高原論文集: 第6集: [62F] Book B5 V17 2021.10

高原利生 論文集(第6集) [62F]

   『永久に未完成の哲学ノート』  Part F. 第一部 付

付1.  マルクス再考 
付2.  人類の統一理論
付3.  宇宙論理学とその前提

高原利生、
『TRIZホームページ』最終寄稿、2021年10月14日

『TRIZホームページ』掲載、2022年 1月14日

掲載:2022. 1.14

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編集ノート (中川 徹、2022年  1月  3日)

本ページは、高原利生さんの現段階での主著である  『永久に未完成の哲学ノート』 (B5版 17版)の、第1部の最後の「付」の章です。1章〜5章の本論から脇道に入って3項目を議論しています。

親ページとしては、「第6集 索引ページ」、[62] 「永久に未完成の哲学ノート 索引ページ」、および [62A]  「永久に未完成の哲学ノート 前書き&後書き部」、を参照ください。

本ページに掲載部分の目次は以下のようです。

未完成の哲学ノート 第一部:  論理学、世界観、生き方  付

付1.  マルクス再考              p.90     PDF   

「経済学・哲学手稿(草稿)」の4文 ;  「資本論」  ;  マルクスの長所、短所、展開すべきところ ;
(斎藤幸平さん、大澤真幸さん、平松民平さんのマルクス論 (掲載省略))

付2.  人類の統一理論 

エネルギーの原理 ;  事実の論理的扱いと「論理」によらない微細な差異 ;  個々の統一理論

付3.  宇宙論理学とその前提  

前提 ;  あり得る宇宙人の論理の区分 

この中で、付1の3節: 「マルクスの長所、短所、展開すべきところ」が特に大事であろうと思います。付3は、もし宇宙の別の星に知的生物がいて、コミュニケーションができるとすれば、いったいどんな論理学を持っている可能性があるだろうかと考えているものです。

 

本ページの先頭

付1. マルクス再考 

付2.  人類の統一理論 

付3.  宇宙論理学とその前提

 

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[62] 主著『哲学ノート』17版 親ページ

[62A]『哲学ノート』 前書き部/後書き部

[62B] 1.事実、基本概念、価値と思考

[62C] 2. 弁証法論理、3. 矛盾モデル

[62D] 4. 論理的網羅

[62E] 5. 対象化と一体化

[62F] 付 マルクス再考 他

 

[62G] 第二部 ポスト資本主義 [62] PDF

 


      

  高原利生論文集(6) [62F] Book B5  V17  2021.10

 

『永久に未完成の哲学ノート』  Part F. 第一部 付            p. 90    PDF

 

付1 マルクス再考

1「経済学・哲学手稿(草稿)」の4文

マルクスは若いころ「対象の自分(たち)への一方向の一体化」の弁証法的否定をすることが必要と考えた。
内容は経済学・哲学手稿(草稿) [EPM]で述べられている。
1844年に書かれた「経済学・哲学手稿(草稿)」[EPM] は未完のメモで、しかも多くの部分がネズミにかじられ失われた状態で1933年に見つかった。

「経済学・哲学手稿」が、一体化そのものについて教えてくれる。

「太陽は植物の対象であり、植物には不可欠の、植物の生命を保証する対象である。
同様にまた植物は、太陽のもつ生命をよびさます力の発現、太陽の対象的な本質力の発現として、太陽の対象なのである」[EPM 第3草稿,岩波文庫城塚登、田中吉六訳, p.223] 

まず、マルクスの「対象」の意味、双方向対象化、一体化を考える。
彼はこの時、アニミズム一歩手前まで行っている。
ここで彼は「植物Aの対象である太陽B」は、太陽Bが植物Aに価値のある作用を与える存在であることを言っている。
ここでは作用を与えてくれる相手が自分にとって対象である。
本稿では、主体に意思がある場合、主体AがBに作用を与えることをAのBに対する対象化と言っていて、誰にとって何が対象かについては正反対である。
ただ、この二文では逆も成り立っていて、植物Aも太陽Bも意思を持たない。
彼は意識のないものが相互にお互いのプラスになる作用を行いあう双方向対象化を述べている。
意識のある対象どうしの場合、双方向の対象化が双方に共有されているお互いを高めあうプラスの価値観によって行われると、一体化が実現する。

片方だけ意識のある場合、意識のないほうの価値を増しそれが意識のある側に反作用することを想定できるなら、擬人的に一体化が実現する。
これは次の「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,」の文章で述べられる。

意識のないものどうしの場合も、客観的にお互いのプラスになる作用を行いあう双方向対象化を、擬人的にお互いのプラスになる作用をしあうため、一体化ととらえることにする。

機能と構造の矛盾を、擬人的に自然にも適用したのと同様である。2019.12.02,18,19 ,2020.09.21

 

もう一つの文章。

「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって、人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。
このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となる場合だけである」[EPM 第3草稿,p.153、岩波文庫ではp.138]

文庫の三つの訳と英訳を何十回読んでも分からなかった第三草稿のこの二文が、十数年前、何となく理解できた気がした。
さらに2019年12月やっとマルクスの言いたいことが分かったと思う。
二文の抽象的な概念から、具体的網羅的な様々なイメージを思い浮かべることができるようになった。2020.08.24

この意味の説明を試みる。

1) 人間についての認識

一文目の「命題」で仮の本質が述べられ、後はその内容を一文目の後半の「条件」、二文目の「条件」と徐々に、網羅的に展開していく過程が文章になっている。
何かを把握するとは、全体の中の位置を述べその何かの本質を語ることができ、何かの要素を論理的に網羅できることである。
一部を得るためには、全体を得なければならない。
ここでマルクスは意識せずこの二つの全体を述べている。2020.04.27

一文目に対象的、二文目に社会的という言葉が出てくる。
社会
は、(人にとってものでなく)自己と他の関係の共同観念を本質とする。
一文目は、自己と対象の関係を考察する。
人間が主語の命題、「人間が彼の対象のうちに自己を失わない」は、人間が対象との技術的、生活的関係において人間としてあることは、自己働きかける対象の中に自己があると言っている。

続いてマルクスは、その条件が対象が主語の命題「この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となる」ことを言う。

条件は、人と対象に相互作用があり、人間と対象が一体になっていることである。
これは一部を得るためには全体を得なければならないことの表現でもある。2020.04.27, 2021.07.13

マルクスは、一文目の条件である二文目で、自己と対象の関係に社会との関係を加えて考察している。
その条件は、人間、対象、社会の三つがお互いに一体になっていることである。
これも一部を得るためには全体を得なければならないことの表現である2020.04.27

この二つの文章は、二段階で条件を語る形をとりながら、人間の本質を述べその内容の論理的網羅を完成させ、一部のために全体が必要であることの把握になっている2020.04.27
第一
の人間の認識の教訓である。
この彼の把握は、網羅の論理だけによってだけ得られたように見えるが、前提には、歴史の網羅的総括があったと推測する。2019.12.19, 2020.04.26

