や地球の生成の歴史は、差異により運動が起動されて起こった「結果」か複数の物事の両立の「結果」の記述だけである。「結果」の粒度は後から分かる。人類の文化登場後の近似モデルを、エネルギーを別にして考えると次のようになった。
この立場から、始まりを扱わない、今、生きることのモデルは、次のようになる。今、生きることを、
1. 歴史と現実を総括して得た世界観、価値(観)、
2. 態度、粒度設定、論理,方法、
3. 以前と差異のある認識像と行動像の生成、技術、制度など文化の支援、
4. 認識と行動の、意識的な系列
ととらえる。
「良い」生き方は努力する生き方である。「良く」努力することができるためには、「正しい」世界観によって現実と価値を「良く」理解することと、努力の方法、論理を知ることの二つが必要だと思う。
粒度とは、認識、変更像、行動の単位で、空間時間、属性の範囲である。
これも仮説だが、(時間粒度の大きな)人類の歴史は、論理によって変化していく。但し、偶然のような微細な差異がその後の歴史に決定的な影響を与える。Fractal構造が、微細な差異を与えることによって全く違った形に成長するように。この微細な差異が論理に与える影響は人の認識の粒度より小さなものなのでノイズと扱われてしまう。
客観世界にこれと同様な論理があるのか不明である。以上のとらえ方も、下記の内容も、[FIT2016]の内容も「人類の統一理論」の一部である。
11.1 エネルギー
運動を可能にするのはエネルギーである。
客観世界、人類に共通の原理がある。エネルギー最少で運動を実現することが、自然、人類の歴史に共通である。
自然にエネルギーを最小にする原理はある。エネルギー保存則というのはエネルギー最少則でもある。外力の働かない自然において、個々のある運動が、最少エネルギーで常にどこでも行われるというのがエネルギー保存則である。より一般的に E = mc2 という形の基で物質・エネルギーの総量は保存される。
人類は、ほぼエネルギー最少で、種の存続と個の生を進化で実現してきた。それが済めば次いで、なるべくエネルギー最少で、個の属性の向上を文化と生き方で実現する。これが価値実現過程である。
この事実と価値の過程が人類の歴史である。エネルギー最少で、歴史と論理の一致が実現する。
11.2 客観世界の統一理論
1) 歴史の論理
何事も、始まりとその後の運動の歴史がある。
客観世界の近似モデルは、客観世界自体にはなく、変化が起こった歴史的経過の認識モデルがあるだけである。
客観世界は、エネルギーを別にすると、そのモデルは、
「(ある粒度での(その粒度は後から分かる))差異が生じ運動が行われる」(これだけである)宇宙や太陽系や地球の生成の歴史は、差異により運動が起動されて起こった「結果」か複数の物事の両立の「結果」の記述だけである。どういう粒度で見た「結果」かは後から分かる。
複雑な宇宙、地球が、一見、さほど複雑ではないモデルで説明できる理由を作りたい欲求がある。人類が生きてきた歴史を見ていて、人が無意識に入れ子構造を作って事態を単純化していることに気づき、自然界にも同様のフラクタルFractal構造などがあることから考えてみようと思うようになった。人類の歴史については入れ子構造があることをすでに述べている。自然にも同様な論理が見つかるかもしれない。
新しい近似モデルが満たさないといけない要件には次の二つがある。これ以上進んでいない。
・ 歴史の発展を説明できること。
例えば、主観の発生を説明できること。知覚から概念が生まれる検討などはできていると思う。・ 現実を統合する理論であること。
安定した状態になると、その時点の空間的関係についての構造の体系、小さな運動の理論ができる。いまある各分野の科学である。これをさらに統合することが課題である。
客観世界の統一理論を作るのは簡単ではない。あらゆる空間・時間・属性粒度における統合的論理を必要とするからである。
例えば、神道、あるいはアニミズムのの「万物に神が宿る」を説明できること。仏教宗派の「一枚の葉は宇宙である」を説明できること。 もしこれらが成り立つとすればどのようにして形になるか?という工学的発想で考える。「一枚の葉は宇宙」は、少なくとも世界の統一性がありその中に個々のオブジェクトがあるという客観的認識である。