2) 価値認識

第二の価値認識の教訓:
         対象化が自分の価値しか扱わないのに対し、一体化は、他人や社会の全体の価値を扱える。2020.04.26, 2021.07.13

3) 生き方と社会変革の統合

第三の人の生き方と社会変革の教訓は、
         「対象化と一体化の統一」という生き方を作ることと、
        世界を変えること「社会、制度を作ること」は、
同時に必要であることである。
生きる原動力と政治経済など世界の原動力は同じでないと統合できない。
両者が正しくないと同じにならない。
世界を変える人が生きることと、生き方の新しい発見だった。2020.08.05,2021.03.10

新しい生き方を作ろうとしない人、常識を変えようとしない人に、新しい労働、新しい発見、新しい弁証法的批判はできず、新しい政治・経済、新しい何事も作れない。
マルクスは、1844年に175年後2019年の一体化の結論を先取りしていた。
手稿であるからこそマルクスは、この問題の可能性と現実性の矛盾の萌芽を述べることができた。2020.03.09
マルクスはこの時、概念を変える問題,論理学を作る問題,世界観を作る問題の統合、歴史と論理の一致を意識していたかどうか。2020.03.13, 08.01

マルクスは、同時期に、エンゲルスと共同で「聖家族」を書いていた。
「聖家族」の 第4章3.「愛」という名前の節で、エドガーの愛を批判している。[マルクス・エンゲルス全集第2巻 聖家族. 大月書店. p.16-19 原著. 1844.]
この節のエドガー批判の「愛」と一般論の愛の見分けが難しい。
これに対し「経済学・哲学手稿(草稿)」の一体化(「愛」)は明快である。2020.07.06, 31, 08.06, 2021.05.10

エミール・ポッティジェリは、「経済学・哲学手稿」フランス語訳の序文で、「ヘーゲルが絶対理念の弁証法で解決した主観と客観との同一性の問題,それをマルクスは具体的に解決する」[EPM p.256]と述べた。
しかし、マルクスはここで問題提起しただけで「解決」はしていない。

 

「人間の自己疎外としての私有財産の積極的止揚としての共産主義、それゆえにまた人間による人間のための人間的本質の現実的な獲得としての共産主義」[EPM第3草稿,岩波文庫p.130]

「人間と自然のあいだの,また人間と人間のあいだの抗争の真実の解決であり,現存在と本質との,対象化と自己確認との,自由と必然との,個と類との争いの真の解決である。」 [EPM第3草稿,上の岩波に続くp.146]

「私的所有の積極的止揚は,人間的生活を我がものとする獲得として,いっさいの疎外の積極的止揚であり,したがって人間が宗教,家族,国家,等々から彼の人間的な,すなわち社会的なあり方へ帰ることである」[EPM第3草稿,p.147]

「活動と享楽は,その内容にとってと同様に,存在様式からいってもまた社会的であり,社会的活動と社会的享楽である。 自然の人間的本質は社会的人間にとってはじめて存在している。なぜなら,ここにはじめて自然は人間にとって,人間との絆として,他の人間にとってのおのれの現存在およびおのれにとっての他の人間の現存在として,同様にまた人間的現実の生活のエレメントとして現存しているからであり,ここにはじめて自然は人間自身の人間的あり方の基礎として現存しているからである。ここにはじめて人間にとって,彼の自然的あり方が彼の人間的あり方となっており,自然が彼にとって人間になっている。こうして社会は,人間と自然の完璧な本質一体性であり,自然の真の復活であり,貫徹されたる,自然のヒューマニズムである」[EPM第3草稿,pp.148-149]

「私的所有の積極的止揚は、すなわち、人間的な本質と生活、対象的人間、人間的製作物を人間にとってかつ人間によって感性的に我がものとする獲得は、たんに直接的、一面的な享楽の意味、たんに占有の意味、持つという意味においてのみ解されてはならない。人間は彼の全面的本質を、ある全面的なしかたで、つまりある全体的な人間として、我がものとする。世界にたいする彼の人間的諸関係の各々、すなわち、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触感する、思考する、直感する、感覚する、意欲する、活動する、愛すること、要するに  彼の個性のすべての器官は、直接にその形態において共同的器官として存在する諸器官と同様に、それの対象的ふるまいにおいて、すなわち対象にたいするふるまいにおいて、対象を我がものとする獲得である。」[EPM第3草稿,p.151]

「私的所有の止揚は、すべての人間的な感覚と性質の完全な解放である。しかしそれがこの解放であるのはまさしく、これらの感覚と性質が主観的にも客観的にも人間的になっているということによってである。目は、その対象が一つの社会的、人間的な対象、人間から起こる人間にとっての対象となっているように、人間的な目になっている。」「だが事物そのものが、それ自身にたいする、および人間にたいする、一つの対象的な人間的なふるまいなのであり、またその逆でもあるのだ。」[EPM第3草稿,p.152]

「私的所有はわれわれを非常に愚かで一面的なものにしてしまったので、ある対象がわれわれの対象であるのはわれわれがそれを持つときにはじめてそうなのである。」「もっとも、私的所有は、占有のこれらすべての直接的実現そのものを、再びただ生活手段とのみ解するのであって、それらが手段として奉仕する生活とは、私的所有の生活、すなわち労働と資本家なのである。したがって、すべての肉体的および精神的な感覚のかわりに、これらのまったくの疎外、すなわち持つことの感覚が現れた。人間存在は、その内的な富をおのれのそとへ生みだすために,この絶対的な貧しさへ還元されねばならなかった」[EPM 第3草稿,p.151-2]

 

2.「資本論」

 1) 所有について

エンゲルスは「フォイエルバッハ論」でフォイエルバッハの「誰にもどこにも当てはまる普遍的愛」を非難している。
マルクスは、これに対し、経済学・哲学手稿で、アニミズム一歩手前と見まがうような、あらゆるオブジェクトと人の対等の一体化の関係を目指した。
アニミズムは、単純否定すべきものではない。
「神」が謙虚さをもたらしたと同様、それは自然への敬意をもたらした。

当時、徐々に広まる自共同体への帰属意識、一体化意識には用語がなかった。今も,ない。

マルクス自身は、一体化の把握と実践にあと一歩まで行きながら、その後展開できなかった。
マルクスは、この双方向対象化、双方向一体化に対するのが一方向一体化の法的私的所有だととらえ、この疎外された労働の結果が資本家の私的所有となるという単純化し過ぎたモデルで扱い、労働を疎外されたものと等値し、法的私的所有をなくすようにその後の論理を展開してしまった。

マルクスが作った「私的所有」は、ヘーゲルの「所有」観念にとらわれてしまった。
ヘーゲルにおいては「所有」は「法」概念である。
本来、所有は、主体が個人だろうが集団であろうが私的所有である。
ヘーゲルは「法の哲学」(岩波文庫, 下, 客観精神 A 法 a 所有 pp.193-195)で、法的概念である「所有」の説明を完璧に行っている。

「対象の自分(たち)への一方向の一体化」やその否定を表す適切な概念や用語がなかったので、マルクスは、ヘーゲルによって定着していた「所有」概念を使ってしまった(所有についての第1の間違い)。
ヘーゲルは、法的概念でない「一体化」そのものを扱わなかった。
そしてマルクス自身、それを引き継いでしまった。
これは今の「マルクス主義者」において事情は変わらない。

世界の何人かが「富」の何十%を占有していることが、格差拡大の「悪」の証拠として述べられる。
これは主として実体経済ではない分野の「利益」が増した問題である。
「ブルジョワジー、資本家階級」と「プロレタリアート、労働者階級」の対立や、資本家による無秩序な生産や、今の資本主義の労働の対価としての収入の差が、格差の主「原因」ではない。

そのため、マルクスが否定すべきは「対象の自分(たち)への一方向の一体化」で、実現すべきは「双方向のあらゆる対象との一体化」だったにもかかわらず、その後、マルクスが言葉で語ったのは、単なる「法的私的所有」の否定になってしまった。
問題は、マルクスがあたかも法的私的所有を否定しさえすればいいように語ってしまったことである(所有についての第2の間違い)。
このヘーゲルやマルクスを責めるのは酷だろう。

最近、ある所有については、共同所有、コモン(ズ)が、唱えられるようになっている。
本質的な一体化に対する、過渡的部分解ではあると思う。
なお、物々交換誕生当時は、集団の共同所有だったので(5章)、今唱えられている共同所有は原点回帰である。2021.07.12,28

 

2)「必要労働」について

マルクスは、その後、この「誤解した」所有概念と、「所有」しない労働者と「所有」する資本家の完全分離という単純すぎるモデルで「剰余価値」の間違った展開をし、単純すぎる資本主義経済理論を作ってしまった(所有についての第3の間違い)。
彼の資本主義経済理論の前提は「剰余価値」は「資本家」に渡り「労働者」には行かないことである。
これは作られた当時はほぼ百%正しく事実に近かった。
しかし百数十年でこの前提は変わってしまった。
それに今、日米ではGNPの6,7割が国内消費である。生産量を上げるには労働者の給料を上げることは不可欠になっている。

一方「労働者の生活に必要とする労働(必要労働)と、それを超える剰余労働(不払労働)から構成され、この剰余労働によって生み出された価値が剰余価値である」[WIKI剰余価値] というような単純化し過ぎた「定義」が横行している。
労働者と資本家しか存在せず、剰余価値は「資本家」に渡り「労働者」には行かない単純モデルでだけ、この定義は正しい。
今、労働者の生活に必要となる「必要労働」から生ずる必要価値に相当する金額は、日々の自己の学習費用、人口が減らない数の子を産み必要な高等教育を受けさせる費用などを含む大きな額である。
従って上の「必要労働」の定義は明らかに意味がおかしいので変える必要があると考える。

平松民平さんと高原利生の(平松さんが2020.09.14のメールで言われた内容を高原が定義にした)仮定義:「支払い労働(資本主義の前期までは必要労働)とは、労働者が雇用者から(お金や現物等として)受け取る対価に相当する労働」。

従来の、資本主義に限った定義が一般化され、意味が明確になるという二つのメリットがある再定義である。
デメリットは「マルクス主義経済学」の用語と異なることである。2020.09.17

これに基づく時間の区分の大雑把なくくりは次のとおり。

1 物々交換経済(6千年くらい前から4千年くらい前の文化・文明成立まで)。
2 お金が媒介する経済1。
        21 (文化・文明成立から資本主義成立まで)
        22(資本主義前期)
3 お金が媒介する経済2(資本主義後期)。

3) 「資本論」第1巻第1章

5.3と重複するが、ここで資本論第1巻第1章についてだけ述べる。
5.3節
で、交換制度開始の条件を述べ物々交換を詳しく書いた。
物々交換や言葉のように、観念とものの二つに関わる交換制度における両立矛盾の開始に必要なのは、
        [0] エネルギーが前提で、
        [1] 始めるための条件があり、かつ、
        [2] 始める矛盾の生成と、
        [3] その矛盾の解の実現
が同時でなければならない[THPJ2012]。

資本論第1巻第1章で、マルクスは「商品ありき」の前提で検討を始めてしまう[THPJ2012]
貨幣がない状態での「商品ありき」は「物々交換ありき」ということである。
これが私の矛盾概念見直しの大きなきっかけになった。
つまり物々交換という制度の開始の検討、何かを始めるという運動の検討をしなければいけなくなった。
資本論第1巻は(冗長なのは別にして)第1章以外は見事な論理が展開されている。
しかし、第1章の、運動の開始や外部条件を十分扱えない、従来の弁証法論理、その単位である矛盾は使えないので、新しく作り直さなければならなかった。(2,3,4,5章

物々交換は、人の共同観念と商品という二つの矛盾からなる特別な制度で、二つの矛盾の同時運動を表現する次の三つの段階で実現される。
しかしマルクスの扱うのは最後の第三段階だけである。

第一段階の二つの矛盾
共同体代表者の観念に、私たちとあなたたちがいて、このものは私たちが所有し、そのものはあなたたちが所有しているという共同観念が共有され(共有は、二項間の関係の一種で、矛盾を作ることができる)、被交換物に使用価値と交換可能性という二項の両立矛盾ができる。
この二つの矛盾は、二人の代表者の観念に共同観念の共有が生じた瞬間に、被交換物に、使用価値というものとしての属性に、交換可能性という制度上の属性が加わり矛盾が生成されるという、不思議で奇蹟的な生成の仕方をする。[THPJ2012 図4.物々交換の第一段階。マルクスの書かなかったこの矛盾の原動力も図に書いている]

第二段階の二つの矛盾
交換可能性という制度上の属性が交換価値に転化し物々交換が成立する矛盾。
それに対応する共同観念の矛盾。[THPJ2012 図5.物々交換の第二段階。同上]

第三段階の二つの矛盾
被交換物の使用価値と交換価値の矛盾が、交換価値が実体化し貨幣として分離独立し解決される。
それに対応する共同観念の矛盾。[THPJ2012 図はないが図4,図5と併せて一つの図に書くこともできる。cf, [FIT2005/1表示法] [TS2006] [TS2008、同スライド] [THPJ2015/1]]

 

3.マルクスの長所、短所、展開すべきところ

マルクスの長所の大きなものは、次の4点である。

1 常に常識の「全てを疑い」全体を求め続ける態度を持っていた。2020.11.05, 12.11

2 対象化された把握として、生産力と生産構造を機能と構造の矛盾としてとらえ、労働が価値を作る構造を解明した。

3 対象化行為である労働が人間の可能性を全面的に発達させ、そのことが新しい社会を作るという対象化の可能性を明らかにした。

4 一方向一体化の初期的形態、所有と帰属を止揚する(国の消滅など)可能性を示し、双方向一体化の道を拓いた。
悪しき所有と悪しき帰属を同時に止揚し双方向一体化を目指すしかない。
超所有と超帰属かもしれない。
実現で、お金だけの価値と戦争は同時になくなる。2021.06.29, 07.15, 07.245章