なお、「ウパニシャドという、世界最古の文献の中に素敵なフレーズがある。「葉っぱ1枚が枝から落ちる時、この宇宙は震える。宇宙が振動する。一枚の葉っぱは、全宇宙を震わせているのだ。」[https://seikou.me/769/]というのは、全ては関係し合って変化しているという弁証法的世界観を述べているだけで、一枚の葉に全宇宙があるという認識とは全く異なる。
「万物に神が宿る」が成り立つ条件は、「一枚の葉は宇宙」の客観的認識に加えて、少なくとも、人の全てのオブジェクトに対する態度と認識,行動の二面における対象化,一体化のそれぞれ二つの努力が必要であること、完全な対象化,一体化の対象が「神」であるという入れ子の把握がある。これは永遠に満足されることを求め続けなければならない一体型矛盾という難しい条件である。難しい条件ではあるが、解を求め得る制約条件があり得る解釈だけが「正しい」解釈だという仮説に立つことにする。もっと良い仮説があるかもしれない。もっと良い仮説では「神」が別のものに変わるかもしれない。
自然科学では断片的に次のような試みがある。
・ ある条件があると、時間平均と空間平均が一致するというエルゴード定理が古くから知られている。
・ ヘーゲル、レーニンの「歴史と論理の一致」は、時間上の関係と空間内の関係の一致である。これも一種の統合論理である。
・ マクロとミクロの物理学の差を統合する試み; 相対性理論と量子論、粒であり同時に波であることの両立を模索する試みがある。
・ 数学の各領域、さらに数学と物理学を統合しようとする試み、数学、物理学におけるLanglands Programという試みなどがある。
・ 入れ子やFractal構造は各分野の共通構造である。
・ 構造主義の立場から人文科学各分野を統合しようとする試みは多い。
・ 構造主義の立場から物理学各分野を統合しようとする試みもある。
11.3 人類の統一理論
1) エネルギーの原理
人類の法則もエネルギー最少が原理になる。これは歴史と論理の一致が成り立つ長い時間粒度でそうなる。人の個々の試行錯誤による行動はこれに反しエネルギーの無駄を生じてきた。今までは、歴史、事実と方法の知識のなさが人の努力を妨げてきた。
人類の生存の基礎はエネルギーである。エネルギーをテーマにいくつか書いたのでご覧いただきたい[CGK2016]。生きることもポスト資本主義も、物理的にエネルギーを大前提としている。そしてエネルギーのありかたが生き方と制度を規定していた。今は、人が人類史の法則性から得られた対象化と一体化の統一を求める意識がエネルギー最小を実現する。多様性を求める試行錯誤は、短期的一時的にそれに反する運動である。多様性の管理は、エネルギー最小を実現する努力である。長い目で見て、多様化は、より大きな粒度の対象化と一体化の統一を求め、その広がった範囲のエネルギー最小を実現する。
歴史と論理の一致は、エルゴード定理より広い、客観と主観の双方にまたがる法則である。
エネルギー最小を実現する形式、手段は、自然界の超格子構造、Fractal構造や客観・主観領域の一体型矛盾を実現する入れ子である。Fractal構造以外に、自然界のエネルギー最少をもたらす原理がありそうだが分からない。人の生命を支えてきたのは太陽エネルギーである。人の食物は、植物はもちろん、それを食べて育った動物という食物も、その全てのエネルギーは太陽エネルギーが姿を変えたものである。火力発電エネルギーは、石炭石油などは太陽エネルギーによって育った樹木が化石化した燃料による。水力エネルギー、風力エネルギー、潮流エネルギーなど再生エネルギーも太陽エネルギーがもたらす循環を利用している。
地熱エネルギー、将来のマントル運動利用エネルギー発電は、少しこれと異なり、太陽光利用によるものではないが、おおもとは、太陽を生み地球を生んだ同じエネルギーである。今は、あとわずかで化石エネルギーが枯渇すること、再生エネルギーにも全面的に頼れないことが分かっている。多様性も望ましいので、二次的に風力発電もよいし、太陽光発電システムも家の屋根に設置するには良いが、頼らないほうが良い。理由は三つある。
1.これから長期の宇宙空間、他の星や海底での生活も必要になること。
2.風や太陽光が日常的に停止する大容量バッテリなどの対策を必要とすること。
3.風や太陽光が、長期に複数の「国」の範囲で停止する確率が、大雑把な推測で、一年に1%、百年で99%あること。(日本で大規模カルデラ噴火が起きる確率だけで100年で1%)2は大きな問題ではない。1も中長期的に大きな問題である。3は解決できないと致命的である。3を起こす現象は、巨大隕石衝突、太陽嵐、巨大カルデラ噴火などで、やっとその実態、発生確率が分かり始めた。人類の存続或いは国単位の消滅が小さくない確率で起こり得る。マントル運動利用発電ができれば、地球内では対応できる[CGK2016]。実現には時間がかかるのだろう。