マルクスの惜しむべきは、次の3点である。

5 未来像については、「所有」概念の把握ミスから一体化の可能性をとらえきれず、対象化と一体化の矛盾をとらえられなかった。
それによる一面的な「労働疎外論」を作った。2020.06.24
彼の労働疎外論は、当時のお金という価値の所有が前提の論になってしまった。
今の労働は、実質、彼が述べた人間の能力の全面発展をもたらすものに近づいている。

6 政治・経済について所有の当時の現実を一般化しすぎ社会の間違った設計図を作ってしまった。
当時の所有の問題は大幅に解決されている。
今の所得「格差」の多くは、労働の「剰余価値」の所有に由来しない。
お金を価値とする資本主義の矛盾である、生産がもたらす一切の機能と生産構造の矛盾の解は、お金だけが価値でないポスト資本主義の生産がもたらす一切の機能と生産構造の矛盾に進むこと、つまりお金だけが価値でないポスト資本主義に進むことである。
生産力や生産の機能と,生産構造の矛盾は従的な課題であり、前提である価値の弁証法的否定に進むことが解である。
これは制度を作るだけでなく、哲学・常識、生き方を同時に変える努力、闘いと同時にしか得られない。
数十年、数百年後、所有という一方向一体化は、双方向一体化に姿を変えていく。
同時に帰属という一方向一体化からも他を排除する意識はなくなっていく2021.06.29。(5章)

7 小さな弱点は、一面的と取れる表現で分業に長い間反対したこと(人間の全体的発展を求める善意からではあったが)、価値を交換価値の意味で使ってしまったことなど。

1,2,3,4は、マルクス本人の再評価である。
5のもとはマルクスの「所有」の把握ミスで、5,6は、後の「マルクス主義」批判でもある。
その後、マルクス以後の「マルクス主義」は、生産手段の社会的所有、管理という「国家社会主義」的「理想」像を作ってしまう。
これは生産が「資本家」によって「無秩序に」行われる欠点を扱うだけである。
これは,問題のごく一面しか解決せず管理の方法も明らかにならず、何より経済の原動力にならないことは歴史が示している。

これは事実を見ないこと、書物を解釈するだけという初歩的な二重の間違いによる。

8 彼の見直すべきところは、弁証法論理と今後の展望である。
いずれも案を本稿に書いた。

 

4.斎藤幸平さん、大澤真幸さん、平松民平さんのマルクス論 (掲載省略)

[編集者注 (中川、2021.10.27) :  本節は、特定の3人の個人と著者との討論内容(往復書簡)であり、一般読者には先方および著者の論理を読み取ることがほとんどできないと考えられる。そのため、本HTMLページには掲載しない。]

 


   

付2 人類の統一理論

1. エネルギーの原理

1) 前提

何事も、始まりとその後の運動の歴史がある。
全ての運動は、何かと何かの差異とエネルギーが起動する。
矛盾モデルでの外部または内部の力が作る差異とエネルギーが、始まりを含んだ運動を作る。
その前提で、文化・文明誕生後のほとんどの歴史は、論理によって変化していく。

如何なる哲学や個々の問題より、エネルギーに対する態度や仮説の方が重要である。

客観世界の原理はエネルギー最少の原理である。
外力の働かない自然において、個々の運動が、最少エネルギーで常にどこでも行われるというのがエネルギー保存則である。
       (ダークマター、ダークエネルギーはよく分からないので扱わない。光もよく分からない)

今までの人類の発明で大きなものの二つは、原子爆発と物々交換である。
対象化の極致の一つが原子爆発である。
原子爆発の核分裂を高度に制御することによって原子力利用ができるようになった。
原子力による(おそらく核融合の)エネルギー生成なしに人類に未来は無い。[YSMT3]
そして、原子力エネルギーの進展によっては、エネルギーの制約がなくなるかもしれない。
それまでに「対象化と一体化(自由と愛)の一体型矛盾」の解決の道筋を作っておきたい。(5章)[CGK2016] [FIT2017]

2) 今までは太陽エネルギー利用の制約があった

人類の生存の基礎もエネルギーである[CGK2016]

生きることも、物理的にエネルギーを前提としている。

エネルギーのあり方が、今まで生き方と制度を規定していた。
今まで人の生命を支えてきたのは太陽エネルギーである。
人の食物は、植物はもちろん、それを食べて育った動物も、その全てのエネルギーは、太陽エネルギーが姿を変えたものである。
石炭、石油、天然ガスも同じである。

今までの数千年の人類の歴史は、エネルギーの制約が強いため、エネルギー最少が人類の最大の課題だった。
そのため「対象化と一体化、自由と愛の一体型矛盾」の定式化ができたともいえる。

人類は、ほぼエネルギー最少で、進化により、種の存続と個の生を実現してきた。
人類は、文化・文明においても、おそらく種と個の生の存続をエネルギー最少で目指してきた。
これは歴史と論理の一致が成り立つ長い時間粒度で成立する。経験則の仮説である[FIT2016]

これに反し人の個々の試行錯誤による行動はエネルギーの無駄を生じてきた。
今までは、事実と方法の知識のなさが人の努力を妨げてきた。

3) 今後は未確定

次の段階で、エネルギー最少で個の属性の向上を文化・文明と生き方が実現する。

これが、人の価値実現過程である。
この事実と価値の変化の過程が人類の歴史である。
エネルギー最少で、歴史と論理の一致が実現する。
と、書いてしまったが、こうならないかもしれない。

今、温暖化が話題になっているが、現在が第4間氷期かどうか確定しない状態である。将来、氷河期が来て太陽エネルギーによる植物、動物を人の食料にする事情が大きく変わる恐れがある。
それ以前に、化石燃料は近い将来枯渇し、太陽エネルギーは豪雨、豪雪(例:2021年1月12日の豪雪で暖房増加と相まってピーク時の電力使用率は沖縄を除く9電力管内で91〜99%) 、大規模火山噴火などで長期に停止するので頼れない。
安全な原子力エネルギーの普及の他、様々な課題が解決されないと人類は原始時代に戻ってしまうかもしれない。
統一理論どころではなくなる。理論など、偶然の微細な変化、差異で変わってしまう。

 

2. 事実の論理的扱いと「論理」によらない微細な差異

1) 事実の論理的生成、物理学と哲学

無か何かから、存在と関係(運動)が分離した。
その後の世界の要素である存在と関係(運動)については次の場合がある。(第1部

(1) 存在であり運動である場合がある。
(2) 存在と運動が相互転換する場合がある。
(3) 存在と関係、運動が独立している場合がある。

2) 論理学と世界観の関係、歴史と論理の一致について

論理学については、存在命題、属性命題を矛盾モデルから除外する。
また、人の世界では、論理の、演繹、帰納、仮説設定が仮説設定で統一されることを述べた。
第一部の展開論理は、論理的網羅と、文化・文明の誕生以降の歴史と論理の一致という人類の歴史の根本仮説によった。

宇宙、地球が生まれ、事実が変化、発展していく。
人が生まれ、事実の変化の歴史から思考が生まれともに発展していく。
人工物については論理が事実を作る歴史が続いていく。
地球では、論理の歴史的結果が、今の矛盾モデル(または関係命題)に固定化されて行き、以下の順に、後の高度な矛盾が、前のより基本的矛盾の上に積み重なりながら発展する構造ができた。

客観的な自然における矛盾が、宇宙誕生後からあり、それに自律運動をする生命の矛盾、さらに人の意識的意図的努力の矛盾が加わる。
自然世界の運動と人を含む生命世界に共通に「機能と構造(内容と形式)の矛盾」がある。

意図的な対象化一方向一体化の一体型矛盾が加わり、今後、意図的な対象化と双方向一体化の一体型矛盾の実現を見通す。

事実は、現実の目の前の存在、関係だけでなく、各人の観念世界の中の、事実の歴史、思考の歴史の記憶、論理を含んでいる。
また逆に、各人の思考世界、論理は、その事実を含んでいる。

これが繰り返され、一つの客観的歴史的事実と人の観念,情報、特に論理は入れ子になり一体型矛盾を作るので、次第に似た内容になっていく。

論理と歴史が一致するような、空間時間、抽象化された属性があると言った方が良いかもしれない。
もしそうなら、論理と歴史が一致する空間時間、属性の粒度を見つける
ことは意味がある。

その例がエルゴード定理である。
ある条件があると、時間平均と空間平均が一致するというエルゴード定理(個別エルゴード (G. D. Birkoff 1932)、平均エルゴード定理 (J. von Neumann 1932) )が古くから知られている。
これ自体、極めて抽象的な定理である。
学生時代、この定理の証明が一ページに渡って書いてあったのを読んだきりである。

エルゴード定理、歴史と論理の一致は、空間と時間の両方の属性に関する「法則」である。

歴史(時間)と論理(空間と時間)の一致は、もっと一般化された、より客観的な時間、空間の定理に繋がるだろうか?
おそらく、文化・文明の誕生以降という制約下で論理学と世界観の一致(両者が同じものの両面であること)が成り立った。
状態より過程重視という態度もある。

一方、2020年に分かったことは、論理学と世界観(哲学)、生き方、政治経済制度が、歴史の時間と空間によって異なることであった。
[FIT2020]では、地球の歴史段階ごとの論理を明らかにした。

3) 客観的世界の論理と人の世界の論理の統合論理

今後の課題として、客観的世界の論理と人の世界の論理の統合論理の探求がある。

統一理論を作るのは簡単ではない。
あらゆる空間・時間・属性粒度における統合的論理を必要とするからである。

要件には次の二つがある。
         (1) 歴史の発展を説明できること。
         (2) 現実を統合する理論であること。

例えば、神道、あるいはアニミズムの「万物に神が宿る」を説明できること。
ある仏教宗派の「一枚の葉は宇宙である」を説明できること。
もしこれらが成り立つとすればどのような形になるか?という工学的発想で考える。
「一枚の葉は宇宙」は、少なくとも世界の統一性がありその中に個々のオブジェクトがあるという客観的認識である。

ウパニシャドの中の『葉っぱ1枚が枝から落ちる時、この宇宙は震える。宇宙が振動する。一枚の葉っぱは、全宇宙を震わせているのだ。』[https://seikou.me/769/]は「一枚の葉は宇宙」という認識とは異なり、関係し合っている弁証法的世界観の一部を述べているだけである。
論理がなく感情に作用するだけで、一部が全体と言う、読んで恥ずかしくなる「美文」は、論理的にも有害である。
「万物に神が宿る」が成り立つ条件は、「一枚の葉は宇宙」である客観的認識に加え、少なくとも、人のオブジェクトに対する態度と、認識,行動において、対象化、一体化の二つの努力が必要であること、完全な対象化,一体化の対象が「神」であるという入れ子の把握がある。
この把握は、永遠に満足されることを求め続ける一体型矛盾であり難しい。
難しい認識ではあるが、この認識だけが「正しい」認識である。
もっと良い仮説では「神」が別のものに変わる(かもしれない)。

発見のある「美文」だけが美文である。
芸術には、多くの俳句、短歌、宮沢賢治,三好達治,中野重治など多くの詩、古井由吉の小説などに発見があり感動して読める美文がある。
まがね58号の長瀬佳代子、野中秋子の詩、短編も感動の美文だった。2020.02.20,09.04, 2021.02.18,03.10,07.03 
この判断は個人の価値と論理の把握に依存している。
小松左京「虚無回廊」「ゴルディアスの結び目」などもある。

4) 「論理」によらない微細な差異

今、科学の進歩により微細な差異は次第に認識でき制御できるようになっている。
また操作の力、範囲は大きくなってきたので、人類の発展の歴史と論理を正しく知る必要も大きくなっている。

この論理を、二項間の関係である矛盾モデルによる世界の単位近似と、抽象化と具体化の粒度管理、仮説設定による論理的網羅思考からなる弁証法論理とするのが第一の近似仮説である。

これにより次の事態が起こる。
差異があると差異解消のため運動が論理的に起動される。

運動に、狭義の変化変更矛盾による運動と両立矛盾による運動がある。

変化変更矛盾という普通の意味の運動が、質的変化を起こすことがある。
これが次の事態である。

大きな人類の歴史は、論理によって変化していく。
また、外部または人が起こす偶然のように見える微細な差異が、その後の歴史に決定的な影響を与える。
Fractal構造は、微細な差異を与えることによって全く違った形に成長する。
波に、空間の波、時間の波がある。これも微細な差異で全く違った形で実現する。2021.03.04

空間の波の例:  たまたま観ていたドキュメント72時間という番組で、予讃線の駅から見える瀬戸内海に島が見えなかったのに驚いた。地図でみてみると瀬戸と灘が交互に並んでいる。
この配置は、20万年前に、瀬戸内海誕生させる中央構造線のずれが起こした法則的変化と、微細な初期条件が作った。
波ではないが、中央構造線のずれも、地球の法則的変化と微細な初期条件が作った。2021.01.03

論理的網羅的に考えることは、現実のゼロベースでの再構築と、現実をありのままゼロベースで認めこれからの変化の過程を重視する。
この根拠は、現実は、論理によるのであれ微細な差異によるのであれ、ともに宇宙誕生以来の歴史の網羅的総括であり、細部にも意味があることにある。2019.09.04, 10.25, 2020.01.27 
地球の物理的条件下で、偶然と見える差異が起こす進化によって、個と種の維持ができる生命が生じ、知覚と反応という特性が加わる。

人のような知的生命には、さらに特性が加わり言語が誕生し、精神、主観が生まれ外界である宇宙、世界についての像を自分の中に持つことができるようになる。
他生命と異なり、道具の製作・利用をするようになり、外界に多様で大きな働きかけができるようになる。
地球の条件に依存した人の宇宙を認識,操作できる範囲が問題である。
人は、宇宙を認識,操作する可能性を得るかもしれない。