解決は、分散され、一部は電磁遮蔽された安全な原子力(おそらく核融合)発電だろう。このエネルギーの課題を実現する時期と、新しい「対象化と一体化、自由と愛の一体型矛盾」を解決しながら生きる生き方とポスト資本主義を作る時期が、なぜか、重なっている。[CGK2016] [FIT2017]
既に溜まり溜まり続ける核ごみの処理方法はいずれ見つかる。数十年先かもしれないが。
今までの数千年の人類の歴史は、エネルギーの制約が強いため、エネルギー最少が人類の最大の課題だった。そのため「対象化と一体化、自由と愛の一体型矛盾」を解決するという定式化ができたともいえる。この解決の道筋ができる時期と、安全で小型の核融合発電が実用化される時期の、どちらが早いかが重要になる。安価で安全なエネルギーが得られるようになると、エネルギー最少制約がなくなってしまうかもしれないからである。それまでには「対象化と一体化、自由と愛の一体型矛盾」の解決の道筋を作っておきたい。[CGK2016] [FIT2017]
ただ、今は、原子力発電については「国民」、一部政治家、「マスコミ」の拒否反応が大きい。吉本隆明は原子力について(またマルクスや、キリスト教、仏教にも)優れた知見を持っていた思想家であった。[YSMT1] [YSMT2] [YSMT3]2) 人類の統一理論
人類の歴史を統一した仮説が必要であり可能である。
1.全ての運動は、何かと何かの差異とエネルギーが起動する。その後の全ての歴史は、論理によって変化していく。これは、ヘーゲルの論理学のようにあたかも神の論理どおりに、物事が進んで行くという仮説である。
この論理を、二項間の関係である矛盾による世界の単位近似と、粒度管理のための根源的網羅思考からなる弁証法論理とするのが第一の近似仮説である。これにより、次の事態が起こる。始まりには差異があり、差異解消のため運動が論理的に起動される。運動に、差異解消矛盾による運動と両立矛盾による運動がある。
差異解消矛盾という普通の意味の運動が、質的変化を起こすことがある。これが次の事態である。
2.外部または人が起こす偶然のように見える微細な差異がその後の歴史に決定的な影響を与える。
地球の物理的条件下で、個と種の維持ができる生命が生じ、知覚と反応という特性が加わる。
人のような知的生命には、さらに特性が加わる。人に言語が誕生し精神、主観が生まれ、外界である宇宙、世界についての像を自分の中に持つことができるようになる。他生命と異なり、道具の製作・利用をするようになり外界に多様で量的にも大きな働きかけができるようになる。
地球の物理的条件に依存した人の宇宙を認識、操作できる「範囲」が問題である。人は、宇宙を認識、操作できるようになった。これらは大きな人の特性である。
どれを人類の特性としてもよい。しかし、本稿では、文化誕生後の文化の歴史が、ここでの人類を特徴づけるとした。人の歴史が対象化を生み、さらに文化において一体化を生んだ対象化が、人を画期的な存在にすると考えたからである。偶然のように起きる微細な差異がその後の歴史に決定的な影響を与える。この実現の手段は、一体型矛盾を実現する入れ子構造のような構造である。文化誕生後の文化は入れ子があった[FIT2016]。また、この微細な差異は、必要性と可能性の差異により人が必然的に発見したものだったと後で分かる。
本稿の第三部はこの人類の生き方の統合論理を示した。
それは、対象化,自由と一体化,愛を二項とする一体型矛盾であった。それに至る矛盾の発展の仮説も明らかにした。その前に、客観的矛盾と人に係る世界の矛盾の違いの仮説も述べた。第一部、第二部は、これらの基礎であり、他の思考、議論全般のための基礎である。矛盾モデル自体と、次の根源的網羅思考それ自体が統合理論を形成している。根源的網羅思考は、内容的には、事実と価値のより大きな全体と本質、価値を求め続ける思考である。目的は、意志のある誰もが(可能なら全てのものが)、いつでもどこでも全てのものの「価値」をお互いに高めて行く客観と、その主観的な実感である「幸福」の二つの両立であるような全体、本質、方法を求めることである。この主観と客観の統一の実現方法が、矛盾モデルと根源的網羅思考からなる弁証法である。