本稿では、文化・文明の歴史が、人類を特徴づけるとした。
人の初期の歴史が対象化を生み、さらに文化・文明において一体化を生んだ対象化が、人を画期的な存在にする。

偶然のように起きる微細な差異が、決定的な影響を実現する手段は、外部条件(例えば、間氷期と氷河期の繰り返しなど)を別にすれば、内部的には、一体型矛盾を実現する入れ子構造のような連続的変化を起こす構造にある。
文化・文明には入れ子構造があった[FIT2016]
偶然、奇蹟的に起こった微細な差異、物々交換が、入れ子構造の文化・文明を起こした。(5章

 

3. 個々の統一理論

人類の文化・文明登場後の近似モデルを振り返る。

1) 人類の統一理論を語り始めた少なくとも一人はマルクスである。

マルクスは、1844年経済学・哲学草稿で、次のように述べた。

「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術,等々は生産の特殊な諸様式にすぎないのであって,生産の一般的法則のもとに従う」[EPM p.147]

「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術,等々」とは、文化・文明である。
ここで彼は、人類の文化の統一理論があること、その統一理論が「生産の一般的法則」であることを述べている。

マルクス、エンゲルスの「唯物史観」の扱う時間範囲は、本稿と一致する。
つまり、主として文化・文明の発生以降の歴史を扱っている。
しかし「唯物史観」は、文化・文明の発生以降に生じる人の支配−被支配関係などにしか着目しておらず、人類の統合理論としては不足が多い。

彼らが、人の支配−被支配関係に着目したのは、所有の把握を間違え、資本主義は、資本家が所有を独占する単純すぎるモデルの一般化のためである。
もう、資本家階級と労働者階級の支配−被支配関係、階級対立はなくなっている。

2) 科学の統一構造に関する試みがある。

(1) マクロとミクロの物理学を統合する試み: 相対性理論と量子論、粒であり同時に波であることの両立を模索する試みがあるらしい。

(2) 数学の各領域、さらに数学と物理学を統合しようとする試みLanglands Programがある。
雑な言い方だが、数学の量の科学である数論、空間の科学である幾何学、(時間)運動の科学である解析学の三つと物理学は、数学における構造の科学である代数で統一される。

(3) 構造の立場から物理学各分野や人文科学各分野を統合しようとする試みは多い [ジャン・ピアジェ, 「構造主義」, 文庫クセジュ, 白水社, 滝沢、佐々木訳, 1970 たまたま一部を再読した。得る内容が多い]。

直列、並列、階層、一方向または双方向の入れ子やFractal構造は、様々な分野の共通構造である。統一的構造があるのはよい。

3) TRIZの「9つの進化の法則」[TSK]の「歴史と論理」は技術について導かれた。
これを、制度に適用するように改良すること、Cavallucci [DC]やL. Ball [LB]を統合する理論の整理が課題である。自分で行う気力と時間がない。

4) 近代以降に限れば、田中宇(さかい)の国際政治批評 [Tana 田中宇の国際ニュース解説 無料版と会員版(田中宇プラス)]も、近代国際政治の自然史としての必然性を前提にしている。
これも近代国際政治の統一理論である。
左派・リベラルと異なり、一部は右派との類似点のある田中宇の説によると、資本主義の時代までは、支配層が合理的に世界を動かしてきた。[Tana "資本主義の歴史を再考する", http://tanakanews.com/100504capitalism.php]  a
おそらく、これは、お金が唯一の価値である時代については正しい。

5) アルフレッド・アドラーの「自己像、世界観、自己理想」からなるライフスタイルは、生き方に近い。
ここでアドラーは、世界観を今の世界の現実像に限っている。
しかし、アドラーに、自己の現実像と理想像があるように、客観の世界像に過去、現在の世界像、未来の理想世界像と続く流れがある。
その中に原理、法則を見つけられる。

ユバル・ノア・ハラリの「サピエンス全史  文明の構造と人類の幸福」(河出書房新社2016, 原著2011) [YNH]と、ジャレド・ダイアモンドは人類の統一理論の試み、総括をしていると理解できる。

小中学で教えると良い。
書く中身は極めて有用で、本書は彼らが述べる歴史から多くを学んだ。

6) 物々交換が対象化の反対概念である一体化,愛の原型を作った。
一体化の努力の持続が人類の未来を拓く。
中川徹先生の「自由と愛の矛盾は人類文化の主要矛盾である」[Naka-2016] [Naka-2017]という表現も人類の統一理論の要約的表現である。
中川先生の技術についての「TRIZのエッセンス−50語による表現」[Naka-2011]も一般化すれば人生・人類の統合理論の要約になる。

7) いわゆる哲学はどれも一種の統合理論である。
従来の哲学には聴くべき一面があるが解は書かれてない。
しかも致命的欠陥がある。

1 全ての哲学に、最新の科学が明らかにした知見が反映されていないため世界観として不足し、人類の歴史の中で蓄積してきた論理を反映していないため論理学として不足している。2021.01.13

2 対象化、相対化が不足している。
粒度の意識、つまり抽象化や具体化、自己を相対化対象化する意識のない人が多い。
ヘーゲルは、例外かもしれないがやや古くなった。
対象化、相対化不足は、宗教の欠点と共通している。
        (自己対象化、謙虚さは宗教の長所である)

3 一般に全ての論述は、網羅された中から選ばれた粒度を明示しておらず、今までの思想や哲学、あるいは相手を批判する人も、相手の欠点をいくつか挙げ、自分の思想、哲学、あるいは自分の論はこういう長所があると例を言うだけで、その思想、哲学、自分の論の正しさの証明になっておらず、論理になっていないものが多い。

4 「現代思想」や哲学には、世界観,価値観と、論理,方法、エネルギーに対する態度がなければならない。
これらのない今の哲学、思想は、余り労働と生活の役には立たない。

   8) 本稿も人の生きることの統一理論の一つである。

本稿は、人類の過去、現在、未来像から導き出される客観的原理(法則)が、対象化と一体化の統一・自由と愛の統一と全体を求める態度であるかもしれないことを述べた。
それが、客観的価値実現と私の主観的幸せの統一の内容である。
全体を求める矛盾モデルと論理的網羅思考は、これらの基礎であり他の思考、議論全般のための基礎で、これ自体、統合理論を形成している。
客観世界は対象化の可能な世界で、擬人的に機能と構造だけで話ができた。
人の世界では、対象化だけでなくそれを超える「対象化と一体化」に広がる可能性が出てきた。

多分、今後は、人が人類史から得た、対象化と一体化の統一を求める意識がどうなるかが今後を大きく変える。
長い目で見ると、多様化は、より大きな粒度の対象化と一体化の統一を求め、その実現範囲でのエネルギー最少を求める努力かもしれない。

しかし、節の最初に「人類の法則は、おそらくエネルギー最少が原理」と書いたが、結局、最少エネルギーの原理、法則があるのか不明になった。

 


   

付3.  宇宙論理学とその前提

1. 前提

第一部の検討を一般化し、歴史から導いた論理を宇宙人の論理に広げる。
宇宙論理学は、宇宙生成と運動の論理学ではなく、知的宇宙人の論理学である。
正確には宇宙比較論理学かもしれない。
宇宙生物学はあるが宇宙論理学はまだない。
いつか必要になる宇宙の知的宇宙人の論理を検討しておく。

人と相互コミュニケーションの可能な宇宙人に限定する。

宇宙人がどう知覚するか感じるかを知るのは難しい。

知覚と感じ方を除いた考え方、論理は分かるもしれない。
その理解が、宇宙の知的宇宙人に会った時、人類の将来を決めるかもしれない。
地球の「国」の対象化を容易にし「国」間の闘いなどは小さな問題と思わせてくれる効果もある。

次の仮定で検討する。

(1) 事実とオブジェクトは、存在と関係からなる [FIT2013など]
宇宙人がいなくても宇宙はある。そこでも存在が関係し合い運動している。

(2) 形式論理は、宇宙に普遍的で共通とする。
存在、関係を現実化するのはエネルギーである。

(3)    1 地球の論理を成り立たせた前提、
       2 地球人の論理、
       → 3 宇宙人の論理の前提、
           4 宇宙人の論理、
           5 あり得る宇宙人の論理の具体的例、
という検討の系列がある。

1 地球での前提と2 地球での論理は一部分かっている。
これらを充実させながら、3 宇宙人の論理の前提の網羅、4 宇宙人の論理、(5.宇宙人の論理の具体的例は今回まだ検討していない)を作ることが課題である。

2 地球での論理について、矛盾も論理的網羅思考は、項の内容、知覚の内容に関わらず成立する。
また今まで、地球上の人の文化・文明の歴史と論理の同一性を述べ、それに基づいて検討を行ってきた。
地球の多様性に富む自然が、矛盾の発展、論理に影響することも分かった。

宇宙に共通な論理は何か、宇宙の知的生命の共通な論理と歴史を検討しなければならない。

1.1 地球人の論理を成り立たせる外界と主体の前提

1) 地球の外界の前提1: 外界の属性と運動

地球、月、太陽の存在の元素種類、運動の属性、特に地球の重力、公転、自転の周期、温度、水や風の循環により、地球人や地球上の生命の属性、生産消費の時間、内容は無意識に規定されている。

2) 地球の外界の前提2: エネルギー

人間の歴史は、常にエネルギーが主導した。
エネルギーについての大きな必要性、可能性、現実性の矛盾ができた時が、今までの人間の歴史に大きく二度あった。農業革命と産業革命の時である。

人間のエネルギーとの関係を、エネルギー利用の粒度で見れば、四段階からなる。

1 外部のエネルギーをエネルギー変換し利用、
2 外部のエネルギーを蓄積した物質のエネルギーを変換し利用、
3 特殊な物質、ウランなどをエネルギー変換し利用、
4 普通の物質をエネルギー変換し利用する。

1 は普通の農業、太陽光発電、風力発電、2 は、化石燃料利用発電、3 4 が原子力発電に当たる。

地球の人類は、すでにある元素と太陽エネルギーを蓄積した植物や動物が、人類誕生以前に既にあったため、太陽エネルギーのみの利用により農業栽培や動物飼育が行え、食料を作る人類の第一の転換、農業革命を起こすことができた。
           (最近、地球に、太陽エネルギーによらない生命がいることが知られるようになった。NASAなどで研究が進んでいる)
そして太陽エネルギーを蓄積した化石燃料が採掘できる数百年のわずかの期間に、人類の第二の転換、産業革命が起きた特殊な歴史を持つ。
今は、別の問題が生じている。
太陽由来の化石燃料が枯渇しつつある。
地球内部の地殻変動や小惑星衝突、太陽嵐などによる太陽依存のエネルギーの広範囲長期の消滅から脱する必要も分かってきた。

3) 地球の主体の前提1: 生物的属性

人間の感覚器官の種類と数、知覚の範囲、行動器官の種類と数、行動の範囲、人間の大きさによって、オブジェクトの粒度(空間時間範囲、属性)が規定されている。
知覚、過去の記憶、コミュニケーションによる情報入手、蓄積されている情報の入手と、行動の間に、個の「世界観−価値観−態度−感情−粒度−論理」とこれらを支える文化・文明がある。
この内、感情は本稿では直接には扱わない。
知覚、過去の記憶、コミュニケーションによる情報入手、蓄積されている情報の入手は、どれも、地球に独特な内容がある。

この内、例として、コミュニケーションと知覚手段の関係を考えてみよう。

遠隔コミュニケーションと近接コミュニケーションがある。

近接コミュニケーションは、送り手と受け手の間の媒介物がない。
         (1) 力学的または化学的作用による近接コミュニケーション: 触覚、味覚。

遠隔コミュニケーションに、送り手と受け手の間の媒介物に波として働く方法と粒として働く方法がある。
         (2) 媒体中を波(周波数)として進んで行く遠隔コミュニケーション: 視覚、聴覚。
         (3) 媒体中を粒として進んで行く遠隔コミュニケーション: 嗅覚。

4) 地球の主体の前提2:  生き方、文化・文明(5章)

    農耕という対象化の開始
→ 人口増加
→ しかし、地球では生産物が増えれば増えた分は人口増加に使われたので、いつも生産物は不足傾向だった
偶然の物々交換の誕生
→ 所有という一体化の原型の誕生、物々交換の成立が、帰属を必要とする大きな集団規模をもたらした
→ 物々交換が生んだ等価原理による対象化の進展とその問題点の顕在化、文化・文明の成立
→ 一体化の必要性を活性化させ、対象化と一体化の統一の必要性を把握させて今に至っている。

1.2 地球人の論理 [TS2010,12] [FIT2015] [THPJ2015/01,02,03]

地球に、形式論理学は普及している。
論理的網羅思考と、粒度により決まった矛盾モデルを単位とする弁証法論理学ができている。
弁証法論理学が新しい世界観も明らかにした。
これらは、対象化が生まれ、農業革命後の機能と構造の矛盾から対象化と一体化の一体型矛盾を生む歴史を明らかにした。
歴史と論理のおおまかな一致と同時に、微細な差異が事実の歴史を変えることも分かってきた。
地球で人の論理は、抽象化−推論−具体化という過程で構成される。

1.3 宇宙人の論理の前提の網羅

宇宙人の論理の前提を考える。
これら前提が、粒度と論理の枠組みに作用する。論理も、この前提に逆作用する。

以下は検討項目の羅列に留まる。

1) 外界の属性

  (1) 星の属性: 大きさ、公転,自転周期、重力、環境の多様性変化性など。

  (2) 特に、星の利用可能エネルギー: 人間の歴史は、常にエネルギーが主導したが、他の星では、エネルギーが有り余り、かつ変化がなく地球と異なるかもしれない。
論理は、エネルギーを前提とし、世界観、価値観と相互作用してできる。
これらは星の多様性と変化性に依存してできている。

2) 主体の前提1: 生物的前提

 (1) 生命は、個が他と独立しているか?
      個が集団の一員となっているか?
       集団が一つの生命か?