この客観と主観だけでは、世界の単なる一般的抽象的静的関係である。態度、行動である生き方の指針を作るためには、客観と主観の関係を具体化し活性化する矛盾が必要である。それは、人の態度、行動を最も根本的に変える矛盾で、かつ永続する一体型矛盾でなければならない。
根源的網羅思考は、方法的には、仮説を立てそれを検証する過程を続ける、演繹や帰納を包含する思考である。仮説がある。最も根本的な矛盾は、今の人の態度、行動の根本を現に決めている概念とその反対概念の矛盾であり、その解はこの二者の弁証法的止揚であるという仮説である。この矛盾の粒度が求まればよい。論理だけでも歴史を総括しただけでも、きちんとした粒度は見つからない。粒度は、論理的に正しくかつ歴史的に確認されたものでなければならない。そして弁証法によると歴史と論理は大きな粒度で一致する。
人類の統一理論を語り始めた少なくとも一人はマルクスである。マルクスは、1844年経済学・哲学草稿で「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術,等々は生産の特殊な諸様式にすぎないのであって,生産の一般的法則のもとに従う」と述べた。[EPM p.147] 「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術,等々」とは、文化である。ここで彼は、人類の文化の統一理論があること、それが「生産の一般的法則」のもとに従うことを述べている。
マルクス、エンゲルスの「唯物史観」の扱う時間範囲は、本稿と一致する。つまり、主として文化、文明の発生以降の時間粒度を扱っている。しかし「唯物史観」は、文化、文明の発生以降に生じる人の支配−被支配関係にしか着目しておらず、その限りでは意味のある仮説かもしれないが、人類の統合理論としては不足が多い。中川徹の「自由と愛の矛盾は人類文化の主要矛盾である」という表現も、人類の統一理論の要約的表現である。[NKGW2016, “社会の貧困の問題にTRIZ/CrePSでアプローチする:人々の議論の根底に、人類文化の主要矛盾「自由vs. 愛」を見出した”, 第12回日本TRIZシンポジウム. 2016.] 本稿第三部は、中川のこの稿およびその後の稿 [NKGW2017. 中川 徹, “人類文化の主要矛盾「自由 vs 愛」を考察する(2) 個人における「自由 vs 愛」の矛盾・葛藤と「倫理」”, 第12回日本TRIZシンポジウム. Sept. 2017.] へのコメントである。
もう一つ、[TRIZ2015/01] で、中川徹「TRIZのエッセンス」[NKGW2001]は、技術に限定されて述べられているが、全領域に拡張して適用すべきものであると述べた。そうすれば中川徹「TRIZのエッセンス」も人生の統合理論の要約である。
ユバル・ノア・ハラリの「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」(河出書房新社2016, 原著2014) [YNH]と、ジャレット・ダイヤモンドは、一種の人類の統一理論の試みをしていると理解できる。ユバル・ノア・ハラリの書は、主観の誕生を重視し、本稿より時間粒度が大きいが、文化、文明の発生と運動の今後の展望を十分明らかにしない。[IEICE2018]
12.ポスト資本主義
おそらく、ポスト資本主義は、物々交換から生まれた「所有」を基にせず、お金が経済の原動力でない制度である。新しい生き方は、対象化と一体化、自由と愛、謙虚さと批判の統一を、根源的網羅的に行う生き方である。この二つは同時に生まれるという仮説を持つ。しかし、対象化と一体化、自由と愛、謙虚さと批判の統一が生む主観と客観の一致,「一体化」が経済の原動力になるかどうか?何か別の原動力が要るのかもしれない。これがよく分からない。
そこで、ポスト資本主義、新しい生き方を作る以前に、あるいはこれと同時に解決されるべき、次のような重要な課題がある事だけ述べることにする。
根源的網羅思考は、前提を少し変えれば異なった解が出る。本来のゼロベースで検討すると、誰が行っても一見突拍子な案が出てくる。本稿はゼロベースには遠い検討ではあるが、常識とは大きく異なり、反発を受けるかもしれない。ただ、今の政治等に、科学・技術の長期的視野がないので、内容の根拠を述べることができ全体として整合的と考えれられる内容について、敢えて書き残すことにした。
1) 環境、エネルギー、食糧 [CGK2016][FIT2017]
地球環境を守るためのパリ協定の順守,実施は必須であろうが完全な実現は難しい。
・ 情報と違い、ものとエネルギーはなるべくローカルに生産、消費できるのが良い。安全な原子力エネルギー(多分、核融合エネルギー)のできるだけロ−カルな実現を図る。船、自動車、家には、持ち運び可能なカセット核融合発電炉を内蔵する。核融合発電完成までは既存原発の安全性、操作性改良、新型原発や核燃料リサイクル(もんじゅタイプの原発の開発にロシアが成功したというニュースが二三年前にあった。後、十年くらいで実用化するだろう)、核ごみ処理の研究を続ける。
・ この自律したローカルなエネルギーの前提で、世界ネットワーク化はバックアップとして望ましい。
・ 新規火力発電は新型石炭火力を含めて行わない。
・ 化石燃料利用の火力発電は耐用年数(マイナス数年)の来たものから順次廃止する。「直ちに中止」と「捨てるのはもったいない、あるものはできるだけ有効活用」という矛盾の解である。同様に、新設に一基五千億と言われる既存原発についても耐用年数(プラス数年)の来るまで使う。この二つは、累積赤字1000兆という今の日本の経済情勢にも拠っている。原発廃棄と利用で100兆円違う。 財政活動の収支と国の国際収支というどちらの基準によるにせよ、数十年で原発廃棄と利用で100兆から200兆円違う。既存原発の再稼働を行うかどうかは、家庭の負担がどうなるかは基準ではない。全体としての無駄の少ない経済が良い。
・太陽光発電は、屋上、外壁に限り行う。耕作できる,できないを問わず、更地への設置を止める。水上への設置を止める。更地、水上に設置すると、緑地が減り、池,海が死んでしまう。今も四国に相当する緑地が毎年減り続けている。今、耕作できない土地は土壌改良を行うのがよい。
・ 新たな金属の採掘を最小限にする。中長期の将来、どの金属も新規採掘ができなくなる時が来る。その時に備えないといけないのは明らかである。
・使い捨てプラスチック利用を中止する。
・ 海底、宇宙だけでなく地表でも、排泄物を含めた廃棄物の完全分別と完全リサイクルを、できる限り家や船単位で、家でできないものに限り市町村単位で行う。
おそらく、今後1年間に1%ほどの確率で、自然エネルギーが広範囲長期間、遮断される事態が起こり得る。カルデラ噴火、太陽嵐、巨大隕石落下などによる事態である。日本でのカルデラ噴火の確率は今後100年で1%の確率であるとされる。これが再生エネルギーに頼れない理由である。これが異なれば、原子力発電重視は違ってくる。また、原発への対処の如何に関わらず。この非常時に対処するため、次のような準備が要ると思う。
・全エネルギーの2,3割分の発電設備を、カルデラ噴火、太陽嵐、巨大隕石落下などによる影響を防ぐことのできるようにしておく。
・マントル運動を利用した発電を、地球上の適切な何か所かで進める。地球の自転速度が徐々に遅くなりつつあることも気になる。
・電気に拠らないエネルギーを拠点に確保する。水力、原子力による発電の一定割合を、標準化されたインタフェースの機械的回転運動で取り出せるようにしておく。回転軸と回転制御のインタフェースが必要である。
回転運動を利用する機械は多い。直線運動も回転運動で実現される。車輪を回転させる自動車、プロペラ推進の船、飛行機などが代表である。冷蔵庫、掃除機、扇風機など電気を回転運動に変えるモーター使用の機械も多い。前に述べたカセット原発が実用化すれば、灯りなどを別にして、場合によっては必要になるかもしれない脱電気・脱磁気が可能になる。・将来、地球の磁気反転や、火星のように大気が将来なくなる異常時に対する対策を考えておく。
・自然の土地と太陽光エネルギーを使った食料生産と、緊急時の人工食糧生産を、なるべく市や町単位で行う。
・緊急時の人工食糧生産ができない場合、緊急時用食料備蓄が必要となる。食料備蓄は、水と火があれば炊ける米と、何も加工しないで食べられる緊急食糧に分けて考える。今は備蓄を誰が行うか都道府県によってバラバラなので明確化する。年々、備蓄量を少しずつ増やし、家族単位または市町村単位で一か月分程度を確保しておきたい。
2) 政治、経済政策等
個の確立に遠い。中国、北朝鮮という「独裁」国がある。「民主」国も、確立した個の判断によって政権が選ばれ政治が行われるという状態ではない。
政権を選ぶ最大の要因はマスメディア(によって作られる世論)で、二番目の要因が「国民」の判断力である。何がマスメディアに大きな影響を与えるかについては田中宇(さかい)の意見が参考になる。田中宇(さかい)の仮説設定の内容は常識と大きく異なる。[TS 田中宇の国際ニュース解説 http://tanakanews.com/] 今は、行政官僚の産業界、労働界、教育界、学会への影響力と、実務を全て知っている官僚からの、マスメディア(や議員)への情報リークの果たす作用が大きい。それが今のマスメディアの影響の内容を生んでいる。2017、2018年のマスメディアの内容で「民主主義」国の日米欧では、政府がマスメディアの内容を決めるのではないことが分かった。国防には国間の秘密がつきものだが、「国」をなくすことにより秘密の必要はなくなり戦争もなくなる。「国」をなくすとは、今の国を県と同等の位置にすることである。
ポスト資本主義の政治や経済の姿に限って要点だけ述べる。
ポスト資本主義を作るということは、価値が利益でなくそれに代わる新しい価値を原動力とする経済を作るということである。・ 今の「価格」やお金は、ある基準としては残す。
・ 今の賃金労働以外の「労働」である子育て、介護なども労働と扱うことはポスト資本主義の最大の要件である。
・お金以外の、対象化と一体化、自由と愛、謙虚さと批判の統一が生む主観と客観の一致,「一体化」になる基準と、これが経済の原動力になる何かを作る。
この三つを両立する形式を作ることから始める。しかし経済には全く無知なので案は浮かばない。
・ 地球からの資源採取と廃棄物を次第に少なくしていき限りなくゼロに近づける。生産物の「量」は増大せず、人の「価値」は増大し続けるようにする。
・国の財政活動の収支、国の国際収支、GDP(Gross Domestic Product、国内総生産)、GNI(Gross National Income、国民総所得)を統合的に見て、経済上の「価値」を正しく測る基準の必要性があるが、よく分からない。
日本は、国の財政活動の収支は大幅な赤字が続いているが、国際収支は大幅な黒字が続いている。(なおアメリカは国際収支の大幅な赤字が続いている)国の財政活動の収支より国際収支の方が重要な気はする。
人口、人の能力、賃労働でない労働、土地の広さも入れた国の総力も測る基準も欲しい。・ 今の立法、行政、司法は、三権分立の建前には遠いので見直す。
(立法,行政)(司法)の二つの分立はあるかもしれないが、立法、行政は不可分である、第一に、行政こそその運用の中で問題が明確になりどう立法すべきかが分かるはずである。第二に、今の日本に限定された話かもしれないが、憲法の言う「立法府の選んだ内閣総理大臣が行政を統括する」ことは実現できるはずがない。それが実現するのは硬直した一方向独裁組織だけだろう。今の本省の課長は担当分野の日本の総責任者で、一々、上司の決裁を取らず、都道府県知事や会社トップに命令する権限がある。立法府は年間百兆円の予算を決めるが、行政府の官僚は年間五百兆円のGDPに影響する責任を持つ。大雑把な暴論だが、一対五くらい、マスコミ、産業、教育各界他社会への影響力が違う。この影響の構造は目に見えにくい。
今の「内閣総理大臣が行政を統括する」ことは、内閣総理大臣が大臣を任命し大臣が行政各省庁の長になることしかできない。これは当然、階層組織の運用に大きな影響はあるがそれだけである。この事情はアメリカなどでも同様である。[TNK]
まず、立法、行政を一元化して統合し、その上で次のようにする。とりあえず今の議員は今までどおりの選挙により選ぶ。・政治や経済の立法は、プロジェクト制のメンバーによることを基本にする。個々の立法は、行政各部門と各議員、関連する分野の「国民」各層の三者からなるプロジェクトで、根源的網羅思考によって思考、議論を行う。固定した取り組みの必要なインフラストラクチャーの構築方針についても、メンバーの時間交代を長く(10年など)する。
要するに、今の政権を選挙で選び、その政権の政策だけが実現するという現状を変える。こうすると問題になるのは本来不整合な政策が複数実現する恐れがある事だろう。それを統括するための制度は何か必要だろう。2017年、2018年のような支持政党なしが4割を超える政治不信解消にも役立つのではないか。
例: 今の日本の国会本会議、各委員会での、各党と内閣の議論は、議論になっていない典型例である。内閣も各党もそれぞれの内部で決められ変えられない内容を、相手(と中継のある場合は「国民」)に対して「宣伝」しているだけで、民主的議論になっていない。
・個性が花開くまでは、独裁政治は必要「悪」だった。今の「民主主義」は間接民主主義であるが、理想的に個が確立すれば、直接民主主義に近づけていくのが良いのではないか?
3) 国
「国」の対象化相対化 (田中宇[TNK]の意見では、今は一国覇権主義と多極主義の対立の時代だとされるが、国は相対化されていない) と多様化が必要である。今の「国」が県や市のような位置になるようにする。その運動の結果或いは過渡期に次の努力をする。
・ 技術開発の国際協力分野が必要な新しい安全な原子力発電方式の開発を行う。
・ 国際協力分野が必要な宇宙、惑星への宇宙旅行、移住は、単独または数か国ごとに行う。
・ 核兵器は廃絶する。しかし核爆弾の使用は小惑星に対しては(様々な検討で第二案として入っている)あり得るので、国際管理を行う。
・ 例えば、日本、韓国、北朝鮮や、中国、香港、台湾などの緩やかな文化連邦制の検討をする。
・ 五輪は、憲章を厳格に守る。国単位の参加を少なくし、国を超えた単位の参加を増やす。
4) 教育
根本の二点だけ述べる。残念ながら、今の問題は大きい。感性、感情は本稿では論じなかったが、論理と対等以上に重要である。人は感情と論理で生きている。また、感性、感情をとおしてでないと、如何なる論理も物事も身に付かない。
・自然と人の文化の個々の物ごとの始まり、その感動、その後の運動、それらを貫く論理を教える。特に、初期に、感動とその表現の方法を教え、それがコミュニケーションの始まりであることを教える。
自然と人の文化の個々の物ごとの始まりとは、宇宙、時間、空間、生命、植物、動物、言葉、道具,火の利用、物々交換、お金、論理、国、戦争、政治、宗教などの始まりである。・人類世界の文化・文明の歴史の記述の基本は、本来、道具、言葉、火の利用、物々交換開始の叙述に続き、最も初歩的な「生産のための技術体系と運用、経済制度、そのための政治,宗教制度、行政機構の複合体」の形がどのようなものかを述べ、その形と運用が、どう「論理的に」進んでいくべきであり、それが実際にどう進んで行ったかの本質を簡単に述べればいいのではないか?歴史学とその叙述は、論理歴史学であるのが良い。今の小中学の教科書の実際は、人物が起こした事件の羅列があるだけである。
・小学校低学年から、宮本算数教室、天才脳ドリルなどの「仮説設定」仮説思考や複数の項の両立の考え方を身に付けることは有益である。子供はどんどん伸びる。
5) 社会保障、医療
・生活保護などを、三親等以内が単位という制約を変え二親等以内、または個人単位とする。
・ 過剰な医療を止める。死ぬ権利を厳密な条件付きで認める。
高原(たかはら) 利生(としお)
昭43 早稲田大・理工・電気通信卒. 同年 富士通(株)入社.以来河川管理システム等の設計に従事.関連会社に移った後退職.http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/
本ページの先頭 | 論文先頭 | 8. 前書き | 9.人工知能 | 10. 宇宙論理学 | 12.ポスト資本主義 | 研究ノート第四部PDF |
英文ページ |
||
高原利生論文集第4集 |
研究ノート全体ページ |
研究ノート第一部:根源的網羅思考 |
研究ノート第二部:矛盾 |
研究ノート第三部 |
研究ノート第四部: |
論文集第1集 |
論文集第2集 |
論文集第3集 |
|
最終更新日: 2018.10.10 連絡先: 中川 徹 nakagawa@ogu.ac.jp