  (2) 宇宙人の生物的属性。
           大きさ、
           生命の食料をどこから得ているか?
           知覚の種類、知覚で得られる範囲、行動器官の種類と数、行動の範囲、
           生命の運動、事実の変更、運用に要するエネルギー量は?

3) 主体の前提2: 生き方、文化・文明の前提

(1)  同一性と差異性への対処はどうしているか?
     エネルギー意識の有無。・生命と外界間の態度として、対象化と一体化の態度の有無?内容?

(2) 得ている食料が増え続ける必要があると感じるか?その場合事態への対処方法

(3) 分業、物々交換の成立の成否。
    価値観、世界観による媒介の有無と内容。

(4) 生命と外界間の文化・文明(技術、制度、科学、芸術など)の媒介の有無と内容。

(5) 何をオブジェクトとしているか?
     オブジェクトの認識と変更単位=粒度と、複数オブジェクト間の関係=論理の意識の有無。
     最小の事実近似モデルは「存在−関係−存在」か?

(6) 生命の生き方の有無。
    「生命−関係−対象」という生きる近似モデルの「関係」が、生命の行動で、その内容は「誰が、何に対して、何のために、どのように、何をするか」か?

(7) 知能のレベル:  論理は抽象化−推論−具体化という過程で構成されるか。2020.06.09

1.4 地球人と他の星の生命の関係

地球人は人の種の存続、個体の生を実現価値としている。他の種の、存続,生は価値としていない。

何らかのコミュニケーションができてもできなくても、食料不足の地球人がその宇宙人を殺して食べていいか?
立場は逆かも知れない。彼らは地球人を、敵/食料/ペット/友人/自分を超えた存在のいずれと扱うだろうか?
犬や猫、ミミズ、ハエなど周りの動物は皆、宇宙人である。木や花も、宇宙の生命体である。
周りの動物で、地球人を、時に敵/食料/と見る動物はいる。ペット/友人/と見ている動物はいない
自分を超えた存在と見ている動物はいるような気がする。

 

2.  あり得る宇宙人の論理の区分

エネルギーは生命に必須だと思う。
宇宙人が、エネルギーをもたらす食料を増やしていくかどうかが重要だという気がしてきた。
食料を自分で増やしていく生命が、増えた個体の管理のために知的生命になったのではないか。2020.10.15,2021.01.01
あらゆる時間空間、状況のもとで普遍的に利用可能なエネルギーは、水素でなく原子力エネルギーだろう。
電気は使わないかもしれない。
何をエネルギーとして利用するかは論理に大きな影響を与える。2021.05.13

知的生命は生まれたが、生産物が均一で物々交換がない星はある。
人口は増えないが、生産量がどんどん増えていく星でも、ものが要る人は自由に持っていき、物々交換は生まれない。
物々交換が、所有という一方向一体化と等価原理を生んだ。

2020年の成果の一つは、論理学と世界観(哲学),生き方,政治経済制度が、歴史と空間によって異なることだった。
[FIT2020]では、地球の歴史段階ごとの論理を明らかにした。
地球と他の星では、共通する論理と異なる論理がある。2020.07.31
対象化,一体化と、星の多様性と変化性の関係
の検討も将来行われるようになるだろう。
和辻哲郎「風土」の宇宙版が書かれる。
レムの小説「ソラリス」の「海」のような人の深層心理を読む知的生命は想定しない。
地球には、集団による狩りで高度の抽象力、空間的判断力を持つ哺乳動物もいるが、知的生命とは扱わない。
抽象力空間的判断力を発展させたが言語を持たない知的生命もとりあえず想定しない。

対象化を行う知的宇宙人はいる。
ほとんどだろうと思う。
対象化を前提にする。

対象化の前提のもとで、論理と世界観と生き方の区分があるかどうか。

論理が、抽象化−推論−具体化という過程で構成されるかはよく分からない。2020.06.09

一体化という概念のある宇宙人は少ないだろう。
対象化がなく一体化だけある宇宙人は想定しない。
対象化と一体化の矛盾は、自分と他オブジェクトがあるという前提での基本矛盾であるため、自然の矛盾にはなく、人以外の他生命の矛盾にもなく、人類と宇宙人の一部だけにある。
こういう区分のない非地球人型宇宙人がいる。

これらから宇宙人の分類基準を作る。
知覚など生物学的に多様だろうから区分の基準に入れない。

次のような方法、論理の区分がある。
区分、分割せずに実現できる宇宙人はいる。

人のように分割する場合、分割してそれぞれを発展させる力と発展の実現は、同時に得られる。
分割がない場合、今の人より低次か、高度の発展段階があり得る。
論理、世界観、生き方、制度を常に改善しながら生きる宇宙人など。2020.12.13,2021.05.12,08.05

論理の区分案を示す。

1.機能から
      11 得る食料を自分で増やしていくかいかないか、それぞれの場合の対処法。
      12 対象化の前提のもとで、対象化の程度の区分。
      13 論理と世界観と生き方が分かれているか
      14 論理が、抽象化-推論-具体化か、推論だけか。
      15 対象化に加えて一体化(概念)のある宇宙人か。さらに
              151.所有意識のみある宇宙人、
              152.帰属意識のみある宇宙人、
              153.両方ある宇宙人。
              154.完全な双方向一体化がある宇宙人。

2.構造から、
       個と外界の間に文化・文明(対象化と一体化の手段)がある宇宙人、
       ない宇宙人。

複数の星の知見が得られたら、各星で共有すべき教訓をまとめなければならない。
各星の生命絶滅を防ぐこと,個体の生を守ること,生の属性向上、という価値系列でいいのかも検討できる。 202012.20

表7.1  X/Y/Z星人の世界観、論理の前提例   [IEICE2016スライド改]

 

今の地球

X星

Y星

Z星

利用エネルギー

太陽エネルギーとそれを基にした化石エネルギー、初歩的原子力

自然エネルギー

マントル運動エネルギー

原子力

食料

太陽エネルギーを基にした他生命

他生命

人工食料

人工食料

集団/個

個+集団

集団

全体で一生命

個が独立

価値

種の存続、個の生、他との関係(自由)

自由

種の存続

種の存続、個の生、他との関係(自由、愛)

お金

有り

無し

無し

無し

文化・文明

科学、芸術、技術、制度

科学、技術

科学、技術

科学、芸術、技術、制度

対象化

有り

有り

有り

有り

一体化

一方向一体化

帰属

無し

双方向一体化

 

 

[62] 主著『哲学ノート』17版 親ページ

[62A]『哲学ノート』 前書き部/後書き部

[62B] 1.事実、基本概念、価値と思考

[62C] 2. 弁証法論理、3. 矛盾モデル

[62D] 4. 論理的網羅

[62E] 5. 対象化と一体化

[62F] 付 マルクス再考 他

 

[62G] 第二部 ポスト資本主義 [62] PDF

 

高原利生論文集(第6集)2020-21 親ページ

[66] 第6集 Overview

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出版案内『TRIZ 実践と効用』シリーズ

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最終更新日:  2022.1.14    連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp